今回は精神科医で注意欠陥障害の専門家 Edward M. Hallowell の記事からです。ユーモアを交えながらどうすれば日々のストレスから解放されるのかについて書かれています。ゆるーい気分で読んでみてください。
(この記事を読んでる時間が無駄!?)
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昨年の夏、僕たち家族は古いダイヤル式の電話しかない湖のほとりのコテージに滞在した。あまりに人里離れていたので携帯が繋がらないそのコテージにあったのは、ピーチ色でへたれたソファ脇のテーブルに置かれたボロボロの電話帳の上にあった真っ黒の電話だけだった。
その電話のダイヤルを初めて回したときはこうだった。それは朝。目覚めに泳いだ後コーヒーを淹れソファに腰掛け、友人に子供と一緒に私の家族と一緒にマイナーリーグの野球を見に行かないかと電話で誘うつもりだった。緊急ではないし急ぐこともなかった。
ダイヤルを回し始めたばかりで僕の中に短気の火が点いた。一度回すたびにダイヤルが元に戻るのを待たなければならない。それはものすごくゆっくりだった!それから、錆びた金属の引き出しみたいに、元に戻るたびいらいらする音を出した。5、4、3、2…。なんとか全ての番号を回し終えるまでに、僕はすっかり腹を立てていた。こんなに鈍い電話に我慢できる人間なんているだろうか?いらいらが爆発した。
そこでハッと気づいた。これは馬鹿げている。友人と話し終えた後、もう一度彼の番号を回してみてどれくらい時間がかかるかを試してみた。きっかり11秒。そのゆっくりとした11秒間はまるで命がかかっているかのように途方もなく僕を苛立たせたのだ。なんという馬鹿になってしまったんだろう。なんてイマドキな人間なんだろう。無意識の苛立ちに恥ずかしくなった。急ぐ必要がない時でさえ急いでしまう人間になってしまっていた。
休暇の毎日が過ぎるにつれ、僕は変わり始めた。あの古い電話が教えてくれたことに感謝し始めた。動きの悪い引き出しのような電話の音が、長い年月を経てもなお頑強に働き続ける古い風車の音のように聞こえるようになった。ブッダのごとくサイドテーブルにゆったりと落ち着いた電話が、そこにまだ在るうちに、夏を、子供達の幼少期を、円熟した結婚生活を、人生のよい時間を、ゆっくりと楽しみなさいと戒めてくれる賢明な助言だと考えるようになったのだ。
これまでになく今が忙しく感じていて、もうこれ以上ペースを保てるのかわからないと思っているのはあなただけではない。携帯電話、24時間ひっきりなしに来るメール、ショートメッセージ、忙しい朝、子供のサッカー試合の果てしない送り迎え、慌ただしく食べる食事、そして長い勤務時間。そうなろうと思ってもいないしどこから始まったのかもわからないまま、自分では作ってもいないし(少なくともそのつもりはない)嫌だと思っている慌ただしさの中に僕たちは生きている。
忙しいことは、本質的に悪いことではない。大事なことをしていて忙しいなら、忙しいことは至福だ。あなたに合った人生のリズムを見つけたということだ。この世界は可能性に満ち溢れていて、そのエネルギーはどんどん広がっていく。その熱狂に取り憑かれたら毎日ベッドから飛び起きて忙しくしていたいと思うだろう。それは、細かいことに必死になっているわけでも家族をなんとか養っていくためではなく、この人生に恋をしているからだ。
だけど、忙しすぎて自分にとって一番大事なことができなくなっていたり、ダイヤル式の電話に腹を立てるような賢明ではないことをしてしまっていれば、その忙しさは問題とななる。
何が自分にとって一番大切なのかを決定すること、そしてそれに集中することは簡単ではない。なぜなら、やるべきことの選択はこれまでになく幅広く、常に時間、注意力や精神力を奪ってしまうからだ。うまく立ち回らなければどんどん奪われてしまい、本当にやりたいことのための時間がどんどん少なくなっていく。
コンピューター、ビデオゲーム、テレビ、ブラックベリーでもなんでも、スクリーンに向かって時間を浪費すること。不思議な力によって、仕事が終わってたり番組が終わった後も長時間ぼんやりとスクリーンを見続け、特に楽しくもないのに接続や電源を切ったりできない。
