2020年9月7日月曜日

ヨガマットは本当に必要なのか?
Yoga Mats: Are They Really Necessary?


現代のヨガを最もよく表しているシンボルは、ヨガマット以外には無いでしょう。ヨガマットはもはやヨギが使う道具という以上の物です。ヨガマットは象徴です。ストレスが多く混沌とした予測できない毎日の中で、私たちの心が少し安らぐことのできる場所を表現しているのです。



ヨガマットの略歴


アンジェラ・ファーマーは、地球上で最もよく知られ尊敬されているヨガ・ティーチャーの一人です。彼女はヨガを40年以上教え続けています。若い頃に受けた手術が原因で、彼女の手足に汗がかけなくなったそうです。何もかもが乾ききった冬に、硬い木の床でヨガを練習したことはあるでしょうか?手足がスリップしてあちこちに滑ってしまう悲しくも可笑しい状況に似ています。ダウンドッグや立位のポーズは特に滑りやすいものです。

その症状があってもファーマーは、1960年代のロンドンで教えていたBKSアイアンガーとともに練習することをやめようとはしませんでした。アイアンガーは、気泡ゴムのマットレスを使ったり手に水をかけたりすることを許しませんでした。1968年にミュンヘンで教えていた時、彼女はカーペット工場で薄い下敷きに出会います。それこそが彼女の問題のための完璧な解決法だったのです。

ロンドンに帰った彼女の「カーペット下敷きヨガマット」は、生徒達の間でとても人気になりました。やがてアンジェラの父親が、ドイツのカーペット工場のオーナーと繋がり、故郷のヴァンクーバー・アイランドで最初のヨガマット小売店を始めました。

アンジェラ・ファーマーが開発したヨガマットは、治療の一環でした。マットの粘着性が症状を緩和することができたのです。



ヨガのストレッチ化


では、ある症状のために作られたヨガの道具が世界中のヨギの標準アイテムとなった時何が起こったのでしょう?


このマットの粘着性は、歩行の変わりに使われるモーター付きのカートと同じというわけではありません。モーター付きのカートは間違いなく便利ではあります、、、歩行に問題があれば、です。しかし、そんな症状を除けば、私たちの最悪の特徴を強める可能性もあります。ピクサー映画の「ウォーリー」を見たことがありますか?映画の中の未来の人間は、もう立って歩くことができず、一生テレビの付いたカートで移動しています。


芝生や砂の上でヨガをする時、あるいはブランケットの上でさえ、立位のポーズに柔軟性よりも強さが必要なことがわかるでしょう。手足が滑っていってしまわないようにする力はアイソメトリック(等尺性)の収縮です。


表面にある程度の不安定性がなければ、くさびのようにポーズをホールドすることになります。結果的に、膝や股関節、肘、肩が「ぶら下がる」ことになります。この関節の「ぶらさがり」は、ニューヨーク・タイムスに掲載されたウィリアム・ブロードの最近の誤診問題の主な原因ですが、この記事はヨガにおける柔軟性は不利になるということを示唆しています。股関節や膝の摩耗は、おそらく柔軟性ではなくマットかもしれません。マットの粘着性が高まると、ヨガの練習で必要となる強さと柔軟性のバランスが崩れることになります。


ウティタ・トリコナサナ(三角形のポーズ)の前足がいい例でしょう。マットの粘着性が十分なら前足は動かないでしょう。そして、脚の筋肉を上方にひきあげないまま、前足にまっすぐ「よりかかる」ことになります。前足をブランケットの上に置いて三角形のポーズをし、前足の感覚の違いに気付いてください。きっと力が入っています。前足が滑ってやるはずのなかったぎこちない開脚になってしまわないよう力が入って、少し震えているはずです。


ヨガマットは、ヨガをストレッチ化しています。おそらくアサナには、以前はより筋力が必要出会ったでしょうが、今はより柔軟性が必要となっています。



ヨガ・スペースのプライベート化


あなたが無限の宇宙へ広がるのを想像してみましょう...そしてマットから飛び出すのです!


想像してみましょう。
活気のあるヨガスタジオの大きなクラス。クラスが終わって、気分がすっかりよくなったヨギ達がドアから次々と出てきて、マットを持った熱心な生徒たちの次の波が入ってきます。彼らの大好きなヨガスタジオのワイルドウェストで、自分の取り分を探しているスピリチュアルな探索者で賑わっているゴールドラッシュです。


ヨガマットは、ただ粘着質の表面を与えてくれるだけではありません。マットはあなたのスペースを明確にします。実践者としての自分をより正しく表現するようなマットにします。ただ好きな色を選ぶというだけではありません。材質がPVCなのかエコなマットなのかを選択しなければなりません。また、サイズや厚み、運びやすさ、デザインも選ぶ必要があります。最新のスーパーエコのグリップが最強のジョン・フレンド・マンドゥーカのマットなのか、マイソールのラグなのか、ウォルマートで買ったハスの花の絵のついた10ドルのPVCマットなのか。


ヨガマットは垣根としての役目を果たします。個々人のスペースを分けます。誰も私のマットに足を入れることはできません。手足を「私の」ヨガスペースに伸ばすことはできません。混んだヨガのワークショップもクラスもプライベートなヨガスペースへの滑稽な一面を提供しています。並んだマットの間を爪先で通りすぎ、ボルスターや水筒の間を縫ってぴょんぴょんとんでトイレへと向かいます。おかしいですよね。


