2019年8月28日水曜日

ピッパリ:インドの長胡椒とその強力な効能 
Pippali: Indian Long Pepper and its Powerful Health Benefits

この夏、久しぶりに沖縄へ行く機会がありました。
沖縄は、日本国内とはいえ亜熱帯で文化も食べ物も独特ですよね。
その中で、「島胡椒」あるいは「ピパーチ」などと呼ばれるスパイスがあります。
これはヒハツモドキという植物の実で、アーユルヴェーダではピッパリ(長胡椒。ペッパーの語源となったと言われています)という万能スパイスの仲間です。さてピッパリの効能は??

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ピッパリは、アーユルヴェーダ医学の世界では様々にとても重要なものです。その名前の「飲んで消化する」という意味のその名前は、主な効能の1つ、消化の増強と毒の燃焼を示しています。ハーブまたは調理スパイスとしてピッパリは通常、咳や風邪、鼻づまりから消化不良、不妊、精神バランスの崩れなど幅広い不調に使用されます。


ピッパリは一年を通して使える素晴らしいハーブです。しかしその肺を回復させる強い特性から、春にとると特に素晴らしいとされています。春は多くの美しさがある一方で、やっかいなアレルギーや鼻づまり、風邪や咳などの季節でもあります。アーユルヴェーダでは、春はカパ・ドーシャの季節なので、上記のようなカパの乱れが生じやすくなります。春によくある問題を防ぐため、ピッパリを春の習慣に足すと良いでしょう。


ピッパリは「トリドーシック」なハーブとして知られ、つまり全ての体質に向いています。近い親戚の黒胡椒とは異なり、ピッパリは、その消化後の冷やす効果からピッタにも多すぎなければ使用できます。ですから、ピッタ(火・熱)が体内に増えている時も含め、ほとんどの消化異常に安全に効果が期待できます。カパ・タイプには少し多くても大丈夫ですが、このハーブはとても強いものなので少しだけ使うよう気をつけてください。


アーユルヴェーダにおけるピッパリの特性

ピッパリの効能

  • 血液の浄化(変質)
  • 消化の増進
  • 弱い消化力(マンダ・アグニ)を治療
  • ガスや膨満感を減少
  • 体を解毒する
  • 回復 (特に肺)
  • 咳、喘息、しゃっくり
  • 呼吸器の感染や疾患
  • 熱を冷ます
  • 貧血
  • 皮膚疾患
  • 血色をよくする
  • 抗寄生虫
  • 抗病原菌
  • 肝臓、胆嚢、脾臓の問題に
  • 生理不順や月経困難など
  • ヴァータ系の神経症状(不安、恐怖、心配など)
  • 記憶力や理解力を高める
  • 関節炎に効く(特に痛風やリューマチ)
  • 血行促進
  • 精子運動促進
  • 精力増進(男女共)
  • 不妊(男女共)
  • 体重減少
  • 坐骨神経痛
  • 不眠症
  • てんかん
  • 腫瘍の形成を減少
  • 一緒にとると他のハーブの効果も上昇させる


ピッパリの使い方


ピッパリはとても幅広い健康効果があるので、摂り方にも幅広い方法があります。日常にピッパリを取り入れる簡単な方法は、料理に黒胡椒の代わり(足してもいい)に使うことです。より多く摂る場合(より強い効果を得る場合)、ピッパリをどのように家庭の治療として使えるかをお伝えしましょう。


1. アレルギー、咳、風邪、鼻づまり:

ターメリック小さじ1/4、生姜小さじ1/4、ピッパリ小さじ1/8 を
白湯1/4カップに、ロー・ハニー(非加熱蜂蜜)小さじ1と混ぜる。起床時と午後2-4時の間に摂る。

2. 発熱やインフルエンザ:

ピッパリ小さじ1/4を、トゥルシ、ターメリック、生姜のお茶1カップに混ぜる。蜂蜜を大さじ1杯入れる。発熱時、インフルエンザの時は日に3回摂る。

3. 痔:

ホームメードのヨーグルト1/2カップと一緒に、ピッパリ小さじ1/4とターメリックひとつまみを摂る。朝食後と夕食後に毎日摂る。

4. 生理不順:

