2026年2月10日火曜日

無意識を見出す:感情的な癒しのための瞑想
Uncovering the Unconscious: Meditation for Emotional Healing



ヨガの視点からみれば、精神とは意識の洗練された道具です。外の世界と繋がり、精神体験の膨大な領域を与え、純粋な意識そのものへの橋わたしの役割を果たしています。精神の全体像を理解することで瞑想や日常生活がより楽に行えるようになります。


ヨガでは精神活動を、マナス(下位あるいは感覚的な精神)、ブッディ(内なる目撃者)、チッタ(記憶の基盤)、アハムカラ(自性)の4つに区別しています。最初の2つのマナスとブッディは前回「瞑想のための精神世界への地図」の中心でした。


瞑想中、意識している精神であるマナスは静かに集中しています。感覚(マナスと外の世界の間の通路)は感覚の対象への接触をやめます。想像力は弛緩し、穏やかな集中が築かれ、通常の精神を今という瞬間へともたらします。そのように、瞑想中は精神活動の日常の行動が集められ統合されます。


マナスのこうした変容は、ブッディの変化でより深くなります。ブッディは、道徳感を持ち、自己認識が可能な精神です。マナスが静まるとともに、ブッディが覚醒します。これは、意識の静かな展開として体験されます。ブッディが覚醒すると、意識はよりはっきりと輝きます。意識と心の中身の間にかすかな距離ができます。そうして、瞑想者は精神体験の静かな目撃者となるのです。



記憶


チッタは体験を記憶に留めることのできる精神です。印象や習慣、欲求などを溜めた広大な貯水地です。この無意識の貯蔵庫では、未来の種が、今の体験によって植え付けられます。


チッタは湖のようであり、体験のさまざまな川がその水の中にいつも流れこんでいます。こうした川は周囲の世界での敬遠から湧き起こります。見て、聞いて、味わって、匂いを嗅いで、触れます。しかしチッタはまた、精神そのものの中で起こったプロセスの経験も記録します。好きな歌の歌詞を思い出す度、より深くチッタに固定されていきます。


これらの経験で集めた情報は、無意識の中で停止しています。しかし記憶は、新鮮な体験に役立つためこの湖の表面に現れます。そのようにして、シャワーをしている時に突然好きな歌が頭に浮かんだりするのです。


しかし、無意識の中に貯蔵されたものをあまりにも狭い意味で定義するなら、チッタの本当の重要性の理解を見誤るでしょう。精神は、単に事実を不毛な情報だと保存するわけではありません。経験はもっと複雑なのです。それは感情的です。


桃を食べるのは好きだ。梨は、なぜか、好きではない。あの店でみたシャツは魅力的だが、その価格には狼狽してしまう。感情を体験に貼り付け、そして真実と心の中にある感情の組み合わせを残すのです。


喜びや痛みは感情の源です。それらによって、好き嫌い、欲しい物、願い、反感、切望、嫌悪、向上心などが起こります。誰もが幸福を追い求め、痛みを避けます。よって、チッタに保存された体験の種は無作為に置かれているのではなく、適切であろうがなかろうが、未来のための欲望が付いてきます。



動く心


瞑想中、精神の意識的な活動は主としてマナスとブッディの領域ですが、徐々に認識されうまく操れるようになります。これが瞑想の主な目的です。しかし、これまで見てきたように、心は無意識の中の印象も保存しています。こうした印象はサムスカラと呼ばれ、活動を始めるまでは姿を現しません。瞑想では、こうした隠れた印象にもある方法で取り組まなければなりません。その時に初めて、瞑想によって奥深くにある癒しや精神の本質的な要素の統合が可能になります。


スワミ・ラーマは、瞑想の始まりを覚えやすい方法で表現しました。あなたの足の親指を掴もうとしている人がいるとしましょう、と彼は言います。初めは面白がってあなたにもちょっとした影響があるふりをするかもしれません。しかし時間が経つにつれて、あなたは指をくねくね動かしてその人が掴もうとするのをやめさせようとするかもしれません。それが失敗に終わると、あなたはもっと力を入れて足を振り、それでもダメなら、そのやっかいな指つかみ屋を蹴って苛立ちを取り除こうとするかもしれません。


彼によれば、瞑想中に挑む苦悩もそれにとても似ています。精神を集中させるのは、足の指で精神を掴むようなものです。最初、心は勝手に動き回りって、ほんの時々あなたが真剣かどうか見るためにくねくねします。しかしそのうち、心の中の力が自由を求めて外に出ようとします。心はどんどん落ち着かなくなって、とうとう瞑想のプロセスを蹴って集中を振り切ろうとします。


こうした心の反応への解決法は、マナスを休ませる訓練をすることで、集中を深める際に自然に湧き起こるプロセスです。内なる目撃者であるブッディの本来の機能もまた、心の不安定さを鎮めます。


しかし、心の落ち着かなさというのは、多くは無意識、すなわち認識に向かって上へと押し上げるサムスカラの力の結果です。全ての瞑想者は、そうした思考に邪魔される体験を経験しています。一瞬で、「ここ」からどこか遠くの「あっち」に移動したり、一点集中から「あれを友達に言わなきゃよかった」に移動してしまいます。気を逸らす印象は、チッタの本質の一部です。機会があれば、瞑想の静けさの中に現れます。


こうした印象のいくつかは、気をつけなければいけない義務や時事問題だったり、希望や将来設計だったり、ニュースや天気予報、娯楽番組の映像だったり、ずっと忘れていた夢だったりします。良くも悪くも、感情は、水面を求めて湧き上がる泡のように、そうした印象とともに認識されるのです。


