2020年3月19日木曜日

もっと幸福感を:鬱と不安のためのポーズ Vol. 1
Feel Happier: Poses for Depression & Anxiety

ヨガセラピーでは、鬱や不安はマインド(精神)が忙しく働きすぎている状態(または極限までいって働きが止まった状態)だと言われます。その動きを緩やかに穏やかに戻すためには、ゆっくりしたヨガなどが向いているのではないでしょうか。
この記事は、パニックを起こした著者の体験を交えてヨガの叡智を紹介しています。
そこまで深刻な問題になっていなくても、誰にでも不安な時はあります。そんな時に応用できるのではと思います。

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鬱との戦いは時として、人生をかけた戦いのように感じられます。そのもがきを止めるのにヨガは役立ちます。


11年前のことですが、私に初めて本格的なパニック発作が起こった夜のことはまるで昨日のことのように覚えています。サンフランシスコのマリーンズ・メモリアル・シアターの狭いバルコニーで当時の彼と一緒に座り、破壊的に悲しく、信じられないほど長い劇を観ていました。3時頃には私の気分は最悪になりました。早く劇が終わらないかと必死で願いながら、シートの上で体を小刻みに動かしていました。すると突然。呼吸が胸でつかえたように感じたのです。喘息の発作が起こりかけているのだと思いました。手を心臓に当て肺に空気を入れようとするのですが、入ってきません。シートのアームに体をもたれかけて、空気をなんとか吸い込もうとしました。何も起こらない。胸は完全に広がっているのに空っぽに感じられるのです。そして本当にパニックになり始めました。すぐに大きな呼吸を吸わなければ死んでしまうと確信したのです。


喉元で心臓がどきどきしていた私は、苛立った人の波を通り抜け暗い劇場から逃げ出しました。階段を駆け下りて道路に出た私は、気が遠くなり体の感覚が完全になくなっていきました。


その後のことはぼんやりした写真のようでしかありません。彼が劇場から出てきて私を観た時のびっくりした表情を覚えています。タクシーから女性を引きずり出し、ドライバーに病院に連れて行くよう言ったことも。そして病院で、看護師が私を座らせて手を私の両肩に置き「息をするのよ、あなた。息できるから」と優しく言ってくれほっとした瞬間を思い出します。そのとき恐怖が消え、死なないのだと気づいてほんの一瞬安心しました。けれど、その安心はすぐにとんでもない悲しみにとって変わりました。奥底から嗚咽が出てきました。その夜の間、ずっと続きました。そして何週間も続いたのです。


その夜遅くに病院から戻った時、私の精神状態は悪化していました。パニック発作の後にまだ感じていた不安だけでなく、もうひとつ加わったのです、鬱という訪問者が。その後数週間、完全に自分を落ち着かせることができませんでした。ずっと泣き続け、世界から孤立した気分でした。毎朝起きて目を開けるのを恐れ、映画館や飛行機、バスなど人混みが怖くなりました。そしてある日、自分の家を出るのが怖くなったのです。頭上に広大に広がる空を、知らない人たちに囲まれて見上げるなんて無理だったのです。この状態を広場恐怖症ということは知っていましたが、それが自分に怒るなんて信じられませんでした。この時点で、助けが必要だと気づいたのです。




この話は、ヨガが私を救った話の一部だと思うでしょう。インドを旅してアシュラムで40日間瞑想して、人生の本当の意味を見つけられ、それ以来幸福に暮らしましたというような。そう言えればいいのですが、不安と鬱から私をまず救ってくれたのは抗うつ剤と心理療法でした。3年後ヨガを始めた頃には、ヨガはより幸せにより健康で繋がっているように感じさせてくれました。ヨガは私を「癒して」くれはしませんでしたが、時間をかけて私の人生を変えてくれました。この8年間、ヨガは新しい思考パターンを作り、自己愛を感じ、恐ろしい未来に心が彷徨う時にも今の瞬間に戻ってくる助けをしてくれました。そして、うまく行ってても行っていなくても、人生はいいものだと信じることができました。これは全てアサナの練習のおかげでしょうか?ええと、そうではありません。ヨガを実践することは私の内側にある景色を多くの意味で変えました。決定的なガイドとしてここに提案するつもりは私にはありません。鬱や不安は複雑で人によって異なりますし、個々の診断と治療プランを得ることが重要ですが、誰かの支援や慰めを得たいという人もいると期待しています。


