2022年9月15日木曜日

抑うつを吐いて手放す 
Breathing Away Depression


抑うつを全く感じたことのない人など、ほとんどいないだろう。気分が落ち込んでしまった時には、希望は消え自信もほとんど麻痺してしまう。やらなければならないことは溜まっていく。笑っていつものように対応するが、実は集中できていない。友達に電話することもなく、人と交流する場を避ける。そして、時が経つにつれ、普段ささえてくれるエネルギー源からどんどん切り離されている自分に気づくのだ。


幸いなことに、辛い気分でエネルギーが減退した時の元に戻るなんらかの方法を持っている人がほとんどだ。好きな音楽を聴いたり、読書したり、絵を描いたり、リフレッシュできるようなことをする。大抵の場合は、話をする相手もいる。運動して、散歩して、祈る。治療のために薬が必要な人もいるかもしれない。こうしたことは全て役に立つ可能性があるし、いろんな選択肢を用意しておくことが大切だ。


ヨガの瞑想的な実践には、レパートリーに加えられる簡単で発展的なテクニックがある。リラックスした呼吸への気づきだ。呼吸への気づきは、そもそも抑うつが始まるのを防ぐパワフルなツールであり、突然の抑うつ時にエネルギーを回復させ、感情の負荷を軽くして、悲観的な思考からの必要な距離を作り出してくれる。そして、リラクゼーションの土台や感情の安定性を得られることで、他の治療戦略を補完する。つまり、落ち込んだ気分が人生から喜びを剥ぎ取ろうとする時、呼吸への気づきが継続的で常に利用可能な精神集中となり、健康をとり戻すのを助けてくれる。




命の3つの次元


呼吸への気づきは、どうしてそんなに役に立つのだろうか?呼吸の重要性については、チャンドーギャ・ウパニシャッドの物語の中で強調されている。物語では、目と耳と心と呼吸がそれぞれの重要性について言い争っていた。目と耳は、体を代表して、生命にとって最も欠かすことのできないものだと主張する。しかし心と呼吸は、彼らこそが重要だと言う。この問題を解決するため、1年の間それぞれが体から出て、他のもの達に命を託すことで同意した。4年の後、それぞれが戻ってきた時に勝者が決まることになった。目と耳と心はそれぞれ体を離れたが、盲目でも聾でも昏睡状態であっても、命は続いた。そして呼吸が離れ始めた。突然、まるで綱に繋がれた強硬な馬が地面から足枷を引き裂くかのように、残りの機能が全て失われた。体と心は畏怖におののき、呼吸に戻ってほしいと懇願し、呼吸こそが至上であることを謙虚に受け入れた。


その絶大な重要性にもかかわらず、ほとんどの場合、呼吸は他の活動の背景でしかない。呼吸の絶え間ない流れは、意識の隅にある。そして、呼吸は、常に監視する必要がないという便利な一方で、思いもよらない影響を与えることがある。不適切な呼吸の習慣は、呼吸の有効性を阻む。エネルギーレベルが下がる、呼吸が短くなる、不安、気分が落ち込む、そして集中力が下がるなどは、まさに結果としての症状だ。


上記の物語のように、そして一般的にヨガでは、呼吸とはただ肺の空気の機械的な出し入れ以上のことを意味する。これは単に、心身に命にをもたらすエネルギー領域の最も外側にある局面だ。呼吸のプロセスがこの領域を維持し、老廃物を排出して周囲の大気から新鮮なエネルギーを引き込む。心身の全ての機能は、この生命エネルギーのおかげで働いている。最も目に見えやすいところでは、体の動きを作りだし、さまざまな生理学的な働きをおこなっている。最も微細なレベルでは、心の機能に命を吹き込んでいる。


このエネルギーには、とても簡単に触れることができる。ただ目を閉じて自分に問いかける。今のエネルギーのレベルは10段階でどのあたりだろうか?自分のエネルギーの質をどのように表現するだろう?自分のエネルギーレベルを推測できるという自信を持って、そしてその過程において、自身の内側にあるそのエネルギーの質を感じ取る。自分のこうした面に触れる機会があまりないので、今やった試みで、そうした部分に注意をより向けるようになれるかもしれない。それは、エネルギーが枯渇した時に補給するための最初の重要な一歩だ。



エネルギーと呼吸


体の中のエネルギーシステムは、常に流変化している。急いでバスに乗り込む時には、体のエネルギー出力が必要となる。心配したり考え込むと、より微細なレベルでエネルギーが枯渇する。呼吸はこうした状態の変化に強い影響力を持っているので、体と心のどちらにも影響を与える。深い健康的な呼吸は、回復力のある味方だ。呼吸が不安定で浅い時は、不安の原因があるのだ。