瞑想でのこうした印象の影響は、それらにどれほどの注意を払うかに拠ります。ある思考は重要で熟考する必要があるでしょう。他の思考は、不安や欲求によって掻き立てられ、瞑想のプロセスには必要がないでしょう。瞑想が深まるにつれ、前向きな思考ですら落ち着いた集中に道を開けるよう傍に移動します。



無意識の変容


そこにある印象の集まりを変化させたり取り除くために、無意識へと直接入っていくことはできません。しかし、瞑想はそれでもやはり無意識に影響を与えます。問題はどのように、です。


チッタの働きを思い出してみましょう。体験の倉庫であり、隠れた印象の貯蔵庫です。そこには楽しい体験も不快な体験もあって、後にこの同じ印象によって影響されます。こうして、心はさまざまに異なる質や強さの数えきれない体験によって色付けされています。


瞑想そのものは体験あり、チッタに蓄積されます。瞑想体験は、他の体験と同じくチッタの色を変化させます。記憶の中で他の体験が蓄積されるのと同様に、瞑想は心の奥深くに到達しその微かな印象を残します。しかし、瞑想は単なる新しい色ではありません。瞑想は色の変容です。微笑みが憂鬱な表情を変えるように、無意識を変容させます。



集中と手放し


チッタを変容するために瞑想では二つの方法が使われ、お互いに補完し合っています。一つ目は穏やかな集中です。二つ目は、気を散らし邪魔をする思考の洗練された手放しです。これらは伝統的な瞑想テクニックで、パタンジャリのヨガスートラ(1.12)やバガヴァットギータ(6.35)のどちらにも書かれています。


瞑想中、注意を徐々に瞑想的な集中へと移動することを身につけます。心を中心に集めることに集中します。この忍耐の必要な作業の成果は深遠です。瞑想は非生産的でつまらないように見えるかもしれませんが、真実はその真逆です。どの瞬間も、リラックスした集中の印象がチッタに蓄積されます。こうした印象が、心を明晰さと穏やかさへと導き、心を鎮めて瞑想の質を高めます。


しかし、手放しを養う努力はどうなのでしょう?瞑想中の非執着は、逆説的なアプローチが必要とされます。最初は湧き上がる気を散らす思考を、押しのけるのではなく受け入れることを学ばなければなりません。自分自身と戦っても仕方がないのです。瞑想で現れる思考、欲望、希望、夢、恐怖などは全て、少なくとも今の段階では、私たちの一部なのです。ですから、そうした思考が邪魔だったりつらいものであっても、受け入れることが必要なのです。そうすることで初めて、それをそのままの姿で見ることができ、その繊細さと動機の力を見ることが可能になります。


しかし、こうした気を散らす物を、意識の主な集中点にしてはいけません。通り過ぎる思考を見て、新しいエネルギーを与えることなく、それらの飢えた性質を観察するのです。心の表面に現れるものをしっかりと受け入れながら、執着せずに見ることで、チッタを浄化し、雑念の動きを緩め、心の集中力を高めるのです。


集中と手放し。これが深い瞑想の方法です。忍耐と自己需要の種を植え付けます。隠れた動機をあらわにし、利己的でない意思を強めます。自身の意識と無意識の要素間の会話を行い、チッタの変容の中で、心のより長く続く幸福への道を開くのです。







(出典)https://yogainternational.com/article/view/uncovering-the-unconscious-meditation-for-emotional-healing/


2026年2月6日金曜日

瞑想のための精神世界への地図 
A Meditator’s Map to the Mind


精神はまさに束縛と解脱の原因である
アムリタビンドゥ・ウパニシャッド(第二節)



ヨガの文献は、精神は心の道具だと述べています。記憶を保管し、希望や欲望を示し、日々の活動を調整します。しかし、日々の暮らしで中心の役割であるにもかかわらず、私たちはその精神そのものについてあまり考えません。「精神」とは何なのかを簡単にでも定義できる人もほとんどいません。


瞑想の実践者にとって、精神世界の実用的な知識とは地図のような者です。瞑想でどこに向かうのかどのように向かうのかを教えてくれます。幸い、ヨガ哲学は瞑想の実践を補う精神の地図を与えてくれています。物事を新しい方法で見るための扉を開け、私たちが何なのかの問題を解く手助けをしてくれます。では、瞑想でこの地図が示してくれる精神について見ていきましょう。



精神の風景


体験をまとめるためには、精神は体とつながらなければなりません。精神が外の世界の印象を受けとって外の世界で行動するのは、感覚の経路や感覚器(目、耳、手足など)を通してです。ですから精神と体は巧妙に統合されたチームなのです。


精神の機能に途切れはありませんが、ヨガではその活動を4つの領域に分けています。ひとつ目は日々の意識的な精神、マナスです。次に、微細で静かな体験の目撃者、ブッディ。三つ目は、個人、自己像という感覚であるアハムカラ。最後に、習慣や潜在的な印象(サムスカラ)の保管庫として働く、無意識にあるチッタです。






日々の精神


日々の精神であるマナスは、多くの場合「下位の」精神あるいは「世俗的な」精神と呼ばれます。マナスは、意識のスクリーンとして働き、外の世界の感覚的印象とすでに精神に保存された体験とを混ぜ合わせます。マナスの作用を通して、私たちは、錆色の腹をした羽の生えた生き物を見て、朝早くに始める歌を聞き、そしてその名前はロビンだと覚えているのです。


マナスまた、「どっちつかずの」精神とも呼ばれますが、それは情報を集めたり表示するのは得意なのに決断をするのは苦手だからです。休暇の行き先を選び、旅行に最適の日を選び、ルートを計画し、全旅程の費用を計算できます。しかし、行くか行かないかの決断はしないのです。結論には辿り着けません。そのため、行動の価値を特定する役目をもつ精神であるブッディを使う必要があります。


