2021年12月31日金曜日

「手放すこと」の5段階:手放し方を身につける Vol.2
The 5 Stages of Detachment: Learning How to Let Go

 前回の続きです。

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手放すことの5段階


物事が順調に進んでいる時、自身が力強く肯定的に感じる時、健康で創造性に満ちている時、愛に包まれている時は、なぜそんなにも執着を手放すことについてヨガの文献にたくさん書かれているのだろうと不思議に思いがちです。喪失感や悲しみ、失敗に対峙するときは、それに対してもっと興味を感じるでしょう。手放しの実践が、激しい苦痛から抜け出し安らかさに近い何かへと進ませてくれる生命線となります。


けれど、手放しへと一気に飛び込める訳ではありません。ですから、バガヴァッド・ギーターは、小さなことから始めて、毎日手放す筋肉を働かせ養うことを勧めているのです。手放しには練習が必要で、段階的に姿を現します。



第一段階:承認


大きな喪失や強い執着に対処する時はいつも、私たちの感情を承認して働きかけることから始める必要があります。こうした感情は、執着の面倒な局面です。何かが欲しいと感じる時の興奮した欲望や、それを失うことへの不安、そして得られなかった時に現れる絶望感。


承認とは単に、あどうしても欲しい、喪失感を感じると認識するだけではありません。何かを欲しいと思う時、どのように欲しいのかを感じ、身体の中の「欲しという感情」を見つけます。勝利を確信している時には、胸を叩いて「自分、自分、自分!」と言いたがっている自分の一部とともに居ましょう。大切なものを失う不安や恐怖は押し退けるのではなく、わき起こるままにしてそこに呼吸を送ります。そして、実際に喪失した絶望を感じるときは、それを受け止めましょう。泣いてもいいのです。



第二段階:自問


感情を感じ取れたら、自問を通じてその感情を処理しなければなりません。そのためには、欲望や哀しみ、絶望が意識の中に起こる感情の場所を調べることから始めます。その感情に名前をつけて、その中身や物語を徐々に吐き出します。(慰めが必要な部分を扱うために、前もって少し自分と話すことが、時には役立つかもしれません。能力があるのだと自分に気づかせたり、役立つ教えを思い出したり、助けや導きのために祈る、あるいは吐き出す度に「癒されますように」と言うだけでも。)


プロセスの自問部分を始めるには、自分の内に居る目撃者と繋がります。そして、感情のエネルギーを探ります。このエネルギーに深く入れば入るほど、そのやっかいな性質は、糖分の間は解け始めます。感情に対処するプロセスでは、その感情と共に居る自分と少し離れたところに立つ自分の両方を探る方法を見つけるのが重要です。



第三段階:処理


手放すことの3段階目では、今まで歩んできた人生で、取り組んでいる責務や人間関係、ライフステージの中、それらが結果的にどうなるかに関わらず、何が有益なことなのかに気づき始めます。息子の誕生日の後帰宅して「少なくとも会った」と考えた母親は、この認識の解釈のひとつを経験しました。私たちの多くは、しなかったことで得た教訓であっても、何かを実際に得られたと気づく時に、手放すことの第三段階に到達します。


ある若い科学者は、2年間を費やしてきた彼のキャリアを決定する研究で大きな成果に近づいていましたが、ある日科学雑誌を手に取ったとき他の誰かが達成してしまったことを知ったのです。彼はひどくショックを受けて研究への意力を失いました。「絶望的なことばかり考えてしまう」と彼は私に言いました。「『お前は全く不運なんだ。科学の神様がお前に成功させることはない』と考えてしまう。ラボに行くことさえ嫌だった」


彼はその絶望をいくつかの方法を組み合わせてやり過ごす方法を学びました。マインドフルネス(「それは単に思考にすぎない」)、それに向かって話をすること(「物事は良くなる!」)、そして祈りです。今までの研究からどれほど学ぶことができたか、そしてそれが後にどれほどに役に立つかに気づき、距離を置けるようになった(彼が実際に使った言葉は「癒された」)と語りました。



第四段階:創造的行動


この科学者は、何かを証明する必要からではなく、それをすること自体に本当の熱意をもって新しく始められるようになった時、第四段階に達するでしょう。


喪失や欲望で感覚を麻痺することもあり、行動する意思を失ったり、意味がないあるいは無益な方法で行動している自分に気づきます。プロセスに時間をかける理由の一つは、行動する時、いくらかコントロールができると自分を納得させるために、恐怖や何かをしなければという必死さで麻痺しないためです。喪失の早い段階や強い欲望に囚われた時、基本的な生存のために最小限だけを行うということも、時にはより望ましいこともあります。けれど、前身するに従って、考えや計画がどんどん浮かび始め、それを行うことに本当の興味を感じるでしょう。それが創造的な行動を取る時です。



第五段階:自由


喪失について(あるいは欲望対象について)考えることが、通常の幸福感の邪魔をしなくなった時、この段階に達します。欲望、恐怖、そして絶望は心の中に深く入り込み、どんな執着の残骸があってもそれに引き寄せられるのを感じます。こうした感情によって突然襲われることなく、今起きていることをじっくりと考えられるようになった時、本当の手放すことに達し始めていることに気づきます。


第五段階は真の自由という状態で、賢者アビナヴァグプタは重荷を下ろす感覚だと表現しています。些細なことではありません。そうした困難な感情のひとつから自分自身を解放するたびに、ヨガの文献が束縛の鎖だと呼ぶものの、もうひとつの関係の扉を開けるのです。




