始まりから終わりまで
全てのプラシュチャラナはサンカルパ、つまり、利己的でなく期待をせず実践を終えるという精神的な決意とともに始まる。サンカルパは、分析的な心ではなく、自身の深い部分から湧き上がる直感的な取り組みだ。それによって、正しいことを始めるという自信を得られ、終えるために必要なエネルギーで満たされる。
いつ実践を始めるべきか?伝統では、特に、春や秋、満月、木曜日、早朝という特定の時期を勧めているが、それらはプラシュチャラナを始めるという決意をサポートしてくれる。しかし、最も重要な要素は、指導者の指導やプラシュチャラナが適切であるという自身の決意である。そして、指導者や自身の心のカレンダーが吉兆の時に導いてくれるとき、サンカルパを行って始められる。
目指した回数全てを終えた時は、プラシュチャラナを完結させるための重要な伝統的実践であるホーマを行う。これは、さらに実践全体の10パーセントを儀式の火(ハヴァン)、あるいは臍に存在するうちなる火に捧げることだ。例えば、1万回のプラシュチャラナにはさらに千回を火に向かって捧げる。ホーマは、愛と感謝の表現であり、自然界と内面どちらにも自身を囲むマントラの存在の認知であり、意味のある終わりに導いた無私無欲の最後の表明である。
障害を克服する
ヨガの偉大なる編纂者であるパタンジャリは、霊的な目的から私たちの気をそらせ集中を緩ませる9つの障害(アンタラヤ)を特定している。そのリストをじっくり見ると、自身の実践で特にやっかいな障害を見つけるかもしれない。ヨガスートラ(1.28–9)によれば、これらの障害はやがてマントラの繰り返しを通して排除される。「ジャパの実践と、神の存在への没頭を通して、うちなる意識が高められ実際化し、自己実現の障害は取り除かれる」。これが自己浄化の本質である。
プラシュチャラナの途中で、これらのいくつかの障害が現れ、強力に決意に挑み損なおうとする。イライラしたり幻滅したりするだろう。しかし、そのまま続ければ、マントラの力が徐々にその不均衡を消していく。アンタラヤは落ち着かない精神の症状であり、ジャパ、特にプラシュチャラナでの強化された形のものは、深く効く薬となる。例えば、疑念(最も破壊的な障害のひとつ)を消すためには、心を強くし、直接的な体験を補わなければならない。これがまさにプラシュチャラナである。精神とマントラが融合し、より高度な知恵の源への熱意が、低度の精神の揺らぎやすさを消し去る。
信念を見つける
先に、プラシュチャラナは、実践の前進と定義できると述べた。この言葉はまた、より信仰心のある2番目の意味をも持つ。プラシュチャラナの伝統的な視点では、前に進ませてくれるのはマントラそのものである。高貴な人物を敬って集会の前方へと案内するように、プラシュチャラナを行うことで、マントラを人生の最前部に置く。そうすれば、マントラはグルとなり、うちなる導きとなり、導き、育み、保護してくれる。
プラシュチャラナを献身的な行いとして理解することは、自身の異なる局面である信念を発見するのに役立つ。全ての霊的な伝統では、信念とは内なる人生の欠かせない要素であると崇められている。バガヴァットギータ(17.3)の洞察的な詩の中で、クリシュナはアルジュナに「人は信念でできている、そしてその信念が何であれ、それがその者である」と言う。パタンジャリもブッダのどちらも、悟りの条件の最初に信念を置いている。その後に、生命力、マインドフルネス、一点への集中、知恵が続く。聖ポールが「信念、希望、そして愛」と書いたことは有名である。
「信念は」クリシュナはギータの中で言う。「自身の性質の清らかさ(サットヴァ)による」。浄化がプラシュチャラナの実践の中心であるため、当然、信念が築かれる。しかし、深いレベルの信念を得るには時間がかかる。私たちは皆、訓練の途中である。信念を広げるには、実践によって感情面の取り組みを養う必要がある。
有用な提案をしよう。快活な心で瞑想すること。楽観的に行うと自身にも他人にも有益であり、それにより自然にうちなる決意が強くなる。信頼を持って実践に身を委ねる、そして、そこスペースから自然に人生を開かせる。マントラとの献身的な関係性を養い、マントラを信じて自身に足りないものをその存在に捧げるという感覚を養う。
シヴァ・スートラによれば、「ひたむきで、注意深い、熱心なアプローチだけが、マントラとの結合へとつながる」瞑想をする時、マントラを気づきの中でしっかりと掴むが硬らせず、マントラを心で掴む力を緩め、そして一時的に発見したランダムなただの音ではなく自身の思考であるかのように唱える。タントラサッドバーダ・タントラは、不注意なマントラの繰り返しは「秋の雲のように役に立たない(雨を降らさない)」と表している。「そこに存在し献身をもってジャパにアプローチする時、マントラの本質と気づきを結びつけることができる。この統合が、信念を支えるのだ。
プラシュチャラナは、瞑想の局面を広げるが、それはなし得る記録や掴み取るメダルがあるからではない。瞑想は内的な旅であり、プラシュチャラナはその探求の境界を拡大する。プラシュチャラナは、自身の決意を強め、聖なるものの探求に心を沈め、純粋な自分自身に近づけてくれるのだ。
(出典)https://yogainternational.com/article/view/advanced-meditation-how-to-do-a-purashcharana