床は公共のスペース。誰もが好きなように歩いていい。ヨガマットはプライベートなスペース。ティーパーティーのモットー「私の上を歩かないで」の現代バージョンですね。


皮肉なものですよね。私たちは、自身の境界を緩めて、皮膚で分けられ拘束された自分およりもより広がりのある体験を得るための練習をしているのに。そして、私たちはこうすることで、自分の派手な色の四角いプライベートなヨガスペースに閉じ込められているのです。


選択と自由


ヨガが人間が自由になる技術だとしたら、ヨガマットはだめだから使うのはやめるべきだといって終わるのは馬鹿げています。それは自由ではありません。自由とは、選択に気付き自分の選択をする力です。私たちは時々、権力にしたがって決断することもありますが、それもまた選択です。


アンジェラ・ファーマーがカーペット下敷きを使っていたことでBKSアイアンガーを感心させることはありませんでしたが、彼女は、体だけでヨガをするべきだというアイアンガーのこだわりのために彼女自身のヨガの旅を閉じることはしませんでした。(おもしろい話があります。数十年後の1989年、ファーマーはアイアンガーが彼女のマットを使ってデモンストレーションを行っているのをみたのです!)


ですから、ヨガマットを使うか使わないかの問題では無いのです。決断を判断すること、そして練習に関する決め付けを見つけることをも時には意味します。ヨガの練習にマットは必要だと決め付けていませんか?そこにはどんな利点と欠点がありますか?憶測に対してより気付きを持てば、私たちのヨガもより自由へのマインドフルな練習となるでしょう。





(出典)https://yogainternational.com/article/view/yoga-mats-are-they-really-necessary

2020年9月4日金曜日

30分の瞑想が痛みを緩和する 
Even Thirty Minutes of Meditation Can Help In Reducing Pain

数ヶ月前から、生徒さんのリクエストもあり瞑想に特化したクラスを始めています。瞑想にも様々な方法があり、合わないものや間違った方法で行うと逆に負の効果がある可能性もありますが、正しく行うと多くの効果が期待できます。
今日は、瞑想の研究発表の記事です。

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ニュー・ヘイヴンのイェール大学で精神医学と心理学の準教授であるヘディ・コーバーが率いた研究結果が、日課に瞑想を加える効果についての医学文献に書き加えられた。


瞑想の健康効果についての現存の研究は、様々な効能を強調している。日常的な瞑想は緊張を解きストレスを緩和に効果があるだけでなく、多くの身体的な症状にも効能がある。これが、癌患者や心臓疾患患者、複数の合併症を持つ高齢者などを含む深刻な健康状態の治療を受けている人々に、医療従事者らが瞑想を勧める理由である。


さらに、瞑想は病気のリスクを下げたり症状の防止に効果あるだけでなく、治療の効果をより高める働きをすると、研究者らは述べている。


精神的な健康と身体的な健康に強い関係性があることはすでに複数の研究によって証明されてきているため、瞑想などのリラックスするための実践法は必要である。しかし、瞑想の効果についての現在の研究は、一般的に長期間瞑想を行っている人を対象にしている。


そこで、the journal Social, Cognitive, and Affective Neuroscience に掲載された新しい研究の研究者らは、いままで瞑想をしたことのない人の毎日30分間の瞑想をした場合の効果の可能性に注目した。

そのため、コーバーが率いる研究者チームは、瞑想に触れたことのない人々を対象とした。被験者の年齢は全員18歳から45歳の間である。


まず、30分間の瞑想をどう実践するのかを被験者に教えた。そして、2つの異なる状況を観察した。
最初の条件では、被験者に30の当たり障りのない画像と30の悲観的な画像を見せた。2つめは、暖かい温度と痛い刺激をそれぞれ30分間体験させた。
どちらの状況でも、研究者が感情的な反応の基準を推定できるように、被験者は通常の反応をするようにと指示された。
脳画像を使って、被験者がこの2つの異なる条件に反応している間、研究者らは基準を設けることができた。その後、被験者にはこの2つの状況で痛みを感じているか質問された。
例えば、額に熱を当てられている間、痛みの感覚について被験者は話す必要があった。ほとんどの被験者は、瞑想の状態にある時は痛みが和らぎ全体的な悲観的感情も減ったと報告した。


これらの変化は、脳内の変化と共に起きていたと研究者は言及している。「マインドフルな容認を使った感情のコントロールは、痛みや悲観的な影響の減少、悲観的画像に対する扁桃体反応の減少、そして中央と側面の痛みシステムの熱喚起反応の減少に関連性がある」といった文で説明している。


論文の主要著者であるコーバーは、これらの発見に対し、耐えられる程度の高温の方が非常な高温よりも脳が反応しているようであると述べ、コメントしている。


彼はさらに、「痛みや負の感情を体験した時にその瞬間に止まることのできる能力は、長期の瞑想の実践が無くても、マインドフルネスの実践が慢性疾病に医学的効果がある可能性を示唆している」という言葉でその重要性を示し、研究を結論づけている。