少し時間をとって、あなたのマナスの働きを確認してみましょう。以下を読んでから、少しとどまってあなたの周りの環境を受け止めてみましょう。

  • 意識のスクリーンに映り出される世界を見る

  • 耳から入ってくる周りの音を聞く

  • 触覚、味覚、嗅覚ももまた認識の多次元的なスクリーンにある意識に完全に溶け込んでいる様子に気づく

  • いかに周囲の物をすぐに認識できるか(名前がわかる、あるいはただ認識できる)、そして一貫性のある環境を組み立てることができるかに気づく

重要なのは、精神のスクリーンは外の世界からの印象を記録するだけでなく、印象を色付けすることにも気づいておくことです。過去の記憶は世界、未来のイメージ、現在の形と直面します。ブンブン飛ぶ蜂から逃げて、ふわふわの子猫を抱き上げます。セイリングのイメージは魅力的ですが、あなたのマナスが「日焼け止めを忘れないで!」と言います。欲望も記憶のどちらも常に思考の内容を形作っているのです。




静かなる目撃者


日々の精神というたくさんの活動を考えると、マナスが精神のCEOだと考えるかもしれません。その光景はいつも忙しく、歩いている時も夢を見ている時、夢を見ないで寝ている時もずっと続いています。しかし、その活動は仮面のような物で、人生のより深い次元を隠しています。瞑想者は、慌ただしいこのマスクに隠されたものを見て、もっと心を掴む精神の自然な穏やかさを見出せるようになります。


まさに、マナスの活動は眠りのようなものだと表現されることもあります。マナスは感覚的な体験や直感的な衝動を満足させること、日々の快楽の追求に焦点を向けています。ですから、うちから湧き上がる声は「起きろ!自分自身に戻れ!」と言っているのです。これが瞑想の目的であり精神的な旅のゴールです。けれど、それはどのようにして達成できるのでしょうか?


瞑想者にとっての第一歩は、下位の精神に安定した集中をすることです。通常その集中は呼吸やマントラなどです。これが意識を休ませるプロセスの始まりです。これを行うと、忙しい感覚が(空想の感覚も含む)あとからついてきます。静まりリラックスします。このように、精神に焦点を与えることでマナスの活動を落ち着かせることができます。


マナスが静まって落ち着くと、あなたは覚醒し始めます。静かな目撃者としての自分自身、すなわち他の精神活動を静かに観察する意識の中心への気づきを養います。


こうした覚醒が可能な意識の機能がブッディです。この言葉はサンスクリット語で覚醒するという意味の「Budh」からきています。興味深いことに、これはまさに瞑想中に起こっていることです。意識の静かな変化が起こり、マナスの注意散漫な感情が静まり、より穏やかで安定した精神が覚醒します。


ブッディの語源の動詞には他の意味もあり、どちらも瞑想中の精神の質に関係します。例えば、「意識を取り戻す」すなわちより深みにある自身の認識を取り戻すということ、または「注意を払う」すなわち精神を散漫にさせずに意識を集中させるということです。



これを感じるための簡単な実験をしましょう。目を閉じて呼吸の流れを感じ、以下の指示通りに行ってみましょう。

  • 数分間、力が抜けて吐く息と吸う息の心地よい感覚に意識が向くまで呼吸に集中します

  • 自身が呼吸をしているのではないというとてもシンプルなことに気づき始めます。自分は意識であり、呼吸の感覚を体験しているのです。

  • ブッディが何かをしているのを感じることはありません、が、静かに存在していることを感じます。ブッディである自身は、静かで穏やかな意識です。

  • そのまま呼吸を見つめながら精神を休ませます。マナスが落ち着いたら、そしてこのように注意が落ち着いたら、下位の精神を超えて進むことが可能です。精神活動を見ている自身に気づきます。


旅はここで終わりません。瞑想中は、無意識であるチッタに保存された体験の多数の層へ注意喚起する雑念が現れます。ブッディは、思考や感情、のちに日々の習慣やふるまいという形をとるこれらの印象を深く調べます。このプロセスで、ブッディは、思考(「休暇だ!」)を観察して保存し、その意味(「一年ぶりだ!」)の理解を形づくり、そして決定します。この決定は、執着に基づく物であれば馬鹿げた物にもなり得ますし(「何がなんでも行くぞ!」)、本当の必要性の評価に基づいていれば賢明なものにもなり得ます(「待望の休息が取れる」)。ブッディは決定者であり、覚醒していれば賢明な決定をすることを学びます。


しかしブッディが覚醒している間、日々の生活で助けてくれますが、瞑想の目的はただより良い決定をすることでも、より多くの人生経験を可能にすることでもありません。ブッディの覚醒は、自分自身に戻るのに役立つのです。自覚している意識の源であるうちなる真我の覚醒を取り戻す方法を示してくれるのです。


このプロセスはゆっくりと徐々に展開しますが、地図のない領域というわけではありません。自身を落ち着かせることから始め、下位の精神の活動を観察することを学び、内なる目撃者ブッディを覚醒させます。次回は、瞑想中の、無意識(チッタ)に対処する方法、自性(アハムカラ)を操る方法についてお話しましょう。ですが、今は、瞑想のために座って、精神の領域を認識するところから始めましょう。これ以上に美しく複雑な光景は、この世にありません。




2026年2月2日月曜日

精神の仕組み 
Anatomy of the Mind



ここでは、人間の精神の4つの局面と、瞑想がそれぞれの局面に与える影響について簡単に説明しましょう。







マナスは、日々の意識的な精神で、感覚の調整役であり、思考や印象を映し出す精神のスクリーンです。瞑想ではマナスは鎮静しています。マナスのエネルギーは、移り変わるのではなく集められます。感覚の動きは静まり、とりとめのない思考は落ち着き、注意が明瞭になります。