オーガニックのアロエジュース大さじ2杯とピッパリ小さじ1/8を、白湯1/2カップに混ぜる。1日3回食前に摂る。

5. 美肌:

オーガニックのアロエジュース大さじ2、ターメリック小さじ1/4とピッパリ小さじ1/8を白湯1/2 カップに混ぜる。食事と一緒に1日3回。

6. 精力(男性):

ギー小さじ1、ピッパリ小さじ1/8、アシュワガンダ小さじ1/2 。白湯1/4カップに混ぜ、1日3回食前に。

7. 精力 (女性):

ギー小さじ1、ピッパリ小さじ1/8、シャタワリ小さじ1/2 。白湯1/4カップに混ぜ、1日3回食前に。

2019年8月22日木曜日

未来世代のために伝統的なヨガを再発見 
Rediscovering the ancient practice of Yoga for the future generations

Hindustan Times の記事です。
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インドの世界に対する最も大きな貢献のひとつがヨガの知識であり、現在では国連や世界に国際的に受け入れられている。国際ヨガ・デーは2014年から毎年夏至(6月21日)に祝われている。グルグラム(訳注:インドの都市名)にいる我々は、この有名な日のことを知っているし、ますます大きくなる都会のストレスに負けず健康や心のバランスをとるためにグループでヨガを練習したり、町中にいる専門のトレーナーと一緒に行ったりしているが、ヨガがこの土地に何世紀にもわたって存在してきたことはあまり気づいていない。


ヨガの最も古い証拠はインダス文明のハラッパーの紋章にあり、20世紀初めの著名な考古学者ジョン・マーシャルによって記録されている。インド国内外の学者たちが内容物や紋章に描かれたポーズについてかなりの研究を行ってきているが、それによればヨガは世紀前2700年も前から行われているとはっきり示している。ヨガのモチーフやヨガの修行を行っている像などのあるインダス文明の紋章や化石は、歴史的にシンドゥ・サラスワティ・ベルトの一部だったこのグルグラム地域や古代のインドでのヨガの存在を明らかに証明している。


こうした歴史的証拠に加え、グルグラム地域の神話にはヨガの実践を記録したマハーバーラタの叙事詩との関連性がみられる。バガヴァットギータでは、18章の全てがヨガ(結びつくという意味のサンスクリット語「Yuj」に起源を持つ)と表題がつけられている。クリシュナ神は彼の弟子であるアルジュナに、ヨガとは人生で出会う様々な状況の中「心の正しいあり方を育む」ことだと明確に伝えている。


サンスクリット語の特別なシュローカ(詩)「tatra ekagram mana krtva yatacittendriya kriyah/upavishyasane yunjyadyogamatmavishud’dhaye// (バガヴァットギータ6章12節)の意味は、「1つのポーズで揺るぎなく座り、感覚と心を制し、究極の一点に集中し、ヨガの実践に専念する熟練者」だ。鳥の目を的にする弓の射手アルジュナへのグルのドローナチャリヤの究極の集中のための教えは、ヨガの集中の練習のひとつの例である。


今日では大抵の場合、ヨガを単純化しすぎて体の運動のやストレス解消の方法だと考えているが、これは究極の集中であり、体と心と魂を結びつけることで究極の健康の効果を得られるものだ。


初期の頃と現代で、ヨガの教えを広める様々な形態の違いに注目するのも興味深い。その知識はかつて伝統的に家族の中の経験のある賢明な人物によって伝えられていたが、その後リシスやムニス(聖者)によってアシュラム(隠者の住居)で行われた。しかし現代では、都市でのヨガは多数の有名なヨガ団体やヨガ大学、大学のヨガ学部、また民間の委託や協会によっても行われている。多数のヨガ・クリニックやヨガ・セラピー、トレーニング・センター、ヨガの予防医学施設、ヨガの研究センターが病院や診療所、医療施設などに作られてきている。


