2021年11月26日金曜日

筋膜に関する誤解と真実 
Fascia Myths and Fascia Facts


今回は「筋膜」について、です。

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最近のヨガの世界で、「筋膜」が流行りの言葉のようになっているのに気づいていますか?この最近理解されてきた体の組織についての記事がたくさんありますが(私自身もこの数年間に2本書いています)、多くのヨガクラスで、特にボールやフォームローラーなどのセルフマッサージの道具をローリングするようなものなど、筋膜が注目されるようになっています。

筋膜が注目されるのは、本当に興味深いトピックだからだと思います。筋膜は、体全体に広がる複雑に絡み合った一種の結合組織で、全ての筋肉、骨、臓器、神経、そして血管やリンパ管を包んで互いに絡み合っています。実際、私たちの体内組織を一つにまとめる構造を作っているだけでなく、スムーズで効率的な動きを作るために筋肉システムと協働し、結合組織システム全体で体内のエネルギーを吸収伝達しています。こうした深い洞察によって、動きを理解する方法を拡げる力を得ることができ、それはとても刺激的なことです!

こうした固有の興味深い事実に加えて、筋膜について、実際に信用するには研究がまだ追いついていないにもかかわらず、広く信じられていることがあります。今日は、ヨガのコミュニティにおいて、広く知れ渡っている筋膜のトピックやマッサージとローリングについて、科学に基づいた生産的な意見交換の受け入れを促すため、こうした特定のことがらのいくつかを見ていこうと思います。



誤解その1 : フォームローラーやマッサージの道具でローリングすると、筋膜の癒着やコリ、瘢痕組織をほぐすことができる。


マッサージセラピストなら、クライアントの体の硬い部分を見つけて、マッサージし、「ほどけて」「リラックスする」のを手の下に感じた経験があるはずです。クライアントの筋膜をにあるコリを手で物理的にほぐしたと考えるのは自然なことでしょう。そして、私たちも自分でマッサージの道具をローリングして同じように感じることもあります。

しかし、筋膜は、鋼鉄のように強いコラーゲン繊維だという事実を知っている人は多くありません。実際に「ほぐす」には、大怪我をしてしまうようなとても大きな力を加える必要があります。これはマッサージセラピストの手やマッサージボールでできるようなことではありません。

転がしたりマッサージした後、体の硬い部分の感触が変わるのを感じるかもしれませんが、この変化は筋膜の構造が変化したわけではありません。筋膜の構造変化はとてもゆっくりで、時間をかけて変化します。コラーゲンが完全に変化して作り変わるには約3年かかります。マッサージの後に経験する組織の質の瞬間的変化は、癒着やコリや瘢痕組織の「分解」ではなく、神経が介在して起こる組織の緊張度の変化なのです。


マッサージやローリングなどの軟組織の治療が、癒着やコリ、瘢痕組織の物理的にほぐすわけではなく、主として神経伝達に働きかけるということを理解すれば、こうしたトリートメントを力づくではなくより優しく行うべきだと気づくでしょう。深く力強い圧力でローリングしたりマッサージをすると、神経の脅威レベルや感度が高まり、せっかくの努力が逆効果を招く可能性があります。より優しく柔らかく行う方が、脅威レベルを下げ組織をリラックスさせるための神経系を鎮めさせられる可能性が高まるのです。

フォームローラーやボールをローリングしたりマッサージすることは間違いなく素晴らしいことで、体を気持ちよく感じさせる効果のある道具ですが、なぜ効果があるのかというメカニズムをより理解すると、自然により賢く使えるようになるでしょう。





誤解その2 : 体に痛みを感じるのは、筋膜に多くのコリや癒着、瘢痕組織があるから。


こう考えている人がとても多いのですが、痛みの仕組みについて正しくない情報に基づいていることがわかります。痛みの最も基本的な側面は、痛みは中枢神経からのアウトプットであり、体の周辺部分からのインプットではないということです。私たちが痛みを感じるとき、体の特定の部分に感じるため、この概念について混乱しがちです。痛みは、組織の中にあるように感じるので、そこで痛みが起こっているように思うのです。しかし、痛みは実際には組織にあるわけでは全くありません。100%神経的な体験なのです。

