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2026年5月19日火曜日

プラナを理解する Vol.1 
Understanding Prana

ヨガやアーユルヴェーダでよく出てくる「プラナ」
生命力だったり呼吸だったり「気」だったり。
今回はそんなプラナについてです。

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この3つの世界に存在するもの全てはプラナのコントロール下にある。母親が子どもを守るが如く、おおプラナよ、我らを守り、輝きと知恵を与えたまえ

ープラシュナ・ウパニシャッド 2.13

私たちが生まれ持つ5つの主な能力である精神、呼吸(プラナ)、話す力、聞く力、見る力は、どれが最も重要なのかについて議論していた。その争いを解決するため、欠けた時に最も困ることになるのはどれかを見ようと、彼らはそれぞれ体を離れることにした。まず話す力が離れたものの、無言にはなってしまったが体は元気なままだった。次に目が去ったが、盲目ながらも体は元気だった。そして耳が離れたが、聞こえないものの体は成長し続けた。ついに精神が去り、今度は無意識になったが体は生き続けた。しかしプラナが離れ始めると、体は死に向かい始めた。他の力はすぐに生命力を失っていったのでプラナのもとへ急ぎ、プラナの優位性を認めてとどまる様に懇願した。



これは古いヴェーダの物語で、少しずつ違うバージョンがさまざまなウパニシャッドの中で見られます。最初の議論が意味するのは、私たちの能力が統合されず意識をコントロールしようとそれぞれが競い合うというよくある人間の状態です。プラナが離れる時、全ての能力にエネルギーを与えているのがプラナであり、プラナがなければ何も機能できないということが明確になります。この物語の教訓は、これらの能力をコントロールするにはプラナをコントロールしなければならないということです。


心身に良い変容をもたらすためには、エネルギーの働きを理解しなければなりません。この力をサンスクリット語で「第一のエネルギー」の意味でプラナと呼び、「呼吸」や「生命力」とも訳されることがありますが、実際にはそれ以上の意味を持ちます。プラナそのものが表すさまざまな形について、西洋のヨガ文献ではあまり語られないため、その広大で深淵なプラナの科学が理解されることは稀です。


プラナには、体の呼吸から意識そのもののエネルギーに至るまで多くのレベルの意味があります。プラナは単なる基本的な生命力ではなく、原始の創造力です。私たちの存在のすべてのレベルで働く全てのエネルギーを支配しています。この全世界はまさにプラナの現れです。意識を変容させるうちなるエネルギーである大蛇の力、クンダリニ・シャクティでさえ、プラナが覚醒することで起こります。


宇宙のレベルでは、プラナには2つの局面があります。ひとつは出現していない純粋意識のエネルギーであり、全ての創造物を超越しています。ふたつめは出現したプラナで、意識そのもののエネルギーであり、デヴァトマ・シャクティやチティ・シャクティと呼ばれます。出現していない純粋意識のプラナから、全宇宙が存在物へと成り、創造のプラナの出現となります。


自然そのものは3つのグナ(質)から成ります。サットヴァ(調和)は精神を生じさせ、ラジャス(動)はプラナを生じ、タマス(不活発)は身体を生じさせます。自然は動的、ラジャス的なエネルギーです。高次の自己、純粋意識の引力に応えて、このエネルギーはサットヴァ的となります。無知の不活発さによって、この同じエネルギーはタマス的になります。


身体の存在と比較すると、生命力であるプラナは呼吸する酸素から主に起こる「風」要素の変容したものです。微細なレベルでは、空要素は触覚に対応し、触覚を通じて私たちは生きていると感じ、生命力を他の人に伝えることができます。



コーシャ

人間の存在は5つのコーシャ(鞘)から成る

  • アンナマヤ・コーシャ(食物でできた鞘)。これは物質であり、私たちが摂取する5つの要素(地、水、風、火、空)で作られています。

  • プラナマヤ・コーシャ(呼吸でできた鞘)。これは生命力である、ヴァーユという5つのプラナから作られています。

  • マノマヤ・コーシャ(印象の鞘)。これは外側にある低次の精神で五感の印象で満たされています。

  • ヴィジュナーナマヤ・コーシャ(概念の鞘)。これは知性そのもので、方向性を持った精神活動です。

  • アーナンダマヤ・コーシャ(体験の鞘)。これはより深い精神で、記憶、潜在意識、超意識の精神を含みます。



プラナマヤ・コーシャは生命エネルギーの領域です。この鞘は、物理的な体と、3つの精神的な鞘(外側の精神、知性、内側の精神)を媒介しています。また、5つの粗い要素と5つの感覚印象の媒介をも行なっています。
  

プラナマヤ・コーシャは、5つの運動器官(外分泌、泌尿生殖、足、手、発声器官)を繋げており、生存、生殖、運動、自己表現の欲求を含みます。行動への熱意や動機をもたらします。


ほとんどの人は、物理的な身体とそれに深く存在する欲求に支配されており、それは生き続けるためには不可欠なことです。身体は無意識のエゴが存在する場所であり、様々な恐怖や欲望、執着がとどまるところです。私たちの多くが、このコーシャを通して、感覚的な楽しみや形ある物質を得ることといった形で喜びを得ようとして人生を過ごします。
 

強い身体を持つ人には個性を世界に認めさせる能力があって、傑出した人生を歩む人が多いです。身体が弱い人は、多くを成し遂げるエネルギーが少なく、多くの場合は従属的な地位に留まります。一般的には、体力があり自我の強い性質を持った人が世界を動かします。しかし、この性質は精神的な道のりでは最大の障害のひとつとなります。というのも、彼らにとっては、自身の欲望に基づいた衝動に疑問を持つために必要なより大きな力に身を委ねることが困難だからです。


そのため、精神的な人生はプラナを押さえ込まなければならないと考える人もいますが、プラナマヤ・コーシャが強いということは、利己的あるいは欲望志向の活力とは全く異なります。それは個人の力から得られる強さではなく、聖なるエネルギーへの降伏から得られるものです。霊化された強いプラナマヤ・コーシャがなければ、持続的な集中した実践を行うエネルギーを持つことはできません。


ヒンズーの神話では、このより高次のプラナは風の子である猿の神様ハヌマンに象徴され、古代神話ラーマーヤナの中で語られています。ハヌマンは神の生まれ変わりであるラーマとその妻シータに仕えており、それによって望む通りの大きさになり、あらゆる敵や障害を乗り越え、奇跡を成し遂げる能力を得るのです。そうした精神的な方向へ向かう性質によりエネルギーや好奇心、熱意を持つことができ、五感や身体的な衝動(低次から高次まで全ての意思や野望)をコントロールする能力をも得るのです。



ヨガにおける5つのプラナ


プラナマヤ・コーシャは、ヴァーユまたは「風の力」とも呼ばれる5つのプラナから成っています。これら5つのプラナは、動きと方向によって分類されます。これは、アーユルヴェーダ医学でもヨガの実践においても重要なテーマです。


プラナ・ヴァーユ

プラナ・ヴァーユは文字通り「前進する風」という意味で、内向きに動き、食べることから、飲むこと、息を吸うこと、感覚を得ること、精神的な体験に至るまでの体の中に受け入れるあらゆる種類のものを調整しています。もともと推進力があり、物事を動かして導き、日々の中で私たちを動かす基本的なエネルギーを与えてくれます。
 

アパナ・ヴァーユ

「立ちさる風」であるアパナ・ヴァーユは、下方そして外側へ動き、あらゆる形の排泄や生殖(下方への動きもある)を司っています。便や尿の排泄、射精、月経液や胎児の放出、そして呼吸を通した二酸化炭素の排出を制御しています。より深いレベルでは、負の感覚、感情、精神的な体験などのを排除を支配します。私たちの免疫機能の基礎となります。


ウダナ・ヴァーユ

「上へ動く風」のウダナ・ヴァーユは、上方へ動き生命エネルギーの質的、変容的動きをもたらします。体の成長を司り、立つ能力や話す能力、努力や熱意、意思を調整します。主なプラスのエネルギーで、さまざまな鞘での成長や意識の発達を助けます。


サマナ・ヴァーユ

「バランスをとる風」であるサマナ・ヴァーユは、攪拌や識別を通して周囲から中心へと動きます。すべてのレベルでの消化を助け、消化管では食べ物を消化し、肺では空気を消化あるいは酸素を吸収し、精神では感覚、感情、精神の体験を消化します。


ヴィヤナ・ヴァーユ

「外に向かう風」のヴィヤナ・ヴァーユは中心から周囲へと動き、すべてのレベルでの循環を制御します。食物、水、酸素を身体中に運び、精神の中で感情や思考を循環させ続け、勢いを授け強さを与えます。







5つのプラナはまた、体の場所という観点でも見られます。プラナ・ヴァーユは、頭から、身体のプラナの中心であるおへそへのエネルギーの動きを制御します。アパナ・ヴァーユは、おへそから背骨の先端である根のチャクラまでのエネルギーの動きを制御します。サマナ・ヴァーユが司るのは、おへそから全身へのエネルギーの動きです。ウダナ・ヴァーユは、おへそから頭へのエネルギーの動きをコントロールします。


簡単に言えば、プラナ・ヴァーユは物質の取り込み、サマナはその消化、そしてヴィヤナは栄養の循環を司っています。ウダナはプラスのエネルギーの解放、そしてアパナは老廃物の排泄を調整します。これは効率的な機械の働きにとても似ています。プラナは燃料をもたらし、サマナがその燃料をエネルギーに換え、ヴィヤナがそのエネルギーを様々な現場に循環させます。アパナは変換プロセスでできた廃棄物を処理します。ウダナはこうして造られたエネルギーを管理し、機械が効率的に機能させます。


健康の秘訣は、プラナを調和し続けることです。ひとつのプラナのバランスが崩れると、すべて繋がっているため、他も均衡を崩しやすくなります。大抵の場合、プラナとウダナはアパナのバランスを取っていますが、それはエネルギーを作る力が排泄のバランスをとるためです。同様にヴィヤナとサマナは、拡張や収縮という側面でお互いに調整し合っています。




プラナはどのように物理的な体を作り上げているのか


プラナがなければ、体はただの泥人形に過ぎません。プラナが、様々な微細の神経経路(ナディ)を造って、それ通して操作してエネルギーを与えて粗い物質を様々な組織や臓器の形に変え、このゼラチン質の塊りから手足や様々な内臓などを形作っています。


プラナ・ヴァーユは、頭部や脳から心臓までの開口部や経路を作っています。頭には、2つの目、2つの耳、2つの鼻の穴、そして口と7つの開口部があります。ウダナ・ヴァーユは、上半身の開口部、特に口と発声器官を作るプラナを補助します。口は、頭だけでなく全身のための開口部だからです。実際、ある意味では、身体は食べたり自己表現の主な臓器である口の延長なのです。


アパナ・ヴァーユは、尿生殖器と排泄など下半身の開口部を造ります。サマナ・ヴァーユは身体の中央部にある開口部、おへそを中心とした消化器をつくります。肝臓、膵臓などの臓器と腸との経路を開けています。ヴィヤナ・ヴァーユは身体の周囲を走る腕や脚などの経路を作ります。静脈や動脈、そして筋肉、腱、関節、骨などを形作ります。


おへそは、主に消化器官からなっている物理的な身体、つまりアンナマナヤ・コーシャの主なプラナの中心です。粗いプラナが食物として、小腸を中心とした消化プロセスに取り入れられ、主に筋肉などより重い組織に保持されます。しかし、プラナにはより微細なレベルでの機能に基づいた中心もあります。心臓はプラナマヤ・コーシャのエネルギーの主な中心です。呼吸で取り込まれたプラナは、心臓の機能で血液にのって運ばれていきます。頭は精神的な鞘であるマノヤマ・コーシャの中心で、主に目や耳からの感覚受容によってエネルギーがもたらされます。


呼吸は、体内のプラナ活動の主な形です。プラナ・ヴァーユが吸気を調整しサマナが酸素の吸収を司りますが、それは主に呼吸を止めている間に起こります。ヴィヤナはその循環を調整します。アパナは、
特に二酸化炭素の排出を管理しします。ウダナは会話や歌など呼吸を通したプラスのエネルギーを解放することで呼気を調整します。






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2026年4月16日木曜日

自宅でパンチャカルマの浄化をする方法 
How to Do the Panchakarma Cleanse at Home


春は夏になる前の浄化のタイミングです。その方法と効果はどんなものでしょうか?
今回の記事は、自宅でできる浄化法です。
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もしあなたが、わざわざクリニックに行くことなくパンチャカルマの効果を少し感じたいと思っているなら、アーユルヴェーダ専門家のヴァサナ・ラッド氏が自著「The Complete Book of Ayurvedic Home Remedies(自宅でできるアーユルヴェーダ療法の全て)」の中で推奨している以下のバージョンを試してみましょう。




妊娠中、虚弱、貧血、衰弱の方はこのプログラムを行わないでください。それ以外は、注意して行えばほとんどの健康な方にとって安全です。



パンチャカルマの浄化を始める


まずは、自身の3つのドーシャで成るアーユルヴェーダ的な体質を確認する必要があります。ほとんどの人は、ひとつのドーシャが主要なものであり、もうひとつが二時的なもの、そして3番目は最も表面にでていないものです。


理想的には、このパンチャカルマ浄化は、日々の雑事から離れられるよう1週間の休みをとって行うと良いです。家のことで忙しいなら、静寂を感じられる森の中のキャビンを借りましょう。過度な刺激を避けて、自然の中で休んだり歩いたりして過ごし、読書は軽いものを、そして優しいヨガや瞑想をしましょう。最短では、平日に第1-3日目を、第4-8日は長い休暇で行うといいでしょう。


注意点:Lad氏によれば、このプログラムにより、深い結合組織に溜まった古い未解決の感情が解放されます。それに対処するには、その感情を抑え込まず、心と精神を落ち着かせる瞑想を定期的に実践することを氏は推奨しています。



パンチャカルマ 第1-3日


早朝、温かいギーを60cc 飲みます。(コレステロール、血中脂肪、血糖が高い場合は、ギーではなくアマニ油を3日間、食事の15分前に摂りましょう)


ヴァータが優勢の人は、ギーに岩塩ひとつまみを加え、カファが優勢な人は、トリカトゥ(黒胡椒、長胡椒、生姜のパウダー)をひとつまみ加えましょう。ドーシャに合った食事を摂ります。毎夜、白湯1/2カップにトリファラ(アムラ、ヒビタキ、ハリタキのパウダー)を小さじ1杯入れて10分間浸してから飲みます。



パンチャカルマ 第4-5日


朝食、昼食、夕食にキチャリだけを食べます。


ドーシャに合わせたお茶を飲みます。小さじ1/2-1杯を5分間抽出して飲みましょう。

ヴァータ:同量の生姜、クミン、コリアンダー
ピッタ:同量のクミン、コリアンダー、フェンネル
カファ:同量の生姜、シナモンにひとつまみのクローブ



就寝前は、温めたオーガニックオイル240cc (ヴァータはごま油、ピッタはひまわり油、カファはコーン油)で15-20分間の全身をマッサージします。オイルが肌に浸透するまで数分間置き、温かいシャワーを浴びるか入浴します。肌にオイルが少し残る様、全身を天然石鹸で洗います。そしてトリファラを摂ってからベッドに向かいましょう。



パンチャカルマ 第6-8日


キチャリとお茶、夜のマッサージとシャワー、トリファラを続けます。就寝時には、アーユルヴェーダのハーブ、ダシャムーラを水2カップに入れて5分間沸かします。人肌の温度に冷めたら濾してバスティ(腸洗浄)に用います。トイレに行くまで、少なくとも30分は(できれば一晩)お腹に保つようにしましょう。



パンチャカルマ 第9-12日以降


おめでとうございます!パンチャカルマ浄化の主要部分は終わりました。9日目、キチャリに蒸し野菜を加えましょう。イーストの入っていないパン、より多くの野菜を加えたより健康的な食事に徐々に変えていき、そしてドーシャに合った食事へと戻ります。


「より効果的な回復を得るには、体力を養う時間をとりましょう」Lad氏は言います。「週末だろうと、1週間、1ヶ月、またはそれ以上だろうと、休養やリラックス、心身や精神を回復させる目的をもった時間をとりましょう」


その間、たくさん休養をとり、禁欲を保ち、ヨガや瞑想を定期的に行います。また30ー60日間、朝夕にバランスをとるための飲み物を飲みましょう。
ヴァータ:ホットミルク1カップにアシュワガンダ小さじ1
ピッタ:温かいミルクにシャタヴァリ小さじ1
カファ:温かいミルク1カップにプルナルナーヴァ小さじ1、


そして、2-3ヶ月の間、トリファラを続けます。



時間が経つにつれ、このパンチャカルマ浄化で、自己認識、自己肯定感、自己愛が深まります。心身がますます浄化されると、ヨガの実践(生活)が輝き始めます。そしてそれこそが長寿の科学であるアーユルヴェーダそのものなのです。







(出典)https://yogainternational.com/article/view/how-to-do-panchakarma-at-home/


2025年7月27日日曜日

5元素をコブラのポーズで 
Align With the Five Elements in Cobra Pose


この記事は、トッド・ノリアン氏が築いたアシャヤ・ヨガの視点から見たコブラのポーズです。アシャヤ・ヨガは、実践者の身体の力を目覚めさせるよう、タントラの哲学と瞑想法をアライメントを重視した治癒的ヨガのテクニックに融合させたものです。




多くの偉大なるヨギたちは、悟りとは子どもの目で、全てをまるで初めて見たかのように、見る能力だと述べています。非二元性であるシャイヴァ・シャクタ・タントラの伝統では、アドブータ(「驚き」という意味)は9つのラサ(味、あるいは生命の本質)のひとつとみなされています。ラサは人間の感情をすべて包含していると言われています。
 

驚きを体験する時、心は開いて空のように広大に広がります。晴れた夜空の星々を見上げること以上に私をアドブータの状態にするものはありません。おそらく多くの人が同じことを体験しているでしょうが、それはなぜでしょうか?そのひとつは、星々が美しいからです。そして、この宇宙に存在する全ての起源は星々だからです。元素周期表にある92元素全ては星々で作られています。星が死ぬ時、内側へと崩壊し極限まで熱くなり加圧され、そして爆発して超新星となり、そこでより重い元素が作られます。その後、これらは宇宙へと飛び出して他の元素と結合し、惑星や星雲、様々な星を形作るのです。このように私たちの太陽系と私たちは作られました。地球上で生命に適した条件が整った時、私たちは単細胞となり、やがて水中から歩き出して今日の私たちへと進化しました。まさに「驚き」に満ちた歴史だと思いませんか?