捧げることによる手放しの実践


毎日行っても、人生の大きな障害に対処する方法としてでも、柔らかな態度で行うと、手放しの実践はより容易になります。おそらくは自身のユーモアのセンスで前進するパワーを得ながら、勇敢に自分の弱さを断ち大変なことに立ち向かうという、精神生活へ向かう禅の武士たちには多大な敬意を感じます。けれど、私がそういった方法で手放そうとすると、感情が深く凍結してしまうように思えます。


そこで代わりに、手放すことを容易する私の方法は捧げるという実践です。自身を精神的な存在(ヴェーダの文献では、存在、気づき、至福と言われます)につなげ、そして今していることは何であれ、今しようとしていること欲していること、今解放しようとしていることをささげるのです。それは、バガヴァッド・ギーターで確率された昔からの方法、つまり、あなたの努力の結果を神に捧げることです。


全ての精神的伝統は、何らかの献身(そしてなんらかの神)を持ちますが、手放しの実践については、最も力強い献身法は、自らの行動を捧げ、恐怖や欲望、疑い、妨害を、ひとつの意識へと向けることです。行動を捧げることにより、特定の利益や個人的な目的でなく、ただ「偉大なる意識」を称え感謝し、それと自身の意識をつなげるために行動するよう、自身を訓練することができます。欲望や恐怖、疑心を捧げることで、それらが私たちを捉える力を緩めることができ、私たちの切望とそれらの達成の両方の源である「存在」の中で信じることを思い出すことができます。



献身の実践がどんなものかを見ていきましょう。


まず、つながるための最も大きく優しいレベルの真実を思い浮かべます。思いやりの心、特定の先生や神様、一体感、あるいは単に自然界全体(人間、動物、植物、地球、空気、恒星、惑星、宇宙そのもの)でもいいでしょう。あるいは、自分の存在、自分の命にもっとも不可欠だと感じる存在やエネルギーに気づくことでもいいでしょう。


これができたら、これから行う行動、あるいはそうなって欲しいと思う結果を心に浮かべます。心の中で、それを「存在」に捧げます。「可能な限り最高の形で達成されることを願いながら、これを全ての源に捧げます」というようなことを言っても良いでしょう。もし問題が強い執着や、自分自身の妨害となるもの、誰かであれば、それを心に描いて捧げます。「この状況でバランスをとり調和を得られますように」とか「物事が全ての人ためになりますように」「至高の善に従った結果となりますように」など言うこともできます。


特定の人間関係への欲望や、自分の幸福への希望、愛する人など、あなたが捧げているものを深く気遣うなら、それを手放すことに躊躇しているのに気づくかもしれません。そんなときは、もう一度捧げましょう。希望や恐怖、欲望、怒り、正義感などと自分自身との同一視が緩んだと感じるまで続けます。執着に囚われたと感じるときはいつでも、もう一度捧げましょう。


捧げることができたら、内面に作り上げた感情のスペースの中に居続けます。「存在」の育みの力は、恐怖や執着を本当に消し去る唯一の力です。その広大で優しいエネルギーを知れば知るほど、それが私たちの力と愛の源であると気づきます。そして気づいた時、手放しはより大きなものへと変わります。欲望や恐怖を手放すことではなく、私たちはこんなにも大きく、その中の小さな感情の全てを包むことができ、それでいて完全に自由であることへの気づきへと変わるのです。

2021年12月28日火曜日

「手放すこと」の5段階:手放し方を身につける Vol.1
The 5 Stages of Detachment: Learning How to Let Go

年の瀬も目前となり、今年最後のクラスの終わりには、新年を迎えるにあたって「手放すこと」についての瞑想を行いました。「手放す」とはどういうことで、どんなメリットがあるのでしょうか。
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私が初めて、執着を手放すことと自由の関係性について真剣に考えた時のことは忘れません。そろえは20代の頃で、ヴァーモント州の友人と一緒に、恋愛相手との辛い別れから立ち直ろうとしていた時です。ある夜、私の憂鬱に嫌気がさした友人が地元のラジオをつけたところ、ラム・ダス(訳注:心理学者でスピリチュアルなヨガの指導者)が話をしていました。彼は、インドでの猿の捕まえ方という有名な逸話のことを語っていました。ナッツ一掴みを口の小さな壺に入れておくのです、と彼は話しました。猿は壺に手を突っ込んでナッツを掴むのだけれど、掴んだ手は壺の口から出せないことに気づくんです。ナッツを手放せば逃げられる。でも、そうはしない。


執着は苦痛につながります、とラム・ダスは締めくくりました。それは「手放すことは自由につながる」のと同じくらいシンプルです。


彼は私に話しかけているのだと思いました。1日に2箱タバコを吸う習慣や、辛い恋愛関係、私は確かに執着していて、そして確かに苦しんでいました。けれど、一握りのナッツを手放すことは考えられなかったのです。恋愛というドラマ無しの、タバコやコーヒー無しの人生など想像できなかったし、ましてや、それ以外のちょっとした依存、つまり心配や憤り、判断など無しでは考えられませんでした。それでも、猿と壺の話は、いつか作動するエネルギーのように私の心に残りました。


一年後、私は駆け出しのヨギとなりました。最近のトラブルについて聞いてくれるような女友達と出歩かなくなりました。その代わり、不満を言うといつも「手放して」と答えてくれる人たちと過ごすようになりました。シンプルさを追い求めて、軽率にも、仕事を辞め、アパートを出て、彼氏と別れました。捨てられなかったものは、不安、憤り、そして批判する傾向。つまり、ある行動から他の行動へと単に移動しただけで、その結果、まだ苦しみ続けていました。



手放すとは?