2019年の国際ヨガ・デーでアユーシュ大臣が述べたように、この活動は都市部だけでなくハリヤナ州の様々な村にまで広がっている。その中でも突出しているひとつの例は、グルグラム地区にあるタージ・ナガール・グラム・パンチャヤだ。この村ではヨガを大変まじめに考えており、ヨガのトレーニング・クラスを定期的に行うことを始めた。近隣の村であるカダックプールの住民もまたそれに参加している。おそらく、21世紀におけるグルグラムの周囲の都市や村々でのこのヨガの復活と広がりは、精神衛生を向上させ住民間のよいバランスのための寛容や愛情とともに、我々の未来のライフスタイルために古い我々の財産を伝え続けることに役だっていくだろう。






(出典)https://www.hindustantimes.com/gurugram/rediscovering-the-ancient-practice-of-yoga-for-the-future-generations/story-o0PncwghclDQToys0tkcCN.html?fbclid=IwAR2kCu6u8IUxWg7jr9MnMKH3NEEY61MrBSQ5-x0ShB3fn7D2ZwWobz6F6NE

2019年8月7日水曜日

内なる幸せを見つけよう  Vol.2
Find the Happiness Within You

前回からの続きです。
より深い幸福へと入っていきます。
・・・なかなか普通の人には難しそうに見えますが。

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ムディタ(霊的な幸せ)


サントーシャの実践で心が落ち着くと、次のレベルの幸せ「ムディタ」が視界に入ってくるだろう。英語での最も近い訳は「Spritual Happiness(霊的な幸せ)」。ムディタの最も純粋な形は、ジョンが経験したような喜びだ。どこからともなく、自身の深いところからくるメッセージのようで、一瞬にして自身の状態を変えてしまうパワーが実際にある。感謝や高揚、平静などの感情を司り、歩道のゴミやファーストフードのハンバーガーのような普通は感じないものにでさえ、美を見出す力を与えてくれる。


ムディタは育めるもので、このような喜びを作ることを目指す霊的な修行は多い。私の知るあるヨガスタジオでは、他のどんなプログラムよりも週一回のチャンティングのセッションの参加者が最も多い。なぜだろう?チャンティングがムディタを起こすからだ。また特定のヨガポーズや、瞑想、繰り返すマントラ、悟りへの集中もそうだ。バクティ・ヨガやスーフィ教など伝統的な信仰は、ムディタを育む方法に特化していて、微細であっても意識への力強い道筋へとなりえる。




アーナンダ(理解を超えた至福)


ムディタが自身の体験全てにまで深まると、最も深いレベルの喜び「アーナンダ」を見出す。アーナンダは一般的に「Bliss」と訳されるが、個人的にこの英語はアーナンダの実際に持つ意味を正しく表現してはいないと思っている。アーナンダは、忘我、歓喜であり、世界のとても深いところから湧きあがる喜びであり、一瞬で純粋な存在の果てしない広がりへと私たちを繋げてくれる。アーナンダは言い換えると、幸福という形の聖なる力だ。それに触れるとわかる。そして真実の最も深いレベルに触れたこともわかる。

ウパニシャッドやシヴァ教、シャクタ・タントラなどの二元論を否定する優れた哲学者らによれば、アーナンダは神だという。身体中に染み渡る湧き上がる歓喜を感じる時というのは、神を体験しているのだと、私の先生がよく言っていた。喜びと神の体験との同様の関連づけがスフィの詩カバラにもあり、キリストの神秘主義の書物の中にも身体中を走るような体験がある。C.S.ルイスが自身の霊的自伝に Surprised by Joy と名付けたのは、神の存在を感じた彼の体験全てが全くの幸福感だったからだ。だから喜びを育むことは、内的体験への近道なのだ。それはただの手段ではなく、目的そのものでもある。

私にとってこの見識は実際的に役立ち、喜びの道をたどる秘策だ。これらの素晴らしい指導者らが言ったことを真面目に考えてみよう。喜びは実際に存在し、あなたの中に、あなたの周りの世界にあるという理解を試してみよう。そしてそれに近づけるあなたに合った練習や姿勢を探そう。喜びはあなたの前に突然現れるかもしれない。もしくは練習と自問によってゆっくりやってくるかもしれない。



