前回からの続きです。
著者のカルマに関係する体験が引き続き語られていきます。
信じるかどうかはあなた次第かもしれません。
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答えとさらなる質問
これらの質問に対する答えを見つけようと、私はサンスクリット文学とアーユルヴェーダの勉強を離れ聖典と哲学文献に集中することした。スワミ・サダナンダと過ごす時間に加え、アラハバードのガンジス河岸で毎年おこなわれるスピリチュアル・フェスティバルに来る多くのスワミたちを訪ね始めた。これらの博識な師たちの多くは私の質問に答えをくれたが、あまりにも深淵過ぎたり、私の理解が及ばなかったりで正しくその答えを得られないことがほとんどだった。そして時には、質問に対する答えそのものよりも、師たちの無意識な行動を観察することで得た理解の方が役に立った。
例えば、こうした聖者たちの一人のところに、もうすぐ大事故にあうという思いにはっきりとした理由もなく取り憑かれている健康な若者が来た。彼の問題を聞いた聖者は、河岸にある臨時のアシュラムでしばらく一緒にいるようにと指示した。
数日経つと若者は我慢できなくなり、ある早朝、次の列車でジャリヤの街にある彼の家に帰ろうと決めた。聖者は帰るなと強く助言したが、若者は仕事に戻らなければならないと言う。そこで聖者は、私は病気で街の薬が必要だがそれを手に入れられるのはお前しかいない、と言った。明日でも、あるいは今晩の列車で発ってもいいが、私は病気で高齢なので二度と会えないかもしれない、最後に手伝ってくれることが重要なのだと。若者は承知した。街に行って薬を手に入れ、そうこうしているうちにジャリヤへの朝の列車は出てしまったっ。翌日、その列車が大破して100人以上の乗客が死亡、数百人以上が負傷したという知らせが届いた。若者は感謝の気持ちに溢れ、今度は聖者に仕えるためもっと長居したいと言い出したが、聖者は帰宅せよと強く言った。
こうした出来事を多く見てきて、これらは偶然ではないと信じている私は、聖典にある真実は、負のカルマをうちける方法のひとつは聖者とともにいて仕えることだと教えてくれていることに気づいた。しかしなぜ、今、聖者に仕えることが、昔に作られたカルマの影響を消すことができるのかは依然として理解できなかった。誰がこのような正確なカルマの記録を維持することができるのか、また、なぜカルマの記憶を知る知恵を持てる人とそうでない人がいるのかを知りたいと思った。また、なぜヨガ・マスターには、他人の問題の原因を明らかに理解し巧みに彼らに助けるのに、自分自身を助けることには無関心な人がいるのか。質問は私の心を悩まし続けた。自分自身よりも誰かの問題を知る方が簡単なのか?自分自身を助けるよりも他人を助ける方が簡単なおか?こうした賢者たちは精神的な法則に縛られているのか?なぜ、彼らは問題の原因を知り取り除く能力を持っているのにもかかわらず、そうしないのか?
直接的な体験
時間が経つにつれいくつかの答えが見つかったが、それでも質問のリストは長くなった。そしてある日私は、ある精神的な実践の直接的な体験を得て、それが私自身の運命を変えることとなった。
それは1982年の冬だった。私のグルデーヴァであるスリ・スワミ・ラーマはニューデリーに滞在しており、その夕方にアメリカへ経つ準備で私もお供していた。突然師が私に尋ねた。「それで、お前はいつ行くのかい?」私は時間を伝えた。少ししてまた聞かれた。「それで、お前はいつの行くのか?」私は同じ答えをした。それから今度はこう付け加えてまた尋ねられた「行かねばならないのか?」私は、教えるクラスがあるから戻らなければならないと説明したが、それを聞いている様子はなかった。それから数時間この会話が何度も繰り返され、ついに師が私を行かせたくないのだと気づいたが、なぜかはわからなかった。航空会社に電話をしてフライトをキャンセルした。まもなく師はまた尋ねた「お前は行くのか?」と。
「いいえ」と答えると「よろしい。お前はリシケシに行って、アシュラムで何それという実践をしなさい。毎日ヴィルバドラ寺院に行きなさい」と師が言った。
そこで私はリシケシに行って実践をした。しかし、最終日になって私は猛烈な疲労感を感じた。ビーズのマーラを手に取ってマントラを繰り返し始める度に、居眠ってしまった。何度も起き上がって冷たい水で顔を洗ったが、目を覚ましていられなかった。瞑想の姿勢で座ったまま私はうとうととしてしまい、マーラが手から落ちた時、現実だと思うほどはっきりとした夢を見始めた。
