2020年8月31日月曜日

身体と精神と魂の健康のための食事 
Food for Health of Body, Mind and Soul

The Wisdom of Paramhansa Yogananda からの抜粋です。

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食事に対する正しい心構え


私たちは、外界のものに対する非執着と私たち自身の実在への賢明な配慮との間にうまくバランスをとる必要がある。肉体への意識に集中している限り、人は自らの肉体を丁寧に扱うであろう。肉体への理にかなった配慮をすることはまた、精神的にも重要である。正しい食事、正しい運動、新鮮な空気、陽の光。これらは、均整の取れた暮らしのために不可欠である。

あなたの信仰は神に向けよう、食べ物ではなく。流行に敏感な人たちには、食事の理論に過度に依存し体を弱めているだけの人が多い。「ああ!」と彼らは嘆く。「今日はアボカドを食べてない、背骨が弱まった気がする!」そうした二次的な問題への没頭こそが、意志の力を弱めてしまう。暮らしへのそうした心構えこそが、骨抜きになってしまう!そんな表面的な懸念というのは、シロアリが基礎を食べ尽くそうとしているときに漆喰の壁のひび割れを埋めようとしているのと同じだ。



自然食の価値


生命力(プラナ)の活性が人の健康が健康の源だと言うのなら、なぜ食べ物はそんなに重要なのか?私たちが食べる食べ物も含めて、全ての細胞は潜在的な知性を持っており、私たちの精神や脳細胞に影響を与える。生の果物や野菜、ナッツなどの自然の食べ物は、精神に調和の取れた力を与えてくれ、身体中に生命力を滞りなく流してくれる。

死んだ動物の痛みや恐怖、怒りの振動を含んだ肉や、変性した食べ物は、精神の均衡を刺激して妨げ、それが身体のあらゆる場所を癒す生命力を監督するという生まれ持って得た力を奪う。食べ物そのものに癒しの力はないが、自然食は精神を鎮静化させ生命力を停滞することなく流すことができるので、間接的に健康を作り出すことができる。



引き寄せの力と正しい食事


引き寄せの力を得るには、身体に毒素を溜めないことだ。身体が毒素で満たされていると、エネルギーは多少であっても閉じ込められる。そうした毒素をきれいにしてみよう。内側が浄化されると、エネルギー全てが目や顔、身体を通して見えてくる。食事には注意しなければならない。生の食べ物は引き寄せの力を作り出す。ココナツはたくさんの引き寄せ力を作る。ビーツ、ほうれん草、レタスなどは生命力に満ちていて、あなたに魅力を与えてくれる。


肉を多く摂りすぎると、動物の力があなたの精神的な魅力を変化させてしまい、あなたの魅力はなくなってしまう。肉は肉体的な面へと集中させるため、精神的ではなく肉体的な友を引き寄せる。肉はまた、性的欲求を過度に刺激する。少しの肉は問題ないが、毎日食べる習慣があるのなら、引き寄せの力は壊されるだろう。肉の代わりに、ナッツなど代替品をより多く取り入れるようにしよう。


過度のデンプンやタンパク質を含む食べ物は身体に毒素を溜める。果物や野菜を多くとれば、あなたの魅力が作られる。果物は野菜よりも効果的だ。陽の光と生命力にあふれている。食べ過ぎはダメだ。断食は胃を休ませるので、とても良い。あなたが食べる食べ物の種類によって、あなたの目や身体は魅力をもつことになる。



信念と食事法


神の癒しの力を信じ切ってその食事法に「服従」する方が、神と意志の力を信じ食事法を「無視」するよりも良い。



食事と性質


食事は私たちの心の状態に良くも悪くも影響を与え、心の状態に影響を与えるものは私たちの性質にも影響を及ぼす。正しい脳、そして身体を作るため正しい食事が必要だ。どんな食べ物も心に影響を与える。

人間の身体というのは、車や蒸気エンジンのようではない。エンジンの効率は燃料の供給に大きく依存しているが、同様に人の身体も食べるものに大きく依存する。食べ物というのは、そのように人格や能力、習慣などに大きな関係性がある。

身体だけではなく、精神的に霊的にも食べ物が及ぼす影響を知っておいて欲しい。精神的性質は以下の三つだ。

  • サトヴィック ー 道徳や霊的な性質を育む
  • ラジャシック ー 活動的、世俗的な性質を育む
  • タマシック ー 暗く鈍くなる性質を増やす
サトヴィックな食べ物は、果物や野菜、全粒の穀物や豆類、新鮮な乳製品、ココナツミルク、ピーナツやアーモンドのペースト、ナッツ類など。これらの食物は穏やかさと高潔さを作り出す。

ラジャシックな食べ物は、活動的で世俗的、力強く、感情的な性質を作り出す。玉ねぎ、ニンニク、卵、西洋ワサビ、南瓜、じゃがいも、漬物、スパイス、そして魚や鶏肉ラム肉などを含む。

タマシックな食べ物は、暗く、破壊的な性質を持つ。匂いの強い物、腐敗した物、人工的に作られたもの(自然の質を奪われたもの)はタマシックだ。例えば、ロックフォールチーズ、冷凍食品、酒、牛肉、豚肉などである。これらは、自惚れや嫉妬、貪欲、復讐心などを作り出す。



空腹感を指針とする


1日に三回食事を取るという習慣は危険である。食事のベルが鳴るたび食べることで多くの人は早死にしている。空腹感がなければ、そんな不吉はベルは無視しよう。毎日同じ時間に食べることは、身体の細胞が食事の準備をし消化液を分泌するのに役立つ。知的な細胞は、動物園の腹を空かせた動物のように、食事の時間を待つものだ。

