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食事に対する正しい心構え
私たちは、外界のものに対する非執着と私たち自身の実在への賢明な配慮との間にうまくバランスをとる必要がある。肉体への意識に集中している限り、人は自らの肉体を丁寧に扱うであろう。肉体への理にかなった配慮をすることはまた、精神的にも重要である。正しい食事、正しい運動、新鮮な空気、陽の光。これらは、均整の取れた暮らしのために不可欠である。
あなたの信仰は神に向けよう、食べ物ではなく。流行に敏感な人たちには、食事の理論に過度に依存し体を弱めているだけの人が多い。「ああ!」と彼らは嘆く。「今日はアボカドを食べてない、背骨が弱まった気がする!」そうした二次的な問題への没頭こそが、意志の力を弱めてしまう。暮らしへのそうした心構えこそが、骨抜きになってしまう!そんな表面的な懸念というのは、シロアリが基礎を食べ尽くそうとしているときに漆喰の壁のひび割れを埋めようとしているのと同じだ。
自然食の価値
生命力(プラナ)の活性が人の健康が健康の源だと言うのなら、なぜ食べ物はそんなに重要なのか?私たちが食べる食べ物も含めて、全ての細胞は潜在的な知性を持っており、私たちの精神や脳細胞に影響を与える。生の果物や野菜、ナッツなどの自然の食べ物は、精神に調和の取れた力を与えてくれ、身体中に生命力を滞りなく流してくれる。
死んだ動物の痛みや恐怖、怒りの振動を含んだ肉や、変性した食べ物は、精神の均衡を刺激して妨げ、それが身体のあらゆる場所を癒す生命力を監督するという生まれ持って得た力を奪う。食べ物そのものに癒しの力はないが、自然食は精神を鎮静化させ生命力を停滞することなく流すことができるので、間接的に健康を作り出すことができる。
引き寄せの力と正しい食事
引き寄せの力を得るには、身体に毒素を溜めないことだ。身体が毒素で満たされていると、エネルギーは多少であっても閉じ込められる。そうした毒素をきれいにしてみよう。内側が浄化されると、エネルギー全てが目や顔、身体を通して見えてくる。食事には注意しなければならない。生の食べ物は引き寄せの力を作り出す。ココナツはたくさんの引き寄せ力を作る。ビーツ、ほうれん草、レタスなどは生命力に満ちていて、あなたに魅力を与えてくれる。
肉を多く摂りすぎると、動物の力があなたの精神的な魅力を変化させてしまい、あなたの魅力はなくなってしまう。肉は肉体的な面へと集中させるため、精神的ではなく肉体的な友を引き寄せる。肉はまた、性的欲求を過度に刺激する。少しの肉は問題ないが、毎日食べる習慣があるのなら、引き寄せの力は壊されるだろう。肉の代わりに、ナッツなど代替品をより多く取り入れるようにしよう。
過度のデンプンやタンパク質を含む食べ物は身体に毒素を溜める。果物や野菜を多くとれば、あなたの魅力が作られる。果物は野菜よりも効果的だ。陽の光と生命力にあふれている。食べ過ぎはダメだ。断食は胃を休ませるので、とても良い。あなたが食べる食べ物の種類によって、あなたの目や身体は魅力をもつことになる。
信念と食事法
神の癒しの力を信じ切ってその食事法に「服従」する方が、神と意志の力を信じ食事法を「無視」するよりも良い。
食事と性質
食事は私たちの心の状態に良くも悪くも影響を与え、心の状態に影響を与えるものは私たちの性質にも影響を及ぼす。正しい脳、そして身体を作るため正しい食事が必要だ。どんな食べ物も心に影響を与える。
人間の身体というのは、車や蒸気エンジンのようではない。エンジンの効率は燃料の供給に大きく依存しているが、同様に人の身体も食べるものに大きく依存する。食べ物というのは、そのように人格や能力、習慣などに大きな関係性がある。
身体だけではなく、精神的に霊的にも食べ物が及ぼす影響を知っておいて欲しい。精神的性質は以下の三つだ。
- サトヴィック ー 道徳や霊的な性質を育む
- ラジャシック ー 活動的、世俗的な性質を育む
- タマシック ー 暗く鈍くなる性質を増やす
サトヴィックな食べ物は、果物や野菜、全粒の穀物や豆類、新鮮な乳製品、ココナツミルク、ピーナツやアーモンドのペースト、ナッツ類など。これらの食物は穏やかさと高潔さを作り出す。
ラジャシックな食べ物は、活動的で世俗的、力強く、感情的な性質を作り出す。玉ねぎ、ニンニク、卵、西洋ワサビ、南瓜、じゃがいも、漬物、スパイス、そして魚や鶏肉ラム肉などを含む。