マナスが鎮まると、より洞察のある精神のブッディが目覚めます。ブッディは体験に意味や価値を与えます。瞑想の実践を通して、ブッディは精神活動を目撃し、心に平穏をもたらします。ブッディが清められると、意識そのものが洗練されて現れます。


チッタは、過去の思考や体験の無意識的な倉庫で、記憶が休む場所です。印象を蓄積し今の心象と混ぜ合わせて、体験を理解し豊かにします。蓄積された印象は、習慣や欲望という形をとってマナスへと戻ります。瞑想をしていると、これが空想や雑念、単なる欲望、強い感情の衝動という形をとることもあります。しかし、瞑想とは、チッタにおける平穏の印象や集中のプロセスです。それが次の瞑想を助けてくれるでしょう。


アハムカラという精神は、「私」の作り手です。「私」という言葉を使う時、この精神そのものに築かれた個人というアイデンティティを指します。あまり重要でない意味では、私たちは制限された自分自身に固執しています。エゴとそれが同一視するものを離しません。しかし、私たちはみな純粋意識、真我という広大な領域の現れでもあります。瞑想は徐々に間違った個人の認識を消し、深い真我に気づかせてくれます。







2026年1月30日金曜日

ヨガセラピー:今も生きる癒しの伝統
Yoga Therapy: A Living Healing Tradition

ヨガセラピーの背景にある哲学、考え方についての記事です。
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ヨガセラピーは現代社会の新しい新興の職業ではありますが、その起源はヴェーダの教えや科学など数千年前にさかのぼります。古人は自らの深い精神の旅から、人の健康状態の本質への深淵な洞察を生み出し、またその理解や全てのレベルにおける苦痛を変換することについての広範囲の教えや力強い実践法をも生み出しました。



この伝統によればヨガセラピーとは、ヨガとアーユルヴェーダを合成したヨガの一種であり、多くの場合、ジョティシュ(ヴェーダの占星術)やさまざまな派閥の信仰から派生した儀式慣習の概念を含みます。この療法におけるヨガの手法やテクニックの応用はヨガ・チキッサと呼ばれていました。新興の職業としてのヨガ・チキッサは伝統的な治療法であり、体調や感情、考え方、食事、行動パターン、ライフスタイルや人間関係、生活し働く環境など全てが密接に関係し合っており私たちの健康にも関係しているいう認識のもとに成り立っています。



ヨガセラピーは、現代の西洋医学における問題のいくつかを改善するためにきわめて重要な役割を持っています。その役割とは、ひとつには、病気や医師中心の枠組みから、ウェルネスやホリスティックなセルフケアに基づいた枠組みへの移行を促すことです。ヨガのコミュニティは、こうした教えを信頼できる合法的な方法で伝えていくという素晴らしい機会と責任の両方を担っています。その責任を果たすには、こうした教えを研究し続けること、伝統の深い洞察を熟慮すること、そして変換の可能性を実践を通して経験することなどによって可能になります。ヨガセラピーの幅広さ深さ、ヨガ哲学との本質的な関連性を解明するために、基本的な見識や中心にある教え、ヨガセラピーの真の伝統のための基礎を築いている元となる実践法を、私はよく垣間見ています。






ヨガの起源は、シュルティと総称されているインド亜大陸に発生した古代文化の文献ヴェーダの中にあります。ヴェーダから、文化や文脈に関係なく全ての人間に永遠に関連すると考えられ発展した、現存する一連の教えが生まれました。こうした教えは、人生のあらゆる場面での体験すべての局面を網羅する深い洞察と実践法を与えてくれます。



ヴェーダの文献は、論証的な哲学様式で編纂されてはいません。詩的であり非直線的で、つまり理解するには複雑で困難です。それらを説明するために偉大な指導者らが解説しました。こうした解説文は哲学的な散文形式をとり、総じてシュルティを呼ばれる口頭で伝えられ、そのように記憶されました。こうしたシステムの最古のものがサンキャで、偉大なる聖カピラによって作られました。サンキャのシステムは、ヨガスートラに記録されたパタンジャリのヨガ哲学の形而上の基礎を形作りました。このように、ヨガは実用的なサンキャ哲学だと考えられるでしょう。



ヨガの観点を伝えるヴェーダ文献にある最も基本となる洞察のいくつかは、アートマン(純粋意識)とブラフマン(絶対的真実)の概念を含みます。ドゥーカ(苦痛)の真実、苦痛を乗り越えるためのヴィディヤ(知識)の探究、そして人間の多次元的モデルなどです。
ヴェーダの哲学的解説の中には、万物の基本要素の法則を列挙するサンキャによる形而上の宇宙論があります。このシステムの中にカピラが示すのは二元性であり、見る者プルシャ、そして見られる者プラクリティです。基本的な前提は、見る者と見られる者を識別することで私たちは苦痛から解放されるということです。



この基本の上に築かれたヨガの伝統が主張するのは、私たちは本質的には変化し続ける多元的な宇宙の中に存在する純粋な意識の変化しない源だということです。純粋意識の中心はヴェーダではアートマンと呼ばれ、サンキャ哲学やヨガではプルシャと呼ばれます。文字通り「街に住む者」であるプルシャは多元的宇宙に住んでいますが、その宇宙とは、思考や感情、身体など自分自身の一部だと通常思っているもの、そして家族や社会ネットワーク、自然界など自分自身の外側にあると思っているものという観念を含みます。この視点から見ると、この見える存在全ては変わり続ける広大さの中のはかない収束現象としてのみ存在しています。基本的にヨガは、私たちはこうした変化するものではなく、間違って自分を認識しそれに執着することで苦痛が起こるのだといいます。