しかし、空腹でなければ食べてはならない。空腹なら、適度に食べる。あまり空腹でないなら、少なめに。全く空腹でないなら何も食べないこと。少し空腹で食べようとしているならその食事は飛ばそう。次の食事の空腹感が増すだろう。意志の力で、毎日3回の食事をする誘惑に抵抗しよう。三回の食事は常に細胞や、心臓や神経、胃など体全体を常に働かせ続けることになる。朝食、昼食、夕食を抜くことで、しばし身体を休ませよう。とても激しく働いてとても空腹なら三度軽い食事をしても良いが、肉体労働をたくさんしないのなら1日2回が妥当である。



肉食と菜食主義


肉食と菜食主義の問題は、複雑で物議を醸し出す物である。以下は、現代社会のニーズにしたがって発言するものだ(1935年現在)。全ての人にとっていつの時もどちらがよいというのは言えないと私は考えている。

私たちの良心と人間の感受性というのは、野菜を殺して果物の皮を剥ぐより、動物を殺す方が刺激が強い。もし自分で殺さなければならないなら牛肉は食べないという者がほとんどだが、人参の頭をちょん切ることをためらう菜食主義者はいない。動物の血を流し痛みを与えることが示すのは、動物たちは進化というスケールで人間に近づいているということだ。

肉は濃縮された食べ物で力がつくが、便秘の元となり身体の毒素を抱えて、病気の原因となる。野菜や果物は、自然の下剤効果を持ち健康を保ち病気をなくす。野菜は、我慢強くたべなければならず肉のようには濃縮されていない。正しく食べなければ野菜は強さを作り出せない。

アメリカ人は、肉、牛乳、ナッツなど様々なタンパク質を過剰摂取による肥満に悩まされている。アメリカ人は菜食主義になるべきだ。

肉食の民族は大抵の場合政治的に自由だ。菜食主義のインドには、外国の絶え間ない侵攻を追い払うための強さがない。ヒンズー教徒には食べるタンパク質がほとんどなく、その狂信からデンプン質の多い食事を好む。そのために若くして痩せて死ぬ。インドでは、動物の方が人よりも長生きするのだ。

一時的方法として、現代のインドは、十分なミルクや肉の代替品が入手できるまで羊やヤギ、トリを食べる必要がある。他の肉と比べて、その栄養素において羊肉が人の身体に最もよいことがわかっている。


人の命は他の動物の生命よりも大切だ。人が生きるために肉を食べなければならないのか、または動物が生きるために人が死なななければならないのかを選択しなければならないとしたら、私は動物を消費して人が生きるべきだと答えるだろう。

肉食の人も菜食主義の人もどちらも健康に長生きできることがわかっている。イエスキリストもブッダも聖フランシスも肉を食べた。シャンカラやチャイタニャなどインドのキリストのような偉大な聖者らは肉を食べなかった。聖ペテロは、動物のビジョンを見て、殺して食べてくれと言われた。「汝、殺すなかれ」というのは人に対してだけであって動物に対してではない。モーゼもイエスも肉を食べたし、モーゼは十戒を授かった。

魚には血液があり神経もあるが、殺される時に音を発するものはほとんどいない。哺乳類ではより複雑なかたちに生命が進化しており、魚とは異なる。牛や豚は、高度に発達した神経を持っていて大きな痛みを感じることができ、殺されそうになると大きな声で抗う。こうした動物は、自己保存の愛や痛みを与えられるという不当な仕打ちを理解する進化した意識を持っており、だからこそ彼らは殺すべきではない。羊は牛や豚よりも抗い方が弱い。

野菜や魚、おとなしい動物たちは、自然界から意図してあまり発達していない神経を授かっており、大きな痛みを感じたり痛みの間抵抗することがないように見受けられる。これは、より低い生命がより高度な生命のために犠牲になるよう作られている理由なのかもしれない。









2020年8月21日金曜日

陰ヨガの芸術:創始者ポウリー・ジンクのインタビュー Vol.2
The Art of Yin Yoga: An Interview With Its Founder, Paulie Zink


このアプローチによって生徒が受けた恩恵とはどのようでしょうか?


このおかげで、彼らは自身の潜在能力を開き素晴らしく成長し流れることができました。自身のより深い気付きを養い、先入観から解放することで練習の中により自由をもたらすことができました。また多くの生徒が慢性のけがや閉塞を改善治療するのを見てきました。



ヨガが純粋な芸術なら、誰でもがポーズを作って「ヨガ」と呼んでいいのでしょうか?


はい、できます。ヨガポーズの多くは、私たちが自然のそばで野生状態で暮らしている時の原始的な身体の動かし方からきています。鍛錬としてのヨガの全ては、誰かがどこかで作ったものです。彼らの身体に合うように、また故意に動きや柔軟性を高めるように作ったものです。



あなたのワークショップに初めて参加する時に、生徒が持つ陰ヨガに対するよくある誤解や期待は何でしょう?


彼らは自分に限界があると信じているので、今の能力を超えて成長することはできません。自分の身体は遺伝子によって限定されていると信じています。ただそこに座ってリラックスし、とても簡単で単純なポーズをするのだと思っています。ストップウォッチで時間を測って全てのポーズを同じ長さでするものだと思っています。陰ヨガは優しく、動かず、睡眠時間的なヨガだと考えています。そして重要視されるのは結合組織だと。しかし私が教えようとしている陰ヨガはこのどれでもありません。多くの人は陰ヨガをリストラティブな練習として教えていますが、それが必要な人にはそれで良いでしょう。しかし、健康な生徒たちにただ簡単で優しいだけのヨガを教えているなら、彼らが必要とする身体の強さや引き締めなどを提供していません。そして自然に動き最適な健康を得るには強さと弾力が必要なのです。


