2021年4月30日金曜日

ハムストリングスについて10の俗説を暴く Vol.1 
10 Hamstring Myths Debunked


ハムストリングスは、腿の裏にある3つの長い筋肉群です(半腱様筋半膜様筋、そして大腿二頭筋)。これらは、膝を屈曲し股関節を伸展する働きをしているのですが、前屈をしようとする時は、一番の邪魔者のように感じることもあるかもしれませんね!


椅子に座り続けることは、これらの筋肉群の動きを制限し短くするため、ハムストリングスが硬いと感じる主な原因となります。ハムストリングスの中や周りの柔軟性が欠けると姿勢の問題が起こり、坐骨が下方へ引っぱられて骨盤が後傾してしまい、椎間板の損傷にまで至ることもあります。骨盤の後傾によって腰椎の曲線が平らになり、プラサリタ・パドッターサナやダンダーサナのような前屈を股関節から曲がって安全に行うことが難しくなります。


ヨガをする多くの人たちは、ハムストリングスを解放したいとやってきます。何年経っても少しの進歩しかないときは、もっと頑張ってもっと前屈をしなければいけないんだと思うでしょう。けれど、念入りな前屈プログラムを通して「硬い」ハムストリングスを「伸ばす」というクラスは、いつも期待している通りの結果につながるわけではありません。また、ハムストリングスの制限や怪我のある人たちに一般的に勧められる安全策の多く(膝を曲げつ、ブランケットに座る、前屈はしないなど)は全体像の一部でしかなく、何年間にもわたってハムストリングスをかため続けてきたバランスの崩れには対処していません。


ハムストリングスに関する以下の俗説を暴くことで、自身の動きの癖やヨガの練習を見直すきっかけとなり、いずれは前屈をより深めて腰を緩めることができるようになるでしょう。




1. 「私のハムストリングスは硬い」


大抵の場合、問題はハムストリングスが硬いことではありません。大体は、筋肉が硬いのではなく、筋肉の周りにある結合組織の筋膜なのです。筋膜の繊維癒着と小さな絡まりがハムストリングスをひとつに固めて、指ハブ(訳註:葉や紙などで作った指を挟むおもちゃ)に挟まれたようになってしまうのです。言い換えれば、大抵は、ハムストリングス周辺の結合組織にある絡まって粘着した部分が、前屈を深める邪魔をしているのです。



2. 「私の目標はハムストリングスを伸ばすこと」


あなたのハムストリングスは、おそらく十分に長いはずです。使う際に、カーテンをレールに沿って引くように、広く横方向に広がる必要があります。筋肉の周りにある結合組織の中の絡まって動かなくなった場所が、多くの場合にそういった横方向の動きを妨げています。筋膜はお互いに繋がりあっているため、筋肉が横方向に動く自由が無い場合、全ての方向において弾力性が制限されるのです(これには「伸展する可能性」ももちろん含まれます)。けれど、横方向の自由があって骨が股関節に正しく並んでいれば、組織は広がることができて安全により深く前屈できるのです。


 

3. 「ハムストリングスを解放する唯一の方法は、前屈などのポーズで腿の裏をストレッチすること」


実際、どんな動きや姿勢も骨格が健康的に並んでいれば、骨がハムストリングスをあるべき方へ導き、筋膜や筋肉組織が動けるようにするため、ハムストリングスを締め付けている癒着が徐々に解けていきます。健康的な骨の並びによって、ハムストリングスが「ビートに乗る」ことができ、自由に滑るように動かせるようになるのです。


ハムストリングスのリリース(様々なポーズや動きに応用可能)の鍵は、両足に荷重を落とし、膝関節を足指の真ん中方向に向け、長く伸びたニュートラルな背骨を作ることです。考えてみましょう。荷重が足指の付け根と踵に均等にかかった正しく地についた両足、足の中央線(人差し指と中指の間)に向かって動く膝、そして頭の後ろと尾骨の間が長く伸びていながら上下に並ぶ位置にあるような背骨。


ハムストリングス関連の怪我で理学療法に来る患者は多くいます。治癒の鍵は、両足を通した位置関係、膝とつま先の関係性、そして背骨の形状を深く調べることです。一度、足指の付け根と踵を通ってより均等に荷重バランスを取れるようになり、膝関節が中指方向に動き、背骨を伸ばせるようになれば、原因は取り除かれてハムストリングスの緊張が解かれていきます。

より早い治癒のため、結合組織の癒着を解く多くの専門家がいます(理学療法やマッサージ、構造的身体統合、ロルフィングなど)。自分でのマッサージも効きます。しっかりした椅子に座り、腿の下にテニスボールを置いて少し足を持ち上げ、ハムストリングスを爪弾くかのように脚を横向きに動かし、できるだけボールを押し下げてみましょう。硬い場所を見つけたら、そこでストップして呼吸しましょう。

しかし、手で癒着を解くことは、そもそも癒着を起こすに至った根本的な動きの問題を解決するわけではありません。また、安定性や姿勢の改善なしに可動性だけを広げれば、怪我につながる可能性もあります。健康的な負荷をかけたヨガの練習は、こうした安定したアライメントを養う方法の一つです。

加えて、水分をたっぷり取る、栄養のある食事をする、1日を通して動き続ける(何時間も座りっぱなしでなく)などは、ハムストリングスのリリースに役立つでしょう!



4. 「何年間も同じ方法でストレッチしてきたけれど、忍耐強くしていればいつかは解放されるはず」


そうではありません。いつもやっていること、いつものやり方は、いつもの結果をもたらし続けます。根本的なアライメントや荷重のかけかたの問題に対処しないで前屈し続けると、おそらくそのまま行き詰まったままでしょう。目指すリリースを得るには、両足をしっかりと地につけ、膝と足の向きにより深く注意し、伸ばしたニュートラルな背骨で動いてみましょう。そしてそれをできるだけ多くのポーズで、一日の活動を通して心がけてみます。こうした原則をあなたの前屈に応用すれば、いつものポーズも新鮮で実りあるように感じられるようになるかもしれません!



5. 「ハムストリングス腱炎(臀部の下のハムストリングス起点の痛み)を経験したら全ての前屈を避けるべき」


何をするかではなく、どうするか、です。ハムストリングス腱炎は、ポーズにおける荷重とアライメントのバランスの崩れが原因であることが多く、ポーズそのものが原因ではありません。腱炎は(慢性になれば腱症と呼ばれます)、ハムストリングスの一部が過剰にストレッチあるいは働いた結果です。これは、根本的な動作の機能異常の症状なのです。つまり、前屈のストレッチ負荷を脚全体とその結合組織全てに分散させるために、強化と調整が必要だということを示しているのです。そうすれば、繰り返す問題のサイクルから抜け出すことができるでしょう。

ハムストリングス腱炎を自分で治療するには、痛みの感覚が来る少し手前まで前屈をします。痛みのない前屈を2分間行い、背骨を伸ばし、膝を中指に向け、しっかりと感覚を感じながら両足に体重を落としていきましょう。そして背骨を伸ばして立ち上がります。2分間のホールドで、組織が形を変え神経筋のパターンが変わり(よいよい協同と強さにつながります)、次に前屈は、痛みなくより深く行うことができるでしょう。





ーーーーーーーーーーーーーーー

2021年4月26日月曜日

初心者のためのムーラ・バンダ(ルート・ロック) 
A Beginner’s Guide to Mula Bandha (Root Lock)