数年の間、大切なものを無用なものの代わりに捨ててしまうまで、手放すとは外界の話ではないのだと私は気付きませんでした。実際、人生の大きな精神的な課題によくあるように、手放すことは深いパラドックスに関係しています。人生で混乱があまりない人は、精神的な実践のための時間をより多く持っているのは事実です。けれど、長い目で見れば、家族や所有物、政治行動や友人関係、仕事への注力などから自身を切り離すことは精神的な人生を貧しくする可能性があります。人や場所、スキルや考え、お金や所有物に関わることは、現実の世界で精神的な基礎となります。こうした外側の関係性や、それらの作るプレッシャーがなければ、思いやりを身に付けたり、怒りやプライド、心の冷酷さを減らし、精神的な洞察を行動に移すことが難しくなります。


ですから執着を手放すことは、生活の糧や力、自尊心、他人との関係性などという基本的な問題に対処しないことの言い訳にはできません。また、手放すことを、無関心や不注意、消極的態度と同一視することもできません。その代わりに、手放すことをスキルとして実践することができます。おそらく、人生に誠実さを気品を与えるために必要なスキルとして。


バガヴァッド・ギーターは、間違いなく執着を捨てる実践についての基本的な文献ですが、この点について素晴らしくはっきりと著されています。クリシュナはアルジュナに、執着を捨てて行動することは、それを行うこと自体が正しいことであり、成功するか失敗するかの心配することなく、それが為されなければならないゆえである、と語ります。(T.S.エリオットはクリシュナの助言をこのように言い換えています。「我々には試すことしかできない。あとは知ったことではない」)


同時に、クリシュナはアルジュナに、運命が求める彼の役割の中で最善を尽くすことから逃げてはならないと繰り返し思い出させます。ある意味で、バガヴァッド・ギーターは、最大のプレッシャーの下で最大の気品を持って行動する方法についての長い教えなのでしょう。ギーターは実際、手放すことについて私たちが持つ多くの質問について記しています。例えば、家族や喜びを感じる能力を諦めるべきではなく、自分を純粋で不死の意識としてではない身体や個人として識別する傾向を捨てるべきだと指摘しています。



執着を手放す方法


けれど、バガヴァッド・ギーターは全ての質問に答えてくれる訳ではありません。その方が良いでしょう。一歩ずつ、自分で答えを見つける方法を発見することが、精神的な人生の醍醐味ですから。例えば、恋に落ちた時にどうやって執着を手放せるのでしょう?どうやって、行動の結果を深く考えることなく、ビジネスを始めたり、小説を書いたり、司法試験の勉強をしたり、救急病棟で働くことができるのでしょう?欲望と執着を手放すことの関係とは?手放すことと燃え尽きから来る無関心との違いは?


社会的な行動はどうでしょう?例えば、怒りや不公平感に捕らわれずに正義のために戦うことは可能でしょうか?そして、手放すことと優秀であることに関係性はあるのでしょうか?精神的な実践を含めて何に対してであれ、優れることは、100パーセント身を投じる用意ができていなければほとんど不可能です。それでも手放すことはできるのでしょうか?


そして、自分の子どもや自分の身体との関係など、文字通り執着と定義されるような本当に解決困難な問題もあります。それを手放すことは命そのものを手放すかのように感じるそても本能的な執着にどう対応できるのでしょうか?


私のある友人の18歳の息子は、学校をドロップアウトし、働かないことを選択して今は路上生活をしています。友人と彼女の元夫は、息子を学校に止めるため、彼が選んだならどんな教育でも金銭的に支援すると約束するなど、あらゆることをしました。どれもうまくいかなかった時、彼らは専門家の助言に従って金銭的支援を打ち切りました。今では、彼に会いたいときは、彼がいる公演まで北へ6時間車で行って彼を探します。息子は全ての状況に満足しているようですが、それでも彼らは夜中に目が覚めて、凍えて空腹でひどい怪我をしていないかと思い、毎日、心配や恐怖や怒りのさまざまな感情を生きています。


「自分の人生をどう生きるか彼が決めたこと」と、彼らが信じてきた精神的な教えを引っ張り出して彼ら自身に言い聞かせます。「彼の旅の一部だから。彼には彼のカルマがある」けれど、息子の幸せに執着することをどうしたら止められるでしょう?長い間育んできた配慮や責任の感情に繋がっているその絆をただ切れるでしょうか?こんな時、(成功を手放すことよりも困難なのは周知のごとく喪失であるため、多くの場合は喪失です)手放す実践についての辛い事実に対峙します。手放すことは、決定的に達成するということはほとんどありません。それは、瞬間ごと、日々、真実をそのまま受け入れるプロセスであり、結果に身を任せて正しいと考えている行動をとることに最善を尽くすことなのです。


ホームレスになった息子のある誕生日に、彼の母親が彼を探して夕食に連れていき、新しい服を買いました。彼はそのパンツが気に入らず、着古した方を着て帰っていきました。「少なくとも息子には会えた。少なくとも、愛していると伝えることができたわ」後で私の友人は言いました。「他の選択がしたくなったらいつでも、ここに居る私たちが援助すると思い出させることができたわ」


