2018年6月28日木曜日

ヨガは永遠ではない:現代のニーズに合わせて変化  
Yoga isn’t timeless: it’s changing to meet contemporary needs

夏至である6月21日に定められた国連の国際ヨガの日が今年もやってきて、各地で様々なイベントが行われました。ヨガ人気が高まって広く行われるようになったのはとても嬉しいことですが、一方でヨガの本質についてはあまり知られていない気がします。今日は、ペンシルベニア州立大学助教授の記事を選んでみました。

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国際ヨガの日である6月21日、人々はヨガマットを引っ張り出して、太陽礼拝を練習したり瞑想したりするでしょう。ヨガは古代インド発祥ですが今日では世界中で行われています。

アメリカでは、1830年代、ラルフ・ワルド・エマーソンやヘンリー・デビッド・ソローといった哲学者らがヨガ哲学に初めて関わりました。米国でより広く知られるようになったのは1800年代後半になってからにすぎません。

今日、ヨガの魅力の一端は、神秘的な古代の伝統とみられていることにあるでしょう。しかし、私の研究で発見したように、ヨガはもっと深く変化してきています。4項目をあげてみましょう。


1. 健康と幸福のためのヨガ


広くヨガを初めて広めたのは、ヒンズーの改革者スワミ・ヴィヴェカナンダでした。ヴィヴィカナンダは、最初はインドの貧困をなくすための資金を集めにアメリカにやってきました。1893年シカゴで行われた世界初の異宗教間の会議、万国宗教会議での感動的なスピーチによって彼はすぐに有名になりました。それから数年間アメリカ中を旅し、彼は講義をしヨガを伝えたのです。

ヴィヴィカナンダは、ほとんど忘れられかけていた古代インドの賢者パタンジャリの伝統を蘇らせました。パタンジャリは、紀元前1世紀から西暦4世紀の間のどこかの時代にインドにいたと考えられています。ヨガの目的は実在からの隔離と死ぬべき運命の命の束縛からの自由だと彼は主張しています。

パタンジャリによれば、苦しみを乗り越えるためには、現代人の多くにとって生きる意味を成すような快適さや執着こそを放棄する必要があります。 “The Goddess Pose,”の著者であるジャーナリストのミシェル・ゴールドバーグが記したように、パタンジャリのヨガは「自己現実というより自己消去のツール」なのです。

現代では誰もヨガを実在を消し去る方法だとは考えてはいないでしょう。ほとんどの人は、日々の中での幸福、健康、共感を見つけるためにヨガに傾倒しているのです。


2. 身体的エクササイズの価値


今日のほとんどの人にとってヨガとは、体を強化したりストレッチするように考えられたアサナと呼ばれるポーズ、身体的エクササイズでしょう。しかし、ヨガには身体的なもの以上のものがあります。ヨガは献身、塾考、瞑想をも含みます。実際、体より精神を優先したパタンジャリやヴィヴェカナンダにとっては、まず体に焦点を当てるということは驚きでしょう。

パタンジャリは体を「牢獄」だと信じて重要視しませんでした。私達は私達の体ではなく体への執着はヨガの邪魔になると強く主張しました。ヴィヴェカナンダもこの思想を受け継いでいます。彼はアサナを軽視していました。体にばかり集中していると本来のヨガの練習、つまり瞑想の邪魔になると主張しました。

反対に、現代の実践者はアサナをヨガの中心においています。現代のヨギたちは、精神や魂は包含されているとみなしています。現代のヨギは自らの体そして感情にも意識を向けます。なぜなら、体の健康は明瞭に見たり慎重に行動する能力に影響を及ぼすからです。


3. 自己に集中する


ヨガ実践の中心にあるのは、サンスクリットで「シュヴァディヤヤ」と言われる独習です。パタンジャリの伝統では、これは聖典を読むという意味になります。

今日では、シュヴァディヤヤは自己を研究するという意味になっています。ヨガを始めるきっかけの多くは、より幸福でストレスが少なく愛情に満ちた人生を送るためです。私の著書“The Art of Gratitude” に記したように、ヨガには習慣に気づくという行為が含まれています。自分の癖のパターンにまず気づかなければ、それを変えることはできません。

聖典は、この簡単には答えの出ない深く難しい問題への考察を助けてくれるので独習の役に立つと広く理解されています。現代の実践者にとっては、次のような問題も含まれるでしょう。人生の目的とは?道徳的な人生を過ごす方法は?何が本当に自分を幸せにしてくれるのか?

究極的には、健康的なヨガの練習の中心に独習があるべきなのです。それによって、ヨギたちは他者、そして周囲の世界との深い繋がりを認識することができるのです。この相互に依存し存在していることへの認識が今日のヨガの中心なのです。


4. ヨガ・グルの倫理


古代では、グル(指導者)と生徒の間の関係は必須でした。現代では、グルー生徒の関係性は変化しています。ヨギは、古代インドで行われていたようにグルの家で何年も訓練をすることはありません。そのかわりに、スタジオや公園、フィットネスジム、家などで練習しています。

それでも、現代のヨガ・ティーチャーの多くは「グル」だと主張しています。

しかし、濫用の恐れがある内在する力のため、グルという形は終わりにするべきだというヨガ実践者もいます。そういった濫用の例はたくさんあり、最近ではビクラムヨガの73才の創始者ビクラム・チョードリのケースもそうです。彼は性的暴行で訴えられ、2017年カリフォルニア州の逮捕状を避けるため国を出ました。

アメリカやインドでの#MeToo movementを受け、多くのヨガ実践者が、ヨガ・ティーチャーとしての倫理について話し合っています。これらは、ヨガ・ティーチャーが尊厳と敬意をもって、しばしばとても弱い立場の生徒にどう接するべきかについて行われています。



古代、でも永遠ではない


本当に、ヨガがどれほど古いかを考えると、とても力がありとても神秘的です。

しかし、コミュニケーションの教授として、日々の会話のなかで人々がよく間違うことの1つは、古いことをアピールすることだと考えています。それが古いから良い、なぜならずっとそうであったからということです。

ヨガは古いですが、永遠というわけではありません。少し立ち止まってヨガの過去をみつめることで、私たちがみなで未来を作るためにすべき役割を認識できるのです。



http://theconversation.com/yoga-isnt-timeless-its-changing-to-meet-contemporary-needs-97162

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