前回は、骨盤底筋についてでしたが、今回は伝統的なヨガにおけるバンダのひとつとしての観点を探った記事をみていきます。

ーーーーーーーーーーーーーーー

ムーラ・バンダ(ルート・ロック)は、重要なヨガの実践であるが、大抵の場合ヨガの教本の後ろの方に押しのけられている。サンスクリット語の「ムーラ」の意味は植物や木の根のことである。英語において「ルート Root」はまた、物体の足や土台、ものの出どころ(問題の原因など)といった意味もある、ここでは、「ムーラ」は胴部の基部、つまり会陰を表し、脊椎に沿って存在するエネルギーの中核で最も低いムーラダーラ・チャクラと深い関係がある。


「バンダ」という言葉には多くの意味があり、矛盾したものもある。例えば、この言葉はこれまで「束縛する、遮断する、抑制する、妨害する、制止する、固定する」などと訳されてきた。この意味において、バンダは川を堰き止めるものと描写される。しかしまた、「結合する、接続する、合わせる、統合する、組み合わせる、連結する」などとも解釈される。この意味では、バンダは川にかかる橋である。これらの異なった意味をどのようにとらえればいいのだろうか?ムーラ・バンダの実践を詳しく調べれば、おそらく答えそのものが自ら姿を表すはずである。




ヨギがムーラ・バンダを練習する訳


ムーラ・バンダは、安定と鎮静をもたらす。また集中のエネルギーを高める。


ムーラ・バンダは、プラナヤマや瞑想のどちらでも行われ、呼吸法が終了し瞑想が始まる時の一貫性をもたらす。権威のある「ハタヨガ・プラディピカ(ハタヨガの光)」の著者であるスヴァートマーラーマはこう述べている。「ムーラ・バンダを実践することにより・・・総合的な完成が得られることは疑いの余地がない」これは大変印象的な言及である。しかし、これを真剣に受け止めて良いのか、また、この実践を学ばせるための誇張表現だろうか?では、心身を支えるエネルギーのシステムを見ていこう。それによってスヴァートマーラーマが主張する観点が見えてくるはずだ。


プラナの主軸は脊柱であり、会陰から頭骨の基部へと立ち上がっている。この軸は、シュシュムナと呼ばれるエネルギーの経路(ナディ)の中心だと言われている。イーダとピンガラとして知られる他のエネルギーのふたつの経路は、脊柱にそって基部からそれぞれ左右の鼻腔へと上方に向かって絡み合っていると記述されている。通常では、これらのふたつのナディは、複雑で階層に分かれたエネルギーの経路ネットワークを司っている。どちらかが活性していると、全システムの機能に影響を与える。


ウパニシャッドではプラナを、止まり木に繋がれた鳥のように、イーダピンガラに繋がれていると例えている。枝のあちこちに飛び回って、決して自由を見つけることなく生きている。ヨガの達人たちによれば、イーダとピンガラが無意識に交代することを制止し、このふたつに分かれたエネルギーの流れを統合することができるという。これが文字通りハタヨガの意味である。ヨガとは、(右の息)と(左の息)を結合することである。これらの流れが統合されたとき、プラナは自由になり脊椎の中心の経路を上昇して、頭頂にある究極点サハスララまで達する。このプロセスの最初の段階は、シュシュムナの覚醒だと言われる。この覚醒を得るための練習が完全さをもたらすのだが、それがスヴァートマーラーマがムーラ・バンダを賞賛する理由のひとつである。




3つのバンダ


ヨガの達人たちによれば、エネルギーの外側への流れを制止しシュシュムナの上向きの流れと統合するための3つの実践があるという。胃部のロックであるウッディヤナ・バンダでは、息を吐き腹部を脊椎に向かって引き込む。これが臍の中心のエネルギーを活性化させる。顎部のロックであるジャランダーラ・バンダでは、顎を喉元に引き下げ、そこにあるイーダとピンガラを通るエネルギーの通常の経路を力で止める。3つ目がムーラ・バンダで、会陰中心で筋肉を強く収縮させる。これらの筋肉収縮は、神経系や循環器系、呼吸器系、内分泌系に影響を与え、特に重要なのは、内的エネルギーのシステムであるプラナに影響することである。


スヴァートマーラーマは、これら3つ全ての実践は秘儀であると主張する。つまり完全な効果を得るためには、正確なヨガの方法で行わなければならず(自身の師により教わる)、ただ身体的に動かすだけではないということを彼は意味している。これらのテクニックに関する完全なサッダーナ(実践のルーチン)は、秘密にしておかなければならず「宝石のように、そして、妻との個人的な関係を他者に話さないのと同じように、誰にでも話すことではない」多くの抗議もあるが、師も生徒も同様に、より高度な実践は、訓練の準備段階を終え精神の指導者との直接的な関係を持った十分な資格をもった志望者のためのものであると彼は忠告している。とはいうものの、ムーラ・バンダの準備段階バージョンは、全ての生徒に適しており、健康とともに自己認識によい効果をもたらす。



簡単な解剖学レッスン


ボウルの形をした腰帯(寛骨)は3つの融合した骨からなっている。腸骨、坐骨そして恥骨だ。骨盤は底面が開いていて(骨盤下口)、そしてこの開口部の基部を会陰と呼ぶ。上から見ると、会陰はダイアモンドの形をしている。尾骶骨(脊椎の基部)はこのダイアモンドの背部にあり、ダイアモンドの前部は、ふたつの恥骨の間の関節である恥骨結合。左右の角は二つの坐骨である。


ムーラ・バンダは、会陰の中央と密接に関連している。男性では、ムーラ・バンダは肛門と性器の間にある会陰体の周囲にある筋肉群を収縮させることで得られる。いくつかの書物では、この部分の下部に軽い圧力をかけることで(巻いた柔らかなソックスや特別に作られたクッションの上に座る)、収縮が刺激される。片方のかかとの上に座って圧力をかける姿勢も記述されている。女性では、ムーラ・バンダは会陰体ではなく子宮頸部のあたりに感じると言われている。男性と同様、会陰中央に柔らかいクッションを置くと刺激されると言われる。


実際的に言えば、意識を会陰の後部、前部、中央すべてに同時に集中しなければならない。ムーラ・バンダを練習するには、会陰を中央で活性させる方法を学ばなければならない。


ムーラ・バンダが快適に維持できるようになれば、プラナヤマや瞑想の間も使えるようになる。



ムーラ・バンダの練習法


大抵の場合、会陰部の筋肉群だけを収縮させることは困難であるため、ムーラ・バンダの気づきを得るには毎日の練習が問題となる。焦ってはならない。というのは、ゆっくり段階的に練習すれば筋肉を強化させるとともに精神的な識別力が養われるからである。練習で厄介なのは、会陰の筋肉群は一緒に働く傾向にあり、一箇所を収縮させると全てが収縮することが多い。また、会陰筋肉群とともに呼吸筋群もまた無意識に緊張してしまい、身体の他の部分でも余計な交感神経的な緊張が起こりやすい。そこだけを選別するよう注意してたくさん練習をしなければならない。



STEP 1

最初の課題は、会陰の筋肉群を収縮・弛緩する単純な能力を養うことだ。まずは、瞑想をする直立姿勢で座る(できれば脚を組んだ座法で)。目を閉じ身体を休め、呼吸をリラックスさせ、胸郭の左右が広がったり縮んだりするのを感じながら、上腹部の緊張を解く。
  
