2024年12月20日金曜日

ガヤトリ・マントラ:歴史、意味、効果について 
Gayatri Mantra: History, Meaning, & Benefits


薄明かりの朝や夕暮れは、私たちを自身の内側へと呼び戻してくれる時間です。「おお、夜と夜明けという2つの聖なる力よ、2隻の船のように我らを向こう岸まで連れて行っておくれ」とヴェーダが唄うのはそのためです。古代、熱心な探究者らは朝早く起きて沐浴し、儀式を行い、マントラを唱え、瞑想のため座りました。そして夕方には、また瞑想の時間をとって1日の疲れを洗い流したのです。今日においてもヨガの実践者の間では、朝夕の移り変わりの時間は今も伝統的な瞑想の時間です。


この昼間と夜の移り代わりに行われる瞑想は、サンディヤ瞑想と呼ばれます(サンスクリット語でサンディヤとは繋ぎ目のことです)。ヴェーダの時代から始まったサンディヤ瞑想は、今も世界中で見ることができます。これらの瞑想は、何百万人の日常生活に信仰や内省を与えています。早朝の光が風景を照らし暗闇を一掃するように、サンディヤ瞑想は精神を浄化し、啓蒙し、養うのです。







ヴェーダの象徴性


サンディヤの霊的なテーマは、ヴェーダのシンボルを通して伝えられています。ヴェーダは聖歌を通して、実態のない真実を疑う余地のない宇宙としてあがめています。太陽や月、風、火、雨を称賛し、それらを人間の母や、娘、姉妹、兄弟、父として普遍的に表し、鍋や扉、車輪などの人による発明品を宇宙の真実の現れだと認識しています。


言い換えれば、私たちの住む宇宙は最高度の真実そのものであるが、人生の出来事や夢によって覆い隠されているのだと、ヴェーダは語ります。私たちが見ているのは全体の、つまり1日の周期、季節の移り変わり、生と死、種まきと収穫のうちのほんの一部です。これは、現れていない全体の一部が表れている姿であり、見えないものの見える一部分なのです。


しかし、海を見たとたん、地球の海の明らかな果てしなさに驚嘆する感覚が現れるのと同様に、夜明けごと夕暮れごと、生と死が訪れるたび、私たちは見えない全体への脅威の念にしばし心が溢れてしまうものです。そうして、見えるものの中の見えないものの広範性、現れているものの中の現れていないものは、リグ・ヴェーダにこう記されているのです。


リグ・ヴェーダ:
聖者の4分の3は天に上り、4分の1はここにまた現れる。その後は、すべての場所に広がる。命あるもの命なきものどちらの世界にも。(Rig Veda 10.90.4)



こうした節は道標であり、この宇宙の広大さの中に現れる時、無限の真実が啓示されます。しかし、ヴェーダではそれほど単純には考えてはいません。真実のシンボルは常に変化し続け重なり合うと認識しています。例えば、昼間の光はアディティア(太陽)の産物である一方、夜の光はアグニ(火)の産物です。ですからアディティアとアグニは兄弟と表現されます。同様に、光の強さは、宇宙の光と人間の人格にある知性のどちらにも象徴されます。ですから、言葉の光とは、太陽の光あるいは知性の力のどちらの意味ともなるでしょう。


ですから、最高の真実はひとつの象徴には制限されず、またどのような自然の力にも具現されません。ヴェーダで根源的に崇められる太陽神でも月神でも雷神でもありません。これらは宇宙の儀式の単なる「司祭」であり、人生の普遍のリズムという形で私たちの眼前でくり広げられる儀式に過ぎないのです。私たちはみな、神も人も、この儀式の一部であり果たすべき役割があるのです。




ガヤトリ・マントラ


では、この考えを個人としてどのようにシェアできるでしょうか?その答えは、ヴェーダの啓示全体の総合的な知恵を包括しているガヤトリ・マントラです。リグヴェーダ(3.62.10)で、ガヤトリ・マントラはガヤトリ韻律(24音節を8音節ずつ3行に分ける)で書かれており、それにちなんで名付けられています。しかし、ガヤトリとはまた「歌い手を守る女性(gaiが「歌う」、traiが「守る」)」という意味もあります。ですから、ガヤトリは神聖なる母の名前であり、子どもを守り自己実現へと導く存在なのです。
ガヤトリ・マントラは次のように書かれています。


Tat savitur varenyam
bhargo devasya dhimahi
dhiyo yo nah prachodayat


しかし、マントラを瞑想で唱える時は、初めに1行追加します。この行は Om の音で始まり、maha vyahritis(「偉大なる言葉」;bhur, bhuvah, svah)という3つの短い音が続きます。ですから、瞑想で使われる完全なマントラは以下です。


Om bhur, bhuvah, svah
tat savitur varenyam
bhargo devasya dhimahi
dhiyo yo nah prachodayat



チャーンドーギヤ・ウパニシャッドでは、最初の行の重要性が説明されています。それによれば、かつて宇宙の神であるプラジャパティが、地と空と天という三つの世界でできた自然を考えていました。そして深い集中によりそれらを導く基本的な力 ー 地を制する火(アグニ)、空を制するヴァーユ(生命力)、そして天空を制するアディティア(太陽)ー を見つけることができました。


プラジャパティは再度深い集中をその3つの「種」である音、導く力に向けて、それらの真髄を得ました。火からはリグ・ヴェーダの節を、生命力からヤジュール・ヴェーダを、そして太陽からはサーマ・ヴェーダを得たのです。


彼はまた集中を、今度は3つのヴェーダに向け、リグ・ヴェーダからは bhuh の音節を、ヤジュール・ヴェーダからは bhuvah の音節を、そしてサーマ・ヴェーダからは svah の音節を得ました。したがって、3つの maha vyahritis は、ヴェーダの真髄であり、火と生命力と太陽の種であり、また地と空と天の種の音なのです。


最後にプラジャパティは3つの vyahritis にまとめて集中し、深い集中を通してひとつの純粋な音である Om の音節を得ました。Om とは「全てはこれである」という意味です。


ガヤトリ・マントラの次の2行は、太陽光、エネルギー、純潔、超越、啓蒙、哀れみ(全てのための太陽光)という概念を崇めています。


tat savitur varenyam 
bhargo devasya dhimahi


これは「私たちは自身の中に呼び起こし、聖なる太陽の存在というその驚くべき真実に瞑想する」と訳されます。


最後の行(dhiyo yo nah prachodayat)では調子が変わります。ここは請願であり、精神の明晰さと直感的な気づきを求めています。マントラは「お導きください」と求めています。この最終行の本質は、最初と最後の言葉に含まれています。最後の言葉 prachodayat の意味は「お導きください、ご誘導ください、道を示してください」。最初の言葉 dhiyah (dhiyo) の意味は単に「思考」ですが、より重要なのは、精神のより高みにある直感的な見通す力を意味していることです。マントラは、精神の最も素晴らしい力である直感的な能力が「聖なる太陽の存在というその驚くべき真実」で導かれるよう求めています。ですから、ガヤトリ・マントラの完全な訳は以下となります。


オウム
万物の3つそれぞれの面において
我らは自身の中に呼び起こし、
聖なる太陽の存在というその驚くべき真実に瞑想する。
我らの内なる見通す力を導きたまえ


ガヤトリは祈りでありマントラでもあります。マントラとしては、太陽に象徴されるより高みにある意識を実現するため、一連の音として瞑想者によって使われます。祈りとしては、神に導きを請うものです。「我が精神に道を示したまえ」と嘆願するのです。この祈りのなかには、霊的な哲学が精巧に説明されています。bhargah (太陽の精神)が、サヴィトリ(太陽の存在)であり、またスーリヤ(太陽)の内なる存在であると示します。祈りとしてのガヤトリは、純粋意識の無限の光である tat を求めるものなのです。


しかし、この純粋意識とは何なのでしょうか?ヴェーダは、純粋意識はより高い天にあり(それによって万物に行き渡っている)、また全ての人間にも存在します。意識は気づきの光です。


さあ、天に上に輝く光は、全ての場所に満ち、どこにも行き渡り、
下にも世界の最も遠い場所にまでも届く。
これは人の中に輝いている光と全く同じ光である。 
(チャーアンドーギャ・ウパニシャッド 3.13.7)


マントラと祈りという二つの役割により、ガヤトリは心を浄化し気づくという素晴らしい力を招いてれくるのです。




サンディヤ瞑想


ガヤトリ・マントラを練習したいなら、朝か夕方、あるいは朝夕に時間をとりましょう。(日の出や日の入りと全く同時に瞑想する必要はありません)。簡単に練習する方法は次のとおりです。


心地よい姿勢で座ります。リラックスした呼吸で、少しの間、鼻腔に流れる呼吸を感じます。心が落ち着いて集中してくるでしょう。


今度は、金色の太陽のような球体をイメージし、その金色の光を自分の中に移していきます。眉間から中へ、そしてその光を胸の中心のあたりへとゆっくりと下ろしていきます。そこで、太陽の金色の光線が身体中に心の中へと広がっていくのを感じましょう。


少し時間をとって、ヴェーダの予言者らに感謝します。そして、胸の中心であるアナハタ・チャクラにある金色の球体の中心で、ガヤトリ・マントラを心の中で繰り返し始めます。胸にある意識が内側にある太陽と溶け合うように、そしてその声が太陽の核から流れ出るかのように暗唱します。そこから、音節の音を自身のすべてに反響させましょう。


マントラを自然だと思われるだけ回数を繰り返します。長時間の練習にはマーラ(マントラの繰り返しを数えるための108個のビーズの数珠)を使うこともできます。自身の中に音を響き渡らせましょう。内なる存在のすべてに満たしましょう。


練習を重ねるにつれ、毎日のガヤトリのリズムが静かな喜びと共にあなたの朝と夕を明るくするでしょう。マントラによって、苦しみの場所から立ち上がり、精神的な確信を取り戻すことができます。毎日の穏やかな練習と気分の高揚、それこそ精神が必要としていることです。そのどちらもをガヤトリ・マントラで得ることができるでしょう。






2024年11月15日金曜日

プラティヤハラ:忘れられたヨガの支則 Vol.3 
Pratyahara: Yoga’s Forgotten Limb


前回の続き、最終回です。

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1. 同一の印象に集中する

精神を浄化し感覚をコントロールするもうひとつの方法は、例えば海や青い空を見つめるなど、同一の印象に意識を向けることです。不規則な食生活や相入れない質の食べ物が消化機能をショートさせるように、耳障りで過剰な印象によって印象を消化する能力も混乱します。そして消化力を向上させるには断食や、モノ・ダイエット(アーユルヴェーダでお米とムング豆のキチャリを食べるように)が必要であるのと同様に、精神の消化力も自然で同一の印象を取り入れて印象を断つ期間が必要なのかもしれません。


2. 肯定的な印象を作る


五感を制御するもうひとつの方法は、肯定的で自然な印象を作り上げることです。これには数多くのやり方があります。木や花、岩などの自然のものに対して瞑想する、または公的的な印象や思考の宝庫である寺院や聖地などを訪れるなどす。肯定的な印象はまた、お香や花、ギーのランプ、祭壇や礼拝に関する工芸品などを使うことで作り出すことも可能です。



3. 内的な印象を作る 


五感から離れるテクニックは他に、内側にある印象に精神を集中する、すなわち外側の印象から意識を遠ざけることです。想像力を働かせることで自身の内側にある印象は作り出すことができ、肉体の感覚が静まって初めて作用し始める微細な感覚に繋がることもできます。



視覚化すること


視覚化するることは、内側の印象を作り出す最も簡単な方法です。実際に、ヨガの瞑想の実践は、神やグル、自然の美しい景色などを思い浮かべることから始まります。神やその世界を思い浮かべる、または想像した神様に花や宝石をお供えするなど心の中で儀式を行うなどで、より複雑に視覚化することができます。心の中の景色に没頭するアーチストや、音楽を作り上げるミュージシャンも心の中で視覚化しています。これらはみなプラティヤハラなのですが、なぜならこれらは外的印象の精神域をクリアにし、瞑想の基盤となる肯定的な内的印象を作り上げるからです。準備としての視覚化は、ほとんどの瞑想に有用となり、他の霊的な実践に取り入れることもできます。





ラヤ・ヨガ


内なる音や光の流れのヨガであるラヤ・ヨガでは、粗い感覚から身を引いて微細な感覚へと集中します。この内なる音や光へと身をひくことは、精神を変容させる方法のひとつでインドリヤ・プラティヤハラのもうひとつの形でもあります。




プラナをコントロールする


五感のコントロールには、プラナの成長とコントロールが必要となりますが、それは五感がプラナ(生命力)の流れであるからです。プラナが強くなければ、五感をコントロールする力を持つことはできません。プラナが乱れたり混乱していれば、五感もまた乱れたり混乱します。


プラナヤマは、プラティヤハラの準備です。プラナはプラナヤマで集められ、プラティヤハラで内に入ります。ヨガの文献では、体のあらゆる部分からプラナを内にひく方法が述べられています。つま先から始め、頭頂や第3の目、心臓、あるいは他のチャクラなど意識を留めたいと思う場所で終えます。


おそらくプラナ・プラティヤハラの最良の方法は、死のプロセスを心に浮かべることでしょう。生命力であるプラナが体から離れ、足から頭まで全ての感覚が遮断されます。ラマナ・マハリシは、彼がたった17歳の少年の時にこれによって自己実現を果たしました。真我を深く探る前に、彼は自分の体が死にプラナが精神へ、精神が心臓へとと引き込まれるのを心に浮かべました。このような完全で集中したプラティヤハラがなければ、彼の瞑想のプロセスは成功しなかったでしょう。




行動をコントロールする


感覚器(目や耳など)に加えて、私たちはまた(手や舌など)運動器官を持っています。運動器官を制御することなくしては感覚器官をコントロールすることはできません。実際、運動器官は外界と直接関係しています。感覚を通して入ってくる衝動は運動器官を通して現れ、そしてこれがより強い感覚を得たいと想わせるのです。しかし、欲望は終わりがないため、幸福を得るためには、私たちが欲しているものを得ることではなく、外の世界からもう何も必要がなくなった時なのです。


印象の正しい取り込みが感覚器官のコントロールを可能にするように、正しい仕事や正しい行動は運動器官のコントロールを可能にします。これは、カルマ・ヨガで、人生に必要な行動を取ること、そして欲望や自己満足に基づく行動を避けることです。カルマ・ヨガには二段階あり、外に向けた行動や奉仕(セーヴァ)、そして様々な形式の儀式から成る内に向けた行動です。


カルマ・プラティヤハラは、神や人類全体に対する奉仕として行動することで、自分の行いに対する個人的な報酬に関するあらゆる思考を放棄することで実践することができます。バガヴァッド・ギータでは、「あなたの義務は行動することであり、行いに対する報酬を求めることではない」と書かれています。これは一種のプラティヤハラです。それはまた、運動器官のコントロールにつながる禁欲の実践も含まれます。例えば、アサナは手足をコントロールするために使われることがありますが、それは長時間、静かに座る際に必要とされるコントロールです。




精神を引いていく


ヨギたちは、精神は6つめの感覚器であり、他のすべての感覚器を調整する役割を持つといいます。感覚の印象は、精神の気づきがある場所でのみ受け取ることができます。例えば、テーブルからコップを。持ち上げる時に手の動きに合わせて目が見るものを関連づけることで、精神もまた感覚器官や運動器官を調整します。ある意味では、私たちは常にプラティヤハラを実践しているのです。精神の気づきには限界があり、精神を他の印象から遠ざけることである一つの印象に注意を向けることができます。私たちが意識を向ける場所がどこであっても、その他のものは自然に見落としてしまうものなのです。


意識をそこから遠ざけることで、私たちは感覚をコントロールしています。ヨガ・スートラによれば、「感覚がその対象そのものを確認するのではなく精神の本質を再現する時、それはプラティヤハラである」より明確に言えば、それはマノ・プラティヤハラ、つまり感覚を対象物から引いて精神の本質という内面、つまり形のないものへと向けることです。ヨガ・スートラにおいてヴィヤサは、精神は女王蜂のようなものであり、感覚は働き蜂のようなものだと解説しています。女王蜂が向かうところはどこでも他のすべての働きバチが従います。ですから、マノ・プラティヤハラは感覚のコントロールというよりは精神のコントロールなのですが、それは精神がコントロールされれば感覚もまた自然にコントロールされるからです。