2020年8月31日月曜日

身体と精神と魂の健康のための食事 
Food for Health of Body, Mind and Soul

The Wisdom of Paramhansa Yogananda からの抜粋です。

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食事に対する正しい心構え


私たちは、外界のものに対する非執着と私たち自身の実在への賢明な配慮との間にうまくバランスをとる必要がある。肉体への意識に集中している限り、人は自らの肉体を丁寧に扱うであろう。肉体への理にかなった配慮をすることはまた、精神的にも重要である。正しい食事、正しい運動、新鮮な空気、陽の光。これらは、均整の取れた暮らしのために不可欠である。

あなたの信仰は神に向けよう、食べ物ではなく。流行に敏感な人たちには、食事の理論に過度に依存し体を弱めているだけの人が多い。「ああ!」と彼らは嘆く。「今日はアボカドを食べてない、背骨が弱まった気がする!」そうした二次的な問題への没頭こそが、意志の力を弱めてしまう。暮らしへのそうした心構えこそが、骨抜きになってしまう!そんな表面的な懸念というのは、シロアリが基礎を食べ尽くそうとしているときに漆喰の壁のひび割れを埋めようとしているのと同じだ。



自然食の価値


生命力(プラナ)の活性が人の健康が健康の源だと言うのなら、なぜ食べ物はそんなに重要なのか?私たちが食べる食べ物も含めて、全ての細胞は潜在的な知性を持っており、私たちの精神や脳細胞に影響を与える。生の果物や野菜、ナッツなどの自然の食べ物は、精神に調和の取れた力を与えてくれ、身体中に生命力を滞りなく流してくれる。

死んだ動物の痛みや恐怖、怒りの振動を含んだ肉や、変性した食べ物は、精神の均衡を刺激して妨げ、それが身体のあらゆる場所を癒す生命力を監督するという生まれ持って得た力を奪う。食べ物そのものに癒しの力はないが、自然食は精神を鎮静化させ生命力を停滞することなく流すことができるので、間接的に健康を作り出すことができる。



引き寄せの力と正しい食事


引き寄せの力を得るには、身体に毒素を溜めないことだ。身体が毒素で満たされていると、エネルギーは多少であっても閉じ込められる。そうした毒素をきれいにしてみよう。内側が浄化されると、エネルギー全てが目や顔、身体を通して見えてくる。食事には注意しなければならない。生の食べ物は引き寄せの力を作り出す。ココナツはたくさんの引き寄せ力を作る。ビーツ、ほうれん草、レタスなどは生命力に満ちていて、あなたに魅力を与えてくれる。


肉を多く摂りすぎると、動物の力があなたの精神的な魅力を変化させてしまい、あなたの魅力はなくなってしまう。肉は肉体的な面へと集中させるため、精神的ではなく肉体的な友を引き寄せる。肉はまた、性的欲求を過度に刺激する。少しの肉は問題ないが、毎日食べる習慣があるのなら、引き寄せの力は壊されるだろう。肉の代わりに、ナッツなど代替品をより多く取り入れるようにしよう。


過度のデンプンやタンパク質を含む食べ物は身体に毒素を溜める。果物や野菜を多くとれば、あなたの魅力が作られる。果物は野菜よりも効果的だ。陽の光と生命力にあふれている。食べ過ぎはダメだ。断食は胃を休ませるので、とても良い。あなたが食べる食べ物の種類によって、あなたの目や身体は魅力をもつことになる。



信念と食事法


神の癒しの力を信じ切ってその食事法に「服従」する方が、神と意志の力を信じ食事法を「無視」するよりも良い。



食事と性質


食事は私たちの心の状態に良くも悪くも影響を与え、心の状態に影響を与えるものは私たちの性質にも影響を及ぼす。正しい脳、そして身体を作るため正しい食事が必要だ。どんな食べ物も心に影響を与える。

人間の身体というのは、車や蒸気エンジンのようではない。エンジンの効率は燃料の供給に大きく依存しているが、同様に人の身体も食べるものに大きく依存する。食べ物というのは、そのように人格や能力、習慣などに大きな関係性がある。

身体だけではなく、精神的に霊的にも食べ物が及ぼす影響を知っておいて欲しい。精神的性質は以下の三つだ。

  • サトヴィック ー 道徳や霊的な性質を育む
  • ラジャシック ー 活動的、世俗的な性質を育む
  • タマシック ー 暗く鈍くなる性質を増やす
サトヴィックな食べ物は、果物や野菜、全粒の穀物や豆類、新鮮な乳製品、ココナツミルク、ピーナツやアーモンドのペースト、ナッツ類など。これらの食物は穏やかさと高潔さを作り出す。

ラジャシックな食べ物は、活動的で世俗的、力強く、感情的な性質を作り出す。玉ねぎ、ニンニク、卵、西洋ワサビ、南瓜、じゃがいも、漬物、スパイス、そして魚や鶏肉ラム肉などを含む。

タマシックな食べ物は、暗く、破壊的な性質を持つ。匂いの強い物、腐敗した物、人工的に作られたもの(自然の質を奪われたもの)はタマシックだ。例えば、ロックフォールチーズ、冷凍食品、酒、牛肉、豚肉などである。これらは、自惚れや嫉妬、貪欲、復讐心などを作り出す。



