2019年7月18日木曜日

内なる幸せを見つけよう  Vol.1
Find the Happiness Within You



ジョンの暮らしは、喜びは自分の内にあるという教えによって変わった。それを初めて聞いた頃、ジョンは懐疑的な皮肉のユーモアが好きなジャーナリストで、喜びとか至福とかという言葉を全く信用していなかった。「今まで幸せだったことはあるか?」と彼に聞いたなら、彼は1993年の高校時代のバスケットボールのすごい試合で、おそらく絶賛され有頂天になったことなどいくつか思い出しただろう。そして質問を無視して「幸せなのはバカだけだよ」などと痛烈なこと言っただろう。


が、ある日、ストレス解消にと医師に勧められヨガクラスに参加したが、先生は心の中の内なる幸福を作るのだとあるポーズを説明した。「内なる幸福?」ジョンは思った。「俺の心では無いな」すると先生は、インドのグルの著書を読み始めた。「私たちがあらゆるものの中で探しているのは、喜びであり忘我である。しかし忘我はあなたの中にある。あなたの心の中にそれを探しなさい」


ポーズをとっていて他に何もできないので、ジョンはレポーターとしての調査技術を使って維持することにした。内側を見ようと意識を向け、先生が言ったことに現実的な可能性があるのかをみてみた。心があると思っていた場所に集中し、胸の筋肉が強く動いていることをイメージしてみようとすらした。


驚いたことに、何かが変わった。かすかな動き、心地よい流れを感じた。その感覚はやがて広がり暖かさを放った。突然、彼は恍惚状態になった。もっと興味深いことに、これまで経験したこともないのに、何が恍惚(忘我)なのかはっきりとわかっていた(薬でもたらされる類のものは別)。喜びというのは、筋金入りの悲観論者であってもそれを感じたら認識できるものなのだとわかったのだ。



喜びに満ちた真実


あなたの世界観を永久に変えてしまう中心となる教えが存在する。「喜びはあなたの中にある」は、そのひとつだ。純粋に精神物理の中で聞いたとしても、実際に聞いたら最も力強い真実が存在することを認識するのに役立つだろう。世界がどのようにあなたを扱おうとも、どんなに幼少期が酷いものだったとしても、あるいはあなたの友人がみなあなたより出世していたとしても、それに関係なく幸福を感じることは可能だという真実を。この教えは教えてくれる、たとえ何かに失敗した時も病気の時であっても幸せになれるのだと。


しかし全ての偉大なる真実と同様、「喜びは内にある」の意味を理解することが必須だ。それを深く理解していなければ、歓喜の表面的な心地よさを取り違える可能性が高い。またあなたの喜びがそれをもたらしてくれる状況にあると考えてしまうかもしれない。クリシュナ・ダス(訳注:米国のキルタンシンガー)と共にチャンティングする夜だとか、特定の先生と一緒に出かける週末だとか、あるいはパートナーと共に過ごすロマンチックな時間とか、ジョギングやバスケットボールをしている時間だとか。そしてそうした特定の行動、人、状況に病みつきになってしまう。あるいは、私が何年もしてきたような間違いに陥り、幸福ファシストみたいになって自身がいつも「良い」状態であることを期待してそうで無いときは自分を密かに責めることになる。


では、内なる喜びを語るとき実際に何を話しているのか?そしてどのようにアプローチするべきなのか?サンスクリット語では、幸福には基本的に4つのこ言葉がある。スッカ、サントーシャ、ムディタ、アーナンダで、それぞれが異なるレベルの幸福を示している。全体で、本当に揺るぎのない類の幸福へと繋がる道を構成している。



スッカ(つかの間の喜び)


通常の幸福(楽しい体験からくる幸福)は、スッカだ。意味は「安らぎ」「楽しみ」「快適さ」で、英語では通常、単に「Pleasure(喜び)」と訳される。スッカは、自身の快適と感じる範囲から全く出ていない時に感じる幸福だ。私はカリフォルニアの海岸沿いに住んでいて、朝起き窓の外を見て気持ちよく、そして同時に幸せだと感じる日がある。そういう幸福というのは、例えば、サンノゼ空港の周りで飛行機に間に合うようにぐるぐると長期駐車場への道を探している時などにはありえない。つまり、すべての精神的教えがいうように、喜びとして体験する歓喜であるスッカは基本的には当てにならないものだ。その場その場での状態というのは、一瞬で消えてしまうものだからだ。


この通常の幸福の質を完璧に表現した、作家キャサリン・マンスフィールドの有名な物語がある。若い妻がパーティを開く。自分が作り上げた会場を見渡して得意顔になる。なぜなら全てが完璧に見えたからだ。家、ワイン、客人たち、皆に飲み物を注ぐ素敵な夫。彼女は完全に幸せだと気づく。そこに、夫がある女性客の耳にささやきかけるのを見て、彼女と密会を企てていることに気づいてしまう。突然、妻の幸福は喪失の苦悩へと変わるのだ。


もちろんこの物語は深いヨガの例え話で、なぜヨガの書が決まって、つかの間のありふれた幸福について注意を喚起するのかについて表現している。ありふれた幸福、スッカはその反対にあるドゥッカ(苦しみ)と切り離せないほどつながりを持っている。この「喜びと痛み」の二分法は基本的な同位複合語のひとつで反意語の対で、二元的意識つまり自身が世界や他人とは別であるという感覚で生きる限り私たちを悩ませるものだ。温冷、生死、賞罰、スッカとドゥッカは、お互いに必然的に付いて回るもので、それは単に私たちの幸せが外的な状況に影響されている限り常に幸せは現れては消えるものだからだ。これはブッダが気づいた問題のひとつで、ここから彼は最初の尊い真実を悟るのだ。



サントーシャ(満足)


永遠の喜びの幻想後の絶え間ない探求という問題のためのヨガのシンプルな解決法が、次段階へ進んでサントーシャを養い始めることだ。ヨガの書物では「Contentment(満足、知足)」と訳される。ヨガスートラは、サントーシャの実践を不可欠としており、欲求不満や不快、不満からくる動揺を沈める最も早い方法だ。


サントーシャが示しているのは、今持っているもので満足し、自分を受け入れ、自分を幸せにしてくれる他の何かを必要と感じないという観念だ。ヨガスートラのヴィヤサのコメントのような筋金入りのヨガの書物は、サントーシャを自制の精神と関連付けている。つまり必要以上のものを欲しないということだ。この視点では、手に届かないものの追求をやめ、人生が与えてくれる以上のものを期待せず、満足感を乱す心のパターン(周りの人と自身のスキルや性格、所有物、知識などを比較するなど)を失くした時にだけ本当の満足が得られる。


最近、6ヶ月前にレイオフされ未だ仕事に就けない友人から連絡があった。サントーシャを実践することが、彼の精神状態を引き上げるための大きな部分になっている。その方法のひとつは、物事をそのままに受け入れることを自分に言い聞かせることだ。「電話をかける」彼は話してくれた。「メールを送る。連絡をする。そして意識を内側に向けて、世界はいつも必要なものを与えてくれるんだよと思い出す。そうすると落ち着く。時々、座って呼吸するんだ『信頼』をね」





(出典)https://www.yogajournal.com/yoga-101/joy-story

2019年7月4日木曜日

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