実際的レベルでは、プルシャから生じる知性の応用を通して、そして正しい方法で行うことで、これらの次元すべての変化の方向に影響を与えることができるとヨガは教えてくれます。それぞれの次元での関係性を向上すれば、誤った識別をし続け苦痛を感じ続けるよりも、自分が何なのかを明らかに見られるようになるのです。






2026年1月23日金曜日

マラーサナ(スクワット)でわかる体のこと 
What Your Malasana (Squat) Can Tell You About Your Body


マラーサナ:ポーズ


「花輪のポーズ」ともいわれる深いスクワットであるマラーサナは、苦手な人とそうでない人がどうしているのでしょう?その答えはシンプルで、人は、関節の構造や強さ、弱さ、硬い場所、動きやすい場所などそれぞれ異なる体つきをしているからです。多くの関節や筋肉群を使う複雑なポーズであるマラーサナでは、ポーズでどう見えるかどう感じるかには多くの要因があるのです。ありがたいことに、マラーサナをよく観察することで自身の体の制限や強さを知ることができ、そして練習やポーズを深めるためにその情報を使うことができるということです。


考えてみてください、毎日スクワットをする文化のある場所に住んでいなければ、最初マラーサナはとても変に感じることでしょう。心地よく感じるまでには長い時間がかかるかもしれません。けれど、毎日スクワットの動き(椅子から立ち上がる、車に乗り込む、床の何かを拾う)をしていたら、このポーズは極めて重要です。残念なことに、西洋(そして東洋でもますます)社会では椅子に依存していて、それが悪い姿勢の癖とともにマラーサナをますます難しくさせています。赤ちゃんたちがいかに完璧にスクワット(マラーサナ)しているかに気づいたことがありますか?私たちはその能力をいつ失ってしまったのでしょう?どうしたら取り戻せるのでしょう?


まずは、このポーズでは何が必要かを検討してみましょう。マラーサナでは、足首、膝、腰、股関節、背骨の可動性と安定性などが必要で、全身の構造が試されます。深いスクワットをするには、適切な閉鎖性運動連鎖(荷重)、つまり足首の背屈、膝と股関節の屈曲、腰椎と骨盤の協働した動き、背骨の軸上伸展、肩のわずかな屈曲が必要なのです。
 

この複雑性ゆえに、マラーサナはとても有効でもあります。このポーズをよく見ることで、股関節や膝関節、足首、肩、背骨の左右の対称な機能的運動性を評価できます。体つきによって、このポーズが比較的簡単であったりより困難でありえることを覚えておいてください。マラーサナは、胴体が長く脚が短い人にはよりやりやすい傾向があり、胴体が短く長い脚の人にとっては長い練習が必要となるかもしれません。




マラーサナをやってみましょう


最初に、鏡の前でマラーサナをしてみましょう。まずは股関節よりやや広めに足を開き、つま先を少しだけ外に向けます(位置は後でいつでも調整が可能です)。では、心地よい範囲でできるだけ腰を下げましょう。かかとが少し持ち上がるかもしれませんが、構いません。下げ続けてみてください。けれど無理は禁物です。両肘を膝の内側に入れて、両手を合わせ、肘を使って膝を開き、できる限り背骨を伸ばします。胴体の長さによって、ひじは内腿の上か下に来るでしょう。後ろに倒れそうに感じるかもしれませんし、実際倒れたかもしれません。大丈夫です、後でこれがどういう意味かを探りましょう。


気づく


はじめに、どう感じましたか?どこでそれを感じましたか?では、鏡に映った自分のポーズを時て、もう少し気づいてみましょう。踵は持ち上がっていますか?踵が上がっていても大丈夫ですがいずれは降ろす方向へ練習しましょう。足首は内側に回転していますか?土踏まずは潰れていませんか?つま先が過度に外側に向いて(向こうとして)いませんか?次に、膝はどう見えて感じていますか?内側に倒れていますか?片方がもう一方よりも内側に入っていますか?片方の股関節の方が地面に近いですか?片方に傾いていますか?そして体を横から見てみます。背骨はまっすぐか、反っているか、あるいは前に丸まっていますか?尾骨が過度に巻いていませんか?これら全てに気づいてみましょう。


 

どういう意味なのか?


足:
最初から始めましょう。足はどうなっていますか?かかとが上がっていたら、大抵の場合はアキレス腱やふくらはぎ、特にヒラメ筋(ふくらはぎ下部の深層筋)の制限を意味します。マラーサナでは膝が屈曲していて、ヒラメ筋は膝関節を超えていないからです。(ふくらはぎのより表層の筋肉である腓腹筋は膝関節を超えているため、ヒラメ筋のように伸びてはいません)


かかとを下ろすために足首の関節で補うことがあり、土踏まずの内側が下がったりつま先が過度に外側へ向きます。これらは、(股関節の)ハムストリングスや、梨状筋(股関節を回線する深層筋で時に坐骨神経痛の原因となります)が硬い、あるいは中臀筋が弱いことを示しています。あるいは、稀ではありますが、過去の怪我や手術などで足首関節自体に制限があることもあります。



膝:
膝が内側に入る(股関節が内側に回転している)場合、臀筋が弱い、内転筋(内腿)が弱い、あるいは腸脛靭帯(股関節から膝にかけて脚の外側に沿っている筋膜)が硬いのかもしれません。過度に腰が反っているなら(特に腰を下げたとき)、弱い体幹を補うための股関節屈筋が硬いのかもしれません。背骨が前かがみになっているなら、脊柱起立筋が弱い、胸椎やハムストリングスが硬いのかもしれません。


対称性:
左右の片方に傾いている(あるいは股関節の片方がより高い、片方の膝がより内側に倒れている)ときは、痛みを防ぐ保護機構や足首、膝、股関節の可動域の左右対称性など、安定性に問題があることを示している可能性があります。これは下半身に怪我をしたことのある人に特によくみられます。また、片方の肩が高くなることも稀ではありません。通常は利き腕の方が硬く、あまり動きません。



これらの組織にどう対処すればいいか?