空腹感を指針とする


1日に三回食事を取るという習慣は危険である。食事のベルが鳴るたび食べることで多くの人は早死にしている。空腹感がなければ、そんな不吉はベルは無視しよう。毎日同じ時間に食べることは、身体の細胞が食事の準備をし消化液を分泌するのに役立つ。知的な細胞は、動物園の腹を空かせた動物のように、食事の時間を待つものだ。

しかし、空腹でなければ食べてはならない。空腹なら、適度に食べる。あまり空腹でないなら、少なめに。全く空腹でないなら何も食べないこと。少し空腹で食べようとしているならその食事は飛ばそう。次の食事の空腹感が増すだろう。意志の力で、毎日3回の食事をする誘惑に抵抗しよう。三回の食事は常に細胞や、心臓や神経、胃など体全体を常に働かせ続けることになる。朝食、昼食、夕食を抜くことで、しばし身体を休ませよう。とても激しく働いてとても空腹なら三度軽い食事をしても良いが、肉体労働をたくさんしないのなら1日2回が妥当である。



肉食と菜食主義


肉食と菜食主義の問題は、複雑で物議を醸し出す物である。以下は、現代社会のニーズにしたがって発言するものだ(1935年現在)。全ての人にとっていつの時もどちらがよいというのは言えないと私は考えている。

私たちの良心と人間の感受性というのは、野菜を殺して果物の皮を剥ぐより、動物を殺す方が刺激が強い。もし自分で殺さなければならないなら牛肉は食べないという者がほとんどだが、人参の頭をちょん切ることをためらう菜食主義者はいない。動物の血を流し痛みを与えることが示すのは、動物たちは進化というスケールで人間に近づいているということだ。

肉は濃縮された食べ物で力がつくが、便秘の元となり身体の毒素を抱えて、病気の原因となる。野菜や果物は、自然の下剤効果を持ち健康を保ち病気をなくす。野菜は、我慢強くたべなければならず肉のようには濃縮されていない。正しく食べなければ野菜は強さを作り出せない。

アメリカ人は、肉、牛乳、ナッツなど様々なタンパク質を過剰摂取による肥満に悩まされている。アメリカ人は菜食主義になるべきだ。

肉食の民族は大抵の場合政治的に自由だ。菜食主義のインドには、外国の絶え間ない侵攻を追い払うための強さがない。ヒンズー教徒には食べるタンパク質がほとんどなく、その狂信からデンプン質の多い食事を好む。そのために若くして痩せて死ぬ。インドでは、動物の方が人よりも長生きするのだ。

一時的方法として、現代のインドは、十分なミルクや肉の代替品が入手できるまで羊やヤギ、トリを食べる必要がある。他の肉と比べて、その栄養素において羊肉が人の身体に最もよいことがわかっている。


人の命は他の動物の生命よりも大切だ。人が生きるために肉を食べなければならないのか、または動物が生きるために人が死なななければならないのかを選択しなければならないとしたら、私は動物を消費して人が生きるべきだと答えるだろう。

肉食の人も菜食主義の人もどちらも健康に長生きできることがわかっている。イエスキリストもブッダも聖フランシスも肉を食べた。シャンカラやチャイタニャなどインドのキリストのような偉大な聖者らは肉を食べなかった。聖ペテロは、動物のビジョンを見て、殺して食べてくれと言われた。「汝、殺すなかれ」というのは人に対してだけであって動物に対してではない。モーゼもイエスも肉を食べたし、モーゼは十戒を授かった。

魚には血液があり神経もあるが、殺される時に音を発するものはほとんどいない。哺乳類ではより複雑なかたちに生命が進化しており、魚とは異なる。牛や豚は、高度に発達した神経を持っていて大きな痛みを感じることができ、殺されそうになると大きな声で抗う。こうした動物は、自己保存の愛や痛みを与えられるという不当な仕打ちを理解する進化した意識を持っており、だからこそ彼らは殺すべきではない。羊は牛や豚よりも抗い方が弱い。

野菜や魚、おとなしい動物たちは、自然界から意図してあまり発達していない神経を授かっており、大きな痛みを感じたり痛みの間抵抗することがないように見受けられる。これは、より低い生命がより高度な生命のために犠牲になるよう作られている理由なのかもしれない。









2020年8月21日金曜日

陰ヨガの芸術:創始者ポウリー・ジンクのインタビュー Vol.2
The Art of Yin Yoga: An Interview With Its Founder, Paulie Zink


このアプローチによって生徒が受けた恩恵とはどのようでしょうか?


このおかげで、彼らは自身の潜在能力を開き素晴らしく成長し流れることができました。自身のより深い気付きを養い、先入観から解放することで練習の中により自由をもたらすことができました。また多くの生徒が慢性のけがや閉塞を改善治療するのを見てきました。



ヨガが純粋な芸術なら、誰でもがポーズを作って「ヨガ」と呼んでいいのでしょうか?


はい、できます。ヨガポーズの多くは、私たちが自然のそばで野生状態で暮らしている時の原始的な身体の動かし方からきています。鍛錬としてのヨガの全ては、誰かがどこかで作ったものです。彼らの身体に合うように、また故意に動きや柔軟性を高めるように作ったものです。



あなたのワークショップに初めて参加する時に、生徒が持つ陰ヨガに対するよくある誤解や期待は何でしょう?