例文:「論文を書くつもりだったんだけど、代わりに午後の間ずっとスクリーン・サッキングしてた」とか「博士論文を終えていないのは、実際に研究をしているふりをしながらスクリーン・サッキングに多くの時間を費やしてしまったからだ」
ヒント:故意でしているわけではないので解決するのが難しい問題。残念ながらスクリーン・サッキングに対抗するパッチなない。第一歩は洞察力だ。ログオンしたり電源を入れる度に自分が影響を受けやすいということに気づくこと。そうして構造の変化を起こす、環境や行動を。接続を切ろうと思う時間に設定したアラーム時計をマシーンの横に置く、数クリーンを違う部屋に移す、10分ごとに音が鳴るようコンピューターをプログラムするなど。独創的に自分に合った方法を考えよう。
ヒルとは、あなたの時間や注意力を無駄にさせ、疲弊させ、そもそもこの一連の作業をなぜ始めたのだろうと思わせるような人々や課題を指す。ユリとは、それに取り組んでいると満足感が得られ生きていることそして今していることに喜びを感じさせる人々や課題のことだ。
ヒント:完了させようとしたり(課題の場合)、彼らをハッピーにさせたり(人の場合)するのをやめて、できるだけ多くのヒルを取り除こう。習慣や罪悪感、強情さ、恐怖などのせいで難しいかもしれない。あなた自身が友人らしく振る舞わない誰かの「友人」だとしたら、その人に他の誰かの時間を無駄にさせたり、誰かの気分を害させるようにしてみよう。失敗した課題をなんとか頑固に成功させようしているのなら、時間を使う以外にどれくらい効果的になれるかを考えてみよう。僕らは、得意なことにエネルギーを注ぐより不得意なことがうまくなるよう何年も無駄にすることが多い。あなたがヒルに耐えることが普通になっているなら、目を覚ませ!この惑星で持っている短い時間を有効に使うことを自分自身に許そう。そしてできるだけユリを育てよう。
僕たちのほとんどが容易に対処できる以上のものを引き受けてしまうため、全部に絶えず注意を払うことは特に難しい。死の矢とは、毒矢みたいに意識に突然入ってくる忘れていた義務を表現する僕の言葉だ。自分の車で楽しくドライブしていたり楽しく夕飯を作っている最中に、どこからともなく忘れていた義務(夫の誕生日プレゼントとか、書くと約束した友達の提案書の見直しとか)が意識に突き刺ささってその毒があなたの中に広がり、数分の間にあなたは不安で取り乱してしまう。
ヒント:死の矢が当たったらすぐ、その問題にどう対処するか頭の中で計画を立てよう。「後で対応しよう」というのは計画ではない。死の矢は刺さったままで毒を吐き続ける。いつどのように対応するかを自分に言い聞かせ、内なる監理者にその計画にOKを出させる必要がある。そうすれば矢は抜け落ち、痛みなく前に進むことができる。
電話で話している時にメールを読んでいると、声が奇妙になる。わずかだが、それは間違えようもない。MITメディア・ラボの賢い人たちは、携帯電話で話しているときに電気的に注意をモニターするプログラムを開発した。Jerk-O-Meter(訳注:びっくりメーター?)と呼ばれるその機械は、まだ明瞭ではなくちょっと冗談めいて聞こえる。APレポートによれば、「会話にどれほど集中しているかを0から100のスケールで人を評価するため、話しのパターンや声のトーンを分析する」
ヒント:無作法なことだが、EMVは日課のように毎日起こる。あなたに話しかけている間なにか別のことをさせたくなければ、ただ穏やかにそれを指摘すればいい。それだけでその人はこちらに注意を戻してくれるだろう。あなた自身がやっているとすれば、自分にされている時どんなに不快かを考えよう。あるいは、同時にメールを書いている誰かに話しかけてみてもいい。