痛みはアウトプットであり、体の周辺部にある癒着やコリや瘢痕組織のインプットではありません(もしそうなら、問題は全く別の話です!)。実は、それらは痛みを作る能力を持ち合わせていません。この概念を掴むのは、特に私たちはマッサージセラピストが「コッた感覚のする」場所に触れると柔らかくなったり痛みを感じたりするのを知っているため、困難かもしれません。また、実際にそこに「コリ」や固まった場所がないのに触ると痛い場所がある場合もあります。こうした痛みを感じる部分は、スムーズでコリがないように感じます、そして、触ると、痛みに全く関係のない場所にコリを感じる場所も少なくないのです。

お分かりの通り、痛みと組織の質は別のものであり、共通する時もありますがほとんどの場合はそうではありません。皮膚下の固まった部分の全てに問題があると考えるのは簡単ですが、実際には、そうした部分のほとんどはおそらく正常で健康的な感触です。そして、。体のどこに感じるかに関わらず、痛みはコリや癒着、瘢痕組織にはあまり関係がなく、それよりも特定の部分の周りで反応している神経に関係しているのです。これを理解することで有益で進歩的な見解を得ることができますが、それは、組織が「硬い」「凝っている」と感じることを異常だとみなさなくなれば、自分自身やヨガの生徒、マッサージのクライアントのための反偽薬を作り出すことが少なくなるからです。(反偽薬とは、痛みのように悪い結果をもたらしてしまう、無害な事柄や行動への否定的な思い込みのことです)




誤解その3 : 筋膜は脱水することがあり、ローリングやマッサージで脱水を治すのに役立つ。


これは本当に興味をそそる考えですが、私の知識の範囲では、この主張を支持する研究はありません。これに関する問題点のひとつは、脱水や水分補給プロセスの仕組みが明確にされていないと言うことです。

簡単に言えば、結合組織は細胞やコラーゲン繊維、基質と呼ばれるゼラチン状の非生物から作られています。筋膜が脱水するというなら、おそらく基質が脱水するのだと考えられます。

しかし、どのように基質が脱水していると確認できるのか、私にはわかりません。外から見てわかるのでしょうか?おそらく皮膚を見て?どこかに痛みを感じているからでしょうか?(先程述べたように、痛みと組織の状態にはあまり関係性がありません。)

たとえ筋膜の脱水状態を調べる確かな方法があったとしても、どのようにマッサージやフォームローラーでのローリングが水分補給するのか、はっきりしません。結合組織の基質は確かに水分を含んでいますが、ローリングの圧力がこの水分をどのように変化させるのでしょう?(飲んだ水分は基質の水分とは異なる経路を通っているので、筋膜の水分補給とは異なります。)ローリングが筋膜に新たな水分を加えるのか(どのように?)、すでに存在している水分を体の別の場所から脱水した場所へ移動させるのか?もしローリングで水分が増えるのなら、皆さんの臀部は、毎日何時間も座ることで圧力がかかっているので、とても水分に満ちていて特別に健康的なはずです。

多くの人がこの水分の話を信じているのは、賢いヨガのインストラクターや経験豊かなマッサージの先生など知識豊かな誰かから聞いたからでしょう。しかし、実際に結合組織の生理学にこの主張を裏付けるものを探してみれば、それはあまり多くないということに気づきます。マッサージが脱水した筋膜に水分を与えるのは本当かもしれませんが、明らかな方法でこれを示す研究はまだ存在しないのです。科学が何か確かな証拠を作り上げるまでは、このような主張をするのは少し待った方がヨガ界のために良いのではないでしょうか。




要約すれば、筋膜は、あまりある理由から信じられないほど素晴らしい体組織です。しかし、言葉を選んで、ほぐしたり水分補給しなければならない痛みのある癒着や瘢痕組織でいっぱいだというような筋膜についての主張をやめることが、自分自身や生徒に対しても良いことでしょう。また、マッサージセラピーや、ボールやフォームローラーなどセルフマッサージの道具は本当に素晴らしく多くの人に素晴らしい効果をもたらすものですが、こうしたマッサージにおいて、多くの場合に見落とされがちな神経の役割への気づきを認めたり伝えたりすれば、これらの道具を自分自身や生徒、クライアントのために、よりパワフルに使うことが出来るようになるはずです。





(出典)https://yogainternational.com/article/view/fascia-myths-and-fascia-facts

2021年11月22日月曜日

アサナは何のため? 
What is the Purpose of Asana?

