2024年5月24日金曜日

アシュタンガヨガ伝承(パタンジャリ)によるサマディの段階 Vol.1
The Stages of Samadhi According to the Ashtanga Yoga Tradition

パタンジャリのヨガスートラに書かれている最終段階のサマディについての解説です。
かなり深く難解なものですが、アサナだけでなく瞑想の練習の先には何があるのかを知っておくのもいいかもしれません。

ーーーーーーーーーーーーーーーー






紀元前350年以降のいつ頃か、賢人パタンジャリとして知られる偉大なヨギがヨガの解説書を識し、現在では古典ヨガとして知られる伝統の定義的な書物であると見做されている。この書物はヨガスートラで、今まで地球上で作られた高度な意識の最も詳細な地図のひとつである。主に精神の本質について、そしてカイヴァリヤ、つまり解脱の状態がついに現れるまでサマディ(三昧)の異なる段階を通して精神がどのように変化していくのかについて書かれている。また、理論と実践が驚くほどまでに統合がされている。ヨガスートラにおいてパタンジャリは、ヨガの二つのシステムについて言及している。クリヤヨガ(禁欲、自己探求、神への帰服)と有名な8段階の道アシュタンガヨガである。これらがヨガの実践を体系的に解き明かし、ヨガの実践の目標とその目標へと到達する方法を非常にはっきりと示している。



ではここで、アシュタンガヨガ(ラジャヨガ)の観点から瞑想体験を詳しくみていくが、パタンジャリのシステムは実際には直接的に瞑想体験については述べていないことを理解しなければならない。そうではなく、我々が何年間ものサダーナ(霊的鍛錬)の間に展開する精神の変化について述べられており、精神と瞑想の対象との関係性に注目している。これは、瞑想鍛錬過程の中で起こるべきことについてあまりにも間接的なアプローチであるため多くの瞑想者が全く関係付けられないように思えるが、パタンジャリがこのようにしたのは相当な理由がある。



サムプラジュニャータ・サマディ(高度な知識のサマディ)の最も低い段階で起こる体験の多くは、個人的そして文化的な要素が含まれる(例えば宗教など)。さらに、それらは瞑想者が選択した特定の対象に関係する。サムプラジュニャータ・サマディのより高い段階では多くの普遍的要素が存在するが、それは全てのものは同じ根源を持つためである。しかしそれでも、この段階を得た瞑想者の体験は必ずしも全てにおいて一致するわけではない。その体験そのものの内容に焦点を当てるのではなく、瞑想の対象との関係性において精神の活動を述べることで、パタンジャリはより普遍的に応用できるシステムを作り上げたのである。したがって瞑想体験は、その段階の基準全てにあてはまると見えた時においてのみ、サマディの特定の段階に到達しうる。この論説で私は、私の博士号論文の準備中にインタビューしたヨギである私の兄弟姉妹たちの瞑想体験(ふさわしい実例だと私は信じている)を提示することで、精神と体験の間のギャップを埋めるのを助けられればと考えている。




以下のサマディの解説を理解するには、最初に3つの基本的な点を理解すると良いだろう。まずは、サマディはインドの洞窟に住む禁欲したヨギだけが体験できるものではないということだ。20年間ヨガを指導してきた私がしばしば驚かされるのは、アサナは勤勉に練習しているがプラナヤマや瞑想を練習しない北米の人たちの数である。彼らは世帯を持っていては瞑想をしても前進できないと信じているのだ。しかし、ウパニシャッドやプラーナ、ヨガ・バシシュタなどの中には、世帯をもったり親であったりする偉大なヨギやヨギニたちの話が多く存在する。また、ヨガの実践者やアサナの指導者であっても多くの人が瞑想をしない。彼らは瞑想の価値を理解していないか、ヨガのより深い教えを気にしないからであろう。また、プラナヤマや瞑想はアサナを完璧にしてからでないと始められないと間違って信じている人もいるが、人生の最も重要な活動を始めるのを漠然と遅らせる致命的な誤解である。


実際のところ、サマディの第一段階サヴィタルカは、ディヤナを単純に深めたものである。私の師であるババ・ハリ・ダスによれば、毎日休まず1、2時間実践するほとんどの瞑想者は、正しい指導を受けていればこの段階まで数年で到達する。1977年のババジのヨガスートラのあるクラスで、サヴィタルカ・サマディ中心の議論をしたことを私は覚えている。ある時、ババジが20人ほどの瞑想者たちのいる部屋をぐるりと指で示し「ここにいるほとんど全員がこれを得る」と書いた。だから、実践が実際に望んだ結果をもたらし得るからこそヨガ・マスター達は私たちに実践しなさいと言うのだということを、まず信じなければならない。実践が進むにつれて、体験が私たちの信じたものは間違っていないと裏付けてくれる。サマディに到達するのは容易ではないが、確実に可能である。