不健全な印象が現れた時は、そこから意識的に注意を逸らすことで、マノ・プラティヤハラを実践することができます。これはプラティヤハラの最も高度な形で最も困難です。感覚や運動器官、プラナをコントロールすることに熟達していなければ、機能することは困難です。野生動物のように、プラナや感覚は弱い心を簡単に打ち負かすため、多くの場合、より実際的なプラティヤハラから始める方が良いでしょう。




プラティヤハラとヨガの他の支則


プラティヤハラは、ヨガの全ての支則に関係しています。アサナからサマディに至るまですべての支則にはプラティヤハラの局面があります。例えば、アサナの最も重要な面である座位のポーズでは、感覚器官と運動器官のどちらもがコントロールされています。プラナヤマはプラティヤハラの要素を含んでいて、呼吸を通して注意を内面に引き込みます。ヤマとニヤマは非暴力や知足など様々な原理や実践を含みますが、それは感覚をコントロールするのに役立ちます。言い換えれば、プラティヤハラはヨガの高度な実践のための基礎を与えてくれ、そしてそれは瞑想の基礎となります。プラナのコントロールであるプラナヤマの後、精神とプラナを結びつけることで、肉体という領域から出ていくのです。



プラティヤハラはまた、ダーラナとも関連性があります。プラティヤハラでは、通常の障害となる心の乱れから注意を引いていきます。ダーラナでは、マントラなど特定の対象物にそうした注意を意識的に集中させます。プラティヤハラはマイナスの実践ですが、ダーラナは同じ基本的機能でプラスの局面を持っています。




最も重要な支則


瞑想の実践を何年も行ってきたけれど、期待通りには達していないと感じる人は多いでしょう。ある程度のプラティヤハラのない瞑想を実践しようとするのは、穴の空いた器で水を汲もうとするのに似ています。どんなに水を入れても、それはまた流れていきます。感覚とは心の器の穴のようなものです。穴を閉じなければ、精神は真実の蜜を保つことはできません。瞑想をしたり感覚に耽ったりする人にはプラティヤハラが必要です。


プラティヤハラは、瞑想のために心を準備する様々な方法を与えてくれます。また、心理的な痛みのもとである環境的な障害を避ける手助けとなります。プラティヤハラは、人生をコントロールし、内面の存在を開くための素晴らしいツールです。何人かの偉大なヨギが
「ヨガの最も重要な支則」だと呼んだのも不思議ではありません。私たちは皆、実践にプラティヤハラを含めることを忘れてはならないのです。







2024年10月27日日曜日

プラティヤハラ:忘れられたヨガの支則 Vol.2 
Pratyahara: Yoga’s Forgotten Limb


前回の続きです。
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五感の制御


五感の制御、インドリア・プラティヤハラは、プラティヤハラで最も重要とされますが、マス・メディア志向の文化にいる私たちにはあまり耳にしたくないものでしょう。テレビやラジオ、コンピューター、新聞や雑誌、本など常にありとあらゆる刺激により、ほとんどの人が感覚過剰な状態になっています。商業主義の社会は、五感を通して興味を刺激することで機能しています。いつも明るい色や騒がしい音、ドラマチックな感覚を突きつけられています。ますますより多くの感覚的な楽しみにふけるようになっています。そして私たちの社会での娯楽とはとういったものがほとんどです。


問題は、そういった感覚というのは、躾されていない子供のように自分の意思を持ちとても衝動的な性質を持っていることです。五感は何がしたいかを心に伝えます。もし躾しなければ、五感は私たちを支配し、その終わりのない要求が心を乱します。私たちはいつも知覚が働くことに慣れていて、心を静かに保つ方法を見失っています。感覚の世界とその魅力の人質となってしまっています。五感に訴えるものを追い求めて、人生のより高度な目標を忘れています。こうした理由から、プラティヤハラは現代の私たちにとって最も重要なヨガの支則なのでしょう。


昔のことわざ「精神には意思があるが、肉体は弱い」は、五感を正しく制御する方法を学んでいない私たちに当てはまります。インドリア・プラティヤハラは、精神を強くし肉体への依存を減らすためのツールを与えてくれます。そうした制御は抑制(最終的に反発を起こしてしまう)ではなく、正しい調整と動機づけなのです。




印象を正しく受け入れる


プラティヤハラは、印象を正しい受け入れることです。私たちの多くは、何を食べるか誰と居るかに注意を向けますが、五感から入ってくる印象については同様の識別を行いません。個人の生活では決して許さないような印象をマスメディアを通して受け入れています。現実の生活では決して家に入れないような人々が、テレビや映画を通して家の中に入ってくるのを許しているのです!


毎日どんな印象を取り込んでいるのでしょう?それが私たちに影響を及ぼすことなどないと考えられるでしょうか?強い感覚は精神を鈍らせ、鈍った精神によって私たちの行動は無神経で軽率で、暴力的ですらなり得ます。


アーユルヴェーダでは、五感による印象は精神の主な食物です。精神域の背景は、五感の印象に支配されています。これは、精神が最後に聞いた歌や最後に見た映画などの印象を思い出す時に見られます。ジャンクフードが体を不快にするのと同じく、ジャンクな印象は精神を不快にします。ジャンクフードはたくさんの塩や砂糖、スパイスで味つけられていますが、それはほとんどが死んだ食物だからです。同様に、ジャンクな印象は強くドラマチックな印象(セックスや暴力)で現実であるかのように感じさせますが、それは実はそれらがただスクリーンに映し出された色にすぎないからです。


私たちが何者なのかについて、五感の印象の役割は無視することはできません。というのも、印象が潜在意識を築き、その中にある潜在的な傾向を強めるからです。印象をコントロールせずに瞑想をしようとすれば、潜在意識は私たちと闘うこととなり、精神の安定や明快さを作り出すことはできません。




五感から離れる


幸運なことに、私たちは五感の印象の嵐の前でどうすることもできないというわけではありません。プラティヤハラが正しく管理する実際的なツールをたくさん与えてくれます。おそらく印象をコントロールする最も簡単な方法は排除する、つまり五感から入ってくる全てのインプットからしばらく離れることです。断食が肉体に効果があるように、印象を断つことは精神に効果があります。これは、目を閉じて座って瞑想する、通常の五感の嵐から離れた場所(例えば山小屋など)に逃避するなど簡単にできます。


ヨニ・ムードラ(またはシャンムクティ・ムードラ)は、五感を閉じるための最も重要なプラティヤハラのテクニックの一つです。手の指を使って、頭部の感覚器(目、耳、鼻、口)をブロックして、意識とエネルギーを内側へと動かします。プラナヤマの練習をしたすぐ後など、プラナのエネルギーが強い時は短時間で効果があります。(もちろん、酸欠になるほど口や鼻を閉じてはいけません)


五感から離れるもうひとつの方法は、感覚器は開いたまま注意を内側へと引き込むことです。この方法では、実際に感覚器を閉じてしまうことなく、印象の取り込みをやめます。最も一般的な方法はシャムバーヴィ・ムードラで、目を開けたまま座りながら意識を内側に向けますが、いくつかの仏教の瞑想で使われるテクニックです。この感覚を内側に向けることは他の感覚、特に聴覚も同時に行うことができます。日々の生活のまま五感が働いている時でも、精神とコントロールするのに役立ちます。


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次回にまだまだ続きます。


2024年10月25日金曜日

プラティヤハラ:忘れられたヨガの支則 Vol.1 
Pratyahara: Yoga’s Forgotten Limb

ヨガって何でしたっけ?
やせるため、健康のための運動?若々しく綺麗でいるためのストレッチ?
さて、大事な物を忘れてしまっているかもしれません。

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プラティヤハラそのものがヨガと呼ばれるのは、ヨガ・サダナ(日々の鍛錬)の中で最も重要なものだからである ー スワミ・シヴァナンダ







ヨガは、精神修練の広大なシステムで、精神の成長のための手段を与えてくれます。私たちの本質の様々な側面を理解する方法や、そんな本質と私たちの内側や周りに存在するより大きな世界とを調和させる方法を授けてくれます。この素晴らしい精神科学は、私たちの可能性が最大に展開するのを実現する方法を示しています。


この目的を果たすため、伝統的なヨガのシステム(アシュタンガ・ヨガ)は8つの支則を取り入れており、それぞれが役割や機能を持っています。8つがまとまって精神を解放するための完全なシステムを作り上げている。この8支則とは、ヤマ(禁戒)、二ヤマ(勧戒)、アサナ(坐法)、プラナヤマ(調気法)、プラティヤハラ(制感)、ダーラナ(集中)、ディヤナ(瞑想)、そしてサマディ(三昧)です。これらの中で、プラティヤハラが最も知られていないでしょう。ヨガの指導者であっても、どれだけの人がプラティヤハラを明確に示せるでしょうか?プラティヤハラのクラスに出たことがありますか?プラティヤハラについての本をみたことがありますか?重要なプラティヤハラのテクニックのいくつかを思いつきますか?ヨガの実践の中でプラティヤハラを行っていますか?しかし、プラティヤハラを理解しなければ、ヨガの不可欠な部分を欠いていることになります。この側面がなければ、このシステムは機能しないのです。




ヨガの内側と外側の側面



ヨガの外的側面は、正しい生き方、正しい体の使い方、そして生命力を高めることから成っています。これが、ヤマやニヤマ、アサナ、プラナヤマです。ヤマとニヤマは、非暴力や誠実などの価値観や清浄や知足などの実践を通して正しい鼓動の基礎を作ります。アサナは体を強く柔軟にさせ、プラなヤマは生命力を高めてくれます。


ヨガには、瞑想やより高度な意識の開発などの内的側面もあります。これこそがヨガの目的であるダーラナ、ディヤナ、サマディがひとつのプロセスとして形を成したサンヤマで、広い意味では瞑想のことです。


八支則の5段階目として、プラティヤハラは中心に存在します。ヨガの外的側面のひとつだとする人もいれば、内的側面とする人もいます。どちらの分類も正しく、その理由はプラティヤハラがヨガの内外的側面の関係への鍵であるからです。次へどう進むのかを教えてくれます。


アサナから瞑想へと直接に進むことが可能な人はほとんどいません。これは、体から精神の間に何が存在しているのかを見失ったままジャンプしなければいけないからです。この移行を行うためには、まず体と精神を繋いでいる呼吸や五感を制御して正しく開発しなければなりません。ここでプラナヤマとプラティヤハラの出番です。プラナヤマによって生命力と心拍をコントロールし、プラティヤハラによって手に負えない五感を制御します。このどちらもが、瞑想を正しく行うために必要不可欠です。



プラティヤハラとは?



「プラティヤハラ」という言葉は「Prati」と「Ahara」という二つのサンスクリット語から成っています。「Ahara」の意味は「食物」あるいは「外側から自分自身へ取り込むもの」です。「Prati」は「逆らって」や「離れて」を意味する前置詞です。つまり「Pratyahara」とは文字通り「aharaの制御」あるいは「外的影響の統制」という意味です。これはこれまでカメが甲羅の中に引っ込むことに例えられてきました。甲羅は精神で脚は感覚です。一般的に「感覚から離れる」と訳されますが、より多くの意味を含んでいます。


ヨガの考えでは、アハラつまり食物には3つの段階があります。まずひとつめは、体を育むために必要な5要素(土、水、火、風、空)をもたらす物理的な食物です。ふたつめは、精神を育むために必要な微細物質をもたらす五感(聴覚、触覚、視覚、味覚、嗅覚)です。各感覚は、聴覚が空、触覚が風、視覚が火、味覚は水、嗅覚は土というように微細な要素から成っています。みっつめのアハラは私たちの人間関係で、魂を育み私たちのグナ(サットヴァ、ラジャス、タマス:調和、混乱、怠性の根本的質)に影響を与える心の中にある人々です。


プラティヤハラには二面性があります。間違った食物、間違った感覚、間違った人間関係から離れると同時に、正しい食物、正しい感覚、正しい人間関係へと向かっていきます。正しい食生活や正しい人間関係がなければ精神的な印象を制御することはできませんが、プラティヤハラで最も大切なのは、感覚が作る印象から離れ制御することであり、それによって内側へと向かう精神を自由にすることができます。


否定的な感覚から意識を離すことによって、プラティヤハラは精神的な抵抗力を強化します。健康な体が毒素や病原菌に抵抗するのと同じく、健康な精神は否定的な感覚が周囲に影響を与えるようとするのに抵抗します。もし周りの騒音や混乱ですぐに心が乱れてしまうなら、プラティヤハラを実践する必要があります。それがなければ、瞑想することはできません。


プラティヤハラには主に4つの形があります。インドリア・プラティヤハラ(五感の制御)、カルマ・プラティヤハラ(行動の制御)、プラナ・プラティヤハラ(プラナの制御)、そしてマノ・プラティヤハラ(五感から離れる)です。それぞれに特別な方法があります。


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次回に続きます。







2024年9月12日木曜日

ストレッチの本当の意味とは? 
Stretching: What Does It Really Mean?


バーベルを頭の上に持ち上げるのに必要なのは何かと尋ねたら、ほとんどの人が筋肉と骨、関節だと答えるでしょう。マラソンを走るのには何が必要かと尋ねたら、心臓と肺、脚だと答えるでしょう。そしてダンスや体操に求められるのは何かと尋ねたら、強さと優雅さ、そして敏捷性と答えます。けれど、柔軟性を高めるのにもっとも大切なのは何かと尋ねると、おそらくキョトンとするだけかもしれません。それでも、ハタヨガを練習している私たちは柔軟性を高めることが最大の挑戦のひとつだとわかっています。体が固まっていればどんなに簡単なポーズでも難しく、そのためインストラクターは常にストレッチをするよう勧めるのです。けれど、ストレッチとは正確にはどういうことでしょうか?


まずストレッチとは、柔軟性を高めようとして、軟骨の制限や、関節包、腱や靭帯を緩めたり、骨格の制限を解放することではありません。軟骨の制限とはゴム製のパッキンのようなものでほんの少ししか動きません。関節包は骨膜関節のツルツルした表面を覆って防御していて、それを緩めようとすると不安定になる危険性があります。骨と骨を繋いでいる靱帯はたった4%伸びただけで裂け始めます。固定されたため異常に短くなっているのでなければ、伸ばすことは到底良い考えではありません。筋肉の腹と骨を繋いでいる腱は、知られているでしょうが、靱帯を同様の構造をしていてあまり伸びません。


私たちができるのは、神経と筋肉の腹、つまり関節を通り越し手足を縦方向に走る二種類の柔らかな解剖学的組織を伸ばすことです。そしてこれらはまさに、ハタヨガで十分な柔軟性を得るために伸ばすべき二つの組織なのです。




筋肉群


筋肉は関節の可動域を必要なだけ改善するためほんの少し伸ばす必要があり、そしてこれが適切な変化の機会を与えてくれます。しかし、筋肉をストレッチする時は各筋繊維を対応しているのでしょうか、それとも結合組織繊維に対応しているのでしょうか?対応しているのは両方です。


実験結果で示されているのは、ギプスで筋肉がストレッチされた位置で固定されていると、その筋繊維は、ルコメアという小さな収縮単位を追加することで長くなっていきます。同様に、収縮状態でギプスで固定されると、サルコメアがなくなって筋繊維は短くなります。


柔軟性を高めるためには、筋繊維の長さを伸ばすだけでは不十分です。その筋肉内部や周りの結合組織の調和した広がりもまた必要で、それには表面の筋膜(一束の筋繊維を覆う結合組織)や個々の繊維を包んでいるものも含まれます。そしてこれが、時間をかけたストレッチで起こっていることです。結合組織は徐々に筋繊維につられていき、筋肉全体が伸ばされ、柔軟性が高まります。ハタヨガのストレッチは、これを引き起こす安全で効果的な方法です。そしてもし何もかもを硬く締めたい時にするべきことは、ストレッチをやめることだけです。筋繊維は短くなり、結合組織は後に続きます。



神経


抹消神経はまた別の話です。神経はストレッチには敏感ですが、ストレッチを制限するための十分な強さをも持っています。神経がストレッチに順応できるのは、ただ周りの組織を通る曲がりくねった経路をとっているからです。そして、各神経繊維は神経そのものを包含する結合組織の中をあちこちと走っているからです。体のストレッチをしている間、周りの組織を通る神経経路全体がまずまっすぐになり、ストレッチが続くにつれて曲がりくねった神経内の個々の繊維もまたまっすぐになります(周りにある結合組織には、神経繊維を傷つけずさらなる約10-15%のストレッチに対応できるほどの弾性があります)。