私は、身体というのは機械のように部品の集まりではないと考えています。全体的なものです。それぞれが有機体であり、機械ではないのです。身体のなかでどこかが他と離れているという部分や領域はひとつも存在しません。ですから、私にとっては、陰ヨガをしている時に結合組織や経絡でさえも考えることは適切ではありません。このヨガは感じるものであり、考えるものではありません。何を体験しているのか、どのように成長したいのかをイメージすることに精神を集中することがより効果的なのです。


みんなにまとまったひとつの人間になって欲しいのです。身体、精神、心、の中でひとつとなり、周りの全てとの繋がりを感じて欲しいのです。あなたのある部分が他から離れていると考えて、バラバラになって欲しくないのです。柔軟性を高めると、身体の全ての要素が影響を受けます。筋肉、腱、靭帯、静脈、動脈、骨、内臓、血流、そしてエネルギーの流れ全てです。あなたが生きている限り、新しい細胞が作られます。骨もあなたの身体の中で生きています。ですから、骨でさえ成長し形も変わり、密度も増えます。









陰ヨガはどのようにハタヨガと異なるのでしょうか?


ハタヨガで異なる一点は、背骨にそって上下に動くプラナ(気)に注目していることです。伝統的な道教では、気の流れが異なります。生命エネルギーは背骨とチャクラを通って上下に送られます。そして手足と頭へと流れます。これは「5方向に動く気」と呼ばれます。気は中心で作られ身体中を動き、動物が行っているようにそして身体の外までエネルギー場が広がります。動物は全身を気のために使います。動物はエネルギーが背骨の上下だけに限定されているとは考えていません。動物は考えません、感じます。ですから、このようなヨガでは考えないで感じるのです。


猿は、背骨の柱を持って「正しく」動こうとはしません。試してみて私には機能しなかったので、私は理論を信じないのです。理論を手放した時に、本当に理解し始めました。本当の先生である動物園の猿から学んで理解したのです。以前は動物園に毎月出かけて猿たちと1日を過ごしました。ピーナッツを与え、時には彼らの手を握り続けたりしました。


時々、彼らの前腕を持って筋肉を感じたり、目を見つめたりしました。大きな雄のマンドリルが私をじっと見て、私もじっと見返しました。私の精神を彼らの精神に融合したのです。そうすることで何が真実なのかを教わりました。


彼らから本当の方法を教わったとたん、伝統的な理論は私の目的にはかなわないと気づいたのです。経絡の理論もそうでした。知っていても構いませんが、知る必要もありません。経絡の位置を考えることよりも身体全体で動くエネルギーを感じる方がより有益です。




あなたは陰ヨガは「完全な芸術」だと言われます。それはどういう意味でしょうか?何が陰ヨガを完全な芸術にしているのでしょう?


私たちの存在の様々な局面を教えてくれるからです。あなたの本質に合った食事、運動、世の中での生き方を教えてくれます。強さ、柔軟性、バランス、動き、そして機敏さを教えてくれます。微細なエネルギーを育み、身体全体そして身体の外へと流し、エネルギー場を広げることを教えてくれます。陽気さ、原始的な力を感じ、邪魔をする自意識を手放すことを教えます。静寂、そして静寂から動きへ。あなたの中の陰陽をどのように調和するのか。概念を捨て、子供のように元気いっぱいになる方法。猿のように自然に動く方法を教えてくれるのです。


それを学びたい人には、霊的哲学もそこにあります。中国の道教哲学からきていて、地球を敬い女性を基本とします。私たちの存在の源に帰り、偉大なる母である地球とそこにある全生命との相互関係に気付くことで私たちの全体性を思い出すことです。道教の道は「みち」であり、自然の道なのです。


そして自然界では、生命は女性から生まれます。


存在は虚空から現れます。それは不思議な偉大なる創造の力であり、私たちがみな相互的に関係しており依存しているものを通して無数のものを産むのです。


この繋がり、それが生きて私たちの中を流れているのを感じ、生命との完全性を感じるのです。


私たちひとりひとり全てが、永遠で無限の聖なる創造の力を表現する唯一無二の芸術であるということを感じることができるのです。

2020年8月19日水曜日

陰ヨガの芸術:創始者ポウリー・ジンクのインタビュー Vol.1
The Art of Yin Yoga: An Interview With Its Founder, Paulie Zink

今回は陰ヨガの創始者のインタビューです。彼の言葉には、陰ヨガに限らずヨガをしている人全てが気付くべき深い真実が含まれています。

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「陰ヨガ」といえば何が頭に浮かびますか?あなたはおそらく、生徒たちが受け身の長く深いストレッチに耐えている間、ヨガの先生が教室の前の方で静かに座っている光景を思い浮かべるでしょう。これが私たちの多くが知っていて、そしておそらく定期的に練習している陰ヨガでしょう。


しかし、ますます人気のこのヨガの創設者ポウリー・ジンクは、陰ヨガを全く異なる形で40年間教えてきました。ジンクの教えの背景にあるヴィジョンとこの芸術的な練習の総体的効果を探りましょう。彼の陰スタイルが他とどう違うのかを知れば、陰ヨガが全く異なったものに見えるようになるでしょう。



あなたの陰ヨガの定義は?