タマシックな食べ物は、暗く、破壊的な性質を持つ。匂いの強い物、腐敗した物、人工的に作られたもの(自然の質を奪われたもの)はタマシックだ。例えば、ロックフォールチーズ、冷凍食品、酒、牛肉、豚肉などである。これらは、自惚れや嫉妬、貪欲、復讐心などを作り出す。
空腹感を指針とする
1日に三回食事を取るという習慣は危険である。食事のベルが鳴るたび食べることで多くの人は早死にしている。空腹感がなければ、そんな不吉はベルは無視しよう。毎日同じ時間に食べることは、身体の細胞が食事の準備をし消化液を分泌するのに役立つ。知的な細胞は、動物園の腹を空かせた動物のように、食事の時間を待つものだ。
しかし、空腹でなければ食べてはならない。空腹なら、適度に食べる。あまり空腹でないなら、少なめに。全く空腹でないなら何も食べないこと。少し空腹で食べようとしているならその食事は飛ばそう。次の食事の空腹感が増すだろう。意志の力で、毎日3回の食事をする誘惑に抵抗しよう。三回の食事は常に細胞や、心臓や神経、胃など体全体を常に働かせ続けることになる。朝食、昼食、夕食を抜くことで、しばし身体を休ませよう。とても激しく働いてとても空腹なら三度軽い食事をしても良いが、肉体労働をたくさんしないのなら1日2回が妥当である。
肉食と菜食主義
肉食と菜食主義の問題は、複雑で物議を醸し出す物である。以下は、現代社会のニーズにしたがって発言するものだ(1935年現在)。全ての人にとっていつの時もどちらがよいというのは言えないと私は考えている。
私たちの良心と人間の感受性というのは、野菜を殺して果物の皮を剥ぐより、動物を殺す方が刺激が強い。もし自分で殺さなければならないなら牛肉は食べないという者がほとんどだが、人参の頭をちょん切ることをためらう菜食主義者はいない。動物の血を流し痛みを与えることが示すのは、動物たちは進化というスケールで人間に近づいているということだ。
肉は濃縮された食べ物で力がつくが、便秘の元となり身体の毒素を抱えて、病気の原因となる。野菜や果物は、自然の下剤効果を持ち健康を保ち病気をなくす。野菜は、我慢強くたべなければならず肉のようには濃縮されていない。正しく食べなければ野菜は強さを作り出せない。
アメリカ人は、肉、牛乳、ナッツなど様々なタンパク質を過剰摂取による肥満に悩まされている。アメリカ人は菜食主義になるべきだ。
肉食の民族は大抵の場合政治的に自由だ。菜食主義のインドには、外国の絶え間ない侵攻を追い払うための強さがない。ヒンズー教徒には食べるタンパク質がほとんどなく、その狂信からデンプン質の多い食事を好む。そのために若くして痩せて死ぬ。インドでは、動物の方が人よりも長生きするのだ。
一時的方法として、現代のインドは、十分なミルクや肉の代替品が入手できるまで羊やヤギ、トリを食べる必要がある。他の肉と比べて、その栄養素において羊肉が人の身体に最もよいことがわかっている。
人の命は他の動物の生命よりも大切だ。人が生きるために肉を食べなければならないのか、または動物が生きるために人が死なななければならないのかを選択しなければならないとしたら、私は動物を消費して人が生きるべきだと答えるだろう。
肉食の人も菜食主義の人もどちらも健康に長生きできることがわかっている。イエスキリストもブッダも聖フランシスも肉を食べた。シャンカラやチャイタニャなどインドのキリストのような偉大な聖者らは肉を食べなかった。聖ペテロは、動物のビジョンを見て、殺して食べてくれと言われた。「汝、殺すなかれ」というのは人に対してだけであって動物に対してではない。モーゼもイエスも肉を食べたし、モーゼは十戒を授かった。
魚には血液があり神経もあるが、殺される時に音を発するものはほとんどいない。哺乳類ではより複雑なかたちに生命が進化しており、魚とは異なる。牛や豚は、高度に発達した神経を持っていて大きな痛みを感じることができ、殺されそうになると大きな声で抗う。こうした動物は、自己保存の愛や痛みを与えられるという不当な仕打ちを理解する進化した意識を持っており、だからこそ彼らは殺すべきではない。羊は牛や豚よりも抗い方が弱い。
野菜や魚、おとなしい動物たちは、自然界から意図してあまり発達していない神経を授かっており、大きな痛みを感じたり痛みの間抵抗することがないように見受けられる。これは、より低い生命がより高度な生命のために犠牲になるよう作られている理由なのかもしれない。