2022年9月22日木曜日

エンボディ・ヨガ:ヨガで「体の声を聞く」3つの方法 
Embodied Yoga: 3 Ways to "Listen To Your Body" in Yoga



「体の声を聞きましょう」

なんらかのヨガを練習していたり、今日の健康ムーブメントに注目している人なら、きっとこんな言葉を聞いたことがあるでしょう。こう言って(大抵の)ヨガのインストラクターは、より「エンボディ(訳注:「体現する」「統合する」などの意味があります)」するように促します。「エンボディ」するヨガとは何なのでしょう?どんな感じがするのでしょう?そして、どんな体験なのでしょう?より満足感があって効果のあるヨガの練習のその先に、なぜ、マットの外での日常生活にまで視野を広げていく必要があるのでしょうか?


エンボディすること(エンボディメント)によって、心の状態や体に対するイメージが良くなる、消化力、睡眠の向上など、数えきれないほどの包括的な健康効果を得ることができます。研究が示しているのは、よりセルフケアへと促す効果があり、自己免疫や摂食障害などの困難な症状にも対処する手助けとなります。またエンボディすることで、自分自身とより深く繋がり、より心を健康にする満足感が得られる方法で自分の肌より外側の世界とも繋がることができるようになります。




「エンボディ」しない(切り離す)という危険


その一方で、エンボディしないことは、世の中の景気にとっては良い行動に繋がるかもしれません。けれど、調和の取れた人間として(体や心や魂)はあまり良くないと言えるでしょう。例えば、メディアやポップカルチャーの大騒ぎ、飽食、アルコールなどの濫用は、体に対する気づきが欠けることが元になっているかもしれません。


実際に、そういった商業指向の行動によって、 私たちは現代社会の影響力の狭間でどんどんエンボディメントから離れてしまっています。そういった点において、完璧主義や仕事主義、利己主義とよく合うのです。ですから、エンボディするというのは実は怖く感じるものです。トラウマを持っている場合は、エンボディしないことは、ひとつの生きる戦略ともなります。21世紀に生きる私たちにとって、必ずしも自然にできるというものではないのです。


エンボディするヨガ


あなたのヨガの先生は、おそらく最善の意図を持って「体の声を聞きましょう」と言っているはずです。けれど、時にそれは、真のエンボディメントへ入るには全く不適当である場合もあります。では、真に外側と繋がるために内側と繋がれるよう、より近くそしてより深く近づく方法をいくつか探っていきましょう。



 

1.呼吸を通したエンボディ・ヨガ:友達でレポーターで、そして先生


呼吸はいろんな役割をしてくれます。本当の友達だと私は考えています。深刻な呼吸疾患がない限り、呼吸はいつもずっと、私たちが忘れている時でさえ、そこにいてくれます。前に繋がった時からかなり時間が経っていても、その場所でまたすぐに繋がることができます。呼吸はレポーターで、呼吸が伝える情報をどう解釈するのかを知っていれば、私たちの心や体の中で何が起こっているのかを知ることができます。同様に、呼吸は先生です。今のコンディションや自分をケアするために何が必要かについてたくさんのことを教えてくれます。


流れるようにいろんなヨガのポーズをしたり、ひとつのポーズに止まってそこに何があるのかを見る時、呼吸はこうしたこと以上の働きをします。例えば、呼吸が短く不安定に、浅くなったりし始めていませんか?それは、体の能力以上の練習をしているせいかもしれません。体と心は密接につながっています。短く不安定で浅い呼吸は、自律神経の闘争逃走反応のサインです。体と心が脅威を感じ取って、安全でいられるように反応しているのです。
 

その反対に、ヨガクラスで、呼吸が深く、スムーズで律動的だと感じたことはありますか?そのポーズや動きはおそらくあなたの体がまさに必要としているものでしょう。その練習は、真剣に取り組み続けるための十分なやりがいがあるとともに、ストレス反応を刺激するほどは強くはないということです。