この友人の、息子に対する複雑な感情を持つ様を素晴らしいと思います。できないことについて認め続けながらもできることを行い、困難を誤魔化すことなく、その状況で最善を見つける方法を探っています。彼女の手放しには、全く楽観主義的なところはありませんし、苦労してやっと手に入れたものです。人生ではこれが私たち全てに遅かれ早かれ必要となります。この世界が愛し方を教えるための学校ならば、それはまた、喪失への対処法をも教えてくれるからです。



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次回に続きます。


2021年12月26日日曜日

リラクゼーションのテクニック:呼吸のコントロールでストレス反応を鎮静 
Relaxation techniques: Breath control helps quell errant stress response



「闘争逃走反応」という言葉は、ストレス反応としても知られています。これは、危険に対峙するか、それとも避けるかという体の準備です。適切に喚起されれば、ストレス反応のおかげで多くの困難に立ち向かうことができます。しかし、問題となるのは、例えば金銭的な困難や交通渋滞、仕事に対する不安や人間関係など、それほどまでには重要でない日々の出来事によって絶え間なく反応し続ける時です。


健康の問題はすべて同じところに行き着きます。主な例は、心臓疾患の大きな原因となる高血圧です。ストレス反応はまた、免疫機能を抑圧し、風邪などの病気に罹りやすくなります。また、ストレスが溜まると、不安症や鬱にも関連する場合があります。ストレスの全ての原因を避けることはできませんし、避けるべきでもありません。しかし、それらにより健康的に反応する方法を養うことは可能です。そのひとつは、1970年にハーバード医科大学で心臓病学者のハーバート・ベンソン博士によって最初に開発されたテクニックで、リラクゼーション反応を喚起することです。リラクゼーション反応は、瞑想やヨガ、漸進的筋弛緩法など多くの方法で誘因することのできる深い休息の状態です。


リラクゼーション反応を喚起するいくつかのテクニックに共通する特徴は、呼吸への集中です。まずは深く呼吸することを学びましょう。



深い呼吸の効果


深い呼吸は、横隔膜呼吸、腹式呼吸などとも呼ばれます。深く呼吸すると、空気が鼻を通ってたっぷりと肺に入り、下腹部が膨らみます。


多くの人にとって、深い呼吸は不自然だと感じるでしょう。これにはいくつかの理由があります。一つには、私たちの文化では、呼吸にあまり良い身体的イメージを持たないことです。平らなお腹が魅力的だと考えられていているので、女性も男性も腹筋を引きこんだままにしがちです。それが深い呼吸を邪魔し、徐々に浅い「胸式呼吸」が普通になり、緊張や不安が増加します。


浅い呼吸は、横隔膜の可動域を制限します。肺の下部は酸素を十分に取り込めません。そうして呼吸が短く不安に感じるのです。


深い腹式呼吸は、十分な酸素交換を促します。つまり、入ってくる酸素と出ていく二酸化炭素の効果的な交換です。驚くほどのことではありませんが、それによって心拍数が下がったり血圧が安定したりします。



呼吸の集中の練習


呼吸への集中により、ゆっくりとした深い呼吸に集中し、気を散らすような考え事や感覚から離れることができます。お腹を引き込み続けがちな人には特に役立ちます。


まずは第一歩。静かで心地よい場所を探して、座るか横たわります。最初は普通に呼吸します。そして深い呼吸をしてみましょう。鼻からゆっくりと吸い込んで、肺を満たしながら、胸と下腹部を大きくしましょう。お腹を十分に膨らませます。今度は、口から(より自然に感じるなら鼻からでも)ゆっくりと吐き出します。


実際に呼吸に集中します。上の呼吸ができるようになったら、コントロールした呼吸を習慣的に練習します。心地よく座って目を閉じ、深い呼吸と共に、役に立つイメージや、集中できる言葉やリラックスできるフレーズに集中しましょう。



リラクゼーション反応の誘引法


ストレスへの反応を少なくするのに役立つテクニックがいくつかあります。呼吸への集中は、下記のほとんど全てに役立ちます。

  • 漸進的筋弛緩法
  • マインドフルネス瞑想
  • ヨガ、太極拳、気功
  • 祈りの言葉
  • 誘導イメージ療法



習慣的に行う


どのリラクゼーション法が自分に最適なのかみてみたいでしょう。気に入ったものがあまりうまくいかない時や色々やってみたい時は、別のものもあります。下記のコツも役立つかもしれません。

  • 心地よく静かに座る(あるいは横たわる)ことのできる特別な場所を選ぶ
  • あまり一所懸命にしない。おそらく緊張が高まるだけでしょう
  • そして、受け身にもなりすぎない。リラクゼーション反応を引き起こす鍵は、意識をストレスの原因から深く穏やかなリズムへと移すこと。そして、必ず集中する焦点を持つこと
  • 毎日の習慣にしてその感覚を定着させるために。毎日1、2回同じ時間に練習してみる
  • 毎日10-20分間程度は練習してみる







(出典)https://www.health.harvard.edu/mind-and-mood/relaxation-techniques-breath-control-helps-quell-errant-stress-response

2021年12月22日水曜日

生理痛のための5つのヨガポーズ 
5 of the Best Yoga Poses for Menstrual Cramps


10代のころからひどい生理痛に悩まされた私、毎月鎮痛剤が手放せませんでしたが、ヨガを始めてからほとんど必要がなくなりました。
ドクター曰く、普段動かない場所が月に一度、突然動き出すので痛みが起こる。普段から動かしておけばいい、のだそうです。
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辛い生理痛は、できることなら何とかしたいものです。ヨガのように体を動かすことなんかしたくなと思うかもしれません。