そうした神経鞘に包まれない神経は全くもって傷つきやすく、ストレッチだけでなくトラウマや緊張した筋肉、骨、靱帯の間の圧迫にも弱いのです。その防御力は完全ではないにしても、神経繊維が安全である10-15%以上のストレッチという極端な場合にもこうした神経鞘は適応が可能です。初期の警告サインは痺れ、過敏、チクチクした痛みなどで、それを無視すると感覚や運動の欠陥が生じることがあります。怪我から守るのにもっともよいのは、気づきと忍耐、つまり神経ストレッチが問題となりうる理由への気づきと、小さな症状が現れてもゆっくりと取り組む忍耐です。



実践しよう


では、筋肉がストレッチにどのように反応するかを見るために、片足首を曲げた座位の前屈をしてみましょう。まず、床に座って片方の脚を前に伸ばし、もう一方の脚を会陰の方向に引きます。腿はお互いが約90度になるようにし、両脚の真ん中あたりに向いておきましょう。次に、型通りにこのポーズに入るため、背骨を45度捻って伸ばした脚の方に向き、両手を頭上にあげたり股関節から曲げようとせずに前屈します。伸ばした脚の腿や足の方へ柔軟性に合わせて両手を下ろします。このポーズを約30秒したあと、ゆっくりと股関節から腰へと起き上がります。最後に、頭と首を持ち上げます。反対の脚で繰り返しましょう。






この片足への前屈はいくつかの意味で有益です。一つ目は、片方の膝を曲げることで片方のハムストリングスだけをストレッチできます。二つ目は、両側の内転筋をある程度ストレッチしていますが、前屈した方は膝が伸びているのでより強いストレッチになります。これは片側の内転筋に働きかけることのできる最良のポーズのひとつです。最後に、骨盤が45度に傾いた前屈は背中のストレッチよりも股関節や腰への負担が小さく、ビギナーにとってより効果の高いポーズとなります。



このポーズに慣れてきたら、バリエーションを試しましょう。また最初の姿勢になって右膝を伸ばします。今度は右足の方に手を伸ばさないで左の肘で左膝を押します。(ほとんどの生徒はここで右臀部が床から浮きますが、それで構いません)次に手を伸ばして両腿の真ん中の床へと右手をスライドします。そして内転筋の伸長をいくらか解くために左側へ3分の2のところへ手を伸ばします。そして最後に、右側から3分の1の場所でストレッチを深めます。






最後に、このポーズを探求したのち、もとのポーズまでもどってまっすぐ右足の方へと手を伸ばしましょう。より深く前に行けるのに気づくでしょう。ハムストリングスの抵抗は先ほどと同じくらいですが、伸ばした膝からずらしたストレッチがそちら側の内転筋を伸ばしたのです。より深く手が届いた距離が、最初のポーズにおけるあなたの限界に内転筋がどれほど貢献していた大体の長さです。





これらのポーズを1分間ほどホールドすると、主に神経系に働きかけていることになり、筋肉が弛緩していきます。しかし全身の力を緩めて忍耐強くより長時間ホールドすると、やがてサクロメアが徐々に内転筋やハムストリングスに増えていき、そのあとから結合組織が続き、そして長くなった筋肉と結合組織がより深い前屈を可能にしていくのです。末梢神経に関してはチクチクした痛みがなければ問題がないと考えられますが、もしそんな症状があるなら長くなった筋肉に順応するまでもう少し時間がかかるかもしれません。



注意:柔軟性を高めるには、受動的なストレッチに加えて立位ポーズなど強化エクササイズを含んだバランスの取れたポーズを常に心がけて下さい。妥協点を見つけてください。1、2箇所の筋肉だけ(例えば内転筋とかハムストリングスとか)を伸ばそうとしたら、体のバランスは崩れ、変えてしまった新しい状況に馴染むことができずすぐに怪我をすることになる恐れがあります。体全体をみて取り組み、全体的により強くより柔軟になることが大切です。




最終的な分析


研究では、筋肉の長さが長時間のストレッチで伸びること、長引く収縮で短くなることを確実に示しています。また、筋肉、神経どちらも包んでいる結合組織は過度にストレッチされていまうこともはっきりとしています。しかし、この方程式にはもうひとつの要素があります。神経系は筋肉の弛緩と緊張のどちらに対しても中心的な役割を果たしており、それによってストレッチや制限を促進しています。では、結局動きを制限しているのは、神経系の能動的な役割と結合組織の受動的な役割どちらなのでしょうか?普段の動きの中では神経刺激が筋細胞を刺激し続けるため、確かなことは一方からしかわかりません。深い麻酔にかかっている時、つまり骨格筋細胞全て(呼吸に必要なもの以外)を神経系が刺激していない時の可動域を調べることです。


これについては研究が終わっています。手術室にいる人は誰でも、麻酔されている患者の筋肉はとても緩く関節が外れてしまわない様にする必要があることを知っています。そしてそれは、目覚めている時には極端に硬直している患者にも起こります。では、セラピストが関節周りの可動域を大きくするために麻酔を使って柔軟性高めることは可能でしょうか?答えは、神経系の防御がなければ、筋繊維や結合組織の繊維、そして神経などの組織は裂けてしまうということです。これは、結合組織が限界までストレッチすることがあるとしても、日常生活で実際的な制限をかけているのは神経系だということを証明しています。限界に達した時、神経系は痛みや震え、力が入らないことなどによってやりすぎだと警告をしてくれますが、もっとも重要なことは組織が裂かれてしまう前に警告が出されていることです。





脳と筋肉のつながり


脳の小さな部分である小脳は、筋肉の緊張や調整、バランスをコントロールしています。自己受容体からの神経繊維は大脳皮質(意識的な思考や感情に関連した脳の部分)に向かっています。ですから、脳には継続的に感覚の流れがあり、脳からは継続的に意識的、無意識的な運動インパルスが流れています。


柔軟であることの長期的な利益は、筋肉を締め付けている結合組織をストレッチする能力によりますが、その能力は防衛反応を緩めることができるかにかかっており、つまり精神的にリラックスする能力に関係があります。


あなたの心の状態と感情の強さの方が、筋肉の抵抗よりも克服することが難しいのだと気づいておくことが不可欠なのです。










(出典)https://yogainternational.com/article/view/stretching-what-does-it-really-mean/

2024年9月6日金曜日

全てのレベルで癒すアーユルヴェーダの知恵 Vol.2
Ayurvedic Wisdom to Address Healing on Every Level

 前回の続きです。

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バランスを取り戻す


癒しの基本は自分の特性を理解することなので、アーユルヴェーダによれば、健康を取り戻すためには正確な属性や生まれ持った特質、病気の構造などを理解しなければなりません。体内のバランスを作る知性が身体そのものにあり、アーユルヴェーダはそのプロセスを助けるのです。アーユルヴェーダの治療は全て、ヴァータ、ピッタ、カパのバランスを築くように考えられています。そしてそれは、毒素の排出と中和の2通りの方法で行われ、どちらの方法も肉体レベルと同様に感情レベルにおいても効果的です。







感情を解放する


怒りや恐れ、不安、いらいら、嫉妬、所有欲、貪欲は人間誰もがもつ感情です。私たちの文化においてそれらは良くないものとされるため、多くの人はそうした感情を表に出さないことを子供のころ身につけます。その結果、そうした感情を自然な表現を幼い頃から抑え始めます。アーユルヴェーダでは、こうした感情は解放すべきだとされています。なぜなら、抑えることでバランスの崩れが生じ、それが結果として病気を生む毒となるからです。


否定的なものに対処するアーユルヴェーダのテクニックは、観察と解放です。例えば、怒りが起こる時、そのことにしっかりと気づき、初めから最後までその感情がどう展開するかを見つめます。この観察で、怒りの本質を知り、そして解放します。手放すのです。全ての感情に対してこのように対処することができます。


恐怖はヴァータに、怒りはピッタに、そして貪欲、嫉妬、所有欲はカパに関連があります。恐怖が押さえつけられると腎臓が乱されます。怒りは肝臓、貪欲や嫉妬、所有欲は心臓や膵臓に影響します。




浄化


毒素はまた、悪化したドーシャが生物学的な炎(アグニ)に影響を与えた時に作られます。そしてその結果、消化や代謝、吸収に影響を与えます。つまり、消化、吸収、同化されなかった食べ物がアーマとして体内に残り、不均質で不健全な粘りのある物質として組織に癒着し、経路に詰まり、毒性をつくります。それが血液に入り毒血を作り、病気の根本原因となります。このアーマの根本原因は、アグニを攻撃する悪化したドーシャであり、消化や代謝の力を下げます。


浄化(ショーダン)の目的は、体から過剰なドーシャとアーマを取り除くことです。ドーシャとアーマを体内の深部から、排出することができる場所まで移動させる最初の手順(プールヴァカルマ)も含まれます。その後、5つの手順(パンチャカルマ)でそれらを取り除きます。過剰になった不純なカパを取り除く嘔吐セラピー(ヴァマン)や、過剰なピッタを取り除く腸を下すセラピー(ヴィレチャナ)、過剰なヴァータを取り除く浣腸セラピー(バスティ)。ナシヤは特定の薬草パウダー、薬を加えた調合オイル、そしてギーを鼻に入れてプラナや精神、意識を浄化します。ラクタ・モクシャは、伝統的な瀉血あるいは特定の薬草を使った血液の浄化です。




毒素の中和


体のドーシャのバランスを整え落ち着かせる中和法(シャマン)には7タイプあり、火を燃え立たせる(ディパン)、毒性のあるアーマを燃やす(パチャン)、断食(クスッド・ニグラハ)、脱水を保つ(トゥルット・ニグラハ)、ヨガのストレッチ(ヴィヤヤマ)、日光浴(アタップ・セーヴァ)、そして呼吸です。シャマンは主に精神的な浄化法で、パンチャカルマを行うには体力が弱い人、そして感情的な問題のある人などに適しています。免疫やアグニに影響する慢性的な乱れはピッタ、ヴァータ、カパにかかわらずシャマンが良いでしょう。シャマンは、治療にも予防にもなるので健康な人にも向いています。


  • シャマンの初めは、蓄積された毒素を燃やすために体内の火をおこすことです。これはカパやヴァータの乱れに、特に消化の火が落ちている人には必ず必要です。特定の薬草を特別な割合で蜂蜜とともに内服します。中でもピッパリ、生姜、シナモン、黒胡椒、チトラックなどは火をおこすのに役立ちます。みぞおちに集中することでもアグニを燃やすことができ、肉体や微細な因果体の毒素を燃やします。このテクニックはカパやヴァータタイプに特に効果的ですが、ピッタの人が行うには十分な注意が必要です。


  • 毒素は、トリカトゥ、チトラック、シナモン、生姜、クミン、コリアンダー、フェンネルなどの薬草を特定の割合で作ったお茶を摂ることで燃やす(パチャン)ことができます。これらのお茶は、食べ物が適切に吸収できる様に食事の後に飲まなければいけません。集中や瞑想、熟考もまたパチャンを高めます。


  • 急な発熱や消化不良、赤痢、下痢の場合、アーユルヴェーダでは断食(クシュド・ニグラハ)を勧めています。通常の断食では、ギーで煮たリンゴ、バスマティライスとムング豆とギー、あるいはヨーグルトとお米だけを少量だけ食べます。しかし、急な発熱や下痢、赤痢などの場合は、数日間何も食べない方が良いです。これがアグニを燃え立たせ毒素を燃やします。


  • 脱水を保つ(トゥルット・ニグラハ)とは、水を飲まないことです。体内に過度の水分が保持されるカパの乱れの時にはとても大切です。アーユルヴェーダでは、例えば浮腫のように腎臓の不調、腹腔内に水分が溜まっている時、特定の尿の異常がある時は水を摂取してはいけないと伝えられています。トゥルット・ニグラハは、水のファスティング(水だけを飲む)ではありません。水を全く飲まないことです。


  • 次に続くのはエクササイズ(ヴィヤヤマ)で、特にヨガのストレッチです。ここでのエクササイズとは、筋肉の特定の方向へのストレッチで、努力がなければできない目標を立てます。この努力が肉体的なストレスを生み、その結果火が起こります。アーユルヴェーダでは、エクササイズは血流を改善し、心拍を活性、カロリー燃焼を強め、代謝を刺激し、体温を調節、体重を維持すると言われます。また、感覚を鋭く注意深くさせ、心が研ぎ澄まされます。正しいエクササイズは素晴らしいシャマンの技術なのです。


    アーユルヴェーダでは、それぞれ個人の体質に向けたエクササイズを推奨しています。例えば、ヴァータの人に重要なのが骨盤腔なので、骨盤の筋肉をストレッチするエクササイズが良いです。それゆえヴァータの人が落ち着くのを促してくれるのは、前屈、後屈、背骨の捻り、コブラのポーズ、ラクダのポーズ、肩立ち、鋤のポーズなどです。水泳はヴァータの人に向いていますがジョギングはそうではありません。

    ピッタの人に重要なのがみぞおちで、そのあたりの筋肉をストレッチするエクササイズが効果的になります。魚のポーズ、舟のポーズ、ラクダ、バッタ、そして鋤のポーズがピッタを落ち着かせるのに役立ちます。ヴァータと同様にピッタにも水泳は良いです。

    カパの人の重要な場所は胸ですので、胸まわりのストレッチをするエクササイズが効果的です。それには、肩立ちや耡のポーズ、バッタ、猫、牛、弓のポーズが含まれます。これらは全てカパの肺腔内循環を高めます。カパにはジョギングが良いですが、カパの人はジョギングを好みません。山登りやハイキングなどが良いでしょう、が、やはりあまり好きではないでしょう。



  • 日光浴(アタップ・セーヴァ)は、もうひとつの伝統的なシャマンですが、熱と光、そして高レベルの意識の源は太陽だからです。ピッタ優位の人が日光浴をするには、日光照射を減らすためにオイル(日除け)を塗布する様にし、30分以内を目安にしましょう。ヴァータの人は1時間ほどの日光浴をします。カパの人は1時間以上日光の下で横たわっても構いません。カパとヴァータの人は、正しいケアができるなら日光の下に横たわってみぞおちに集中した瞑想をするのも素晴らしいシャマンになります。血流を改善し、ビタミンDの吸収を促し、骨を強くします。

    しかしながら、電離層やオゾンが破壊されている今日では、望まれない過度の放射線(紫外線)が地面に届いているので、日光浴が危険な場合もあります。皮下のブラジャッ・ピッタを悪化させ皮膚がんを起こす危険があります。ほくろが多い人は日光浴をしない方が良いでしょう。月光浴はピッタを下げるのに良いです。



  • 最後のシャマンは呼吸です。呼吸法(プラナヤマ)には数多くのタイプがあり、経験豊富な指導者から学べる全く異なる呼吸の科学もあります。しかし、誰しもが両方の鼻から正しい呼吸をいくつかしなければなりません。そのひとつは以下のような呼吸です。静かに座って片鼻から深く吸い込み、下腹部へ息を入れ、そしてゆっくりと反対の鼻から吐き出します。反対の鼻でこれを繰り返し、片鼻ずつの呼吸を続けます。これが交互の鼻腔のプラナヤマで、シャマンの全ての形と同様に、心と体、意識のバランスをもたらすのに役立ちます。




結果は・・


この様に、アーユルヴェーダは、健康と調和を日常にもたらす洞察を与えてくれます。また、長寿や精神的な平穏をもたらします。アーユルヴェーダは完全な癒しの技術であり、その基本的な原理を理解し、自分の体質を理解し、ドーシャの悪化の性格な性質と構造を理解することで、正しい指針に従って調和とバランスを得ることが可能となります。そのバランスから、最も平穏な状態が生まれるのです。








2024年8月27日火曜日

全てのレベルで癒すアーユルヴェーダの知恵 Vol.1
Ayurvedic Wisdom to Address Healing on Every Level


アーユルヴェーダは古代のヴェーダ文献を起源にしています。サンスクリット語の「命」の意味を持つ「AYUR」と「知識」である「VEDA」の2つの言葉から作られています。古代の人々によれば、科学は体系的かつ論理的に整理された知識であり、時と共にアーユルヴェーダは命の科学、すなわち体、心、精神など私たちの全てを包含する広範囲の科学となりました。



どのように私たちが存在するのか


アーユルヴェーダの文献はサンキャ哲学に基づいています。サンキャ哲学では、全ての人間は宇宙の完全な秩序(純粋意識)の創造物であり、プルシャという男性的なエネルギーとプラクリティという女性的なエネルギーの形をとっています。プルシャは選択不可の受動的な意識であり、プラクリティは選択可能な能動的意識です。プルシャは創造には加わらず、プラクリティは神聖な創造の意思です。プラクリティは世界の全ての形を創造し、プルシャはその創造を目撃するのです。