彼らは自分に限界があると信じているので、今の能力を超えて成長することはできません。自分の身体は遺伝子によって限定されていると信じています。ただそこに座ってリラックスし、とても簡単で単純なポーズをするのだと思っています。ストップウォッチで時間を測って全てのポーズを同じ長さでするものだと思っています。陰ヨガは優しく、動かず、睡眠時間的なヨガだと考えています。そして重要視されるのは結合組織だと。しかし私が教えようとしている陰ヨガはこのどれでもありません。多くの人は陰ヨガをリストラティブな練習として教えていますが、それが必要な人にはそれで良いでしょう。しかし、健康な生徒たちにただ簡単で優しいだけのヨガを教えているなら、彼らが必要とする身体の強さや引き締めなどを提供していません。そして自然に動き最適な健康を得るには強さと弾力が必要なのです。


私は、身体というのは機械のように部品の集まりではないと考えています。全体的なものです。それぞれが有機体であり、機械ではないのです。身体のなかでどこかが他と離れているという部分や領域はひとつも存在しません。ですから、私にとっては、陰ヨガをしている時に結合組織や経絡でさえも考えることは適切ではありません。このヨガは感じるものであり、考えるものではありません。何を体験しているのか、どのように成長したいのかをイメージすることに精神を集中することがより効果的なのです。


みんなにまとまったひとつの人間になって欲しいのです。身体、精神、心、の中でひとつとなり、周りの全てとの繋がりを感じて欲しいのです。あなたのある部分が他から離れていると考えて、バラバラになって欲しくないのです。柔軟性を高めると、身体の全ての要素が影響を受けます。筋肉、腱、靭帯、静脈、動脈、骨、内臓、血流、そしてエネルギーの流れ全てです。あなたが生きている限り、新しい細胞が作られます。骨もあなたの身体の中で生きています。ですから、骨でさえ成長し形も変わり、密度も増えます。









陰ヨガはどのようにハタヨガと異なるのでしょうか?


ハタヨガで異なる一点は、背骨にそって上下に動くプラナ(気)に注目していることです。伝統的な道教では、気の流れが異なります。生命エネルギーは背骨とチャクラを通って上下に送られます。そして手足と頭へと流れます。これは「5方向に動く気」と呼ばれます。気は中心で作られ身体中を動き、動物が行っているようにそして身体の外までエネルギー場が広がります。動物は全身を気のために使います。動物はエネルギーが背骨の上下だけに限定されているとは考えていません。動物は考えません、感じます。ですから、このようなヨガでは考えないで感じるのです。


猿は、背骨の柱を持って「正しく」動こうとはしません。試してみて私には機能しなかったので、私は理論を信じないのです。理論を手放した時に、本当に理解し始めました。本当の先生である動物園の猿から学んで理解したのです。以前は動物園に毎月出かけて猿たちと1日を過ごしました。ピーナッツを与え、時には彼らの手を握り続けたりしました。


時々、彼らの前腕を持って筋肉を感じたり、目を見つめたりしました。大きな雄のマンドリルが私をじっと見て、私もじっと見返しました。私の精神を彼らの精神に融合したのです。そうすることで何が真実なのかを教わりました。


彼らから本当の方法を教わったとたん、伝統的な理論は私の目的にはかなわないと気づいたのです。経絡の理論もそうでした。知っていても構いませんが、知る必要もありません。経絡の位置を考えることよりも身体全体で動くエネルギーを感じる方がより有益です。




あなたは陰ヨガは「完全な芸術」だと言われます。それはどういう意味でしょうか?何が陰ヨガを完全な芸術にしているのでしょう?


私たちの存在の様々な局面を教えてくれるからです。あなたの本質に合った食事、運動、世の中での生き方を教えてくれます。強さ、柔軟性、バランス、動き、そして機敏さを教えてくれます。微細なエネルギーを育み、身体全体そして身体の外へと流し、エネルギー場を広げることを教えてくれます。陽気さ、原始的な力を感じ、邪魔をする自意識を手放すことを教えます。静寂、そして静寂から動きへ。あなたの中の陰陽をどのように調和するのか。概念を捨て、子供のように元気いっぱいになる方法。猿のように自然に動く方法を教えてくれるのです。


それを学びたい人には、霊的哲学もそこにあります。中国の道教哲学からきていて、地球を敬い女性を基本とします。私たちの存在の源に帰り、偉大なる母である地球とそこにある全生命との相互関係に気付くことで私たちの全体性を思い出すことです。道教の道は「みち」であり、自然の道なのです。


そして自然界では、生命は女性から生まれます。


存在は虚空から現れます。それは不思議な偉大なる創造の力であり、私たちがみな相互的に関係しており依存しているものを通して無数のものを産むのです。


この繋がり、それが生きて私たちの中を流れているのを感じ、生命との完全性を感じるのです。


私たちひとりひとり全てが、永遠で無限の聖なる創造の力を表現する唯一無二の芸術であるということを感じることができるのです。

2020年8月19日水曜日

陰ヨガの芸術:創始者ポウリー・ジンクのインタビュー Vol.1
The Art of Yin Yoga: An Interview With Its Founder, Paulie Zink

今回は陰ヨガの創始者のインタビューです。彼の言葉には、陰ヨガに限らずヨガをしている人全てが気付くべき深い真実が含まれています。

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「陰ヨガ」といえば何が頭に浮かびますか?あなたはおそらく、生徒たちが受け身の長く深いストレッチに耐えている間、ヨガの先生が教室の前の方で静かに座っている光景を思い浮かべるでしょう。これが私たちの多くが知っていて、そしておそらく定期的に練習している陰ヨガでしょう。


しかし、ますます人気のこのヨガの創設者ポウリー・ジンクは、陰ヨガを全く異なる形で40年間教えてきました。ジンクの教えの背景にあるヴィジョンとこの芸術的な練習の総体的効果を探りましょう。彼の陰スタイルが他とどう違うのかを知れば、陰ヨガが全く異なったものに見えるようになるでしょう。



あなたの陰ヨガの定義は?