第2に、人は瞑想の実践中にサマディを得るというのは、精神は常にその状態にあり長時間絶え間なく存続することを必ずしも意味するものではないと理解することが重要である。これが起こる時には、瞑想者のサマディ体験は大抵の場合短時間であり、精神はまた外へと出てしまい意識の低いレベルへと落ちてしまう。この精神の外へ流れることをヴィユッターナと呼び、私たちの外の世界に関する思考、執着、欲望、記憶など(サマディでは一時的に抑えられている)が再び活動的になる時に起こる。精神が同じ深さの集中へと戻ることが可能なら、またサマディに入ることも可能だろう。このように、一回の瞑想の中で何度もサマディに入ったり出たりするものである。サマディとヴィユッターナのプロセスを通し、精神はこの2つの状態を比較しサマディ状態の微細と平穏をより感じる。これにより瞑想者はより高度な状態を得ようとする。



第3に、サマディはひとつの状態ではなく、進歩することで展開する一連の段階である。サマディの全ての段階は変わることなく2種類の結果をもたらす。いくつかのタイプの直接体験「知識」といくつかの度合の非執着である。ヨギがサーダナの道を進むにつれ得られる知識は一層深く、非執着はより深く長い効果を精神に与える。段階を達成するのにそれぞれ数ヶ月から数年を要し定着させるにはより時間がかかる。どれだけかかるのかは人により大きく異なり、瞑想者の解脱への欲求の強さや、実践の回数や深さ、そして過去の人生で行った瞑想の実践によるその人のサムスカラ(精神印象)による。そして、パタンジャリが言うよう、サマディは神への帰依によっても得られる。サマディの全ての段階において、修行者はまずその段階が示すものを完全に体験し、次に進む前にそれに対する興味を捨てる必要がある。サマディの段階を通して進むことはまた、浄化のプロセスでもある。全ての段階は精神を浄化し、精神をより微細にする。つまり、到達すべき次段階のため宇宙の存在のレベルまで深く洞察する能力を得る。




精神の準備をする


瞑想プロセスの第一段階が最も困難であるとしばしば言われるが、アシュタンガヨガの初めの部分はそれぞれサマディを得ることに一助している。ヤマとニヤマは精神を浄化する、アサナは長時間快適に座り続けることを可能にする、プラナヤマはより深く集中するエネルギーを与えてくれる。しかし実際にはパタンジャリは、ヨガは精神の中の思考の波の静止であると定義し(1:2)、このゴールへの最初の段階は (2:54 と 3:1)気付きを外界から引き込んで(プラティヤハラ)、対象物へと精神を集中することによって思考の波の現れをコントロールすること(ダーラナ)であると定義している。この「対象物」という言葉は物理的な対象物を指しているわけではない。瞑想者にとって霊的に意味のあるものなら何でも可能で、特定のチャクラや神の像、呼吸、悟りを得た存在の像、内なる光、内なる音、マントラなどである。究極的には、サマディによって作られる集中そのものであり、対象物ではない。そしてすべてのものの源は、より高い段階が得られた時に精神に自然に現れるものであるが、全て同じである。しかし、精神をひとつの本質だけに集中することを教えてくれるのは厳しい修業であり、個人的な親近感を感じる対象物を選択して瞑想することでそれを容易にすることができる。



ダーラナ(瞑想の間、それぞれの瞑想の対象物へ精神を戻すため繰り返す作業)は、ついにはディヤナ(精神から対象物への気付きの比較的努力を要しない流れ)へと発展し、ディヤナは時を経てサマディへと発展する。ディヤナが繰り返し得られると、湧き上がる平穏あるいは幸福に満ちた感情が、集中という修練への精神の憤りとのバランスを取り始める。サマディが始まるのは、精神と対象物の関係性が深まって、集中しているという精神への気付きが小さくなり対象物への気付きが精神そのものを圧した時である。





ーーーーーーーーーーー

2024年5月16日木曜日

溢れるエネルギーを!エネルギーを高める5つの自然な方法 
Supercharge Me! 5 Natural Energy Boosters

季節の変わり目、特に今年の春は暑かったり寒かったりが激しくて疲れやすいですね。体力を保ち健康でいるためにはどうすればいいのでしょうか?