プラクリティはグナと呼ばれる3つの特性を含む根源的な物理的エネルギーで、(宇宙から生じた)自然界全てに見られます。3つのグナとは、サットヴァ(本質)、ラジャス(動き)、タマス(不活発)です。この3つがこの世の全ての基本です。プラクリティに調和をもって包含されていますが、このバランスが崩れるとグナは互いに作用し合い、そうして宇宙の発展を生じさせるのです。


最初にプラクリティから現れるのは宇宙の知性です。「mahad」から自己意識(ahamkar)が作られます。そして自己意識が五感(tanmatras)と5つの運動機関となり、サットヴァの力を借りて有機的な世界を作ります。同様の自己意識がさらに、タマスの力を借りて自己意識が5つの基本元素(bhutas)となり、無機的な世界を作ります。ラジャスは体内の動的な生命力であり、有機的、無機的世界をそれぞれサットヴァとタマスへと展開します。つまり、サットヴァとタマスは不活発な潜在的エネルギーであり、現れるにはラジャスの活発な動的エネルギーが必要となります。







個性の働き


全ての個々の意識には常にサットヴァ、ラジャス、タマス間の相互作用があり、個人個人の相対的優勢は精神的で倫理的な性質の違いに起因します。例えばサットヴァな性質は、気づき、純潔、認識の明確さとして現れ、結果として善良性や幸福をもたらします。サットヴァが優位にある人は、敬虔で愛情深く、思いやりがあり純粋な心を持ちます。そうした真実や道徳的な正義に従う人は、礼儀正しく、良い行いをします。すぐに動揺したり怒ったりしません。精神的に勤勉ですが、心が疲労することはありません。健康的で注意深く、また意識が高く、輝きや知識、喜び、幸せに満ちています。


動きやエネルギーはラジャスによるもので、これが感覚的な楽しみや喜び、痛み、努力、絶え間ない動きなどをもたらします。ラジャスな性質が優勢な人は、自分本位で野心的、意欲的、
誇りや競争心が高い、また他人をコントロールする傾向があります。力や名声、地位を好み、完璧主義です。彼らは勤勉ですが方向性を欠いています。落ち着かず、活動的で動きを止めません。感情的には、彼らは怒り、嫉妬し、野心を持っていますが、成功しても喜びがもたらされることはありません。精神的な意識に誠実ではないのです。かれらの活動は自己中心的でわがままです。


タマスには、暗い、不活性、重いなどの特徴があり物質主義な考え方を持ちます。タマスな性質が優勢の人は、他の人に比べてあまり知的ではありません。鬱や怠惰の傾向がありよく眠ります。頭を使う仕事ですぐに疲れます。あまり責任のない仕事を好み、食べて飲み寝てセックスをすることを好みます。貪欲で独占欲が強く、執着し怒りっぽい、そして他人のことは考えません。彼らは瞑想に集中することは苦手です。




ドーシャの働き


精神的な性質に加えて、ヴァータ、ピッタ、カパという生物学的な気質(ドーシャ)が3つあります。体内の心理学的、精神病理学的な変化の全てを司り、全ての臓器や細胞組織に存在します。「空」と「気」が組み合わさってヴァータとなり、火と水がピッタとなり、水と地がカパとなります。


ヴァータとピッタとカパは誰にでも存在しますが、個々人によって異なる組み合わせになっています。例えば、基本的には体質は7つあります。ヴァータ、ピッタ、カパが優勢なモノタイプ、ヴァータとピッタ、ピッタとカパ、カパとヴァータが優勢なデュアルタイプ、そしてヴァータ、ピッタ、カパが同じ比率になる均等タイプがあります。ドーシャのバランスはまた、個人の体質におけるサットヴァ、ラジャス、タマスによっても影響を受けます。


ヴァータは軽く、動きがあり活動的、鮮明で収斂、分散します。そうした性質によって、ヴァータの人の髪や肌、腸は乾燥していて、便秘しやすい傾向にあります。ヴァータの軽い性質により、体重が軽く痩せていたり体重不足することがあります。冷たい性質が、手足の冷たさや血流の悪さとして現れます。ヴァータはよく動くので、ヴァータタイプはとても活動的です。


ピッタは熱く鋭く、軽く、流動的で酸味があってオイリー、広がる性質を持ち、ピッタが過剰になるとそれらが現れてきます。ピッタは熱いので、ピッタの人は食欲が強く温かい肌をしています。またピッタは鋭く、ピッタの人は尖った鼻、歯、目、心を持っています。鋭い言葉を使います。記憶力が良いです。オイリーな性質のため、柔らかで温かくオイリーな肌、ストレイトでオイリーな髪を持ち、オイリーで水分の多い便をします。ピッタは軽いため、ピッタの人は中肉中背で明るい光を嫌います。


カパは重く、遅い、冷たい、オイリー、水分が多い、密集、厚い、安定して濁っています。こうしたドーシャの優位性を持った人は、重い骨、筋肉や脂肪を持ち、体重が増える傾向があります。代謝や消化が遅く、冷たく湿った肌をして、太くウェーブのかかった髪をし、大きく美しい目をしています。遅い性質のため、カパの人はゆっくりと歩き話します。ジョギングやジャンプは好まいのですが、座って何もしないことが好きです。


個人の体質(プラクリティ)は、受胎時のヴァータやピッタ、カパの異なる組み合わせによって決まります。人は全て唯一の存在です。男性の種(精子)と女性の卵(卵子)が両親の体質を伝えますが、精子の受精時における優勢因子が、卵子の劣性を中立させたり同様の性質を促進したりします。例えば、強いヴァータ性質を持った精子は、卵子のカパの特徴をいくらか抑制します。乾燥して軽く、粗い動的な質のヴァータが、オイリーで重く、滑らかで安定したカパの性質を抑えるのです。ヴァータとカパはどちらも冷たいので、この性質は胎児の中で促進され、子どもは寒さに敏感になります。この場合の子供は、ヴァータ・カパの体質を受け継ぎます。一方で、精子も卵子も共にヴァータの場合、その子孫はヴァータ体質を受け継ぎます。



バランスが崩れること


アーユルヴェーダにおける健康とは、体と心と意識とのバランス、そしてヴァータ、ピッタ、カパという内的なバランスが取れている状態です。体そのものは3つの質(ドーシャ)、7つの組織であるダートゥ(血漿、血液、筋肉、脂肪、骨、神経、生殖器)、3つの老廃物であるマーラ(便、尿、汗)、そして火または代謝のエネルギーであるアグニから成っています。病気とはこれらのどれかのバランスが崩れている状態のことです。言い換えれば、病気の根本原因はドーシャ(ヴァータ、ピッタ、 カパ)の悪化であり、さまざまな要因で起こります。そして一度悪化すると、そのドーシャがそれぞれの場所で蓄積し始めます。ヴァータは結腸で、ピッタは大小腸で、カパは胃です。その誘因が続けば、蓄積されたドーシャが元の場所から溢れ出して全身に広がり、すでに弱った組織に入り込んでそこに病変を作り出します。ついには、影響を受けた臓器、あるいは全身に病変が現れるのです。


アーユルヴェーダでは、遺伝的、先天的、内的、外的、季節的、習慣的、超自然の要因が7つの病気の主な原因とされます。また病気は、五感(聴覚、触覚、視覚、味覚、嗅覚)の使い方が間違っている、使いすぎている、使わなすぎていることからも起こり得ます。病気そのものは、関係するドーシャの数、影響している特定の組織、、悪化したドーシャの組み合わせ、その病気は一次的なのか二次的なのか、悪化の強さ、そして病気が現れたてからの期間などによって特徴を述べることができます。


知られている遺伝病は多く存在し、特定の問題や実際の異常への傾向や性質などがあります。先天的な原因には、母親の生活スタイル、食事、習慣、活動、感情、人間関係など胎児に影響を与えます。潰瘍や肝臓の損傷などの内的な状態は、味覚の使いすぎ(例えば過度に辛い食べ物)が原因となることもあります。ドーシャに影響する外的なトラウマは、交通事故や銃創など暴力的行為です。


病気の季節的要因は、大抵はあまり直接的ではありません。例えば、夏は明るく軽く、熱い、つまりピッタの季節です。秋は冷たく風が吹き乾燥していて、ヴァータの季節です。冬は冷たく風が吹いて湿っているのでカパの季節です。早春は涼しく湿っていてカパ、そして晩春はピッタです。個人の体質がどうであれ、それぞれ関係するドーシャが対応する季節で悪化するでしょう。例えば、ヴァータの人は秋に便秘や坐骨神経痛、関節痛、リューマチする傾向があります。ピッタの人は、夏に蕁麻疹や吹き出物、ニキビ、胆汁異常、下痢、結膜炎などを起こすかもしれません。カパの人は、春に風邪や咳、便秘、くしゃみ、カパ性の鼻腔炎を起こします。


過食、不適切な食生活、喫煙など生来の傾向もまた問題にあり得ます。超自然の原因としては、日焼け、避雷、惑星の動きなどがあります。また、バランスの崩れた感情、深く根差した消えない怒り、恐怖、不安、悲嘆、悲哀などもまたドーシャに影響を与え病気の原因となります。



病を診断する


病気の経過診断の数多くのテクニックには、脈や舌を読む、尿を確認するなどの技術があります。脈には主に3つのタイプがあり(ヴァータ、ピッタ、カパ)、それぞれが異なる12箇所の橈骨動脈拍動でみられるはっきりとした特徴を持っています。もちろん、左右で6箇所ずつで、3つは表面で3つは深部です。これらの脈と内臓には関連性があり、指で各内臓の強さ、活力、生理学的状態などを知ることができます。


舌診断はまた、伝統的なアーユルヴェーダの技術です。この技術は、内臓の機能状態を明らかにする特徴的なパターンを基本としています。舌は内臓を写す鏡で多くの病気の状態を反映しているので、舌の表面を単に観察するだけでそれがわかります。こうしたパターンの中には伴う図形として見られます。


舌の特定の部分における変色や過敏は、その部分に対応する臓器の不具合を示します。白っぽい舌はカパの乱れと粘膜の蓄積を示します。赤い、あるいは黄緑の舌はピッタの乱れ、そして黒いから茶色の変色はヴァータの乱れを示します。乾燥した舌は血漿(ラサ・ダートゥ)が減少している兆候を示しており、青白い舌は赤血球(ラクタ・ダートゥ)の減少を示しています。


またアーユルヴェーダの医師は、体内ドーシャのバランスの乱れを理解するため尿検査をします。血液(ラクタ)やリンパ(ラサ)などの体液は、老廃物(マラス)を生み出した組織から運びだす役割をします。排尿システムは、水分(クレダ)、塩分(クシャール)、窒素性物質(ダートゥ・マラス)を体から取り除きます。また体液の水分(アパ・ダートゥ)や電解質の正常濃度を維持し、量を調整するのにも役立ちます。このように、尿はヴァータとピッタ、カパのバランスを維持する一役を担っています。


尿検査のためには、清潔な容器に早朝の尿を排尿途中で取ります。色を観察しましょう。もし黒っぽい茶色ならヴァータの異常を示しています。暗い黄色ならばピッタの異常です。尿が出ない、あるいは体があまり水分を取り込まない時にも、尿は暗い黄色になります。尿に濁りがあるなら、カパの異常があります。赤い尿は血液(ラクタ)の異常を示します。


正常な尿は典型的な尿の匂いがします。悪い匂いは、体内の毒素(アーマ・ドーシャ)を示しています。酸性の尿は、焼け付くような感覚があり、過剰なピッタを示します。尿の甘い匂いは糖尿病の状態を示しており、排尿中に皮膚の表面に鳥肌が出ることもあります。尿の結砂は、尿管の結石を示します。


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次回に続きます。



2024年7月26日金曜日

熱さをしのぐ呼吸:シタリとシトカリ 
Beat the Heat: Sitali and Sitkari


夏の暑さにイライラしていませんか?怒りに顔が赤くなったり、ホットフラッシュに悩まれていませんか?昔々のヨギは、コップ1杯の水を飲む間に体を落ち着かせることができる、涼しくするプラナヤマ(調気法)を見つけました。


ヒマラヤの山奥で古代の聖人たちは、体や呼吸、精神を制御しようという壮大な試みのため、周りの世界を観察して模倣しました。鳥の曲がったクチバシ、新芽が伸びる様子、コブラのシューっという声に気づき、こうした形状と音を真似てシタリという実践(涼しくなる呼吸)を行いました。このプラナヤマでは、吸気は丸めた舌を通って湿り気を帯び(鳥のクチバシと新芽)、水分で飽和した空気を「飲む」ことになります。


この実践は、呼吸への気づきを確立する以外にも空腹感や喉の渇きを落ち着かせ、一人で過ごす時間への愛を養うと言われています。また、シタリは体を冷やすとともに水分を与え、そしてそれはアーユルヴェーダ的に言えば夏によくみられるピッタバランスの崩れを落ちつかせます。さらに、この呼吸法は、疲労感、口臭、熱、高血圧を軽減します。







シタリの実践法


  • 頭と首、背骨をまっすぐにして心地よい姿勢で座ります。

  • 目を閉じて数分間、腹式で呼吸してから、口を開けて口元を「O」の形にします。

  • 舌を縦に丸めて口から突き出します(約2cmほど)。

  • ストローで飲む時のように、舌から口の中へと深く息を吸います。

  • お腹と胸の下が膨らむと同時に、呼吸の涼やかな感覚に注意を向けます。

  • 舌を引き込んで口を閉じ、鼻腔から息を吐き切りましょう。

  • シタリを2、3分間続けたら、腹式呼吸に戻ってまた数分、そしてまたシタリを2、3分間長く繰り返します。そうやって徐々に10分間まで延ばしていきましょう。



舌を丸められない?シトカリを試しましょう


  • 目を閉じて心地よく座ります。

  • 上下の歯を優しくくっつけて、心地よい範囲で唇を開き、歯が空気に触れるようにします。

  • 歯の隙間から息をゆっくりと吸い込み、呼吸のシューっという音に意識を向けます。

  • 口を閉じて息を鼻からゆっくりと吐きましょう。

  • 20回まで繰り返します。この実践をシトカリと呼びます。ハタヨガ・プラディピカによれば、シトカリには冷やす効果に加えて内分泌系のバランスを取り活力を高めます。



シタリとシトカリの注意点


シタリやシトカリは体温を下げるため、暑い季節や力強いアサナの後、または熱をつくるプラナヤマ(バストリカなど)の後に行うのが最適です。


ヴァータやカパの体質の人にとっては、冬季のシタリやシトカリは適切ではないかもしれません。また、いつ練習するかにかかわらず、体温に近い温度の空気を吸い込むようにしましょう。息が鼻腔で温められないため、冷たい空気は肺を害する可能性があるからです。






2024年7月23日火曜日

夏のピッタのバランスをとる方法 
How to Balance Pitta in the Summer






何千年も前のインドでは、熱い夏の夜の満月の下で、アーユルヴェーダの癒者は青と白の蓮から露を集めて薬用のために保存していました。聖典によれば、その貴重な露の一粒を舌にのせると、全身が冷やされると言われています。この「月の汗」は、外が暑い時期に体が暑くなりすぎる原因となる代謝をコントロールする微細なエネルギーであるピッタ・ドーシャを鎮静します。



脱水している、汗をかいている、あるいはイライラしていると感じたら、おそらくピッタが過剰になっています。その他の眼に見える兆候には、皮膚の炎症、胃酸過多、体のほてり、目の充血、激昂しやすいなどがあります。


しかし、ピッタのバランスが良い時は元気でいられます。類を見ないようなエネルギーややる気に溢れ、精神は明晰に、喜びや生命力、体力を感じられます。ここでは、夏の暑さの中でピッタのバランスをとるヒントをお伝えしましょう。



正反対の原理


アーユルヴェーダの知恵は「似たものは似たものを増やす」という考え方に基づいています。例えば、外が32℃の時に、気性が激しく怒りっぽいビジネスマンが熱いスパイシーなものを食べたら、ただもっと熱くなってよりイライラすることでしょう。そこでアーユルヴェーダでは崩れたバランスを正反対のもので治療するのです。おそらく癒者は、彼の過剰な火を鎮静するためにキュウリのように冷やす食べ物を勧め、水泳に行ったり、「立ち止まって薔薇の香を楽しむ」時間を取るように言うでしょう。この原理はとても単純なため見過ごされがちなのですが、いったん日常生活に取り入れてみれば心身のバランスをすぐに取り戻せることに驚くことでしょう。



