2021年7月10日土曜日

瞑想中級編:プラシュチャラナの行い方 Vol.2
Advanced Meditation: How To Do a Purashcharana

 


始まりから終わりまで


全てのプラシュチャラナはサンカルパ、つまり、利己的でなく期待をせず実践を終えるという精神的な決意とともに始まる。サンカルパは、分析的な心ではなく、自身の深い部分から湧き上がる直感的な取り組みだ。それによって、正しいことを始めるという自信を得られ、終えるために必要なエネルギーで満たされる。


いつ実践を始めるべきか?伝統では、特に、春や秋、満月、木曜日、早朝という特定の時期を勧めているが、それらはプラシュチャラナを始めるという決意をサポートしてくれる。しかし、最も重要な要素は、指導者の指導やプラシュチャラナが適切であるという自身の決意である。そして、指導者や自身の心のカレンダーが吉兆の時に導いてくれるとき、サンカルパを行って始められる。


目指した回数全てを終えた時は、プラシュチャラナを完結させるための重要な伝統的実践であるホーマを行う。これは、さらに実践全体の10パーセントを儀式の火(ハヴァン)、あるいは臍に存在するうちなる火に捧げることだ。例えば、1万回のプラシュチャラナにはさらに千回を火に向かって捧げる。ホーマは、愛と感謝の表現であり、自然界と内面どちらにも自身を囲むマントラの存在の認知であり、意味のある終わりに導いた無私無欲の最後の表明である。



障害を克服する


ヨガの偉大なる編纂者であるパタンジャリは、霊的な目的から私たちの気をそらせ集中を緩ませる9つの障害(アンタラヤ)を特定している。そのリストをじっくり見ると、自身の実践で特にやっかいな障害を見つけるかもしれない。ヨガスートラ(1.28–9)によれば、これらの障害はやがてマントラの繰り返しを通して排除される。「ジャパの実践と、神の存在への没頭を通して、うちなる意識が高められ実際化し、自己実現の障害は取り除かれる」。これが自己浄化の本質である。


プラシュチャラナの途中で、これらのいくつかの障害が現れ、強力に決意に挑み損なおうとする。イライラしたり幻滅したりするだろう。しかし、そのまま続ければ、マントラの力が徐々にその不均衡を消していく。アンタラヤは落ち着かない精神の症状であり、ジャパ、特にプラシュチャラナでの強化された形のものは、深く効く薬となる。例えば、疑念(最も破壊的な障害のひとつ)を消すためには、心を強くし、直接的な体験を補わなければならない。これがまさにプラシュチャラナである。精神とマントラが融合し、より高度な知恵の源への熱意が、低度の精神の揺らぎやすさを消し去る。




信念を見つける


先に、プラシュチャラナは、実践の前進と定義できると述べた。この言葉はまた、より信仰心のある2番目の意味をも持つ。プラシュチャラナの伝統的な視点では、前に進ませてくれるのはマントラそのものである。高貴な人物を敬って集会の前方へと案内するように、プラシュチャラナを行うことで、マントラを人生の最前部に置く。そうすれば、マントラはグルとなり、うちなる導きとなり、導き、育み、保護してくれる。


プラシュチャラナを献身的な行いとして理解することは、自身の異なる局面である信念を発見するのに役立つ。全ての霊的な伝統では、信念とは内なる人生の欠かせない要素であると崇められている。バガヴァットギータ(17.3)の洞察的な詩の中で、クリシュナはアルジュナに「人は信念でできている、そしてその信念が何であれ、それがその者である」と言う。パタンジャリもブッダのどちらも、悟りの条件の最初に信念を置いている。その後に、生命力、マインドフルネス、一点への集中、知恵が続く。聖ポールが「信念、希望、そして愛」と書いたことは有名である。