私にとって、不安や鬱は常に側にあります。この何年かで、パニック発作や長く続く不安が鬱のトリガーとなることに気付きました。その理由は知られていませんが、アメリカ国立精神衛生研究所によれば、ほとんどの不安症(パニック障害、社会不安障害、強迫性障害、心的外傷後ストレス障害、恐怖症などを含む)は鬱を併発します。




アサナの練習は、リラックス反応を誘発し、コルチゾールやアドレナリンなどのストレス・ホルモンを減らすため、不安からくる鬱を和らげるのに役立ちます。リラックス反応がいったん始まれば、多くの人は感情から逃げようとせず寄り添えるようになるのですが、それは不安や鬱のトリガーとなる精神的要素を特定するのに必要なことなのです。しかし、このリラックスした状態に到る道というのは人によって様々なのです。


共にヨガと鬱に関するワークショップを教えているアイアンガーヨガのシニア・ティーチャーであるパトリシア・ウォルデンと、Yoga as Medicine の著者である医師のティモシー・マッコールは、鬱を「グナ」に基づき分類しています。古代のヨガの書によれば、グナとは、ラジャス、タマス、サットヴァという行動パターンとして現れる3つのタイプのエネルギーを指します。ラジャスの特徴は一般的に、動的で興奮しやすいとみなされます。タマスは不活発で、怠惰、恐怖や混乱、そしてサットヴァは純粋な「存在」で明晰、平衡状態のことです。ウォルデンとマッコールは、取り乱した不安誘導性の鬱を「ラジャシック(ラジャスの)」と、より無気力で失望した鬱は「タマシック(タマスの)」と読んでいます。


もしあなたがラジャシックだと感じているなら、つまり落ち着かず不安で恐怖を感じているなら、前屈や回復させるポーズなどの鎮静ポーズで構成されたヨガを練習するのが最良だと考えられます。しかし、心やエネルギーの制御が効かなくなっているなら、完全に静止してリラックスしようと悪化する恐れもあります。そうした状態ならば、練習の始めにアドムカ・ヴルクシャサナ(ハンドスタンド)やヴィラヴァドラサナII(戦士のポーズII)、太陽礼拝などの動的で活気のあるポーズで神経エネルギーを燃やしたりざわめく精神に集中する何かを与えるようにするとよいとウォルデンは助言しています。これらが難しいと感じるなら、アドムカ・シュヴァナサナ(下向きの犬のポーズ、ダウンドッグ)を試すことを提案しています。ダウンドッグの刺激が強すぎるなら、頭の下にボルスターやブロックを置きましょう。そこから、呼吸に集中して攻撃的にポーズを行わないなら、ヴィパリタ・ダンダーサナなどの支えのある後屈で神経を過剰に刺激することなく気分を上げることができます。ウォルデンが後屈は勧めるのは胸を開くためですが、それは不安や鬱の両方を緩和するのに不可欠なことだからです。鬱には体にエネルギーを引き込む吸気に集中する、不安には鎮静と安心感を促進する呼気に集中するのが最良です。


バランスが取れて落ち着いてきたと感じたら、スプタ・バッダコナサナ(横たわった合蹠のポーズ)やヴィパリタ・カラニ(壁に両脚を上げるポーズ)がさらに必要な休息を与えてくれます。また、ウォルデンは目を開けたままシャヴァサナ(屍のポーズ)をすることを勧めています。目を閉じると落ち着かず不安の感情が強くなるからです。




気付きとともに自身を強くする


精神的効能の他に、ヨガは不安や鬱と闘う人にとって計り知れない価値のあるスキルである「気付き」を与えてくれます。もしあの劇場の夜に私がもっと気付きを持っていれば、体の声にもっと違って反応出来たでしょうし、おそらくパニック発作にはならなかったでしょう。息が浅くなっていることに気付き(大抵は不安のサインです)、集中して落ち着きを取り戻すためにヨガの呼吸法を試してみたでしょう。あるいは、その日のもっと早い時間に、疲れているからそんな刺激的な環境にいるべきではないと気づいていたでしょう。いくつかあるより深い問題の影響を観察できたでしょう。その頃の仕事は惨めで、恋愛関係は不安定、故郷の家族と離れて悲しかったのです。もしこれらのことに気づいていたなら、もっと違った選択ができたでしょうし苦しむことも少なかったかもしれません。