今回の記事は、ヨガポーズ、アサナに関するQ&Aです。
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Q:私は、これまで様々な先生のヨガクラスを受けてきました。先生達が教えているのは基本的には同じエクササイズで、「ハタヨガ」だとか「アサナ」だと言います。先生達の多くは、アサナは体に良いだけでなく、精神を開く方法でもあるという印象を持っていて、アサナがクンダリニを目覚めさせると言う人もいます。私は、こうしたポーズと精神性にどう関係があるのかわかりません。何かを見落としているのでしょうか?アサナが精神的な成長にどのように役立つのでしょう?


A:アサナについては、本来、考えられ教えられていた方法と、現在教えられているものとの間にはとても大きな違いがあります。古代では、目的は瞑想であり、アサナは、できるだけ気を散らすことなく長時間座って瞑想できるよう、心と体の能力を高める方法でした。体が健康で、精神が内に向かって一点に集中している時にのみ、人は人生の内なる局面を見つけることができるのです。この自己発見が、精神的修養の真髄です。


自己発見のプロセスで、修行者は、体と呼吸、呼吸と精神、精神と魂の間にある繋がりを見出します。しかし今日では、体の健康を高めるために「ヨガ」クラスに行く人がほとんどで、アサナは、ほとんどのクラスで体に関することに対処する方法として教えられ、体や呼吸、精神、魂のこの内なる繋がりに注意を向けることはほとんどありません。ヨガは、結びつきの道であり、ヨガの実践は、自身の異なる局面間の繋がりがあることに気づかせてくれるものです。肉体的なレベルのアサナはヨガではなく、精神的な成長にはほとんど役に立ちません。


例えば、ブラナヤマ(呼吸法)の実践は、精神を内側へと集中させ、精神の変容を支配する力を得るための最も確実な方法のひとつだと言われています。アサナを呼吸法から切り離すのは、現代のやり方です。プラナヤマのないアサナの教えというのは、どんな聖典にもありません。しかし、現代の指導者の中には、アサナを教える際にプラナヤマの方法を伝えない人が多く存在していますが、それでも自分たちが教えているものをハタヨガと呼んでいます。こうした種類のアサナの実践は健康を促進するでしょうが、精神の明晰さを高めることはできず、すなわち精神的な目覚めが生じることもありません。


言い換えれば、あなたの言うクラスはハタヨガクラスではありません。聖天によれば、ハタヨガとは、体の健康と精神の明晰さ、そして霊的な輝きへの完全なる道です。ハタヨガの実践とは、アサナ(ポーズ)、プラナヤマ(呼吸法)、集中、そして瞑想を組み合わせたものです。ハタという言葉自体が、その目的を示しています。ハは「太陽」タは「月」です。つまりハタヨガとは、陰陽のエネルギーのバランスを取る能力を得る実践なのです。ハタヨガの実践により、自身の陰陽や男女の性、受動能動の局面のバランスを取ることで、精神と体の調和した状態が作り上げられるのです。肉体的なポーズに呼吸や瞑想の訓練を組み合わせなければ、こうした調和状態になれると考えることはできません。そして、この内なる調和がなければ、内側そして外側の世界の両方から沸き起こる気を散らすものや邪魔するものに抗う時間とエネルギーが、膨大な無駄となるのです。




Q:ヨガとはアサナと同じ意味で、瞑想は別のものだと考えていました。アサナはハタヨガの一部にすぎず、プラナヤマや瞑想が伴わなければアサナの実践だけではハタヨガではないということですが、なぜ、現代ではアサナと瞑想との繋がりがなくなったのでしょうか?


