2021年3月13日土曜日

ヨガとの関係性は食事との関係性を反映する 
How Our Relationship with Yoga Can Mirror Our Relationship with Food


ヨガの実践者として、私たちは時々、完璧でなければならないと感じることがあります。多くの人が、クラスで誰かをみていて、シルシャアサナ(ヘッドスタンド)や手のひらに足の裏をのせた立位の前屈、またはチャクラアサナ(車輪のポーズ)などができる人をみて羨ましがったりしたことがきっとあるでしょう。けれど、そうした嫉妬には意味がありません。アサナは、自己受容を学ぶことに役立つ理想の乗り物です。私たちは実践で時間とともにこの受容を学びますが、それを学ぶためには完璧である必要は全くありません。


自分が何者であって、何者でないかを受け入れることは、人生の最も困難なことの一つです。アドムカヴルクシャサナ(ハンドスタンド)やチャクラサナ、エカ・パダ・ラジャカポタサナ(片脚の鳩の王のポーズ)の心地よい完成形になれないあなたの体の構造を受け入れることができますか?練習の時に、自分に問いかけてみましょう。この瞬間に自分がいる場所を受け入れることを練習しているのか、それとも完璧になる欲望のために練習しているのかを。


ヨガポーズで完璧を目指そうとする努力は、食べ物との関係性の中で完璧を目指そうとするのとよく似ています。摂食心理学と心身滋養のコーチとして、時々「自分は十分でない」といもがいていることが、摂食障害として現れるのを目の当たりにします。完璧への奮闘は、大抵の場合は食べ物そのもののことについてではありません。そうでなく、食べ物との関係性は、足りないと思っているもの、欲望、また人生の中で明確にできないものを示すことが多くあります。食べ物が、自分の思いや感情、過去の記憶などにアクセスして癒すことができないでいることに対して、それ自身を消し去ったり、落ち着きを得たりする手段となるのです。


私たちは人間として、自分の痛みや「十分でない」という気持ちの原因が何なのかをいつも直に見つけることができるわけではなく、また、不快な気持ちをどう処理していいのかもわからないことが多いのです。ただ、ストレスや辛い過去の経験で居心地が悪くなることを知っているだけで、そんな時には、食べ物がはけ口となりえます。


完璧へ追い立てられると、拒食を引き起こすこともあります。患者さんを観察していると、拒食する人は、過去、現在、未来にかかわらず、状況をコントロールしたがっていたり必要があったりすることが多く、そのコントロールのために食べ物を手段としています。そういった人には、ヨガの実践や、「完璧な」食事という表現から離れて食べ物との滋養のある関係性を作り上げることがとても大事です(けれど、手っ取り早い解決法はありません)。


「完璧になりたい」という欲望が現れるもうひとつの現象は過食です。私たちの多くは、過食によって「自分は十分でない」という感情を鎮ませることができます。「食べ物は太る」とか「食べ物は敵だ」というような有毒な思い込みは、滋養に値しないというネガティブなメッセージを送ることになり、ストレス反応を引き起こします。こうした有毒な考えは、少しか食べずに後で大食いするという食事のサイクルにつながります。なぜならその間、体が必要なもの、栄養を得られずにいるからです。ネガティブな感情を鎮めるための過食は、複雑な状態ですが(ここでも、手っ取り早い解決法はありません)、過食をする人が食べものに対するリラックス反応を育むために役立つ方策のひとつは、ゆっくり食べることです。


メディアの示す美しさの表現は、食べ物が太らせるというメッセージを送り続けて、「十分でない」感情をより高めます。食べ物は栄養であり、体はそれを堪能する喜びと繋がっていますが、美しさの歪んだイメージを受け取った時、残念ながら、それが心と感情の一部に取り込まれ、食べ物との有毒な関係性が悪化する可能性があります。


現代の生活にあるストレスで社会がより警戒状態にある中、より多くの人がヨガの実践の必要性を感じています。ヨガの人気はますます高まり、アサナやプラナヤナ、瞑想など全てストレスを緩和するのに役立つと広く知られるようになってきました。こうした自己探求の方法によって、内にある不快感を発見し、どのように痛みから隠れているのかに気づくことができます。ヨガの実践は、自分自身と再び繋がらせてくれ、価値がないという感情を癒してくれますが、過食や拒食の習慣も落ち着かせることができるかもしれません。


時間が経つにつれ、実践は、違いを生むのでも不安な感情を消し去るわけでもなく、自分の内側や周囲で何が起きているのかにより気づかせてくれるのだと気づくでしょう。どこでどのように自分自身を大切にすることができるのかを十分に理解するためには、大抵の場合は、すでに感じている痛みと向き合う必要があります。本当の問題が何なのかを知らないままで、どのように痛みに向き合い、食べ物で自分を罰することをやめ、感情を処理し始めることができるのでしょう?ヨガの実践は、自己再生へ導いてくれる指標となります。それは感じているいう事実を伝えてくれるメッセンジャーとなり、その知識をもって人生に良い変化を作り出すことができます。


ヨガは、心と精神と体をより深く経験させてくれるものだと考えられています。アサナを練習する度、逆立ちで上下逆さになったり、後屈で胸を開いたりして、違う視点で世界を見る機会をもたらしてくれます。新しい視点を作ることで、すでに役に立たなくなった習慣や癖を解放することができます。自身を探求することは、完璧を目指すよりもずっと満たされるものだと体感することもあるでしょう。自分の思いや感情、人間関係や存在そのものを探求することを選択した時、人生の可能性は無限になります。


今度ヨガをする時、完璧を目指そうとせず替わりにこうしてみましょう。呼吸と繋がり、速度を緩め、体に注目し、実践への探求が語りかけるままに任せましょう。そして食事の時にも同様にしましょう。食べる前に、深呼吸します。全ての感覚を使って食事を探求する決意をします。おそらく、今まで経験したことのないほど、この探求で満足感を得るでしょう。あなたの食事やあなたのヨガの練習に寄り添い、その瞬間瞬間にあなたが感じていることに寄り添うと、自己発見と癒しへの真の道へと歩き始めることができるはずです。

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