「信念は」クリシュナはギータの中で言う。「自身の性質の清らかさ(サットヴァ)による」。浄化がプラシュチャラナの実践の中心であるため、当然、信念が築かれる。しかし、深いレベルの信念を得るには時間がかかる。私たちは皆、訓練の途中である。信念を広げるには、実践によって感情面の取り組みを養う必要がある。


有用な提案をしよう。快活な心で瞑想すること。楽観的に行うと自身にも他人にも有益であり、それにより自然にうちなる決意が強くなる。信頼を持って実践に身を委ねる、そして、そこスペースから自然に人生を開かせる。マントラとの献身的な関係性を養い、マントラを信じて自身に足りないものをその存在に捧げるという感覚を養う。


シヴァ・スートラによれば、「ひたむきで、注意深い、熱心なアプローチだけが、マントラとの結合へとつながる」瞑想をする時、マントラを気づきの中でしっかりと掴むが硬らせず、マントラを心で掴む力を緩め、そして一時的に発見したランダムなただの音ではなく自身の思考であるかのように唱える。タントラサッドバーダ・タントラは、不注意なマントラの繰り返しは「秋の雲のように役に立たない(雨を降らさない)」と表している。「そこに存在し献身をもってジャパにアプローチする時、マントラの本質と気づきを結びつけることができる。この統合が、信念を支えるのだ。



プラシュチャラナは、瞑想の局面を広げるが、それはなし得る記録や掴み取るメダルがあるからではない。瞑想は内的な旅であり、プラシュチャラナはその探求の境界を拡大する。プラシュチャラナは、自身の決意を強め、聖なるものの探求に心を沈め、純粋な自分自身に近づけてくれるのだ。








(出典)https://yogainternational.com/article/view/advanced-meditation-how-to-do-a-purashcharana

2021年7月5日月曜日

瞑想中級編:プラシュチャラナの行い方 Vol.1
Advanced Meditation: How To Do a Purashcharana

今回は、瞑想の次の段階についてです。
マントラを、比較的長い一定の期間、唱えながら行う瞑想です。
なんだか難しそうだなーと感じるでしょう。
実際には、経験者や指導者について行う方がいいと思います。

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暗い部屋の影を照らす一条の光のように、マントラ瞑想の実践は心のスペースを照らす。マントラは、意識のより高い状態を表現している。瞑想では、マントラはその存在とともに気づきを染み渡らせ、感覚や記憶、想像などとはまったく異なった方法で精神に影響を与える。マントラのひとつひとつの繰り返しは、守護と啓蒙の力で心を満たす。カシミール・シヴァ派のタントリック・テキストであるシヴァ・マントラには、「チッタム・マントラー」(マントラに謳われている本質との深い共鳴を通して、精神はマントラの守護の存在となる)と書かれている。この意味で、精神は瞑想の中で単に変わるのではなく、尊い姿に変わるのだ。


気づきのこのような微細なレベルへの到達は、ゆっくり進むものであり、広い範囲のヨガの実践による目標への遠い道のりである。マントラ意識の途切れのない融合のためのの最も力強い方法のひとつは、プラシュチャラナを行うことである。このシステム的な実践では、決まった期間に毎日。特定の回数のマントラを続けるのだが、ひとつのプラシュチャラナは何ヶ月、何年と続くこともある。このように瞑想の実践を深めることで、マントラのエネルギーが強まり、プラシュチャラナが精神的な進歩を邪魔する障害が取り除かれ、精神が深く浄化される。




プラシュチャラナの最低条件


プラシュチャラナを始めるには、マントラ瞑想の基礎をしっかりと築かなければならない。ビギナーの時は、座り方や呼吸の方法、一点に意識を集中させる方法を学ぶだろう。心が静まる呼吸の音「ソーハム」などの一般的なマントラで実践を重ね、やがて、イニシエーションを通して資格のある指導者から自分のマントラを受けているかもしれない。あるいは、日々の実践のために、ヴェーダの偉大なマントラのひとつ(ガヤトリ・マントラやマハ・ムリットュンジャヤなど)を選んでいるかもしれない。