陰ヨガは、中国の古代シャーマンの伝統、そして他とひとつであり自身の本質との調和にあるという中国の道教哲学に起源しています。陰ヨガのポーズは、動物の特徴、そして私たちの周りと私たちという宇宙の生命力を作り上げている五行に基づいています。気やプラナとして知られる生命力は微細ですが、自然界に影響力を与えるほどとても力強いエネルギーです。陰と陽、女性と男性、宇宙の満ち引きの脈動なのです。


(中国伝統医学では)五行とは「地」「金」「水」「木」「火」です。これらの全てのエネルギーが、安定や堅牢、流動、弾性、明度などの異なった質を表します。陰ヨガは、身体と心を目覚めさせ、行っているポーズのエネルギーとなることです。ポーズを深め、ポーズの五行を活性させることで柔軟性が高まります。


例えば、毎日数分間カエルのポーズをしたとすれば、ついにはポーズが深まりとても弾力のある質を持つカエルの本質あるいは魂となります。陰ヨガの目的は、生物や五行のエネルギーを取り込むことでポーズの本質を備えるようになることです。


陰ヨガの目的は、流れるように動くという私たちの生まれ持った能力を取り戻すことです。
これが、身体中の気の流れを養います。私にとって最も重要なのは、安定したポーズができるようになることではなく、それよりもポーズの本質を掴み取ることです。もし動物や五行のポーズをしていてそのポーズのエネルギーを取り込んでいなければ、生命のない死んだポーズとなるでしょう。しかし、ポーズの五行や動物のエネルギー質とともに流れることができれば、そのポーズを理解したということです。


楽譜に例えてみましょう。ある一音だけを弾き、そして次の音を弾き、それが歌の一部とならなければその楽譜は良い物と言えるでしょうか?ポーズそのものは練習の中では全く重要ではありません。最も大切なのは、ポーズの移行と流れをもたらす魂を、メロディを奏でることです。これが、動物のように自然に本能的に動くことがポーズの意味なのです。私たちは動物だからです。




あなたが最初に道教的なヨガを学び始めた頃から、陰ヨガはどのように発展してきたのでしょう?


私はハタヨガを14才で始めました。道教の先生に出会った時にはハタヨガを練習して9年が経っていました。先生は、導引と呼ばれる古代中国の医術や他の気功を教えてくれました。いくつかの動物や各元素のためのポーズ1、2種を学びました。そして、自発的に動物園などに出かけて動物を観察し、他の動物たちについてやかれらの動きについて学び始めたのです。そうして先生から教わったポーズを練り上げていくつかのバリエーションを作りました。また、より多くのポーズやバリエーション、フローや動き、瞑想、エネルギーの理解を深めていきました。


ある動物が動いているのを見るとその動物のエネルギーを体現したくなり、よく見て私の精神とを融合させ、私の身体の中でそのエネルギーを感じることで一体になるのです。こうすることで、何かを象徴的に示すものというより生きている物を基にしたポーズをつくることができるのです。それは、自然や私たちのまわりの動物たちを鋭く観察することと、彼らと意識をエネルギー的に結合することで一体となることです。


私たちは実際に他のものとは切り離せないものであり、だからこそ、この世界のあなたの周りにある何かを体現したければそれは可能なのです。私の先生はこれを教えてはくれませんでいた。自分で見つけたのです。私自身の芸術だと言えるでしょう。不思議な力については先生はあまり教えてくれませんでしたが、私が学んだことのほとんどは自分自身の内なる経験によるものです。



西洋では多くの場合、ヨガは精密な科学として解剖学などに重点を置いて教えられています。あなたは陰ヨガは正確な科学というよりは芸術だと表現しています。これについて詳しく説明していただけますか?


私は解剖学は教えません。ヨガを練習している体験を感じることに完全に集中するよう教えています。生まれ持った能力のまだ使われていない可能性を開くことを教えています。私は理論と練習は別のものだとわかりました。本の理論は実際には機能しません。なぜなら理論とは分析的な心から出た複雑な思考プロセスの塊だからです。


野生の動物は理論など使いません。彼らはそんなことに興味を示さないのです。ただ本当の本質であるだけ。身体をどのように使っているのかという分析も現実というあいまいな概念もなく感じたり行動したりします。だから、ヨガを練習しながら解剖学や理論を考えるなら、その流れを感じることなどできません。今何をしているか完全に集中し感じることなく、考えることに心が忙しいからです。


動物たちは流れるような動きの本当の達人であり、行動に理論を使ったり考えたりはしません。しかし私たちも動物、霊長類ですから、彼らのようにできるはずです。でも私たちの心は、どうするべきかを判断したり様々な考えに邪魔され気が散ってしまうのです。もし私のヨガの練習の中で、本や講義から学んだ伝統的なヨガの理論や魔法の力を使おうしていたら、それは芸術ではなく頭脳の公式になるでしょう。


例をあげて教えるのが本来の方法でしょう。私がポーズを見せながらそのエネルギーを体現すれば、どのようにできるのかどう感じるのかがわかります。しかし、その方法を講義を聞いて誰かの解釈を聞いても、あなた自身の本当の方法で行うことはできません。やっているところを見る方が、それについて聞くよりもずっと効果的です。


自然界の動物のように動こうと思うなら、何かの体系の法則や理論に沿ってもできません。他の霊長類たちは科学的理論など考えません。しかし彼らは流れと動きの達人です。どんな理論も必要ないと彼らが証明しています。限界や概念に沿うことを教える理論は、あなたの邪魔になりかねません。ヨガとは何か、何がヨガでないかという誰かの考えに賛同するのは、ポーズの中で成長し動きと流れを行うことを妨げます。というのも、あなたは限られた信念体系の虜になっているからです。そして、知性に集中することは、直接体験を感じるという直接性を遠ざけることになります。


西洋の科学モデルは、私たちの文化の中で広く受け入れられているパラダイムです。西洋の科学や分析に公認されない限り、どんな分野や修養も正しくはないというイデオロギーに私たちは閉じ込められています。ヨガが西洋社会に取り入れられてから、私はそれをずっと見てきました。しかしヨガは、西洋科学を全く学んだことのない他の文化の中で多くの師たちに何世紀にもわたって非常に素晴らしく実践されてきています。しかしながら、ヨガは今では、ヨガについての哲学や理論、科学的解釈など様々な研究に人々が関わっているという意味で、学問的に組織化されています。ですから指導者養成は、講義や本でより多く行われ、ヨガの実践や技術の開発方法などは少なくなりがちです。昔は、多くの真のヨガ・マスターたちが心頭しただ実践していました。


実践するということが最も重要なことです。生徒たちの健康や幸福は、誰かが話すのを聞くことよりも、ヨガの練習に時間を使い、呼吸や感覚に注意を向けることでより多くの効果が得られるのです。




ヨガの実践者が科学としてではなく芸術としてアプローチすると何が違うのでしょう?


