2023年10月12日木曜日

スーリヤ・ナマスカラの古い起源:太陽礼拝 
The Ancient Origins of Surya Namaskar: Sun Salutation

では前回に続き、ハヌマンのお話です。
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先生と生徒の関係性は、ヨガの中心にあります。心の解放、解脱の道は先生を通して学ぶものです。ヴェーダの時代、グルとシシャ(先生と生徒)の関係はとても近く、まるで家族のようでした。生徒がオンラインでトレーニングの申し込みができたり、ペイパルやクレジットカードで支払ったり、決められた時間でトレーニングを終えたりできる現代とは全く異なります。その昔は、選んだ先生に受け入れられた幸運な生徒は、修了したと言われるまで先生のアシュラムに住み込みました。その間、生徒は実際の生活でも先生に仕えなければなりませんでした。木を切ったり、水を汲んだり、先生の動物や穀物の世話をしたりと、基本的に頼まれたことは何でもしました。先生と生徒の関係性は文字通りお金で買えるものではありませんでしたが、修行が終わる時、生徒は謝礼(グル・ダクシナ)をする必要がありました。それはお金でもいいのですが、大抵はそうではありません。多くの場合それは奉仕であり、先生が頼んだものは何でもするものでした。



ヨガ・スートラ(第1章24-26節)においてパタンジャリは、古代から指導者の指導者、根元的グルとしてイシュワラについて言及しています。イシュワラとはもちろん一個人ではなく、高い状態の意識であり、普通の、抑制された、エゴに基づいた状態の私たちを、超越した無限の状態へと変容させるものです。


古代から、人間はそうした究極の指導者に象徴を用いてきました。最も長く用いられてきたものの一つが太陽、スーリヤです。ガヤトリ・マントラという美しいヴェーダのお祈りでは、太陽は「私たちの心を照らす」と唱えられています。


ラーマーヤナの偉大なる猿のヒーロー、ハヌマンは、生まれてまもなくスーリヤに魅了されました。赤ん坊の彼は、空の太陽を見て大きく育った甘いマンゴーだと勘違いしたのです。その力強い猿の脚で地面を蹴り、長い猿の腕を伸ばし、高く跳び上がって太陽を・・掴んでしまったのです(ハヌマンには赤ん坊の頃から超自然の強さがありました)。ハヌマンが太陽を口にポンと入れて食べ始めると、世界は暗くなり、何か悪いことが起こったことにもちろん神々も気づきます。太陽はハヌマンの口を焦がしましたが、強情な猿は離しません。とうとうインドラ神がダイアモンドの雷電(ヴァジュラ)をハヌマンの顎にまっすぐ放ちました。


そこでやっとハヌマンは口を開けて太陽を吐き出し、世界の光は元に戻りました。けれど、彼はヴァジュラで怪我をしてしまいました。実際、彼の顎(ハヌ)は潰れてしまい、今日知られる名前「つぶれた顎を持った者」が付けられたのです。神々はハヌマンの力を一時的に取り上げましたが、あまりにも顎がかわいそうだったので(太陽を助けるためではなく)特別な力を与えることにしました。強さ、速さ、姿を変える能力、禁欲する能力、並外れた記憶力、そして神を真に愛することのできる能力を。それらは全て、その後ラーマ王に出会い仕える時に取り戻すことになるのです。






それまでの間、ハヌマンには教えが必要でした。「スーリヤにお願いしてはどうですか?」彼の母親であるアンジャナは提案しました。「彼は毎日馬車で世界中を駆け、全てのものすべての場所を見ています。全ての聖典を知り、あなたよりも高く遠くまで跳びます。あなたが赤ん坊の頃の果物のささいな事件のことなど忘れておられるに違いない」


そこでハヌマンはスーリヤに先生になって欲しいとお願いしますが、スーリヤは断ります。ハヌマンが彼を食べようとしたことは許しているのですが、こう言いました。「予定が詰まっていて、全く空いた時間がないのだ。動き続けねばならぬ。立ち止まってお前に教えを与えることはできない。そもそも私が動き続けているのにどうやって学べるというのだ」


「一緒に動いたらどうでしょう?」ハヌマンは訊ねました。「そうしたら生徒にしてくれますか?」
「お前には無理であろう。だがそれなら構わない」スーリヤは答えました。


ハヌマンは跳び上がりスーリヤの方に向かって位置を定めました。そしてスーリヤは、この生徒の粘り強さを認め、空を駆け始めながら聖典を説きました。これで当然、ハヌマンは常に後ろ向きに動くことになりましたが、そうする以外にあったでしょうか?先生に背中を向けるなど失礼です。


このハヌマンが後ろ向きに動く道筋が、スーリヤナマスカラ、太陽礼拝の始まりだと言う人もいます。考えてみれば、太陽礼拝の動きをすると、マットの後ろの方で終わるので続けて動くためにはまた前に戻らなければならないことに気づくでしょう。



ハヌマンはとても熱心な生徒だったので、ヴェーダを1週間でマスターしました。そして、スーリヤへの謝礼は何だったのでしょう?おそらくハヌマンが去って少しホッとしたであろうスーリヤは、全てを断りました。「熱心な生徒が学ぶのを見ていたのが、私への報酬であった」



「それでは」ハヌマンは言いました。「私の感謝とナマスカラ(敬意を表す挨拶)のみを捧げましょう」そうして、ハヌマンのグル・ダクシナとして太陽礼拝が生まれたのです。





練習法



歴史的に見ると、スーリヤナマスカラとしてしられる一連のポーズは、世界のエネルギーと光の源であるスーリヤを讃えて早朝の日の出に行なわれた実践から発展したと考えられます。1920年台、アウンドの王が彼の小さな王国(現在のマハラシュトラの一部)の学校に、全ての男女や子供が心身の健康のためにこの実践を取り入れてほしいと、決められた太陽礼拝の動きを導入し、小さな本を出版しました。


現在、ほとんどのヨガの生徒が、いずれかのバージョンのこの実践を早い段階で学びます(動きに合わせてマントラを唱える場合も)。この実践にははっきりとした「正しい」方法はなく、おおよそ12ポーズの流れから成ります。左右対照の立位のポーズ(タダアサナ)、両腕を挙げ、前屈して地面に触れ、ランジになり、下向きの犬のポーズでよく知られるV字のアサナ(他の名前もあります)、うつむきから胸を引き上げる上向きの犬へと流れ、下向きの犬へと戻り、もう一度ランジ、そしてまた地面に触れて前屈、両腕をあげ、そして最初の立位ポーズに戻ります。それぞれの流れを通して、後ろ向きに動き、そして前に戻ります。
  

スーリヤナマスカラで動く時、先生、つまり他でもない世界を導き照らすスーリヤのようにあなたの人生を導き照らす理想の先生イシュワラと向き合っていることをイメージしましょう。動きに合わせて愛と感謝を捧げましょう。




考察


赤ん坊のハヌマンが太陽にしたように、あなたも状況や人に対して誤った判断をしたことはありますか?思い違っていたゴールに向かって衝動的に飛びついた時に何が起きましたか?大切な何かに進もうと決意した時のことを考えてみましょう。甘いマンゴーのように魅力的に見えた仕事や関係が、実は想像していたよりもっと大きく熱く受け入れ難いものだとわかったら。あなたの過ちを思いとどまらそうとしてくれた人はいましたか?それを聞き入れたでしょうか?あなたの想像の中で「果物」だったと思っていたものを手放すのに何が必要だったでしょう?その過程は辛いものでしたか?その結果何か期待していなかったご褒美があったでしょうか?あなたの過ちは霊的に重要なものだったと思いますか?










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