呼吸のメッセージに応える


呼吸からこうしたサインを受け取り、適切に反応できている時、それがエンボディしているということです。それはどう見えるのでしょうか。こうしたサインにエンボディして反応するとはどういうことでしょうか?呼吸が短く不安定で浅い時は、基本的に体はポーズを変えてほしいと伝えています。あるいは、子供のポーズ(バラサナ)や他の休息のポーズで休んだ方がいいのかもしれません。


呼吸が深くスムーズで律動的な時は、そう、おそらく練習や体について何かを学べたはずです。本当にあなたの役に立つのが何かを、より理解したでしょう。それらは時によって変化することもあります。練習や体は流動的で、進化していくものです。例えば、あるシーケンスの練習をしていて呼吸が短く不規則になったからと言って、明日、あるいは来週、来年もそうだとは限りません。その逆もあります。エンボディしたヨガを練習するには、そうした変化とともに流動的に調和し気づくことが必要でもあるのです。




2.脳よ、黙って!:別の形の知性へと目盛りを上げていく


さて、ダンスは芸術的でありながら教育的でもあると私は考えています。人生の3分の2をダンサーとして過ごしてきた私は、ヨガの練習との関係性に興味を持ち続けています。「考えすぎないで」「色々考えるのをやめて」と、先生や振付師から数えきれないほど言われてきました。現在は指導者として、難しい振付や技術を教えるときに、「とにかくやるだけで考えないで。でないと、できないわよ」というようなことをよく言います。


私の先生が目指したもの、そして今私が生徒に対して目指すところは、異なる種類の知性、つまり体の知性を感じ取るよう促すことです。私たちの脳には、時折後ろに下がって、体が一番理解していることを体にさせる必要があります。「ニューエイジ」的な話ではありません。私たちの心臓周り(「心を聞く」)、そして消化管(「直感(心肝)に従う」)には高レベルの神経組織があることが、生体医化学によって裏づけられ始めています。


裏づけの薄いレベルになりますが、体と密に接している人には「筋肉の記憶」があります。時間をかければ、考えないで動けるように筋肉や筋膜を訓練することができるのです。エンボディするヨガの練習で、この体のユニークな知恵である「内受容感覚」を見出すことができます。そして、外の世界とつながって、より体の感覚や空間的な体験「固有受容感覚」が得られるのです。



マインドフルネスで心のお喋りをゆっくりに


明らかに、生活の中では考えること論理的であることが必要がありますが、体や心、精神にとっては多くの雑音を生むことにもなります。その雑音が静まったとき、聞いて求められる値、価値のある多くの知恵がそこにあります。どうすれば、脳を黙らせて他の知性の声を聞くことができるのでしょう?ポーズそのものよりもずっと古代のヨガに答えがあるのは間違いありません。心のお喋りを流し去るための道具を与えてくれるのは、瞑想の実践です。
 

マインドフルネスでは、今体験していることへのひとつ以上の局面に意識を向けることが、心のおしゃべりを消すために役立ちます。例えば、実践中に買い出しのリストについてあれこれ考えていたり、気恥ずかしかったやりとりを何度も思い返したりすることがあるでしょう。これは全くよくあることで、自分を戒める必要はありません。ただそこにいて、そうする、ですよね?


それでは、ローランジ(アンジャネアサナ)でストレッチの感覚に注意を向けることはできますか?胸を骨盤の方へやわらげて、顎を髪の毛一本分だけ上げるとか、徐々に自分のポーズを洗練させると、どんな感じがするでしょう?息を吸い込むときにほんのちょっとだけ背筋を伸ばせますか?そして、息を吐くときにもうちょっとだけ安定感を感じられるでしょうか
?まだ買い出しのことを考えているでしょうか?私たちの体は、ちょっと意識を向けて声を聞くだけで、とても多くの奇跡を与えてくれます。




 