個々人には個性がありそれが陰ヨガを練習すると心を通して現れるので、陰ヨガは科学でななく芸術なのです。つまり、自己表現の唯一性です。あなたがある動物のポーズしても他の人のポーズとは同じではありません。しかし、その時のあなたの状態はあなたにとって本当なのです。


もしヨガを科学として捉えたなら、揺るぎなく変化のない機械的な枠組みの中に封じ込めることになります。芸術の自然にわき起こる創造的表現は生きています。しかし、何度も何度もただ先生のやることを繰り返して真似をするなら、あなたはただ誰かの方法のレプリカを作り上げているだけです。私は生徒たちに私を真似して欲しくはありません。自身の内にある芸術的表現と動きとともに流れる能力を発見して欲しいのです、私と異なる方法で。このように、ヨガとは常に進化し続ける生きた芸術なのです。


科学とは、客観的観察が基本です。知的な構造物です。しかし芸術は、生命のように主観的です。私たちの、感じたり受け止めている「生きている」という体験は有機的で直感的です。


私たちは有機体であり機械ではありません。変化し適応する能力が重要なのです。


私たちは、形が変わる容器に注がれる水のように、生きていて全体的でそこに存在しなければなりません。水のように身体や意識の中で流れれば、周囲の環境により簡単に適応できます。もっとしなやかに力強く優雅に動くことができます。自然界の高まった気付きを感じ、自身の中、身体の中でより安らげるでしょう。


多くの人は、自分は類人猿ではないと考えています。私たちが何なのかという生まれ持った基本的な側面への気付きを忘れています。このような芸術を練習すれば、それぞれの内にある原始的な自分を解き放ち、その生命力と陽気さを表現する助けになります。そしてそれが起こった時、自分が霊長類なのだとわかり、そして霊長類として理論や組織的に規定された方法は必要ないと気付くのです。


それは、ライブ音楽を聞くことと録音を聞くことの違いに似ています。録音はいつも同じです。しかしプロ音楽家のライブを聞きに行けば全く同じ演奏は二度とありません。そこには革新と自発性、感情やテンポの揺れがあります。それこそが私が教えてきたことです。同じクラスやワークショップは二度とはやりません。公式や前もって書かれたセリフでは教えません。また、自身の練習も全く同じ方法ではしません。どんな規制にも従わないのです。いつも異なるのは、一瞬一瞬がいつも新しいものだからです。



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次回に続きます。



(出典)https://yogainternational.com/article/view/the-art-of-yin-yoga

2020年8月8日土曜日

ヨガが認知症患者にできること Vol.2
How Yoga can Help People with Dementia

前回からの続きです。

編集注記:以下はヨガ実践者と指導者に向けた一般的な助言を目的としています。医療従事者による個々の助言の代替にはなりません。指導者は自らの実践の範囲に止まるようにしてください(生徒の診断や治療、医療的助言を行おうとしない)。
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お勧めの練習法



アサナ


目的: 柔軟性や筋力、バランスの強化や維持

効果: 転倒や怪我の防止

コツ: 掌やお腹、胸などのアンカー・ポイントに注意を向けることによる身体への気付きをより感じてもらいましょう。

可能な練習:

1. センタリングの選択:クラスの始めに、目を閉じるか鼻先を見下ろすように提案する。心地よい目的を設定するか、愛する人にその練習を捧げるように促す。

2. 運動: 関節のウォームアップと背骨の全方向への動きを勧める。呼吸に合わせた単純な動きに集中する。

3. ツイストの選択: 肩越しに見るなど優しいツイストを促す。こうした練習は迷走神経を整えられるので、副交感神経反応を強化する。

4. バランスの選択: 壁や椅子を掴んで片足を持ち上げるなど簡単なバランス・ポーズを提案する。できることから始めそこから徐々に築きあげる。

5. 脳の両半球間の伝達を刺激するため左右に交差する動きを促す:反対の手で反対の肩を軽く叩く、片手ずつ風船を叩く、身体の部分を動かすダンス(hokey pokey)をするなど:このダンスでは動きの指示(例「右脚を内に」)の時に左右交差させるようにし、参加者の右腕や右脚を身体の反対側へ交差させるよう誘導する。この練習はふざけて楽しく行えるようにする。

6. 前屈で終了:神経系を鎮静するため、パスチモッターナサナ(座位の前屈)のような優しい前屈でクラスを終える。個人の能力に合わせる。例えば、車椅子の場合は腕をテーブルの上にのせる、転倒リスクのある時は同様にテーブルの前に座って前屈させる。



プラナヤマ


目的: 副交感神経反応を活性

効果: 神経のバランスを整えることで睡眠や気分の調整機能が向上

コツ: 呼吸の練習は混乱するので、ポーズの方が全てのレベルの人に合わせやすいと気付きました。このため、プラナヤマの練習には認知症のステージを考慮することが重要です。

可能な練習:

初ー中期:長い呼気(吸気の約2倍の長さ)でブラマリ呼吸(花蜂の呼吸)をし、副交感神経の調整を促す。

末期:ため息を促す。ため息は横隔神経を活性化し、身体を弛緩させ過覚醒を減らす効果が持続。手本を示して真似してもらう。





瞑想


目的: 心を落ち着かせ集中する

効果: 落ち着き、集中力、明晰な精神を促進

コツ: 生徒の生活と興味を知れば知るほど、より効果的な誘導瞑想になる。生徒のことをできるだけ多く知り、その発見をクラスに取り入れましょう。

可能な練習:

リラックスできる快適な姿勢を見つけるよう促す。横たわっても良いし、両足を床につけて椅子にまっすぐ座っても良い。簡単な身体スキャンか呼吸へ意識を向ける練習から始める。心象の誘導はこの世代に効果的で、好きな場所の記憶を思い出すのを手助けできる。



私は時折、このタイプの誘導練習を私のヨガのかつての生徒としたことを思い出します。アルツハイマー病の末期にあったトムという名の才能ある人でした。トムは、長期療養施設に居てスタッフのみんなにとても愛されていました。彼は死の過程にありかなりの痛みを感じていました。毎日同じ時間になると、彼はますます混乱して助けを求めて叫びました。彼の家族から彼が熱心な船乗りだったと聞いていたので、私は彼の横に座って海のことを話しました。目を閉じるように言い、波の音、船やかもめの姿、温かい海風を思い出すよう誘導しました。彼がついてこれる程に簡単なヨガニードラの練習を用意すると、すぐに彼は静かに休んだものです。心象、身体感覚、そして穏やかで愛情のある存在の力というのは共有できる贈り物でした。



チャンティング


目的: 内なる教えと触れ合う

効果: 鎮静効果、人と一緒にする時は一体感を作る

コツ: マントラを選ぶ際には、患者の文化的背景や人生経験を考慮しましょう。

練習: マントラの繰り返し

初ー中期:アルツハイマー研究および防止財団によるキルタン・クリヤ

末期:「ソーハム(私はそうである)」のマントラか、「私は愛である」などの肯定の言葉を聞こえるように大きく繰り返す。



リラクゼーション(誘導のあるリラクゼーションとヨガニードラを含む)


目的: 喜びや至福の状態への促進

効果: 神経のバランスを促し、人生の困難に平和的に反応し肯定的な感情を育むことができる

コツ: 環境を考慮する。例えば、高齢者介護施設では、大抵の場合騒がしく音レベルの調整はほぼ不可能だと理解する。加えて、補聴器は背景の雑音を増幅させる場合がある。意識を内側に向けるか、ひとつの音に集中するよう促す。重みのあるブランケットなどの補助具が、身体を落ち着かせたり、不安を抑えるのに役立つかも知れない。薄暗くしたり明かりを落とすこともリラクゼーションの助けとなる。

練習: 緩和したヨガニードラ

安定した声でゆっくり話し、生徒たちが確実に理解できるようにする。もし理解できなくても、優しい声で話せばリラクゼーションの過程をサポートできる。




最後に


認知症に悩む人々のために生活の質を最適にし意味のある体験を提供するケアの方法を見つけることは極めて重要です。ヨガは、喜び、成功、一貫性、安心と休息の瞬間を提供することでこれを促すことができます。信頼と安心感を重要視する安全な環境と遊びの機会を提供しながらストレスを最小限にすることができます。最も重要なのは、ヨガは誰に対しても、変わることのない私達の一部である内に秘めた自分自身を発見するのを助けてくれます。それでは、Memory Bridge というドキュメンタリーから私の好きな言葉を引用して終わりにしましょう。


「認知症に悩む人たちはまだここに居て、アルツハイマー病と認知症によるダメージを越えた記憶と存在の深みで、まだ手の届くところに居るのです。私たちは聞くことを学んでおり、学ぶために聞いています。彼らにはまだ愛すること愛されることができるのです」

2020年8月5日水曜日

ヨガが認知症患者にできること Vol.1 
How Yoga Can Help People With Dementia

そして おすすめの練習法



編集注記:以下はヨガ実践者と指導者に向けた一般的な助言を目的としています。医療従事者による個々の助言の代替にはなりません。指導者は自らの実践の範囲に止まるようにしてください(生徒の診断や治療、医療的助言を行おうとしない)。





米国だけで、約570万人の65才以上が認知症を抱えています。現在のところ、この症状は完治することはなく、ほとんどの治療が症状の管理を中心としています。しかし、認知症を抱える人々にとって、ヨガを補完セラピーとして取り入れることが助けになるかもしれません。生活の質や認知能力までも維持し、向上する可能性があるのです。


ヨガがどのように役立つのか、どう練習すればいいのかを探る前に、まずはその症状を詳しく見ていきましょう。


認知症とは?



認知症とは、人それぞれに全く異なりうる多数の症状を持つ認知障害といった広範囲に分類されたものです。しかし、最も良く見られる症状は、記憶消失、意思疎通困難、視野や空間認識力障害、運動機能障害、論理的思考の困難などが含まれます。


認知症は、認知力にだけでなく精神的な健康にも影響を与えることを理解することが重要です。鬱や不安症、扇動、妄想、そして全体的な機能の衰えを引き起こす可能性があります。



認知症の原因



認知症の原因には、パーキンソン(運動障害をもたらす神経性の症状)、アルツハイマー病、血管性認知症関連の血液・酸素の流れの閉塞など前頭側頭障害です。最も多い原因はアルツハイマー病気で、次に血管性認知症だと言われています。


そして、認知症は65才以上がとても多いのですが、典型的な老化の一部分ではないことに言及することは重要です。


医療従事者や科学者らは、かつて脳は変化しない有限のものであると考えていました。つまりローカライゼーション(脳の特定の場所が特定の機能をになっているという考え)は絶対的で、脳が成熟に達すればあとはそこから劣化するのみだと考えられていたのです。認知機能の変化が老化とともに現れる可能性はあります。情報の処理が遅くなり、作業の切替が難しくなり、評価をし判断する能力が弱くなります。しかし現在では、記憶消失や認知力の変化は必ずしも老化とともに起こるものではないと理解されています。ローカライゼーションは絶対ではなく(脳の領域は特定されていますが)、訓練と注意を通して損傷した領域を補うこともできます。つまり私たちの脳は、以前想像されていたよりも適応力があり、柔軟で統合的なものであり、脳がどう老化するかは私たち自身の影響によるのです。


実際、2019年のアルツハイマー協会国際会議で発表された最近の研究によれば、様々なライフスタイルに適応すること(例えば認知機能を刺激する活動を選択するなど)が、認知の衰えや認知症のリスクを60パーセント減少させる可能性があります。とても勇気が出る結果ではないでしょうか?



