ヨガナンダ氏(1893-1952)は、西洋にヨガを伝えた指導者第一世代の一人です。「自己実現(Self Realization) 」と彼が呼んだ内なる神聖な体験に重点を置き、精神的な覚醒の実際的なアプローチを伝えました。
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超リラクゼーション
人々はよくリラクゼーションの話をするが、それに到達する方法を知っている人は少ない。身体のリラックス法は知っていても精神的なリラックス法は知らない人もいる。超リラクゼーションとは、全身からの意識とエネルギーの完全な自発的離脱のことだ。完全なる精神のリラックスとは、超自然の中の統一体という真の自我と一体となり心を休ませ、二元性という思い違いから意識を解き放つことだ。自分が人間であり、それゆえに神であるという考えに自身を誘導するのだ。
リラクゼーションによる若返り
精神は穏やかであるべきだ。日常の心配事や問題に関しては、心は水面で起こる波の形がひとつとして残らない水のようなものだ。無意識に得られるものは、意識していても得ることができる。瞑想の教えを通して、心臓、肺など全ての内臓で完全なる穏やかさが得られる。リラクゼーションにより筋肉や内臓すべてが動きから解放されると、体内組織の化学変化や分解が一時的に停止する。これが血流を純粋に保つのに役立つのだが、体内で分解があると老廃物は静脈内に廃棄され毒となる。
体内組織の分解が止まれば、静脈血は体内に蓄積しなくなる。これにより心臓が必要とする休息を与えてくれる。浄化するために大量の静脈血を肺に送り込む必要がなくなる。中和し電化した組織に血液や酸素は不要だからだ。つまり、心臓の動きや呼吸は不必要となる。これにより、大量の血液を身体中に送るという毎日の仕事のため心臓に必要とされる生命エネルギーが大量に放出する。このように、何十億もの細胞が休み、意識的に分解されない状態で生きることを可能にする持続的生命エネルギーに依存する。
体の細胞が血液や酸素がなくても生きられる方法を身に付けたら、髄質からやってくる生命エネルギーでどのように生きられるかを実際に理解したということだ。
すべての感覚器からエネルギーがなくなったら、五感への電話は繋がらなくなる。どんな感覚も知性の管理者である脳には届かない。精神は感覚で始まる思考から解き放たれ、無意識の記憶に関連した思考からも解放される。これが、科学的に解放された精神に神への道をつき進ませるのだ。
毎朝、完全な静寂に身を置いて、数分間思考を消してみよう。静かに座り、静寂の喜びに瞑想する。その喜びを神との交信だと考える。瞑想すればするほど、深まる静寂の喜び以上にそのような洗練された喜びを与えてくれるのは他には何もないということに気付くだろう。そのような瞑想での喜びとの交信は神との交信である。まずは神の愛に献身的に深く祈ろう。そして叡智に、幸福に、健康に、繁栄に祈り、具体的なあらゆる合法的望みの成就のために祈るのだ。
身体的なリラクゼーション
身体全体の完全なリラックスのためには、まず全身を優しく緊張させる。そしてリラックスして身体から全てのエネルギーを解放し、そのまま身体を全く動かさず弛緩する。筋肉や手足から動きや緊張を完全になくすことが「リラクゼーション」だ。身体がまるで骨も筋肉もないゼリーのようなものだと想像してみよう。そうすれば、筋肉の完璧なリラクゼーションを得ることができる。
精神的なリラクゼーション
精神的なリラクゼーションとは、完全な精神の休息を意味する。意志の力で眠りに落ちることを練習すればこれに到達できる。体をリラックスして、ちょうど眠りに落ちる直前に感じる眠気のことを考えてみよう。そしてその状態を再現してみる。(これには意思ではなく想像力を使う) ほとんどの人は眠っているときでさえリラックスしていない。だから夢をみる。したがって、意識的な精神のリラクゼーションは、受動的な体のリラクゼーションや睡眠の副産物であるリラクゼーションよりも良いのだ。こうして、夢を見るのか、精神的な映像スクリーンに夢が映らないようにしておくかを選択することができる。
どんなに忙しくても、時には心配事や仕事から心を完全に自由にすることを忘れてはならない。ただ心から立ち去らせる。覚えていて欲しい、あなたは心配事や仕事のために生きているわけではない、それらはあなたが作りあげたものだ。そんなものにあなたを苦しませないで欲しい。
圧倒されるような精神的試練に出会ったら、眠りに落ちてみよう。そうできれば、起きた時に心の緊張が解消され、不安もあなたを掴んでいる力を緩めていることに気付くはずだ。もしお前が死んでも地球は軌道を周り続けるだろうし、事業はいつものように進んでいくだろう、だったら何を心配するのだ?自分にそう話しかけてみよう。自分自身をあまりにも難しく考えると、死があなたを嘲りに来て、物質的な人生の短さとその務めに気づかせるだろう。
精神的なリラクゼーションには、過去や現在の忘れられない不安、絶え間ない義務の意識、事故の恐怖やその他の頭から離れようとしない恐怖、貪欲、欲望、そして不穏な思考や執着などから意思を持って注意を逸らす力が必要だ。精神的リラクゼーションの習得は、忠実な練習とともに可能となる。意思によって全ての思考を心から解き放ち、注意を平穏や内なる満足感に留めることで到達できる。習慣的な瞑想の練習により、不安から平穏へと注意を転ずることができる。
こうした理由により、一様で着実に霊性を高めようと望む修行者は、絶え間ない動きをやめ不穏なく体を静かに保ち、正しい呼吸の練習により静かな呼吸をし続け、自己鍛錬と人とのよい交際により生命力の本質を維持し、そして集中と瞑想の練習とともに心を穏やかにし続けなければならない。
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次回に続きます。
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