2026年3月12日木曜日

休息、退避と復活のための
シンプルなリストラティブヨガ 
A Simple Restorative Sequence for Rest, Refuge, and Renewal

今日の記事は、自分でできるリストラティブなヨガのシーケンスです。


ーーーーーーー

自身を取り戻す


私が初めてヨガクラスに参加したのは、マンハッタン中心で社長室長として働いていた頃です。それは90年代初めで、まだカセットテープをどれくらい再生したのかがわかる古いタイプのテープ・カウンターがあって、ボタンを押すとカウンターの数字がゼロになりました。ヨガのクラスが終わるたび、私のカウンターがまるで「0000」にリセットされたように感じたものです。そのリセットとは、毎日積もっていく精神的な残り物を解き放つこと、目の前で起こる事件が何であれ距離を取ること、仕事で体の蓄積された緊張を和らげること、明晰さ、軽さを取り戻すことなどです。注意を動きに集中し呼吸を意識して感じることで、心がはっきりとそこに存在するのを感じ、また始める準備ができたのです。


今、体内のテープカウンターをリセットする能力がこれまで以上に必要となっています。私たちは、20年前のマンハッタン中心などよりとても速いスピードでずっと効率的に動く、どんどん加速する世界に住んでいます。ずっと続く終わりのない刹那の内容や、そのスピードとコミュニケーションの量は心をかき乱します。そしてそれは遅くなることも消えることもありません。


デバイスを通して世界と交流する日々の中を進むうちに、心と感覚の認識は物理的な世界から遠ざかっていきます。抽象化された現実に何時間もぶっ通しで過ごすことでバランスが崩れれば、心、神経、そして体の全てのシステムの機能に、どうなるかよくわかってもいない様な大きな犠牲を強いることになると私は考えています。


ですので、自身をリセットする、速度を落とすために時間を取る、自分自身を取り戻す、習慣的にストレスを解消することの重要性は、バランス感覚と調和の維持のためにより不可欠なものになってきています。それは私たちのウェルビーイングに極めて必要です。スクリーンの世界から距離をとるための時間を優先するのが必要なだけでなく、体とエネルギーが自身の存在と統合しているという感覚を取り戻すための信頼できる効果的な方法が必要です。


ヨガの実践はもちろん、自身を取り戻すために最も良い方法のひとつです。約1時間ほどはチャット、SMS、メールなどを遮断できる(願わくは)最後の砦です。よりパワフルなのは、ヨガの実践は、心のエネルギーを体、呼吸へ、有機的で物質的な存在である物理的な現実へと戻してくれます。自然な感覚的で本能的な性質を呼び起こします。心のよりどころを作り、感覚が休まる場所を与え、外向きの動きを少しの間休む機会を与えてくれます。明確さ、バランス、調和の感覚を取り戻します。心を体に向け、しばらくそこに居続ける価値はより貴重になっていくばかりです。


ほんのちょっと外の世界のとのつながりを断つことで、呼吸、気づき、精神的な存在という私たちが持っている最も力強く滋養の高い再生の源に実際につながる機会を作ることができます。活力を取り戻し、育まれ、支えられて、新しい日々と出会うのです。



アサナ・シーケンス:リストラティブな練習


アライメントに基づくプラクティスでは、リストラティブ・ヨガとは、プロップスを使うことで体が支えられて快適であり、リラクゼーションや穏やかさ、心の静けさを促進するヨガのことを指します。リストラティブなプラクティスの目的は能動的なストレッチや強化ではなく、副交感神経の弛緩反応を引き出すため、むしろ努力はせず安心感や解放感を高めることです。そのため、体は完全に支えられて快適な状態で、長い時間ポーズを保ちます。



技術的なポイント


• リストラティブな練習で最も重要なことは、心地よいことです。リラックスできるよう、プロップスの支えを調整したり変更したりしましょう。

• 快適に支えられたら、体をしっかりと解放しましょう。

• ポーズの全ての場面でマインドフルでありましょう。時間をかけて丁寧にプロップスを用意します。ポーズに入る時出る時はゆっくりと移行します。

• 呼吸と体の微かな感覚に集中して、意識を内側へ向けます。

• シンプルに呼吸を観察してもいいですし、役立つなら、深いレベルのリラクゼーションに入りながら精神に集中するための意識的な呼吸をしてもいいでしょう。




必要なプロップス:


- ボルスター 1
(または2-3枚の硬めのブランケット。ブランケットはボルスターのように重ね折ります)

- ヨガストラップ 1

- ブロック 1

- ブランケット 2〜3


始める前に時間をとって、この練習を自分への愛の贈り物だと意識的に捧げ受け取ります。再生のための時間と場所を作った感謝の気持ちで臨みます。心を開いて、しっかりとポーズを味わいましょう。