けれど、生理痛を和らげるのに効果的なヨガポーズがいくつかあり、それらを一度試してみれば、痛みのいつもの対処法の一つとなるかもしれません。



生理痛のためのヨガについて


生理痛のためのヨガによって、効果的に痛みを緩和できます。


まずは、整理中に特に痛みを感じる部分について考えてみましょう。お腹や骨盤、お尻、腰など。特定のヨガポーズで、こうした部分の痛みの緩和をすることができます。


また、PMSの感情的な症状や生理期間はヨガで減少させることができ、痛みを抑える以上の効果があります。


ヨガにはさまざまな種類があり、数えきれないほどのポーズや変化型があります。一から始めるのは、少し面倒に感じるかもしれません。ヨガの経験があろうとなかろうと、生理痛を緩和するためにヨガをしてみてはいかがでしょうか?


以下は、生理痛のためのヨガポーズです。試してみてくださいね。



生理痛を緩和する5つのヨガポーズ

その1: 子供のポーズ・バリエーション


子供のポーズは最も知られているヨガポーズの一つで、ほとんど経験のない人や初心者にも知られているでしょう。このポーズが、特に腰に現れる生理痛のためのポーズです。

子供のポーズに入るには、両膝を床に置くところから始めましょう。痛みを緩和するために、一般的な子供のポーズよりも膝を広めに開きます。

前屈し、腕を伸ばして、心地よい範囲で体を曲げ下ろします。できれば、額を体の前のマット上に下ろして、ゆっくりと、胸ではなくお腹を使って横隔膜呼吸を5回しましょう。頭を一方に向けても構いません。その場合は、片方に向けて5回呼吸してから、反対に向きます。

お尻のあたりをリラックスさせて、腰の筋肉をゆっくりとストレッチしましょう。




その2: キャット&カウ


キャット&カウは、背中だけでなくお腹の筋肉も使う、2つの働きを持つポーズです。

カウ(牛)のポーズから始めましょう。四つ這いになって、両手が方の真下にあるか確認します。膝は股関節の真下にしましょう。優しく頭を前にストレッチし、息を吸いながら空を見上げます。同時に、尾骨も空に向けてお腹を地面に下ろしましょう。

では、キャット(猫)のポーズに移ります。何度か自然な呼吸をします。そして、深く吸ったら、ゆっくりと息を吐きながら背中を丸めましょう。頭と尾骨は地面方向にストレッチします。優しい背骨のアーチは背中の筋肉を温めるとともに腹筋をストレッチし引き締めます。

キャットポーズで息を吐き、カウポーズで息を吸います。5ー20回繰り返しましょう。






その3: 横たわったツイスト


このポーズは、腰や下腹部に効果があります。

まず、仰向けに横たわります。左膝を曲げて、右側へ倒します。左を見て、左右の腕を開き、手のひらを空に向けて置きます。このまま、5回以上呼吸しましょう。

左足を伸ばして床に戻し、右脚を曲げて左側へと繰り返します。このポーズは腰回りや肩をリラックスさせます。各サイドで5ー10回繰り返します。



その4: 鳩のポーズ


鳩のポーズは、生理痛のストレスを抱えている腰回りをよりリラックスさせるのに役立ちます
。腰まわりのストレッチや和らぎを与えてくれます。

まず、まっすぐ座りましょう。右膝を曲げて、左足を後方へ伸ばします。両手を腰に置いて、背中を反らします。両腕を頭上に伸ばして合掌すると、より強いストレッチが得られます。

四つ這いになります。右膝を右手首の方向へ移動させ、右足首を伸ばして左の腰と並べます。ゆっくりと左脚を後ろに下げましょう。バランスを取るため、そして個人の柔軟性によっては、両手を床に置いたままでも良いでしょう。

後ろに脚を伸ばすと左の腰にストレッチを感じ、また右側にもストレッチを感じるかもしれませんが、痛みのないようにしましょう。もし痛みを感じたら、ポーズを変更する必要があるかもしれません。

このまま数呼吸行い、元の位置まで戻ったら、左膝を曲げて右脚を後方へ伸ばし繰り返します。5-10回行いましょう。



その5: 屍のポーズ


このポーズはヨガの最後のポーズとしてよく行われ、特に生理痛に対処するためのマインドフルネスの練習をするのに効果的です。これは体をストレッチするというより、心をリラックスさせて集中するために行います。

屍のポーズは、シャヴァアーサナとも呼ばれます。仰向けに横たわって、手のひらをそれに向けて下ろします。ゆっくりと体を、頭頂から首、肩、背骨、腕、手、腿、ふくらはぎ、足首、そして足と、リラックスさせていきます、。¥

瞑想的な呼吸が、生理痛以外のものへ集中するのに役立ちます。屍のポーズは、腹式(横隔膜)呼吸の練習するのにぴったりです。長く深い、コントロールした呼吸を行い、忙しい浅い呼吸をしないようにしましょう。








辛い生理の症状には何も効かないと感じることもあります。ヨガや食事法、瞑想、マッサージなども役に立たないかもしれません。痛みの原因は、PCOS(多嚢胞性卵巣症候群)や、子宮内膜症などでないかを確認したほうがいいかもしれません。その場合は医師にご相談ください。



2021年12月17日金曜日

ヨガポーズの魅力の影にある気まずい真実 
The Uncomfortable Truths Behind Our Fascination with Yoga Poses



