ヨガはポーズの形や見た目じゃないんですよ、とクラスで私はよく言います。
自身が苦労したからこそ体得できたヨガの教えかもしれません。
そんな私が大人になってからヨガを始め、人よりは時間がかかったものの徐々に柔らかくなりこの年齢で「人生で一番柔軟な身体」になっているほどです。それでもやはり、もともと器械体操やダンスをしていたような柔軟な人たちとは違うことが多く、ひとりで悩んだこともありました。
そんな悶々としている中、とある陰ヨガのトレーニングで出会ったのがこの記事にあるような骨格の違いでした。それ以降、どんな先生のどんなクラスに出ても、自分を見失わないようにと気をつけることができるようになったと思っています。
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あなたは人と違う!この言葉は素晴らしいことを伝えています。この世界で、誰一人あなたと同じ人はいません。あなたは「標準」でもなければ「普通」でもないのです。本当のところは誰一人として標準的でも普通、通常の人などいません。あなたには他の人とよく似た特徴があるかもしれません。他の何百万人と同じサイズのヨガウェアを着ているかもしれません。あなたの靴のサイズはきょうだいと同じかもしれないし、あなたの知っているみんながそうであるように、全く同じ陽子と中性子、電子で作られているのかもしれません。けれど、あなたが全体として誰なのかを詳しくみた時、これらの部分部分がひとつなって完全に議論の余地なく唯一である「あなた」を形成しているのです。
これがどんな意味を持つか考えてみましょう。
「あなたが完全に唯一であるなら、健康のためにすべきことなどは他の誰かが必要なこととは全く違うでしょう」科学者、作家でありビタミンB5を発見したロジャー・ウィリアムズは、全ての人間が一人一人いかに大きく異なるのかを表現するのに「生化学的個性」という言葉を作りました。私たちを健康に保つものや病気にさせるものを考えるとき、その違いを作り出す差異のことです。医療やフィットネスの世界(ヨガ業界も含め)では、人間の差異という本質をかなり無視してきていますが、この間違いをウィリアムズ達が正そうとしています。18世紀の医師、バースのパリーはこう述べています。「どんな病気にかかっている患者がいるかよりも、どんな患者が病気に罹っているかが重要である」
ヨギにとっては、以下のように言い換えることができるでしょう。
「どんなポーズをしているかよりも、どんな生徒がポーズをしているかが重要である」
腰痛に関する医学研究者のスチュワート・マクギルは、選ばれたアスリートの訓練法アドバイスの中でこう述べています。「身体の部分的な長さや筋肉停止の長さ、筋肉と腱の長さの比率、神経伝達の速さ、内部組織耐性など、人の身体は個々人で異なった比率を持っている。ステレオタイプの『最適な』テクニックを行うと、大抵の場合はアスリートの素質を最最大に引き出すことはできない」私の尊敬するヨガティーチャー、ポール・グリリーはこれを認識しておりヨガにも取り入れ、影響力のあるDVD「Anatomy for Yoga」を2004年に制作、わたしたちの唯一無二の身体がどのようにヨガの練習に影響を与えるかを伝えています。
図1:ナディア(左)は、股関節ソケットの前傾のため股関節で少し内旋しており、両脚はまっすぐ。マーゴット(右)の両脚には明らかな内反があり、ガニ股になっている。股関節ソケットの後傾と大腿の捻れのため、彼女の股関節もまたかなり外旋しており、爪先が外に向いている。これが彼女にとっての自然なアライメントだが、ナディアにとっては違う。
図2:こうした解剖学的な差異は見た目だけでなく、ヨガポーズを行う能力にも影響がある。バタフライ・ポーズ(バッダコナサナ)で、マーゴット(下)はナディア(上)よりも膝が床に楽に着けることができる。
あなたの歯型が誰とも違うのと同様に、あなたの骨格、背骨、股関節と同じ人は誰もいないというのが事実です。今のあなたにできることがあり、そのうちできるようになることがあり、そして絶対にこれから先もできないこともあるのです。これはあなたの能力を批判することでもなければ、あなたの個性を非難することでもなく、修正が必要な欠陥というわけでもありません。単にあなたという存在の現実だというだけです。150cmのバレリーナがアメフトのライトタックルとしてプレイすることはなく、アメフトの右タックルがオリンピックの金メダルをフィギュアスケートで勝ち取ることはないのです。これはバレリーナに欠陥があるわけでもライトタックルが怠け者というわけでもありません。