このポーズをよりやりやすくする最も簡単な方法は、踵の下にサポート(丸めたタオルやブランケットなど)を置くことです。かかとが地面に本当に近いなら、足をもう少し開いたり少しだけつま先を外に向けてみて、踵が下りるかみてみましょう。ただし無理はせず、かかとを上げたままにしても構いません。ここでも股関節の実際の構造が関係しているので、スタンスを広げたり狭めたりして、自身に理想的なマラーサナを見出しましょう。みんなにぴったり合うサイズはありません。けれど、つま先は外に向きすぎないようにしましょう。足の土踏まずが落ち込んだり膝が内側に入る原因になるからです。膝が足首の中心線に並び続けるよう目指してください。



その他マラーサナで気をつけること


踵が下りたら、足の内側にある土踏まずが落ち込まないように、臀筋を使って両足の外側により体重をかけます。これによって以下を確実にすることに役立ちます。

1)足首や足がより安全な位置に

2)膝がつま先を同じ方向に向いている(捻れていない)

3)股関節が外旋し(股関節、膝、つま先全てが同じ方向を向くために)、膝が内側に倒れていない


両足を通っている強い土台が、骨盤底筋と下腹部(ウディヤナ・バンダとムーラ・バンダ)を引き上げるのに役立ちます。肘を使って、膝を開くのを促します。同時に、胸を上前に持ち上げて、背中の上部を引き上げ(胸椎の伸展)、背骨が伸びているのを感じながら尾骨を「伸ばし」ましょう。この動きによって、背骨の中心あたりが伸び、胸郭の底あたりと横隔膜(ウディヤナ・バンダ)が持ち上がっているのを感じます。


おまけ:あごを少し引いて首の後ろ(ジャランダーラ・バンダ)を伸ばし、より長く背骨を伸ばします。


このポーズを長く続けていてよくみられるのが、すねの前にある筋肉(前脛骨筋)が疲れ始めることで、特にかかとが床に下りているときです。というのもこの筋肉は、後ろに倒れないよう、ふくらはぎの緊張の反対方向へ引いているからです。心配は要りません。練習を続けていると、ふくらはぎが解放されて前脛骨筋が強くなり、長くこのポーズがとれるようになります。


それでも、かかとを床に下ろすと後ろに倒れてしまうなら、深くスクワットする時は何か(ドアノブやキッチンカウンターなど)を掴んでみましょう。これで、後ろに倒れるのを心配することなく、足首や膝、股関節、背骨、また肩が機能的に動くのを可能にしてくれるでしょう。または、ブロックの上に座ることもできますが、体重はできる限り両足に乗せ続けます。


マラーサナで左右が非対称な場合は、つまり体が傾いていたり水平でなかったら、必要なサポート(股関節の下にブロックやブランケット、小さな椅子)を使って、腰が床と並行になるまで、また、傾いた方が正しいアライメントになるまで股関節を持ち上げましょう。

 
マラーサナを練習することは気づきになります。感じていること、どこに感じているかに注意しましょう。今まで気づかなかった非対称性に気づくかもしれません。練習を続けていれば、マラーサナが新しい好きなポーズになっているかもしれません。ついには、ヨガの練習以外でも、1日の間により多くの回数このポーズをしていることに気づくかもしれません!








2026年1月9日金曜日

ヨガと認知症 Vol.2 
Yoga and Dementia

前回からの続きです。

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認知症の方にヨガを指導する際の秘訣


SPECALの黄金律


1. 直接的な質問をしない


「認知症の方の対応でひとつだけ覚えておくとすれば、直接的な質問をしない、ということです」とペニーさんは言います。ヨガティーチャーもそうでない人も、「今朝はどうですか?」から「今、三角のポーズをしたいですか?」まで、情報を得ようとしたり、思いやりを示したり、関係性を築き始めようとして質問をします。けれど、認知症の人は質問されると、それに応えるために必要な事実情報がわからないことで、急に苦痛を感じてしまいます。


「その人のアルバムにある今日のページには多くの事実が欠けていて、そのため簡単な質問であっても答えるのが難しいのです。結局は、三角のポーズをしたいかどうかは、三角のポーズとは何なのかなどアルバムの中の事実情報に依存します。さらに複雑なのは、今した質問が保存されないことです」その場合、答えを待っているというあなたの期待した表情そのものもより深い混乱の原因となり得ます。「どちらにとってもあっという間に困難な日になってしまう可能性があります」ペニーさんはそう認めました。


しかしながら、認知症の生徒と会話するのは不可欠であるため、例えばあなたが言ったことをすぐに理解できる方法で普通に会話するとか、もし会話を始めたら相槌を打つなど他の方法を試しましょう。「まるで釣り人が擬似餌を変えるように」ペニーさんは勧めました。「魅力を感じたら魚は来ます」また彼女の「質問のない質問テクニック」を試すこともできます。例えば「今、三角のポーズをするのはいい感じかしら?」といった感じです。「多分」とか「・・かしら」とか、「・・するのもいいかも」など生徒を困らせない方法で参加を促しましょう。



2. 専門家(つまり認知症の生徒)の声を聞いて学ぶ


「生徒の声を聞いてそこから学ぶ必要があります。彼らが話し始めたらすぐ、自分は話すのをやめてその話や質問を聞けば、それは金の粒のようなもので、どんな言葉を使うべきなのか、彼らは何が知りたいのか、何を話したがっているのかなど、とても価値のあるヒントが得られます」ペニーさんは述べました。