A:私は、生活のあらゆる場面にヨガが浸透している環境で育ちました。ヨガをはっきりとした道や修練ではなく、生き方だと考えていました。ヨガを実践しながら大人になりましたが、26歳でアメリカに来て初めて、そのことに気づきました。どんな種類のヨガをしていたのかと尋ねられた時、その意味がわかりませんでした。私にとってヨガはヨガでした。総合的な知識とそれにもっぱら集中することから、一部を切り離すというテクニックには馴染みがなかったのです。もう一つ私が驚いたことは、肉体的なポーズに焦点を当てていることでした。常に、プラナヤマや瞑想とともにポーズを実践してきたからです。


1時間やそれ以上の体系的な体のストレッチは、心が落ち着くと共に活力を得られます。その効果はすぐに現れて明らかです。呼吸や体のエネルギーの流れに働きかけた効果、つまりプラナヤマの効果の一つですが、長く続きます。こうした効果は力強いですが、とても微細です。それよりも微細なのが瞑想によって得られる効果です。ヨガが西洋にもたらされた時、ポーズを普及させるのは容易でした。人々の、体に働きかけるという概念を理解する準備ができていたからです。しかし、呼吸や精神に働きかけるという概念を受け入れるほどではありません。ですから、アサナはすぐに市場に広まりましたが、プラナヤマや瞑想のより微細な実践はほとんど広まりません。そうして、アサナの実践は、瞑想から切り離され、それだけで洗練されていき、多くの人々の間で、アサナがヨガの同意語となったのです。彼らは瞑想がヨガの欠かすことのできないテクニックだということを知らないのです。


ヨガと瞑想に違いがあると考えることは、無知からきています。聖典には、別の実践だとは決して書かれていません。実際、最も権威のあるヨガスートラは、ヨガは精神の変化をコントロールすることだと定義しています。そのコントロールする力を得るテクニックこそがヨガのテクニックなのです。そして、すべての解説者らの言う通り、完全にバランスの取れた精神状態とその状態へ至る道のどちらもがヨガなのです。





Q: 実際には、何がハタヨガを精神的なものにするのですか?


A:ハタヨガを精神的な道へと変える初めの一歩は、生活の中に「ヤマ」と「ニヤマ」を取り入れることです。ヤマとは、非暴力、誠実、禁欲、不盗、不貪の実践のことです。これら5つの原則は、不健康な生き方をしないために役立ちます。ニヤマとは、5つの守るべきことで、清浄、知足、鍛錬、自己探求、神への降伏で、健康的に生きるために役立ちます。これらの10の原則とともにアサナやプラナヤマを実践することで、内から外へ、そして外から内へと自分自身を変化させ始めるのです。


ハタヨガを精神的な道へと変化させる次のステップは、聖なる音やシンボルへの瞑想です。これによって、自分自身と神を繋ぐことができます。精神的な結果を目指して実践を行って初めて、精神的なものとなり得ます。精神的なものへの瞑想は精神的な実践です。ただ一点に集中する力念力を目指すような瞑想はそうではありません。精神的なゴールを目指すには、精神的な方法で行わなければなりません。


ハタヨガのアサナという部分は、自身を体へと導いてくれます、プラナヤマによって、エネルギー鞘へ近づくことができます。集中するテクニックによって、精神を統一できるようになります。しかし、これらの修養が必ずしも精神的な目覚めにつながるというわけではありません。


瞑想の全てが精神的というわけではありません。水に瞑想すれば、穏やかで集中した精神を養うことができるでしょう。火に瞑想すれば、力強い精神を養い、エネルギーのレベルを向上させることができます。特定のマントラに瞑想すれば、透視力や他者を癒すような特別な力を得ることもできます。しかし、ヨガの実践でこうした特別な能力を得られたとしても、まだ本当の自分には辿り着けないかもしれません。


精神を内に向けることは簡単ではありません。世界の魅惑や誘惑は力強く、心は一つのものから次のものへと走り続ける癖があります。一点に集中する能力を養えたとしても、内に向かって内なる神を求める理由を見つけられないでしょう。


この世の体験や物質は束の間のものに過ぎず、内にある命の源は永遠であることを、心に納得させなければなりません。聖なる存在との関係性は永遠で、内なる神を抱くことで受ける喜びはどんな感覚的な喜びをも凌ぎます。こうした理解のみが、私たちの精神を内へと向けるきっかけとなり得るのです。そうした動機をもった瞑想は、精神統一を養うだけでなく、心を内側へと向かわせてくれます。そうして内への旅、一歩進むたびに価値を言い出せる旅が始まるのです。