今夜は68年ぶりに地球に月が大接近する Supermoon です。
太陽と反対に来た月(満月)が、地球と太陽の引力に引かれて近づくのですから
その力は潮の干満という形で現れるように、とてつもなく大きなものです。
私たちがそれを感じないわけがないと思いませんか?
残念ながら今日の空は曇っていて見えませんが、少し月に思いをはせてみましょう。
DoyouYogaの記事です。
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ヨガと月の関係とはどんなものでしょう?満月の日にヨガをしてはいけないとか、新月にヨギが断食をするとか聞いたことはありませんか?
そしてなぜ、夏至や当時に108ポーズを行うのでしょう?
いったい、月はヨガにどんな関連があるのかをここでお答えしましょう。
ハタ
これは、私たちの中にある男性性と女性性のバランスを指します。男性性は太陽で、熱く行動的。女性性は月で、冷たく受動的です。ハタヨガのアサナ(伝統的なヨガのエクササイズ)は、身体のバランスを整え両極にあるものを一体化させるためのものです。ヨガの練習を通して、強さと柔軟性、努力と委ねることを各ポーズの中で作っていくのです。
ハタヨガは力強い練習です。自己の変革と心を穏やかにするための道具です。ハタヨガの練習の中で、精神を「今」に調和させていくために心の揺らぎを穏やかにしていくことができます。
108
おそらく、新年に108回の太陽礼拝をする話を聞いたことがあるでしょう。その意味は何なのでしょうか?なぜ108回?
108という数は、ヨガ、仏教、ヒンズー教で意味のある数字です。古代インドの占星術師らは、太陽と月、地球間の距離の平均値が各直径の108倍であると考えていました。すなわち全体的な存在の数字をされていたのです。伝統的なマラ(数珠)は108個のビーズから成り、それらは太陽の周りを惑星がまわるようにグル・ビーズを囲っています。
1、0、8という数字は、唯一のもの、無、全て(無限)を意味し、宇宙の究極の真実という信仰を表しています。この聖なる数字の伝統において、特に春分と秋分という季節の変化を讃えるために108回の太陽礼拝が行われるのです。春分、秋分には、世界中で昼と夜の時間がほとんど同じになります。ラテン語ではEquinox(昼夜分岐点)は「等しい夜」という意味をもちます。ヨギたちは、この聖なる宇宙の変化を讃えるために108回の太陽礼拝を行うことで新しい始まりである季節の変化を祝うのです。
エーカダシ
「エーカダシ」とは「11」を表し、ヒンズーの太陰暦では満月と新月の後11日目を意味します。霊的にとても大切な日だと考えられています。ヴェーダ(古代インドの文献)では、エーカダシの日に断食をすると全ての罪から解放され、霊的に向上できると書かれています。
つまり、いつもは食事の準備や食べることに向けられている焦点を、神聖なるものへの信仰と愛へ向けるということです。このように、解脱へと近づくのです。西洋医学やアーユルヴェーダにおいても健康を維持促進するための断食は推奨されています。水やジュースでのデトックスは、汚れた身体を清め、堆積した老廃物を排除して消化機能を刺激ます。また、未消化の食事や老廃物による神経系の刺激がなくなるので精神的な集中力が高まります。このように、断食に関連した身体の浄化はこの日の縁起に関係しているのです。
満月と新月
地球は、太陽と月の引力に影響されています。こうした位置関係によってつくられるエネルギーは呼吸の周期に例えることができます。
満月のエネルギーは、プラナが最大になる吸気の最後にあたります。大きく息を吸って、止めて、身体のエネルギー(プラナ)を感じましょう。広がった上向きの力が私たちを力強く感情的に感じさせますが、落ち着きがなくなります。満月の間は自分勝手になりがちなのです。
新月のエネルギーはアパナの力が最大になる呼気の最後にあたります。完全に吐ききり、エネルギーが呼吸とともに流れていくのを感じましょう。アパナは収縮した下向きの力で、私たちに落ち着いた感覚を与えますが、身体の動きは重く抵抗感を感じるでしょう。
ヨガと月の周期
アシュタンガヨガの伝統では、この月の周期を尊重するために満月と新月の練習はやめるべきだと言われています。
月が満ちたり欠けたりすれば、心は影響を受けます。硬い地球がこの影響を受けているのは見えにくいですが、液体である海が受ける影響は眼に見えます。
月は地球全体に影響を及ぼしますが、潮の満ち引きを見ることでそれを感じることができます。太陽が月に影響を与え、月が地球に影響を与えます。その影響が自然に起こり、私たちは母なる自然の手の内にいるということになります。無意識にその時々であちこち引っ張られるか、それとも意識的に歩くこともできるのです。
意識の気付きの中で人生を歩くとき、ヨガを練習しているのだと言えるのです。
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