3. エンボディするヨガ:スピードを落として休む


最近の「Yogaland」ポッドキャストのエピソードで、アンドレア・フェレッティとジェイソン・クランデルが、スピードを落とすことのメリットについて議論していました。体の知性に意識を向けるのと同様、それは、雑音の中を通り抜けそれまで聞こえなかったものを受け取るのに役立ちます。具体的にクランデルが語ったのは、心を静かにするようにと言われるリラクゼーションのポーズ、シャヴァサナの間に、精神が明晰になったり問題の解決法が見つかったりする現象でした。


けれど、それを批判はしませんでした。むしろ、スピードを落とすことのメリットだと関連づけていました。私は、その例は体の知性をより表すものだと思います。エンボディして練習して休息を得ると、高度な知恵や創造性、真実の間に立ちはだかるものへと、心がダイアルを下げるのに役立つのです。


けれど、そういったものと繋がるのにシャヴァサナを待つ必要はありません。練習のどんな時でも、もっとゆっくり動いて安定感をも得ることが可能です。刺激や困難は減り、片足のバランスポーズやプレッツェルのように手足を組むポーズに挑戦しているときには気づけなかった運動感覚の情報を認識することができるでしょう。エンボディするヨガとは、「体の声を聞く」という言葉が表現できる以上に、より深く体の声を聞くということなのです。


 

エンボディするヨガ:スピードを落とし、一旦停止し、見るプロセス


本当に見るには、スピードを落とし、一旦停止し、聞こうとしているものにしっかり向きあう必要があります。私たちが聞くもの、学ぶものは、本当に育み成長を助けるような練習へと導いてくれます。見た目のいいポーズが目的ではありません、と先生が言うのを聞いたことがあるかもしれません。それで何を学ぶかが重要なのです。私たちが生徒として本当に準備できた時、体は教えてくれるのです。それがエンボディするヨガなのです。

2022年9月15日木曜日

抑うつを吐いて手放す 
Breathing Away Depression


抑うつを全く感じたことのない人など、ほとんどいないだろう。気分が落ち込んでしまった時には、希望は消え自信もほとんど麻痺してしまう。やらなければならないことは溜まっていく。笑っていつものように対応するが、実は集中できていない。友達に電話することもなく、人と交流する場を避ける。そして、時が経つにつれ、普段ささえてくれるエネルギー源からどんどん切り離されている自分に気づくのだ。


幸いなことに、辛い気分でエネルギーが減退した時の元に戻るなんらかの方法を持っている人がほとんどだ。好きな音楽を聴いたり、読書したり、絵を描いたり、リフレッシュできるようなことをする。大抵の場合は、話をする相手もいる。運動して、散歩して、祈る。治療のために薬が必要な人もいるかもしれない。こうしたことは全て役に立つ可能性があるし、いろんな選択肢を用意しておくことが大切だ。


ヨガの瞑想的な実践には、レパートリーに加えられる簡単で発展的なテクニックがある。リラックスした呼吸への気づきだ。呼吸への気づきは、そもそも抑うつが始まるのを防ぐパワフルなツールであり、突然の抑うつ時にエネルギーを回復させ、感情の負荷を軽くして、悲観的な思考からの必要な距離を作り出してくれる。そして、リラクゼーションの土台や感情の安定性を得られることで、他の治療戦略を補完する。つまり、落ち込んだ気分が人生から喜びを剥ぎ取ろうとする時、呼吸への気づきが継続的で常に利用可能な精神集中となり、健康をとり戻すのを助けてくれる。