調整しようとせず自由に呼吸をし、前方、中央、後部と会陰全体の筋肉を内へ上方へと締め付けて収縮させる。呼吸はできる限り安定させ、止めることなく流れるように保つ。ゆっくりと締め、収縮が完全になったらゆっくりと解放する。このエクササイズでは、それぞれの部分を区別しようとせず、意識を高めながら会陰全体の筋肉群を強化する。これを25回繰り返す。


STEP 2

次は、会陰の筋肉群全てを収縮させ、快適な範囲で保持する。緊張を保っている間もゆっくりと滑らかな呼吸を続ける。肛門あたりを感じ、そして会陰体や子宮頸部の中央部を収縮させ、そして最後に泌尿生殖器あたりの収縮を丁寧に観察する。それぞれに集中しながら締め上げて、その感覚を感じよう。そして、ゆっくりと全ての収縮を解いてリラックスする。


STEP 3

今度は、呼吸とともに会陰部全ての収縮をまとめる。息を吸い込んで会陰を収縮し、ゆっくりを息を吐き出して緊張を解く。呼吸と同期するように収縮のタイミングを合わせよう。ぎこちない動きやコントロールを失うことも、時間とともに徐々に減っていく。この練習の間、会陰の中央部分に集中するようにし、ムーラ・バンダにと深くつながっていく感覚に特に注意を向ける。このエクササイズを25回繰り返す。


STEP 4

最後に、準備ができたら、注意を会陰の中央に集中させ、そこの筋肉を収縮しながらも肛門や泌尿器あたりをできるだけ動かさないようにする。これがムーラ・バンダの初期段階バージョンであり、これを得るには時間がかかるだろう。急ぐ必要はない、それよりも時間をたっぷりかけて練習する方が良い。


STEP 5

一旦、呼吸に影響することなく、他の交感神経系の筋肉緊張を弛緩させたまま収縮を維持できるようになれば、しばらくの間は快適にムーラ・バンダを維持できるようになるだろう。



ムーラ・バンダの利点


この記事の最初で、バンダという言葉の二つの意味について答えを探った。ひとつはエネルギーの流れを堰き止めると解釈し、もうひとつはエネルギーを統合するための橋と表現していた。ここに述べられている練習を行えば、反対の意味を持っているようなこれらをすでに内的に納得しているだろう。ムーラ・バンダには、会陰でエネルギーを制止する効果があり、その意味では安定させ鎮静させるものである。また、集中するエネルギーをやさしく高める効果もある。また、意識の声がより明確に聞こえるように、ラジオの周波数を正しく合わせるようなものである。


ムーラ・バンダに関連する身体的な利点はさまざまである。この練習を通して得られるのは、生理不順が規則正しくなる、呼吸数が遅くなる、心拍数や血圧が下がる、交感神経の興奮が抑えられる、消化力が向上する、泌尿生殖器機能が調和するなどである。こうした効果はヨガの達人らによって言及されているが、これらを調査した科学的研究はまだ数少ないようだ。ヨギにとってより重要なのは、ルート・チャクラにあるエネルギーの下方への動きと、ハート・チャクラにある上方への動きが逆になって、これらのエネルギーが統合されると言われていることである。この内なる統合が気づきの広がりをもたらすのだ。


ムーラ・バンダの習慣的な練習により、少なくとも、筋肉の収縮が集まる場所がより確かに感じるようになるだろう。そこが、ムーラダーラ・チャクラの場所であり、そこから身体のエネルギーが精神へと広がると言われている。このエネルギーが穏やかで安定していれば、人生自体もよりリラックスしたものになるのだ。





(出典)https://yogainternational.com/article/view/a-beginners-guide-to-mula-bandha-root-lock



2021年4月24日土曜日

骨盤底を2分で鍛える 
Tone Your Pelvic Floor (in 2 Minutes)



骨盤底筋群は、私たちの身体構造の中でも無視されることの多い部分です。引き締まってよく動く時には、恥骨と尾骨の間にあるこの筋肉群には、おどろくほど広範囲の健康上の利点に貢献します。膀胱機能の向上、規則的な排便、痔の予防と改善、生殖器のバランス向上、そして交感神経の鎮静などです。しかし、骨盤底の筋肉群が衰えると、時と重力が負担を増し、徐々にさまざまな問題へと発展していくのです。



簡単なエクササイズ


骨盤底の筋肉群は、他の筋肉と同様、定期的で反復的に使って強化したり引き締める必要があります。そのためのエクササイズがこちらです。


まずは、仰向けで横たわり骨盤の近くの床に両足を置いておきます。体と呼吸をリラックスさせて目を閉じましょう。


意識を骨盤底に向けます。恥骨と尾骨の間にある尿道と肛門の括約筋、そして会陰を含む全ての筋肉を収縮させます(男性の場合は会陰の中心、女性の場合は子宮頸部にも収縮を感じるでしょう)。息を吸ってリラックスしましょう。


息を吐いて、このエクササイズを繰り返します。できるだけ深く、強く締めます。息を吸って解放しましょう。25回繰り返します。呼吸が乱れないように、そして顎やお腹、腿の内側など体の他の部分はリラックスさせておきましょう。


できるだけ長くこの収縮を保ち、通常の呼吸をつづけながら終えましょう。


筋肉が疲れたら自身の能力に応じて行い、容易に25回の収縮を行えるまで徐々に回数を増やしていきましょう。








練習するタイミング


強さを保つためには、週4回は練習しましょう。このテクニックをマスターすれば、時間のある時にいつでも練習できます。歯医者で順番を待っている時や、信号待ちの間、退屈な会議の間など。やがて、ヨガのポーズや、呼吸法、瞑想を深めるために骨盤底の筋肉を使えるようになります。



次の段階


強く柔軟な骨盤底は、身体的なだけでなく精神的、霊的な次元においても、生命力の源を支える根底です。ヨガの生徒は、このエクササイズをムーラ・バンダ(根の鍵)の準備と捉えるでしょう。ムーラ・バンダは、アパナ(体と精神の生命力の下向きの流れ)をコントロールする微細な実践です。これをマスターすれば、内的な安定へと繋がり、直感と創造力を呼び起こすことができるでしょう。


2021年4月21日水曜日

実践はどのようにカルマに影響するか Vol.2 
How Practice Influences Karma

前回からの続きです。
著者のカルマに関係する体験が引き続き語られていきます。

信じるかどうかはあなた次第かもしれません。

ーーーーーーーーーーーーーー

答えとさらなる質問


これらの質問に対する答えを見つけようと、私はサンスクリット文学とアーユルヴェーダの勉強を離れ聖典と哲学文献に集中することした。スワミ・サダナンダと過ごす時間に加え、アラハバードのガンジス河岸で毎年おこなわれるスピリチュアル・フェスティバルに来る多くのスワミたちを訪ね始めた。これらの博識な師たちの多くは私の質問に答えをくれたが、あまりにも深淵過ぎたり、私の理解が及ばなかったりで正しくその答えを得られないことがほとんどだった。そして時には、質問に対する答えそのものよりも、師たちの無意識な行動を観察することで得た理解の方が役に立った。


例えば、こうした聖者たちの一人のところに、もうすぐ大事故にあうという思いにはっきりとした理由もなく取り憑かれている健康な若者が来た。彼の問題を聞いた聖者は、河岸にある臨時のアシュラムでしばらく一緒にいるようにと指示した。