十分やり切っていないという罪悪感は今に始まったものではない。ジョン・ミルトンは、盲目のせいで力が弱っている自分への罪悪感を感じ僕たちや彼自身にこう言っている。「ただ立って待っている人だけが満たされる」あの輝かしい罪悪感の見本サミュエル・ジョンソンは「自分ができる限り多くのことをしなければならない人は誰もいない」と彼自身を安心させた。しかし、コンピューター技術とそのギガバイトのメモリは、直接的にも間接的にも、1人の人間が絶えず把握しておかなければならない事柄の数をあまりにも増やしてしまっていて(大きい数字というより無限大)、それを全部把握出来るとはずだと思っているのだが(とても莫大で実質的には無限大)、何かを見失ってしまう可能性はうなぎ登りだ。僕らのほとんどにとってそれは100%確実だ。こうして何かを忘れたり誰かを失望させたりするギガ罪悪感をもたらすのだが、何もかも把握しておくことなど不可能で誰をもを喜ばせる時間を持つことも同様に不可能だとわかっていてもなおそうなのだ。
ヒント:多くの辛い感情のように、ギガ罪悪感には理屈に合っているわけではない。不可能を自分に期待するなんて明らかに理屈に合わないのだが、僕らの多くがそうしている。僕が知る最善の方法は体系をもった理屈を立てることだ。何に対処して何にしないかを指示してくれるようなシステムを作る。そうすれば、毎回そこで決定する必要がなくなる。例えば、自発的な委員会に参加するのは一回につきひとつだけにすると決めることができる。あるいは一度に受けるのは、ある一定数の依頼人、患者、顧客だけにする。あるいは、夕食の間は絶対に電話に出ないとか。母親に電話する時間帯を決めておいて母親に電話がくるのだとわからせておけば、他の時間は罪悪感を感じることはない。
自分に一番大事なことに時間を残しておく。そして自分に大事なことをしている時に誰の役にも立っていないという罪悪感を感じるのなら、自分に最も大事なことをする時間がないなら他人にとってもあまり役に立たないと思い出そう。気分が落ち込み、疲弊し、短気で怒りっぽく、役に立たなくなってしまうだろう。自分自身か誰かと話しをして、あなたはみんなのためになにもかもをすることはできないし、自分がしたいと思うほどですらできないという事実を折り合いをつけよう。
どのように人生のコントロールを失うのか、どうすればいいのか
昨年の夏、僕たち家族は古いダイヤル式の電話しかない湖のほとりのコテージに滞在した。あまりに人里離れていたので携帯が繋がらないそのコテージにあったのは、ピーチ色でへたれたソファ脇のテーブルに置かれたボロボロの電話帳の上にあった真っ黒の電話だけだった。
その電話のダイヤルを初めて回したときはこうだった。それは朝。目覚めに泳いだ後コーヒーを淹れソファに腰掛け、友人に子供と一緒に私の家族と一緒にマイナーリーグの野球を見に行かないかと電話で誘うつもりだった。緊急ではないし急ぐこともなかった。
ダイヤルを回し始めたばかりで僕の中に短気の火が点いた。一度回すたびにダイヤルが元に戻るのを待たなければならない。それはものすごくゆっくりだった!それから、錆びた金属の引き出しみたいに、元に戻るたびいらいらする音を出した。5、4、3、2…。なんとか全ての番号を回し終えるまでに、僕はすっかり腹を立てていた。こんなに鈍い電話に我慢できる人間なんているだろうか?いらいらが爆発した。
そこでハッと気づいた。これは馬鹿げている。友人と話し終えた後、もう一度彼の番号を回してみてどれくらい時間がかかるかを試してみた。きっかり11秒。そのゆっくりとした11秒間はまるで命がかかっているかのように途方もなく僕を苛立たせたのだ。なんという馬鹿になってしまったんだろう。なんてイマドキな人間なんだろう。無意識の苛立ちに恥ずかしくなった。急ぐ必要がない時でさえ急いでしまう人間になってしまっていた。
休暇の毎日が過ぎるにつれ、僕は変わり始めた。あの古い電話が教えてくれたことに感謝し始めた。動きの悪い引き出しのような電話の音が、長い年月を経てもなお頑強に働き続ける古い風車の音のように聞こえるようになった。ブッダのごとくサイドテーブルにゆったりと落ち着いた電話が、そこにまだ在るうちに、夏を、子供達の幼少期を、円熟した結婚生活を、人生のよい時間を、ゆっくりと楽しみなさいと戒めてくれる賢明な助言だと考えるようになったのだ。
何に忙しいのか?