ーーーーーーーーーーーーーー


あなたは、恋人たちや聖人、赤ちゃん、ヨギ、そして妊娠中のお母さんが同じ輝きを発していることに気づいたことはありますか?彼らの肌は輝き、微笑んでいて、いつも目がキラキラしています。文字通り、生命力を放っています。アーユルヴェーダでは、活気に満ちた人には、健康や創造性、ウェルビーイング、精神力などを促す3つ必要不可欠な要素のひとつであるオージャスの量が多意図されています。オージャスは命の精髄で、体組織の純粋な本質であり、幸福感と免疫力の源です。


古代のアーユルヴェーダの文献には、健康的なオージャスがあれば幸せに100歳まで生きられると書かれています。しかし、オージャスが枯渇すると老化や病気に脆弱になり、早死にすることさえもあります。


では、十分なオージャスがあるかどうかどのようにわかるのでしょう?体に見られる兆候は、明るく綺麗な目、艶のある髪、艶のある肌、そして薔薇色の頬などです。また心や感情のサインはといえば、前向きのエネルギー、活力、喜び、明晰な心、共感力などです。もし肌の乾燥、手足の冷え、便秘、不安、頭がはっきりしない、後ろ向きな考え、孤独感、疲労などがあるなら、オージャスが枯渇しているのだとわかります。


多くの人にとってオージャスを増やすことは可能です。以下は、爽快な気分で輝くための5つのヒントです。




1.  オージャスのための食事をとる


太陽の光で実った新鮮な自然食品には、活気を与えてくれるエネルギーを含んでいます。過度に加工した食品、精製した食品、アルコール、刺激物を避けて、オージャスの多い食事をとりましょう。

  • 果物;アボカド、リンゴ、バナナ、デーツ、いちじく、アプリコット
  • 野菜:緑の葉野菜、レタス、パセリ、アルファルファの芽、オクラ、さつまいも、山芋、ルバーブ、ほうれん草、カブ、クレソン、ズッキーニ
  • 穀物:アマランサス、バスマティライス、オートミール、全粒小麦
  • 豆類:ムングダル、大豆、豆乳、豆腐
  • 乳製品:山羊のチーズ、カッテージチーズ、新鮮なヨーグルト、ギー
  • ナッツ類:アーモンド、ブラジルナッツ、黒グルミ、ヘーゼルナッツ、松の実、ピスタチオ、胡桃




2. アーモンドミルクを飲む


アーモンド10個を一晩水につけます。朝になったら薄皮を剥きます。アーモンドをカップ1の牛乳、カルダモンのパウダーをひとつまみ、ひき立ての黒胡椒をひとつまみ、蜂蜜を小さじ1と一緒にブレンダーに入れます。高速で5分間ブレンダーにかけて、いただきましょう。アーモンドと牛乳、蜂蜜はオージャスがたっぷり入っているので、これを飲めば栄養とエネルギーを得ることができます。




3. 自分自身を養う


健康的でバランスの取れたライフスタイルを始めると、活気に満ちた感覚をすぐに感じ始めるでしょう。それは、どうしてでしょうか?なぜなら、ストレスはオージャスを枯渇し、リラクゼーションはオージャスを満たすからです。以下はおアーユルヴェーダのライフスタイルに関するヒントです。


  • 習慣的な運動をする(やりすぎないで)
  • いつのも時間に就寝して、約8時間の睡眠をとり、毎日同じ時間に起きる
  • 自然や芸術に触れて心に栄養を与える
  • 愛する人と一緒に過ごす
  • マルチタスク、過度な刺激、過度なセックス、慢性疲労、強い風、激しい温度を避ける



4. ヨガや瞑想をする


習慣的なアサナやプラナヤマ、瞑想は活力を高めます。瞑想が初めてなら、ソウハムのマントラで行う瞑想を試してみましょう。


両目を閉じて数分間の間深く呼吸します。それから、第3の目に意識を集めて、吸う息とともに心の中で「ソウ」と言い、吐く息とともに心の中で「ハム」と言います。このマントラを呼吸に合わせて5分以上繰り返しましょう。この瞑想をすると、オージャスが増大し気分が高まります。