数日経つと若者は我慢できなくなり、ある早朝、次の列車でジャリヤの街にある彼の家に帰ろうと決めた。聖者は帰るなと強く助言したが、若者は仕事に戻らなければならないと言う。そこで聖者は、私は病気で街の薬が必要だがそれを手に入れられるのはお前しかいない、と言った。明日でも、あるいは今晩の列車で発ってもいいが、私は病気で高齢なので二度と会えないかもしれない、最後に手伝ってくれることが重要なのだと。若者は承知した。街に行って薬を手に入れ、そうこうしているうちにジャリヤへの朝の列車は出てしまったっ。翌日、その列車が大破して100人以上の乗客が死亡、数百人以上が負傷したという知らせが届いた。若者は感謝の気持ちに溢れ、今度は聖者に仕えるためもっと長居したいと言い出したが、聖者は帰宅せよと強く言った。


こうした出来事を多く見てきて、これらは偶然ではないと信じている私は、聖典にある真実は、負のカルマをうちける方法のひとつは聖者とともにいて仕えることだと教えてくれていることに気づいた。しかしなぜ、今、聖者に仕えることが、昔に作られたカルマの影響を消すことができるのかは依然として理解できなかった。誰がこのような正確なカルマの記録を維持することができるのか、また、なぜカルマの記憶を知る知恵を持てる人とそうでない人がいるのかを知りたいと思った。また、なぜヨガ・マスターには、他人の問題の原因を明らかに理解し巧みに彼らに助けるのに、自分自身を助けることには無関心な人がいるのか。質問は私の心を悩まし続けた。自分自身よりも誰かの問題を知る方が簡単なのか?自分自身を助けるよりも他人を助ける方が簡単なおか?こうした賢者たちは精神的な法則に縛られているのか?なぜ、彼らは問題の原因を知り取り除く能力を持っているのにもかかわらず、そうしないのか?




直接的な体験


時間が経つにつれいくつかの答えが見つかったが、それでも質問のリストは長くなった。そしてある日私は、ある精神的な実践の直接的な体験を得て、それが私自身の運命を変えることとなった。


それは1982年の冬だった。私のグルデーヴァであるスリ・スワミ・ラーマはニューデリーに滞在しており、その夕方にアメリカへ経つ準備で私もお供していた。突然師が私に尋ねた。「それで、お前はいつ行くのかい?」私は時間を伝えた。少ししてまた聞かれた。「それで、お前はいつの行くのか?」私は同じ答えをした。それから今度はこう付け加えてまた尋ねられた「行かねばならないのか?」私は、教えるクラスがあるから戻らなければならないと説明したが、それを聞いている様子はなかった。それから数時間この会話が何度も繰り返され、ついに師が私を行かせたくないのだと気づいたが、なぜかはわからなかった。航空会社に電話をしてフライトをキャンセルした。まもなく師はまた尋ねた「お前は行くのか?」と。


「いいえ」と答えると「よろしい。お前はリシケシに行って、アシュラムで何それという実践をしなさい。毎日ヴィルバドラ寺院に行きなさい」と師が言った。


そこで私はリシケシに行って実践をした。しかし、最終日になって私は猛烈な疲労感を感じた。ビーズのマーラを手に取ってマントラを繰り返し始める度に、居眠ってしまった。何度も起き上がって冷たい水で顔を洗ったが、目を覚ましていられなかった。瞑想の姿勢で座ったまま私はうとうととしてしまい、マーラが手から落ちた時、現実だと思うほどはっきりとした夢を見始めた。


夢の中で私は、ニューヨークから私が住んでいるペンシルバニア州にあるスワミジのオフィスまでのよく知った道を車で向かっていた。ラウラという女性運転手は、ニューヨークまでよく私を送ってくれたが、いつものように彼女は楽しそうに運転していた。突然、一台の車が高速道路の出口から入ってきて、車の流れと反対方向の私たちの方向へ向かってきた。ラウラが急ブレーキを踏んだとしたら、後方の車がわたしたちの車に激突してしまう。路肩か隣の車線へと急ハンドルを切ったら、周りの車と衝突してしまう。時間も選択肢もなかった。正面衝突は避けられない。今にも衝突するかという一瞬前、2台の車の間に白装束のとても背の高い男が現れ、衝突を避けた。彼は私たちを抱えあげ(片手に私、もう一方にラウラ)、中央分離帯に置いた。


目が覚めた私は、床におちたマーラを見つけた。私の存在全体が、恐怖と喜びの入り混ざった力強さで満たされていた。衝突の恐怖、そして安全な場所へ助けてくれたモノの優しい感触の喜びだ。身体中に鳥肌がたった。しかし、実践を終えるまでに唱えなければならないジャパがまだたくさんあったので、その体験を頭から押し退けてマントラに集中した。それからまもなく、私はアメリカへ帰って通常の日課に戻った。時間とともに夢のことは忘れてしまった。





夢が現実に


その春、ラウラはクラスを教える私をニューヨークへと車で送ってくれた。帰宅する途中、突然彼女が、胸がドキドキするのでこれ以上運転するのが怖いと言い出した。ここ数日、正面衝突のビジョンを見るのだと言った。ニューヨークまでの運転を断りたくなかったので、その恐怖を消そうとしたらしい。しかし、恐怖のあまりもう運転できる状態ではないと。


私は夢のことを思い出し、事故の起こった場所に近づいているのに気づいた。そして、外界で何が起こったとしてもそれはすでに内界で起こったことだというスワミジの言葉を思い出し、この出来事は全てすでに起こったことで、白い不思議なモノはもう私たちを救ったから怖がる必要はないのだと、突然私は理解した。しかしそんなことはラウラには言えない。


夢の中であの車が入ってきた出口はもう目の前だった。語りかけることで彼女の気を紛らわそうとしたが、ますます動揺し始めた。右車線で出口に近づいていた時、突然、高速道路に入ってきた一台の車が私たちの目の前で同じ車線に入ろうとしていた。私たちも後方と横の車もブレーキをかけて急ハンドルを切ったが、衝突は避けられそうになかった。その瞬間、質問が私の頭に浮かんできた。あの白装束のモノが私を車から連れ出しやすいようにシートベルトを外した方がいいのか?同時に他の考えも浮かんだ。それがどんな違いをうむというのか?物質的な存在は役に立たないし、微細なエネルギーにとってシートベルトなど何でもない。そして目を閉じて待った。私が心の目で見たのは、2台の車の間に白装束のモノが現れてラウラと私を車から救い出して道路の右側の路肩にそっと置いたことだった。


目を開けて隣にラウラが立っていることに気づいた私の体は、リシケシでの夢のあとに感じたのとおなじ恐怖と喜びの入り混じりに包まれていた。また、全身に鳥肌がたった。私たちの車は入ってきた車と真正面の場所にあって、フロントドアが大きく開いていた。後方の車の数台は衝突していたが、どれも深刻ではなかった。ドライバーたちが窓から首を出して叫んでいた。ラウラに大丈夫かと尋ねた。彼女はにっこり笑ってこう言った「大丈夫」そして、周りのドライバーたちが叫んだりお互いの免許証番号を交換している間に、私たちは車に乗り込んで走り去った。


それから数週間、私は常に白装束の男のことを考えていた。あれは誰で何だったのか?キリスト教によれば、天使なのかもしれない。インド的な観点から見れば、不死の聖人かヨギかもしれない。何だったのか全くわからない。以前に知っていたとか、体験したという感覚もない、夢以外は。そしてなぜあれ(彼)は私を守ったのか?リシケシで実践するようにスワミジがくれたマントラが人の形をして現れたのか?かつて私が山中で迷って倒れたときに守ってくれたスワミジと同じ聖人だったのか?あの白装束のモノには特に愛といった感情を持たなかった。しかし、スワミジに対しては圧倒的な感謝の気持ちでいっぱいだった。ああいった形をとって師自身が私を助けてくれたのか?それとも師の依頼を受けてあれが現れたのか?