陰ヨガは、中国の古代シャーマンの伝統、そして他とひとつであり自身の本質との調和にあるという中国の道教哲学に起源しています。陰ヨガのポーズは、動物の特徴、そして私たちの周りと私たちという宇宙の生命力を作り上げている五行に基づいています。気やプラナとして知られる生命力は微細ですが、自然界に影響力を与えるほどとても力強いエネルギーです。陰と陽、女性と男性、宇宙の満ち引きの脈動なのです。


(中国伝統医学では)五行とは「地」「金」「水」「木」「火」です。これらの全てのエネルギーが、安定や堅牢、流動、弾性、明度などの異なった質を表します。陰ヨガは、身体と心を目覚めさせ、行っているポーズのエネルギーとなることです。ポーズを深め、ポーズの五行を活性させることで柔軟性が高まります。


例えば、毎日数分間カエルのポーズをしたとすれば、ついにはポーズが深まりとても弾力のある質を持つカエルの本質あるいは魂となります。陰ヨガの目的は、生物や五行のエネルギーを取り込むことでポーズの本質を備えるようになることです。


陰ヨガの目的は、流れるように動くという私たちの生まれ持った能力を取り戻すことです。
これが、身体中の気の流れを養います。私にとって最も重要なのは、安定したポーズができるようになることではなく、それよりもポーズの本質を掴み取ることです。もし動物や五行のポーズをしていてそのポーズのエネルギーを取り込んでいなければ、生命のない死んだポーズとなるでしょう。しかし、ポーズの五行や動物のエネルギー質とともに流れることができれば、そのポーズを理解したということです。


楽譜に例えてみましょう。ある一音だけを弾き、そして次の音を弾き、それが歌の一部とならなければその楽譜は良い物と言えるでしょうか?ポーズそのものは練習の中では全く重要ではありません。最も大切なのは、ポーズの移行と流れをもたらす魂を、メロディを奏でることです。これが、動物のように自然に本能的に動くことがポーズの意味なのです。私たちは動物だからです。




あなたが最初に道教的なヨガを学び始めた頃から、陰ヨガはどのように発展してきたのでしょう?


私はハタヨガを14才で始めました。道教の先生に出会った時にはハタヨガを練習して9年が経っていました。先生は、導引と呼ばれる古代中国の医術や他の気功を教えてくれました。いくつかの動物や各元素のためのポーズ1、2種を学びました。そして、自発的に動物園などに出かけて動物を観察し、他の動物たちについてやかれらの動きについて学び始めたのです。そうして先生から教わったポーズを練り上げていくつかのバリエーションを作りました。また、より多くのポーズやバリエーション、フローや動き、瞑想、エネルギーの理解を深めていきました。


ある動物が動いているのを見るとその動物のエネルギーを体現したくなり、よく見て私の精神とを融合させ、私の身体の中でそのエネルギーを感じることで一体になるのです。こうすることで、何かを象徴的に示すものというより生きている物を基にしたポーズをつくることができるのです。それは、自然や私たちのまわりの動物たちを鋭く観察することと、彼らと意識をエネルギー的に結合することで一体となることです。


私たちは実際に他のものとは切り離せないものであり、だからこそ、この世界のあなたの周りにある何かを体現したければそれは可能なのです。私の先生はこれを教えてはくれませんでいた。自分で見つけたのです。私自身の芸術だと言えるでしょう。不思議な力については先生はあまり教えてくれませんでしたが、私が学んだことのほとんどは自分自身の内なる経験によるものです。



西洋では多くの場合、ヨガは精密な科学として解剖学などに重点を置いて教えられています。あなたは陰ヨガは正確な科学というよりは芸術だと表現しています。これについて詳しく説明していただけますか?


私は解剖学は教えません。ヨガを練習している体験を感じることに完全に集中するよう教えています。生まれ持った能力のまだ使われていない可能性を開くことを教えています。私は理論と練習は別のものだとわかりました。本の理論は実際には機能しません。なぜなら理論とは分析的な心から出た複雑な思考プロセスの塊だからです。


野生の動物は理論など使いません。彼らはそんなことに興味を示さないのです。ただ本当の本質であるだけ。身体をどのように使っているのかという分析も現実というあいまいな概念もなく感じたり行動したりします。だから、ヨガを練習しながら解剖学や理論を考えるなら、その流れを感じることなどできません。今何をしているか完全に集中し感じることなく、考えることに心が忙しいからです。