シーケンス


1. 安楽座で頭上で両手を組む(スカーサナでのバッダングリヤーサナ):5ー15秒経ったら、組み方を変えて繰り返します。

2. 安楽座で鷲のポーズの腕(スカーサナでのガルーダサナ・アーム):5ー15秒経ったら、組み方を変えて繰り返します。

3. 安楽座でのツイスト(パリヴリッタ・スカーサナ):5ー15秒経ったら、左右の向きを変えて5ー15秒。

4. 横たわった合蹠のポーズ(スプタ・バッダコナサナ):10ー15分間。

5. 支えられたシンプルな座位のツイスト(サーランバ・バーラドヴァージャサナ):右側で5ー7分間、それから左で5ー7分間。

6. 支えのある子どものポーズ(サーランバ・バラサナ):頭を右に向けて2ー3分間、そして左で2ー3分間。

7. 床、またはブランケットやボルスターの上の脚上げ(ヴィパリタ・カラニ):10ー15分間。

8. ボルスターやブロック、脚の周りのストラップなど支えのある橋のポーズ(サーランバ・セツ・バンダーサナ):5ー10分間。

9. 屍のポーズ(シャヴァサナ):5ー10分間。





(出典)https://yogainternational.com/article/view/a-simple-restorative-sequence-for-rest-refuge-and-renewal/

2026年3月9日月曜日

アナンターサナ(ヴィシュヌの寝椅子)の神話 
The Mythology Behind Anantasana (Vishnu's Couch)



「終わりのない」「無限」という意味のアナンタは、永遠、誕生や成長、死などすべての変化の超越などを表し、喜びや幸福感が無限である状態を表します。感じられる物質を超えたこの甘く自然な状態は、アナンタという巨大な神話上の蛇で表されます。アナンタのとぐろは宇宙を支え、ヴィシュヌ神が次の生まれ変わりの前に休む際の寝椅子となります。アナンタにアサナを付けるとヨガポーズの名前となり、この生まれ持った幸福感、平穏、永遠の感覚を養うのに役立ちます。


アナンタ(アディシェシャとも言われます)はヨギにとっては重要な人物です。ヨガスートラを編纂したパタンジャリはアナンタの生まれ変わりだと言われます。バガヴァットギータでクリシュナは「蛇の中でも、私はアナンタである」と言います。アナンタは、宇宙を支える者の一人で、時が始まる前から存在していました。


神たちが乳海を撹拌して世界を作った時、アナンタの体はロープとして使われました。アナンタは、他の世界であるパティアーラの海に浮かび、彼のとぐろの上で保護者であるヴィシュヌとともに永遠に住んでいました。700年ごと、あるいは創造物が本当に困ったことになった時、アナンタはとぐろをかすかに動かしヴィシュヌ神が形をとって地上に現れ、そして時代が始まります。時代の終わりには、ヴィシュヌは休息へと戻るのです。どんな時も、創造物が生まれ、育ち、愛し、争い、死ぬ時も、アナンタは下で地上のあらゆる活動の影響は受けず、究極の目撃者であり続けます。


パタンジャリの頭上にはコブラが被さっており、世界の考えうる全ての悪や困難からの究極の保護を表しています。7匹の蛇が、パタンジャリや彼に師事した全ての弟子らを守るための聖なる傘を形作っています。この7つの蛇は、地水火風空の5行を完全に理解したこと、また解脱と悟り、モクシャとサマディを得たことを象徴しています。




個人的な世界でのアナンタ


個人の世界においては、背骨が体の土台で支柱であり、中枢神経の存在する場所です。下界から危険が迫ると、アナンタがヴィシュヌ神を呼び起こして地上の危機に対処するように、体の交感神経が動き出して反応を刺激します。心拍数や呼吸数が増え、消化に影響を与え、筋肉に血液が送られ、闘争逃走行動の準備をします。危機が去れば、副交感神経が体と心を落ち着かせ、心拍数呼吸数がゆっくりになり、心もまた落ち着き、ヴィシュヌはアナンタのとぐろへと戻っていきます。


興味深いことに脳の基部は「爬虫類脳」とも呼ばれ、呼吸のような生命維持のための最も基本的な行動を司っています。それは知覚には全く関係がありません。もし呼吸について考えなければならないとすれば、注意散漫になったり眠ってしまったらすぐに死んでしまうでしょう。感じられる世界の変化や要求に反応する時、警戒する役目を果たすのは前頭葉(認知脳)で、何が起こっているのか、どう反応すべきかを理解します。アナンターサナは、深い内側へと降りていき、爬虫類脳の本能的な認識、静けさ、休息の深い感覚を体験するよう促してくれます。







アナンタサナのポーズ




  1. 左を下に横たわります。両膝はやや曲げても構いません。バランスをとるため右手を体の前の床におき、左腕は床の上で左耳の横に伸ばします。体の左側を、股関節から腋の下まで伸ばします。できれば、左の腋の下は床に下ろします。