ヨガはポーズの見た目を完成させるものではない、という概念について。
ヨガといえばエクササイズという認識が広いと思いますが、ある意味それでもいいのかなとも思います。それぞれの解釈でそれぞれのやり方で。その気になれば哲学を深めるもよし、体の健康維持のためでもよし、見た目を追求するもよし。ただ、その人のヨガを誰かに押し付けたり、エゴを大きくしすぎないことは大切かもしれません。
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ヨガと聞けば、おそらく体のエクササイズのことだと思うでしょう。伝統的なヨガの指導者たちは、ずっとヨガ的な精神性を称賛してきましたが、それでもなおヨガといえばポーズだと米国(訳注:日本でも)では考えられています。


ポーズは、基本的なヨガの実践における導入部として素晴らしいものですが、精神的な理解への唯一の道だというわけではありません。ポーズは、子供たちに瞑想の準備をさせる素晴らしい方法です。ヴィンヤサのヨガクラスは、実は、子供たち、特に少年たちのエネルギー維持のために開発されたものです。
 

最初にマットの上に立つ時は、年齢がどうであれ誰もがヨガの旅では幼い子供です。ポーズは、信心を超えた精神性という中心的な要素への導入です。時には、悟りへの道に旅立つのに必要なのは、単に体を動かして呼吸とつながるということなのです。


アメリカ人にとってポーズは、その世界観にあっているので理解しやすいのだと思います。アメリカ人は、他の何よりも身体的な美に価値を見出すので、身体的な鍛錬に身を捧げることに価値を感じます。


それと同様に、ポーズを取ることは、生まれてからずっと養ってきた慣れ親しんだものです。身体的な健康が究極の財産であり、身体の衰えはそうした大切なものの終わりを告げるものです。


けれど、身体を完璧な状態に保つ本当の目的は何なのでしょうか?年を取らないため?時を止めるため?けれど、年を重ねる能力は人生の最高潮(クレシェンド)です。年を取ることは、最も鮮やかな瞬間で、最も深いものです。あなたは、年を重ねるために存在しているのです。私は、年を重ねる能力とは、謙虚さと優雅さをもって年をとることだと思っています。年を重ね、そのプロセスを楽しむこと。手を広げて年を取ることを迎え入れること。身体の状態やポーズに執着することは、年を取らないでいようとすることと同じです。


実は、ポーズはそんなに重要ではないのですが、ヨガ業界によれば、ヨガの確固とした実践とは、「エクソシスト」のリンダ・ブレアみたいに背骨を反らして、山の崖っぷちで逆立ちをし続けなければならないのです。一般的な考えでは、より多くのポーズを知っているほどヨガが上手で、ヨガが上手であればあるほどうまく生きられると言われます。そんな風に体を捻じ曲げられれば、良い人間であり、おそらく他の人よりも良い人間なのです。けれど、それがヨガなのでしょうか?他の誰かよりも良い人間であることが?


そんなことは全くありません。どうやって他の人よりも良い人間になれるというのでしょう?そんなものはありません。そしてそれこそが、ヨガ業界が物事をダメにしている部分です。なぜなら、ヨガは誰かよりも上になろうとするものでは決してないからです。それは、優位性です。優位性とは、周りの人よりも良くあってより多くを得るということです。
 

資本主義は優位性の子供であり、資本主義のおかげで、私自身を含めた多くの人がヨガについて耳にした唯一の原因でもあります。けれど、ヨガは、資本主義が大声を上げ始める以前からありましたし、資本主義が定義できるものを超えて存在しています。そして、どれほどたくさんのポーズを練習しようと、逆さになったりプレッツェルみたいに曲がったりしようと、最終的には全く同じ結論を描くことになるでしょう。どんなヨガポーズも、あなたを他の誰かよりも良くするものなどありません。


根本的に、ポーズをマスターすることは議論に値しないのです。ポーズは、完璧になるためではありません。結局、あなたは、ポーズを取ったり練習したりする以前にすでに完全であり、その真実は変わりません。


ヨガポーズをとりつかれたように練習すること、特に同じポーズを何度も何度も練習することは、痒みをかきむしったりかさぶたを剥がすようなものだと、私は考えています。正直にいえば、私はポーズを自傷行為として行っていました。太陽礼拝や深いバックベンド、逆転ポーズなどを、ベッドが血に染まるまで爪を噛むのと同じ理由で行っていました。なぜなら、自分を傷つけるのが心地良いからです。


ヘッドスタンドやスプリット、車輪ポーズなどをやり続けたかったのは、私が真実を知っている証拠だと感じられたからです。まるでガールスカウトのバッジのように、まるで額に付いた金の星かのように、練習の写真を欲しがっていました。ママ、見て、今日、学校で至福に至る方法を見つけたわ。どうすれば大丈夫かわかった。生き方がわかった、正しくやる方法がわかったわ。


どんなに腹筋が締まったとしても、何らかの精神的な報いは常に地平線にあります。ポーズは体を疲弊させ、精神を今の瞬間に落ち着かせることができます。ヨガポーズが身体をボコボコにやっつけた時、精神は(やっと)休むことができます。筋肉や骨、靭帯が共に働いて、全ての真実のコンセントにつなぐように、そして全身がひとつになった時に初めて、自分自身の内側を見ることが可能になるのです。けれど、ヨガの道とは、死、つまり、避けることの出来ない崩壊の最終段階への準備です。それは、予防策ではなく、永遠の旅とその行先に、完全に存在する道なのです。


どう言うわけか、体はかつて動いていたようには徐々に働かなくなります。そして、皮膚に皺や弛みができ、その根底にあるものに気付かされます。そして、その避けることのできない報いから得た知恵は、常に、浅はかな栄光や身体的特徴に優るのです。