何を(いつ)食べるかに注意する


🟠太陽が熱くなる前に朝食と昼食を取る


私たちの消化の火であるアグニは夏に弱くなるため、涼しい季節よりも食欲が弱まります。実際、最も弱るのは日中の一番熱い時間帯です。朝食や昼食を午前11時前に、そして日が沈み始める時に軽い夕食をとるようにしましょう。


🟠この夏は水分をたっぷりと


毎日、コップに4-6杯の水、新鮮なココナツウォーターやスイカジュースなどの冷やす飲み物を飲みましょう。キュウリミルクを、皮を剥いたキュウリ1/2カップと牛乳1カップ、砂糖ひとつまみを混ぜ合わせて作り、薔薇の花びらを添えましょう。または、電解水を作りましょう。ライムジュースと砂糖を小さじ1杯ずつ、岩塩をひとつまみをの冷たい水カップ1杯に加えます。


🟠夏の間は熱く、辛い、塩っぱい食べ物を避ける


これらはピッタ・ドーシャを増やします。強いお酒、赤ワイン、赤みの肉もまた、夏には熱を高め過ぎになります。


🟠その代わりに、甘く、苦く、渋いものを食べる


これらの味覚はピッタを鎮めます。夏に良い食べ物は、牛乳やヨーグルト、ギー、キュウリ、りんご、梨、メロン、スイカ、フレッシュのコリアンダー、アスパラガス、アーティチョーク、ブロッコリ、バスマティ・ライスなどです。朝食には、小麦を牛乳で炊いたクリームにカルダモンと砂糖を少し足して食べてみましょう。昼食や夕食には、1日に必要な葉野菜をとります。オリーブオイルやサザンアイランド・ドレッシングでフレッシュなサラダを食べるのが理想です。デザート?タピオカ・プディングや小さじ半分の砂糖を加えた甘いヨーグルト1カップが良いでしょう。



太陽と月


適度な日光は健康や幸福のために不可欠ですが、月光も同様です。その効果を最大限にするヒントをご紹介しましょう。


🟠午前10時から午後3時の直射日光を避ける


日中の暑い時間を戸外で過ごすなら、皮膚が呼吸できるように緩く心地の良い綿や絹の服を着ましょう。白や青、緑、灰色など日光を反射する色を着て、サンダウウッドのビーズや翡翠、真珠、アメジストやムーンストーン、マラカイト、銀など冷やすジュエリーを身につけましょう。そして、広いツバのある帽子で頭部を守りましょう。


🟠熱の中で運動をしない


夏は、水泳やスキューバダイビング、ウォーター・ポロなどウォータースポーツが理想的です。しかし、運動は早朝や夕方遅くに留めておきましょう。


🟠日焼けをしずませる


サンダルウッドとターメリック同量の粉を少しの冷水で混ぜて、そのペーストを日焼け部分に塗ります。または、アロエヴェラのジェルやココナッツオイルを肌に擦り込ませましょう。


🟠月光浴をする


夜、ビーチや涼しい草地を散歩します。白い服を着て白い花を髪につけると、ピッタ・ドーシャを鎮める月の涼やかな光線を取り込むことができます。




夏のヨガ・アサナ


冷やす効果のあるポーズには、魚、ラクダ、船、コブラ、牛、ツリーポーズなどがあります。シタリ・プラナヤマを実践しましょう。また、瞑想も忘れないで行いましょう。心や感情の熱を落ち着かせられます。





(出典)https://yogainternational.com/article/view/how-to-balance-pitta-in-the-summer/



2024年7月1日月曜日

マルハナバチの呼吸の練習 5つの方法 
5 Ways to Practice Bhramari


「息を吐きながら、雌ミツバチの音をだしましょう」バンガロール郊外にあるスワミ・ヴィヴェーカーナンダのアシュラムでのクラスに参加していた時、サリーに身を包んだインストラクターが優しく穏やかに言いました。同じ年の後半、ロッキー山脈の会議でもまたハチの羽音のプラナヤマをロッド・ストライカーと共に行う機会がありました。標高が高かったせいなのか、それともその日のストライカーの教え方が良かったのか、その日はこの古代のブラマリの練習はどういうわけか私の身に染み込んできました。穏やかさと明瞭さを感じ、クラスが終わっても長い間私の中でその音が共鳴し続けました。そうして毎日練習するようになり、今では数年になります。ブラマリによって音波の物理的な振動に敏感になり、全く思いがけないことに、それまであまりやろうとしなかったチャンティングをやりたいと思うようになったのです。



ブラマリの効果


ブラマリは安全で容易に習得できる実践で、とてつもない癒しの可能性を持っています。他のプラナヤマと同様、その力は自律神経(ANS)に対するいくらかの効果にあります。吸気よりも呼気を長くすることで、自律神経の鎮静の副交感神経が活性化されます。心配や不安(ラジャが強い)に伴う鬱に悩まされる人にとって、この実践は数呼吸のうちに心を落ち着かせ始めることができます。ブラマリの絶え間ないぶうんという音は、感情的な苦痛を増加させる頭の中の終わりのないループを消し去ってくれ、瞑想するには心が『忙しすぎる」人にとって有益な出発点となります。




始めましょう


床や椅子の上で心地よい姿勢で座ります。床に座る場合は、太腿が降りて腰椎が自然な曲線を保つのに必要な支えを骨盤の下におきます。椅子の方が良ければ、太腿が下向きになって両足が平らに床に付くよう、少し前に移動して座面の端に座りましょう。(足が床に付かなければ、2つのヨガブロックの上に載せます)


常に力とくつろぎとのバランスを取ります。穏やかな音量で羽音を出しますが、無理に出そうとはしません。顔の筋肉を緩め、上下の唇は軽く触れた状態で、顎の力を抜き、上下の歯は少し離しておきます。羽音の音を心地よい範囲で長く吐いて、息を切らさないようスムーズに息を吸います。不安を感じ始めたら、無理をせず普通の呼吸に戻りましょう。





基本のブラマリ


心地良く座りそっと目を閉じます。1、2回呼吸をして落ち着き、心の状態に気づきます。準備ができたら息を吸って、それから息を吐き切って喉から中低音でハミング音を出します。音の波が舌や歯、鼻腔を優しく振動するのに気づきます。音が頭全体に振動しているのをイメージしましょう(実際に振動しています)。この練習を6回繰り返してから、目を閉じたまま、普通の呼吸に戻りましょう。何か変化があったかに注意をむけます。




無音のブラマリ


もう一度、1、2回呼吸におちついて準備します。基本のブラマリを6回行います。6回終わったら、無音のブラマリにうつります。吐く息ごとに羽音を出していることをイメージします。6回行いましょう。顔や鼻腔に振動の感覚が感じられるかに注意を向けます。




シャンムキ・ムードラのブラマリ(バリエーション




ブラマリの効果を強める方法のひとつは、シャンムキ・ムードラです。ブラマリは、プラティヤハラを促し五感を内に向かわせるので、外的な五感へのインプットを指でいくらか遮断することでその効果を高めることができます。まずは簡単なバージョンを試しましょう。親指で耳珠(耳の入口の軟骨の出っ張り)を押し、外耳道を閉じます。中低音のブラマリを6回繰り返しましょう。終わったら、手を下ろして普通の呼吸をします。




シャンムキ・ムードラのブラマリ(伝統的)





背筋を伸ばして座り、両手を顔に、親指は耳珠、人差し指は目頭に軽く触れ、中指は鼻の横、薬指は唇の上方、そして小指はその下におきます。眼球にはほとんど圧力がかからないように気をつけましょう。中低音のブラマリをさらに6回行い、両手を下ろして効果に意識を向けます。もし不安や鬱、閉所恐怖症などがあれば、シャンムキ・ムードラでくつろぐことはできないでしょうから、やらない方が良いでしょう。





高音のブラマリ


音を出している時は、感じようと感じまいと、頭のてっぺんからつま先まで文字通り振動しています。異なる高さの音は異なる周波数で振動しています。ベースの音や低い音はゆっくりと振動し、高い音は1秒に何千回という速さで振動します。


リラックスして座る姿勢に戻ったら、目を閉じて数回普通に呼吸をします。次に、シャンムキ・ムードラをして、あるいはせずに高音のブラマリを6回行いましょう。どこに振動を感じるかに意識を向けます。おそらく、低音と比べて頭の高い位置に振動を感じるでしょう。高音のほうがより刺激を感じるでしょうか?さまざまな音程、音量の音を試して結果を比べてみましょう。







ブラマリの処方


ブラマリの治療に応用できる可能性を科学的に研究したものはとても少ないのですが、ヨガの伝統は、うまく選んだ音には力強く健康によい効果があることを教えてくれます。ブラマリの音波が甲状腺に直接的な効果はないとわかったとしても、その効果はより調和のとれた神経系、穏やかな心、気づきの高まりなどが含まれることでしょう。このように、今ブラマリを終えたばかりの状態で、また背筋をのばして座りオームなどよく知ったチャントを数回唱えてみて全く新しい様子で聞こえてくるかどうかを見てみましょう。


音が共鳴する場所と同様に、異なる音程や音量のエネルギー的効果もまた、特定の状況で最もどのブラマリに最も効果があるのかを示唆してくれることでしょう。
  • 不眠:静かで低い音を、シャンムキ・ムードラをしながら行うと神経や心を落ち着かせることが可能かもしれません。
  • 副鼻腔感染や鼻詰まり:より強力な中高音程の音が通路を開くのにより良い選択かもしれません。
  • 甲状腺の問題:中音程でジャランダーラ・ムードラ(顎で閉める)を使いながら喉に音波を送る。
  • ストレス:無音バージョンを試しましょう。仕事中や外出中などで周囲の誰もがもあなたが何をしているのかに気づきません。







2024年6月17日月曜日

呼吸の長さが重要:ブラマリ呼吸のHRVに対する効果 
Breath Length Matters: Research Reveals Bhramari's Impact on HRV


ブラマリ呼吸(マルハナバチの呼吸)は、心拍数を下げる、注意や睡眠の質、自律神経や肺機能が向上する、そして心拍変動(HRV)が向上するなど、複数のよい効果があることがこれまでの研究で示されてきました。


心拍変動とは、心臓の健康や体のストレスに適応力を図る効果的な方法です。一般的にHRVが高いと心臓や自律神経の働きが良い状態で、逆にHRVが低いとストレスや隠れた病気があることもあります。


最近まで、ブラマリ呼吸において異なる呼吸の長さがHRVの変化量にどう関係するのかの理解には意見の相違がありました。



新しい研究

ヨガ国際ジャーナルに発表された最近の研究では、4つの長さで(8、10、12、14秒)ブラマリ・プラナヤマを3分間行い、被験者118人のHRVへの影響を調べました。呼吸の長さは、以下の呼気吸気の比率に分けられました。

  • 3秒吸気, 5秒呼気 (計8秒)
  • 4秒吸気, 6秒呼気 (計10秒)
  • 4秒吸気, 8秒呼気 (計12秒)
  • 5秒吸気, 9秒呼気 (計14秒)



結果は、ブラマリ呼吸でHRVが最大になるのは呼吸が12-14秒の呼吸時でした。こうした長い呼吸が、8-10秒呼吸時よりもHRVの範囲を有効にやや向上させたのです。


「最適な呼吸の長さはたった10秒だと示した直近のエビデンスとは異なる発見である」と研究者は結論づけています。


こうした研究は、ハミングの効果、またはマントラの練習における呼吸の長さがHRVに与える効果などを探るさらなる研究を促すことになるでしょう。




では、あなた自身にとっては?




どんなものでもブラマリ呼吸を適切に練習することで、日々のストレスにより素早く落ち着きを持って適応することができます。HRVやストレス管理の力を向上したいなら、この研究で行なわれた比率のん12-14秒の呼吸を試してみましょう。心臓の健康を向上するだけでなく、以下の効果も得ることができるでしょう。
  • より質の良い睡眠
  • より健康な肺
  • より上手にストレスを処理
  • 今ここに焦点をあてる


この研究が示したように、ブラマリ呼吸の効果はたった3分間で体験することができます。練習する準備はできましたか?


https://yogainternational.com/article/view/breath-length-matters-research-reveals-bhramaris-impact-on-hrv/

2024年5月24日金曜日

アシュタンガヨガ伝承(パタンジャリ)によるサマディの段階 Vol.1
The Stages of Samadhi According to the Ashtanga Yoga Tradition

パタンジャリのヨガスートラに書かれている最終段階のサマディについての解説です。
かなり深く難解なものですが、アサナだけでなく瞑想の練習の先には何があるのかを知っておくのもいいかもしれません。

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紀元前350年以降のいつ頃か、賢人パタンジャリとして知られる偉大なヨギがヨガの解説書を識し、現在では古典ヨガとして知られる伝統の定義的な書物であると見做されている。この書物はヨガスートラで、今まで地球上で作られた高度な意識の最も詳細な地図のひとつである。主に精神の本質について、そしてカイヴァリヤ、つまり解脱の状態がついに現れるまでサマディ(三昧)の異なる段階を通して精神がどのように変化していくのかについて書かれている。また、理論と実践が驚くほどまでに統合がされている。ヨガスートラにおいてパタンジャリは、ヨガの二つのシステムについて言及している。クリヤヨガ(禁欲、自己探求、神への帰服)と有名な8段階の道アシュタンガヨガである。これらがヨガの実践を体系的に解き明かし、ヨガの実践の目標とその目標へと到達する方法を非常にはっきりと示している。



ではここで、アシュタンガヨガ(ラジャヨガ)の観点から瞑想体験を詳しくみていくが、パタンジャリのシステムは実際には直接的に瞑想体験については述べていないことを理解しなければならない。そうではなく、我々が何年間ものサダーナ(霊的鍛錬)の間に展開する精神の変化について述べられており、精神と瞑想の対象との関係性に注目している。これは、瞑想鍛錬過程の中で起こるべきことについてあまりにも間接的なアプローチであるため多くの瞑想者が全く関係付けられないように思えるが、パタンジャリがこのようにしたのは相当な理由がある。



サムプラジュニャータ・サマディ(高度な知識のサマディ)の最も低い段階で起こる体験の多くは、個人的そして文化的な要素が含まれる(例えば宗教など)。さらに、それらは瞑想者が選択した特定の対象に関係する。サムプラジュニャータ・サマディのより高い段階では多くの普遍的要素が存在するが、それは全てのものは同じ根源を持つためである。しかしそれでも、この段階を得た瞑想者の体験は必ずしも全てにおいて一致するわけではない。その体験そのものの内容に焦点を当てるのではなく、瞑想の対象との関係性において精神の活動を述べることで、パタンジャリはより普遍的に応用できるシステムを作り上げたのである。したがって瞑想体験は、その段階の基準全てにあてはまると見えた時においてのみ、サマディの特定の段階に到達しうる。この論説で私は、私の博士号論文の準備中にインタビューしたヨギである私の兄弟姉妹たちの瞑想体験(ふさわしい実例だと私は信じている)を提示することで、精神と体験の間のギャップを埋めるのを助けられればと考えている。




以下のサマディの解説を理解するには、最初に3つの基本的な点を理解すると良いだろう。まずは、サマディはインドの洞窟に住む禁欲したヨギだけが体験できるものではないということだ。20年間ヨガを指導してきた私がしばしば驚かされるのは、アサナは勤勉に練習しているがプラナヤマや瞑想を練習しない北米の人たちの数である。彼らは世帯を持っていては瞑想をしても前進できないと信じているのだ。しかし、ウパニシャッドやプラーナ、ヨガ・バシシュタなどの中には、世帯をもったり親であったりする偉大なヨギやヨギニたちの話が多く存在する。また、ヨガの実践者やアサナの指導者であっても多くの人が瞑想をしない。彼らは瞑想の価値を理解していないか、ヨガのより深い教えを気にしないからであろう。また、プラナヤマや瞑想はアサナを完璧にしてからでないと始められないと間違って信じている人もいるが、人生の最も重要な活動を始めるのを漠然と遅らせる致命的な誤解である。


実際のところ、サマディの第一段階サヴィタルカは、ディヤナを単純に深めたものである。私の師であるババ・ハリ・ダスによれば、毎日休まず1、2時間実践するほとんどの瞑想者は、正しい指導を受けていればこの段階まで数年で到達する。1977年のババジのヨガスートラのあるクラスで、サヴィタルカ・サマディ中心の議論をしたことを私は覚えている。ある時、ババジが20人ほどの瞑想者たちのいる部屋をぐるりと指で示し「ここにいるほとんど全員がこれを得る」と書いた。だから、実践が実際に望んだ結果をもたらし得るからこそヨガ・マスター達は私たちに実践しなさいと言うのだということを、まず信じなければならない。実践が進むにつれて、体験が私たちの信じたものは間違っていないと裏付けてくれる。サマディに到達するのは容易ではないが、確実に可能である。



