北欧の神話との間に類似性を見出しているところが興味深いです。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
激しい嵐が町にやってくると、私の父はいつも私を窓辺に急いで来させ、巻き上がる黒い雲を指差し「ほら!彼がいるぞ!」と叫んだものだ。
私はまだ4歳だったけれど、父が何を言っているのかよくわかっていた。月のように大きく太陽のような金髪の神トール(北欧の雷神)が、彼のハンマーで空の屋根を激しく打ちつけ、ギザギザの光を地面に落とし、それが岩にぶつかり雷鳴を鳴り響かせているのだ。トールの戦車が天空を横切って疾走するのを一目見ようと、いつも私は窓辺まで走っていった。この雷王を見たことは一度もなかったが、彼のハンマーが天を裂くほんの少し前の瞬間を一度か二度見たと信じていた。
現在ノルウェイはキリスト教になって1000年が経ち、古い神々は徐々に消えている。トールはトロンヘイムの北で育った父の幼少期の一部であり、そして私の幼少期の一部でもある。思いもよらなかったことは、トールはまたヨガの伝統の中でも重要視され、彼の力や威厳は今なおインドのヨギ達によって祈りの対象となっている。
インドに現存する最古の書物であるヴェーダに書かれたトールの記述は、私が抱いていたイメージといくつかの面で驚くほど類似している。ヴェーダによると、彼は金髪の天界の戦士で雨を降らし雷を操る。彼の存在理由は強い大蛇に打ち勝つことで、そしてとても酒好きだ。これがトールと同じ神だと疑う印欧歴史学者はいないが、ヴェーダでは違う名前を持っている。彼はインドラと呼ばれ、神々の王である。近年スカンジナヴィアでは彼はアニメにしか出てこないが、インドではヨガの書物によってこの雷神の深淵なスピリチュアルな伝説が今も伝えられている。
インドラの探求
ヨガでのインドラは、突然の轟音を鳴らす厄介な空の神というだけではない。彼は本当の精神的追求者だ。チャンドーギャ・ウパニシャッドには、インドラ神と悪魔のヴィローチャナのどちらもが神聖な真我の話を聞いたと書かれている。その神秘をマスターすれば、全ての欲望を達成できるとされていた。もっと知りたいと思ったインドラとヴィローチャナは、プラジャパティという偉大なグルを探し当て勤勉に仕えた。彼らの見習い期間が終わった時、グルはこう説明した。「真我とは己の目を通して見る者である」
どちらの弟子もそれを理解しなかった。聞き間違えたのだと考えた。きっと「真我とは己の目を通して己が見る者だ」と言ったに違いないと。生徒達が理解していないと気づいたグルは、こんな見込みのない生徒達に時間を無駄にかけることはないと決め、鏡を見れば真我が見えると彼らに伝えた。
鏡に映る姿を覗き込んで二人は同意した。「私の肉体が私の真我だ」それからというもの、彼らは自身の肉体を崇め、出来る限りの手入れをし、運動をしハタヨガをし、最高の食事だけを摂った。そして全ての欲望は満たされた。そうして心地よく彼らは過ごした。
さて、今日ではヴィローチャナとその他の悪魔たちはいまだにこれを信じている。しかし、インドラは帰る途中でもう一度考えた。「ちょっと待て。そうじゃない」彼は考え込む。「肉体は病気にもなるし、老いるし、死んでしまうじゃないか。不滅の真我であるわけがない!」すぐにグルのもとへ引き返しこの教えは意味をなさないと訴えた。
「お前は正しい、インドラよ!私の試験に合格して嬉しい」プラジャパティは答えた。「本当の真我は夢の中で己が経験するものだ。これが恐れや死を超えた真実なのだよ」
この知らせにインドラは喜んだ。より理にかなっていた。もし目が見えなくても夢なら見られる。もし足が悪くても夢の中なら歩ける。そしてヨギによれば、たとえ肉体が死んだとしてもこの夢自体は存在し続けるのだ。しかし、帰る途中インドラはまた不安になった。「悪夢はどうなんだ?」と思った。「夢自体も痛みや恐怖、疑念、失望の影響をうけるじゃないか。本当の真我であるわけがない」彼はグルの元に戻って懸念を示した。
「ちょっとはお前を騙せたね?」プラジャパティは笑った。「本当の真我は深い眠りの状態で己が体験するものだ」
本当にこれは前の教えよりも理にかなっていた。深い眠りの中では、痛みや恐れを完全に超える。しかしまた、戻る途中でインドラは思いついた。「ちょっと待て!残りの無意識はどうなんだ?またやられたのか。この教えには全く価値がない」そこで彼がグルの元へ戻るのが4度目となった。