また、認知症患者の介護者から、ペニーさんが言う「最高の出来事」を聞くことができるかもしれません。彼らが最も話したがる体験であり、彼らのアルバムの一番好きなページです。(もし介護者からは何も聞いたことがなければ、そうした記憶を質問のない質問テクニックで聞き出してみましょう)


こうした話をするときは、あなたの生徒は馴染みのあるしっかりとした土台の上にいます。あなたの生徒が不安そうだったり自信をなくしたように見えたとき、また彼らとただ繋がりを強くしたいと思ったときはいつでも、大好きな話の中でよく使うキーワードを言ってそのお話に導きましょう。






例えば、あなたが「ずっとインドに行きたいと思っています」と言ったら、インドに旅行した時の大好きな話しを急に始めるかもしれません。(しかし、『あなたが以前したインド旅行は楽しそうでしたね』など直接的な旅行の話には注意しましょう。あなたにその話をした事実は記憶していないかもしれず、どうして個人的な情報を知っているのか不思議に思って困ることになる可能性があります。『だれでも自分のことを知られすぎている感じたり、アルバムの中にあなたの情報が見つけられないと不安に思うものです!』ペニーさんは注意を促しました。)



3. 否定しない


認知症の生徒は、時々事実に反する内容を言うこともあります。ペニーさんによれば、それを正さない方がいいです。「『それは正しいか間違いか』という質問でなく、『誰のアルバムについて話しているか』です。話している時は自分のアルバム、自分の体験に基づいています。だから彼らが選んだ写真について議論しないでください。注意深く聞いてそこから始めます」


例えば今やったばかりなのに、生徒が「まだ肩回しをしていない」と言ったら、否定しないで彼女の言う通りまた肩回しをしましょう。


(もし、例えば『逆立ち(あるいは体の能力を超えたポーズ)をしましょう』などと生徒に不適切だったりかなり危険なことを提案されたら、彼らではなく自分自身の能力不足のせいにして一旦休憩を促すことをペニーさんは勧めました。「本心から、先に進む前に少し休憩しようと言うことに全く問題はありません。逆立ちをする提案などはきっと時系列的に記憶されていないことをふまえて、休憩のあとは全く新しい章が始められます。このように認知症患者の障害に前向きに対応しましょう」)





さらに・・


4. 複雑な言葉による指示ではなく、実演やジェスチャーを最大限に活用


私たち指導者が実演をするのは大抵はほんのちょっとだけで、多くを長く細かい指示を言葉で伝えます。「足指の付け根とかかとに向かって根付かせて、膝関節は2番目の足指先に向けて。今度は背骨を伸ばして頭頂へと持ち上げて。肩は後ろへ回します・・」いうように。


直近の事実情報の記憶がどんどん不確かになっていく困難認知症の生徒には、もっと単純な方法が必要です。たくさんの指示を与える代わりに、「足で下に押して」など動きを身振りで伝えながらできるだけ簡単なフレーズを使います。


可能なときはいつも実演し、連帯感を作るための視線を合わせることを優先し、ジェスチャーを使いましょう。「ジェスチャーは1000の言葉を伝えます」とペニーさんは言いました。
「ジェスチャーは気もちを伝え、それが新しい写真すべてに保存されますが、言葉は事実であり言った後からすぐに消えてしまいがちです」おそらく「胸を引き上げて」とか「頭頂へ持ち上げて」という意味の言葉の指示に代わるエネルギーにあふれたジェスチャーがあるでしょう。


もし、より細かいアライメントを整えなければ安全とはいえないポーズがあれば、そのポーズは省きましょう。



5. 良いニュースだけ伝える


あなたの認知症の生徒が通常通りに事実情報を記憶できないと感じたなら、否定的な情報を伝えれば落ち着いて見えても不安にさせるかもしれないことは理解できるでしょう。ペニーさんは例を挙げました。「あなたがクラスに遅れて、事故渋滞のために時間がかかったと説明します。まあ、認知症でない人は理解します。『ああ、渋滞ね、あなたが無事に来れてよかった』と思うでしょう。けれど認知症の人は事故のところだけ記憶して、後で不安が引き起こされて『誰が事故にあった?何があった?誰が?何をするべき?』と自問するかもしれません。これは良い写真ではありません。あなたが到着したら心から笑顔で『ああ着いてよかった!』とただ言って練習を始める方がずっといいのです」


あなたの生徒はやる気があるふりに気づくかもしれないので、状況の中で肯定的な面を見るようにするのが大切で、それが自然にあなたの感情に影響します。否定的なニュースや沈んだ感情で認知症の人を困らせないでください。「結局のところ、あなたが遅刻してひどい事故を見たとしても、無事に到着して生徒と会えたら嬉しいでしょう?」


悪いニュースを伝えないのは事実と違う話を作っていると思うかもしれませんが、ぺニーさんが言うには「彼らはもう一生分も悪いニュースを聞いてきたんです!」認知症であるためにすでに耐えている困難のことを忘れないでください。余計なストレスを避ける理由がわかるでしょう。あなたが見た自動車事故やニュースで見た大災害のことは話さないでください。クラスの間ずっと、今練習している部屋の中も外の広い世界も、全ては大丈夫だというサインを出してください。「『大丈夫』という信頼感は記憶されて説明のない不安よりもずっと役に立ちます」ペニーさんは確認しました。


6. 惜しみなく賞賛を送る


ヨガの間はずっと「これ上手ですね!」などと褒め言葉を散りばめましょう。2、3種類の褒め言葉があればより良いです。「完璧!すごい!最高!」


「認知症の診断は、生徒のウェルビーイングを左右します。記憶力の変化に直面しているという明白な兆候があり、それは不安に感じさせるものです」ペニーさんは言います。「自信が低いとき、認知症の人はアルバムの中を探るのが特に難しくなります。自信の低さが、認知症前のアルバムから役に立つ組み合わせを見つける能力が下がることに繋がります」あなたにはヨガティーチャーとして、生徒にうまくやっていると感じさせることで、彼らの自信や自尊心を引き上げる力があります。