ヨガができること



高齢者のヨガの効果に関する一重盲検法のある研究では、ヨガを実践したグループに「言語及び視覚記憶の即時及び遅延の想起、注意と作業記憶、言語の流暢性、実行機能、処理スピードに著しい向上が見られ」ました。被験者らはヨガをみんなで毎日1ヶ月間、週3回を3ヶ月間、その後個々人で6ヶ月間(毎日練習するよう推奨されていた)練習しました。


この研究は、高齢者介護の場面でのヨガの有効性をテストするために考えられた数少ない研究のうちの一つでしたが、呼吸法や瞑想が脳や神経に与える効能の研究は多数存在します。そしてヨガセラピストとしての私の経験から、ヨガが認知症患者の全体的な精神状態、認知力、記憶力の著しい向上を与えてくれる可能性を持つことに気づいています。例えば、アルツハイマー病患者の時は、私は彼らの好きな歌を覚えます。彼らが興奮したり集中できない時には、こうした歌を彼らに歌い聞かせます。必ず彼は私と一緒に歌い始めます。完全に気分が変わり、集中することができます。歌うことは、吸う息の2倍の長さで吐くヨガの呼吸法のように、呼気が長くなりやすく身体のリラックス反応を刺激するのです。


さらに、ヨガは今の瞬間に居ることを私たちに教えてくれます。そして認知症に関連した記憶消失の時には、人生とはその瞬間が全てなのです。





その他、認知症患者がヨガを練習するすることで得られる可能性のある効能は以下の通りです。

  • 血流、呼吸の増加、可動域の拡大、それによる転倒防止と運動機能の維持。

  • 身体への意識の向上。内受容(体内で発生する信号への気付き)、固有受容(体の空間への気付き)、運動感覚(動きへの気付き)の向上。

  • 迷走神経状態の向上による、ストレス反応後の副交感神経(「休息消化」のための神経系)の活性化促進。

  • 警戒し用心深く感覚インプットを優先し、実行機能をコントロール(または、矛盾に対処し目的に向かって行動する能力)する機能である注意ネットワーク機能の向上。

  • 痛みの処理能力の拡大。

  • 体力と能力を維持することへの集中力向上。

  • 健康である感覚の増加。

  • 自己抑制と感情抑制力の向上。

  • ストレス反応減少に相互関係のある扁桃体反応の減少。

  • 脳機能向上に相互関係のある脳梁(脳の左右を繋ぎ、情報の伝達をする神経帯)を交差する脳半球間伝達の向上。

  • 細胞老化を遅らせる若返り酵素、テロメラーゼの増加。

  • 慢性ストレスの影響を覆す能力。




認知症患者のためのヨガ



認知機能低下のある65才以上とクラスを持つ時には以下を試して見てください。以下はただの推奨なので、あなたの経験と快適度に合わせて行ってください。このグループとの私の経験では、これらの練習がこの病気の最悪の症状のいくつかを緩和することがあることがわかっています。例えば、日が沈むときの突発的あるいは強度の感情爆発や扇動、強迫性行動などの症状です。また、初期段階で自立して生活している人も24時間看護を受けている人もどちらにもお勧めします。



最初に考慮すべき点:

1. その生徒に何をすることが可能なのか、体力を知りましょう。

2. 喜びを招き記憶を蘇らせる音楽を選びましょう(可能なら若い頃によく聞いたものを見つけましょう)。

3. 笑顔ではっきりゆっくりと話し、目を見ましょう。

4. 常に名前で呼びかけ、自己紹介も忘れずに(時には、何度も何度も)。

5. 感覚刺激と感覚の瞑想を行いましょう。音や香り、味、見たり触ったりできる物など五感を感じる物、または想像で五感全てに意識を向けさせるよう誘導しましょう。

6. 安全な環境を作りましょう。目を閉じるのを不快に感じる人もいます。かわりに鼻の先を見てもらいましょう。そして目を閉じている間は彼らに触れないよう、または同意を得てから触れるようにしましょう。

7. それぞれの人の最も高い機能レベルに到達できるよう援助することに集中しましょう。認知症のどの段階にあるのかを考慮し、それに沿って対応し、うまくいくよう機会を提供しましょう。例えば、ナディ・ショーダナ(片鼻腔の交互呼吸)ができないのなら、もしかするとチャンドラ・ベーダナ(左鼻腔呼吸)なら可能かもしれません。柔軟になって、ありとあらゆる選択肢を試しましょう。


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次回に続きます。

2020年8月1日土曜日

不幸せの原因は何?
What Is the Cause of Unhappiness?