動物たちは流れるような動きの本当の達人であり、行動に理論を使ったり考えたりはしません。しかし私たちも動物、霊長類ですから、彼らのようにできるはずです。でも私たちの心は、どうするべきかを判断したり様々な考えに邪魔され気が散ってしまうのです。もし私のヨガの練習の中で、本や講義から学んだ伝統的なヨガの理論や魔法の力を使おうしていたら、それは芸術ではなく頭脳の公式になるでしょう。


例をあげて教えるのが本来の方法でしょう。私がポーズを見せながらそのエネルギーを体現すれば、どのようにできるのかどう感じるのかがわかります。しかし、その方法を講義を聞いて誰かの解釈を聞いても、あなた自身の本当の方法で行うことはできません。やっているところを見る方が、それについて聞くよりもずっと効果的です。


自然界の動物のように動こうと思うなら、何かの体系の法則や理論に沿ってもできません。他の霊長類たちは科学的理論など考えません。しかし彼らは流れと動きの達人です。どんな理論も必要ないと彼らが証明しています。限界や概念に沿うことを教える理論は、あなたの邪魔になりかねません。ヨガとは何か、何がヨガでないかという誰かの考えに賛同するのは、ポーズの中で成長し動きと流れを行うことを妨げます。というのも、あなたは限られた信念体系の虜になっているからです。そして、知性に集中することは、直接体験を感じるという直接性を遠ざけることになります。


西洋の科学モデルは、私たちの文化の中で広く受け入れられているパラダイムです。西洋の科学や分析に公認されない限り、どんな分野や修養も正しくはないというイデオロギーに私たちは閉じ込められています。ヨガが西洋社会に取り入れられてから、私はそれをずっと見てきました。しかしヨガは、西洋科学を全く学んだことのない他の文化の中で多くの師たちに何世紀にもわたって非常に素晴らしく実践されてきています。しかしながら、ヨガは今では、ヨガについての哲学や理論、科学的解釈など様々な研究に人々が関わっているという意味で、学問的に組織化されています。ですから指導者養成は、講義や本でより多く行われ、ヨガの実践や技術の開発方法などは少なくなりがちです。昔は、多くの真のヨガ・マスターたちが心頭しただ実践していました。


実践するということが最も重要なことです。生徒たちの健康や幸福は、誰かが話すのを聞くことよりも、ヨガの練習に時間を使い、呼吸や感覚に注意を向けることでより多くの効果が得られるのです。




ヨガの実践者が科学としてではなく芸術としてアプローチすると何が違うのでしょう?


個々人には個性がありそれが陰ヨガを練習すると心を通して現れるので、陰ヨガは科学でななく芸術なのです。つまり、自己表現の唯一性です。あなたがある動物のポーズしても他の人のポーズとは同じではありません。しかし、その時のあなたの状態はあなたにとって本当なのです。


もしヨガを科学として捉えたなら、揺るぎなく変化のない機械的な枠組みの中に封じ込めることになります。芸術の自然にわき起こる創造的表現は生きています。しかし、何度も何度もただ先生のやることを繰り返して真似をするなら、あなたはただ誰かの方法のレプリカを作り上げているだけです。私は生徒たちに私を真似して欲しくはありません。自身の内にある芸術的表現と動きとともに流れる能力を発見して欲しいのです、私と異なる方法で。このように、ヨガとは常に進化し続ける生きた芸術なのです。


科学とは、客観的観察が基本です。知的な構造物です。しかし芸術は、生命のように主観的です。私たちの、感じたり受け止めている「生きている」という体験は有機的で直感的です。


私たちは有機体であり機械ではありません。変化し適応する能力が重要なのです。


私たちは、形が変わる容器に注がれる水のように、生きていて全体的でそこに存在しなければなりません。水のように身体や意識の中で流れれば、周囲の環境により簡単に適応できます。もっとしなやかに力強く優雅に動くことができます。自然界の高まった気付きを感じ、自身の中、身体の中でより安らげるでしょう。


多くの人は、自分は類人猿ではないと考えています。私たちが何なのかという生まれ持った基本的な側面への気付きを忘れています。このような芸術を練習すれば、それぞれの内にある原始的な自分を解き放ち、その生命力と陽気さを表現する助けになります。そしてそれが起こった時、自分が霊長類なのだとわかり、そして霊長類として理論や組織的に規定された方法は必要ないと気付くのです。


それは、ライブ音楽を聞くことと録音を聞くことの違いに似ています。録音はいつも同じです。しかしプロ音楽家のライブを聞きに行けば全く同じ演奏は二度とありません。そこには革新と自発性、感情やテンポの揺れがあります。それこそが私が教えてきたことです。同じクラスやワークショップは二度とはやりません。公式や前もって書かれたセリフでは教えません。また、自身の練習も全く同じ方法ではしません。どんな規制にも従わないのです。いつも異なるのは、一瞬一瞬がいつも新しいものだからです。



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次回に続きます。



(出典)https://yogainternational.com/article/view/the-art-of-yin-yoga

2020年8月8日土曜日

ヨガが認知症患者にできること Vol.2
How Yoga can Help People with Dementia

前回からの続きです。

編集注記:以下はヨガ実践者と指導者に向けた一般的な助言を目的としています。医療従事者による個々の助言の代替にはなりません。指導者は自らの実践の範囲に止まるようにしてください(生徒の診断や治療、医療的助言を行おうとしない)。
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お勧めの練習法