例えば、呼吸が少し止まった時、あるいは通常の呼吸の活気が単に下がった時、心や神経系が活発になり次に何が起こるのかを注視する。呼吸の停止が長くなったり、あるいは無気力で浅くなると、深い場所にある本能が呼吸を促してもう一度動かそうとする。急いで空気を得てエネルギーを補給するために、ため息をついたり、あくびをしていたり、あるいは口呼吸になっているのに気づくかもしれない。呼吸の仕方にも変化があるかもしれない。普段は休んでいる呼吸のための筋肉を使ったり、より呼吸しやすいように姿勢を変えるかもしれない。これらの比較的無意識な呼吸の調整は、体内のエネルギーを通常の状態に戻すためだ。


実際、呼吸を意識的に調節できるということは、訓練すれば、無意識の力だけに頼っている時よりも、より効果的にエネルギーを管理することができるということだ。呼吸を深め、より穏やかに規則的にすることができ、そしてかすかに神経を乱す呼吸停止さえも排除することができる。言い換えれば、呼吸で、体内のエネルギーシステムにアクセスすることができ、それによっていつでも好きな時に向き合えるということだ。


体調が最高だとは感じない時は、努力次第で疲労や憂鬱を減らして新しいエネルギーと入れ替えることが可能だという希望を与えてくれる呼吸という複雑でない戦術が必要なのだ。



呼吸を意識する練習


この呼吸の練習をするには、一番心地よい椅子に座ろう。意識をしばらく体に集中する。椅子が支えてくれているのを感じ、体を休ませよう。少し時間をとってできる限りくつろぐ。そして目を閉じよう。しばらくの間、空気で満たされた大気圏に囲まれたこの惑星、地球に生きていることを思い出してみる。生き物たちはこの大気を分かち合っていて、それは十分に高く、十分に広く、さまざまな全ての命を支えるために十分なほど大きい。みんな、空気とエネルギーの大海の中で呼吸し生きている。


今度は意識を自分の呼吸に向けて、それぞれの呼吸が、吐く息と吸う息で構成されていることも思い起こす。息を吐く間は、肺は空になって老廃物が取り除かれていく。息を吸う間、空気とエネルギーを周りの大気から引き込んで、それで肺を満たしていく。それは十分以上ある。こうして、ひとつひとつの吐き出す息が浄化してくれ、ひとつひとつの吸い込む息が力を与えてくれる。


意識を呼吸の流れに向けてみよう。呼吸が楽に流れるように、お腹とともに、胸郭の横や後ろを和らげる。呼吸の感覚を身体的にしてみる。お腹や肋骨の下部の動きが心地よくリラックスして感じられる。呼吸そのものの感覚に気づき始めよう。それぞれの吐く息の流れが体を空にし、緊張や疲労や老廃物を運び出していくのを感じる。そして、それぞれの吸う息が新鮮なエネルギーや健康で幸福だという感覚を引き込んで満たすのを感じる。心の中に現れて出ていく考えには、あまり意識を集めない。最も意識を集中するのは、呼吸の流れだ。


時間が経つままにする。すると、徐々に呼吸のプロセスの感覚がより深くなってくる。呼吸が空にしていくのを受動的に感じるのではなく、体の疲労、否定的態度や心の暗い部分をそっと集めて、そして吐く息と共に意識的に手放していく。


これを行うのに、憂鬱である必要はない。このように解放できるような疲労や緊張は、常にあるレベルで存在する。しかし、落ち込んだ気分で時間を過ごしているなら、一息ごとに、体や心の中の苦しいという感覚を、流れ出る呼吸の一部として意識的に手放そう。(手のひらにある心の苦痛や疲労感を指を開いて解放するのを思い浮かべるといい。)


今度は、息を吸い込みながら、意識的に新鮮なエネルギーの波が体の中に入ってくるのを受け止めて受け入れよう。それは、自然に体や心に広がって行き、こうしてエネルギーを補給し本来自分のものである幸福感を取り戻すのだ。


心地よくリラックスし続けられるように、必要なら時々姿勢を調整しよう。考え事が現れて消えていくかもしれないが、それは主な集中点ではない。呼吸に集中する。考えが陰鬱なままだったり対処が難しかったりするなら、それにこだわらないことだ。いつでも必要になったら、後で呼吸へ意識を向ける練習ができることに気づいておこう。けれど、練習の間は悩まないでおく。ただ、呼吸の感覚に気づくだけだ。


10分程度経ったのち、ついには、呼吸に気づいて心が徐々に活動的になってくるのに気づくかもしれない。この思考が増えることはいいことだ。心が活気を取り戻しているということだ。だから、呼吸へ意識を向ける静かなひとときから出る時が来たら、ただ両手で目を覆って意識を周りの世界へとそっと引き戻そう。


よければこの練習を1日に2、3回練習してもいいが、一回だけでも驚くほど効果的だ。呼吸は、内側にある尽きることのない源と繋がっているリボンのようなもので、心身を育んでくれる。そして、練習の間に体験した吐く息吸う息は、いつでも感じることが可能だ。呼吸への意識を通して、一息ずつ、健康を取り戻していこう。



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