ヨガ哲学によれば私たちは、パンチャ・マハブータスと呼ばれる地、水、火、風、空という偉大なる5つの元素からできています。これらの元素のバランスが内面で整った時、優れた生き方ができると言われています。バランスが崩れると、「収縮している(過度の地)」、「溺れて」感情的に疲れ切っている(過度の水)と感じたり、やる気がない(火の不足)、不安で怯えている(過度の風)、落ち着かない(過度の空)と感じたりします。


タントラヨガは、私たちとは時間と空間に凝縮された宇宙だといいます。それを知るための神の願望そのものの結晶です。命は偉大な意味を持っています。5元素を知ることは私たち地震を知ることです。



アシャヤ・ヨガとは


アシャヤ・ヨガの4つの基本要素は、全てのポーズや動きでのアライメントの設計図を示すためのものです。5元素とは、エネルギー的、質的に以下のように対応しています。


1. 開く — 空

2. 引き寄せる — 地

3. 整える — 水と火

4. 広げる — 風



アサナの練習に5元素を当てはめようとしたことはありますか?ありませんか?では、コブラのポーズの練習に当てはめてみましょう。それぞれの元素が体の動きに対応していて、最適なアライメントをサポートしてくれるでしょう。


• 第1の要素は、肋骨の横を伸ばし、肌を和らげ、胸の後ろの肩甲骨の間を解放することです。


• 身体の動きの第2の要素は、骨に向かって筋肉を引き寄せ、正中線へと引き込み、周囲から中心へと引くことです。


• 第3要素の身体の動きは、相補的な2つの対照運動です。その目標は、対照的な2つのエネルギーのバランスが取れている中心を見つけることです。これによって、最適なアライメントを見つけることができます。


• 第4要素の身体の動きは、中心軸から外へ広げ、体の中心から全方向へと放射状に広げ、エネルギーを中心から周辺へと動かすことです。まずポーズの基礎へと下ろしてから、空に向けて中心を持ち上げます。


要素の概念を説明したところで、以下の練習で直接探ってみましょう。ブジャンガアサナ(コブラのポーズ)のすべての側面に密接に関連しています。




ブジャンガアサナ:コブラのポーズ

ウォームアップ:キャット&カウ


1. 四つ這いになります(硬い床の上では膝にパッドを当てましょう)。両膝は股関節の下に置きます。両手は肩の下で、手首のシワがマットの前端と並行になるよう、手指は太陽光線のように均等に開き、手首の中心は肩の外側と直線上に置きます。


2. 少し時間をとって体を感じます。呼吸を深くして、胸の中心を和らげます。(この姿勢で胸の中心を和らげるとは、肩甲骨の間にある筋肉を和らげることです。背中で最も硬いのは、概して胸椎の真ん中周りの筋肉である胸の裏側です)4箇所の土台、つまり両手と両膝にバランスよく均等に体重をかけましょう。


3. 息を吸い込みながら、坐骨を上に持ち上げて、背中を反らして見上げます。


4. 息を吐き出しながら、尾骨を引き下げて、腹部を背骨に引き込み、胸の中心の方を見ます。


5. 数回繰り返します。動きと呼吸を合わせましょう。滑らかに均等に動きます。このフローを味わいしょう。



空を開く:驚きを感じる


1. 四つ這いからうつ伏せになり、両手は肩の下、額は床に下ろしましょう。右足をできるだけ遠くに伸ばします。そして左足も後ろへ伸ばします。呼吸を感じながらリラックして、肌を和らげましょう(つまり、皮膚が筋肉の上にふわりと掛かるように筋肉をリラックスさせる)。肌のすぐ下にある捉えにくいストレスを解放して、最も大きな臓器である肌への気づきを広げます。生命の神秘を思い起こしてみましょう。


2. 腰から腋の下へと肋骨の脇を伸ばします。プラナ体(5つのコーシャと呼ばれる鞘のうちのひとつ、エネルギー体)をふくらませるのをイメージして、息を胸の裏側とウエストラインに吸い入れます。宇宙全体があなたという形であなたの中にあることを思い出してください。驚きを持って、あなたの存在の果てしない広がりに心を開きましょう。



地を引き寄せる: 安全で安心で安定


1. 息を吸い込んで、脚の筋肉を骨に向かって引き寄せて優しく収縮させます。最愛の人がしっかりと素敵に抱き寄せてくれる時のように、筋肉で骨の周り360度を包みます。筋肉が引き寄せられると、関節の周りが支えられ安定します。これが脳に安全だと信号を送り、脳が反応して、リラックスしくつろげる能力である副交感神経脳が活性になります。逆説的に言えば、アシャヤ・ヨガではリラックスするために引き寄せるのです。


2. すねと踵をぴったりと付けて、つま先が鎌足にならないようまっすぐ後ろに向けます。踵どうしをより近づけて脛に力を入れることで、腰が守られ、コブラのような後屈で椎間板にかかる圧力を和らげてくれます。


3. 正中線(両脚の間から背骨を通って走るエネルギーの線)へと引き込みます。
 

4. 足の指からふくらはぎ、腿に沿って、骨盤の中心へとエネルギーを引き上げます(周辺から中心へ)。すべてのポーズは、地球と同様に、周辺から中心へとエネルギーを引く重力の中心があります。コブラのポーズでは、その核となるのが骨盤です。


5. 徐々に手の指で地面を掴みます。すべての指の腹と付け根で押し下げ、両手でアイソメトリックに(動かさないで)後方へ引きます。両脇を同じ長さで伸ばしたまま、両手でアイソメトリックに引きましょう。



水と火を整える:流れるように燃える


1. 両脚を正中線に引き寄せ続け、腿を内側に(空に向かって内腿を持ち上げながら)回転します。腿を床から離して内に回す際、腰が反ります。鼠蹊部の前部分が凹み、腰が「波型」にアーチができて大腿骨頭が骨盤のソケットに引き戻る様子に注目しましょう。これが水の元素で、ヨガの伝統によれば骨盤に存在します(シュワディシュタナ・チャクラに関連しています)。


2. 腿を後方に引いたまま、尾骨をすくい下げます(この二つの対照的な動きを作ります)。「すくう」とは、しまい込むような動作ですが、力は抜きます。この臀筋の優しい収縮によって、腰のカーブが伸びます。すくうと、下腹部が背骨向かって引かれる様子に注目します。これが火の元素で、揺るぎない献身と考えられており、ヨギとして自分の心に従い、変化の火の中を歩むのに必要となります。この動きで体幹に引き込まれ、力と熱という形のさらなる支えを加えてくれます。
 

この2つの動きが整うと、骨盤が最適な位置に置かれ、腰と仙腸関節の圧迫が解放されます。



広げる:体を伸ばし、より高みを目指す


1. 骨盤の動き全てを保ちながら、骨盤の中心から両足に向けて体を伸ばします。そして、骨盤の中心から上半身へと伸ばします。両手で後方へアイソメトリックに押しつつ肋骨の脇を長く保ちながら、息を吸い込んで頭、肩、胸を床から持ち上げます。前へと広げながら、背骨に沿って体を伸びましょう。高さよりも長さが重要です。というのも長さが背骨の椎骨の間にあるスペースを作るからです。これは風の元素で、広げて伸ばします。エッセンシャルオイルのディフューザーからの香りのように、風の元素は均衡する点を探し、空間全体に均等に広がるのです。


2. 腕の骨頭(肩の最上部)を後方へ下げて、肩甲骨を肋骨の背中側へと引き込みます。肩甲骨の下端を胸の裏の方へ丸めて、さらに胸を持ち上げます。前腕を内側へ、上腕を外側へ回転しましょう。次にその姿勢を保ったまま、胸の中心から外側の全ての方向に少し広げます。肩甲骨をひとつにまとめたまま、肋骨の背中側へと引き込み続けましょう。


3. 背骨全体を首や頭まで長く保ち続けます。首元の横側を後ろへ下げて、頭が後ろへ引枯れている感覚が首の横側から始まっているのを感じましょう。そして口蓋も下げます。口内の上側の4分の1が丸い円盤だとイメージします。その部分を後方へ動かせる、あるいは口の天井が後ろに引いて開けられる引き出しだと想像します。口蓋が後ろへいくと頭も後ろへと動き、頸椎に曲線ができます。それによってスペースが広がって神経の圧迫が解放されるため、椎間板のためになります。口蓋を後方へ、後頭部を持ち上げます。そこから持ちあげることで、首のカーブがながくなり、頸椎の椎間板のスペースがより広がります。背骨の自然な形状に従って、首と頭を上に伸ばしましょう。


4. 息を吐き出しながら、ポーズを終えて床に下ります。






少し時間をとって、コブラの体験を思い出しましょう。より不思議に満ちていることを感じているかに注目します。より広がって整ったと感じる体の部分すべてを観察します。練習前に感じていたかもしれないあらゆる不快感が小さくなっているか、あるいは完全に消えているかにも気づきましょう。


ポーズの中で5元素を体感し均衡がとれた時、空のような広がりを感じ、体の緊張が解かれ始め(地)、閉じ込められた感情が流れ始め(水)、エネルギーは輝き(火)、そしてその前にあった制限を超えて広がり手を伸ばす(風)力が大きくなるのを感じるでしょう。


シャイヴァ・シャクタ・タントラ哲学では、私たちの本質は至福であり喜びです。5元素に寄り添うことができれば、私たちはこの喜びを認識し感じている心に戻れます。最も深い命の不思議を垣間見ることができます。それこそが私たちの中に存在する宇宙すべてなのです。





(出典)https://yogainternational.com/article/view/align-with-the-five-elements-in-cobra-pose/

2024年11月15日金曜日

プラティヤハラ:忘れられたヨガの支則 Vol.3 
Pratyahara: Yoga’s Forgotten Limb


前回の続き、最終回です。

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1. 同一の印象に集中する

精神を浄化し感覚をコントロールするもうひとつの方法は、例えば海や青い空を見つめるなど、同一の印象に意識を向けることです。不規則な食生活や相入れない質の食べ物が消化機能をショートさせるように、耳障りで過剰な印象によって印象を消化する能力も混乱します。そして消化力を向上させるには断食や、モノ・ダイエット(アーユルヴェーダでお米とムング豆のキチャリを食べるように)が必要であるのと同様に、精神の消化力も自然で同一の印象を取り入れて印象を断つ期間が必要なのかもしれません。


2. 肯定的な印象を作る


五感を制御するもうひとつの方法は、肯定的で自然な印象を作り上げることです。これには数多くのやり方があります。木や花、岩などの自然のものに対して瞑想する、または公的的な印象や思考の宝庫である寺院や聖地などを訪れるなどす。肯定的な印象はまた、お香や花、ギーのランプ、祭壇や礼拝に関する工芸品などを使うことで作り出すことも可能です。



3. 内的な印象を作る 


五感から離れるテクニックは他に、内側にある印象に精神を集中する、すなわち外側の印象から意識を遠ざけることです。想像力を働かせることで自身の内側にある印象は作り出すことができ、肉体の感覚が静まって初めて作用し始める微細な感覚に繋がることもできます。



視覚化すること


視覚化するることは、内側の印象を作り出す最も簡単な方法です。実際に、ヨガの瞑想の実践は、神やグル、自然の美しい景色などを思い浮かべることから始まります。神やその世界を思い浮かべる、または想像した神様に花や宝石をお供えするなど心の中で儀式を行うなどで、より複雑に視覚化することができます。心の中の景色に没頭するアーチストや、音楽を作り上げるミュージシャンも心の中で視覚化しています。これらはみなプラティヤハラなのですが、なぜならこれらは外的印象の精神域をクリアにし、瞑想の基盤となる肯定的な内的印象を作り上げるからです。準備としての視覚化は、ほとんどの瞑想に有用となり、他の霊的な実践に取り入れることもできます。





ラヤ・ヨガ


内なる音や光の流れのヨガであるラヤ・ヨガでは、粗い感覚から身を引いて微細な感覚へと集中します。この内なる音や光へと身をひくことは、精神を変容させる方法のひとつでインドリヤ・プラティヤハラのもうひとつの形でもあります。




プラナをコントロールする


五感のコントロールには、プラナの成長とコントロールが必要となりますが、それは五感がプラナ(生命力)の流れであるからです。プラナが強くなければ、五感をコントロールする力を持つことはできません。プラナが乱れたり混乱していれば、五感もまた乱れたり混乱します。


プラナヤマは、プラティヤハラの準備です。プラナはプラナヤマで集められ、プラティヤハラで内に入ります。ヨガの文献では、体のあらゆる部分からプラナを内にひく方法が述べられています。つま先から始め、頭頂や第3の目、心臓、あるいは他のチャクラなど意識を留めたいと思う場所で終えます。


おそらくプラナ・プラティヤハラの最良の方法は、死のプロセスを心に浮かべることでしょう。生命力であるプラナが体から離れ、足から頭まで全ての感覚が遮断されます。ラマナ・マハリシは、彼がたった17歳の少年の時にこれによって自己実現を果たしました。真我を深く探る前に、彼は自分の体が死にプラナが精神へ、精神が心臓へとと引き込まれるのを心に浮かべました。このような完全で集中したプラティヤハラがなければ、彼の瞑想のプロセスは成功しなかったでしょう。




行動をコントロールする


感覚器(目や耳など)に加えて、私たちはまた(手や舌など)運動器官を持っています。運動器官を制御することなくしては感覚器官をコントロールすることはできません。実際、運動器官は外界と直接関係しています。感覚を通して入ってくる衝動は運動器官を通して現れ、そしてこれがより強い感覚を得たいと想わせるのです。しかし、欲望は終わりがないため、幸福を得るためには、私たちが欲しているものを得ることではなく、外の世界からもう何も必要がなくなった時なのです。


印象の正しい取り込みが感覚器官のコントロールを可能にするように、正しい仕事や正しい行動は運動器官のコントロールを可能にします。これは、カルマ・ヨガで、人生に必要な行動を取ること、そして欲望や自己満足に基づく行動を避けることです。カルマ・ヨガには二段階あり、外に向けた行動や奉仕(セーヴァ)、そして様々な形式の儀式から成る内に向けた行動です。


カルマ・プラティヤハラは、神や人類全体に対する奉仕として行動することで、自分の行いに対する個人的な報酬に関するあらゆる思考を放棄することで実践することができます。バガヴァッド・ギータでは、「あなたの義務は行動することであり、行いに対する報酬を求めることではない」と書かれています。これは一種のプラティヤハラです。それはまた、運動器官のコントロールにつながる禁欲の実践も含まれます。例えば、アサナは手足をコントロールするために使われることがありますが、それは長時間、静かに座る際に必要とされるコントロールです。




精神を引いていく


ヨギたちは、精神は6つめの感覚器であり、他のすべての感覚器を調整する役割を持つといいます。感覚の印象は、精神の気づきがある場所でのみ受け取ることができます。例えば、テーブルからコップを。持ち上げる時に手の動きに合わせて目が見るものを関連づけることで、精神もまた感覚器官や運動器官を調整します。ある意味では、私たちは常にプラティヤハラを実践しているのです。精神の気づきには限界があり、精神を他の印象から遠ざけることである一つの印象に注意を向けることができます。私たちが意識を向ける場所がどこであっても、その他のものは自然に見落としてしまうものなのです。


