2023年12月18日月曜日

ヨガの生命の樹
The Yogic Tree of Life



ほとんどの人にとって、樹木というのは地面から育つのが普通ですが、ヨガ的には樹木は逆さに成長します。「アシュワッタという永遠の木がある。その根は上にあり、枝は下にある」と、死の神秘を明かすヨガの書物であるカタ・ウパニシャッドでそう語られています。ヨガマスターや、シベリアのシャーマン、ペルシャの司祭、古代ケルト族、そしてバイキングたちもこの木のことをよく知っていました。


私の祖父母がイッグドラシルと呼ぶこの驚くべき木は、ノルウェーでは空から地面に向かって育つといいます。オーディンやトールなどの北欧の神は、私たちとは異なる枝に住んでしました。実際に古代のイギリス人たちは、自分たちのことを「ドルイド」つまり「その木を知る者」と呼んでいました。しかし、私がヨガを学び始めるまで、この逆さの木がいったい何なのか知りませんでした。


私が知る限りアシュワッタについて語る最古のものは、5000年以上前にインドで編纂されたリグ・ヴェーダです。「その木とは何か?何でできた木なのか?それが形作られているのは地なのか天なのか?」インド古代聖者たちは、文字通りその木を空に置きました。夜に外に出て、黄道(太陽や惑星の通り道)が天の川と交差するあたりの蠍座を探してみましょう。そこには、ヨギがムーラ「根」と呼ぶ空の蠍の尻尾に小さな星座が見えるでしょう。これが、世界の木が育つ天界の根です。ここはまた銀河の中心でもあるという驚くべき偶然が、もしあなたが偶然を信じるならですが、起こっています。


空に散らばる星たちを十二宮を逆さに辿っていくと、蠍座にアシュワッタの幹が生えていて、天秤座の方へ腕を伸ばしていて(インド星座では「分かれた枝」という意味のヴィシャカ)、そして獅子座や乙女座にある枝に実をつけています(「木の実」という意味のファルグニと呼ばれます)。古代聖者はここにカニャという若い女性を置きます(乙女座)。彼女は、木の実に片手を伸ばしています(からす座はハスタと呼ばれ「手」を意味します)。そしてそこで彼女の隣で木に巻きついた長い蛇がうみへび座で、古代インドではアシュレシャ「蛇の王」と言いました。インドの伝説によれば、この木の実はヨギ以外は食べてはいけませんでした。そのすざましい力は彼らにしか扱えなかったからです。


さて、ここでびっくりです。古代のインドやイランでは、天空の木は一本ではなく二本あったというのです。一方は金の実をつけ、もう一方は銀の実をつけます。これらは、蛇がイブに食べるよう誘惑した、聖書の知識の木やエデンの園の生命の樹を思い出させませんか?モヘンジョダロ(パキスタンの遺跡)で発見された粘土版の記述から、聖書の最古の部分がが編纂された1000年以上も前にインドではアシュワッタの木が崇められていたことがわかっています。古代アッシリア人もまた、女神イシュタル(乙女座)が世界の木のかたわらでライオン(獅子座)の上に立つ絵を残しています。これら星座の神話は、おそらく聖書のアダムとイブの物語の原型なのでしょう。イブは、黄道に沿ってなる木の実に手を伸ばしています。インドでは、ヨガの書物の中で十二宮のある黄道をアディチャスと呼び、木の実を食べたアダムとイブがとらわれてしまった死と再生の車輪、つまりサムサラ(輪廻転生)を表します。


ヨガの伝統では、行動の結果(木の実)への執着をなくすよう学びます。それはカルマをより複雑にするだけだからです。


ノルウェー神話では、木の世話をする三人の庭師が出てきます。一人目は過去を知るウルドという老婆で、二人目は現在を知るヴェルダンディという若い女性、最後は未来を知るロヒニという無垢な女の子で牡牛座の星アルデバランに関係があります。若いヴェルダンディはインドではチトラと呼ばれますが、西洋の天文学者からは乙女座のスピカとして知られます。運命をコントロールするとバイキングが信じている恐ろしい老婆のウルドは、インドの人がジェスタと呼ぶ赤く輝く星、蠍座のアンタレスです。この3つの星はそれぞれがほとんど同じ距離で離れていて、4方角を示す伝統的な天空の指標のうちの3つです。