夢の中で私は、ニューヨークから私が住んでいるペンシルバニア州にあるスワミジのオフィスまでのよく知った道を車で向かっていた。ラウラという女性運転手は、ニューヨークまでよく私を送ってくれたが、いつものように彼女は楽しそうに運転していた。突然、一台の車が高速道路の出口から入ってきて、車の流れと反対方向の私たちの方向へ向かってきた。ラウラが急ブレーキを踏んだとしたら、後方の車がわたしたちの車に激突してしまう。路肩か隣の車線へと急ハンドルを切ったら、周りの車と衝突してしまう。時間も選択肢もなかった。正面衝突は避けられない。今にも衝突するかという一瞬前、2台の車の間に白装束のとても背の高い男が現れ、衝突を避けた。彼は私たちを抱えあげ(片手に私、もう一方にラウラ)、中央分離帯に置いた。
目が覚めた私は、床におちたマーラを見つけた。私の存在全体が、恐怖と喜びの入り混ざった力強さで満たされていた。衝突の恐怖、そして安全な場所へ助けてくれたモノの優しい感触の喜びだ。身体中に鳥肌がたった。しかし、実践を終えるまでに唱えなければならないジャパがまだたくさんあったので、その体験を頭から押し退けてマントラに集中した。それからまもなく、私はアメリカへ帰って通常の日課に戻った。時間とともに夢のことは忘れてしまった。
夢が現実に
その春、ラウラはクラスを教える私をニューヨークへと車で送ってくれた。帰宅する途中、突然彼女が、胸がドキドキするのでこれ以上運転するのが怖いと言い出した。ここ数日、正面衝突のビジョンを見るのだと言った。ニューヨークまでの運転を断りたくなかったので、その恐怖を消そうとしたらしい。しかし、恐怖のあまりもう運転できる状態ではないと。
私は夢のことを思い出し、事故の起こった場所に近づいているのに気づいた。そして、外界で何が起こったとしてもそれはすでに内界で起こったことだというスワミジの言葉を思い出し、この出来事は全てすでに起こったことで、白い不思議なモノはもう私たちを救ったから怖がる必要はないのだと、突然私は理解した。しかしそんなことはラウラには言えない。
夢の中であの車が入ってきた出口はもう目の前だった。語りかけることで彼女の気を紛らわそうとしたが、ますます動揺し始めた。右車線で出口に近づいていた時、突然、高速道路に入ってきた一台の車が私たちの目の前で同じ車線に入ろうとしていた。私たちも後方と横の車もブレーキをかけて急ハンドルを切ったが、衝突は避けられそうになかった。その瞬間、質問が私の頭に浮かんできた。あの白装束のモノが私を車から連れ出しやすいようにシートベルトを外した方がいいのか?同時に他の考えも浮かんだ。それがどんな違いをうむというのか?物質的な存在は役に立たないし、微細なエネルギーにとってシートベルトなど何でもない。そして目を閉じて待った。私が心の目で見たのは、2台の車の間に白装束のモノが現れてラウラと私を車から救い出して道路の右側の路肩にそっと置いたことだった。
目を開けて隣にラウラが立っていることに気づいた私の体は、リシケシでの夢のあとに感じたのとおなじ恐怖と喜びの入り混じりに包まれていた。また、全身に鳥肌がたった。私たちの車は入ってきた車と真正面の場所にあって、フロントドアが大きく開いていた。後方の車の数台は衝突していたが、どれも深刻ではなかった。ドライバーたちが窓から首を出して叫んでいた。ラウラに大丈夫かと尋ねた。彼女はにっこり笑ってこう言った「大丈夫」そして、周りのドライバーたちが叫んだりお互いの免許証番号を交換している間に、私たちは車に乗り込んで走り去った。
それから数週間、私は常に白装束の男のことを考えていた。あれは誰で何だったのか?キリスト教によれば、天使なのかもしれない。インド的な観点から見れば、不死の聖人かヨギかもしれない。何だったのか全くわからない。以前に知っていたとか、体験したという感覚もない、夢以外は。そしてなぜあれ(彼)は私を守ったのか?リシケシで実践するようにスワミジがくれたマントラが人の形をして現れたのか?かつて私が山中で迷って倒れたときに守ってくれたスワミジと同じ聖人だったのか?あの白装束のモノには特に愛といった感情を持たなかった。しかし、スワミジに対しては圧倒的な感謝の気持ちでいっぱいだった。ああいった形をとって師自身が私を助けてくれたのか?それとも師の依頼を受けてあれが現れたのか?