意識をそこから遠ざけることで、私たちは感覚をコントロールしています。ヨガ・スートラによれば、「感覚がその対象そのものを確認するのではなく精神の本質を再現する時、それはプラティヤハラである」より明確に言えば、それはマノ・プラティヤハラ、つまり感覚を対象物から引いて精神の本質という内面、つまり形のないものへと向けることです。ヨガ・スートラにおいてヴィヤサは、精神は女王蜂のようなものであり、感覚は働き蜂のようなものだと解説しています。女王蜂が向かうところはどこでも他のすべての働きバチが従います。ですから、マノ・プラティヤハラは感覚のコントロールというよりは精神のコントロールなのですが、それは精神がコントロールされれば感覚もまた自然にコントロールされるからです。


不健全な印象が現れた時は、そこから意識的に注意を逸らすことで、マノ・プラティヤハラを実践することができます。これはプラティヤハラの最も高度な形で最も困難です。感覚や運動器官、プラナをコントロールすることに熟達していなければ、機能することは困難です。野生動物のように、プラナや感覚は弱い心を簡単に打ち負かすため、多くの場合、より実際的なプラティヤハラから始める方が良いでしょう。




プラティヤハラとヨガの他の支則


プラティヤハラは、ヨガの全ての支則に関係しています。アサナからサマディに至るまですべての支則にはプラティヤハラの局面があります。例えば、アサナの最も重要な面である座位のポーズでは、感覚器官と運動器官のどちらもがコントロールされています。プラナヤマはプラティヤハラの要素を含んでいて、呼吸を通して注意を内面に引き込みます。ヤマとニヤマは非暴力や知足など様々な原理や実践を含みますが、それは感覚をコントロールするのに役立ちます。言い換えれば、プラティヤハラはヨガの高度な実践のための基礎を与えてくれ、そしてそれは瞑想の基礎となります。プラナのコントロールであるプラナヤマの後、精神とプラナを結びつけることで、肉体という領域から出ていくのです。



プラティヤハラはまた、ダーラナとも関連性があります。プラティヤハラでは、通常の障害となる心の乱れから注意を引いていきます。ダーラナでは、マントラなど特定の対象物にそうした注意を意識的に集中させます。プラティヤハラはマイナスの実践ですが、ダーラナは同じ基本的機能でプラスの局面を持っています。




最も重要な支則


瞑想の実践を何年も行ってきたけれど、期待通りには達していないと感じる人は多いでしょう。ある程度のプラティヤハラのない瞑想を実践しようとするのは、穴の空いた器で水を汲もうとするのに似ています。どんなに水を入れても、それはまた流れていきます。感覚とは心の器の穴のようなものです。穴を閉じなければ、精神は真実の蜜を保つことはできません。瞑想をしたり感覚に耽ったりする人にはプラティヤハラが必要です。


プラティヤハラは、瞑想のために心を準備する様々な方法を与えてくれます。また、心理的な痛みのもとである環境的な障害を避ける手助けとなります。プラティヤハラは、人生をコントロールし、内面の存在を開くための素晴らしいツールです。何人かの偉大なヨギが
「ヨガの最も重要な支則」だと呼んだのも不思議ではありません。私たちは皆、実践にプラティヤハラを含めることを忘れてはならないのです。







2024年10月27日日曜日

プラティヤハラ:忘れられたヨガの支則 Vol.2 
Pratyahara: Yoga’s Forgotten Limb


前回の続きです。
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五感の制御


五感の制御、インドリア・プラティヤハラは、プラティヤハラで最も重要とされますが、マス・メディア志向の文化にいる私たちにはあまり耳にしたくないものでしょう。テレビやラジオ、コンピューター、新聞や雑誌、本など常にありとあらゆる刺激により、ほとんどの人が感覚過剰な状態になっています。商業主義の社会は、五感を通して興味を刺激することで機能しています。いつも明るい色や騒がしい音、ドラマチックな感覚を突きつけられています。ますますより多くの感覚的な楽しみにふけるようになっています。そして私たちの社会での娯楽とはとういったものがほとんどです。


問題は、そういった感覚というのは、躾されていない子供のように自分の意思を持ちとても衝動的な性質を持っていることです。五感は何がしたいかを心に伝えます。もし躾しなければ、五感は私たちを支配し、その終わりのない要求が心を乱します。私たちはいつも知覚が働くことに慣れていて、心を静かに保つ方法を見失っています。感覚の世界とその魅力の人質となってしまっています。五感に訴えるものを追い求めて、人生のより高度な目標を忘れています。こうした理由から、プラティヤハラは現代の私たちにとって最も重要なヨガの支則なのでしょう。


昔のことわざ「精神には意思があるが、肉体は弱い」は、五感を正しく制御する方法を学んでいない私たちに当てはまります。インドリア・プラティヤハラは、精神を強くし肉体への依存を減らすためのツールを与えてくれます。そうした制御は抑制(最終的に反発を起こしてしまう)ではなく、正しい調整と動機づけなのです。




印象を正しく受け入れる


プラティヤハラは、印象を正しい受け入れることです。私たちの多くは、何を食べるか誰と居るかに注意を向けますが、五感から入ってくる印象については同様の識別を行いません。個人の生活では決して許さないような印象をマスメディアを通して受け入れています。現実の生活では決して家に入れないような人々が、テレビや映画を通して家の中に入ってくるのを許しているのです!


毎日どんな印象を取り込んでいるのでしょう?それが私たちに影響を及ぼすことなどないと考えられるでしょうか?強い感覚は精神を鈍らせ、鈍った精神によって私たちの行動は無神経で軽率で、暴力的ですらなり得ます。


アーユルヴェーダでは、五感による印象は精神の主な食物です。精神域の背景は、五感の印象に支配されています。これは、精神が最後に聞いた歌や最後に見た映画などの印象を思い出す時に見られます。ジャンクフードが体を不快にするのと同じく、ジャンクな印象は精神を不快にします。ジャンクフードはたくさんの塩や砂糖、スパイスで味つけられていますが、それはほとんどが死んだ食物だからです。同様に、ジャンクな印象は強くドラマチックな印象(セックスや暴力)で現実であるかのように感じさせますが、それは実はそれらがただスクリーンに映し出された色にすぎないからです。


私たちが何者なのかについて、五感の印象の役割は無視することはできません。というのも、印象が潜在意識を築き、その中にある潜在的な傾向を強めるからです。印象をコントロールせずに瞑想をしようとすれば、潜在意識は私たちと闘うこととなり、精神の安定や明快さを作り出すことはできません。




五感から離れる


幸運なことに、私たちは五感の印象の嵐の前でどうすることもできないというわけではありません。プラティヤハラが正しく管理する実際的なツールをたくさん与えてくれます。おそらく印象をコントロールする最も簡単な方法は排除する、つまり五感から入ってくる全てのインプットからしばらく離れることです。断食が肉体に効果があるように、印象を断つことは精神に効果があります。これは、目を閉じて座って瞑想する、通常の五感の嵐から離れた場所(例えば山小屋など)に逃避するなど簡単にできます。


ヨニ・ムードラ(またはシャンムクティ・ムードラ)は、五感を閉じるための最も重要なプラティヤハラのテクニックの一つです。手の指を使って、頭部の感覚器(目、耳、鼻、口)をブロックして、意識とエネルギーを内側へと動かします。プラナヤマの練習をしたすぐ後など、プラナのエネルギーが強い時は短時間で効果があります。(もちろん、酸欠になるほど口や鼻を閉じてはいけません)


五感から離れるもうひとつの方法は、感覚器は開いたまま注意を内側へと引き込むことです。この方法では、実際に感覚器を閉じてしまうことなく、印象の取り込みをやめます。最も一般的な方法はシャムバーヴィ・ムードラで、目を開けたまま座りながら意識を内側に向けますが、いくつかの仏教の瞑想で使われるテクニックです。この感覚を内側に向けることは他の感覚、特に聴覚も同時に行うことができます。日々の生活のまま五感が働いている時でも、精神とコントロールするのに役立ちます。


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次回にまだまだ続きます。


2024年5月16日木曜日

溢れるエネルギーを!エネルギーを高める5つの自然な方法 
Supercharge Me! 5 Natural Energy Boosters

季節の変わり目、特に今年の春は暑かったり寒かったりが激しくて疲れやすいですね。体力を保ち健康でいるためにはどうすればいいのでしょうか?

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あなたは、恋人たちや聖人、赤ちゃん、ヨギ、そして妊娠中のお母さんが同じ輝きを発していることに気づいたことはありますか?彼らの肌は輝き、微笑んでいて、いつも目がキラキラしています。文字通り、生命力を放っています。アーユルヴェーダでは、活気に満ちた人には、健康や創造性、ウェルビーイング、精神力などを促す3つ必要不可欠な要素のひとつであるオージャスの量が多意図されています。オージャスは命の精髄で、体組織の純粋な本質であり、幸福感と免疫力の源です。


古代のアーユルヴェーダの文献には、健康的なオージャスがあれば幸せに100歳まで生きられると書かれています。しかし、オージャスが枯渇すると老化や病気に脆弱になり、早死にすることさえもあります。


では、十分なオージャスがあるかどうかどのようにわかるのでしょう?体に見られる兆候は、明るく綺麗な目、艶のある髪、艶のある肌、そして薔薇色の頬などです。また心や感情のサインはといえば、前向きのエネルギー、活力、喜び、明晰な心、共感力などです。もし肌の乾燥、手足の冷え、便秘、不安、頭がはっきりしない、後ろ向きな考え、孤独感、疲労などがあるなら、オージャスが枯渇しているのだとわかります。


多くの人にとってオージャスを増やすことは可能です。以下は、爽快な気分で輝くための5つのヒントです。




1.  オージャスのための食事をとる


太陽の光で実った新鮮な自然食品には、活気を与えてくれるエネルギーを含んでいます。過度に加工した食品、精製した食品、アルコール、刺激物を避けて、オージャスの多い食事をとりましょう。

  • 果物;アボカド、リンゴ、バナナ、デーツ、いちじく、アプリコット
  • 野菜:緑の葉野菜、レタス、パセリ、アルファルファの芽、オクラ、さつまいも、山芋、ルバーブ、ほうれん草、カブ、クレソン、ズッキーニ
  • 穀物:アマランサス、バスマティライス、オートミール、全粒小麦
  • 豆類:ムングダル、大豆、豆乳、豆腐
  • 乳製品:山羊のチーズ、カッテージチーズ、新鮮なヨーグルト、ギー
  • ナッツ類:アーモンド、ブラジルナッツ、黒グルミ、ヘーゼルナッツ、松の実、ピスタチオ、胡桃




2. アーモンドミルクを飲む


アーモンド10個を一晩水につけます。朝になったら薄皮を剥きます。アーモンドをカップ1の牛乳、カルダモンのパウダーをひとつまみ、ひき立ての黒胡椒をひとつまみ、蜂蜜を小さじ1と一緒にブレンダーに入れます。高速で5分間ブレンダーにかけて、いただきましょう。アーモンドと牛乳、蜂蜜はオージャスがたっぷり入っているので、これを飲めば栄養とエネルギーを得ることができます。




3. 自分自身を養う


健康的でバランスの取れたライフスタイルを始めると、活気に満ちた感覚をすぐに感じ始めるでしょう。それは、どうしてでしょうか?なぜなら、ストレスはオージャスを枯渇し、リラクゼーションはオージャスを満たすからです。以下はおアーユルヴェーダのライフスタイルに関するヒントです。


  • 習慣的な運動をする(やりすぎないで)
  • いつのも時間に就寝して、約8時間の睡眠をとり、毎日同じ時間に起きる
  • 自然や芸術に触れて心に栄養を与える
  • 愛する人と一緒に過ごす
  • マルチタスク、過度な刺激、過度なセックス、慢性疲労、強い風、激しい温度を避ける



4. ヨガや瞑想をする


習慣的なアサナやプラナヤマ、瞑想は活力を高めます。瞑想が初めてなら、ソウハムのマントラで行う瞑想を試してみましょう。


両目を閉じて数分間の間深く呼吸します。それから、第3の目に意識を集めて、吸う息とともに心の中で「ソウ」と言い、吐く息とともに心の中で「ハム」と言います。このマントラを呼吸に合わせて5分以上繰り返しましょう。この瞑想をすると、オージャスが増大し気分が高まります。



5. セルフマッサージをする


毎晩就寝前に、少量の温かいオーガニックで無精製のオイルを体全体にすり込みます。耳や鼻腔など体の開口部は特に注意しましょう。そして温かいお風呂に浸かってから自然素材の石鹸でこすり洗いします。この栄養を与える習慣によって筋肉が柔らぎ、赤ちゃんのように眠れるでしょう。自分のプラクリティ(体質)がわかっているならそれに合ったオイルを選ぶことができますが、そうでなければドーシャテストを受けて下のようにマッサージしましょう。

  • ヴァータ体質: セサミ、アーモンド、ブリンガラジ(アメリカタカサブロウ)のオイルなど暖かく重いオイルを使います
  • ピッタ体質:オリーブ、ひまわり、ココナッツ、ギーなど冷やす自然油を使います
  • カパ体質:マスタード、アマニ、紅花など軽いオイルを使います


オージャスの精神的側面


聖人らによれば、プラナヤマや精神的な修練、タントリックの技術などを通して自らのオージャスを精神力へと変容させることが可能です。この力のあるエネルギーは、悟りを開いたヨギの頭の後ろにオーラや後光という形で目にすることができます。もしそんな人に会う稀有な機会があれば、彼らが言葉を発しなくとも愛や哀れみが胸元から出ているのが感じられると気づくでしょう。それこそがオージャスの精神的な面の現れなのです。








(出典)https://yogainternational.com/article/view/supercharge-me-5-natural-energy-boosters/

2024年3月29日金曜日

アーユルヴェーダ的 春の過ごし方  Vol.1
Ayurveda Tips for Spring


季節の移り変わりに心と体を準備する


冬から春に変わる時期は、ワクワクする祝福の時です。動物も植物も昆虫も冬の眠りから出てきて、成長と可能性の季節へと目覚めます。アーユルヴェーダでは、春への移り変わりの時期は、最適に目覚めた状態で元気に過ごすため心を整理整頓して体を活性化する時期です。


春の性質は、暖かく、潤い、優しく、そして油分に満ちています。暖かさのおかげで、冬に蓄積した雪や氷は溶け始めます。同様に、蓄積された体内のカパ(潤滑や持続のエネルギーの維持に関わる心身の力)もまた液体となって流れ始めます。また、花々が花粉を落として甘い香りを放ち、多くの人が花粉症やアレルギーを起こします。


鼻水、鼻詰まりや喘息、アレルギーがあるなら、また、けだるさや貪欲、執着を感じるなら、おそらくあなたのカパが過剰になっているのでしょう。こうした症状を起こさないためには、カパを減らす養生法をするのが最も良い方法です。伝統的な以下の方法を試して、最高の春を楽しみましょう。




ジュースで活性化する


人参やビーツ、ブロッコリ、パセリ、リンゴ、ザクロ、ベリーなどの新鮮な果物や野菜で作ったジュースを飲んだり、夜に小さじ一杯のトリファラ(アーユルヴェーダの混合ハーブ)を一杯のお白湯で飲んで腸をきれいに保ちましょう。また、3ー10日間のパンチャカルマの浄化を試しても良いでしょう。


浄化と若返りの方法であるパンチャカルマは、季節の移り変わりの体をサポートし免疫を強化すると言われています。




カパを減らす活力を与えてくれるハーブを摂る


ショウガ

抗炎症と抗菌の特性を持つショウガは、消化を助ける完璧なスパイスであり、春の免疫をサポートする抗酸化物質も含まれます。
 

黒胡椒

サンスクリット語でピパリと呼ばれる黒胡椒は、かつては「黒い金」と言われていました。
骨の健康や傷の回復、代謝を助けるマグネシウムを豊富に含んでいます。


トリカトゥ

トリカトゥは、ピッパリ、ショウガ、黒胡椒を混ぜた伝統的なアーユルヴェーダの混合ハーブで、消化の火であるアグニと解毒プロセスを刺激するために使われます。
 

クトゥキ

クトゥキは、肝臓を助けるインドのハーブとして知られています。一般的に消化のために使われますが、肌の艶を良くするなど多くの効果があるとされています。
 

プナルナヴァ

プナルナヴァは「取り戻すもの」という意味で、過剰になったカパを取り除いてバランスをとり、全体的な健康感を促すために使われます。



アクティブに過ごす


夜明け以降に寝続けるのはカパ・ドーシャのバランスを崩すとアーユルヴェーダでは言われています。早起きをして朝の散歩をしたり、太陽礼拝や魚、船、バッタ、ライオン、ラクダ、のポーズや逆立ちなどの活力を与えるアサナで体を元気にしましょう。
 