私の心はいつもリシケシで行った実践へと戻っていった。しかし、同じマントラを何百回と唱えても状況が特に変わらない多くの人を知っているので、この体験が単にその実践のおかげとは考えられない。スワミジは、私の過去のカルマの結果から起こることを防ぐのに必要な守護の力を得るために、この実践を使ったのか?



カルマの法則を超えて


この後ラウラに起こった出来事で、より多くの質問が浮かび上がった。2週間ほどの間、彼女は他のより幸せな世界にいるようだった。喜びとスワミジと彼が示す霊的な伝統に対する感謝で溢れていた。しかし3週間の間に彼女の気分は変化した。長くスワミジの生徒であり、私の家族の親しい友人でもあったのに、私たちから距離をとるようになり、無関心になり、そしてスワミジを敵視するようになった。4週目には、彼女は施設を離れた。たくさんの文句があったようだが、そのほとんどはスワミジが自己中心的だというものだった。スワミジが他の人が幸せに暮らすことを望んでいないことに失望したというのだ。


まったく意味がわからなかった。スワミジに説明をして欲しかったが、何が起こったのか聞いたとしても師はただ黙っているだけだとわかっていた。しかし、ある日、プーラーナのひとつを読んでいてこの質問に答えてくれる一節に出会った。その聖典は長い話で、カルマの法則に介入できるものは誰もいないということを明らかにしていた。見えるものも見えないものも、この死を逃れられない世界で機能する全ての力は、カルマの法則に支配されている。生死、そしてこのふたつの間のこと全てはこの法則によって起こる。しかし、カルマに関する出来事を変えるにはひとつだけ方法がある。神意、つまり神だけがもつ力の法則は、カルマの法則を超え、カルマによって起こる出来事を修正することができる(ただしそれは稀である)。神意の範囲では不可能はない。また、激しい苦行(タパス)、マントラの修行(サダーナ)、三昧(サマディ)、神への献身、聖者とともにいることと無私の奉仕を通して神意につながることは可能である。そうすれば、カルマによる出来事はよい方向へ変化し始める。


聖典はまた、神意の恩寵を受けるには準備が必要だと明かしている。一度受けた恩寵を維持し自分のものにするには、さらなる準備が必要となる。神を信じ身を委ねることでこれが可能となり、この状態は瞑想や祈り、ジャパ、熟考、自己探求、またその心や精神が完全に神の意識で満たされている人に奉仕することで作られる。


このメッセージの脈絡にラウラの行動を当てはめた時、私の質問に対する答えを得た。私の場合は、11日間のリシケシでのジャパ実践がその実践に流れる恩寵を吸収する機会を与えてくれたため、カルマの力が神意を揺るがさなかった可能性がある。しかしラウラは同様の機会を持たなかったため最初の喜びがすぐに疑問と恐れに埋もれてしまった理由かもしれない。

1976年から、スワミジが、ヨガ、瞑想、精神性の異なる観点を解説するのを耳にしてきた。師の内に込められた不変のメッセージは、私たち人間は自分自身の運命を作っていると言うことだ。総体的にカルマの法則は避けられないとしても、思考を通して、私たちはなりたいものになる。神意の体験は稀だが、サンカルパ・シャクティ(意志と決意の力)を育めば、今はまだ現れ始めていないカルマのいくつかの形を変えることができる、とスワミジは言いつづけている。また、カルマの負の影響を小さくし、より大きな喜びや幸福を人生にもたらす何百もの方法が聖典に書かれているのだとはっきり述べてもいる。しかし、心から誠実に実践しない限り、どれも役に立たない。それが鍵である。








(出典)https://yogainternational.com/article/view/how-practice-influences-karma

2021年4月16日金曜日

実践はどのようにカルマに影響するか Vol.1 
How Practice Influences Karma






私たちは、周りの世界を見渡し、信じ難いほど苦しんでいる場所を目にして、それはなぜかと考える。病気や飢餓、暴力に見舞われる人もいれば、何事もなく人生を送る人もいる。不健全で非倫理的、あらゆる有害な活動に関わる者が繁栄していたり、正直で勤勉、善意にあふえれた人が失敗ばかりするのを目撃する。また、他者を癒したり人生を変えられるほど霊的に進化した人の話や、逆に痛ましく致命的な病気に悩む人の話を耳にする。なぜなのだろうか。


ヨガによれば、こうした質問の答えは、個人の知識と全体的なカルマにあるという。その知識は、生と死、そしてその間にある全ての謎を説く。若い頃の私は、幸運と不運の原因を理解するために哲学を学んでいた。しかし、読書や熟考を重ねたにもかかわらず、カルマの論理の意味をやっとつかみ始めたのは、何人かのヨギたちと聖典に出会ってからだ。彼らと共にいると、魂の達人たちは知識の説明を超えたところにある微細な謎を明らかにしてくれたのだ。


例えば、アラハバード大学でサンスクリットを学んでいた時、アラハバード郊外のガンジスのほとりに暮らす偉大な聖人スワミ・サダナンダに出会うという幸運を得た。この平和的で穏やかな聖人は、聖典だけでなく世俗的な科学にも精通していた。そして師匠シュリ・スワミ・ラーマに出会う前は、精神的な科学の最高位であるシュリ・ヴィディヤの教えを私が乞うていた一人でもあった。スワミ・サダナンダはこの科学を私に教えてくれるとは言わなかったが、シュリ。ヴィディヤの実践に関する聖典に導いてくれ、またシュリ・ヴィディヤを学び実践sるには神の恩寵とともに良いカルマが必要だと言った。師は、どちらもガヤトリ・マントラを唱えることで叶えることができると言い、このマントラが負のカルマを消し去り新しい良いカルマを作り出し、神の恩寵への道を開くのだと強調した。


師が聖典で解説するこうした指導や理論はどちらも当時の私にはピンとはこなかったが、スワミ・サダナンダの愛、哀れみ、親切、そして聖典の知識は、師への深い献身と信頼とともに私の心に深く沁み渡った。師は時折カルマの法則を説明したが、その教えにもかかわらず、私にとっては抽象的で不可解なままだった。




カルマの流れを変える


スワミ・サダナンダは誰にも優しく、病人に遠慮なく薬を与えた。しかし、私が病気になった時には全く気にかけなかった。私は全く理解ができなかった。そしてある日、遠くの村に住んでいた私の母が、ひどい頭痛に1ヶ月以上も悩まされており今では目も見えなくなったという知らせを受けた。私は動揺し、母のための薬をもらうようスワミに嘆願した。師の返答は「カルマの流れを変えるには、薬は弱すぎるのだ。お前が欲しいと言うなら薬をやるが、アディティァ・フリダヤム(聖アガスティアに明かされた太陽への祈り)を唱えた方がよい」


そうして私は、母の村から60マイルも離れたアラハバードに留まり、大学での日課を続けながら毎日この祈りを12回唱えた。ついには、突然、母の具合がよくなったと姉から知らせがあった。深く感謝しながらも、この祈りと母の回復の関係について好奇心をもった。「なぜ祈りやマントラは、それを実践している者だけでなく遠くにいる誰かの助けにもなるのですか?」私はスワミ・サダナンダに尋ねた。