「差異は欠陥ではない」と集団遺伝学者のテオドシウス・ドブジャンスキーは言いました。私たちは様々なところで異なっていますが、それは構わないのです。そうした違いはときに何かの結果であることもありますが、そうでないこともあります。私たちがその違いを無視したり否定するとそれは問題となります。それらは事実であり、そして正常なのです。
私たちを測る方法を考えてみましょう。身長、体重、年齢、学歴、収入、家族、出身地、血圧、心拍数、脊椎と腕の長さの比率、股関節ソケットの後傾、大腿骨・脛骨・上腕骨の捻れ率、両脚の湾曲などなど、どこまでも続きます。これらの中であなたが「平均範囲」に入るものがいくつかあるかもしれませんが、その他のパラメーターを付け加えていけば平均的な人からは遠く離れていくことでしょう。平均の人などいないのです。これは、「平均的な人(実際は存在しない)」に当てはまることは、あなたには当てはまらない可能性があると言うことです。
ロジャー・ウィリアムズの言葉を再度引用しましょう。「現実的に、すべての人間は何らかの部分で逸脱している」正常も異常もないのです。あなたの唯一性の中にあなたが存在し、この世で与えられるもの全ての中であなたは何を手に入れることができるのか、そして知性を持って何を手放すべきかを、この唯一性が左右するのです。
図3:大腿骨の捻れを比較しよう。左のマーゴットの大腿骨は前捻がマイナス4度で、外旋が比較的簡単だと感じている。右のナディアの大腿骨は前捻47度で、内旋が比較的簡単だと感じている。
最終的には誰もが蓮華座(パドマサナ)ができるようになるはずだと信じている先生のヨガクラスに参加したとしましょう。今日はできないかもしれないけれど、力を尽くした練習と揺るぎない指導(そして正しいルルレモンのパンツと最高のヒマラヤのお香)をもって、この足を組む難しいポーズがどうすればできるようになるか見せてくれることでしょう。あなたには一度も足を組んで快適に座れたことがないとしたらどうでしょう?あなたは膝がちょっとした捻れているという感覚を無視しトライするでしょう。そしていつの日か、クラスが終わっても治らないほど痛みがエスカレートしていくのです。あなたは内側膝半月板を痛めてしまい、それでもヨガを始めたころから全く蓮華座に近づいてはいない。その先生はあなたの唯一性を無視しています。あなたの骨盤と大腿骨のせいで、あなたには蓮華座ができるようにはならない、そしてできるようになろうとすることで膝を壊しているのです。
ヨガは自身を選択する練習です。特定のポーズをするのが容易な形状をした骨格を持つ人は、それを練習し続け進歩します。最大の可動域を得るのを妨げる張抵抗を最後まで伸展し、そして望み通りの場所まで到達するでしょう。しかし、そんなに理想的な骨格でない人、張力ではなく圧迫(骨と骨がぶつかるところ)で止まってしまう人は、絶対にそのポーズをすることはできないのです。先生たちにこっそり教えてもらったのは思い違いなのに、どこか深いところで個人的な欠陥がこの進歩を妨げているのだと確信し、不満を感じてやめてしまうのです。
ロジャー・ウィリアムズはこう説明しています。「差異は全ての構造にわたる。脳、神経、筋肉、靭帯、骨、血液、内臓の重さ、内分泌腺の重さなど。これらの構造は、個々人でとてつもなく異なることが多い」また、こうも指摘しています。「解剖学者らは何世代も前からこの差異に気づいている。しかし、教育的理由により彼らは『標準』に焦点を当て今まで存在してきた可能性の重要性についてあまり(あるいは全く)示してこなかった」
もし私たちみんなが解剖学書の中の図のようだったら、また私たちの骨格が全て解剖学の教室の隅にかかっているプラスチックの骸骨のようだったら、素晴らしいことだろう。しかしそうではない。同じ人はいない。あなたは唯一であり、あなたができることも人とは違う、そしてあなたのヨガもそうであるべきです。
あなたの身体です!あなたのヨガをしませんか?