マントラを意識の中に保ち、一点に集中して繰り返すプロセスを「ジャパ」と呼ぶ。通常のジャパでは、より強められたプラシュチャラナの実践と同様に、マーラを使って、繰り返したマントラの回数を数え続ける。マーラには108個のビーズがあるが、実践の回数を数えやすくするために、一周で100回と数えられる。


瞑想でマントラを唱えることは、よりスムーズに流れるのに役立つ。マントラは、しっかり練習すると、うっとりするようなメロディーのように、自然に心の表面に現れてくる。マントラ自体が唱えるのだ。よく練習されたマントラのペースは、マントラの音節をはっきり発音しなくなるほどより速くなる。しかし、注意はマントラの拍子に乗り、感覚はその音と同化する。自然な暗唱と速い拍子というこの組み合わせが、「アジャパ、ジャパ」と呼ばれる。


通常、長時間のプラシュチャラナを試みる前に、自身のマントラを練習し、アジャパ・ジャパができるようになっているのが最も良い。しかし時には、プラシュチャラナが、自身のマントラとの関係性を、まさに密にする方法でもある。熱意、指導者の助言、あるいはより規律ある実践の必要性が、プラシュチャラナへと導いてくれる。そして同様に、それが完成するまで、熱意と決意が支えてくれるだろう。



プラシュチャラナの始め方


「プラシュ」は「次」「先」を意味し、「チャラナ」は「段階」「進路」を意味する。プラシュチャラナは、実践の「先へ進む次の段階」であり、瞑想を新しいレベルにすることである。


プラシュチャラナの基本的なテクニックは、毎日、決めた回数のマントラを繰り返し、予め決めておいた期間続けること。伝統的に、どんなマントラでも、完全なプラシュチャラナには、マントラの音節数を10万倍した回数を繰り返す。多くのマントラには5ー6の音節があるので、合計50ー60万回の繰り返しとなる。ガヤトリ・マントラは24音節あるので、プラシュチャラナを終えるには240万回の繰り返しが必要となり、無理のないペースで終えるには多くの年数がかかる。


しかし、それよりずっと短い実践でも、深く満足の得られるものになり得る。世界の多くの伝統では、実践するための標準的な期間は40日間である。今までプラシュチャラナをしたことがないなら、40日というのは達成可能で満足のいく前進だ。もっとやりたいと感じるなら、毎日10回の繰り返しを125日続けることで12万5千回行うと良いだろう。


どの実践においても、毎日繰り返す回数は、精神と身体の能力に応じて決めるべきである。マーラを一周完了するのに必要な時間は、マントラの長さと唱える速さによる。マントラが比較的短く、早く流れるような十分な経験があれば、1周するのに数分しかかからないだろう。しかし、マハ・ムリットュンジャヤのような長いマントラは、特に初めは時間がかかるはずだ。


プラシュチャラナの長さについての技術的な詳細は機械的に聞こえるかもしれないが、実践の本質は、もっと微細でもっと深淵だ。プラシュチャラナは、完走するためのレースとは程遠く、人生との対話の始まりである。毎日の実践を終える鍛錬は、安定性と計画が必要となる。これがタパス、つまり霊的な熱を作り、浄化と変容の手段となる。


決意するのは、単に決めた回数のマントラの繰り返しを終えることだけではなく、霊的な目的をもたらす方法として実践を用いるということだ。実践の途中で、自身の興味や気分、時間の過ごし方、自身の抵抗力や耐性について、より気づいて行くだろう。これが、より高みへと目指す原動力となる。プラシュチャラナは、贖罪の手段、償いの方策として、または人生で心が動揺すると感じるものを変化させるために用いることができる。そして、プラシュチャラナを日々の予定に組み入れることで(「いつ食べるのか」「いつ瞑想するのか」)、自身が違ったライフスタイルを選択し、新しい有用な習慣を築き、価値のないものを捨てていることに気づくだろう。



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次回に続きます。