ペニーさんが指摘したのは、良いニュースだけを伝えるのと同様に「親切にするのと上に立った態度をとるのとの間には小さな違いがあります」重要なのは本心からということ。信じられないほど困難な状況であなたの生徒はよくやっているということに気づき、何度も心から賞賛を与えてください。ペニーさんは言います「いつも筋の通った事実が記憶されるわけではありませんが、ずっと感情は記憶し続けていて、新しい事実の記憶が小さくなるにつれて感情のスペースが大きくなります。事実よりも感情により依存しているので、そのためあなたの不誠実さにはすぐ気づくのです」



7. 言葉とジェスチャーで生徒との関係を築く


ペニーさんは彼女の言うところの「私たち」関係を築くことを推奨しています。「あなたと生徒はここで一緒にいて、二人ともヨガクラブのメンバーだという印象を作ってください」この連帯感を、「私たち」「一緒にしましょう」などの言葉やフレーズを使って、そしてしっかり目を見て、彼らのジェスチャーやポーズを真似て、彼らの発言や提案に熱心に耳を傾けましょう。


もし生徒がポーズをしたがったら、ポーズをやめたいと思ったら、水を飲むために休みたがったら、賛成してください。「私もそう思っていたところです!」



8. 生徒を専門家として扱う


「ふさわしい話し方をする必要があります。彼らよりもいくらか能力が低いと考えてください。可能な限り、生徒をティーチャーだとしてください」ペニーさんは助言します。


自尊心を上げるために、生徒から受ける指示や確認は快く受け入れましょう。例えば、「三角のポーズはこんな感じかしら」と言ったらきっと「そう!」「その通り!」などコメントが帰ってくるでしょう。


「側から見たら誰が教えていて誰が教わっているのかわからないかもしれません」ペニーさんは言います。もしやろうとしているポーズを生徒がやろうとしなかったら、そんなときは、忘れましょう。彼女のやっている形を真似して、そのリードについて行きましょう。それもまた生徒の肯定感や二人の連帯感を築くのに役立つかもしれません。「そこから、その良い感情を踏み台にして、まるで独り言を言うかように変えることをさりげなく提案します」例えば、指示したり質問するのではなく、「それはいいポーズですね。肩をもうちょっと後ろに回したらどうなるかしら」と言えるかもしれません。


9. 異なる言葉、ジェスチャー、戦略を試して何がベストかを探る


会話や練習の間、いろいろ試して何に効果があって何にないかに気をつけましょう。会話を始めるのに良い天気の話は効果がない?あなたのお母さんや夫がヨガをしてくれたらいいのにという話は?会話は続きましたか?一歩下がるのは効果がありませんか?もう一方の足を前に出すとポーズに入れますか?生徒がシャヴァサナでじっとしていられませんか?肩に手をおいたら少しは長く休んでいられそうですか?質問をするのでなく、どんなときどんなことがうまくいってうまくいかないのかを観察してください。「できるだけ早く見つけられたら、最悪を最小限に最高を最大限にすることができます」ペニーさんは勧めます。


10. 生徒のウェルビーイングを高めるものは何でも喜んで繰り返すことを学ぶ


ヨガティーチャーは、新しいクラスを作ろうと大抵の場合は考えますが、認知症の生徒を教えるなら新しいものを考える重荷から解放されます。新しいポーズを教えるのではなく、よく知っているものを尊重します。


“One of the joys of working with individuals with dementia is that they will never tire of the repetition of what they enjoy,” assured Penny. The shoulder rolls they enjoy will delight them 「認知症の人に対応する際の喜びのひとつは、彼らが楽しんでいることを何度繰り返しても決して飽きないところです」楽しんでいる肩回しに何度でも何度でも大喜びします。ハッピーベイビーのポーズを「死んだ虫」と呼んで彼らが大笑いしたら、毎回大笑いします。生徒から肯定的なリアクションを引き出す言葉を見つけたら、繰り返し同じものを使い続けましょう。


11. 可能性を信じる


本当に効果があることは何かといえば、生徒の手を握ることです。手を握りましょう。好きなポーズがシャヴァサナだけだったら、ヨガクラスはそれに集中させましょう。もし生徒が本当にやりたいことは、お茶を飲みながら好きな話しすることなら、一緒にお茶を飲んで興味をもって喜んで話を聞きましょう。できる限り、ヨガクラスとは何かというあなたの概念を広げることになるにしても、彼らに寄り添いましょう。ペニーさんが言うように「SPECALのヨガは、SPECALを知らないひとにとっては『伝統的な』ヨガには見えないかもしれません。けれど、それは無駄なセッションというわけではありません。反対に、SPECALの基準で測れば、生徒のウェルビーイングを高めるものであるので成功なのです」


認知症の生徒とのヨガクラスの終わりには、新しいポーズも覚えていないし、膝とつま先の向きを合わせるのがうまくなりもしていないかもしれません。汗をかいたかどうか、最後のシャヴァサナでリラックスできたかどうかもわかりません。けれど、生徒の自己肯定感、自立性、社会的快適性、安心感に対して、価値のある貢献ができるはずです。「彼らの声を聞いて、『私たち』関係性の中で一緒に練習することを探ることで、持続的な方法で彼らの生活の質を高められるのです」ペニーさんはそう締めくくりました。「それが値段のつけられない非常に価値のあるもので、SPECALのすべてのケアが目指すところなのです」