「真我はこれらどの状態でもない」プラジャパティは明かした。「真我とはこれらの状態を知覚するものだが、それらを超えて存在するものであり、空を照らし出す稲妻のように輝く。己の目で見る者、己の耳で聞く者、己の思考で考える者を探しなさい。それが己の不滅の真我である。偉大なる師達はこの純粋な内なる存在に瞑想し、人生の最も高みにある目標に到達する。馬がそのたてがみからホコリを払い落とすがごとく全ての悪をふるい落としなさい。そして月が月食から自由になるがごとく肉体に縛られた己を自由にしなさい。心の中にある不死の真実に気付きを築くのだ」
とうとうインドラは満足した。家に戻って内なる真我に瞑想した。そして新たな冒険が始まった。これがケナ・ウパニシャッドに語られているものだ。
神々は遠くに明るく輝く人がいることに気づいた。しかしそれが誰なのか判らなかった。そこで彼らは調べるためにアグニを送った。「お前は誰だ?」アグニはこの輝く存在に問いかけた。
「お前は誰だ?」その不思議な見知らぬ人は答えた。
「私は火の神、アグニだ!世界を焼き尽くすことができる!」
「これを焼きなさい」見知らぬ人は一本の藁をかかげた。
アグニは侮辱されたとその乾いた草に怒りの火を向けたが、火はつかなかった。面目を失った彼は戻った。
見知らぬ人が誰かを明らかにするため、次はヴァーユが送られた。「お前は誰だ?」彼は横柄に尋ねた。
「お前は誰だ?」見知らぬ人は鸚鵡返しに言った。
「私は風の神、ヴァーユだ!世界を吹き飛ばすことができる!」
「これを吹き飛ばしなさい」見知らぬ人は一本の藁をかかげた。
ヴァーユは、ふう、はあと息をかけたが、その草は全く動きもしなかった。恥ずかしくなって、ヴァーユは急いで戻った。
そこで神々は王の元へ行き、見知らぬ人が誰なのか調べてくださいと請うた。インドラは責任を感じて出かけていった。しかし輝く者はもういなかった。その代わりに彼が見つけたのは金を身に纏った美しい女性だった。「あの見知らぬ人が誰なのかご存知か?」彼は聞いた。
「あれは至高の真実です」彼女は答えた。「この世の何もかもを照らし出すとても明るい一筋の稲妻のようなものです。あなたの行動を通して行動する内なる真我なのです」
すぐにインドラは、至高の真我が火や風で触れることが何故できないのかに気づいた。それは、神の存在へと人間の意識を導くためクンダリニと呼ばれる金色の女性が眠りから目覚めた時、瞑想の中で見つかる内なる光なのだ。この気付きの過程は、己に「お前は誰だ?」と尋ねるところから始まる。肉体や呼吸を超え、思考や感覚を超え、それを経験している純粋な気付きへと向かい、私たちは自身の不滅の魂と繋がるのだ。
内なる空を照らす
いったいインドラとは何者なのか?アイタレーヤ・ウパニシャッドでは、インドラの名前はサンスクリット語で「この全ての知覚者」という意味の「idandra」から由来している。ヨギは、五感であるインドリヤスの神である彼を「優れた魂」と呼ぶ。彼は酒豪だが、彼の好む酒はソーマと呼ばれ、高い瞑想の中で体験される至福のことだとヨギは言う。彼の支配する大蛇はクンダリニで、とてつもなく不思議な体験を作り出す微細な領域での大蛇の力だ。
ヨガの書物では、創造主がこの世を統制するために使う力、そして私たちが自身の身体や精神を調整するために使う力のことをヴィジュット・シャクティ、すなわち「稲妻のエネルギー」を呼ぶことがある。精神の空にある内なる力を制御することを覚えれば、私たちはインドラのように自身の主人となり、人生が照らされる。インドラは、彼自身の存在という隠された真実を見つけるまで探求を続ける霊的な探求者である。
ヨガ的な文献と古代のノルウェイの神話の間にある多くの類似性から、スカンジナビアの祖先達はトールの特性や冒険の霊的な重要性について気づいていたに違いないと私は思っている。しかし、何世紀も経ってこれらの物語の真の意味は西洋で失われてしまった。インドのヨガの血統はなんとも幸運なことに、こうした生ける神話の内なる局面への考察を失うことはなかった!ヨガの伝統の輝かしい力に感謝し、私は自身の気付きの空にトールを探している。
(出典)https://yogainternational.com/article/view/tales-from-the-upanishads-indra-king-of-the-gods
0 件のコメント:
コメントを投稿