  2. 腋の下を下げ続けながら、左肘を曲げます。左手を左耳につけます。肘はできるだけ耳の横に置いておきましょう。三頭筋を伸ばします。

  3. 床で左脚を踵に向かって伸ばします。腋の下から踵まで体の左側を床に押しましょう。右脚を左脚の上に重ねます。

  4. 仙骨を前へ引きます。左脚を腰から踵まで落ち着かせます。横たわってはいますが、これはバランスをとるポーズです(股関節屈筋にも効きます)。両膝は伸ばしたまま、頭から尾骨まで長く一直線にしましょう。左側全体を押し下げて体を安定させます。まっすぐ前を見て、目の高さで床の上の安定した点を見つけて見つめましょう。

  5. 呼吸を一旦止めます。尾骨へと息を吐きます。コブラの頭のように、頭骨の基部にある骨を広げます。頭頂を通って息を吐きます。呼吸と意識を、両足の下20センチと頭の上20センチまで広げましょう。

  6. 次に、右膝を曲げます。右脚を外旋させて左脚の内側まで踵を引きます。右足の親指を右手の親指と人差し指で掴みます。右肩を回し下ろしましょう(親指がつかめない、肩が開かない場合はストラップを使います)。

  7. 息を吐きながら、指を掴んだまま右脚を伸ばします。右腕の上端を肩関節に向かって引き寄せ、右肩甲骨を下げます。脚は前方に右臀部は後方に向くはずです。仙骨を引き寄せて、右の坐骨を左踵に向かって伸ばしましょ
    う。

  8. 舌をやわらげます。全ての力を抜きます。体全体を呼吸で下ろします。呼吸を背骨に沿って、ゆっくりと心地よい、蛇のような動きで波立たせます。呼吸が背骨を支えて地面が体を支えているのを感じます。目の力を和らげて、コブラの頭の基部である頭骨の底へと脳を休ませます。表面で起こっている事柄は流して、アナンタと共に、深く、根源的で、無限で不変の状態になりましょう。


  9. 無限の700年が終わったら、長くゆっくりと息を吐きます。少しシューッと音が出るかもしれません。体を回して座位にもどり、とぐろを調整して、反対側でも繰り返します。そうでシューッ。



ヨガスートラの2.47でパタンジャリはこう書いています。「無理な努力をやめ、心を無限(アナンタ)集中することでアーサナは完全なものになる」さて、これをあなたの練習に取り入れたらどんな感じがするでしょうか?

2026年3月6日金曜日

悟りを得たエゴ 
The Enlightened Ego


私たちの奥底には、ミステリアスで力強い意識の道具である「精神」が潜んでいます。精神の主な機能には、マナス、ブッディ、チッタ、アハムカラの4つがあると言われます。今回は最後の機能、アハムカラ、すなわち個人としての自分、エゴについて深く見ていきましょう。まずは、自己認識、自我とは何を指すのか、それが瞑想でどのように変わるのかを詳しく見
ていきます。



真我とは誰なのか?


自分自身のことを表す時、わたしたちは「私、自分」という言葉を使います。この言葉にはたくさんの役割があります。自己認識感覚や、他人と区別する印をつける、周りの世界に自分自身を広げる際の所有物を示す(「これは私の自動車です」)などです。いつの瞬間にも精神からもたらされる自分という馴染みのある感覚は、サンスクリット語でアハムカラと言います。これは「アハム(自分)」と「カラ(作り手、行為者)」の2つの言葉から成っています。アハムカラとしての心は、「自分」の作り手です。全ての行動で、「私は行為者だ」「これらの行動は私のもの」と宣言しています。このように、「私、自分」という言葉を使う時、精神そのものの中で作られた自己を意味します。あなたの「私、自分」は特定の体、特定の個性、特定の思考パターン、特定の人生の独自性なのです。


わたしたちが、自分の独自性を詳しく調べることはほとんどありません。ただ役割(親、先生、テニスプレーヤーなど)や、特質(魅力的、率直など)を演じているだけです。このように、「自分とは何?」と正直に自問した時、好奇心が湧いてより質問がでてくるでしょう。「自分で認識していない自分の他の面があるだろうか?自分で思っているような自分なのだろうか?」


人の自己認識は、そう見えている以下でもあり以上であるという認識は、ヨガ哲学の中心にある矛盾です。自我の性質について言及している数多くの聖典のひとつであるバガヴァット・ギータ(6.6)の一節を考えてみましょう。「真我(Self)とは、その自我(self)こそがその真我(Self)によって克服された自我(self)の友である(心を克服した人にとって、心は最良のともである((田中嫺玉氏の訳))」