師は微笑みながら言った。「集中したタパス、サマディ(精神の没頭)、マントラ・サーダナ、神の恩寵、無我の奉仕、そしてサットサンガ(聖者との同席)は、とても力強い正のカルマを短い時間で作りあげる。そしてこれは、前の負のカルマの影響をうち消す」師は立ち上がり、ヴィヤサの注釈のあるヨガ・スートラを取り出して今引用した文章を見せた。


この状況にカルマの法則を当てはめたことで、私はヨガ・スートラと他の聖典を以前より深く理解するようになったが、まだカルマや輪廻転生の関連性についえはよくわからないままであった。


そしてある日曜の朝、私がかなり早くにアシュラムに向かうと、スワミ・サダナンダがひとりの紳士といた。彼は、頻繁に激しいてんかん発作を起こすため、自分を傷つけないようにするためにいつも誰かに付き添ってもらわなければならなかった。師は、灰のようなものを彼に与えてこう指示した。「この薬を毎朝飲みなさい。ただし、野鳥たちに穀類を与えてからです。朝の沐浴を済ませたら、大麦と割れた小麦、その他の穀物を手にし、鳥たちを呼んで与えなさい。鳥たちが食べ終わったら、この薬を飲むのです。それから食事をとっても良いですが、必ず鳥たちが食べ終わってからにしなさい」


紳士が去ってから私はこう尋ねた。「先生、薬を飲むことは理解できますが、なぜ鳥に食べさせなければならないのですか?」


スワミ・サダナンダは答えた。「注意して見ていなさい。彼が治ったら説明しよう」


ほぼ3日間、この気の毒な男はずっと腹をすかせていた。鳥たちが彼の撒いた穀類を食べなかったからだ。そして4日目、やっと鳥たちが食べ始め彼も薬を飲み始めた。1日の初めに鳥に餌を与えることが彼の日課になり、1ヶ月のうちに発作の回数が減った。6ヶ月後には治っていた。


私がスワミ・サダナンダに説明を乞うと師はこう言った。「鳥は自然の一部である。彼らの人間との関係性は、利己や期待に汚されていない。彼らに与えれば彼らは幸福だが、与えなくても気にしない。ただ本能に従うだけだ。私的な選択もしないし、特別な予定もない。彼らへの行いは、われわれ全てのカルマの貯蔵庫である自然への行いである」


「個々人のチッタ(無意識)とカルマシャヤ(カルマの容れ物)は、常に自然、プラクリティにしたがって動いている。自然は、植物や川、その他の自然の環境を含んでいるだけでなく、この物理的世界の源であり中心となる根源的なエネルギー場をも含んでいる。自身の快楽を犠牲にし自分のものだと考えているものを諦めることで、微細な世界のカルマの負債を清算することができる。そして、今の不幸の原因となっているのがこうしたカルマの負債なのだよ」


ごく簡潔だったこの説明で、この後私は何年にもわたって勉強や熟考を重ねることになる。しかし、カルマの謎について勉強し考えをめぐらせるほど、頭に浮かぶ質問が増えていった。なぜ、他の生き物に食べ物を与えるだけでカルマの負債が清算できるのか?人間も自然の一部ではないのか?それが何なのかもわからないのにカルマの負債を清算することなどできるのか?一生のカルマは次の一生にも影響し続けるのか?そうならば、どのように?
 

母の回復や鳥に餌を与えた紳士の治癒は、カルマの法則をすり抜ける方法があることを示唆していたが、なお問題は残った。「全てのカルマの負債を清算しなければカルマの束縛から自由になることはできないのか?あるいは、激しいタパスや、サマディの会得、マントラ、無私無欲の奉仕、聖人や賢者とのサットサンガ、そして神の恩寵を得ることで免責されるのか?カルマの負債は他の方法では補えないほど大きいものだから、神の恩寵を得ることは破産宣告のようなものなのか?

ーーーーーーーーーーーーー

次回に続きます。

(出典)https://yogainternational.com/article/view/how-practice-influences-karma

2021年4月15日木曜日

<日記> TVドラマの・・・

シンガポールでなーんとなくヨガを始めた時、
始めて習った日本人の先生が金沢出身の Makiko さんでした。

シンガポールの後、ご主人の赴任でカリフォルニアへ
そして今は東京へ戻られ
2019年後半から代々木公園のそばでスタジオを始められました。
オープン早々のコロナ禍で大変だろうなと思ってはいたのですが、
今回、なんとTVドラマでヨガポーズの監修をされたそうで。

ご縁のある方のご活躍は、嬉しいものですね。

オンラインのクラスも開催されています。
興味のある方はぜひどうぞー。


スタジオ PRITI https://studiopriti.com

2021年4月9日金曜日

「ポーズを快適に感じないのはなぜ?」スッカの意味
“How Come I’m Not Comfortable?” The Meaning of Sukha


「安定した楽な姿勢を見つけましょう」と、ヨガのインストラクターが、ヨガスートラの第2章46節にあるパタンジャリの有名な格言(Sthila, Sukham, Asanam)を引用して生徒たちに言う。15分くらいたったら「限界までいきましょう、プルプル震えるゾーンまで」と言われ、励ますように「このポーズは楽ではありません」と。確かに楽ではない。ポーズをホールドするのは大変。


スッカを「楽」という意味にとるのはもうやめよう。多分「快適」がよりよい定義。でも、インストラクターがプルプル震える部屋いっぱいのヨギたちに「不快さを通して集中しましょう」などと言っているのを聞いたりする。辛いのは自分だけではないと知ると元気がでるかもしれない。でも「楽」でも「快適」でもないなら、いったいスッカとは何?努力が必要なポーズを練習したり、静かに瞑想している時、私たちは自分の快適なゾーンの外にいる。だったら、スッカが「快適」や「楽」の意味だとするのは紛らわしい。これまで私が聞いたことのある一番いい訳は「良い具合」。スッカのこの定義を心にとめていれば、実践の多くの場面で良い具合の組み合わせを見つけることができる。


この言葉を部分ごとに分ければ、「ス」は「良い」で「カ」は「穴」。この場合、この穴というのは、馬車の車輪と車軸が繋がる穴のこと。古代の印欧人は、インドからはるばるアイルランドに至るまでの土地にかれらの言葉と習慣をもたらした。彼らがそんなに遠方へ旅できることができのは馬車のおかげ。車大工と馬車大工がいい仕事をすれば、乗り心地はスッカとなり、よい組み合わせが車輪と車軸がスムーズに働かせることができた。


インストラクターが気づく以上に初心者が混乱することは多いけれど、ほとんどのヨギはパタンジャリの言うスティラ・スッカム(うまう具合に安定して、と訳せる)を維持しながら努力をどのように調和させるかの感覚を身につけていく。呼吸をしているかどうかが、スティラでスッカに練習しているかを判断する方法だと推奨されている。ヨガをしているのか自分を窒息させているのかを決める簡単な方法が呼吸ということに異論はないけれど、サンスクリット語とインドの歴史をみれば、私のお気に入りのパワーヨガインストラクターがよく言うような「プルプル震えるゾーン」でスティラ・スッカム・アサナムを維持することはどういうことかを理解しやすくなる。









