世界で最も美しく、最も優しく、お金持ちで最も力を持った人と結婚したとしたらどうだろう?それはそれは幸せなはずだ。そんな夫を持ったサンジュニャーは、だけれど、とても不幸だった。
サンジュニャーの物語は、インドの偉大なる叙事詩マハーバーラタで語られる。彼女の夫は、太陽系の王、スーリヤ神。彼は何千年も前に死んだ歴史的な人物というわけではない。昼の間はいつでも外に出て、私たちが「太陽」と呼ぶ燃えるような光の玉に乗りゆっくり天空を横切っていくのを見ることが出来る。彼のサンスクリット語での名前 Surya は、「光り輝く」という意味の「sur」に由来する。
スーリヤは、誠実で献身的な夫だったが、サンジュニャーは彼のそばにいるのが耐えられなかった。問題は、あまりにも明るく輝くので彼を見ることができなかったことだ。そこである日彼女はメイドのチャーヤ(名前の意味は「影」で、見た目はサンジュニャーによく似ていた)に、こっそり彼女の代わりをするように頼み、地上で名前を伏せて住むために地球に逃げたのだった。
チャーヤは女王として振舞うのを楽しんだ。彼女はスーリヤ神との間に息子まで持った。ゆっくり動き、何方かと言えば陰気で全く明るくはないシャーニ(土星)。チャーヤはこの息子を溺愛し、サンジュニャーの子供達を放置した。子供達はとうとう父親に訴えた。「ママがママらしくない」子供達は彼に言った。「私たちを完全に無視してる。シャーニとしか遊ばないの!」
スーリヤの疑心が湧き上がった。そこで1日の終わりに家に帰り彼女を近くで見ると、確かに彼女は元の彼女の影でしかなかった。とうとう彼は気づいてしまいショックを受けた。妻ではなかったのだ!「お前は誰だ?」彼は聞いた。「サンジュニャーに何をしたのか?」
チャーヤは恐ろしくなった。スーリヤはいつもはとても寛大だが、こんな時にはとてつもなく恐ろしいのだ。そこで彼女は彼に辛い真実を伝えた。あなたの妻はあなたの存在が耐えられずあなたを捨て去ったのだと。
スーリヤは愛する人を探すため、地球へと急いだ。雌馬になった妻が牧草地を駆けているのを見つけたので、雄馬になって彼女を後を駆けた。追いついた彼は鼻を彼女の鼻に押しつけ、息を吹き込んだ。それでサンジュニャーは身篭り、すぐに二人の息子、アシュヴィン双神が生まれた。彼らは晴れた夜空に見ることができる。牡羊座の頭にある2つの明るい星だ。
しかしサンジュニャーは天空へ帰りたくなかった。「あなたのせいで目が痛い!」とスーリヤに文句を言った。「あなたは本当に明るすぎる!」
サンジュニャーを連れて帰るべく、この世を作った偉大なる創造者で義父のヴィシュワカルマンに助けを求めた。「妻が夫や子供を見捨てるなどあってはならない!」と叱責した。が、サンジュニャーは譲らず、より快適な地球に留まり続けた。
ついにヴィシュワカルマンが完璧な妥協案を持ってきた。太陽を旋盤の上に下ろしスーリヤ神の光の多くを注意深く切り落とした。そして落ち着いた義理の息子をサンジュニャーの元へ送った。彼女が夫の姿を見つけた時、自分の目を疑った。「そなたは今まで会った中で最も美しい男です!」そう叫んだ。この燃えるような夫婦は天空に戻り、その後幸せに暮らした。
内なる太陽
この奇妙な物語でマハーバーラタは何を言おうとしているのか?それはサンジュニャーが何者なのかを理解することが重要な手がかりとなる。サンスクリット語でサンジュニャーは「知る者」。つまり精神を意味する。サンジュニャーは思考そのものであり、この地球に住むために神の光から逃げているものだ。言い換えれば、サンジュニャーとは私たちのことだ。
この神話は、魂が真に愛するのは内なる神聖な精神で、多くのヨガの聖典はこの内なる精神を「1000の太陽のように輝く」と表現している。多くの人にとってその光は耐えられない。バガヴァット・ギータの有名な物語では、悟りを得たクリシュナが彼の友人アルジュナにこの内なる体験を示す。しかしアルジュナは、この神聖なビジョンの壮大さにはまだ準備ができていない。彼はパニックになってこう叫ぶ、「クリシュナよ、どうか止めてくれ!耐えられない!」
私たちの精神的な修練の目的は、この神聖な光の中で意識的に生きることができるまで気付きを拡げることだ。しかしサンジュニャーのようにほとんどの人は、気付きを大きくするための訓練をしていない。それどころか、私たちのほとんどはその光から逃げている。外の世界の物質に心を奪われていて、内にある光を見失っている。そしてサンジュニャーが子供達を失ったように、照らされた気付きからくる多くの恵みを失っているのだ。
しかし神はこの影の中に私たちを永遠に彷徨わせることはない。私たちを探し出してくれる。ヨガの伝統では、馬はプラナ、つまり生命力を意味する。プラナは肉体を生かし、正しく維持することで治癒力の源となる。この神話では、内なる太陽は息の力でサンジュニャーを「受胎」させる。サンジュニャーが産んだ双神アシュヴィンは、左右の鼻腔を象徴している。インドの文化では、この2神は聖なる治癒者として知られる。生命力であるプラナが肉体と精神の繋がりをもたらすため、子供が生まれる時は必ずそこに彼らがいる。(そして聖書の創世記はこう言っている「神が人の鼻に生命の息を吹き込むと、彼は生きる魂となった」)この神話は、ヨガでいうプラナヤマ、呼吸の練習が内なる光にもう一度つなげてくれることを私たちに思い出させる。
神を見ること
なぜ瞑想するのかを尋ねると、率直に「神様に会いたい」と認めるヨガの生徒もいる。これはアリがエンパイア・ステイト・ビルディングを見たいと思っているのに少し似ている。私がインタビューしたヨギが、スーリヤ・ヴィッディヤ(内なる太陽の科学)を実践した後は精神が光でいっぱいになって実際に盲目になってしまうと言っていた。そして、キリスト教の黙示録では、神に関して「彼の顔は太陽のようにとてつもなく輝いていた」と述べている。
死ぬべき運命の者はただ永遠を得ることはできない。至高の真実の際限ない力と美は、私たちの精神の理解力を完全に超えている。しかしサンジュニャーとスーリヤの神話は、人間の魂ともう一度繋がりたいという強い欲望があれば、神はそのエネルギーと明るさを少し弱めてくれると言っている。物質世界の旋盤に囚われて、私たちが一眼見られるような形を装ってくれるのだ。
ヴェーダーンタの伝統では、普遍の真実であるブラフマンではなく、内なる自我であるアートマンにより焦点を当てている。そして超越した存在は擬人化され、瞑想のなかで手の届く存在となる。そして内なる光に焦点を当てることで、無限の光の世界へ入る権利を得る。悟りを得た魂は精神の光の中で生き続ける。その魂は、雨粒が海に落ち完全にひとつとなるように、私たちの自身のより高みの自我であるアートマンが普遍の精神と完全に「ひとつ」になるという真実を体験するのだ。
地球への逃亡の後、サンジュニャーは天空の光であるスーリヤ神とまたひとつとなった。おそらく、私たちもいつの日か逃げることを止め、我が家へと帰るのだろう。