私の心はいつもリシケシで行った実践へと戻っていった。しかし、同じマントラを何百回と唱えても状況が特に変わらない多くの人を知っているので、この体験が単にその実践のおかげとは考えられない。スワミジは、私の過去のカルマの結果から起こることを防ぐのに必要な守護の力を得るために、この実践を使ったのか?
カルマの法則を超えて
この後ラウラに起こった出来事で、より多くの質問が浮かび上がった。2週間ほどの間、彼女は他のより幸せな世界にいるようだった。喜びとスワミジと彼が示す霊的な伝統に対する感謝で溢れていた。しかし3週間の間に彼女の気分は変化した。長くスワミジの生徒であり、私の家族の親しい友人でもあったのに、私たちから距離をとるようになり、無関心になり、そしてスワミジを敵視するようになった。4週目には、彼女は施設を離れた。たくさんの文句があったようだが、そのほとんどはスワミジが自己中心的だというものだった。スワミジが他の人が幸せに暮らすことを望んでいないことに失望したというのだ。
まったく意味がわからなかった。スワミジに説明をして欲しかったが、何が起こったのか聞いたとしても師はただ黙っているだけだとわかっていた。しかし、ある日、プーラーナのひとつを読んでいてこの質問に答えてくれる一節に出会った。その聖典は長い話で、カルマの法則に介入できるものは誰もいないということを明らかにしていた。見えるものも見えないものも、この死を逃れられない世界で機能する全ての力は、カルマの法則に支配されている。生死、そしてこのふたつの間のこと全てはこの法則によって起こる。しかし、カルマに関する出来事を変えるにはひとつだけ方法がある。神意、つまり神だけがもつ力の法則は、カルマの法則を超え、カルマによって起こる出来事を修正することができる(ただしそれは稀である)。神意の範囲では不可能はない。また、激しい苦行(タパス)、マントラの修行(サダーナ)、三昧(サマディ)、神への献身、聖者とともにいることと無私の奉仕を通して神意につながることは可能である。そうすれば、カルマによる出来事はよい方向へ変化し始める。
聖典はまた、神意の恩寵を受けるには準備が必要だと明かしている。一度受けた恩寵を維持し自分のものにするには、さらなる準備が必要となる。神を信じ身を委ねることでこれが可能となり、この状態は瞑想や祈り、ジャパ、熟考、自己探求、またその心や精神が完全に神の意識で満たされている人に奉仕することで作られる。
このメッセージの脈絡にラウラの行動を当てはめた時、私の質問に対する答えを得た。私の場合は、11日間のリシケシでのジャパ実践がその実践に流れる恩寵を吸収する機会を与えてくれたため、カルマの力が神意を揺るがさなかった可能性がある。しかしラウラは同様の機会を持たなかったため最初の喜びがすぐに疑問と恐れに埋もれてしまった理由かもしれない。
1976年から、スワミジが、ヨガ、瞑想、精神性の異なる観点を解説するのを耳にしてきた。師の内に込められた不変のメッセージは、私たち人間は自分自身の運命を作っていると言うことだ。総体的にカルマの法則は避けられないとしても、思考を通して、私たちはなりたいものになる。神意の体験は稀だが、サンカルパ・シャクティ(意志と決意の力)を育めば、今はまだ現れ始めていないカルマのいくつかの形を変えることができる、とスワミジは言いつづけている。また、カルマの負の影響を小さくし、より大きな喜びや幸福を人生にもたらす何百もの方法が聖典に書かれているのだとはっきり述べてもいる。しかし、心から誠実に実践しない限り、どれも役に立たない。それが鍵である。
(出典)https://yogainternational.com/article/view/how-practice-influences-karma