古代インドで最も重要な儀式、馬の供犠で、この3つの星を表す3人の女性が儀式の頂点で午に手を置きます。この馬の供犠との関係が特に興味深いところは、世界の木の意味を持つアシュワッタは、実は「馬が立っている場所」という意味だということです。天空の馬とはもちろんペガサス座で、サンスクリットではダディクラス、4つ目の指標です。ペガサスは、天の北極の周りを永遠に駆け続けます。天の北極は、動くことのない北の空の一つの点です。それ以外の天空の全ては、周りを動きます。それは、時や変化の外にある魂を表します。私たちの内なる魂は完全な静寂の場所から、まるで回転する独楽の動かない車軸のように、周りで起こる物事を観察しているのです。


ノルウェーの天の北極はふたつめの木で、黄道の周りを回っている善悪の知識の木と直角に立っています。この北の木の銀の実は、有名なヨギの不死の蜜であるソーマの源です。これが、アダムとイブが食べることを禁じられた生命の樹です。カタ・ウパニシャッドは、わかりやすく暗示しています。「アシュワッタと呼ばれる永遠の木がある。その根は上に、枝は下にある。その輝く根はブラフマン、至高の真実と呼ばれ、それのみで死を超える。この世に存在する全てはその一点に根ざしている。それを超えるものは何もない」ウパニシャッドは、アシュワッタの樹の輝く根、つまり動かぬ一点を自分自身の中に見つけなさいと伝えているのです。では、実際にはどうすればいいのでしょうか?


ヨガで馬が象徴するのはプラナ、生命の呼吸です。呼吸は、ペガサスが北極星に繋ぎ止められているように、私たちの心に繋ぎ止められています。呼吸の周期は、ペガサスが天空を終わることなく回り続けるように、何度も何度も巡ります。しかし、ヨギたちは、自分の存在の動かない中心に意識を統合し、呼吸をゆっくりに、そして最後には呼吸を止める方法を知っています。これがサマディの状態で、瞑想の最も深いレベルです。


深い瞑想の中で、木に登り始めることができます。あなたの中にあるアシュワッタは背骨です。背骨の最下部にあるムーラダーラ・チャクラのことを根のチャクラと言いますが、超自然の根は実際には頭頂にあるサハスララ・チャクラにあり、そこが聖なる意識のある中心です。それが目覚めるのは、自身の外にある実を欲するのをやめ、内側に意識を向ける時です。そして、意識の力であるクンダリニの蛇が背骨に対応する微細な経路を頭頂へと上り始めます。インドからスカンジナビアに渡る世界の樹にまつわる伝説はどちらも、蛇が辿り着こうとする樹のてっぺんの近くに鷲がいると伝えています。鷲とはアジナ・チャクラで、眉間の後方にある意識の中心です。蛇が鷲を過ぎて超自然的な神経樹の最高地点に達した時、悟りが開かれると言われています。


バガヴァッドギータで、最上のヨギであるクリシュナは言います。全ての樹の中で聖なる意識が最も存在しているのはアシュワッタであると。もうひとつの聖典バガヴァータ・プルナでは、クリシュナは死の間際、意識を内なる存在へと引き入れアシュワッタの樹に沈思したと伝えています。死の時にすべての意識を内なるアシュワッタの天空の根に向けることができれば、ヨガの実践において何か素晴らしいことを成し遂げたといえるでしょう。






ところで、アシュワッタの木は実際に存在します。植物学者はそれをインド菩提樹と呼びます。その木の下に座って、ブッダは悟りを開きました。バニヤンツリーの一種で、最初は地面から生えますがその後たくさんの根を枝から下に伸ばします。その先が地面に到達すると、それがまた根となり新しい樹となります。このように、ひとつのアシュワッタがアシュワッタの森となります。そこで「どれが元の木なんだろう」と自問した時、森に生えている全ての木が実は元の木なのだということに気づくのです。見た目はたくさんの木が生えているようですが、本当はたったの一本なのです。古代のヨギが世界を象徴するためにアシュワッタを選んだのは、それを完璧に表すからです。この世の全ては別々のものに見えるけれど、真実は、全てのものは同じ永遠の源を共有しているのです。