スティラ・スッカム・アサナムのスッカとは、ヨガを実践する時には、体の全ての部分が良い具合に一体となるべきということを示している。これは、シャヴァサナで静けさを探しているときも難しいポーズで震えたり汗をかいたりしているときにも言えること。ヨガの基本となる文献のひとつバガヴァットギータは、その中心に、馬車を操るあらゆる方法を駆使することが求められる二輪馬車での戦争を例えている。このギータは短いけれど、マハーバーラタという壮大な叙事詩の中の欠かせない重要な部分で、戦場において神が啓示する場面だ。そんな戦いの中で、古代の御者たちは4頭の疾走する馬をコントロールしながら震えたり汗をかいたりしただろうし、戦車に乗った兵士は動く標的に並外れた弓矢の攻撃を行っていたことは間違いない!馬車をコントロールすることは、身体能力と精神集中を試すこの上ない方法だと考えられていた。スッカは通常私たちが理解している「楽」でも「快適」でもなく、調和をとりながら全てをうまく働かせるということだ。


弓矢や馬車、そしてハタヨガの偉大なマスターたちは、ごく自然な熟達の状態に到達しているということだ。けれど、スティラ・スッカムはまた、練習をしながら震えたり汗をかいたりしている私たちにも当てはまる。簡単な言葉にすれば、あなたの車輪がぐらついておらず、つまり身体が怪我をするような位置にないという意味になる。そして、それ以上の意味おある。ハタヨガは実際的な修養で、最も基本的なレベルにおけるスッカは、肉体(ヨガ哲学ではアンナマヤ・コーシャ、食物鞘と呼ばれる)が、強さとしなやかさと健康を安全にもたらすような形にあるという意味になる。そしてこの概念はまた、生気鞘(プラナマヤ・コーシャ)、意思鞘(マノマヤ・コーシャ)、理智鞘(ヴィジナナマヤ・コーシャ)、そして歓喜鞘(アナンダマナ・コーシャ)という身体の微細な鞘にも当てはまる。


ヨガの伝統の早期には、馬車が人間の身体の暗喩となり、御者である神によって導かれ、魂はその目的に狙いを定めていた。そして肉体ができることを賛美することはとてもよいことではあるけれど、ヨガは究極的には魂を大切に扱うことだということを忘れないでいたい。バガヴァッドギータでは、魂と神の会話が、弓の達人アルジュナが彼の御者であるクリシュナへ語りかけるというたとえ話で表現されている。私たちの練習の全て(体の四肢や存在のより深い部分も)が良い具合に組み合わさる時、そして結果に執着せずに注意をもって戦車から目的を狙う時、私たちは最も深淵な方法で自身を育み、より高い目的に仕えることになる。ギータの最後の節を引用しよう。




全ヨーガの支配者クリシュナの在すところ

弓の名手アルジュナの居るところ

必ずや幸運と勝利と繁栄と そして永遠の道義が実在することを

私は確信します




私たちはみなアルジュナ。弓は、練習や人生でささげる目標。古代の戦車の兵士たちにとって弓を引く訓練に何年も費やすこと、そして(結果に執着せず)今ある課題にただ取り組むことは、大変な実践となったに違いない。けれど、行動の結果に執着するなというギータは、私たちにそうであれと伝えている。その行動が、弓を射ることであれ、面接に向かうことであれ、ハンドスタンドを見事にやりとげることであっても。


ヨガの支配者であるクリシュナとは、私たちの高みにある自身、つまりアートマン。私たちの意思や行動を導く私たちの存在の原点。そして、弓の名手アルジュナとは、人生の目的に気づいた行動であり、個人の利に執着せず善行を選択すること。



私たちの車輪が、決してぐらつくことのありませんように。



(出典)https://yogainternational.com/article/view/how-come-im-not-comfortable-the-meaning-of-sukha 

2021年4月2日金曜日

脳をシャープに保ち続けるために今日できる簡単な5つのこと 
5 Simple Things You Can Do Today to Keep Your Brain Sharp for Years to Come


科学的に裏付けされた秘訣で、記憶力や集中力を高め、頭脳を健康に保つ



言葉や細かいことが出てこなくて記憶をたどったことのある人にとって(全員!)、記憶が全てではないという脳の専門家の言葉には驚くかもしれない。じゃあ、どうして記憶のことをまず心配してしまうのだろう?


「人は、知能検査でより良い結果を出すことには関心がないのです」とハッケンサック大学病院の精神科主任であるゲイリー・スモール医師は言う。彼は、ハッケンサック・メリディアン・ヘルスの行動医学責任者でもあり、「The Memory Bible」 の著者だ。「毎日の買い物リストを覚えておきたいんです。街を歩いていて知り合いに会ったら『ああ、ええと、お元気ですか?』というよりちゃんと名前を思い出して『やあ、メアリー、元気かい?』と言いたいんですよ」


しかし、記憶は脳みそから名前を引っこ抜いたり牛乳が残り少ないことを知っていたりということよりもずっと複雑だ。友達の名前を思い出すには、例えば、脳の処理スピードや、集中力、他の多くの要因に関係していて、それは向上させることができる。しかし、それにはちょっとした努力が必要だ。


「一般的に、人が記憶に対して持つ期待は非現実的なものです」 出版予定の「The Neuroscience of Memory」の著者であり、シカゴ認知健康センターのオーナーで監督者であるシェリー・D・オール医師は言う。そして彼女が指摘するのは、年齢が全てではないと言うことだ。「40歳をすぎると、20代の頃にも忘れていたことを忘れてしまうんです」


脳についてがっかりするような誤解が巷には溢れている。例えば、卒業証書のインクが乾くやいなや脳の成長は止まってしまうとか聞いたことがあるだろう。神経の可塑性と言われる科学的な概念があるが、つまり脳が生きている限りその構造と機能は変わる可能性を持っていると言うことだ。老人とみなされる歳になっても脳の中に新しい細胞が作られることが可能だ。つまり、もし脳を強くしようと願うなら、実際に可能できるいうことなのだ。


「IQをあげることはできませんが、脳トレをすれば、集中力や作業記憶など多くを増やすことはできます」オール医師は説明する。








脳トレとは?


一般的に卒中や脳の損傷などを経験した人を対象に行われる認知機能リハビリの世界では、認知機能を高めるために使われる方法が二つある。代償と回復だ。そしてそれは誰にでもできることだ。


代償手段は回避することで、もし脚を骨折していたなら松葉杖を使って歩くというようにタスクを完了するのに役立つ。歴代大統領を覚えるのに歌を歌ったり、水素からヘリウムまでの元素周期表を覚えるのに給水栓と風船をイメージしたりするのと同じだ。車の鍵はいつもドアの横のフックにかける癖を作ったり、新しく人に会ったら名前を何度も繰り返してしっかり覚えるというようなこと。


代償手段は、脳を鍛えるためにできることの多くを占めている。しかし、その他の少数の認知リハビリ手段は回復で、実際に修復して脳機能を向上させることだ。例えば、卒中を起こした人がどのように、もう一度歩いたり話したりできるようになるかを考えてみればいい。「そして、脳の健康のために、十分な睡眠をとる、質の良い食事をするなど他にもできることがありますが、そうすれば記憶に集中する力、思い出す力、理解力が向上したりするのです」オール医師は言う。


脳を鍛えようという時、何を期待すればいいのか?「現実的なのは、何がしたいのかということによって決まります」スモール医師は言う。脳トレは全てが楽しいゲームではない(確かに楽しいものもあるが!)。ダイエットやエクササイズのように、何かを得るには、ある程度の努力が必要だ。


しかし重要なのは、実験室で起きたことが全て外の世界でも起こるとは限らないということだ。  「科学の研究での活動は、一般的に、人が実際に毎日行っているものとは同じではありません」スモール医師はいう。(例えば、瞑想のリトリートに3ヶ月も過ごせる人はおそらくなかなかいない)