ポーズは、特に複雑である必要はありません。正直に言って、本当に知っておかなければならないのは一つだけ、座るポーズです。実際に、今、やってみましょう。座って静かになりましょう。脚は必要ないので、脚を組む必要はありません。仰向けに横たわっても構わないので、真っ直ぐ座る必要もありません。今は快適ですか?いいですね。では、このポーズを保ってみましょう。


心が早っていますか?息を止めていますか?ソワソワしますか?話したくてたまりませんか?昨日のことが心配?今日この後の予定について考えていませんか。


おそらくは。恐怖。結局、あなたは人間であり、そうした諸々は完全に普通のことです。時間を止めようとしないでください。ただ、今ここにいましょう。ただ、自分自身の目撃者となりましょう。


今この瞬間へと呼吸するのが、ヨガポーズの機能の全てです。全てのポーズのたった一つの目的は、止めている呼吸やソワソワや、心の中で耳障りに響きわたるノイズの目撃者となることです。そして、私の経験では、こうしたことを全て行うには、胡座を組んでやるのも難しく、シルクドソレイユのコントーショニストを真似するのも無理です。


けれど、ポーズがヨガの最重要ポイントではないからといって、意味がないわけではありません。集中を体に向けている時は、自分自身を今この瞬間へと結びつけています。今以外に向かう場所はありません。ポーズに取り組むことは素晴らしく、多くを教えてくれます。ポーズの練習は、本当に良い暗喩のようなもので、本当に良い暗喩のように、全てのポーズは表面で見えているよりも実際はより深いのです。

2021年12月10日金曜日

忘れっぽい?集中力と注意力を高める神経科学者推奨のエクササイズ 
Forgetful Much? Try This Neuroscientist’s Simple Exercise to Boost Focus and Attention



神経科学者で「Peak Mind」 の著者であるアミーシュ・ジャア博士は、このところマインドフルネス界のジョン・カバット・ジンみたいに大きな注目を集め話題になっていますが、ある朝、目覚めると歯に感覚がないことに気づいてショックを受けました。そう、まるで局所麻酔したかのように歯が痺れていたのです。多忙でストレスの多い生活が原因で注意危機に陥っており、博士自身が脳科学ラボで研究している「注意システム」により注意を向ける警鐘となりました。

「注意は、大きな能力です」ジャア博士は言います。「注意力の調整することで、日々の生活を理解し、考え、感じ、記憶を味わい、将来を夢見ることができます」

ジャア博士によれば、私たちには3つの高度に調整された「注意システム」があり、脳の中で指揮者のように働いて、後で見つけ出すことのできる考えや経験を蓄えている作業記憶システムを連携させています。




注意が失われる原因は?


わかっているのは、ジャア博士のように昼夜を問わず忙しくしていると、私たちの注意システムはひどく劣化する可能性があるということです。博士の仕事は、高ストレスの教授や研究者で、またTEDのスピーカーで、母で、そして今では新進の作家であり、彼女の多忙な生活をとても優秀な指揮者のように管理しています。もちろん、忙しいと感じていましたが、ほとんどの場合は平気でした。注意システムは、それを変えてくれと懇願していたのです。

注意について、もうひとつショックだったことは、ある日の夕食後、ソファで横たわってリラックしていた時のことでした。幼い息子が「ワンプって何?」と尋ねたのですが、何のことがわからなかったのです。ワンプという名前の生き物が出てくるセウス博士の「One Fish, Two Fish, Red Fish, Blue Fish」を何百回も読んだことがあるのにも関わらずです。

研究者であるジャア博士はすぐに、同じような症状の人が大勢いることを発見しました。私たちは、注意を払わないでいるために、人生の半分を失っているのです。




幸い、ラボや軍の兵舎、消防士のような前線で働く人々とともに行ってきた彼女の研究により、マインドフルネス(ヨガのような活動を含む)が注意システムを元に戻すのに役立つ可能性があることがわかりました。




注意システムを理解する


「注意システム」は3つのサブシステムから成っていて、「ワンプ」に満ちた複雑な人生の中で私たちがうまく機能するよう共に働いています。

  1. 懐中電灯
    注意を集中する時、それがどの点であっても、それは頭の中で明るく強調され顕著になります。例えば、クラスのためにヨガマットが必要だとしましょう。部屋を歩き回ってあなたのマットの色や形、テクスチャを探すと、ほら、あった。ありがとう、懐中電灯さん。


  2. 投光照明
    懐中電灯が狭い範囲で集中するなら、投光照明は広い範囲で多くを照らします。マットが見つかったので、車を運転してヨガクラスに行きます。投光照明は、道路を見て、止まれの標識に注意し、スピードに注目し、歩行者や自転車に気をつけ続けます。何かを探しているわけではなく、注意を集中する必要のあるものに反応していつでも懐中電灯をさっと取り出せる準備ができているのです。


  3. ジャグラー
    ジャグラーは、瞬間ごとに行動を指揮し、監督し、処理します。ジャア博士が言うように「ジャグラーが、行動とともに何をするかという目的を確実にします。つまり、ジャグラーが、行動が順調に果たされるよう頭の中で目的を保ち続けます。(駐車場に車を停めてメールをチェックしている時、ジャグラーが、あなたのスクロールしている手を止めてクラスに行かせようとする)」