バスティリカ、カパラバティ、ブラマリなどのプラナヤマを試してみましょう。





2023年12月18日月曜日

ヨガの生命の樹
The Yogic Tree of Life



ほとんどの人にとって、樹木というのは地面から育つのが普通ですが、ヨガ的には樹木は逆さに成長します。「アシュワッタという永遠の木がある。その根は上にあり、枝は下にある」と、死の神秘を明かすヨガの書物であるカタ・ウパニシャッドでそう語られています。ヨガマスターや、シベリアのシャーマン、ペルシャの司祭、古代ケルト族、そしてバイキングたちもこの木のことをよく知っていました。


私の祖父母がイッグドラシルと呼ぶこの驚くべき木は、ノルウェーでは空から地面に向かって育つといいます。オーディンやトールなどの北欧の神は、私たちとは異なる枝に住んでしました。実際に古代のイギリス人たちは、自分たちのことを「ドルイド」つまり「その木を知る者」と呼んでいました。しかし、私がヨガを学び始めるまで、この逆さの木がいったい何なのか知りませんでした。


私が知る限りアシュワッタについて語る最古のものは、5000年以上前にインドで編纂されたリグ・ヴェーダです。「その木とは何か?何でできた木なのか?それが形作られているのは地なのか天なのか?」インド古代聖者たちは、文字通りその木を空に置きました。夜に外に出て、黄道(太陽や惑星の通り道)が天の川と交差するあたりの蠍座を探してみましょう。そこには、ヨギがムーラ「根」と呼ぶ空の蠍の尻尾に小さな星座が見えるでしょう。これが、世界の木が育つ天界の根です。ここはまた銀河の中心でもあるという驚くべき偶然が、もしあなたが偶然を信じるならですが、起こっています。


空に散らばる星たちを十二宮を逆さに辿っていくと、蠍座にアシュワッタの幹が生えていて、天秤座の方へ腕を伸ばしていて(インド星座では「分かれた枝」という意味のヴィシャカ)、そして獅子座や乙女座にある枝に実をつけています(「木の実」という意味のファルグニと呼ばれます)。古代聖者はここにカニャという若い女性を置きます(乙女座)。彼女は、木の実に片手を伸ばしています(からす座はハスタと呼ばれ「手」を意味します)。そしてそこで彼女の隣で木に巻きついた長い蛇がうみへび座で、古代インドではアシュレシャ「蛇の王」と言いました。インドの伝説によれば、この木の実はヨギ以外は食べてはいけませんでした。そのすざましい力は彼らにしか扱えなかったからです。


さて、ここでびっくりです。古代のインドやイランでは、天空の木は一本ではなく二本あったというのです。一方は金の実をつけ、もう一方は銀の実をつけます。これらは、蛇がイブに食べるよう誘惑した、聖書の知識の木やエデンの園の生命の樹を思い出させませんか?モヘンジョダロ(パキスタンの遺跡)で発見された粘土版の記述から、聖書の最古の部分がが編纂された1000年以上も前にインドではアシュワッタの木が崇められていたことがわかっています。古代アッシリア人もまた、女神イシュタル(乙女座)が世界の木のかたわらでライオン(獅子座)の上に立つ絵を残しています。これら星座の神話は、おそらく聖書のアダムとイブの物語の原型なのでしょう。イブは、黄道に沿ってなる木の実に手を伸ばしています。インドでは、ヨガの書物の中で十二宮のある黄道をアディチャスと呼び、木の実を食べたアダムとイブがとらわれてしまった死と再生の車輪、つまりサムサラ(輪廻転生)を表します。


ヨガの伝統では、行動の結果(木の実)への執着をなくすよう学びます。それはカルマをより複雑にするだけだからです。


ノルウェー神話では、木の世話をする三人の庭師が出てきます。一人目は過去を知るウルドという老婆で、二人目は現在を知るヴェルダンディという若い女性、最後は未来を知るロヒニという無垢な女の子で牡牛座の星アルデバランに関係があります。若いヴェルダンディはインドではチトラと呼ばれますが、西洋の天文学者からは乙女座のスピカとして知られます。運命をコントロールするとバイキングが信じている恐ろしい老婆のウルドは、インドの人がジェスタと呼ぶ赤く輝く星、蠍座のアンタレスです。この3つの星はそれぞれがほとんど同じ距離で離れていて、4方角を示す伝統的な天空の指標のうちの3つです。


古代インドで最も重要な儀式、馬の供犠で、この3つの星を表す3人の女性が儀式の頂点で午に手を置きます。この馬の供犠との関係が特に興味深いところは、世界の木の意味を持つアシュワッタは、実は「馬が立っている場所」という意味だということです。天空の馬とはもちろんペガサス座で、サンスクリットではダディクラス、4つ目の指標です。ペガサスは、天の北極の周りを永遠に駆け続けます。天の北極は、動くことのない北の空の一つの点です。それ以外の天空の全ては、周りを動きます。それは、時や変化の外にある魂を表します。私たちの内なる魂は完全な静寂の場所から、まるで回転する独楽の動かない車軸のように、周りで起こる物事を観察しているのです。


ノルウェーの天の北極はふたつめの木で、黄道の周りを回っている善悪の知識の木と直角に立っています。この北の木の銀の実は、有名なヨギの不死の蜜であるソーマの源です。これが、アダムとイブが食べることを禁じられた生命の樹です。カタ・ウパニシャッドは、わかりやすく暗示しています。「アシュワッタと呼ばれる永遠の木がある。その根は上に、枝は下にある。その輝く根はブラフマン、至高の真実と呼ばれ、それのみで死を超える。この世に存在する全てはその一点に根ざしている。それを超えるものは何もない」ウパニシャッドは、アシュワッタの樹の輝く根、つまり動かぬ一点を自分自身の中に見つけなさいと伝えているのです。では、実際にはどうすればいいのでしょうか?


ヨガで馬が象徴するのはプラナ、生命の呼吸です。呼吸は、ペガサスが北極星に繋ぎ止められているように、私たちの心に繋ぎ止められています。呼吸の周期は、ペガサスが天空を終わることなく回り続けるように、何度も何度も巡ります。しかし、ヨギたちは、自分の存在の動かない中心に意識を統合し、呼吸をゆっくりに、そして最後には呼吸を止める方法を知っています。これがサマディの状態で、瞑想の最も深いレベルです。


深い瞑想の中で、木に登り始めることができます。あなたの中にあるアシュワッタは背骨です。背骨の最下部にあるムーラダーラ・チャクラのことを根のチャクラと言いますが、超自然の根は実際には頭頂にあるサハスララ・チャクラにあり、そこが聖なる意識のある中心です。それが目覚めるのは、自身の外にある実を欲するのをやめ、内側に意識を向ける時です。そして、意識の力であるクンダリニの蛇が背骨に対応する微細な経路を頭頂へと上り始めます。インドからスカンジナビアに渡る世界の樹にまつわる伝説はどちらも、蛇が辿り着こうとする樹のてっぺんの近くに鷲がいると伝えています。鷲とはアジナ・チャクラで、眉間の後方にある意識の中心です。蛇が鷲を過ぎて超自然的な神経樹の最高地点に達した時、悟りが開かれると言われています。


バガヴァッドギータで、最上のヨギであるクリシュナは言います。全ての樹の中で聖なる意識が最も存在しているのはアシュワッタであると。もうひとつの聖典バガヴァータ・プルナでは、クリシュナは死の間際、意識を内なる存在へと引き入れアシュワッタの樹に沈思したと伝えています。死の時にすべての意識を内なるアシュワッタの天空の根に向けることができれば、ヨガの実践において何か素晴らしいことを成し遂げたといえるでしょう。






ところで、アシュワッタの木は実際に存在します。植物学者はそれをインド菩提樹と呼びます。その木の下に座って、ブッダは悟りを開きました。バニヤンツリーの一種で、最初は地面から生えますがその後たくさんの根を枝から下に伸ばします。その先が地面に到達すると、それがまた根となり新しい樹となります。このように、ひとつのアシュワッタがアシュワッタの森となります。そこで「どれが元の木なんだろう」と自問した時、森に生えている全ての木が実は元の木なのだということに気づくのです。見た目はたくさんの木が生えているようですが、本当はたったの一本なのです。古代のヨギが世界を象徴するためにアシュワッタを選んだのは、それを完璧に表すからです。この世の全ては別々のものに見えるけれど、真実は、全てのものは同じ永遠の源を共有しているのです。










2023年8月31日木曜日

クンダリニとは?どう使えば豊かな人生を過ごせるか? 
What is Kundalini & How to Use it to Meet the Fullness of Life



ずっと長くヨガを実践している人も、ヨガを始めたばかりの人も、「クンダリニ」という言葉を聞いたことがあるのではないでしょうか?クンダリニといえば大抵は、呼吸法やチャンティング、同じ動きを繰り返す、そして最も特徴的である白い装束を着て行う現代のクンダリニ・ヨガを思い浮かべるでしょう。しかし、ヨガにおけるクンダリニの概念は、いわゆるクンダリニ・ヨガのスタイルのはるか昔から存在しています。


以下の記事では、クンダリニの歴史やそれが何なのか、そのユニークな質や効果、また現代のクンダリニ・ヨガとクンダリニ・シャクティの違いを探りましょう。クンダリニに関しては、さまざまな考え方や観点があり、ここに書かれた情報は、クンダリニに関してほんの表面に触れているに過ぎないということを念頭に置いておくようにしてください。





クンダリニの歴史


クンダリニが初めて言及されたのは、紀元前1000ー500年のウパニシャッドの中と言われており、身体的なアサナが書かれたハタヨガ・プラディピカのずっと前です。クンダリニ・エネルギーの概念は、ヴェーダやタントラ、ヒンズーのシステムにまでわたり、しばしば聖なる無限の力という意味のクンダリニ・シャクティと言われます。ヒンズー教ではクンダリニは女神とされ、その力は、背骨の根本にあるムーラダーラ・チャクラでとぐろを巻いて眠っているとされます。クンダリニはまた、15世紀にサンスクリット語で書かれたハタヨガ・プラディピカで、全てのヨガの目標となる最も重要なものとされています。
 
 

『扉が鍵によって開くが如く、ヨギは解脱への扉をクンダリニによって開く』 
(第3章105節)



現代のヨガが発展しても、クンダリニの概念はヨガの多くの流派で中心的なテーマとなり続け、1968年には、シーク教の伝道師であるヨギ・バージャンによって「クンダリニ・ヨガ」と名付けられ、ヨガのスタイルのひとつとして広まるまでとなりました。







クンダリニとは?


クンダリニは、内に秘めた見えない力を表している最も需要で力強いエネルギーだと言われ、精神の限界を超えたところに存在する知られざる偉大な領域のことを示します。「クンダル」とは「とぐろを巻いた」、「イニ」は「力」の意味であるので、つまりクンダリニとは「背骨の根本でとぐろを巻く眠れるエネルギー」という意味になります。クンダリニ・シャクティは、私たちひとりひとりが内に持っている全ての意識のエネルギーそのものとして見ることができます。多くの場合、3.5周巻いた蛇として描かれるこのパワフルなエネルギーは、マントラやムードラ、アサナ、プラナヤマなど肉体的、精神的なヨガの実践によって目覚めさせることができます。クンダリニ・シャクティが目覚めると、エネルギー体のチャクラ(エネルギーの渦)を通して上って精神の目覚めに至り、選択や気づき、豊な人生を生きるより大きな機会として現れます。








クンダリニのもつ5つの質


クンダリニ・シャクティに触れ始めると、より無限のエネルギー源へと近づきます。これによって、見えない力の完全性や広大さなど特別な性質を体現するのです。その性質とは以下の通りです。


1.ギヤナ・シャクティ:無限の知識と洞察
 これを体現すると、困難への解決策がより多く得られ、楽に生きられる。


2.イッチャ・シャクティ:意志と決意
 これを体現すると、物事を最後まで見通す意志が持てる。


3.アーナンダ・シャクティ:自己実現と真の喜び
 これを体現すると、より多くの喜びや満足感が日々の生活にもたらされる。


4.チット・シャクティ:全体性への気づき
 これを体現すると、より広い洞察と自己認識を得られる。


5.クリヤ・シャクティ:自発的な正しい行動
 これを体現すると、正しい時に正しい行いをすることで、
 自然に欠陥なく流れるための行動が可能になる。



クンダリニに重点を置いたヨガを実践することで、より多くの可能性やより大きな潜在的な力、そしてより多くの能力を包括した人生への扉を開くことができます。ハタヨガ・プラディピカには、幸せになるための可能性を大きくする、そして人生の真の目的により気づくためにクンダリニ・シャクティを目覚めさせることがすべてのヨガのゴールであると書かれています。




以下は、内なるクンダリニ・シャクティに近づくためのいくつかの実践法です。




クンダリニを目覚めさせる4つのヒント


  • 力強いハタヨガで、腹部にあり火(アグニ)をおこしましょう。おへその中心は下位のチャクラを司るので、ここから始めてクンダリニが上昇する流れを妨げるすべての障害を取り除きます。

  • 片鼻の呼吸などプラナヤマの実践を通して、プラナへの感覚を養い中心にあるエネルギー経路(シュシュムナ・ナディ)を浄化しましょう。

  • 忘我、謙遜、感謝などバクティ、つまり祈りの要素を練習に取り入れましょう。日記を書いたり、ただ落ち着いて自分が大きな存在の一部であることを思い出す時間を毎日取りましょう。

  • 瞑想や自問を通して精神の明晰さや気づきを養いましょう。


クンダリニの覚醒について覚えておくべきことは、クンダリニ・シャクティを目覚めさせるために特別にクンダリニ・ヨガを練習する必要はないということです。どんなヨガを選んだとしても、クンダリニのエネルギーの目覚めを促すヨガには様々な形があります。





クンダリニ・シャクティとクンダリニ・ヨガ


クンダリニ・シャクティがヨガ哲学に組み込まれた概念であるとともに、クンダリニ・ヨガは大変人気のある練習法ですが、この二つを区別し大きく異なる点を理解することは重要です。


クンダリニ・シャクティは、私たちがそれぞれ内に持つ意識の本質であり、より高度な気づきの入り口である一方で、クンダリニ・ヨガは、そのエネルギーを覚醒させる様々なテクニックを用いた組織だった実践法です。指導者から指導者へと伝えられてきたシーケンスやクリヤを使います。クンダリニ・シャクティは、クンダリニ・ヨガの上にある傘のようなものだと見ると良いでしょう。伝統的ハタヨガとその主題を共有してはいますが、自身の科学やテクニックに従っています。サンスクリット語を用いた伝統的なヨガとは異なり、現代のクンダリニ・ヨガのマントラはグルムキ(シーク教の聖典にある言葉)で唱えられます。クンダリニ・ヨガは独特の体験と豊かな教養をもたらし、現代の西洋社会でとても人気のあるヨガスタイルのひとつとなっています。




結論


この記事でお伝えした内容は、その奥深く豊かな歴史とヨガの実践と哲学全体に対するクンダリニ・シャクティの重要性についてのほんの一部にすぎません。心に留めていただきたいのは、習慣的なアサナや瞑想、プラナヤマ、そして自問が、自身の幸福感や気づき、人生の充実感を高める最も有効なツールのひとつとなり得るということです。つまり、クンダリニの覚醒のために試みていることや他の精神的実践などは、過去の聖者らが昔々に共有してくれたものと等しいのです。この地球、この宇宙、そして皆それぞれとの命の調和を真に理解することです。クンダリニを目覚めさせるということは、自身と生きとし生けるもの全てへの無償の愛を目覚めさせるということなのです。



2022年4月8日金曜日

月の満ち欠けに同期したヨガをするには vol.2
How to Sync Your Yoga Practice with the Phases of the Moon

 前回からの続きです。

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三日月(新月と上弦の月の間)


三日月にアップルビーが薦めるのは、新たな習慣を構築し新たな可能性に体を開くのに集中することです。


「体内の感情を解放する優しいヒップオープニングが、この時期には効果的でしょう」


三日月の実践法:
  • 体力強化を取り入れる
  • 少しエネルギッシュな動きで心身の成長を促してみる
  • 足で立ち、立位ポーズをより長く組み合わせる
  • 熱を作るプラナヤマを行う

三日月に最適のポーズ:
  • ダンダヤマナ・ジャヌシルシャサナ(立位の頭を膝につけるポーズ)
  • ウトゥカタサナ(椅子のポーズ)
  • ヴィラバドラサナI、II、III(戦士のポーズI、II、III)

テーマ:
  • 火と熱
  • 体力強化
  • 開く



上弦の月


上弦の月は半月です。新月の1週間後にあたり、満月の1週間前。クレイグによれば、体のエネルギーがまさに放出され始める時です。


「この時期は、自身や社会のために新しい何かを作り上げる決意に満ちていて、新しい形を実現させるという目標を達成するために最大の努力ができる時です」


上弦の月の実践法:
  • 体に熱を作る力強く火のようなフローを行う
  • 新月で立てた目標を実現させるよう行動を始める
  • 力強いバックベンドや胸を開くポーズを取り入れて、新たな成長を促す