忙しいことは、本質的に悪いことではない。大事なことをしていて忙しいなら、忙しいことは至福だ。あなたに合った人生のリズムを見つけたということだ。この世界は可能性に満ち溢れていて、そのエネルギーはどんどん広がっていく。その熱狂に取り憑かれたら毎日ベッドから飛び起きて忙しくしていたいと思うだろう。それは、細かいことに必死になっているわけでも家族をなんとか養っていくためではなく、この人生に恋をしているからだ。
だけど、忙しすぎて自分にとって一番大事なことができなくなっていたり、ダイヤル式の電話に腹を立てるような賢明ではないことをしてしまっていれば、その忙しさは問題とななる。
何が自分にとって一番大切なのかを決定すること、そしてそれに集中することは簡単ではない。なぜなら、やるべきことの選択はこれまでになく幅広く、常に時間、注意力や精神力を奪ってしまうからだ。うまく立ち回らなければどんどん奪われてしまい、本当にやりたいことのための時間がどんどん少なくなっていく。
どうすれば、この狂気の世界を、逆らうことなくあなたのためになるようにできるのだろう?僕は、この現代社会の奇妙さ(部分的に新しい技術によってもたらされた状況や感情といったもの)の表現をいくつか作って(作り直して)みた。これらが表現する問題に気づくことそのものが、あるいはその問題に対処するすべになるかもしれない。ではいくつか提案してみよう。
スクリーン・サッキング(Screensucking)
コンピューター、ビデオゲーム、テレビ、ブラックベリーでもなんでも、スクリーンに向かって時間を浪費すること。不思議な力によって、仕事が終わってたり番組が終わった後も長時間ぼんやりとスクリーンを見続け、特に楽しくもないのに接続や電源を切ったりできない。
例文:「論文を書くつもりだったんだけど、代わりに午後の間ずっとスクリーン・サッキングしてた」とか「博士論文を終えていないのは、実際に研究をしているふりをしながらスクリーン・サッキングに多くの時間を費やしてしまったからだ」
ヒント:故意でしているわけではないので解決するのが難しい問題。残念ながらスクリーン・サッキングに対抗するパッチなない。第一歩は洞察力だ。ログオンしたり電源を入れる度に自分が影響を受けやすいということに気づくこと。そうして構造の変化を起こす、環境や行動を。接続を切ろうと思う時間に設定したアラーム時計をマシーンの横に置く、数クリーンを違う部屋に移す、10分ごとに音が鳴るようコンピューターをプログラムするなど。独創的に自分に合った方法を考えよう。
ヒルとユリ(Leeches and Lilies)
ヒルとは、あなたの時間や注意力を無駄にさせ、疲弊させ、そもそもこの一連の作業をなぜ始めたのだろうと思わせるような人々や課題を指す。ユリとは、それに取り組んでいると満足感が得られ生きていることそして今していることに喜びを感じさせる人々や課題のことだ。
ヒント:完了させようとしたり(課題の場合)、彼らをハッピーにさせたり(人の場合)するのをやめて、できるだけ多くのヒルを取り除こう。習慣や罪悪感、強情さ、恐怖などのせいで難しいかもしれない。あなた自身が友人らしく振る舞わない誰かの「友人」だとしたら、その人に他の誰かの時間を無駄にさせたり、誰かの気分を害させるようにしてみよう。失敗した課題をなんとか頑固に成功させようしているのなら、時間を使う以外にどれくらい効果的になれるかを考えてみよう。僕らは、得意なことにエネルギーを注ぐより不得意なことがうまくなるよう何年も無駄にすることが多い。あなたがヒルに耐えることが普通になっているなら、目を覚ませ!この惑星で持っている短い時間を有効に使うことを自分自身に許そう。そしてできるだけユリを育てよう。
死の矢(Doomdarts)
僕たちのほとんどが容易に対処できる以上のものを引き受けてしまうため、全部に絶えず注意を払うことは特に難しい。死の矢とは、毒矢みたいに意識に突然入ってくる忘れていた義務を表現する僕の言葉だ。自分の車で楽しくドライブしていたり楽しく夕飯を作っている最中に、どこからともなく忘れていた義務(夫の誕生日プレゼントとか、書くと約束した友達の提案書の見直しとか)が意識に突き刺ささってその毒があなたの中に広がり、数分の間にあなたは不安で取り乱してしまう。
ヒント:死の矢が当たったらすぐ、その問題にどう対処するか頭の中で計画を立てよう。「後で対応しよう」というのは計画ではない。死の矢は刺さったままで毒を吐き続ける。いつどのように対応するかを自分に言い聞かせ、内なる監理者にその計画にOKを出させる必要がある。そうすれば矢は抜け落ち、痛みなく前に進むことができる。
メールの声(EMV, or E-Mail Voice)