一般的に、西洋人がヨガで気付きを高め流方法はポーズの練習を通してでしょう。けれど、クラスの中で使われるたくさんの指示は単にポーズを向上させるためだけではないのです。それらによってあなたの忙しい心が何かに集中し、今の瞬間にいさせてくれるのです。不安症の人にとって、これは特にありがたいことです。「不安になった時は、圧倒されていると感じるので何にも集中できません」と 30 Essential Yoga Poses の著者であるジュディス・ハンソン・ラサター博士は言います。「ポーズや呼吸、マントラなど実体のあるものに集中することは、とても落ち着きます」


また複雑な指示で、体の中で起こっているかすかな変化に自身を同調させることができます。こうした変化にもっと気付くようになれば、心や気分のかすかな変化にも気付くことができるようになるでしょう。体と心がどのように繋がっているかを強く感じることでしょう。「体の気付きを高めることにより、心の中に気付き始めます」マッコールは言います。「各ポーズをしながら心の中で何が起きているかを見るのです。自分を痛めつけているかもしれない。孔雀のように得意になっているかもしれない。ただただ逃げたいかもしれない」


ヨガの練習の中で体や呼吸、感情や思考など瞬間瞬間の気付きに磨きをかけ続けていけば、日々の生活にも気付きをもてるようにになります。「注意していれば、その瞬間に湧き上がるあなたの思考や感情にもっと繋がるようになり、そうすれば解決の半分は終わっています」ラサターは言います。言い換えれば、何かおかしいと気付くことができれば、それを無視して後になって辛い方法で解き放つ(ラサターのいう「あなたのエネルギーのなすがまま」)のではなく、その時にその問題に対処することができます。



受け入れる


ではエネルギーのなすがままにならないにはどうすればいいのでしょう?その裏に何があるのかを知り(気付きの練習が役に立ちます)、逃げたいと思っている時であっても、今何が起こっているのかを感じればいいのです。劇場でのあの夜、私は何よりも逃げたいと思っていました。建物の外に出てしまえば気分がよくなるはずだと確信してしまっていました。でも気分はよくなりませんでした。実際は、その後数週間、どこに行っても自分から逃げ出したいと思っていました。その経験からわかったのは、困難な感情から逃げることはうまくいかないことが多く、結局、あらゆる形で自分に戻ってくるのだと。けれどあの時は、そこで呼吸をして、辛い感情を感じることなどできなかったのです。


それでも時々パニックや不安は、深く根付いた感情の葛藤とは関係なくあっさりとやってきます。着陸までまだ5時間もあるのに飛行機の中で突然暑くなり狭苦しくなったりします。これも同様に、中立の視点から自分の反応を観察し、そこでそれが通り過ぎるのを見届けることが重要なのです。


ヨガの練習はまた、そうした状況に対応する際に必要な受容を教えてくれます。きっと、そのポーズが快適ではなく早くやめたいと思う時があるはずです。難しそうに見えるし難しい感情が起こってしまう。でも、ヨガはあなたがどう感じているかに気付くことを教えてくれ、そして不快で腹が立って悲しく不安に思ったときにでさえ、その状況をうけいれるために呼吸を使うことを教えてくれるのです。マットの上でのこうした状況を切り抜ける方法を手に入れられれば、難しい感情が起こった時もすぐにそれが変化してどこかに消えてしまうのがわかるようになるでしょう。


そして、日々の中で同様の感情が現れた時も(身体的、感情的に関わらず)、恐れが少なくなります。実際、自信が出て、自分の中に流れる感情に対処できる不屈の精神が自分にあると気付きます。痛みと共にいる能力を身につければ、結果的にパニックや鬱を和らげ、その困難の根本を知ることを可能になります。痛みと共にいる能力がやがてそれを徐々に消し去るでしょう。


ラサターの考えでは、鬱は怒りや悲しみなどの感情を否定しようとする時に現れ、その困難な感情を本当に感じる方法を学べば、通り過ぎるまでそうした感情を弱めることができます。「私たちは、不安や悲しみなどから逃げるたくさんの方策を作ってきました。過食や飲酒、そしてエクササイズでさえ。なぜなら私たちは悲しみを否定する社会だからです。でもヨガや瞑想でじっと座ることを覚えれば、感情を受け入れることができるようになります。この訓練は感情と交わることではなく、やがて消えていきます。実際に感情とともに座ることが癒しなのです」