上弦の月に最適のポーズ:
  • ナヴァサナ(船のポーズ)
  • アルダ・チャンドラサナ(三日月のポーズ)
  • ブジャンがサナ(コブラのポーズ)

テーマ:
  • 強さ、成長、努力
  • 障害を取り除く
  • 個性



上弦の月と満月の間


満月の直前の時期です。体と心の潜在能力を最大に広げるのに最適な時です。


上弦の月と満月の間の実践法:
  • 月のエネルギーが最大になる間の練習はおすすめ
  • ダイナミックで有酸素的、ダンスのような動きを取り入れる

上弦の月と満月の間の最適のポーズ
  • 太陽礼拝
  • 月礼拝
  • ウシュトラサナ(ラクダのポーズ)
  • ダンダヤマナ・ダヌラサナ(立位の弓のポーズ)
  • ヴィパリタ・ヴィラダドラサナ(天を仰ぐ戦士のポーズ)

テーマ:
  • 身体的な動き
  • エネルギー
  • 解放性



満月


クレイグによれば、満月は頂点、「たっぷり充電された」エネルギーを象徴しています。
「また、太陽の陽と月の陰のエネルギーが調和しているので、バランスの時期でもあります」

そのため、内省には理想的になります。アップルビーによれば、これまでの月の周期を振り返って、もう一度目標を見定める時です。

アシュタンガでは、満月の日は練習を休みます。


満月の実践法:
  • エネルギーが高まっている間、瞑想や内省に集中する
  • この時期はリストラティブや陰ヨガを行う

満月に最適のポーズ:
  • バッダコナサナ(合蹠のポーズ)
  • バラサナ(子どものポーズ)
  • シャヴァサナ(尸のポーズ)
  • ヨガ・ニードラ

テーマ:
  • 取り除く、解放する、手放す
  • 女性的な癒しのエネルギー
  • 気づきと理解



満月と下弦の月の間


この時期には「落ち着きがなく、時には不安を感じることもあります」とクレイグは言います。スピードを落として内側に向いていくのに最適な時です。


満月と下弦の月の間の実践法:
  • エネルギーを少し取り戻しつつスピードを落として月のエネルギーを感じるような陰陽クラスを試してみる
  • ポーズ間の移行をマインドフルに
  • 内に集中する

満月と下弦の月の間の最適なポーズ:
  • カマトカラサナ(ワイルド・シング)
  • ダヌラサナ(弓のポーズ)
  • エカ・パダ・ラジャカポタサナ(ハトの王のポーズ)

テーマ:
  • 内省
  • スピードを落とす
  • 内側を見る



下弦の月


下弦の月は、満月の後の1週間と新月の1週間前あたりです。月の周期に身を委ねて次の満月の新たな決意のために過去を精算していきます。


けれど、下弦の月は、目標にややお別れをしながらも、マインドフルな練習で最後にもう一度受け止めるのに良い時期です。



下弦の月の実践法:
  • れまでの月の周期を通して培ったエネルギーを使って、ゆっくりと広がるような、マインドフルなフローを行なってみる
  • より多くの陰の要素を取り入れ始める

下弦の月に最適のポーズ
  • チャクラヴァカサナ(キャット・カウ)
  • ウパヴィスタ・コナサナ(開脚のポーズ)
  • パリヴリッタ・アルダ・チャンドラサナ(反転した三日月のポーズ)

テーマ:
  • 身を委ねる
  • 受け入れる
  • お別れする



逆三日月


新月に戻る前、月の周期の最後の段階です。クレイグが言うように、熟考・瞑想の時期です。

内的な現実は、夢や覚めている間のビジョンを通して現れます。新たな目標が現れる豊かな基盤となります」

また、「最後の周期で得た知恵を消化し理解する」のに良い時期でもあります。

この時期はまた「暗い」「香油のような」段階とも言われます。


逆三日月の実践法:
  • 低いエネルギーのフローやレストラティブなヨガで、ゆっくりと行う
  • 陰ポーズでしっかりと解放させるため、プロップスで体を支持する
  • 消化に集中する練習をしてみる

逆三日月に最適のポーズ:
  • スプタ・マツエンドラサナ(横たわったツイスト)
  • シャヴァサナ(尸のポーズ)
  • プロップスを使うスプタ・カポタサナ(横たわったハトのポーズ)

テーマ:
  • 消化
  • 休息と回復
  • 未来のための内省と顕在





最後に


ヨガは、心身を宇宙の自然なリズムに合わせることです。ヨガの練習をより深めたいと思うなら、あなたのエネルギーを月の周期に同期させることがよい始まりとなるかもしれません。





2022年4月4日月曜日

月の満ち欠けに同期したヨガをするには Vol.1
How to Sync Your Yoga Practice with the Phases of the Moon


ヨガは、身体的なワークアウトを遥かに超える古代の実践法です。マットの上で過ごす時間をより深める方法のひとつは、月の満ち欠けに同調することです。


ヨガの伝統には、数多くの実践法や教え、そして月に関連する知識に満ちています。ヨガポーズの多くは、月の満ち欠けに当てはまっています。


アシュタンガの伝統では、心身を自然のリズムに効果的に合わせるには、月の周期を通して身体的な実践を理想的に変化させます。


それでは、月とヨガがどのようにつながっているのか、また、月の満ち欠けと実践をどうリンクさせるかを見ていきましょう。



ヨガと月の関係とは?


ハタヨガは、ヨガの中で最もよくあるタイプのヨガの一つです。「ハタ」という言葉はより「強い意志を持つ」と訳されますが、サンスクリット語の「太陽(ハ)」と「月(タ)」とも訳されます。


ハタヨガのこの解釈は、ヨガによって、内側にある両極のエネルギーのバランスを取ることができることを指しています。火のような活動的な太陽のエネルギーは「男性的」と表現され、一方で安らかで反射するような月のエネルギーは「女性的」だと考えられています。



実践と月の周期をリンクさせる


月の満ち欠けを尊重することは、多くの実践者が今も継続する古代ヨガの伝統です。


ヨガアラインアンス登録シニアヨガティーチャーのルイーザ・クレイグは、LKYヨガスクールのディレクターでもあります。


「始まりから維持、そして解放という命の自然な周期があります」クレイグは言います。「月の満ち欠けなど自然周期のリズムに合わせることで、その周期の元である内なる叡智を活用することができます。ヨガは自己実現であり、月の周期とつながれば自身の本質に意識を向けることになります。」


クレイグは、科学的な裏付けはさまざまではあるものの、実際に月の周期には私たちのエネルギーレベルに影響力を持っていると信じています。


「月の引力が潮の干満に影響を与えているのと同様に、その60%が水である人間の体にも影響を与えています」と彼女は言います。


ヨガティーチャーのパール・アップルビーもまた、月の満ち欠けに沿ったヨガを実践しています。


「月のそれぞれ異なる段階により意識を向けるようになれば、本当に自分の感情を理解しヨガをより発展させることに役立ちます。言い換えれば、月の周期を通して変化する自身のエネルギーとリンクさせるために実践を変えていくことが、自身と自然界との関係性をより理解するのに役立つのです」



科学が示すもの


科学的には、月の周期は地球からみて8段階があると言われています。地球の周りの軌道を約27日で回る間に月の見かけの形は変化し、太陽光の反射が増減しています。


いくつかの研究によれば、月と人体には関連性がある可能性があります。


2013年の大学生による研究では、新月と満月には、心拍と血圧が低くなることがわかりました。


しかし、月の満ち欠けと人の生理機能に関する研究の多くは様々です。これはまた女性の生理周期についても同様です。


2006年の再調査では、月の引力がマウスの神経ホルモン分泌に関係があるかもしれないと示唆されましたが、2021年には、女性の生理周期と月の満ち欠けには関連がないということがわかりました。


しかし、2021年の同じ研究とその他の研究では、月の満ち欠けと睡眠の関連性がわかりました。

科学の意見は様々ではありますが、それでもヨガを月とリンクさせることは、月とその神秘に敬意を表する有意義な方法と言えるでしょう。







ヨガを月と同期させるヒント


アップルビーとクレイグからの、月の周期に沿ったヨガの提案です。


新月


新月は変化と再生の時です。「次の創造的な周期のために種をまくスペースをとる」のに良い時間となります」とクレイグは言います。


アシュタンガでは、新月の日は実践を全て控えます。それ以外の伝統でも、リストラティブや優しい陰の練習などが好まれます。


新月の実践法:
  • 次の月周期のための決意に集中する
  • ゆっくりと瞑想的なヨガを行う
  • 視点を変えて新しい始まりを思い浮かべることに集中する
  • アジュナ・チャクラ(第三の目)の実践を取り入れてみる

新月によいポーズ:
  • シルシャアサナ(ヘッドスタンド)
  • タダアサナ(山のポーズ)
  • ヴィパリタ・カラニ(両脚を壁に上げるポーズ)
  • 木のポーズや、他のバランスポーズ(戦士のポーズIII、踊り子のポーズ、ワシのポーズ)

テーマ:
  • 新しい始まり
  • 目標をたてる
  • 優しい動き


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2020年8月31日月曜日

身体と精神と魂の健康のための食事 
Food for Health of Body, Mind and Soul

The Wisdom of Paramhansa Yogananda からの抜粋です。

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食事に対する正しい心構え


私たちは、外界のものに対する非執着と私たち自身の実在への賢明な配慮との間にうまくバランスをとる必要がある。肉体への意識に集中している限り、人は自らの肉体を丁寧に扱うであろう。肉体への理にかなった配慮をすることはまた、精神的にも重要である。正しい食事、正しい運動、新鮮な空気、陽の光。これらは、均整の取れた暮らしのために不可欠である。

あなたの信仰は神に向けよう、食べ物ではなく。流行に敏感な人たちには、食事の理論に過度に依存し体を弱めているだけの人が多い。「ああ!」と彼らは嘆く。「今日はアボカドを食べてない、背骨が弱まった気がする!」そうした二次的な問題への没頭こそが、意志の力を弱めてしまう。暮らしへのそうした心構えこそが、骨抜きになってしまう!そんな表面的な懸念というのは、シロアリが基礎を食べ尽くそうとしているときに漆喰の壁のひび割れを埋めようとしているのと同じだ。



自然食の価値


生命力(プラナ)の活性が人の健康が健康の源だと言うのなら、なぜ食べ物はそんなに重要なのか?私たちが食べる食べ物も含めて、全ての細胞は潜在的な知性を持っており、私たちの精神や脳細胞に影響を与える。生の果物や野菜、ナッツなどの自然の食べ物は、精神に調和の取れた力を与えてくれ、身体中に生命力を滞りなく流してくれる。

死んだ動物の痛みや恐怖、怒りの振動を含んだ肉や、変性した食べ物は、精神の均衡を刺激して妨げ、それが身体のあらゆる場所を癒す生命力を監督するという生まれ持って得た力を奪う。食べ物そのものに癒しの力はないが、自然食は精神を鎮静化させ生命力を停滞することなく流すことができるので、間接的に健康を作り出すことができる。



引き寄せの力と正しい食事


引き寄せの力を得るには、身体に毒素を溜めないことだ。身体が毒素で満たされていると、エネルギーは多少であっても閉じ込められる。そうした毒素をきれいにしてみよう。内側が浄化されると、エネルギー全てが目や顔、身体を通して見えてくる。食事には注意しなければならない。生の食べ物は引き寄せの力を作り出す。ココナツはたくさんの引き寄せ力を作る。ビーツ、ほうれん草、レタスなどは生命力に満ちていて、あなたに魅力を与えてくれる。


肉を多く摂りすぎると、動物の力があなたの精神的な魅力を変化させてしまい、あなたの魅力はなくなってしまう。肉は肉体的な面へと集中させるため、精神的ではなく肉体的な友を引き寄せる。肉はまた、性的欲求を過度に刺激する。少しの肉は問題ないが、毎日食べる習慣があるのなら、引き寄せの力は壊されるだろう。肉の代わりに、ナッツなど代替品をより多く取り入れるようにしよう。


過度のデンプンやタンパク質を含む食べ物は身体に毒素を溜める。果物や野菜を多くとれば、あなたの魅力が作られる。果物は野菜よりも効果的だ。陽の光と生命力にあふれている。食べ過ぎはダメだ。断食は胃を休ませるので、とても良い。あなたが食べる食べ物の種類によって、あなたの目や身体は魅力をもつことになる。



信念と食事法


神の癒しの力を信じ切ってその食事法に「服従」する方が、神と意志の力を信じ食事法を「無視」するよりも良い。



食事と性質


食事は私たちの心の状態に良くも悪くも影響を与え、心の状態に影響を与えるものは私たちの性質にも影響を及ぼす。正しい脳、そして身体を作るため正しい食事が必要だ。どんな食べ物も心に影響を与える。

人間の身体というのは、車や蒸気エンジンのようではない。エンジンの効率は燃料の供給に大きく依存しているが、同様に人の身体も食べるものに大きく依存する。食べ物というのは、そのように人格や能力、習慣などに大きな関係性がある。

身体だけではなく、精神的に霊的にも食べ物が及ぼす影響を知っておいて欲しい。精神的性質は以下の三つだ。

  • サトヴィック ー 道徳や霊的な性質を育む
  • ラジャシック ー 活動的、世俗的な性質を育む
  • タマシック ー 暗く鈍くなる性質を増やす
サトヴィックな食べ物は、果物や野菜、全粒の穀物や豆類、新鮮な乳製品、ココナツミルク、ピーナツやアーモンドのペースト、ナッツ類など。これらの食物は穏やかさと高潔さを作り出す。

ラジャシックな食べ物は、活動的で世俗的、力強く、感情的な性質を作り出す。玉ねぎ、ニンニク、卵、西洋ワサビ、南瓜、じゃがいも、漬物、スパイス、そして魚や鶏肉ラム肉などを含む。

タマシックな食べ物は、暗く、破壊的な性質を持つ。匂いの強い物、腐敗した物、人工的に作られたもの(自然の質を奪われたもの)はタマシックだ。例えば、ロックフォールチーズ、冷凍食品、酒、牛肉、豚肉などである。これらは、自惚れや嫉妬、貪欲、復讐心などを作り出す。



空腹感を指針とする


1日に三回食事を取るという習慣は危険である。食事のベルが鳴るたび食べることで多くの人は早死にしている。空腹感がなければ、そんな不吉はベルは無視しよう。毎日同じ時間に食べることは、身体の細胞が食事の準備をし消化液を分泌するのに役立つ。知的な細胞は、動物園の腹を空かせた動物のように、食事の時間を待つものだ。

しかし、空腹でなければ食べてはならない。空腹なら、適度に食べる。あまり空腹でないなら、少なめに。全く空腹でないなら何も食べないこと。少し空腹で食べようとしているならその食事は飛ばそう。次の食事の空腹感が増すだろう。意志の力で、毎日3回の食事をする誘惑に抵抗しよう。三回の食事は常に細胞や、心臓や神経、胃など体全体を常に働かせ続けることになる。朝食、昼食、夕食を抜くことで、しばし身体を休ませよう。とても激しく働いてとても空腹なら三度軽い食事をしても良いが、肉体労働をたくさんしないのなら1日2回が妥当である。



肉食と菜食主義


肉食と菜食主義の問題は、複雑で物議を醸し出す物である。以下は、現代社会のニーズにしたがって発言するものだ(1935年現在)。全ての人にとっていつの時もどちらがよいというのは言えないと私は考えている。

私たちの良心と人間の感受性というのは、野菜を殺して果物の皮を剥ぐより、動物を殺す方が刺激が強い。もし自分で殺さなければならないなら牛肉は食べないという者がほとんどだが、人参の頭をちょん切ることをためらう菜食主義者はいない。動物の血を流し痛みを与えることが示すのは、動物たちは進化というスケールで人間に近づいているということだ。

肉は濃縮された食べ物で力がつくが、便秘の元となり身体の毒素を抱えて、病気の原因となる。野菜や果物は、自然の下剤効果を持ち健康を保ち病気をなくす。野菜は、我慢強くたべなければならず肉のようには濃縮されていない。正しく食べなければ野菜は強さを作り出せない。

アメリカ人は、肉、牛乳、ナッツなど様々なタンパク質を過剰摂取による肥満に悩まされている。アメリカ人は菜食主義になるべきだ。

肉食の民族は大抵の場合政治的に自由だ。菜食主義のインドには、外国の絶え間ない侵攻を追い払うための強さがない。ヒンズー教徒には食べるタンパク質がほとんどなく、その狂信からデンプン質の多い食事を好む。そのために若くして痩せて死ぬ。インドでは、動物の方が人よりも長生きするのだ。

一時的方法として、現代のインドは、十分なミルクや肉の代替品が入手できるまで羊やヤギ、トリを食べる必要がある。他の肉と比べて、その栄養素において羊肉が人の身体に最もよいことがわかっている。


人の命は他の動物の生命よりも大切だ。人が生きるために肉を食べなければならないのか、または動物が生きるために人が死なななければならないのかを選択しなければならないとしたら、私は動物を消費して人が生きるべきだと答えるだろう。

肉食の人も菜食主義の人もどちらも健康に長生きできることがわかっている。イエスキリストもブッダも聖フランシスも肉を食べた。シャンカラやチャイタニャなどインドのキリストのような偉大な聖者らは肉を食べなかった。聖ペテロは、動物のビジョンを見て、殺して食べてくれと言われた。「汝、殺すなかれ」というのは人に対してだけであって動物に対してではない。モーゼもイエスも肉を食べたし、モーゼは十戒を授かった。

魚には血液があり神経もあるが、殺される時に音を発するものはほとんどいない。哺乳類ではより複雑なかたちに生命が進化しており、魚とは異なる。牛や豚は、高度に発達した神経を持っていて大きな痛みを感じることができ、殺されそうになると大きな声で抗う。こうした動物は、自己保存の愛や痛みを与えられるという不当な仕打ちを理解する進化した意識を持っており、だからこそ彼らは殺すべきではない。羊は牛や豚よりも抗い方が弱い。

野菜や魚、おとなしい動物たちは、自然界から意図してあまり発達していない神経を授かっており、大きな痛みを感じたり痛みの間抵抗することがないように見受けられる。これは、より低い生命がより高度な生命のために犠牲になるよう作られている理由なのかもしれない。









2020年8月21日金曜日

陰ヨガの芸術:創始者ポウリー・ジンクのインタビュー Vol.2
The Art of Yin Yoga: An Interview With Its Founder, Paulie Zink


このアプローチによって生徒が受けた恩恵とはどのようでしょうか?