電話で話している時にメールを読んでいると、声が奇妙になる。わずかだが、それは間違えようもない。MITメディア・ラボの賢い人たちは、携帯電話で話しているときに電気的に注意をモニターするプログラムを開発した。Jerk-O-Meter(訳注:びっくりメーター?)と呼ばれるその機械は、まだ明瞭ではなくちょっと冗談めいて聞こえる。APレポートによれば、「会話にどれほど集中しているかを0から100のスケールで人を評価するため、話しのパターンや声のトーンを分析する」
ヒント:無作法なことだが、EMVは日課のように毎日起こる。あなたに話しかけている間なにか別のことをさせたくなければ、ただ穏やかにそれを指摘すればいい。それだけでその人はこちらに注意を戻してくれるだろう。あなた自身がやっているとすれば、自分にされている時どんなに不快かを考えよう。あるいは、同時にメールを書いている誰かに話しかけてみてもいい。
ギガ罪悪感(Gigaguilt)
十分やり切っていないという罪悪感は今に始まったものではない。ジョン・ミルトンは、盲目のせいで力が弱っている自分への罪悪感を感じ僕たちや彼自身にこう言っている。「ただ立って待っている人だけが満たされる」あの輝かしい罪悪感の見本サミュエル・ジョンソンは「自分ができる限り多くのことをしなければならない人は誰もいない」と彼自身を安心させた。しかし、コンピューター技術とそのギガバイトのメモリは、直接的にも間接的にも、1人の人間が絶えず把握しておかなければならない事柄の数をあまりにも増やしてしまっていて(大きい数字というより無限大)、それを全部把握出来るとはずだと思っているのだが(とても莫大で実質的には無限大)、何かを見失ってしまう可能性はうなぎ登りだ。僕らのほとんどにとってそれは100%確実だ。こうして何かを忘れたり誰かを失望させたりするギガ罪悪感をもたらすのだが、何もかも把握しておくことなど不可能で誰をもを喜ばせる時間を持つことも同様に不可能だとわかっていてもなおそうなのだ。
ヒント:多くの辛い感情のように、ギガ罪悪感には理屈に合っているわけではない。不可能を自分に期待するなんて明らかに理屈に合わないのだが、僕らの多くがそうしている。僕が知る最善の方法は体系をもった理屈を立てることだ。何に対処して何にしないかを指示してくれるようなシステムを作る。そうすれば、毎回そこで決定する必要がなくなる。例えば、自発的な委員会に参加するのは一回につきひとつだけにすると決めることができる。あるいは一度に受けるのは、ある一定数の依頼人、患者、顧客だけにする。あるいは、夕食の間は絶対に電話に出ないとか。母親に電話する時間帯を決めておいて母親に電話がくるのだとわからせておけば、他の時間は罪悪感を感じることはない。
自分に一番大事なことに時間を残しておく。そして自分に大事なことをしている時に誰の役にも立っていないという罪悪感を感じるのなら、自分に最も大事なことをする時間がないなら他人にとってもあまり役に立たないと思い出そう。気分が落ち込み、疲弊し、短気で怒りっぽく、役に立たなくなってしまうだろう。自分自身か誰かと話しをして、あなたはみんなのためになにもかもをすることはできないし、自分がしたいと思うほどですらできないという事実を折り合いをつけよう。
クズ(Kudzu)
東南アジアから米国にうっかり入ってきてしまったこの草は、30m以上も深く根を張って駆除することができない。僕はクズという言葉を「グチャグチャの山」につけたが、これは、僕らの速度をのろくさせるそこら中の人々からの絶え間ない不意の小さな依頼のことで、働いているところ住んでいるところ構わず侵略してきて止めることも駆除することもできない。メールにはびこっているスパム、郵便ポストに溢れかえる広告、そうしないように懸命になっているにも関わらずどんどん入ってくるどうでもいい情報などなど。
ヒント:物理的なクズへの最良の解毒剤は、管理者らが呼ぶところのOHIOだ(Only Handle It Once=処理するのは一回だけ)。書類や会報など有形のものに対しては、できる限り(1)すぐに返事する(2)名前をつけたファイルに入れる(3)捨てる。大抵の場合、(3)が一番だ。
あちこちからどんどんやって来る依頼への最良の解毒剤は遮断、誰からも連絡が来ないようにする。聞いてなければ、それをしていなくても罪悪感を感じることはない。自分に合った形の遮断方法を作ろう。誰にでもドアを開けておくのは、とにかくやめておこう。10年前にはドアを開けておくのはいいことだったが、今やそれはフーバー・ダム(訳注:コロラド川の巨大なダム)に向けてるようなものだ。
(出典)https://yogainternational.com/article/view/crazy-busy-tips-to-create-the-life-you-want?
Edward M. Hallowell, MD, a psychiatrist and ADD expert, is co-author of the best-selling Driven to Distraction (drhallowell.com).