古代インドの聖典は、哲学と信仰が密接に織り混ぜされた物語や神話、伝説に満ちています。こうしたお話に登場する偉大な人物の一人が、その教えがマールカンデーヤ・プラーナの中にある聖マールカンデーヤです。彼の教典の中で特に人の記憶に残っているのは、偉大なる女神の栄光の記述です。マールカンデーヤはまた、宇宙の大洪水を見る力を持つことで知られ、マハーバーラタの中では、勇敢なパンダヴァ兄弟の野営地への賓客として迎えられています。けれど、彼の物語は彼が生まれる前から始まっています。
森に住む聖ムリカンドゥと妻のマルドワティは、功徳を積んで子を授かろうと長い苦行を行なっていました。彼らの前に、イシュタ・デワータ(心の神)であるシヴァ神が現れました。彼らの願いを聞いたシヴァ神はこう言います。あなた方は、輝かしい魂の光として生まれるがわずか16歳までしか生きない子、もしくは長く生きるが知恵がなく自分のことしか考えられない子のどちらかを授かるだろうと。
彼らは崇高さを持つ子の方を選び、マルドワティが男の子を授かるとマールカンデーヤと名付けました。息子には命が短いことを伝えないでおこうと決めましたが、16歳の誕生日が近づくにつれ、彼らの悲しみはどんどん深くなります。どうしてそんなに塞ぎ込んでいるのかと尋ねられた時、シヴァ神の言ったことを話してしまいます。すでに熟達したヨギになっていたマールカンデーヤは、改めて彼の実践に献身するのでした。
16歳の誕生日、マールカンデーヤは寺にこもってシヴァのリンガ(聖なる意識のシンボル)の側に座り、祈りを捧げて瞑想をしていました。死神であるヤマの使いが彼を連れ去ろうとした時、彼があまりにも熱心に祈っていたので、その任務を果たすことができませんでした。
使い達はヤマの元に戻り、この困難を説明しました。そこでヤマは、任務を果たそうと自分で寺に行きました。ヤマはマールカンデーヤに、生死という自然の摂理に従って自ら一緒に来るように促しましたが、マールカンデーヤはシヴァのリンガを両腕で抱え守ろうとしました。ヤマは投げ縄でマールカンデーヤを捕まえようとしましたが、投げ縄がリンガにもかかってしまった瞬間、像の中に居たシヴァがリンガを破り怒りと共に現れました。投げ縄を遠くに投げすぎてしまったヤマは、シヴァに投げ縄をかけるという許されないことをしてしまったのです。
ヤマは、他の神たちは怯えて見ている前でシヴァの一蹴りで殺されました。ヤマの死が宇宙の秩序を乱すのではと恐れ、シヴァにヤマを生き返らせるよう懇願しました。そしてシヴァは、最後にはそれに応じます。けれど、マールカンデーヤの献身がシヴァを守ったのだと指摘し、そうして彼は永遠に16歳の聖者となったのです。古代の信仰では、マールカンデーヤの悟りを得た魂は、今も宇宙で動き続けていると考えられています。
シヴァ:思いやりの拠り所
マールカンデーヤの物語は、シヴァ神の謎めいた姿を中心にした広大な精神の伝統への扉を開けてくれます。シヴァは二面性を持っています。宇宙の摂理を激しい決意で守りながらも、執着を破壊し信者を無知から解放します。精神の支配者であり破壊者で、逃れようのない欲望の追求や、命そのものまでも、自然な終わりへともたらすのです。このシヴァのイメージは、古代にはルードラ「唸る人」と呼ばれていたことにも映し出されています。その一方で、より身近なシヴァという名前は、「吉兆、寛大、思いやり」などの意味を持ちます。憐れみはシヴァの本質です。思いやりの拠り所であり恩恵を与える神です。優しさと確かな手で、自己実現を切望する者を導き、宇宙に存在する苦悩を解放します。
シヴァは純粋な意識を体現しています。全ての粒子と存在が編まれた網のように、その中に存在する宇宙を示しています。しかし、彼は世の中の魅力や誘惑には影響されず、そうした全ての動きを動かない存在の中に静かに保っています。瞑想の中で確立されるヨギ達の神なのです。
彼には多くの名前があります。マールカンデーヤにとっては、ムリッチュンジャヤ「死の征服者」そして、マールカンデーヤが16歳の誕生日に祈りを捧げていたものこそが、シヴァのこの局面であると言う人もいます。けれど、ヤマに対するシヴァの勝利はムリッチュンジャヤの全てを著しているわけではありません。なぜなら、死の支配者という側面にあっても、シヴァは恐ろしいと同時に深い育みを与えてくれるからです。
ヴェーダの中心
ムリッチュンジャヤとしてのシヴァ神へ捧げた偉大なマントラは、リグ・ヴェーダの中にあり(Mandala VII, Hymn 59)、聖ヴァシシュタによって書かれたとされています。その中にある聖歌は、ルドラ、またはシヴァの子供たちと言われる自然の力(マルツ)を讃える11節で始まります。マルツたちは、嵐や風、竜巻、雲のエネルギーをコントロールして(それゆえ空の光を育んで)います。破壊的なエネルギーを持っていますが、家族の守り神でもあります。彼らが調和を持つ時、平和と繁栄の世界を創り出します。
ヴァシシュタはこれらの力に敬意を示しながら、最後の節へと進み、マントラは聖典全体に渡り讃え続けます。これは、マハ・ムリッチュンジャヤ・マントラ「死を克服する偉大なるマントラ」と呼ばれます。このマントラには多くの名前や形があります。シヴァの恐ろしい面を表すルドラ・マントラ、シヴァの3つの目を言及するトリヤンバカン・マントラ、そしてムリタ・サンジヴィニ・マントラとしても知られます。疲労困憊で禁欲生活を終えた聖シュクラが「命を取り戻す」方法のひとつとして与えられたからです。マハ・ムリッチュンジャヤ・マントラは、ヴェーダの中心として賢人たちに認められています。ガヤトリ・マントラとともに、熟考や瞑想に用いられる多くのマントラの中でも最も高く位置付けられています。
サンスクリット語では:
Om tryambakam yajamahesugandhim pushti-vardhanamurvarukamiva bandhananmrityor mukshiya mamritat
このマントラは4行に分かれていて、それぞれに8音節含まれます。訳はかなり多種多様です。しかし、少し調べれば(例えばWebで検索したり)全てのレベルにおける意味を十分に表すことのできている訳はひとつもないということがわかります。サンスクリット語の複層的な性質がそれを不可能にしています。
しかし、訳の違いもまた、正確な訳よりもマントラの音の方が実践者にとっては重要だという事実を反映しています。音楽のように、これらの音の共鳴が心を惹きつけ、精神の体験へと導きます。マントラの正確な意味は二の次なのです。
とはいえ、その中にある信念を養うためには、マントラを理解することが重要です。マントラのそれぞれの言葉はその養う性質を備えており、言語の壁を超えて命を維持してくれます。善の偉大な力が私たちの内側にあるという感覚で私たちを満たし、私たちの成長を支持し、苦難の時にも奮い立たせ、日々の多忙の中でさえ、命そのもののより高みにある目的を思い出させてくれるのです。
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次回に続きます。