5. セルフマッサージをする


毎晩就寝前に、少量の温かいオーガニックで無精製のオイルを体全体にすり込みます。耳や鼻腔など体の開口部は特に注意しましょう。そして温かいお風呂に浸かってから自然素材の石鹸でこすり洗いします。この栄養を与える習慣によって筋肉が柔らぎ、赤ちゃんのように眠れるでしょう。自分のプラクリティ(体質)がわかっているならそれに合ったオイルを選ぶことができますが、そうでなければドーシャテストを受けて下のようにマッサージしましょう。

  • ヴァータ体質: セサミ、アーモンド、ブリンガラジ(アメリカタカサブロウ)のオイルなど暖かく重いオイルを使います
  • ピッタ体質:オリーブ、ひまわり、ココナッツ、ギーなど冷やす自然油を使います
  • カパ体質:マスタード、アマニ、紅花など軽いオイルを使います


オージャスの精神的側面


聖人らによれば、プラナヤマや精神的な修練、タントリックの技術などを通して自らのオージャスを精神力へと変容させることが可能です。この力のあるエネルギーは、悟りを開いたヨギの頭の後ろにオーラや後光という形で目にすることができます。もしそんな人に会う稀有な機会があれば、彼らが言葉を発しなくとも愛や哀れみが胸元から出ているのが感じられると気づくでしょう。それこそがオージャスの精神的な面の現れなのです。








(出典)https://yogainternational.com/article/view/supercharge-me-5-natural-energy-boosters/

2024年5月10日金曜日

マインドフルネスはビジネスやファイナンスで墜落させられているのか? 
Is mindfulness being corrupted by business and finance?

このGuardian の記事は実は10年前のものです。
世界状況や企業の環境も変化しティクナットハーン氏もいなくなった今、改めて読み返してみたいと思います。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー


禅マスター GoogleなどIT巨大企業が世界のために善を促進する力となるようにという自身の助言について語る





マインドフルネスは、ビジネスリーダーたちの中でますます人気のトピックとなっており、利益を向上させるのに役立っていると公に語る重要な役員たちも存在している。


例えば、Intemix の CEO カジャク・ケルジアンは先週、彼の心の平穏の秘密を Wall Street Journal に打ち明けた。Huffington Post のチーフエディターであるアリアンナ・ハフィントンは、今週発売になった著書「Thrive」の中でマインドフルネスについて語っている。その他、Aetna の CEO マーク・ベルトリーニ、Salesforce.com の CEO マーク・ベノフ、Zappos.com の CEO トニー・シーなど枚挙にいとまがない。


先月のブログで、ハフィントンはこう書いている。「利益増加については大袈裟なことは何もない。経営は厳しい。ストレス解消やマインドフルネスは私たちをただより幸せにより健康にするだけではない。どんなビジネスでも必要なもののための競争の裏付けされた優位性なのだ」



しかし、マインドフルネスの効果が利益にあると焦点を当てたビジネスリーダーたちは、仏教徒の実践を腐敗させていることにならないのだろうか?


西洋で多くの人からマインドフルネスの父と知られている、87歳の禅マスター、ティク・ナット・ハーンは言う。ビジネスリーダーたちが「真の」マインドフルネスを実践している限り、その最初の意図が生産性を上げたりより大きな利益を得るため始めたものであっても構わない。なぜなら実践することで、より大きな哀れみに心を開いたり他者の苦難を終わらせたいという思いが自然に身についてくると、彼らの人生に対する考え方が根本的に変わるためである、と。


フランスはボルドー近郊にあるプラム・ビレッジの僧院で、蓮華座で座った彼はGuardian にこう語った。「マインドフルネスの実践法を知っているなら、今ここにある平穏や喜びを気づくことができます。そしてそれに感謝するようになり、自分が変わります。最初は、一番にならない限り幸せにはなれないと信じていますが、マインドフルネスを実践するとすぐにそうした思いから解放されます。マインドフルネスが結果ではなく手段にだけになるかもしれないと恐る必要はありません。なぜならマインドフルネスでは、手段も結果も同じだからです。幸せへの道はないのです、幸せこそが道なのです」


しかし世界中に何十万人もの信奉者がいる禅マスターのテイはこう指摘する。経営者らが利己的な動機のために実践するのなら、彼らの体験はマインドフルネスのまがいものにすぎないと。


「もしマインドフルネスを多くの金銭を得るための手段とみなすのなら、その真の目的に触れたことがないのです。それはマインドフルネスの実践に見えるかもしれませんが、内面には平穏も喜びも幸せも生み出されてはいません。ただの模倣です。みんな同胞だというエネルギーが感じられず、あなたの行いからも発散されないのなら、それはマインドフルネスではありません」