喜びの練習をする


基本的には、ジョンが学んだことだ。彼が初めに感じた予期しない喜びは長続きしなかったし、そういう状況はめったに起こらない。数日後にはやや鬱ぎみで不安な元の状態に戻り、たまのユーモアで元気付けられたりしたが、すぐに喜びの体験は現実というより記憶となった。しかし、ジョンはその体験を忘れられず、それをまぐれだとは思いたくなかった。それで、少しづつ自身の道を作り上げた。スフィの詩を読んだ。瞑想を始めた。しかし、彼の本当の変化は、あの喜びの体験が真実の深いレベルから来たものであり、心の中やテレビ、街で見た困難や痛み、機能障害などではないという信念を選んだことだ。


ジョンはこんなような自問プロセスを作った。「OK、喜びは自分の中にあるという信念を僕は選んだ。でも今それを感じることはない。じゃあ何をすればいい?僕のどこを変えればいい?あの喜びを起こせるように何を実践すればいい?」


やがて誰もがそうであるように彼は気づいた。喜びへは前から一所懸命近づいてもうまくいくとは限らない。
シッダ・グルのグルマーイ・チドヴィラサーナンダはかつて喜びを蝶に例えてこう言った。それは手のひらに来てとどまるけれど、それを掴んで離さないでいることはできない。喜びを「得よう」とするのではなく、それを呼び寄せる練習や姿勢を見つけなさいと。心の扱い方を教える先生方から得られる手がかりの多くは、実は喜びを引き寄せる練習なのだ。思いやりの実践、どんな小さな恩恵でもまた困難であっても自身や他人への感謝を忘れないこと、悪意は意識的に手放すこと。これらは全て、心の周りに溜まって喜びを遠ざけるドロドロしたものを取り除いてくれる。もっと大切なのは、自身に語る物語に気づくこと、内に痛みが起こす思考を観察すること、喜びを引き寄せられる内面を作り出すため自身の創造的な精神力を使うことだ。


だから、ゆっくり進もう。幸福を育むプロセスとはこんな風に見えるものだ。まず幸福が現実だと単に理解することから始まり、そしてそれを感じることが可能になるまで精神と感情をオープンにしていく決心をする。自身の状態によって、サントーシャを練習する必要があるかもしれない。それは私にとっては、体や心をたった今かき乱している思考や感覚、不安や欲望に気づくことであり、そして今の現実に抗って起こっている動揺をうけ流すためできることをやるということだ。





近道をゆく


次の段階は、ムディタの練習だ。チャンティング、祈りの言葉、直接こころの真ん中に入っていきそこに広がるエネルギーを放つ、愛のイメージや視覚で瞑想する、他人の幸福のため祈る、敬愛する先生を思い出すなど数えきれない練習法がある。


タントラの書物では、上記すべての中心にある核となる練習がひとつある。とてもシンプルでいつでもできる。車の中、皿洗いの途中、この文を読んでいるときでさえ、とても短い時間で意識をシフトされられるものだ。


両目を閉じて本当に幸せだと感じた瞬間を思い出そう。そしてその瞬間へと移動する。感覚がその状況にある時のようになるかみてみよう。どこにいたのか、何を着ていたのか、誰が居たのかを思い出すなど、視覚を使ってもいいだろう。「あの幸せってどんな感じだった?」と自分に尋ね、体のなかにその感覚が出てくるまで待つなど、感覚を思い起こす方法もいいだろう。それがたとえ少しだとしても、本当にその幸福を感じるまでやってみよう。


そしてその情景や状況の記憶をはずして感覚だけを感じてみよう。その感覚の中心が体のどの場所にあるのか見つけ、それが体を満たすまで広げてみる。もしあなたがとても視覚的ならば、感覚に色をつけると(金色やピンクなど暖かい色)うまくいくかもしれない。あるいは呼吸を使って、感覚に呼吸を送り吐く息でそれを広げていくのもいい。


この感覚と幸福を感じながら座ろう。そのままで感じ続けられるかみてみよう。この時にその幸福感を自分の基本的な感覚にすることができるか試してみよう。これは小さいけれど、あなたの本当の真実を垣間見ることなのだ。





(出典)https://www.yogajournal.com/yoga-101/joy-story