今日はUPLIFTの記事からです。
ヨガに Malasana というしゃがむポーズがあります。
お行儀が悪いと言われてしまうこともあるこのポーズにはとてもいい効能があると言われています。今では和式のトイレも少なくなりしゃがむことも少なくなりました。
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忘れ去られた姿勢の驚くべき効能
「あるグルが私にこう言った・・・」で始まる文章は、大抵の場合あまり信用できないものです。けれどこの間、イースト・ロンドンのヨガクラスでマラーサナというスクワットで休んでいた時にインストラクターが口にした言葉に私はびっくりしました。「あるグルが私にこう言った、西洋の問題はしゃがまないことだって」
これは本当なのです。先進国の多くでは、休むというのは座ることと同じ意味です。机の前の椅子に座ったり、ダイニングチェアで食事をしたり、自動車や鉄道ではシートに座るし、家に帰ったら心地いいソファでNetfixを見るのです。こっちの椅子からあっちの椅子へと歩く時、たまの激しいエクササイズ以外は、ほとんどの時間を私たちは座って過ごしています。椅子に背中をつけ続けるというこの行為によって、私たちは世界的にも歴史的にも異端者となっています。過去半世紀で、疫学者らは動きのパターンをどう研究するかを変えざるを得なくなっています。現代では、エクササイズの量とは別に純粋にどれだけ座っているかが問題になっているのです。
しゃがまないことは、生体力学や生理学上の影響があるだけでなく、もっと大きな問題があるというのです。頭でっかちでクラウドや電話とばかりすごしている世の中、私たちの祖先であるヒトが地面から初めて立ち上がって以来得てきた地面とつながる力を、しゃがまないことで失っているのです。言い換えれば、それがいいのなら今こそ始める時なのかもしれません。
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世界の多くの地域では、
椅子に座るのと同じようにしゃがむことが生活の一部 |
能動的休息としての深いスクワット
誤解がないように言えば、スクワットは単なる進化の産物ではないのです。この惑星の多くの地域の人々は、今でも毎日、休んだり、祈ったり、食事を分けたり、トイレを使ったりしています。(アジアではしゃがむスタイルが普通で、世界中の田舎にある汲み取り式ではしゃがまなければなりません) ニュージャージーからパプア・ニューギニアにいたるまで、歩きはじめの子供たちは歩くのと同じくしゃがむこと(そしてそこから立ち上がること)をいとも簡単に覚えます。病院があまりない国では、しゃがむ姿勢はまた人生の最も基本的な部分である「出産」にも関係しています。
西洋だけがしゃがまなくなったわけではなく、世界の豊かな中級クラスではそうです。インド出身の私の同僚 アクシャット・ラティは、グルによれば「西洋と同じくインドの富裕層でもそう」と言っていました。
けれど西洋では、貧富に関わらず全ての人がこの姿勢をしなくなりました。概して、スクワットはみっともなくて不快な姿勢で、絶対に避けるべきものだと考えられています。やるのはせいぜいクロスフィットやピラティス、ジムでのウェイトリフトの間くらいで、ときどきウェイトを使ってが多いでしょう(250万年前にはとても役立ったとは思えない繰り返しの動きです)。これは、能動的休息としての深いスクワットが進化や発達の過去に築かれたという事実を無視しています。あなたが快適に深いスクワットをすることができないのではなく、どうやればいいのかを単に忘れているだけなのです。
「スクワットから全て始まる」とニュージーランドのウェリントン在住の整骨医で作家のフィリップ・ビーチは言います。ビーチは、「原型姿勢(archetypal postures)」の概念の先駆者として知られています。これらの姿勢(床に両脚を平らに置いた深い受動的スクワットに加え、足を組んで座る、膝とかかとをついて跪坐くなど)は私たちにとって良いものであるだけでなく、「体の構造に深く刻み込まれている」のです。
これらの姿勢がいかに重要かに気づいていなければ、人間の体を本当には理解していないのです。 ニュージーランドは、寒くて湿ってぬかるんでいます。現代のズボンがなれけば、こんな冷たく湿った泥に背中をつけたくはないので、(椅子がなければ)長い時間しゃがんでし過ごします。トイレでも同じ事です。このように私たちの生理機能はこうした姿勢のように作られているのです。
なぜしゃがむことをやめたのか?
なぜしゃがむことがそんなによいのか?そしてなぜ私たちの多くがやめてしまったのか?