第2に、人は瞑想の実践中にサマディを得るというのは、精神は常にその状態にあり長時間絶え間なく存続することを必ずしも意味するものではないと理解することが重要である。これが起こる時には、瞑想者のサマディ体験は大抵の場合短時間であり、精神はまた外へと出てしまい意識の低いレベルへと落ちてしまう。この精神の外へ流れることをヴィユッターナと呼び、私たちの外の世界に関する思考、執着、欲望、記憶など(サマディでは一時的に抑えられている)が再び活動的になる時に起こる。精神が同じ深さの集中へと戻ることが可能なら、またサマディに入ることも可能だろう。このように、一回の瞑想の中で何度もサマディに入ったり出たりするものである。サマディとヴィユッターナのプロセスを通し、精神はこの2つの状態を比較しサマディ状態の微細と平穏をより感じる。これにより瞑想者はより高度な状態を得ようとする。



第3に、サマディはひとつの状態ではなく、進歩することで展開する一連の段階である。サマディの全ての段階は変わることなく2種類の結果をもたらす。いくつかのタイプの直接体験「知識」といくつかの度合の非執着である。ヨギがサーダナの道を進むにつれ得られる知識は一層深く、非執着はより深く長い効果を精神に与える。段階を達成するのにそれぞれ数ヶ月から数年を要し定着させるにはより時間がかかる。どれだけかかるのかは人により大きく異なり、瞑想者の解脱への欲求の強さや、実践の回数や深さ、そして過去の人生で行った瞑想の実践によるその人のサムスカラ(精神印象)による。そして、パタンジャリが言うよう、サマディは神への帰依によっても得られる。サマディの全ての段階において、修行者はまずその段階が示すものを完全に体験し、次に進む前にそれに対する興味を捨てる必要がある。サマディの段階を通して進むことはまた、浄化のプロセスでもある。全ての段階は精神を浄化し、精神をより微細にする。つまり、到達すべき次段階のため宇宙の存在のレベルまで深く洞察する能力を得る。




精神の準備をする


瞑想プロセスの第一段階が最も困難であるとしばしば言われるが、アシュタンガヨガの初めの部分はそれぞれサマディを得ることに一助している。ヤマとニヤマは精神を浄化する、アサナは長時間快適に座り続けることを可能にする、プラナヤマはより深く集中するエネルギーを与えてくれる。しかし実際にはパタンジャリは、ヨガは精神の中の思考の波の静止であると定義し(1:2)、このゴールへの最初の段階は (2:54 と 3:1)気付きを外界から引き込んで(プラティヤハラ)、対象物へと精神を集中することによって思考の波の現れをコントロールすること(ダーラナ)であると定義している。この「対象物」という言葉は物理的な対象物を指しているわけではない。瞑想者にとって霊的に意味のあるものなら何でも可能で、特定のチャクラや神の像、呼吸、悟りを得た存在の像、内なる光、内なる音、マントラなどである。究極的には、サマディによって作られる集中そのものであり、対象物ではない。そしてすべてのものの源は、より高い段階が得られた時に精神に自然に現れるものであるが、全て同じである。しかし、精神をひとつの本質だけに集中することを教えてくれるのは厳しい修業であり、個人的な親近感を感じる対象物を選択して瞑想することでそれを容易にすることができる。



ダーラナ(瞑想の間、それぞれの瞑想の対象物へ精神を戻すため繰り返す作業)は、ついにはディヤナ(精神から対象物への気付きの比較的努力を要しない流れ)へと発展し、ディヤナは時を経てサマディへと発展する。ディヤナが繰り返し得られると、湧き上がる平穏あるいは幸福に満ちた感情が、集中という修練への精神の憤りとのバランスを取り始める。サマディが始まるのは、精神と対象物の関係性が深まって、集中しているという精神への気付きが小さくなり対象物への気付きが精神そのものを圧した時である。





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2024年5月16日木曜日

溢れるエネルギーを!エネルギーを高める5つの自然な方法 
Supercharge Me! 5 Natural Energy Boosters

季節の変わり目、特に今年の春は暑かったり寒かったりが激しくて疲れやすいですね。体力を保ち健康でいるためにはどうすればいいのでしょうか?

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あなたは、恋人たちや聖人、赤ちゃん、ヨギ、そして妊娠中のお母さんが同じ輝きを発していることに気づいたことはありますか?彼らの肌は輝き、微笑んでいて、いつも目がキラキラしています。文字通り、生命力を放っています。アーユルヴェーダでは、活気に満ちた人には、健康や創造性、ウェルビーイング、精神力などを促す3つ必要不可欠な要素のひとつであるオージャスの量が多意図されています。オージャスは命の精髄で、体組織の純粋な本質であり、幸福感と免疫力の源です。


古代のアーユルヴェーダの文献には、健康的なオージャスがあれば幸せに100歳まで生きられると書かれています。しかし、オージャスが枯渇すると老化や病気に脆弱になり、早死にすることさえもあります。


では、十分なオージャスがあるかどうかどのようにわかるのでしょう?体に見られる兆候は、明るく綺麗な目、艶のある髪、艶のある肌、そして薔薇色の頬などです。また心や感情のサインはといえば、前向きのエネルギー、活力、喜び、明晰な心、共感力などです。もし肌の乾燥、手足の冷え、便秘、不安、頭がはっきりしない、後ろ向きな考え、孤独感、疲労などがあるなら、オージャスが枯渇しているのだとわかります。


多くの人にとってオージャスを増やすことは可能です。以下は、爽快な気分で輝くための5つのヒントです。




1.  オージャスのための食事をとる


太陽の光で実った新鮮な自然食品には、活気を与えてくれるエネルギーを含んでいます。過度に加工した食品、精製した食品、アルコール、刺激物を避けて、オージャスの多い食事をとりましょう。

  • 果物;アボカド、リンゴ、バナナ、デーツ、いちじく、アプリコット
  • 野菜:緑の葉野菜、レタス、パセリ、アルファルファの芽、オクラ、さつまいも、山芋、ルバーブ、ほうれん草、カブ、クレソン、ズッキーニ
  • 穀物:アマランサス、バスマティライス、オートミール、全粒小麦
  • 豆類:ムングダル、大豆、豆乳、豆腐
  • 乳製品:山羊のチーズ、カッテージチーズ、新鮮なヨーグルト、ギー
  • ナッツ類:アーモンド、ブラジルナッツ、黒グルミ、ヘーゼルナッツ、松の実、ピスタチオ、胡桃




2. アーモンドミルクを飲む


アーモンド10個を一晩水につけます。朝になったら薄皮を剥きます。アーモンドをカップ1の牛乳、カルダモンのパウダーをひとつまみ、ひき立ての黒胡椒をひとつまみ、蜂蜜を小さじ1と一緒にブレンダーに入れます。高速で5分間ブレンダーにかけて、いただきましょう。アーモンドと牛乳、蜂蜜はオージャスがたっぷり入っているので、これを飲めば栄養とエネルギーを得ることができます。




3. 自分自身を養う


健康的でバランスの取れたライフスタイルを始めると、活気に満ちた感覚をすぐに感じ始めるでしょう。それは、どうしてでしょうか?なぜなら、ストレスはオージャスを枯渇し、リラクゼーションはオージャスを満たすからです。以下はおアーユルヴェーダのライフスタイルに関するヒントです。


  • 習慣的な運動をする(やりすぎないで)
  • いつのも時間に就寝して、約8時間の睡眠をとり、毎日同じ時間に起きる
  • 自然や芸術に触れて心に栄養を与える
  • 愛する人と一緒に過ごす
  • マルチタスク、過度な刺激、過度なセックス、慢性疲労、強い風、激しい温度を避ける



4. ヨガや瞑想をする


習慣的なアサナやプラナヤマ、瞑想は活力を高めます。瞑想が初めてなら、ソウハムのマントラで行う瞑想を試してみましょう。


両目を閉じて数分間の間深く呼吸します。それから、第3の目に意識を集めて、吸う息とともに心の中で「ソウ」と言い、吐く息とともに心の中で「ハム」と言います。このマントラを呼吸に合わせて5分以上繰り返しましょう。この瞑想をすると、オージャスが増大し気分が高まります。



5. セルフマッサージをする


毎晩就寝前に、少量の温かいオーガニックで無精製のオイルを体全体にすり込みます。耳や鼻腔など体の開口部は特に注意しましょう。そして温かいお風呂に浸かってから自然素材の石鹸でこすり洗いします。この栄養を与える習慣によって筋肉が柔らぎ、赤ちゃんのように眠れるでしょう。自分のプラクリティ(体質)がわかっているならそれに合ったオイルを選ぶことができますが、そうでなければドーシャテストを受けて下のようにマッサージしましょう。

  • ヴァータ体質: セサミ、アーモンド、ブリンガラジ(アメリカタカサブロウ)のオイルなど暖かく重いオイルを使います
  • ピッタ体質:オリーブ、ひまわり、ココナッツ、ギーなど冷やす自然油を使います
  • カパ体質:マスタード、アマニ、紅花など軽いオイルを使います


オージャスの精神的側面


聖人らによれば、プラナヤマや精神的な修練、タントリックの技術などを通して自らのオージャスを精神力へと変容させることが可能です。この力のあるエネルギーは、悟りを開いたヨギの頭の後ろにオーラや後光という形で目にすることができます。もしそんな人に会う稀有な機会があれば、彼らが言葉を発しなくとも愛や哀れみが胸元から出ているのが感じられると気づくでしょう。それこそがオージャスの精神的な面の現れなのです。








(出典)https://yogainternational.com/article/view/supercharge-me-5-natural-energy-boosters/

2024年5月10日金曜日

マインドフルネスはビジネスやファイナンスで墜落させられているのか? 
Is mindfulness being corrupted by business and finance?

このGuardian の記事は実は10年前のものです。
世界状況や企業の環境も変化しティクナットハーン氏もいなくなった今、改めて読み返してみたいと思います。
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禅マスター GoogleなどIT巨大企業が世界のために善を促進する力となるようにという自身の助言について語る





マインドフルネスは、ビジネスリーダーたちの中でますます人気のトピックとなっており、利益を向上させるのに役立っていると公に語る重要な役員たちも存在している。


例えば、Intemix の CEO カジャク・ケルジアンは先週、彼の心の平穏の秘密を Wall Street Journal に打ち明けた。Huffington Post のチーフエディターであるアリアンナ・ハフィントンは、今週発売になった著書「Thrive」の中でマインドフルネスについて語っている。その他、Aetna の CEO マーク・ベルトリーニ、Salesforce.com の CEO マーク・ベノフ、Zappos.com の CEO トニー・シーなど枚挙にいとまがない。


先月のブログで、ハフィントンはこう書いている。「利益増加については大袈裟なことは何もない。経営は厳しい。ストレス解消やマインドフルネスは私たちをただより幸せにより健康にするだけではない。どんなビジネスでも必要なもののための競争の裏付けされた優位性なのだ」



しかし、マインドフルネスの効果が利益にあると焦点を当てたビジネスリーダーたちは、仏教徒の実践を腐敗させていることにならないのだろうか?


西洋で多くの人からマインドフルネスの父と知られている、87歳の禅マスター、ティク・ナット・ハーンは言う。ビジネスリーダーたちが「真の」マインドフルネスを実践している限り、その最初の意図が生産性を上げたりより大きな利益を得るため始めたものであっても構わない。なぜなら実践することで、より大きな哀れみに心を開いたり他者の苦難を終わらせたいという思いが自然に身についてくると、彼らの人生に対する考え方が根本的に変わるためである、と。


フランスはボルドー近郊にあるプラム・ビレッジの僧院で、蓮華座で座った彼はGuardian にこう語った。「マインドフルネスの実践法を知っているなら、今ここにある平穏や喜びを気づくことができます。そしてそれに感謝するようになり、自分が変わります。最初は、一番にならない限り幸せにはなれないと信じていますが、マインドフルネスを実践するとすぐにそうした思いから解放されます。マインドフルネスが結果ではなく手段にだけになるかもしれないと恐る必要はありません。なぜならマインドフルネスでは、手段も結果も同じだからです。幸せへの道はないのです、幸せこそが道なのです」


しかし世界中に何十万人もの信奉者がいる禅マスターのテイはこう指摘する。経営者らが利己的な動機のために実践するのなら、彼らの体験はマインドフルネスのまがいものにすぎないと。


「もしマインドフルネスを多くの金銭を得るための手段とみなすのなら、その真の目的に触れたことがないのです。それはマインドフルネスの実践に見えるかもしれませんが、内面には平穏も喜びも幸せも生み出されてはいません。ただの模倣です。みんな同胞だというエネルギーが感じられず、あなたの行いからも発散されないのなら、それはマインドフルネスではありません」


彼の言うように「もしあなたが幸福なら、自身の幸福の犠牲にはなり得ません。しかし、あなたが成功者なら、自身の成功の犠牲になり得るのです」



嘲笑のリスク


マインドフルネスがますます普及しているにも関わらず、多くの組織の中では、古い仏教の実践法に直接結びつけて嘲笑されることに対するピリピリ感がまだ多く残っている。


最近テイは、世界銀行ワシントン本部へ総裁のジム・ヨン・キムに招かれ、そのイベントはスタッフに大変好評だった。キム氏の愛読書はテイの著書 「The Miracle of MIndfulness」で、「苦しんでいる人々に哀れみ深く、大変情熱的な」禅僧の実践を讃えている。


それでも、周りからどう見られるか神経質になっていた上層部たちは、イベント前にこの決定を非難した。実際、Economist 誌は批判的な記事を発表している。


しかし、キム氏の決意は堅かった。彼は、マインドフルネスの効果を表す科学的研究を複数示すことで非難を回避したとガーディアン誌に語った。



マインドフルネスとテクノロジーとの交点


おそらく、ビジネス界で最も興味深い交点は、全く反対の方向に向いているように見えるマインドフルネスとテクノロジーだろう。マインドフルネスの実践は心のスピードを落とし落ち着かせるが、デジタル革命は我々の生活をスピードアップし頭の中を大量の情報で満たす。


しかし、このふたつは長い歴史を持つ。Apple の CEO だったスティーブ・ジョブスは禅の仏教に魅せられていたが、ひとつにはテクノロジー企業が拠点を持つカリフォルニアのライフスタイルにマインドフルネスが数十年に渡ってつながりを持っていることだ。


だから、米国で200万冊以上の著書が売れているテイが Google にシリコンバレーへ招かれ、また世界でもっと強い15のテクノロジー企業たちに向けたマインドフルネスのプライベートセッションを依頼されたことは、大して驚くことでもない。


出会ったテクノロジー企業のリーダーたちにテイが伝えたかったことは、彼らの世界に及ぼす影響力を、できる限り多くの富を得ることではなく、どうすればより良い世界を作る貢献ができるかに使うべきだということだった。


彼と僧侶たちは Google 本社での1日を、上層部や約700名の社員たちとマインドフルネスのディスカッションや瞑想をして過ごした。あまりにも多くのスタッフが参加を希望したため、講義のライブストリームのために2箇所を追加しなければならなかったほどだ。


テイは、Google での通常の仕事の慌ただしさと、Googleplex 構内で静かに座るマインドフルネスからもたらされる穏やかな感覚との著しいコントラストについて語った。「その場の雰囲気は全く違っていました。静けさがあり、何もしないことから来る平穏があります。彼らは、あの場にいると時間の大切さに気づくことができます」




テクノロジー業界への助言


「意志、確信、洞察」をテーマにした訪問の中でテイは、多くの Google 上級技術者らと会い、Google が人々のストレスや孤独感を増大するのではなく、世界に良い変化をお互いにまた自然からもたらすため、どうすればより思いやりをもって効果的にテクノロジーを使うことができるかについて議論した。


「電子機器を作り出す時、その新製品が人々を家族や自然から遠ざけるのではないかとよく考えることです。そうではなく、自分自身に戻ったり感情に対処するのに役立つ機器やソフトを作る。そうすれば、社会に良いことをしているのですから良い気持ちになるはずです」


CEOたちを過ごした日、テイは静かな瞑想を指導し禅の茶会を行なったあと、億万長者が大勢いるグループの前で、個人として家族との時間を犠牲にして仕事で疲弊しないことの大切さを語った。「時間はお金ではありません。時間は人生です。時間は愛情です」