彼の言うように「もしあなたが幸福なら、自身の幸福の犠牲にはなり得ません。しかし、あなたが成功者なら、自身の成功の犠牲になり得るのです」



嘲笑のリスク


マインドフルネスがますます普及しているにも関わらず、多くの組織の中では、古い仏教の実践法に直接結びつけて嘲笑されることに対するピリピリ感がまだ多く残っている。


最近テイは、世界銀行ワシントン本部へ総裁のジム・ヨン・キムに招かれ、そのイベントはスタッフに大変好評だった。キム氏の愛読書はテイの著書 「The Miracle of MIndfulness」で、「苦しんでいる人々に哀れみ深く、大変情熱的な」禅僧の実践を讃えている。


それでも、周りからどう見られるか神経質になっていた上層部たちは、イベント前にこの決定を非難した。実際、Economist 誌は批判的な記事を発表している。


しかし、キム氏の決意は堅かった。彼は、マインドフルネスの効果を表す科学的研究を複数示すことで非難を回避したとガーディアン誌に語った。



マインドフルネスとテクノロジーとの交点


おそらく、ビジネス界で最も興味深い交点は、全く反対の方向に向いているように見えるマインドフルネスとテクノロジーだろう。マインドフルネスの実践は心のスピードを落とし落ち着かせるが、デジタル革命は我々の生活をスピードアップし頭の中を大量の情報で満たす。


しかし、このふたつは長い歴史を持つ。Apple の CEO だったスティーブ・ジョブスは禅の仏教に魅せられていたが、ひとつにはテクノロジー企業が拠点を持つカリフォルニアのライフスタイルにマインドフルネスが数十年に渡ってつながりを持っていることだ。


だから、米国で200万冊以上の著書が売れているテイが Google にシリコンバレーへ招かれ、また世界でもっと強い15のテクノロジー企業たちに向けたマインドフルネスのプライベートセッションを依頼されたことは、大して驚くことでもない。


出会ったテクノロジー企業のリーダーたちにテイが伝えたかったことは、彼らの世界に及ぼす影響力を、できる限り多くの富を得ることではなく、どうすればより良い世界を作る貢献ができるかに使うべきだということだった。


彼と僧侶たちは Google 本社での1日を、上層部や約700名の社員たちとマインドフルネスのディスカッションや瞑想をして過ごした。あまりにも多くのスタッフが参加を希望したため、講義のライブストリームのために2箇所を追加しなければならなかったほどだ。


テイは、Google での通常の仕事の慌ただしさと、Googleplex 構内で静かに座るマインドフルネスからもたらされる穏やかな感覚との著しいコントラストについて語った。「その場の雰囲気は全く違っていました。静けさがあり、何もしないことから来る平穏があります。彼らは、あの場にいると時間の大切さに気づくことができます」




テクノロジー業界への助言


「意志、確信、洞察」をテーマにした訪問の中でテイは、多くの Google 上級技術者らと会い、Google が人々のストレスや孤独感を増大するのではなく、世界に良い変化をお互いにまた自然からもたらすため、どうすればより思いやりをもって効果的にテクノロジーを使うことができるかについて議論した。


「電子機器を作り出す時、その新製品が人々を家族や自然から遠ざけるのではないかとよく考えることです。そうではなく、自分自身に戻ったり感情に対処するのに役立つ機器やソフトを作る。そうすれば、社会に良いことをしているのですから良い気持ちになるはずです」


CEOたちを過ごした日、テイは静かな瞑想を指導し禅の茶会を行なったあと、億万長者が大勢いるグループの前で、個人として家族との時間を犠牲にして仕事で疲弊しないことの大切さを語った。「時間はお金ではありません。時間は人生です。時間は愛情です」


ボルドー近郊のPlum Village の僧院に戻った彼が語ったのは「全ての訪問で、会社の全ての人が幸せになれる方法でビジネスを行わければならないと伝えています。もっと辛くなるのにもっとお金を使いますか?良い野望があればより幸せになれることを理解するべきです。なぜなら社会を変えるのを手助けすることが人生に意味を与えてくれるからです」


この旅はまだ始まりに過ぎないと彼は言います。「たくさんの種を蒔いてきたと思います。その種が実るには時間がかかるでしょう。彼らがマインドフルネスを実践し始めたら、喜びや幸せ、変容を体験し、他の野望を持つようになれます。名声や権力、富は実際には、自身の体や心を大切にできるような生活を送っている時のような真の幸福をもたらしてはくれないのです」