注意に注意を払う


作業記憶によって、脳内のこれら3つのサブシステムがそれぞれの役割を調整されています。「作業記憶とはメモ帳のようなものです。脳内の一時的「作業領域」であり、そこで懐中電灯や投光照明、ジャグラーの情報をとても短い時間(数秒から長くても1分)で処理されます」ジャア博士は言います。

注意を払う時は(懐中電灯や投光照明、ジャグラーであっても)いつでも、処理される情報は、作業記憶内に一時的に保存されます。共に、注意と作業記憶システムは意識的な経験で形作られ、そうした情報を日々の生活を送る中で用いることができるのです。

「注意というのはパワフルです。が、揺るぎないというわけではありません」ジャア博士は言います。

脳は、サバンナでガゼルを狩るには懐中電灯、危険を察知するには投光照明、ジャグラーを満足させるために夕食を持って帰るなど、作業記憶のメモ帳の3つのサブシステム間で素早く揺れるようになっています。この能力がサバンナで不可欠である一方、そのせいで激しい「注意市場経済」(宣伝文句や警報、「ニュース速報」の点滅など)の脆い餌食にになります。




注意が最も消耗するのは


けれど、Appleに怒りをぶつける前に、知っておいてください。携帯電話は問題の一端に過ぎません。僧たちは、紀元400年から心の動揺全てを避けようとしていて、それがとても困難なことだと気づいています。
 
注意が最も消耗されるのは、実は、思考や感情、後悔、心配、欲望、予定など、忙しさが煮立った大鍋のような頭の中なのです。「注意は常に、居てほしい場所から引き離されて、それが真実から最も遠いものであっても心がより『関係があり』『緊急』だと決めたものへと移ります」博士は言います。そんなストレスや、沈んだ気分、恐れだけでなく、注意の質が下がり、ああ!すっかり忘れてた!と言うことになるのです。

ジャア博士の研究(そして、彼女の歯が痺れた体験)から、注意に影響を与えるのはストレスの多い体験だけではないことがわかっています。「やるべきことが多すぎると感じたり、心の明晰さや集中力の変化に気づき始めるかもしれません」その結果、ワンプのページ全部が隠れてしまい、心の中の買い物リストが消え、年金をもらい始めるずっと前から「何話してったっけ」の瞬間がやってきます。

大きな能力をケアする方法のひとつは、マルチタスクしようとしないことです(代わりにひとつのタスクを)。けれど、もちろん、ストレッサーの多くは避けられません。仕事、子供の世話、夕食の準備などが一気に直撃します。

ストレスの原因のひとつも諦めるつもりのない博士は、その強力な懐中電灯の光線を注意システムの理解に向けました。マインドフルネス瞑想を毎日行うこと、「今この瞬間に注意を落ち着けて、何が起こっているのか、何が起こるのかの物語を論じることなく体験すること」が、心の曇りを晴らし、心を整理し、心の集中力を強め、それによってより人生を体験することができるのです。




プレッシャー下でマインドフルに


毎日20分のマインドフルネスを続けるうちに、博士は歯の感覚を取り戻しただけでなく、よりその瞬間を感じ、より効果的に体により落ち着けるようになりました。「自分が有能だという感覚やコントロールできている、困難に向き合ってそれを乗り越えられるという自信を感じました」

「自分自身を行動指向で、結果主義、高い目標にぎりぎりまで挑む競争的な野心家だと考えていたので、これで得られたことは驚きでした。もっと強く求める、より早く良く考える、より多く行動するということではない心の使い方を、初めて体験しました。それは、人生のその瞬間を感じる、受け入れる、好奇心を持つことでした」

ジャア博士は、私たちは考えることや行動することにまとまって慢性的に中毒になっていると考えています。その状態にあるというモードには、簡単にはなれません。しかし彼女の研究では、マインドフルネス瞑想が、より効果的に考えたり行動したりするのに役立つと示唆されています。

「Peak Mind とは、考えたり行動することを優先しない状態です。注意のどちらのモードをも制御します。集中しながら受け入れられる、このバランスによって、注意に関する困難を乗り越え突破できるのです」




STOP の実践法


博士は、著書 Peak Mind の中で、パフォーマンスを最大にする毎日の集中と注意システム喚起を通して注意コントロールを取り戻すことに的を絞った、12分間の脳トレ・プログラムを開発しています。

マインドフルネスが初めての方や、毎日の12分間脳トレをするのはまだ無理だという方に博士が推奨するのは、以下の STOP を1日に数回行い、いつでも注意がどこにあるのかへの気づきを高めることです。

  • S(Stop) = この瞬間にしていることを止める

  • T (Take a breath)= 呼吸をする

  • O (Observe)= 心の中や周囲で起きていること(思考、感情、身体感覚)を観察し、それに引き込まれることなく気づく。ただ観察し、身を任せ、そして受け入れる。

  • P(Proceed)= より集中し、より明確に続ける

博士が1日を通して注意を払うことでマインドフルネスを実践し始めた頃、心がバッタのように常にあちこち飛び跳ねてちっとも集中できないことに気づきました。「一日中、どんなに心が彷徨っているかにショックを受けました!」マインドフルネスを毎日2ヶ月行った後、劇的な変化を感じました。生きていると強く感じたのです。

現在、ジャア博士は、Peak Mind の毎日の練習と20年間の脳研究のおかげで、人生を豊かに生きられるようになっただけでなく、集中力、そして不思議なワンプのように消えていく人生の半分を取り戻すため、毎日数分間の脳トレを広めるため皆さんの注意を惹きつける使命に取り組んでいます。