翻訳者らは、個人的な自我(self)は小文字で、そして超越した真実を表す真我(Self)を大文字で表すことで「自己(self、アートマン)」という言葉の曖昧さを読み解こうとしてきました。より下位の面では、私たちは制限された自我にしがみついていて、エゴやエゴが認識する物を掴んで離しません。しかし、誰もがまた見えている以上に永続的な何かの現れでもあるのです。海面の波がその下の大きな水の広がりの一部でしかないように、私たちもまた純粋な意識、Self、真我の一部なのです。



アイデンティティの性質


二元性を唱えるインド古典哲学であるサンキャの伝統によれば、人のアイデンティティとは集合体です。意識のある真我(体験の対象、知る者、プルシャ)、無意識の心身(意識の道具、体験の対象、プラクリティ)から成っています。あなたには体がありますが、体はあなたの全てではありません。あなたは考えますが、あなたの思考もまらあなたの全てではありません。私たち全ての中に内なる純粋な目撃者、知る者、意識が存在します。


心はピカピカに磨いた鏡のようで、意識の光を受け止めて、最も奥にある表面にその光を反射し、意識そのものの姿を真似ます。聖ヴィヤサによれば、それらが近しいものであるために、私たちは思考を「意識と同じ」だと認識します。


このプロセスは「私というもの」という意味のサンスクリット語、アシュミタと呼ばれ、真の気づきにとても似ています。この言葉はアイデンティティの誤った感覚、誤解を意味します。意識は、一旦、心に反射されればそれが純粋ではないことがわからないため誤解してしまうのです。そうでなければ制限のない、至福かつ永遠であるものによって、アシュミタの混乱を通して心は意識そのものに見えます。そして、アハムカラによって、心が「私」という制限された感覚を私たちに与えるのです。自身を深く知らない限り、アハムカラによって心の中に作られた有限のアイデンティティに執着することになります。


残念ながら、これには大きな痛みがあります。時間が経つにつれ、体を自分自身だと感じていることからくる不快な現実、すなわち当てにならない健康、常に忍び寄る老化のプロセス、確実に訪れる死に対処する方法を学ばなければなりません。


人生には、誤った自己認識からくる苦痛以外の選択肢はあるのでしょうか?その答えは、ヨガの中心にあります。深く染み込んだ誤った認識パターンにも関わらず、人生には知るべきものがまだあるのだと何かが囁きます。それが瞑想です。



瞑想の中の真我


聖人らによれば、瞑想は自己認識の誤りを徐々に取り除き、深い真の自己を露わにします。そのためには、エゴを浄化するプロセスが必要となります。


聖典では、瞑想中のアハムカラを浄化するために、補完し合う2つの方法を薦めています。まずは、「私は単なる身体ではない」「私は世俗的な欲望のみによって支配されているわけではない」などの言葉を熟考することで、制限された自己への執着を緩めます。次に、心をマントラに集中することで、心を無限の存在へと落ち着かせます。


バガヴァットギータ(6.25)では、

「十分な確信をもって一歩また一歩と
 知性に導かれてサマーディの峯に登れ
 そして心をただ一つ真我に固定し
 ほかの一切を思うな 考えるな」  (田中嫺玉「神の詩」より)


ヨガ・ヴァシシュタ(5.59)にも同様に、


「理解しやすいもの、物体を放棄せよ
 そこに残るのは純粋な意識であり、すべての疑念は去る
 我は無限の真我 この真我に限界はないからである
 すべての美であり、すべての光である」



この2つの方法の実践を通し、瞑想によって拡大した自身へと導かれます。徐々に、思い込んでいた限りあるアイデンティティの中に「私」は永遠の幸福を見つけられるという概念が薄れていき、純粋意識の存在の中に全面的な信頼とともに留まれるようになります。


しかし、聖典に書かれているからといって恐怖はまだ残るかもしれません。「瞑想で本当にリラックスしたら何が起こるのだろう?『私』が消える?今の自分を失うのだろうか?」と思うかもしれません。


実際のところ、私たちの真のアイデンティティは単に失われることはないと瞑想が気づかせてくれます。意識は、気づきの平穏な主体であり、束の間の物質ではありません。瞑想では、自己は真我の完全性を感じます。障害や誤ったアイデンティティは徐々に消えていき、全体性を取り戻します。喪失ではなく、自己を満たすのです。


このように、瞑想の本質は自己の拡大です。バガヴァットが言うところの「真我の無限の幸せ」を選択し、制限された自己の狭い境界を徐々に超越していくプロセスなのです。瞑想することは、深く喜びに満ちたその本質に留まることです。下位の心であるマナスは集中し、ブッディは内なる観察者として目覚め、前回の瞑想で得たチッタの印象が精神の支えとして現れ、そしてアハムカラによって作られた自己は徐々に真我という上位の感覚へとリラックスしていきます。これが瞑想の本質であり、自身の存在に落ち着くための心の調整なのです。