「鷲のポーズ」と呼ばれる「ガルーダサナ」は、神様の名前から来ています。南アジアではガルーダは大きな神話上の鳥で、体は人の形で金色、顔は白く、赤い翼とワシのクチバシを持っています。彼は鳥の世界の王様で、蛇の天敵、人間の友人です。ガルーダは、宇宙を維持し一人の人間として生まれ変わった神様、ヴィシュヌ神の乗り物です。ラーマーヤナのヒーローであるラーマもまたヴィシュヌ神の生まれ変わりです。
ガルーダによく似た「ジャタユ」は時に残忍なハゲワシと描写されますが、ハゲワシというよりワシ、ガルーダそのものです。ジャタユはガルーダとして、このお話のヒーローです。
ラーマーヤナでは、ラーマの妻のシータがどのように悪魔のラーヴァナによってさらわれ、空飛ぶ機械ヴィマナでランカ島へと連れ去られたのかが語られています。この出来事が起こったとき、ジャタユは樹の上で瞑想するように座り、鋭い眼で世界の果てを見渡していました。シータの叫び声を聞いた彼は、空をビュンと飛んでシータを連れ去っていくラーヴァナを見ました。彼はヴィマナに頭突きをして地面へと叩き落としました。彼は鋭い歯と引き裂く鉤爪、力強く羽ばたく翼でラーヴァナを猛烈に攻撃しましたが、魔王の10の頭と20本の腕には敵いませんでした。ラーヴァナの失った頭や腕は全て、最初のものが落ちてしまう前にどんどん生えてくるのです。ジャタユは勇敢に激しく戦いましたが、次第に形勢が悪くなっていきます。ついにラーヴァナはジャタユの2枚の翼を切り落とし、南のランカ島へと飛び去りました。シータは、美しく豪華な車の床の上でショックを受け静かにうずくまっていたのでした。
ジャタユが致命傷を負ったところに、シータを探していたラーマと弟のラクシュマナが歩いてきました。息も絶え絶えになった敗北の戦士は、細切れにこう言いました「シータ様、、ラーヴァナ、、、南へ、、ラーマ様、殺してください。ご主人の前でその手にかかって死ぬのは本望です」常に優く、けれど決して感傷的ではないラーマは、弓矢でジャタユの勇敢な心臓をサッと射抜きました。そしてラクシュマナと一緒に木を集めて薪の山を作り、家族を見送るときと同じように丁寧に葬儀を行ったのでした。
ガルーダサナに入る方法
まずはタダサナで、股関節幅に足を並行にして立ち、両腕は体の脇、頭頂は天井に向かって引き上げます。視野を広げましょう。
1. 息を吸い込んで、両腕を手のひらを上にして肩の高さに上げます。
2. 息を吐き出して、左腕を右腕の上にして、左肘が上になるように重ねます。
3. 両肘を曲げ、前腕の裏側が並行に、手の甲どうしが向きあうようにします。両手のひらが触れ合うまで前腕どうしをからめます。手首は前腕と一直線にしたまま手指を伸ばします。(手首を捻らなければ手のひらがつかなければ、手の甲どうしを着けておきましょう)前腕を反対方向へ押します。「翼(肩甲骨)」あたりのストレッチに気付きましょう。
4. 両膝を曲げ、体重を左足へと移します。
5. 右脚を左膝の上にクロスさせます。
6. 右足を左脚の下の方に巻き付け、左ふくらはぎや足首に引っ掛けられるかみてみましょう。上半身は、左側が右側に巻き付いています。下半身は、右側が左側に巻き付いています。(全体重が片足に乗せられなければ、脚を巻き付けないでおきましょう。そのかわり、両脚を並行にしたまま膝を曲げ、股関節を後ろ屁引いて椅子のポーズのように高い位置のスクワットをします)バランスをとります。骨盤の先どうしを引き寄せます。おへそを引いて持ち上げましょう。息をして。自分がまるで、外からは静かに見えていても内側は力強く動いて存在している、そんな空へ飛び立つワシであるかのように想像します。
7. スムーズに呼吸します。頭の付け根を持ち上げます。股関節の凹みから少し前へかがみますが、胸は引き上げます。前腕を反対方向へ押し続けながら、肩甲骨全体を広げます。視線は、急上昇して目を見張るワシのように、両手の内側へ集中させましょう。
呼吸や体、眼のやわらかさと硬さに注意を向けましょう。特に手に鋭く集中するとき、目が固くなって前へ動くかに気付きます。同時にやわらかく集中することはできますか?筋肉を働かせたまま呼吸を和らげられますか?吸い込む息とともに、肺の下の方へ呼吸を入れて胸郭を翼のように広げてみます。滑空する鳥のように呼吸しましょう。
このポーズを30ー60秒続けてから、タダサナに戻ります。
右腕と左脚を上にして繰り返しましょう。
右腕と左脚を上にして繰り返しましょう。
ガルーダサナで内省する
ガルーダは、創造の番人・維持者・保護者であるヴィシュヌ神の乗り物です。ヴィシュヌの名前は「そこに入る」「行き渡る」という意味の「Vish」から来ています。ヴィシュヌは、宇宙の中に入ることで、ひと時も途切れることなく宇宙を維持、保存、保護しています。それは、選択した対象に意識を集中する瞑想の中で、瞑想を維持するために、何度も何度も同じ対象をどの瞬間も選び続けるのと同じです。保存し維持するとはどういう意味なのかを深く考えてみましょう。番人の乗り物であるために必要となる質とは何でしょうか?番人の乗り物としてどのように呼吸すればいいのでしょう?筋肉や骨に感じるエネルギーはどんなものですか?
もう一度ポーズを取ってみましょう。維持するとき、意識を体の全ての部分、呼吸、感覚器に行き渡らせましょう。全ての場所に均等に存在します。どこかで意識が揺れていることに気づいたら、もう一度そこに在ることに取り組みます。最も難しいと感じるのはどこでしょうか?
ジャタユやガルーダは、意識を維持した状態が自然の状態です。彼のダルマは無私無欲の奉仕で、全てが含まれる創造を保護することです。敵であるラーヴァナは自己中心主義を体現しています。ラーヴァナがシータをさらったとき、あなたの実践が湧き上がる欲望や自己主張に邪魔されるように、その行動は創造を崩壊させます。ジャタユはこの世と全ての生き物を守るという役目を果たそうとします。しかし、ジャタユが勇敢であるように、自我の頭はたくさんあって、どんな無知をも凌駕します。頭を切り落としても、すぐに次の頭が出てきます。自問してください「自我に関係した心配事が実践を邪魔しそうなとき、それを守るためにどのようにガルーダのエネルギーを集めればいいのか?」
この物語で、なぜラーマはジャタユを殺したのでしょう?それは哀れみです。ジャタユが言った通り「ご主人様の前でその手にかかって死ねるのは本望」なのです。インドの伝統では、そうした死は信者の解脱を実際に保証します。物語のこの部分は悲しいものですが、クリシュナ(ヴィシュヌのもうひとつの姿)の言葉「自身のダルマを全うすることは、それが不完全であっても、誰かのダルマを全うしようとするよりは良い(バガヴァッドギータ18:47)」ということを思い出させてくれます。ジャタユは徹底的にベストを尽くし、その結果、シータを助け出すという直近の志は叶いませんでしたが、主人その人によって苦しみから解放されたのです。ことわざ通り、戦闘で負けましたが戦争には勝ったのです。少しこのことについて考えてみましょう。あなたは困難な状況でベストを尽くし失敗したと思い、その結果は予定していたよりもずっとずっと良いものだったことはありますか?
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