ボルドー近郊のPlum Village の僧院に戻った彼が語ったのは「全ての訪問で、会社の全ての人が幸せになれる方法でビジネスを行わければならないと伝えています。もっと辛くなるのにもっとお金を使いますか?良い野望があればより幸せになれることを理解するべきです。なぜなら社会を変えるのを手助けすることが人生に意味を与えてくれるからです」


この旅はまだ始まりに過ぎないと彼は言います。「たくさんの種を蒔いてきたと思います。その種が実るには時間がかかるでしょう。彼らがマインドフルネスを実践し始めたら、喜びや幸せ、変容を体験し、他の野望を持つようになれます。名声や権力、富は実際には、自身の体や心を大切にできるような生活を送っている時のような真の幸福をもたらしてはくれないのです」


2024年4月12日金曜日

腰痛のためのヨガ:すべきこと、してはいけないこと 
Yoga for Lower Back Pain: Learn the Do's and Don'ts

今回の記事は米国のヨガセラピストである著者による腰痛のお話です。
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孫がいる銀行員のカレンは53歳、最近までしつこい腰痛に悩まされていました。筋弛緩薬を6ヶ月、オピオイドを2ヶ月服用したものの、まだほとんどの時間腰痛を感じていました。「姿勢が悪いまま」の長時間のデスクワークや赤ちゃんの抱っこなどが原因のひとつだろうと気づいたカレンは、お昼休みに散歩をするとちょっとだけ楽になることに気づきました。そんなとき、坐骨神経痛が緩和したという同僚にリラックスヨガを勧められたのです。カレンは試すことにして、火曜の夕方の腰痛クラスに申し込みました。


そのクラスは、米国内科学会が最近発表した「腰痛治療のための臨床ガイドライン」に従ったものでした。様々な腰痛の非侵襲的治療を見直し、投薬では痛みのレベルが小・中程度しか改善しないことがわかり、米国内科学会は以下のように勧めています。痛みの発症から12週間以内の場合はまず「加温しながらの(中程度のエビデンス)マッサージや鍼、脊椎整復術(低程度のエビデンス)など投薬以外の治療」を試してみること。そしてカレンのように慢性腰痛の場合は「運動、総合的なリハビリ、鍼、マインドフルネスのストレス緩和(中程度のエビデンス)、太極拳、ヨガ、運動調節エクササイズ、段階的リラクゼーション、筋電図整体自己制御法、低レベルレーザー療法、オペラント療法、認知行動療法、脊椎整復術(低程度のエビデンス)など投薬以外の治療」が推奨されています。研究では、こうした副作用の低い方法であまり効果が見られない場合に限り、抗炎症薬を使うよう勧めています。


カレンには、ヨガが手頃で始めやすかったので、今では週2回クラスに参加しています。カレンは、ヨガセラピーと腰痛のトレーニングを受けた指導者が医師や理学療法士とともに行っていることが気に入っているようです。治療的なヨガクラスは他のクラスよりもやや高額であることが多いのですが、ちょっと多めに払う価値があるのだろうとカレンは感じています。またヨガだけでなく、温水プールの水泳を始めたり、ストレスや痛みの対処に役立つよう作られた毎日20分のヴィパッサナー瞑想を始めました。この新しい習慣を初めて数週間が経った頃、腰の不快感がずっと楽になり始め、痛みを感じることなく孫娘を抱き上げられるようになってきました。毎日がとても楽しくなったとカレンは言います。



ヨガセラピストとして、他のどんな症状よりも腰痛に取り組んできましたし、私の腰痛クラスは一番人気のあるクラスでもあります!以下は、カレンに伝えたシンプルな「べし・べからず集」で、他の慢性腰痛の方々にもシェアしました。(すべてのヨガクラスが腰痛を持つ人に適しているわけではないことを覚えておいてください。どんな動きを避けるべきかをあなたの医師や理学療法士を話し合った上で、腰痛の知識を持つ先生の治療的なクラスを探して、あなたの痛みや怪我、禁忌をヨガの先生に知っておいてもらいましょう)





🔸腰椎の自然な曲線を失くさないで



長時間オフィスの椅子に座り続けると促される悪い姿勢、つまり前屈みや背骨を丸めた姿勢は背中に負担をかけます。ほとんどのヨガポーズをしているとき、そして日中の生活の中で、座っていようが立っていようが、重要なのは腰の自然な前弯を保つことです。後頭部と骨盤の後ろを一直線に保ち(頭を前後に倒さないで)、肩は開いて腰の真上に重ねます。ヨガの先生が「背中をまっすぐに」と呼びかけたとしても(大抵の場合は腰を丸めたり反らしすぎて自然な背骨の曲線をなくなるのを防ぐため)、完全に平らな背中を作ろうとしているわけでありません。背骨の自然な曲線とは、腰椎がやや前弯、胸椎がやや後弯、そして頸椎がやや前弯している状態で、衝撃を吸収するので背骨の健康のためにとても大切です。ですから、曲線をなくさないでください!



🔸背中を強化するため座位・立位でのより良い姿勢を練習する


背筋を伸ばして座る練習をしましょう。椅子の上、または折り畳んだブランケットやヨガボルスターなどの補助具を使って床に座り、腰椎の自然な曲線を維持することを意識をします。座るときはいつでも、この新しい姿勢になりましょう。座るとき立つときは、体幹を使って下腹と骨盤底をやや持ち上げ、背骨を上に伸ばし「背を高く」してみましょう。



🔸立つとき歩くときは足先を外に向けないで


ほとんどの人にとって、外向きの足が梨状筋(坐骨神経痛の原因)の短くなる原因となり、また梨状筋が短いために足が外向きになっていることもあります。この深部にある股関節回旋筋が固まると、腸腰筋(腰椎から腿の骨頭に走る筋肉)もまた硬くなり腰痛の原因になります。

固まった梨状筋をストレッチするには、仰向きの鳩のポーズをしましょう。仰向きに横たわって片方の膝を胸の中心に向けて抱えます。あるいは片方の足首を反対側の立てた膝の上に載せて4の字にしてストレッチしましょう。腸腰筋が硬いときは、ヨガブロックを骨盤の下に置いた支えのあるブリッジポーズをするか、ハイ・ランジやロー・ランジ(アンジャネヤサナ)で骨盤をやや前に倒すと良いでしょう。



🔸両足は並行に


つま先が外に向いているなら、踵がつま先の真後ろにくるように踵を動かしましょう。足の人差し指がお互いに並行であること、そして膝の向きが足の中心と一致しているようにします。立っている時も歩いている時も座っている時も、この姿勢でいましょう(山のポーズでも立ち机で仕事をしている時もどんな時も)。



🔸脚を伸ばした立位の前屈から立ち上がるときは背中を丸めない


背中を丸めて立ち上がると背骨の前の椎間板を圧迫して腰椎を悪化させます。



🔸前屈から立ち上がるときは膝を少し曲げる


体幹(骨盤底と下腹部)を使って胴体を引き上げましょう。



🔸体幹の強さを忘れないで


ヨガのシーケンスは、強さよりもストレッチに焦点を当てたものが多いです。ストレッチは背筋の強張りを緩和するのに良く、マルジャリヤサナ(キャット&カウ)、バラサナ(子供のポーズ)、アーナンダ・バラサナ(ハッピーベイビー)など背中のストレッチが含まれるポーズやあおむけのツイストなどは心地が良いかもしれません。しかしこうしたポーズは、背中の健康に大切な体幹の強化にはなりません。背中側を強化するには、体の前を支えるバランスも必要です。ですから、背中の健康には、腹部と背部の強化を含んだポーズが重要なのです。

腹筋の強化には、パリプルナ・ナヴァサナ(船のポーズ)、ウトカタサナ(椅子のポーズ)、プランクや上腕のプランク、ヴァシシュタサナ(サイドプランク)が、そして背筋の強化にはシャラバサナ(バッタのポーズ)やヴィラバドラサナIII(戦士のポーズIII)などのポーズがあります。腹筋と背筋を鍛えると、より良い背骨のアライメントを作ることができ、そうしたタイプのポーズは、背中の健康に焦点をあてたヨガクラスでよく行われます。






背中をケアするということは、健康的な姿勢や動きの習慣を築くこと、そして背骨を支えるのに必要な筋肉の強化をする姿勢や運動を練習することです。今日、医療専門家らは、急性・慢性腰痛の治療にはこうした方法を投薬よりも推奨し始めています。ですので、もし腰痛があるなら、薬はやめて(医師に確認してから)、背筋を伸ばして座り、より気づきをもって動き、体力作りのためマットに立ち、緊張を解くヨガをして、やっかいな痛みを鎮めて痛みのない動きをもう一度楽しみましょう。

2024年4月2日火曜日

アーユルヴェーダ的 春の過ごし方  Vol.2
Ayurveda Tips for Spring

 

適した食事をとる


アグニ(消化の火)は、春には弱まります。そのためアーユルヴェーダでは、アグニの強い冬よりも食事を少なくすることを(カパ優位の体質の人は特に)勧めています。

春には、軽く暖かい食べ物が適しています。豆類やキノア、レンズ豆、オーツ麦などの自然食品を食べるようにしましょう。野菜は、ブロッコリーやアスパラガス、ほうれん草、カブなどを組み合わせます。
消化に良い飲み物で消化を助けたり、お茶や食事にはちみつを取り入れましょう。  
乳製品や柑橘系、澱粉質のもの(じゃがいもなど)は、カパを増やすので出来る限り避けましょう。







春にバランスを取るのに良い以下のレシピを作ってみましょう。


春の野菜ソテー


温暖な地域のお料理には春野菜のシチューがたくさんあります。このレシピを、新鮮な豆類が一番美味しいこの時期の特別な日のために作りましょう。さまざまな薄緑の重なりは、黒いお皿に特にアートのように映えるでしょう。4人分です。


材料

鞘から出した新鮮なエンドウ 340g
新鮮なアスパラガスの穂、4cmくらい 16本
鞘から出して皮を剥いた空豆 220g
新玉ねぎ、2.5cmに千切り 4玉
無塩バター 大さじ4
フレッシュなタイムの葉、微塵切り 大さじ1
フレッシュなパセリ、微塵切り 大さじ1
崩したゴートチーズ 120–170g
塩、弾きたての胡椒


作り方
  1. 野菜全てを準備しましょう。アスパラガスは砂を落とすよう水で丁寧に洗いましょう。スープや炒め用に置いておきます。空豆の薄皮は苦味があります。塩を入れたお湯で1分さっと茹でると剥きやすいです。

  2. 中火で鍋に溶かしたバターで5分間野菜をソテーします。焦げ目がつかない程度に柔らかくなるまで炒めましょう。水を大さじ2-3杯、塩少々を加えます。蓋を閉めて、時々揺らしながら2分間蒸し煮します。

  3. ハーブ類を加えてよく混ぜます。甘みが足りない場合は砂糖を少し足しましょう。水気が足りないようであれば、大さじ1の水を足します。

  4. 温めたお皿4枚の中心に温かいシチューを盛ります。塩胡椒を少々足して、室温で砕いたゴートチーズを上にのせましょう。


砕いたゴートチーズは温まると野菜の上で少し溶けます。そのまろやかなピリッとした味が甘い野菜にコントラストを与えます。バゲットや全粒粉のパンを添えましょう。デザートにはレモンのパウンドケーキやボールいっぱいのいちご、質の良いチョコレートなどが良いでしょう。



 

ホームメイドのジンジャーエール


ジンジャーティーはもう飽きた?この美味しいソーダのレシピを試しましょう。ショウガの刺激的で温める質が春の寒さを吹き飛ばしてくれます。


作り方

ソースパンに、擦りたてのショウガ1/2カップと甘薯糖1カップ、水4カップを混ぜ入れます。
沸騰したら火を落として9分煮ます。冷まして漉しましょう。
冷やしたグラスにこのジンジャーシロップをカップ1/3入れます。炭酸水を入れてライムをつけ合わせましょう。好みで割合を調整してください。4ー6人分。残りは冷蔵庫で保存してください。香りが強くなります。


バリエーション

もう少し刺激が欲しい時は、ショウガを煮る時にすりつぶしたカルダモンや小さじ1/2、またはクローブを少し足しましょう。バニラエキスを小さじ1/2を足すと、かすかに土のような香りがします。飲む前にクリームをさっとかけるのも素敵です。






簡単なキノアのピラフ


温かいキノアと爽やかなアスパラガスのバランスは、全ての体質の人にピッタリの一品となります。(4-6人分)


材料

乾燥キノア 1カップ
水 2カップ
塩 小さじ1⁄2 
オリーブ油かギー 大さじ2
アスパラガス お好みで200-450g
人参 大1本
刻んだフレッシュなローズマリーの葉 小さじ1 
フレッシュなキダチハッカ 小さじ1 (なくてもOK)
玉ねぎ 大さじ2



作り方

  1. ボウルでキノアをよく洗います。小さめのソースパンで水と塩でキノアを煮ます。沸騰したら蓋をして火を弱めます。アスパラガスを洗って2.5cmほどに切ります。洗った人参は薄切りにします。

  2. 大きめのスキレットにオリーブ油を温めます。細かく刻んだローズマリーと玉ねぎをオイルの中に入れます。玉ねぎが透明になり始めたら人参を加えましょう。蓋をして中火で柔らかくなるまで火を通します(約5分)。アスパラガスを足したら蓋をしてまた2-3分、歯応えが残る程度に火を通します。キノアが炊けたら(約20分)、スキレットの野菜の中にふわっと入れてフォークで崩します。細かく刻んだキダチハッカを混ぜこみましょう。






アスパラガスのスープ


子供の頃の春の思い出は、どろどろした道端でアスパラガスを探したことです。両親が私たち4人の子供をトラックに載せていったものです。「アスパラガスは恵みなの」と母はよく言っていました。つまり、ただだったのです。本当に私たちは幸運でした。野菜も果物もほとんどは庭や祖母の果樹園で採れたのです。おばあちゃんの果樹園の中をプラムやリンゴ、桃を探して歩くのは私たちの楽しみでした。


米国立ガン研究所によれば、アスパラガスは他の食物よりグルタチオン(強力な抗酸化物質のひとつ)が豊富です。また、ビタミンA、C、B2、ナイアシン、チアミンだけでなく、鉄分、リン、カリウムなどミネラルの素晴らしい摂取源です。つまり、本当に恵みなのです。これを知ったら母は、正しかったでしょうと喜ぶことでしょう。


アスパラガスは古くから食されていました。遡ること紀元前3000年のエジプト建築に描かれています。また、最古のレシピ本である3世紀の「アピキウスの料理書第三巻」の中にもレシピが載っています。私のお気に入りは「aliter patina de asparagis」で文字通りアスパラガスのレシピです。これは基本的には卵とワイン、たくさんのハーブで作った揚げ物です。


この季節に美味しいものリストには終わりがありませんが、私の今のお気に入りはアスパラガスのクリームスープです。シンプルで簡単に作れます。(チーズトーストと一緒に食べると最高です!)



材料(4人分):

アスパラガス 2束
オリーブオイル 大さじ1½ 
玉ねぎ、さいの目切り 中1個
刻んだニンニク 2かけ
水 6カップ
ホイップクリーム ¼カップ
パルメザンチーズ 大さじ2
胡椒 小さじ¼
塩少々
レモン汁 半分



作り方
  1. オーブンを180度に温めます。

  2. アスパラガスの端を折って(自然に折れるところで)、残りを2.5cmの長さに切り、大さじ½のオリーブオイルをまぶしてベーキング皿に入れて180度で15分ローストします。

  3. 中火のソースパンで玉ねぎをオリーブオイル大さじ1で透明になるまでソテーし、にんにくを足して飴色になるまで炒めましょう。

  4. 水を足して沸騰させます。

  5. ローストしたアスパラガス、クリーム、チーズ、塩胡椒を足して煮ます。鍋の中でブレンダーを使ってピューレにします。

  6. レモン汁をさっとふりかけていただきます。




道端で摘もうが、地元の市場で買おうが、この春のレシピでアスパラガスを古代ローマ人と同じように堪能できるはずです!