それは単に「使わなければ失われてしまう」ということにつきる、とカナダはオンタリオの高度理学療法教育研究所(APTEI)の創設者で理学療法士のバーラム・ジャム博士は言います。
私たちの体にある関節の全てに滑液があります。これは栄養を軟骨に供給する体内のオイルです。 この液を作るのにふたつが必要です。動きと圧迫です。ですので、関節が可動域いっぱいに動かなれけば(股関節や膝が90度を越えなければ)体は「使われていない」と退化し始めて滑液の生産をやめるのです。
健康的な筋骨格系は、しなやかで潤った感覚を与えてくれるだけでなく、もっと広く影響します。欧州心臓予防学会の2014年の研究では、手や肘、脚の支えなしで立ち上がることが困難な被験者は、容易に立ち上がれる被験者よりも寿命が三年短いことがわかったのです。
トイレ・デザインの発展
西洋では、日常的にしゃがまなくなった原因はトイレのデザインに深い関係があります。地面に掘った穴、屋外トイレ、おまるなどはどれもスクワットしなければなりませんが、研究では、用を足すときに股関節が大きく屈曲していると負荷が軽減されることを示されています。腰掛け式のトイレはイギリスの発明ではありません。最初の簡単なトイレは紀元前4世紀のメソポタミアに遡り、古代のクレタ島にあったミノア文明は水洗トイレの先駆けであったと言われています。しかし、イギリスに初めて導入したのはチューダー王家で、16世紀、凝りに凝った玉座のようなトイレで「トイレの宮内官」に用をたす助けをするよう頼んでいたといいます。
後の200年間はトイレの革新はゆっくりと不規則なものでしたが、1775年の時計職人アレキサンダー・カミングスが立ち上がった水槽の下につけるS字のパイプという重要なを開発をしました。しつこいコレラの発生と悪名高い「偉大なる悪臭」ののち1858年ロンドンでとうとう完全に水洗の機能する下水施設が作られ、1800年代半ば以降になって腰掛け式トイレが家庭でも普通に見られるようになり始めました。
今日では、アジア全体でみられるしゃがむタイプの水洗トイレは、西洋のものと同様に清潔です。しかしジャムによれば、欧州の腰掛け玉座デザインへの移行は、多くの西洋人のスクワットに対するニーズ(そして毎日の習慣)を奪い取ったのです。確かに、スクワットが便通を良くするという事実が、西洋式トイレをしゃがむものへと変えるプラットフォームである
lillipad や
Squatty Potty など、スクワットのように曲げた姿勢で座ることができる製品のカルトのような人気に火をつけています。 ジャムによれば、
スクワットがこんなにも不快なのは、普段しゃがまないからです。けれどもし1日に便通に1、2回、排尿に5回、トイレに行くとしたら、1日に6回はスクワットすることになります。
「原始的」な姿勢
この身体的な不快感がスクワットしない主な理由である一方で、スクワットに対する嫌悪感が西洋文化でもあります。オフィスの椅子でスクワットや足を組んで座ることが股関節に良いことだとしても、現代の仕事場での服装では(正式なオフィス・エチケットはいうまでもなく)、概してこの種の姿勢がしにくいものです。西洋のリーダーや議員などが地面に近いところに浮遊するとすれば、可愛らしい幼稚園児と写真撮影するときぐらいなものでしょう。確かに、ニューヨークやロンドンなどの都会で歩道にしゃがみこんでいるような人というのは、私たちが素知らぬ顔をして急いで通り過ぎようとするタイプの人であることが多いでしょう。ジャムはこう説明します。
どこかにしゃがむというのは、原始的で社会的地位が低いとみなされます。しゃがむといえば、インドの農民やアフリカの村の部族、非衛生的な都会の床などを思い起こすでしょう。私たちはそこから進化したと考えるでしょうが、実はそこから退化してきたのです。
ロンドン在住の助産師であり整骨医のアヴニ・トリヴェディは(私自身の座るときの痛みで過去に彼女を訪れたことがある)、出産の姿勢としてのスクワットも同様だといいます。いまでも多くの世界の発展途上地域では重要なもので、西洋でもホリスティック出産運動によってますます提唱されています。
スクワットの出産姿勢では、筋肉がリラックスし仙骨が自由に動いて赤ん坊が押し出されると同時に、重力もその役割を果たします。しかし、この姿勢が原始的であるという認識によって、女性たちはこの能動的姿勢から、出産のプロセスで作用が少なく体系化されていないベッドへと移ったのです。
進化的衝動
では、しゃがむことにしてオフィスの椅子と永遠にさよならするべきでしょうか?ビーチは「どんな姿勢でも長時間保持すると問題が起こる」と指摘し、深いスクワットの姿勢であまりにも長い時間(日に数時間)過ごす人びとに、膝や骨関節の問題に高い発生率がみられるという研究もあります。
しかし、しゃがむ行為をほとんどやめてしまった私たちにとっては、「実際にこれをやりすぎることはできない」とビーチは言います。この種の動きが関節の健康や柔軟性を促進するという範囲を越え、世界中で大きくなっているヨガに対する興味が「地面に接していることが身体的に自らを自分自身(画面に支配され超知能化された私たちの暮らしから大きく失われた何か)につなげる」という認識に幾分強い影響力をもっているのだろうとトリヴェディは指摘しています。
ビーチは、これは流行ではなく進化的衝動なのだと認めています。現代のウェルネスの動きは「床の生活」が鍵なのだと気付き始めています。自らを地に着けるという体の行動は人類がこれから変わっていくのに何も不足しているものはないと、彼は主張しています。
ある意味、スクワットは人間全員が来たもとの場所であり、だからできるだけ多くそこを訪れるのは当たり前のことなのでしょう。
(出典)
https://upliftconnect.com/the-transformative-power-of-squatting/