サンフランシスコのベイエリア認知療法センターの認知行動セラピストのマイケル・トプキンスの意見も同様です。「突き放そうとするのではなくパニックを受け入れると、治まります」トンプキンによれば、パニックや鬱を経験した人のほとんどは、恐れすぎてしまいそんな経験を二度としないようにとエネルギーを集中させるのですが、それは単に悪化させるだけです。彼は潮衝に例えてこう言います。もし潮に逆らって泳げば底に引っ張られてしまう。でも潮が落ち着くまで浮かんでいればそのうち潮が岸へと運んでくれるでしょう。




内を見て、愛を知る


最も混乱する鬱の症状のひとつは、自分や周りの世界と切り離されたような感じがすることです。ヨガ哲学の非二元論では、自身とそれ以外の世界との間に解離はないとされています。自分を切り離された物だと見なす傾向は、心とエゴが作り出す錯覚なのです。非二元論は、私たちは毎日多くの二元性を経験しているため掴み所のない概念ですが、その概念の少しだけでも、自身や他者との関係性への考え方を永遠に変えることもあります。


この種は、数年前のサラ・パワーズのティーチャー・トレーニングで私の中に植えられたものです。彼女は瞑想の重要性を説明して、毎日ぜひ座ってくださいと言いました。「瞑想すれば、あなたの本質がわかるでしょう。そのままであなたは完全であることを知ります。なぜならあなたは愛によって作られているからです」



その時は妙にうそっぽく聞こえました。私自身を受け入れられるという可能性は、私にとっては理解不可能だと思えました。それに、。内なる悪魔を一人で沈黙の中で探究することが恐ろしかったのです。手を上げてこう質問しました。「内側を見て善がなければどうですか?ただそこになかったら?」彼女は答えました。「試してみないとわからないでしょう」そして「怖がらないで」そう付け加えました。



私は怖くて試しませんでした。その日も、その月も、そしてその年ずっと。心から瞑想に身を委ねるまで3年間かかりました。そしてある日、瞑想リトリートの途中で、感じたのです。とても静かで、とても優しい幸福感を。突然、自分が自然の一部かのように感じたのです。まるで小さなお花が私の心臓で咲いているような。まるで柔らかい影を落とす樹々に囲まれているような。いつもからまって固まっているように感じていたお腹の奥底から、暖かい光が輝いているような。それは爆発的とか熱狂的な幸福感ではありませんでした。もっと小さくてもっと心地よいものです。その瞬間それがやってきて、完全に怖さがなくなりました。不安がなくなったのです。ついに、初めから私の練習を駆り立ててきたヨガ・ティーチャーであるエリック・シフマンの言葉を理解したのです。「恐怖からの解放は、最後には愛の花を満開にするものだ。その状態にあると、あなたは他者の中にあるものを愛することができるし、他者もそれを見たことであなたを愛すだろう。これがヨガが勧める優しい世界の認識だ」


この経験のおかげで、人生の流れの中で自分を信頼することができました。奇癖のある神経症な私や、厄介な癖のある上階の隣人や、ひどい行動をする世界中の人々でさえ、みんな愛から作られていると突然わかったのです。自分のもっとも深いところに繋がれば、他の誰とでも繋がっていることに気づけると知ったのです。



今もなお私には不安と闘うことが、何日か、何週間か、何ヶ月かあります。また鬱が私の扉を叩きにやってくるのではと怖くなる日もあります。でも自分をよりよく知ることができた今、こうした感情に感謝できるようになりました。逆説的に、不安や鬱を経験したことで人生の不安が減りました。試されて切り抜いたのだと。また他の人の葛藤にもより理解できるようになりました。よりよい聞き手になり、より哀れみ深く、自分を笑い飛ばせるようになり、それが大きな救いとなっています。こうした経験がヨガを見つける気付きへと導いてくれたのだと確信していますし、思っていたよりも幸せにしてくれています。だから、もしあなたがとても辛い葛藤の最中にいるとしても、それは変わるのだとわかってください。とれがあなた自身の深い部分へと誘ってくれると信じてください。いつかそれに感謝する時がくるかもしれません。





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次回は具体的なポーズについてです。




(出典)https://www.yogajournal.com/lifestyle/feel-happier




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