このおかげで、彼らは自身の潜在能力を開き素晴らしく成長し流れることができました。自身のより深い気付きを養い、先入観から解放することで練習の中により自由をもたらすことができました。また多くの生徒が慢性のけがや閉塞を改善治療するのを見てきました。



ヨガが純粋な芸術なら、誰でもがポーズを作って「ヨガ」と呼んでいいのでしょうか?


はい、できます。ヨガポーズの多くは、私たちが自然のそばで野生状態で暮らしている時の原始的な身体の動かし方からきています。鍛錬としてのヨガの全ては、誰かがどこかで作ったものです。彼らの身体に合うように、また故意に動きや柔軟性を高めるように作ったものです。



あなたのワークショップに初めて参加する時に、生徒が持つ陰ヨガに対するよくある誤解や期待は何でしょう?


彼らは自分に限界があると信じているので、今の能力を超えて成長することはできません。自分の身体は遺伝子によって限定されていると信じています。ただそこに座ってリラックスし、とても簡単で単純なポーズをするのだと思っています。ストップウォッチで時間を測って全てのポーズを同じ長さでするものだと思っています。陰ヨガは優しく、動かず、睡眠時間的なヨガだと考えています。そして重要視されるのは結合組織だと。しかし私が教えようとしている陰ヨガはこのどれでもありません。多くの人は陰ヨガをリストラティブな練習として教えていますが、それが必要な人にはそれで良いでしょう。しかし、健康な生徒たちにただ簡単で優しいだけのヨガを教えているなら、彼らが必要とする身体の強さや引き締めなどを提供していません。そして自然に動き最適な健康を得るには強さと弾力が必要なのです。


私は、身体というのは機械のように部品の集まりではないと考えています。全体的なものです。それぞれが有機体であり、機械ではないのです。身体のなかでどこかが他と離れているという部分や領域はひとつも存在しません。ですから、私にとっては、陰ヨガをしている時に結合組織や経絡でさえも考えることは適切ではありません。このヨガは感じるものであり、考えるものではありません。何を体験しているのか、どのように成長したいのかをイメージすることに精神を集中することがより効果的なのです。


みんなにまとまったひとつの人間になって欲しいのです。身体、精神、心、の中でひとつとなり、周りの全てとの繋がりを感じて欲しいのです。あなたのある部分が他から離れていると考えて、バラバラになって欲しくないのです。柔軟性を高めると、身体の全ての要素が影響を受けます。筋肉、腱、靭帯、静脈、動脈、骨、内臓、血流、そしてエネルギーの流れ全てです。あなたが生きている限り、新しい細胞が作られます。骨もあなたの身体の中で生きています。ですから、骨でさえ成長し形も変わり、密度も増えます。









陰ヨガはどのようにハタヨガと異なるのでしょうか?


ハタヨガで異なる一点は、背骨にそって上下に動くプラナ(気)に注目していることです。伝統的な道教では、気の流れが異なります。生命エネルギーは背骨とチャクラを通って上下に送られます。そして手足と頭へと流れます。これは「5方向に動く気」と呼ばれます。気は中心で作られ身体中を動き、動物が行っているようにそして身体の外までエネルギー場が広がります。動物は全身を気のために使います。動物はエネルギーが背骨の上下だけに限定されているとは考えていません。動物は考えません、感じます。ですから、このようなヨガでは考えないで感じるのです。


猿は、背骨の柱を持って「正しく」動こうとはしません。試してみて私には機能しなかったので、私は理論を信じないのです。理論を手放した時に、本当に理解し始めました。本当の先生である動物園の猿から学んで理解したのです。以前は動物園に毎月出かけて猿たちと1日を過ごしました。ピーナッツを与え、時には彼らの手を握り続けたりしました。


時々、彼らの前腕を持って筋肉を感じたり、目を見つめたりしました。大きな雄のマンドリルが私をじっと見て、私もじっと見返しました。私の精神を彼らの精神に融合したのです。そうすることで何が真実なのかを教わりました。


彼らから本当の方法を教わったとたん、伝統的な理論は私の目的にはかなわないと気づいたのです。経絡の理論もそうでした。知っていても構いませんが、知る必要もありません。経絡の位置を考えることよりも身体全体で動くエネルギーを感じる方がより有益です。




あなたは陰ヨガは「完全な芸術」だと言われます。それはどういう意味でしょうか?何が陰ヨガを完全な芸術にしているのでしょう?


私たちの存在の様々な局面を教えてくれるからです。あなたの本質に合った食事、運動、世の中での生き方を教えてくれます。強さ、柔軟性、バランス、動き、そして機敏さを教えてくれます。微細なエネルギーを育み、身体全体そして身体の外へと流し、エネルギー場を広げることを教えてくれます。陽気さ、原始的な力を感じ、邪魔をする自意識を手放すことを教えます。静寂、そして静寂から動きへ。あなたの中の陰陽をどのように調和するのか。概念を捨て、子供のように元気いっぱいになる方法。猿のように自然に動く方法を教えてくれるのです。


それを学びたい人には、霊的哲学もそこにあります。中国の道教哲学からきていて、地球を敬い女性を基本とします。私たちの存在の源に帰り、偉大なる母である地球とそこにある全生命との相互関係に気付くことで私たちの全体性を思い出すことです。道教の道は「みち」であり、自然の道なのです。


そして自然界では、生命は女性から生まれます。


存在は虚空から現れます。それは不思議な偉大なる創造の力であり、私たちがみな相互的に関係しており依存しているものを通して無数のものを産むのです。


この繋がり、それが生きて私たちの中を流れているのを感じ、生命との完全性を感じるのです。


私たちひとりひとり全てが、永遠で無限の聖なる創造の力を表現する唯一無二の芸術であるということを感じることができるのです。

2020年8月19日水曜日

陰ヨガの芸術:創始者ポウリー・ジンクのインタビュー Vol.1
The Art of Yin Yoga: An Interview With Its Founder, Paulie Zink

今回は陰ヨガの創始者のインタビューです。彼の言葉には、陰ヨガに限らずヨガをしている人全てが気付くべき深い真実が含まれています。

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「陰ヨガ」といえば何が頭に浮かびますか?あなたはおそらく、生徒たちが受け身の長く深いストレッチに耐えている間、ヨガの先生が教室の前の方で静かに座っている光景を思い浮かべるでしょう。これが私たちの多くが知っていて、そしておそらく定期的に練習している陰ヨガでしょう。


しかし、ますます人気のこのヨガの創設者ポウリー・ジンクは、陰ヨガを全く異なる形で40年間教えてきました。ジンクの教えの背景にあるヴィジョンとこの芸術的な練習の総体的効果を探りましょう。彼の陰スタイルが他とどう違うのかを知れば、陰ヨガが全く異なったものに見えるようになるでしょう。



あなたの陰ヨガの定義は?


陰ヨガは、中国の古代シャーマンの伝統、そして他とひとつであり自身の本質との調和にあるという中国の道教哲学に起源しています。陰ヨガのポーズは、動物の特徴、そして私たちの周りと私たちという宇宙の生命力を作り上げている五行に基づいています。気やプラナとして知られる生命力は微細ですが、自然界に影響力を与えるほどとても力強いエネルギーです。陰と陽、女性と男性、宇宙の満ち引きの脈動なのです。


(中国伝統医学では)五行とは「地」「金」「水」「木」「火」です。これらの全てのエネルギーが、安定や堅牢、流動、弾性、明度などの異なった質を表します。陰ヨガは、身体と心を目覚めさせ、行っているポーズのエネルギーとなることです。ポーズを深め、ポーズの五行を活性させることで柔軟性が高まります。


例えば、毎日数分間カエルのポーズをしたとすれば、ついにはポーズが深まりとても弾力のある質を持つカエルの本質あるいは魂となります。陰ヨガの目的は、生物や五行のエネルギーを取り込むことでポーズの本質を備えるようになることです。


陰ヨガの目的は、流れるように動くという私たちの生まれ持った能力を取り戻すことです。
これが、身体中の気の流れを養います。私にとって最も重要なのは、安定したポーズができるようになることではなく、それよりもポーズの本質を掴み取ることです。もし動物や五行のポーズをしていてそのポーズのエネルギーを取り込んでいなければ、生命のない死んだポーズとなるでしょう。しかし、ポーズの五行や動物のエネルギー質とともに流れることができれば、そのポーズを理解したということです。


楽譜に例えてみましょう。ある一音だけを弾き、そして次の音を弾き、それが歌の一部とならなければその楽譜は良い物と言えるでしょうか?ポーズそのものは練習の中では全く重要ではありません。最も大切なのは、ポーズの移行と流れをもたらす魂を、メロディを奏でることです。これが、動物のように自然に本能的に動くことがポーズの意味なのです。私たちは動物だからです。




あなたが最初に道教的なヨガを学び始めた頃から、陰ヨガはどのように発展してきたのでしょう?


私はハタヨガを14才で始めました。道教の先生に出会った時にはハタヨガを練習して9年が経っていました。先生は、導引と呼ばれる古代中国の医術や他の気功を教えてくれました。いくつかの動物や各元素のためのポーズ1、2種を学びました。そして、自発的に動物園などに出かけて動物を観察し、他の動物たちについてやかれらの動きについて学び始めたのです。そうして先生から教わったポーズを練り上げていくつかのバリエーションを作りました。また、より多くのポーズやバリエーション、フローや動き、瞑想、エネルギーの理解を深めていきました。


ある動物が動いているのを見るとその動物のエネルギーを体現したくなり、よく見て私の精神とを融合させ、私の身体の中でそのエネルギーを感じることで一体になるのです。こうすることで、何かを象徴的に示すものというより生きている物を基にしたポーズをつくることができるのです。それは、自然や私たちのまわりの動物たちを鋭く観察することと、彼らと意識をエネルギー的に結合することで一体となることです。


私たちは実際に他のものとは切り離せないものであり、だからこそ、この世界のあなたの周りにある何かを体現したければそれは可能なのです。私の先生はこれを教えてはくれませんでいた。自分で見つけたのです。私自身の芸術だと言えるでしょう。不思議な力については先生はあまり教えてくれませんでしたが、私が学んだことのほとんどは自分自身の内なる経験によるものです。



西洋では多くの場合、ヨガは精密な科学として解剖学などに重点を置いて教えられています。あなたは陰ヨガは正確な科学というよりは芸術だと表現しています。これについて詳しく説明していただけますか?


私は解剖学は教えません。ヨガを練習している体験を感じることに完全に集中するよう教えています。生まれ持った能力のまだ使われていない可能性を開くことを教えています。私は理論と練習は別のものだとわかりました。本の理論は実際には機能しません。なぜなら理論とは分析的な心から出た複雑な思考プロセスの塊だからです。


野生の動物は理論など使いません。彼らはそんなことに興味を示さないのです。ただ本当の本質であるだけ。身体をどのように使っているのかという分析も現実というあいまいな概念もなく感じたり行動したりします。だから、ヨガを練習しながら解剖学や理論を考えるなら、その流れを感じることなどできません。今何をしているか完全に集中し感じることなく、考えることに心が忙しいからです。


動物たちは流れるような動きの本当の達人であり、行動に理論を使ったり考えたりはしません。しかし私たちも動物、霊長類ですから、彼らのようにできるはずです。でも私たちの心は、どうするべきかを判断したり様々な考えに邪魔され気が散ってしまうのです。もし私のヨガの練習の中で、本や講義から学んだ伝統的なヨガの理論や魔法の力を使おうしていたら、それは芸術ではなく頭脳の公式になるでしょう。


例をあげて教えるのが本来の方法でしょう。私がポーズを見せながらそのエネルギーを体現すれば、どのようにできるのかどう感じるのかがわかります。しかし、その方法を講義を聞いて誰かの解釈を聞いても、あなた自身の本当の方法で行うことはできません。やっているところを見る方が、それについて聞くよりもずっと効果的です。


自然界の動物のように動こうと思うなら、何かの体系の法則や理論に沿ってもできません。他の霊長類たちは科学的理論など考えません。しかし彼らは流れと動きの達人です。どんな理論も必要ないと彼らが証明しています。限界や概念に沿うことを教える理論は、あなたの邪魔になりかねません。ヨガとは何か、何がヨガでないかという誰かの考えに賛同するのは、ポーズの中で成長し動きと流れを行うことを妨げます。というのも、あなたは限られた信念体系の虜になっているからです。そして、知性に集中することは、直接体験を感じるという直接性を遠ざけることになります。


西洋の科学モデルは、私たちの文化の中で広く受け入れられているパラダイムです。西洋の科学や分析に公認されない限り、どんな分野や修養も正しくはないというイデオロギーに私たちは閉じ込められています。ヨガが西洋社会に取り入れられてから、私はそれをずっと見てきました。しかしヨガは、西洋科学を全く学んだことのない他の文化の中で多くの師たちに何世紀にもわたって非常に素晴らしく実践されてきています。しかしながら、ヨガは今では、ヨガについての哲学や理論、科学的解釈など様々な研究に人々が関わっているという意味で、学問的に組織化されています。ですから指導者養成は、講義や本でより多く行われ、ヨガの実践や技術の開発方法などは少なくなりがちです。昔は、多くの真のヨガ・マスターたちが心頭しただ実践していました。


実践するということが最も重要なことです。生徒たちの健康や幸福は、誰かが話すのを聞くことよりも、ヨガの練習に時間を使い、呼吸や感覚に注意を向けることでより多くの効果が得られるのです。




ヨガの実践者が科学としてではなく芸術としてアプローチすると何が違うのでしょう?