しかし、専門家らによると、以下の方法は時間とエネルギーを費やす価値があるだけでなく、脳の処理能力や集中力、情報を保存して取り出す能力を向上させる結果も出ている。これら知能修正する5つの習慣のうち、どれを毎日の生活習慣に取り入れられるかみていこう。


 

1. エクササイズする


議論の余地はない。運動は体や脳を健康にする。「エクササイズが、脳細胞の成長を促し、脳内の結合や経路の数を増やし、より多くの神経を成長させる要因を作り出しているという実にしっかりとしたエビデンスがあります。脳細胞のための肥料みたいなものです」オール医師は言う。

専門家全員が推奨するような特定の運動は存在しないが、脳を鍛える効果は、自転車から鳥のポーズをすることまでさまざまな運動効果が研究されてきている。例えば、60才以上の成人に強度のインターバル・トレーニングを受けさせた小規模の研究では、記憶力が30%上がった。Applied Physiology, Nutrition, and Metabolism に掲載された研究では、強い記憶干渉に焦点を当てられたが、同じモデルで同じ型の車の中から一台を識別するというようなことに役立つ。

ヨガの効果を示したMRI画像を使用したイリノイ大学の再調査がある。習慣的なヨガの実践によって、海馬(記憶に関連した脳の部分)の容積が増え、前頭葉(計画するのに不可欠な部分)が大きくなった。

結論:楽しめるフィットネスを選んで、それを続けよう。



2. 新しいことを学ぶ


これについては聞いたことがあって、ギターの演奏法を覚えたり、  Duolingoをダウンロードして中国語を始めることだと思っているかもしれない。そう、こうしたことはまさに脳を磨くことになる(例えば、新しい言語を学ぶと、記憶や注意に結びついている灰白質が増加さする)が、しんどくなって3回目のレッスンまでに諦めてしまうかもしれない。

「 目的は脳を鍛えることで疲労させることではありません」と、脳を鍛えることについてスモール医師は言う。「選択する新しい活動が魅力的で、その活動がもっとうまくなりたいと意欲が出るような入り口を見つけることが必要です」

つまり、目新しさや種類を好きな活動に取り入れると言うことだ。例えば、毎日やってるクロスワードを週に数回は数独に替えてみるとか。絵を描くのが好きなら、フリーハンドでかくクラスを試してみる。今、楽しんでいるものの上に築き上げることで、新しいことを簡単に始められる。専門家によれば、挑戦することで、脳内の古い経路が繰り返し活性化するのではなく新しい経路が作られるらしい。

「どんな種類の知的作業でも行えば、時間とともにより上手に速く行えるようになります」ニューヨークタイムズの火曜日のクロスワードパズル(毎週日を追うごとに難しくなる)に行き詰まっていたスモール医師は、今は木曜日のパズルを解いている。「誰もが向上する可能性を持っています。練習することが重要なのです」彼は言う。


 

3. 瞑想のようなマインドフルな何かをする


集中して聞いてなければ、会ったばかりの人の名前や、買ってくるように頼まれた5品について覚えてなどいないはずだ。ありがたいことに、7000年前の古い実践法が、どこかに置き忘れたものを見つけるのにかかるよりもおそらく短い時間で、注意を鋭くすることができる。研究によれば、たった少しのマインドフル瞑想でさえ、即効があるらしい。ある小規模研究では、初心者たちが10分間の音声誘導のマインドフルネス瞑想を行ったところ、コントロールグループと比較して、その後のタスクにおいて注意や正確さ、反応時間に即時の増加がみられた。

カリフォルニア大学デイビスの精神脳センターの長期研究では、60人の経験者グループの3ヶ月の瞑想リトリートの効果を調査した。そのような時間を持てる人は少ないが、興味深いことに、リトリート後すぐに得た被験者の注意に対する効果は、1日に1時間程度に短縮下にもかかわらず、その後も7年間続いた。

集中は、脳を鍛えたいという欲望に集中するのによい場所だ。「注意は、間違いなく全ての認識領域の中で最も影響を受けやすいもので、見ること証明することが可能です」オール博士は言う。「瞑想は脳を強化するのに良い方法で、数分間ただ呼吸に集中するだけでも効果があります。数週間、瞑想をしていると海馬が成長し、前頭葉の容積が増え、おおくのばあい恐怖を感じる扁桃体が小さくなります」

最後の部分が鍵で、パニック状態やストレスがあると集中できないものだ。「コルチゾールは脳細胞に有害です」オール医師は言う。「ストレス全てをなくすことはできませんが、瞑想で闘争逃走モードから出るのを促すことができます」



4. より社交的になる


「パンデミックの金銭的、身体的影響を乗り越えた先にある長期間の悪影響は精神衛生です」テクノロジーと脳の健康に焦点をあてたカリフォルニア大学サンフランシスコ校にある神経科学センターNeuroscapeの設立者で責任者であるアダム・ガザリー博士は言う。

孤独感は脳の健康によくないと彼は言及する。「孤独感が寿命に影響することだけでなく、健康に与える影響もデータがはっきり示しています」彼によれば、パンデミックの間でも、家族や友人と定期的に交流し続ける方法を探ることが必要だ。ZOOMゲームをアップするとか、オンラインで映画を一緒に見るとか、(ソーシャルディスタンスをとった)散歩に出かけるとか。

孤独感が認識力の大きな低下の危険をはらんでいるというだけではなく、新しいことを覚える方法として社交は脳にいいのだ。「他の人と会話している時は、脳を使っています」スモール医師は言う。たった10分間の会話(討論でなく)が、作業記憶や注意散漫を防ぐ能力など実行機能スキルをあげる可能性があると、Social Psychological and Personality Science誌の研究が示している。



5. ゲームをしてみる


脳トレゲームは、パンデミックよるEラーニングの必要性から昨年急増し、数百万ドルの産業となっている。もし、フェイスブックの広告フィードに出るアプリにお金を出す価値があるのかと思ったことがあるなら、その答えは揺るぎないものだ、と思われる。

初めに知っておいた方がいいのは、全ての脳トレゲームが同じように作られているわけではないことだ。「いいゲームも悪いゲームもあります」ガザリー医師は言う。彼の研究室では10年以上に渡って脳の健康を強化するビデオゲームのテクノロジーを開発・テストしてきた。「ですから、『ゲームはいいのか悪いのか』というのはいい質問ではありません。細部が重要です」

また、異なるゲームには異なる目的がある。考えるスキルを高める目的でゆっくりと戦略的なゲームもあれば、処理能力を速める目的のアクションだらけのものもある。「現在たくさんのデータが混ざっていることが困難にしています」ガゼリー医師は今、ゲームで高められた注意能力がどのように日常生活に影響を与えるかを理解する研究をしている。

現在のところ、巷にある脳トレゲームの効果に対する信頼できる研究はそんなに多くはない。しかし、悪影響の可能性は低いし役に立つ可能性があるとかんがえれば、お金を出す前に彼らの言う効果をちょっと調べてみて、それから、興味があればやってみよう。





これら全てを取り入れるのはしんどいと思うかもしれないが、手軽にできる鍵が一つある。やらなければならない仕事と思わないでただの楽しみだと考えればいい。自転車に乗るのもいいし、ストレス解消の瞑想に10分間費やすのもいいし、これらの脳を活性化する習慣を、ケーキのデコレーションのように君の脳に足せばいい。