命の3つの次元


呼吸への気づきは、どうしてそんなに役に立つのだろうか?呼吸の重要性については、チャンドーギャ・ウパニシャッドの物語の中で強調されている。物語では、目と耳と心と呼吸がそれぞれの重要性について言い争っていた。目と耳は、体を代表して、生命にとって最も欠かすことのできないものだと主張する。しかし心と呼吸は、彼らこそが重要だと言う。この問題を解決するため、1年の間それぞれが体から出て、他のもの達に命を託すことで同意した。4年の後、それぞれが戻ってきた時に勝者が決まることになった。目と耳と心はそれぞれ体を離れたが、盲目でも聾でも昏睡状態であっても、命は続いた。そして呼吸が離れ始めた。突然、まるで綱に繋がれた強硬な馬が地面から足枷を引き裂くかのように、残りの機能が全て失われた。体と心は畏怖におののき、呼吸に戻ってほしいと懇願し、呼吸こそが至上であることを謙虚に受け入れた。


その絶大な重要性にもかかわらず、ほとんどの場合、呼吸は他の活動の背景でしかない。呼吸の絶え間ない流れは、意識の隅にある。そして、呼吸は、常に監視する必要がないという便利な一方で、思いもよらない影響を与えることがある。不適切な呼吸の習慣は、呼吸の有効性を阻む。エネルギーレベルが下がる、呼吸が短くなる、不安、気分が落ち込む、そして集中力が下がるなどは、まさに結果としての症状だ。


上記の物語のように、そして一般的にヨガでは、呼吸とはただ肺の空気の機械的な出し入れ以上のことを意味する。これは単に、心身に命にをもたらすエネルギー領域の最も外側にある局面だ。呼吸のプロセスがこの領域を維持し、老廃物を排出して周囲の大気から新鮮なエネルギーを引き込む。心身の全ての機能は、この生命エネルギーのおかげで働いている。最も目に見えやすいところでは、体の動きを作りだし、さまざまな生理学的な働きをおこなっている。最も微細なレベルでは、心の機能に命を吹き込んでいる。


このエネルギーには、とても簡単に触れることができる。ただ目を閉じて自分に問いかける。今のエネルギーのレベルは10段階でどのあたりだろうか?自分のエネルギーの質をどのように表現するだろう?自分のエネルギーレベルを推測できるという自信を持って、そしてその過程において、自身の内側にあるそのエネルギーの質を感じ取る。自分のこうした面に触れる機会があまりないので、今やった試みで、そうした部分に注意をより向けるようになれるかもしれない。それは、エネルギーが枯渇した時に補給するための最初の重要な一歩だ。



エネルギーと呼吸


体の中のエネルギーシステムは、常に流変化している。急いでバスに乗り込む時には、体のエネルギー出力が必要となる。心配したり考え込むと、より微細なレベルでエネルギーが枯渇する。呼吸はこうした状態の変化に強い影響力を持っているので、体と心のどちらにも影響を与える。深い健康的な呼吸は、回復力のある味方だ。呼吸が不安定で浅い時は、不安の原因があるのだ。


例えば、呼吸が少し止まった時、あるいは通常の呼吸の活気が単に下がった時、心や神経系が活発になり次に何が起こるのかを注視する。呼吸の停止が長くなったり、あるいは無気力で浅くなると、深い場所にある本能が呼吸を促してもう一度動かそうとする。急いで空気を得てエネルギーを補給するために、ため息をついたり、あくびをしていたり、あるいは口呼吸になっているのに気づくかもしれない。呼吸の仕方にも変化があるかもしれない。普段は休んでいる呼吸のための筋肉を使ったり、より呼吸しやすいように姿勢を変えるかもしれない。これらの比較的無意識な呼吸の調整は、体内のエネルギーを通常の状態に戻すためだ。


実際、呼吸を意識的に調節できるということは、訓練すれば、無意識の力だけに頼っている時よりも、より効果的にエネルギーを管理することができるということだ。呼吸を深め、より穏やかに規則的にすることができ、そしてかすかに神経を乱す呼吸停止さえも排除することができる。言い換えれば、呼吸で、体内のエネルギーシステムにアクセスすることができ、それによっていつでも好きな時に向き合えるということだ。