個々人には個性がありそれが陰ヨガを練習すると心を通して現れるので、陰ヨガは科学でななく芸術なのです。つまり、自己表現の唯一性です。あなたがある動物のポーズしても他の人のポーズとは同じではありません。しかし、その時のあなたの状態はあなたにとって本当なのです。


もしヨガを科学として捉えたなら、揺るぎなく変化のない機械的な枠組みの中に封じ込めることになります。芸術の自然にわき起こる創造的表現は生きています。しかし、何度も何度もただ先生のやることを繰り返して真似をするなら、あなたはただ誰かの方法のレプリカを作り上げているだけです。私は生徒たちに私を真似して欲しくはありません。自身の内にある芸術的表現と動きとともに流れる能力を発見して欲しいのです、私と異なる方法で。このように、ヨガとは常に進化し続ける生きた芸術なのです。


科学とは、客観的観察が基本です。知的な構造物です。しかし芸術は、生命のように主観的です。私たちの、感じたり受け止めている「生きている」という体験は有機的で直感的です。


私たちは有機体であり機械ではありません。変化し適応する能力が重要なのです。


私たちは、形が変わる容器に注がれる水のように、生きていて全体的でそこに存在しなければなりません。水のように身体や意識の中で流れれば、周囲の環境により簡単に適応できます。もっとしなやかに力強く優雅に動くことができます。自然界の高まった気付きを感じ、自身の中、身体の中でより安らげるでしょう。


多くの人は、自分は類人猿ではないと考えています。私たちが何なのかという生まれ持った基本的な側面への気付きを忘れています。このような芸術を練習すれば、それぞれの内にある原始的な自分を解き放ち、その生命力と陽気さを表現する助けになります。そしてそれが起こった時、自分が霊長類なのだとわかり、そして霊長類として理論や組織的に規定された方法は必要ないと気付くのです。


それは、ライブ音楽を聞くことと録音を聞くことの違いに似ています。録音はいつも同じです。しかしプロ音楽家のライブを聞きに行けば全く同じ演奏は二度とありません。そこには革新と自発性、感情やテンポの揺れがあります。それこそが私が教えてきたことです。同じクラスやワークショップは二度とはやりません。公式や前もって書かれたセリフでは教えません。また、自身の練習も全く同じ方法ではしません。どんな規制にも従わないのです。いつも異なるのは、一瞬一瞬がいつも新しいものだからです。



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次回に続きます。



(出典)https://yogainternational.com/article/view/the-art-of-yin-yoga

2020年5月27日水曜日

ウパニシャッドの物語:神々の王インドラ 
Tales from the Upanishads: Indra, King of the Gods

ノルウェイにルーツを持つ筆者が、インドの神インドラについて書いている記事です。
北欧の神話との間に類似性を見出しているところが興味深いです。
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激しい嵐が町にやってくると、私の父はいつも私を窓辺に急いで来させ、巻き上がる黒い雲を指差し「ほら!彼がいるぞ!」と叫んだものだ。


私はまだ4歳だったけれど、父が何を言っているのかよくわかっていた。月のように大きく太陽のような金髪の神トール(北欧の雷神)が、彼のハンマーで空の屋根を激しく打ちつけ、ギザギザの光を地面に落とし、それが岩にぶつかり雷鳴を鳴り響かせているのだ。トールの戦車が天空を横切って疾走するのを一目見ようと、いつも私は窓辺まで走っていった。この雷王を見たことは一度もなかったが、彼のハンマーが天を裂くほんの少し前の瞬間を一度か二度見たと信じていた。


現在ノルウェイはキリスト教になって1000年が経ち、古い神々は徐々に消えている。トールはトロンヘイムの北で育った父の幼少期の一部であり、そして私の幼少期の一部でもある。思いもよらなかったことは、トールはまたヨガの伝統の中でも重要視され、彼の力や威厳は今なおインドのヨギ達によって祈りの対象となっている。


インドに現存する最古の書物であるヴェーダに書かれたトールの記述は、私が抱いていたイメージといくつかの面で驚くほど類似している。ヴェーダによると、彼は金髪の天界の戦士で雨を降らし雷を操る。彼の存在理由は強い大蛇に打ち勝つことで、そしてとても酒好きだ。これがトールと同じ神だと疑う印欧歴史学者はいないが、ヴェーダでは違う名前を持っている。彼はインドラと呼ばれ、神々の王である。近年スカンジナヴィアでは彼はアニメにしか出てこないが、インドではヨガの書物によってこの雷神の深淵なスピリチュアルな伝説が今も伝えられている。



インドラの探求


ヨガでのインドラは、突然の轟音を鳴らす厄介な空の神というだけではない。彼は本当の精神的追求者だ。チャンドーギャ・ウパニシャッドには、インドラ神と悪魔のヴィローチャナのどちらもが神聖な真我の話を聞いたと書かれている。その神秘をマスターすれば、全ての欲望を達成できるとされていた。もっと知りたいと思ったインドラとヴィローチャナは、プラジャパティという偉大なグルを探し当て勤勉に仕えた。彼らの見習い期間が終わった時、グルはこう説明した。「真我とは己の目を通して見る者である」


どちらの弟子もそれを理解しなかった。聞き間違えたのだと考えた。きっと「真我とは己の目を通して己が見る者だ」と言ったに違いないと。生徒達が理解していないと気づいたグルは、こんな見込みのない生徒達に時間を無駄にかけることはないと決め、鏡を見れば真我が見えると彼らに伝えた。


鏡に映る姿を覗き込んで二人は同意した。「私の肉体が私の真我だ」それからというもの、彼らは自身の肉体を崇め、出来る限りの手入れをし、運動をしハタヨガをし、最高の食事だけを摂った。そして全ての欲望は満たされた。そうして心地よく彼らは過ごした。


さて、今日ではヴィローチャナとその他の悪魔たちはいまだにこれを信じている。しかし、インドラは帰る途中でもう一度考えた。「ちょっと待て。そうじゃない」彼は考え込む。「肉体は病気にもなるし、老いるし、死んでしまうじゃないか。不滅の真我であるわけがない!」すぐにグルのもとへ引き返しこの教えは意味をなさないと訴えた。


「お前は正しい、インドラよ!私の試験に合格して嬉しい」プラジャパティは答えた。「本当の真我は夢の中で己が経験するものだ。これが恐れや死を超えた真実なのだよ」


この知らせにインドラは喜んだ。より理にかなっていた。もし目が見えなくても夢なら見られる。もし足が悪くても夢の中なら歩ける。そしてヨギによれば、たとえ肉体が死んだとしてもこの夢自体は存在し続けるのだ。しかし、帰る途中インドラはまた不安になった。「悪夢はどうなんだ?」と思った。「夢自体も痛みや恐怖、疑念、失望の影響をうけるじゃないか。本当の真我であるわけがない」彼はグルの元に戻って懸念を示した。


「ちょっとはお前を騙せたね?」プラジャパティは笑った。「本当の真我は深い眠りの状態で己が体験するものだ」


本当にこれは前の教えよりも理にかなっていた。深い眠りの中では、痛みや恐れを完全に超える。しかしまた、戻る途中でインドラは思いついた。「ちょっと待て!残りの無意識はどうなんだ?またやられたのか。この教えには全く価値がない」そこで彼がグルの元へ戻るのが4度目となった。


「真我はこれらどの状態でもない」プラジャパティは明かした。「真我とはこれらの状態を知覚するものだが、それらを超えて存在するものであり、空を照らし出す稲妻のように輝く。己の目で見る者、己の耳で聞く者、己の思考で考える者を探しなさい。それが己の不滅の真我である。偉大なる師達はこの純粋な内なる存在に瞑想し、人生の最も高みにある目標に到達する。馬がそのたてがみからホコリを払い落とすがごとく全ての悪をふるい落としなさい。そして月が月食から自由になるがごとく肉体に縛られた己を自由にしなさい。心の中にある不死の真実に気付きを築くのだ」


とうとうインドラは満足した。家に戻って内なる真我に瞑想した。そして新たな冒険が始まった。これがケナ・ウパニシャッドに語られているものだ。


神々は遠くに明るく輝く人がいることに気づいた。しかしそれが誰なのか判らなかった。そこで彼らは調べるためにアグニを送った。「お前は誰だ?」アグニはこの輝く存在に問いかけた。


「お前は誰だ?」その不思議な見知らぬ人は答えた。

「私は火の神、アグニだ!世界を焼き尽くすことができる!」

「これを焼きなさい」見知らぬ人は一本の藁をかかげた。

アグニは侮辱されたとその乾いた草に怒りの火を向けたが、火はつかなかった。面目を失った彼は戻った。

見知らぬ人が誰かを明らかにするため、次はヴァーユが送られた。「お前は誰だ?」彼は横柄に尋ねた。

「お前は誰だ?」見知らぬ人は鸚鵡返しに言った。

「私は風の神、ヴァーユだ!世界を吹き飛ばすことができる!」

「これを吹き飛ばしなさい」見知らぬ人は一本の藁をかかげた。

ヴァーユは、ふう、はあと息をかけたが、その草は全く動きもしなかった。恥ずかしくなって、ヴァーユは急いで戻った。

そこで神々は王の元へ行き、見知らぬ人が誰なのか調べてくださいと請うた。インドラは責任を感じて出かけていった。しかし輝く者はもういなかった。その代わりに彼が見つけたのは金を身に纏った美しい女性だった。「あの見知らぬ人が誰なのかご存知か?」彼は聞いた。

「あれは至高の真実です」彼女は答えた。「この世の何もかもを照らし出すとても明るい一筋の稲妻のようなものです。あなたの行動を通して行動する内なる真我なのです」

すぐにインドラは、至高の真我が火や風で触れることが何故できないのかに気づいた。それは、神の存在へと人間の意識を導くためクンダリニと呼ばれる金色の女性が眠りから目覚めた時、瞑想の中で見つかる内なる光なのだ。この気付きの過程は、己に「お前は誰だ?」と尋ねるところから始まる。肉体や呼吸を超え、思考や感覚を超え、それを経験している純粋な気付きへと向かい、私たちは自身の不滅の魂と繋がるのだ。


内なる空を照らす


いったいインドラとは何者なのか?アイタレーヤ・ウパニシャッドでは、インドラの名前はサンスクリット語で「この全ての知覚者」という意味の「idandra」から由来している。ヨギは、五感であるインドリヤスの神である彼を「優れた魂」と呼ぶ。彼は酒豪だが、彼の好む酒はソーマと呼ばれ、高い瞑想の中で体験される至福のことだとヨギは言う。彼の支配する大蛇はクンダリニで、とてつもなく不思議な体験を作り出す微細な領域での大蛇の力だ。


ヨガの書物では、創造主がこの世を統制するために使う力、そして私たちが自身の身体や精神を調整するために使う力のことをヴィジュット・シャクティ、すなわち「稲妻のエネルギー」を呼ぶことがある。精神の空にある内なる力を制御することを覚えれば、私たちはインドラのように自身の主人となり、人生が照らされる。インドラは、彼自身の存在という隠された真実を見つけるまで探求を続ける霊的な探求者である。


ヨガ的な文献と古代のノルウェイの神話の間にある多くの類似性から、スカンジナビアの祖先達はトールの特性や冒険の霊的な重要性について気づいていたに違いないと私は思っている。しかし、何世紀も経ってこれらの物語の真の意味は西洋で失われてしまった。インドのヨガの血統はなんとも幸運なことに、こうした生ける神話の内なる局面への考察を失うことはなかった!ヨガの伝統の輝かしい力に感謝し、私は自身の気付きの空にトールを探している。




(出典)https://yogainternational.com/article/view/tales-from-the-upanishads-indra-king-of-the-gods

2018年10月8日月曜日

<日記>長野県でヨガリトリート



シンガポール時代に最初に通っていたヨガスタジオのオーナーが長野県穂高でリトリートをするから一緒に来ない?と誘われたのは今年の5月。
誘ってくれたのは、アメリカ西海岸の赴任を経て現在東京にいる私の最初のヨガの先生。
主催の元オーナーは、現在オーストラリアの南西部にいるシンガポーリアンで、
学生時代を長野県で過ごしているので日本語がとても上手。その彼女が、今のオーストラリアでの生徒さんたちを連れて長野にやってくるという話でした。
・・・ややこしいいでしょ?笑

まあ、早い話が、英語しか話さないオーストラリア人たちと久しぶりに会う古い知り合いと一緒に長野で一週間過ごすということ。面白そう!

というわけで行ってきました。

ご存知の方も多いかもしれません。
穂高にある養生園。
1日2回のマクロビ菜食(10時半と17時半)、22時消灯で睡眠をたっぷりとる。
山に囲まれ自然がいっぱい。温泉があり、セラピーがあり。
化学物質をできるだけ排除して、人間にも自然にも優しい暮らし。
そして自己免疫を高めるための養生をする。




今回のリトリートは、彼女と養生園のスタッフが考え抜いてくれたプログラム。
朝はヨガやウォーキングで始まり、
本当に美味しいブランチのあとはいろんなアクティビティ。
のんびりしたりお風呂に入ったり、はたまた歩きに行ったりイベントがあったり。
あっという間の一週間でした。



携帯の電波も入らない場所で、テレビもラジオもなく、
ただ風と雨の音を聞き、太陽の光を感じ、
みんなと会話を楽しみ、一緒に食事をしたり片付けたり。
体の緊張が徐々に解けていくにしたがって、心も柔らかくなっていきました。
泥臭い人間界よりまるで天界の方が近いような、そんな気持ちにもなりました。

最終日、みんなと別れることが嘘みたいで。
きっとみんなも、すごく特別な経験になったはず。
もちろん私にとってもすごく特別な経験になりました。










2018年7月19日木曜日

スクワットの変化するパワー 
The Transformative Power of Squatting

今日はUPLIFTの記事からです。
ヨガに Malasana というしゃがむポーズがあります。
お行儀が悪いと言われてしまうこともあるこのポーズにはとてもいい効能があると言われています。今では和式のトイレも少なくなりしゃがむことも少なくなりました。
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忘れ去られた姿勢の驚くべき効能


「あるグルが私にこう言った・・・」で始まる文章は、大抵の場合あまり信用できないものです。けれどこの間、イースト・ロンドンのヨガクラスでマラーサナというスクワットで休んでいた時にインストラクターが口にした言葉に私はびっくりしました。「あるグルが私にこう言った、西洋の問題はしゃがまないことだって」

これは本当なのです。先進国の多くでは、休むというのは座ることと同じ意味です。机の前の椅子に座ったり、ダイニングチェアで食事をしたり、自動車や鉄道ではシートに座るし、家に帰ったら心地いいソファでNetfixを見るのです。こっちの椅子からあっちの椅子へと歩く時、たまの激しいエクササイズ以外は、ほとんどの時間を私たちは座って過ごしています。椅子に背中をつけ続けるというこの行為によって、私たちは世界的にも歴史的にも異端者となっています。過去半世紀で、疫学者らは動きのパターンをどう研究するかを変えざるを得なくなっています。現代では、エクササイズの量とは別に純粋にどれだけ座っているかが問題になっているのです。

しゃがまないことは、生体力学や生理学上の影響があるだけでなく、もっと大きな問題があるというのです。頭でっかちでクラウドや電話とばかりすごしている世の中、私たちの祖先であるヒトが地面から初めて立ち上がって以来得てきた地面とつながる力を、しゃがまないことで失っているのです。言い換えれば、それがいいのなら今こそ始める時なのかもしれません。


世界の多くの地域では、
椅子に座るのと同じようにしゃがむことが生活の一部


能動的休息としての深いスクワット


誤解がないように言えば、スクワットは単なる進化の産物ではないのです。この惑星の多くの地域の人々は、今でも毎日、休んだり、祈ったり、食事を分けたり、トイレを使ったりしています。(アジアではしゃがむスタイルが普通で、世界中の田舎にある汲み取り式ではしゃがまなければなりません) ニュージャージーからパプア・ニューギニアにいたるまで、歩きはじめの子供たちは歩くのと同じくしゃがむこと(そしてそこから立ち上がること)をいとも簡単に覚えます。病院があまりない国では、しゃがむ姿勢はまた人生の最も基本的な部分である「出産」にも関係しています。

西洋だけがしゃがまなくなったわけではなく、世界の豊かな中級クラスではそうです。インド出身の私の同僚 アクシャット・ラティは、グルによれば「西洋と同じくインドの富裕層でもそう」と言っていました。

けれど西洋では、貧富に関わらず全ての人がこの姿勢をしなくなりました。概して、スクワットはみっともなくて不快な姿勢で、絶対に避けるべきものだと考えられています。やるのはせいぜいクロスフィットやピラティス、ジムでのウェイトリフトの間くらいで、ときどきウェイトを使ってが多いでしょう(250万年前にはとても役立ったとは思えない繰り返しの動きです)。これは、能動的休息としての深いスクワットが進化や発達の過去に築かれたという事実を無視しています。あなたが快適に深いスクワットをすることができないのではなく、どうやればいいのかを単に忘れているだけなのです。

「スクワットから全て始まる」とニュージーランドのウェリントン在住の整骨医で作家のフィリップ・ビーチは言います。ビーチは、「原型姿勢(archetypal postures)」の概念の先駆者として知られています。これらの姿勢(床に両脚を平らに置いた深い受動的スクワットに加え、足を組んで座る、膝とかかとをついて跪坐くなど)は私たちにとって良いものであるだけでなく、「体の構造に深く刻み込まれている」のです。


これらの姿勢がいかに重要かに気づいていなければ、人間の体を本当には理解していないのです。 ニュージーランドは、寒くて湿ってぬかるんでいます。現代のズボンがなれけば、こんな冷たく湿った泥に背中をつけたくはないので、(椅子がなければ)長い時間しゃがんでし過ごします。トイレでも同じ事です。このように私たちの生理機能はこうした姿勢のように作られているのです。



なぜしゃがむことをやめたのか?


なぜしゃがむことがそんなによいのか?そしてなぜ私たちの多くがやめてしまったのか?

