2018年4月9日月曜日

<日記>久しぶりのトレーニング

ここのところ受けてみたいトレーニングやワークショップがなく
インド行きも流れてしまい、インドネシア行きも流れてしまい、
ついでに暇があれば行こうと思っていたシンガポール行き(里帰り?)も流れてしまった昨今ですが、やっとアガるトレーニングを受けてきました。

昨年の夏にバンコクの友人を訪れた際に、以前から知っていてクラスを受けに行ったスタジオの先生が来阪してのトレーニングでした。

テーマは、Yoga for Healing と 骨盤と背骨を整える です。



私は、彼のヨガへのアプローチが好きで、ストイックで科学的でありながら精神的な面に重点をおいていて、でもなぜかゆるりとリラックスしているような。
アメリカ人でありながらアジアの南国に長く住むという環境がそうさせているのか。

どちらのテーマも、これまでの私自身の知識と経験を裏付けるものであり、
そこからさらに深く理解することを促してくれるものでした。



それにしても、トレーニングを受けるたびにいつも思うのです。

シンガポールで、なんだかよくわからないうちにドクターや他の先生、先輩たちの指導を必死で頭に詰め込んでいたこと、そして、その情報が多すぎて消化するのに時間がかかっていること、日本に帰国して継続的に指導を始めてからもしっかり思い出せなくて何度も本やノートを持ち出して復習していること。。。
それらがトレーニングを受けるたびに、再び記憶の表面に浮き出てきて、デジャブな気分になるのです。つまり、私がシンガポール授かったトレーニングは、それほど深く膨大で全てではないにしても多くを網羅していたのだということ。そして、それを本当に自分のものにしていくには生半可では不可能であり、いくら時間があっても足りない。

でもいいんです、焦ることはない。
ヨガはいつもそこにあって、一生かけて少しずつ取り込んでいけばいいのだし。
そのプロセスを楽しめばいいのだし。

そんな風に思うのです。


残念ながら、今回のトレーニングの先生は、このあともっと自分に向き合うため教えることをしばらく休むそうです。そしてまずは禅寺で座禅修行をするのだとか。
あるヨガ友が、好きな先生がみんな瞑想の方に行ってしまって教えることをやめてしまうのが悲しいと言っていたことがあります。長く続けているとそんな境地になっていくものなのかもしれませんね。私はまだまだそんな風にはなれそうにはないですが。







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