Himlayan Institute の Pandit Rajmani Tigunait 氏の記事からです。
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聖典は、不幸も幸福もどちらもその根源は心にあると伝えています。不幸になりたい人は誰もいないにもかかわらず、自身の不幸せを無くすことはできないようです。苦しみの原因を探し取り除こうとあちこち走り回りますがうまくいきません。なぜなら真実を受け入れられないからです。不満の原因は私たちの中にあります。私たちは問題の原因を外の世界のせいにする方を好むのです。


心は、外の世界にあるものを受け取ることに慣れていますが、どのように内側に向けて心とは何なのかを見ることはできません。私たちの不幸が内側にあって心や感情に働きかけなければならないのではないかと思っていても、それでも外に原因を探してしまうものです。そうすることが妥当だと思うのは簡単です。世界はそのように回っています。しかし深いところでは、不幸は自分で作り出したものだと知っているのです。不幸をどこか他所に見つけようとするのは、ただ問題を悪化させるだけです。





私たちの内なる真我、アートマンはいつも目覚めています。いつも私たちと共にいて、何が真実で何が偽りかを教えてくれています。しかし、恐れや自律の不足、自信の欠如、そして他者に頼る習慣によって、それを見落としてしまいます。私たちの内なる自我が有害な行動を避けるように助言したのにそう行動してしまうたびに、私たちは罪悪感を感じます。もう同じ過ちは二度としないと自分自身に言っても、精神的弱さや、習慣や、社会的な圧力のせいでまたそれを繰り返してしまいます。内なる真我がまたこう言います「おい、馬鹿なことはよせ。なぜ自分に不幸を呼び寄せる?」それを聞いてもまだ同じ過ちを繰り返すのです。今度はさらに大きい罪悪感を感じます。内なる声に逆らい続け、過ちと何度も繰り返し、罪の意識を重ねていくのです。こうして自己非難をし、心はついにバラバラになって騒がしくなり、魂の声を押し流していくのです。


罪悪感や自己非難とともに生きるのはとても不快なことです。ではどうすればいいのでしょう?心を内側に向ける方法を知らないでいると、心を外側に向けて誰かのせいにする言い訳を探します。他人や周囲の状況のせいにするのは一時的な気晴らしになるので、全ての問題を外の世界に探すという習慣を作ってしまいます。私たちはこう考えます。「彼は悪い人だ」「彼女はずるい」「こんな不愉快な人たちがそんなことをしなければ私の人生はとても楽しいはずだ」「みんな意地悪だ」「世界は醜く残酷だ」一度こうした習慣がついてしまうと、周りの人から自分を切り離す壁を作り始めます。しかし、それは平穏や幸福をもたらしてはくれません。自尊心を失い、最後には自分から自分を切り離してしまいます。こうして不幸せは完成されるのです。



全ての問題、痛み、そして惨めさは心から生じます。不幸を克服する唯一の方法は、心を落ち着かせ平穏にすることです。聖典は、自分の精神を保護するよう教えています。さらに、精神が保護されればどこにいても安心と守られているという感覚を得ることができるとも書かれています。


恐怖に支配された心は身を守ろうとします。自己防衛の一部として、その過程で暴力的に反応し自身や他人を攻撃します。社会から課されるルールや政府から課される法律は短期的には外の世界の不幸の原因を減らすかもしれませんが、究極的には、心の底深くに根付いた苦痛を無くすのは、個人としての私たちの責任です。ですから、聖典は自己変容のプロセスについて教えを与えてくれており、自己変容によってのみ外的環境を良くすることが期待できるのだと伝えています。



不幸を克服するプロセスは、人生の目的と意味を考えることから始まります。知性でこの目的を理解することはそれを見つけることへの興味を作り出し、さらなる内省、熟慮、そして自己探求を通して、この興味を育みます。最後には、幸せを明日に延期する代わりに、今ここで人生の意味や目的を見つける情熱へと成長していくでしょう。「私は自己発見と自由への道の途中だ」というシンプルな気付きも喜びや熱意、やる気の源となり、そのゴールに向かっていくことに喜びを感じるのです。


言い換えれば、不幸を克服する第1ステップは、人生にはより高度な目的と意味があると気付くことです。全ての体験や物、すべてがこのゴールに到達するための手段なのです。これが分かっていれば、手段に執着することなく目標を達成するためその手段をうまく使う方法を得るでしょう。


第2のステップは、幸せとは世俗的でも霊的でもどちらも含めて全ての成功の基礎であるということ、そして幸せとは自身の精神がもたらすものであり自身の創造物であるということを理解することです。もし何かを達成することで幸せになると考えているなら、決して幸せにはなりません。幸福は決意から始まります。幸せになれるのは、あなたが幸せになるのだと決意した時だけなのです。あなたの幸福に条件があるのなら、その条件がなくなれば幸福は消えます。例えば、あなたの夫や妻が幸せにしてくれることに依存しているとしたら、早かれ遅かれあなたは惨めになってしまうでしょう。あなたの幸福が、子供や富や、友人や、所有物などからくると期待するなら、早かれ遅かれ失望することになります。何事も変わっていくものだからです。あなたがあなたの幸福に関心があるのと同じように、他の人もその人の幸福に関心があります。あなたが他の人をあなたの幸福の対象だと考えるのと同じように、他の人もあなたを彼らの幸福の対象だと考えます。周りの人の望みをかなえている間は敬意を払ってもらえるでしょうが、そうでなくなれば無用な人だと考えられるようになるでしょう。



この知識を聞いてがっかりしないでください。これが世界の本質なのです。しかし、この世を喜びいっぱいで生き、何も所有していないのだという完全な気付きをもって、巧みにそして愛を込めて自分の義務を行えば、流されてしまうような不幸せの海を作ることはありません。愛する誰かが離れて行ったり大切にしているものをなくした時でも、何があっても幸せでいようとあなたはすでに決意しています。その決意を曲げないでください。全てを失ったとしてもあなたは勝者なのです。なぜなら内なる精神的平和を得ているですから。


このような平穏な心を持って道を歩み続けてください。あなたの周りにあるものを、恐怖や執着をもたず存分に活用してください。あなたの心を苦しめる不要な記憶や不安は捨てましょう。あなたが何者なのか、なぜこの世に来たのか、そして何を学ぶべきなのかを知るという任務にあることを毎日思い出しましょう。知るべきことを今どの程度知っているのか?もし今この瞬間に自分の体が無くなったとしたら、そこに後悔はあるのか?このシンプルな瞑想が、道に止まり全ての不幸からの解放を得る助けとなってくれるでしょう。