それは単に「使わなければ失われてしまう」ということにつきる、とカナダはオンタリオの高度理学療法教育研究所(APTEI)の創設者で理学療法士のバーラム・ジャム博士は言います。

私たちの体にある関節の全てに滑液があります。これは栄養を軟骨に供給する体内のオイルです。 この液を作るのにふたつが必要です。動きと圧迫です。ですので、関節が可動域いっぱいに動かなれけば(股関節や膝が90度を越えなければ)体は「使われていない」と退化し始めて滑液の生産をやめるのです。

健康的な筋骨格系は、しなやかで潤った感覚を与えてくれるだけでなく、もっと広く影響します。欧州心臓予防学会の2014年の研究では、手や肘、脚の支えなしで立ち上がることが困難な被験者は、容易に立ち上がれる被験者よりも寿命が三年短いことがわかったのです。





トイレ・デザインの発展


西洋では、日常的にしゃがまなくなった原因はトイレのデザインに深い関係があります。地面に掘った穴、屋外トイレ、おまるなどはどれもスクワットしなければなりませんが、研究では、用を足すときに股関節が大きく屈曲していると負荷が軽減されることを示されています。腰掛け式のトイレはイギリスの発明ではありません。最初の簡単なトイレは紀元前4世紀のメソポタミアに遡り、古代のクレタ島にあったミノア文明は水洗トイレの先駆けであったと言われています。しかし、イギリスに初めて導入したのはチューダー王家で、16世紀、凝りに凝った玉座のようなトイレで「トイレの宮内官」に用をたす助けをするよう頼んでいたといいます。

後の200年間はトイレの革新はゆっくりと不規則なものでしたが、1775年の時計職人アレキサンダー・カミングスが立ち上がった水槽の下につけるS字のパイプという重要なを開発をしました。しつこいコレラの発生と悪名高い「偉大なる悪臭」ののち1858年ロンドンでとうとう完全に水洗の機能する下水施設が作られ、1800年代半ば以降になって腰掛け式トイレが家庭でも普通に見られるようになり始めました。

今日では、アジア全体でみられるしゃがむタイプの水洗トイレは、西洋のものと同様に清潔です。しかしジャムによれば、欧州の腰掛け玉座デザインへの移行は、多くの西洋人のスクワットに対するニーズ(そして毎日の習慣)を奪い取ったのです。確かに、スクワットが便通を良くするという事実が、西洋式トイレをしゃがむものへと変えるプラットフォームである lillipad や Squatty Potty など、スクワットのように曲げた姿勢で座ることができる製品のカルトのような人気に火をつけています。 ジャムによれば、

スクワットがこんなにも不快なのは、普段しゃがまないからです。けれどもし1日に便通に1、2回、排尿に5回、トイレに行くとしたら、1日に6回はスクワットすることになります。




「原始的」な姿勢


この身体的な不快感がスクワットしない主な理由である一方で、スクワットに対する嫌悪感が西洋文化でもあります。オフィスの椅子でスクワットや足を組んで座ることが股関節に良いことだとしても、現代の仕事場での服装では(正式なオフィス・エチケットはいうまでもなく)、概してこの種の姿勢がしにくいものです。西洋のリーダーや議員などが地面に近いところに浮遊するとすれば、可愛らしい幼稚園児と写真撮影するときぐらいなものでしょう。確かに、ニューヨークやロンドンなどの都会で歩道にしゃがみこんでいるような人というのは、私たちが素知らぬ顔をして急いで通り過ぎようとするタイプの人であることが多いでしょう。ジャムはこう説明します。

どこかにしゃがむというのは、原始的で社会的地位が低いとみなされます。しゃがむといえば、インドの農民やアフリカの村の部族、非衛生的な都会の床などを思い起こすでしょう。私たちはそこから進化したと考えるでしょうが、実はそこから退化してきたのです。


ロンドン在住の助産師であり整骨医のアヴニ・トリヴェディは(私自身の座るときの痛みで過去に彼女を訪れたことがある)、出産の姿勢としてのスクワットも同様だといいます。いまでも多くの世界の発展途上地域では重要なもので、西洋でもホリスティック出産運動によってますます提唱されています。

スクワットの出産姿勢では、筋肉がリラックスし仙骨が自由に動いて赤ん坊が押し出されると同時に、重力もその役割を果たします。しかし、この姿勢が原始的であるという認識によって、女性たちはこの能動的姿勢から、出産のプロセスで作用が少なく体系化されていないベッドへと移ったのです。




進化的衝動


では、しゃがむことにしてオフィスの椅子と永遠にさよならするべきでしょうか?ビーチは「どんな姿勢でも長時間保持すると問題が起こる」と指摘し、深いスクワットの姿勢であまりにも長い時間(日に数時間)過ごす人びとに、膝や骨関節の問題に高い発生率がみられるという研究もあります。

しかし、しゃがむ行為をほとんどやめてしまった私たちにとっては、「実際にこれをやりすぎることはできない」とビーチは言います。この種の動きが関節の健康や柔軟性を促進するという範囲を越え、世界中で大きくなっているヨガに対する興味が「地面に接していることが身体的に自らを自分自身(画面に支配され超知能化された私たちの暮らしから大きく失われた何か)につなげる」という認識に幾分強い影響力をもっているのだろうとトリヴェディは指摘しています。

ビーチは、これは流行ではなく進化的衝動なのだと認めています。現代のウェルネスの動きは「床の生活」が鍵なのだと気付き始めています。自らを地に着けるという体の行動は人類がこれから変わっていくのに何も不足しているものはないと、彼は主張しています。

ある意味、スクワットは人間全員が来たもとの場所であり、だからできるだけ多くそこを訪れるのは当たり前のことなのでしょう。





(出典)https://upliftconnect.com/the-transformative-power-of-squatting/

2018年2月5日月曜日

冬を快適に過ごす方法 
Your Winter Wellness Guide

千年以上前の私たちとは全く違った文明の中でアーユルヴェーダは栄えました。その頃は人間の生活も自然世界と密接に結びついていました。ヴェーダの聖者たちは、昼夜、季節など自然の雄大なリズムと力が、人生のサイクルや期間と同じように私たちに影響を与えることを理解していました。また、自然と調和することは自分の体質(プラクリティ)と調和することだと知っていたのです。プラクリティは、3つの微細なエネルギーでできています。動きのエネルギーであるヴァータ、消化と代謝のエネルギーであるピッタ、そして潤滑と構造のエネルギーであるカパです。



冬に適応する最善の方法


プラクリティと同じく、季節もまたヴァータ、ピッタ、カパのサイクルによって特徴づけられています。一年を通して健康でいたいなら、食事やエクササイズの種類や量、ハーブの使い方などを通して環境の変化に適応し、自然のサイクルと調和して生活するようにしましょう。気候はコントロールできないですが、健康や活力、病気に対する抵抗力をつけるこれらの要素をコントロールできます。冬に関して、アーユルヴェーダはどのように見ているのでしょうか。この季節にバランスを保つためにどうすればいいかを見ていきましょう。

冬の空は曇りがちで、気候は寒く湿って重く、都会でも生活のリズムはゆっくりになります。カパのシーズンです。バランスが取れていると、カパは体と心の両方に強さ、勢い、安定をもたらします。この微細なエネルギーは、関節を潤滑させ、皮膚に潤いを与え、免疫を維持します。しかし増えすぎると、不活発で、粘液関連の病気、体重過多、または執着や嫉妬、強欲などの否定的な感情につながることもあります。

概して、冬にはカパを鎮静させるようにするべきです。しかし、乾燥して寒く、風の強い気候はヴァータをも呼び起こし、関節炎、消化不良などの問題にも繋がります。気温が下がった時ヴァータとカパ両方を鎮めるためには、以下を読んでください。



アーユルヴェーダの朝の習慣


アーユルヴェーダでは、冬の間は他の季節よりも少し遅めに(午前7時くらい)に起きることを勧めています。起きたら、夜の間に蓄積したバクテリアや菌の死骸を除去するため、そして消化器への血流を促すために舌をこすりましょう。そしてシナモン、クローブ、ビルヴァ(からたち)、ハリタキなどのハーブから作ったペーストで歯を磨きます。次に、腸の動きを刺激するために白湯をコップ一杯飲みます。それから、短いマッサージを自分に行います。温めたごま油を体全体にすり込みます(温まるので冬は全ての体質の人によいでしょう)。5〜10分間油をしみこませたら、温かいシャワーを浴びて肌の角質を取ります。

朝の習慣は、ヨガ、プラナヤマ、瞑想で完結します。スリヤ・ナマスカラ(太陽礼拝)、胸や喉、副鼻腔を開き、呼吸器の詰まりを取り除くポーズです。魚のポーズ、船のポーズ、バッタ、ライオン、ラクダのポーズ、そしてもしできれば肩立ち、頭立ちのポーズを行いましょう。そのあと、体系的なリラクゼーションと「火の呼吸」バストリカを数回行います。この呼吸は熱を作り、呼吸管から粘液を取り除きます。

瞑想をしたら、栄養のある朝食を取ることが重要です。朝に消化の火に燃料を与えなければ、体の組織が乾燥してヴァータを誘発します。オートミールや大麦、コーンミール、タピオカやシナモンを少し加えたポハ(バスマティライスのフレーク)を楽しみましょう。朝食の1時間後には、生かパウダーの生姜小さじ1/2、シナモン小さじ1/2、砕いたクローブひとつまみを1カップのお湯で5分煮出しましょう。このお茶は、消化を助け、血流をよくし、余分な粘液を除去します。(潰瘍やその他の炎症がある場合はこのお茶は飲まないでください)



エクササイズ(室内でも!)


寒いのが嫌なら、ジムに行くとか、ワークアウトのビデオをやるとか、トレッドミルに乗るとかして、血流を高め冬のカパを静めましょう。日光を浴びるのもよいです。窓際に座って早朝や夕方の光を浴びましょう。太陽光線は、筋肉をリラックスさせ、ビタミンDを作り、季節性情動障害を鎮めるとともに健康的な睡眠リズムの維持を助けます。


冬に食べるべきもの


イーストの入っていない全粒粉のパン、バターミルク、カッテージチーズ、蒸し野菜、ギー(精製バター)を入れたスープ、スパイスを取り入れましょう。冬には食欲が増すので、豆類や豆腐、卵などタンパク質を多く取りましょう。厳格なヴェジタリアンでなければ、鶏肉、ターキー、魚なども。シナモン、クローブ、黒胡椒など温めるスパイスを加えて消化を促しましょう。少量のワインを食事に足すと、アグニ(消化の火)を活性化させ、食欲が増進し、血流がよくなります。冷たい飲み物はやめて(カパとヴァータを悪化させます)温かいお湯、お茶、また時にはココアやチャイにしましょう。



暖かくして


冷たい風を避けて、温かい服を着て、外では帽子を忘れないで。(おばあちゃんは正しい。体の熱の半分以上は頭から失われるんです)また、耳や首を覆ってヴァータやカパを増やさないように。



風邪を治す


アーユルヴェーダ的には、風邪はカパとヴァータの不調です。体に、冷たく湿ったカパの質が増えて鼻づまりの原因になり、同時にヴァータが増えてアグニが減少し寒気がして食欲がなくなり消化力がなくなります。では、その方法は?

  • 生姜
    生姜は風邪に一番いいお薬です。ジンジャーティーをのみ、生姜と炭酸を入れたお風呂に入る(重曹1/3カップに生姜パウダー1/3カップをお風呂に入れ、首から下を浸かります)、または生姜のスチームを試しましょう。小さじいっぱいの生姜パウダーを500ccの水で煮ます。火を消したら頭の上にタオルを置き、約5分、鼻腔からその蒸気を吸いましょう。鼻づまりが治り、すっきりするでしょう。


  • ビタミンCを取る
    最長3ヶ月間、毎日500mg摂ってみましょう。


  • 自然の点鼻薬を使う
    ナシヤで鼻腔を潤し、風邪の炎症やくしゃみを解消しましょう。頭が後ろに倒れるように肩の下に枕を置いて仰向けに横たわり、鼻腔が天井を向くようにします。溶かしたギー3〜5滴を両鼻腔に垂らし、優しくオイルをすすり込みましょう。このナシヤは朝と夜に行えます(空腹時に、そして入浴前後最低1時間はあけましょう)。


  • お白湯を飲む
    日に数回お白湯を飲むと、体から毒が出されて治癒が早まります。


  • 乳製品を断つ
    ヨーグルト、チーズ、牛乳、アイスクリームなどの乳製品は、鼻づまりがなくなるまで絶対にやめましょう。




どうして冬になると食欲が増えるの?


寒い気候に応じて、熱を失わないように体は汗腺や表面の結合組織を収縮させます。それによって周りの組織の熱が胃など体の中心に集まります。ですからアグニ(つまり食欲)は冬に強くなります。しかし、カパやヴァータが悪化すると、アグニは急落し、風邪をひきやすくなり、血流が悪くなり、関節が痛み、悪い感情が出てくるのです。




2016年11月14日月曜日

月とヨガの関係 
What Does Yoga Have To Do With The Moon?

今夜は68年ぶりに地球に月が大接近する Supermoon です。
太陽と反対に来た月(満月)が、地球と太陽の引力に引かれて近づくのですから
その力は潮の干満という形で現れるように、とてつもなく大きなものです。
私たちがそれを感じないわけがないと思いませんか?

残念ながら今日の空は曇っていて見えませんが、少し月に思いをはせてみましょう。
DoyouYogaの記事です。
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ヨガと月の関係とはどんなものでしょう?満月の日にヨガをしてはいけないとか、新月にヨギが断食をするとか聞いたことはありませんか?

そしてなぜ、夏至や当時に108ポーズを行うのでしょう?
いったい、月はヨガにどんな関連があるのかをここでお答えしましょう。


ハタ


「ハタ」とは、一般的にエクササイズの形をとったヨガのことを意味しています。「ハタ」という言葉は「意図的」「力強い」という意味があります。サンスクリット語では「ハ」は太陽、「タ」は月を表します。

これは、私たちの中にある男性性と女性性のバランスを指します。男性性は太陽で、熱く行動的。女性性は月で、冷たく受動的です。ハタヨガのアサナ(伝統的なヨガのエクササイズ)は、身体のバランスを整え両極にあるものを一体化させるためのものです。ヨガの練習を通して、強さと柔軟性、努力と委ねることを各ポーズの中で作っていくのです。

ハタヨガは力強い練習です。自己の変革と心を穏やかにするための道具です。ハタヨガの練習の中で、精神を「今」に調和させていくために心の揺らぎを穏やかにしていくことができます。



108


おそらく、新年に108回の太陽礼拝をする話を聞いたことがあるでしょう。その意味は何なのでしょうか?なぜ108回?

108という数は、ヨガ、仏教、ヒンズー教で意味のある数字です。古代インドの占星術師らは、太陽と月、地球間の距離の平均値が各直径の108倍であると考えていました。すなわち全体的な存在の数字をされていたのです。伝統的なマラ(数珠)は108個のビーズから成り、それらは太陽の周りを惑星がまわるようにグル・ビーズを囲っています。

1、0、8という数字は、唯一のもの、無、全て(無限)を意味し、宇宙の究極の真実という信仰を表しています。この聖なる数字の伝統において、特に春分と秋分という季節の変化を讃えるために108回の太陽礼拝が行われるのです。春分、秋分には、世界中で昼と夜の時間がほとんど同じになります。ラテン語ではEquinox(昼夜分岐点)は「等しい夜」という意味をもちます。ヨギたちは、この聖なる宇宙の変化を讃えるために108回の太陽礼拝を行うことで新しい始まりである季節の変化を祝うのです。



エーカダシ


「エーカダシ」とは「11」を表し、ヒンズーの太陰暦では満月と新月の後11日目を意味します。霊的にとても大切な日だと考えられています。ヴェーダ(古代インドの文献)では、エーカダシの日に断食をすると全ての罪から解放され、霊的に向上できると書かれています。

つまり、いつもは食事の準備や食べることに向けられている焦点を、神聖なるものへの信仰と愛へ向けるということです。このように、解脱へと近づくのです。西洋医学やアーユルヴェーダにおいても健康を維持促進するための断食は推奨されています。水やジュースでのデトックスは、汚れた身体を清め、堆積した老廃物を排除して消化機能を刺激ます。また、未消化の食事や老廃物による神経系の刺激がなくなるので精神的な集中力が高まります。このように、断食に関連した身体の浄化はこの日の縁起に関係しているのです。



満月と新月


地球は、太陽と月の引力に影響されています。こうした位置関係によってつくられるエネルギーは呼吸の周期に例えることができます。

満月のエネルギーは、プラナが最大になる吸気の最後にあたります。大きく息を吸って、止めて、身体のエネルギー(プラナ)を感じましょう。広がった上向きの力が私たちを力強く感情的に感じさせますが、落ち着きがなくなります。満月の間は自分勝手になりがちなのです。

新月のエネルギーはアパナの力が最大になる呼気の最後にあたります。完全に吐ききり、エネルギーが呼吸とともに流れていくのを感じましょう。アパナは収縮した下向きの力で、私たちに落ち着いた感覚を与えますが、身体の動きは重く抵抗感を感じるでしょう。



ヨガと月の周期


アシュタンガヨガの伝統では、この月の周期を尊重するために満月と新月の練習はやめるべきだと言われています。

月が満ちたり欠けたりすれば、心は影響を受けます。硬い地球がこの影響を受けているのは見えにくいですが、液体である海が受ける影響は眼に見えます。

月は地球全体に影響を及ぼしますが、潮の満ち引きを見ることでそれを感じることができます。太陽が月に影響を与え、月が地球に影響を与えます。その影響が自然に起こり、私たちは母なる自然の手の内にいるということになります。無意識にその時々であちこち引っ張られるか、それとも意識的に歩くこともできるのです。

意識の気付きの中で人生を歩くとき、ヨガを練習しているのだと言えるのです。