2024年3月29日金曜日

アーユルヴェーダ的 春の過ごし方  Vol.1
Ayurveda Tips for Spring


季節の移り変わりに心と体を準備する


冬から春に変わる時期は、ワクワクする祝福の時です。動物も植物も昆虫も冬の眠りから出てきて、成長と可能性の季節へと目覚めます。アーユルヴェーダでは、春への移り変わりの時期は、最適に目覚めた状態で元気に過ごすため心を整理整頓して体を活性化する時期です。


春の性質は、暖かく、潤い、優しく、そして油分に満ちています。暖かさのおかげで、冬に蓄積した雪や氷は溶け始めます。同様に、蓄積された体内のカパ(潤滑や持続のエネルギーの維持に関わる心身の力)もまた液体となって流れ始めます。また、花々が花粉を落として甘い香りを放ち、多くの人が花粉症やアレルギーを起こします。


鼻水、鼻詰まりや喘息、アレルギーがあるなら、また、けだるさや貪欲、執着を感じるなら、おそらくあなたのカパが過剰になっているのでしょう。こうした症状を起こさないためには、カパを減らす養生法をするのが最も良い方法です。伝統的な以下の方法を試して、最高の春を楽しみましょう。




ジュースで活性化する


人参やビーツ、ブロッコリ、パセリ、リンゴ、ザクロ、ベリーなどの新鮮な果物や野菜で作ったジュースを飲んだり、夜に小さじ一杯のトリファラ(アーユルヴェーダの混合ハーブ)を一杯のお白湯で飲んで腸をきれいに保ちましょう。また、3ー10日間のパンチャカルマの浄化を試しても良いでしょう。


浄化と若返りの方法であるパンチャカルマは、季節の移り変わりの体をサポートし免疫を強化すると言われています。




カパを減らす活力を与えてくれるハーブを摂る


ショウガ

抗炎症と抗菌の特性を持つショウガは、消化を助ける完璧なスパイスであり、春の免疫をサポートする抗酸化物質も含まれます。
 

黒胡椒

サンスクリット語でピパリと呼ばれる黒胡椒は、かつては「黒い金」と言われていました。
骨の健康や傷の回復、代謝を助けるマグネシウムを豊富に含んでいます。


トリカトゥ

トリカトゥは、ピッパリ、ショウガ、黒胡椒を混ぜた伝統的なアーユルヴェーダの混合ハーブで、消化の火であるアグニと解毒プロセスを刺激するために使われます。
 

クトゥキ

クトゥキは、肝臓を助けるインドのハーブとして知られています。一般的に消化のために使われますが、肌の艶を良くするなど多くの効果があるとされています。
 

プナルナヴァ

プナルナヴァは「取り戻すもの」という意味で、過剰になったカパを取り除いてバランスをとり、全体的な健康感を促すために使われます。



アクティブに過ごす


夜明け以降に寝続けるのはカパ・ドーシャのバランスを崩すとアーユルヴェーダでは言われています。早起きをして朝の散歩をしたり、太陽礼拝や魚、船、バッタ、ライオン、ラクダ、のポーズや逆立ちなどの活力を与えるアサナで体を元気にしましょう。
 

バスティリカ、カパラバティ、ブラマリなどのプラナヤマを試してみましょう。





2024年3月27日水曜日

足裏の英知:アーユルヴェーダの足マッサージの効能 
Sole Wisdom: The Benefits of Ayurvedic Foot Massage



多くの精神的伝統では心身はつながっていると信じられていますが、足裏もまたつながっていると考えられています。世界中の信者らが彼らの指導者の足に触れたり、洗ったり、キスをして愛や敬意を示します。ヴィシュヌ神の足跡は、アジアの至るところの寺院や聖地で崇拝されています。そして古代エジプトでは、死者の魂を肉体から解放するため、葬儀人がミイラにする時に死者の足裏を取り除いていました。



古代中国やインド、エジプトなどの伝統治療法でもまた、足裏は全身の健康を写す鏡の役割をすると考えられていました。今日では、米国足病学協会がこの知恵を踏襲し以下のように述べています。「関節炎や糖尿病、神経や血流障害などの初期症状は足に表れることがある。したがって足の病は、より深刻な医学的問題の最初の兆候である可能性がある」


扁平足だったり、単に1日の終わりに足裏の痛みや疲れがあったりする時は、5分間の時間を取ってアーユルヴェーダの足マッサージをしてみましょう。ストレスや疲労を緩和するだけでなく、免疫を活性化し、感情のや3つのドーシャのバランスを取ることができます。自分の足裏を意識しながらケアすることで、心身と魂の健康を基礎が作られます。アーユルヴェーダのエキスパートであるヴァンサント・ラド氏のご厚意による転載、シャノン・セクストン氏の Sleep Better Tonight! 6 Bedtime Rituals からの抜粋である以下の手順を参考にしてください。




  • 椅子やベッドに座り、温めたセサミオイルやブラフミオイル、ジャタマンシオイルなどを両手で擦り合わせます。手のひらや指先を交互に使い、2分間、頭皮に小さな円を描くようにマッサージします。それから、両足へと移りましょう。


  • さらにオイルを足して右足を足首から爪先まで、小さな丸い動きでマッサージします。そして、足首から踵へ、そして足裏へ。


  • 手の親指で足の甲のスネの付け根辺りを押します。優しくゆっくりと足の親指の方へ滑らせましょう。


  • スネの付け根まで戻り、手の親指を足の人差し指まで滑らせます。中指、薬指、小指にもこの動きを繰り返しましょう。


  • 右足首を左膝に乗せ、右手を右足の甲に置いて手足の指どうしを組み、足を内側、外側へと丸く動かしましょう。


  • 組んだ指を放し、右手の親指で足裏の内側を足の親指から踵まで押していきます。


  • 手の親指を足裏の外側にも、足の小指から踵まで滑らせます。


  • を作って足裏を小さな円でマッサージします。関節を鳴らす時のように、それぞれの足指をゆっくりと引っ張りましょう。


  • この一連の手順を左足でも繰り返します。



マッサージが終わったら、温めた塩水をバケツに入れて両足を5分間浸し、緩んだストレスや毒素を引き出します。木綿のソックスを履き、枕にタオルを置いて眠りましょう。(朝は、長めのシャワーを浴びます。シャンプーで髪についたオイルを洗い流しましょう)













2024年3月18日月曜日

欲望との和解 
Making Peace with Desire

今回はヨガ哲学です。
ちょっと難しいかもしれませんが、自分とは何者なのか、真の自由についてどう捉えればいいのかの参考になればと思います。





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私は今、郊外の自宅で椅子に座って外の緑の丘を眺めている。そこには、鳥たち、花々、動物たち、樹々、心地よさ、誠実な家族、そして無私の奉仕の素晴らしい機会というような私を満たすものが全てある。ここには幸せに必要なものがいつも揃っている。それでも、このコテージの窓の外に、キャンピングカーが遠くの道を走ってくのが見えた時、心のどこかであのキャンピングカーに乗って虹を追いかけたい、そしていつか夢を叶えたいという落ち着きのない欲望が渦巻く。どこかに素晴らしい場所があるという思いが、どこに行っても追いかけてくるのだ。どこに行ったとしてもそれには辿り着けない、なぜなら「どこか」は絶対に「ここ」にはならないから。それに対して、もし喜びを今ここに、自分の中に見つけることができれば、それをどこにいてもどんな状況でも手にし続けることができる。これこそがキリストが言う「天の王国は内にある」ということなのだ。


欲望の対象は、「ここにある」もの、内側にあるもの、その価値次第だ。チョコレートケーキが食べたいと思っている限り、それはいくらかの喜びを与えてくれる、その欲望がなくなれば、チョコレートケーキに魅力を感じなくなる。目の前のテーブルの上に置くこともできるけれど、私に言わせれば、存在しなくなる。どんな欲望の対象にもその価値を与えるのは、欲望そのものだ。


少年が少女と出会って初めて手を握る時、彼はその興奮が一生続くと思うだろう。一年後にその少女に触れたところで意味はない。魅力が肉体的なものなら、その欲望が色褪せて消えてしまうのに長くはかからない。そこで少年は、他の少女に触れることで幸せが長く続くかもと考える、が、またがっかりするだけ。こういうことは何度も繰り返される。問題は少女のせいでも少年のせいでもない、ただ欲望は通り過ぎるものだからだ。


心というのは、終わりのない欲望だということができるだろう。ひとつ欲望が現れて、それが満たされて消え去ると、次から次から次へと現れてくる。心は欲望を持つものであり、そして欲望は変化するものだ。したがって、欲望を満たすことで永続的な喜びを見つけようというのは失敗に終わる運命にある。


例えば、ヨットが欲しいと思っている限りは、ヨットで航海することで幸せになれると信じている。もちろん、ヨットを所有してカリブ海に航海することでいくらか満足感はあるだろう。しかし、この満足感は欲望を持ち続けている間だけだ。その欲望が薄れ始めると(それは必然なのだが)その満足感もまた小さくなり始める。その欲望がついに消え去ると、満足感があった場所に退屈がおさまることになる。


欲望は何も悪いことではない。家を灯したり人を感電死させたりする電気のように、欲望に善も悪もない。私たちに行動させる最も強い力だ。悲劇が起こるのは、欲望が知性や意識的な意欲に対するものではない時だ。そして、私たちは運転席が空っぽでスピードをあげていくパワフルな車を持っている。あなたの街の全部の車が、運転手がいないままガレージから出てきてあちこち走り回る様子を想像してみてください。どれだけ事故が起こって、どれだけの命や物が失われるでしょう!自分の個人的な欲望に走れば、同じことが国家間や民族間、家族間、そして個々人で起こってしまう。私は欲しいものを追い求め、あなたも同じことをし、そうすれば遅かれ早かれ衝突する。



二元性の牢獄


圧倒的大多数の人間が、お金や所有物、快楽や名声を追い求めながら人生を過ごしている。これらは、泡のように持ち上げようとすると弾けてしまうはかないゴールに過ぎない。例えば、百万ドルを稼ごうとしている人は、その欲望の支配者というよりも被害者である。彼の目は自分の利益だけを見ていて、他者の幸福のことなど気づかない。


芸術もまた限界がある。多くの人に喜びを与えるかもしれないが、芸術家が自己中心的である限り全てを理解することはできない。目や耳といった感覚に制限された彼自身の人格に閉じ込められている。


科学者もまた二元性の牢獄に制限されている。彼らは「ここ」に座って「どこかの」星やバクテリアを研究する。最もパワフルな知能でさえ制限された道具にすぎず、物を分ける役にはたたない。絶えず一部分が働きその他が反応するという生きている全体像を見落としている。


命をひとつの全体として見るためには、個人的な快楽や利益、名声、権力のための欲望全てを削ぎ落とす必要がある。これらが私たちを突き動かしている限り、個人的な条件を通してしか命を見ることができない。命を、そのままではなく、自分の欲望に条件づけてとらえている。私があなたであるときのみ、私があなたを完全に知ることができるし、私が私である限り決して知ることはできない。誰かあるいは何かを完全に知るために、自分の人格だと信じている何かを削ぎ落とさなければならない。自分の人格だと信じているもの、それはサンスクリット語のアハムカラ、自分が世界の他のものとは異なる「私」であるとするものだ。


これは、マハトマ・ガンジーが言うところの彼自身をゼロにまで小さくが最後の目標だということだ。私は、こんな野望を抱く芸術家や科学者を知らない。ガンジーが何年もの霊的な修行を通してやがて自身をゼロにまで小さくできた時、命とは、その最も小さな部分が傷ついたとしてもそれは全体に及ぶ、分けることの出来ないひとつの命であるということを理解した。この命の一体化の認識により彼は暴力を放棄し、非暴力つまりアヒムサこそが地球上の国々や民族、家族を愛や奉仕によって一体にする最大の力であると明らかに示した。


偉大な芸術家の文化的貢献と偉大な神秘家の霊的貢献との極めて重要な相違を私たちは決して忘れてはならない。私にとって20世紀はスペース・エイジではなくガンジー・エイジだ。全ての命はひとつであるという不変の法則によって調和して生きる方法をこの時代に示してくれたのがガンジーだからだ。命のつながりについて絵を描いたり歌を作ったり、はたまた月に旅した訳ではなく(これらは価値のあることではあるが)、私たちの時代の最も恐ろしい問題に非暴力で直面することによってである。


もちろん文明は、芸術家や科学者、非凡な政治家たちのおかげで豊かになってきた。しかし、正しい道へと連れ戻し、自らの生涯を通して、全世界が試行錯誤を繰り返しながら向かう輝くゴールを垣間見させてくれたのは、偉大な神秘家たちである。ガンジーは自身の死ぬべき運命の肉体を脱ぎ捨てたが、彼の不死の魂、つまりアートマンは人々が暴力に背を向ける時はいつも体験することができる。


私のある友人は、瞑想でゾンビーにならないようにと知り合いから注意されたらしい。こんんな話を、意識から「私」という感覚を取り除くと人格を失うかもしれないと恐れる多く人から聞く。私は「人格(personality)という言葉はラテン語の仮面(persona)に関連している」のだよと気づかせる。アレクサンドル・ドュマの小説の中で、ルイ16世の双子の兄弟が鉄仮面を長年着けさせられたためにそれが彼の一部になるという話がある。どんなに試して見ても、仮面を取って彼の本当の顔を見せることができなかった。これは私たち皆と同じである。何年間も(あるいは人生何回分も)、私たちの心は、個人的な快楽や利益、権力、名声に対する欲望を満たすための終わりのない努力を通して、利己的で個人的でいるクセを身につけてきた。この分離の仮面を取払うことができたら、真の人格であるアートマンは美しく叡智と愛に輝くことだろう。


個人的な欲望がなければ、行動する動機などあり得ないではないかと言う人もいる。この問いに対してもまたガンジーの人生が最良の答えだ。彼の人格とゲームを楽しんでいる間、若いガンジーはロンドンで弁護士のディナーを食べ、バイオリンを練習し、ダンスを覚えようとした毎日を過ごして満足していた。その後南アフリカで、そこで酷く搾取されていた何千人ものインド人のために働くため自分の快楽や利益に背を向けた時、ガンジーは夢にも見たことのない深い心の源を見出した。自分の欲望を満たして生きていた間は、愛や叡智、勇気、素晴らしい行動の宝庫には気づかなかった。しかし自分のために生きるという小さな取るに足らない動機を放棄した途端、長く健康的で行動的かつ満たされた人生を過ごすための深い意識レベルにある途切れのない動機を見つけたのだ。




真の操縦者


自分のために生き、個人の功績への欲望に駆られている時は、自分自身が操縦者であり全てを行なっており、ハンドルを握っているのは自分だと信じずにはいられない。その結果、自分の行動の結果に固執し、成功に浮かれ失敗にがっかりすることになる。偉大な博愛家であっても神秘家らが締めそうとしている壮大な真実を垣間見ることもない。真の操縦者はこの小さな個人的な「私」ではなく、アートマン、真の我である。これが理解できていないと、努力が勝利となるか敗北となるかに悩んで消耗するのだ。ガンジーはインドの人々の社会的地位向上のため不断に働いたが、「行動の結果(個人の利益)」を放棄することによって、操縦者あるいは行うものとしての重圧から自由になった。


「あなたには行動する権利がある」とバガヴァド・ギータにある。「しかし行動の結果に対してはない」結果に対する不安、自分の思ったようにならない恐怖、見たところ最善の結果にならない恐怖は、消耗や疲弊をもたらす。行動の結果への欲望を捨て、無我の方法で無我の目的に向かって一所懸命働くことができれば、成功であろうと敗北であろうと最善の状態で働くことだろう。そして、敗北すらもまた機会となる。


行動の結果への執着を捨てることは、幾分か深いレベルの霊的な体験がなくては不可能である。霊的な気づきが深くなればなるほど、自分が行動の媒体であると信じさせる自己意志の制圧から自由になれる。


「自分が操縦者であるという思いからどうすれば自由になれるか?『神の意志が行われ」るためにどうすれば自己意志の自身を空にできる?自分の意思とは何か神の意思とは何かどうすればわかる?自分の自己を空にして、どうすれば聖フランシスコが言った「完全な神の平和の道具」になれるのか?」これらの問いは、誠実に、計画的に、そして持続的な熱意を持って実践すれば瞑想で得ることができる。答えは声や視覚では現れないが、ゆっくりと安定した識別と非執着の成長を通して得られる。古い欲望は私たちを掻き立てる力を失い、目の前にあったベイルが一枚ずつ落ちていき、視野が穏やかで明確になり、以前は自身の小さな部分しかなかった場所に全体を捉えることが可能になるのだ。


私はここに居て喜びはあちらにあると考えるのは、命の自分の一角だけを見ている時だ。一度全体を見れば、サマディと呼ばれる瞑想の境地を知れば、私はそこにもここにも居ることがわかる。私は誰の中にも何の中にも存在し、誰もかも何もかもが私の中にある。もう虹を追いかける必要もないし、人や物を所有する必要に駆られることもない。私は完全である。





 (出典)https://yogainternational.com/article/view/making-peace-with-desire/