体調が最高だとは感じない時は、努力次第で疲労や憂鬱を減らして新しいエネルギーと入れ替えることが可能だという希望を与えてくれる呼吸という複雑でない戦術が必要なのだ。



呼吸を意識する練習


この呼吸の練習をするには、一番心地よい椅子に座ろう。意識をしばらく体に集中する。椅子が支えてくれているのを感じ、体を休ませよう。少し時間をとってできる限りくつろぐ。そして目を閉じよう。しばらくの間、空気で満たされた大気圏に囲まれたこの惑星、地球に生きていることを思い出してみる。生き物たちはこの大気を分かち合っていて、それは十分に高く、十分に広く、さまざまな全ての命を支えるために十分なほど大きい。みんな、空気とエネルギーの大海の中で呼吸し生きている。


今度は意識を自分の呼吸に向けて、それぞれの呼吸が、吐く息と吸う息で構成されていることも思い起こす。息を吐く間は、肺は空になって老廃物が取り除かれていく。息を吸う間、空気とエネルギーを周りの大気から引き込んで、それで肺を満たしていく。それは十分以上ある。こうして、ひとつひとつの吐き出す息が浄化してくれ、ひとつひとつの吸い込む息が力を与えてくれる。


意識を呼吸の流れに向けてみよう。呼吸が楽に流れるように、お腹とともに、胸郭の横や後ろを和らげる。呼吸の感覚を身体的にしてみる。お腹や肋骨の下部の動きが心地よくリラックスして感じられる。呼吸そのものの感覚に気づき始めよう。それぞれの吐く息の流れが体を空にし、緊張や疲労や老廃物を運び出していくのを感じる。そして、それぞれの吸う息が新鮮なエネルギーや健康で幸福だという感覚を引き込んで満たすのを感じる。心の中に現れて出ていく考えには、あまり意識を集めない。最も意識を集中するのは、呼吸の流れだ。


時間が経つままにする。すると、徐々に呼吸のプロセスの感覚がより深くなってくる。呼吸が空にしていくのを受動的に感じるのではなく、体の疲労、否定的態度や心の暗い部分をそっと集めて、そして吐く息と共に意識的に手放していく。


これを行うのに、憂鬱である必要はない。このように解放できるような疲労や緊張は、常にあるレベルで存在する。しかし、落ち込んだ気分で時間を過ごしているなら、一息ごとに、体や心の中の苦しいという感覚を、流れ出る呼吸の一部として意識的に手放そう。(手のひらにある心の苦痛や疲労感を指を開いて解放するのを思い浮かべるといい。)


今度は、息を吸い込みながら、意識的に新鮮なエネルギーの波が体の中に入ってくるのを受け止めて受け入れよう。それは、自然に体や心に広がって行き、こうしてエネルギーを補給し本来自分のものである幸福感を取り戻すのだ。


心地よくリラックスし続けられるように、必要なら時々姿勢を調整しよう。考え事が現れて消えていくかもしれないが、それは主な集中点ではない。呼吸に集中する。考えが陰鬱なままだったり対処が難しかったりするなら、それにこだわらないことだ。いつでも必要になったら、後で呼吸へ意識を向ける練習ができることに気づいておこう。けれど、練習の間は悩まないでおく。ただ、呼吸の感覚に気づくだけだ。


10分程度経ったのち、ついには、呼吸に気づいて心が徐々に活動的になってくるのに気づくかもしれない。この思考が増えることはいいことだ。心が活気を取り戻しているということだ。だから、呼吸へ意識を向ける静かなひとときから出る時が来たら、ただ両手で目を覆って意識を周りの世界へとそっと引き戻そう。


よければこの練習を1日に2、3回練習してもいいが、一回だけでも驚くほど効果的だ。呼吸は、内側にある尽きることのない源と繋がっているリボンのようなもので、心身を育んでくれる。そして、練習の間に体験した吐く息吸う息は、いつでも感じることが可能だ。呼吸への意識を通して、一息ずつ、健康を取り戻していこう。