アサナ


目的: 柔軟性や筋力、バランスの強化や維持

効果: 転倒や怪我の防止

コツ: 掌やお腹、胸などのアンカー・ポイントに注意を向けることによる身体への気付きをより感じてもらいましょう。

可能な練習:

1. センタリングの選択:クラスの始めに、目を閉じるか鼻先を見下ろすように提案する。心地よい目的を設定するか、愛する人にその練習を捧げるように促す。

2. 運動: 関節のウォームアップと背骨の全方向への動きを勧める。呼吸に合わせた単純な動きに集中する。

3. ツイストの選択: 肩越しに見るなど優しいツイストを促す。こうした練習は迷走神経を整えられるので、副交感神経反応を強化する。

4. バランスの選択: 壁や椅子を掴んで片足を持ち上げるなど簡単なバランス・ポーズを提案する。できることから始めそこから徐々に築きあげる。

5. 脳の両半球間の伝達を刺激するため左右に交差する動きを促す:反対の手で反対の肩を軽く叩く、片手ずつ風船を叩く、身体の部分を動かすダンス(hokey pokey)をするなど:このダンスでは動きの指示(例「右脚を内に」)の時に左右交差させるようにし、参加者の右腕や右脚を身体の反対側へ交差させるよう誘導する。この練習はふざけて楽しく行えるようにする。

6. 前屈で終了:神経系を鎮静するため、パスチモッターナサナ(座位の前屈)のような優しい前屈でクラスを終える。個人の能力に合わせる。例えば、車椅子の場合は腕をテーブルの上にのせる、転倒リスクのある時は同様にテーブルの前に座って前屈させる。



プラナヤマ


目的: 副交感神経反応を活性

効果: 神経のバランスを整えることで睡眠や気分の調整機能が向上

コツ: 呼吸の練習は混乱するので、ポーズの方が全てのレベルの人に合わせやすいと気付きました。このため、プラナヤマの練習には認知症のステージを考慮することが重要です。

可能な練習:

初ー中期:長い呼気(吸気の約2倍の長さ)でブラマリ呼吸(花蜂の呼吸)をし、副交感神経の調整を促す。

末期:ため息を促す。ため息は横隔神経を活性化し、身体を弛緩させ過覚醒を減らす効果が持続。手本を示して真似してもらう。





瞑想


目的: 心を落ち着かせ集中する

効果: 落ち着き、集中力、明晰な精神を促進

コツ: 生徒の生活と興味を知れば知るほど、より効果的な誘導瞑想になる。生徒のことをできるだけ多く知り、その発見をクラスに取り入れましょう。

可能な練習:

リラックスできる快適な姿勢を見つけるよう促す。横たわっても良いし、両足を床につけて椅子にまっすぐ座っても良い。簡単な身体スキャンか呼吸へ意識を向ける練習から始める。心象の誘導はこの世代に効果的で、好きな場所の記憶を思い出すのを手助けできる。



私は時折、このタイプの誘導練習を私のヨガのかつての生徒としたことを思い出します。アルツハイマー病の末期にあったトムという名の才能ある人でした。トムは、長期療養施設に居てスタッフのみんなにとても愛されていました。彼は死の過程にありかなりの痛みを感じていました。毎日同じ時間になると、彼はますます混乱して助けを求めて叫びました。彼の家族から彼が熱心な船乗りだったと聞いていたので、私は彼の横に座って海のことを話しました。目を閉じるように言い、波の音、船やかもめの姿、温かい海風を思い出すよう誘導しました。彼がついてこれる程に簡単なヨガニードラの練習を用意すると、すぐに彼は静かに休んだものです。心象、身体感覚、そして穏やかで愛情のある存在の力というのは共有できる贈り物でした。



チャンティング


目的: 内なる教えと触れ合う

効果: 鎮静効果、人と一緒にする時は一体感を作る

コツ: マントラを選ぶ際には、患者の文化的背景や人生経験を考慮しましょう。

練習: マントラの繰り返し

初ー中期:アルツハイマー研究および防止財団によるキルタン・クリヤ

末期:「ソーハム(私はそうである)」のマントラか、「私は愛である」などの肯定の言葉を聞こえるように大きく繰り返す。



リラクゼーション(誘導のあるリラクゼーションとヨガニードラを含む)


目的: 喜びや至福の状態への促進

効果: 神経のバランスを促し、人生の困難に平和的に反応し肯定的な感情を育むことができる

コツ: 環境を考慮する。例えば、高齢者介護施設では、大抵の場合騒がしく音レベルの調整はほぼ不可能だと理解する。加えて、補聴器は背景の雑音を増幅させる場合がある。意識を内側に向けるか、ひとつの音に集中するよう促す。重みのあるブランケットなどの補助具が、身体を落ち着かせたり、不安を抑えるのに役立つかも知れない。薄暗くしたり明かりを落とすこともリラクゼーションの助けとなる。

練習: 緩和したヨガニードラ

安定した声でゆっくり話し、生徒たちが確実に理解できるようにする。もし理解できなくても、優しい声で話せばリラクゼーションの過程をサポートできる。




最後に


認知症に悩む人々のために生活の質を最適にし意味のある体験を提供するケアの方法を見つけることは極めて重要です。ヨガは、喜び、成功、一貫性、安心と休息の瞬間を提供することでこれを促すことができます。信頼と安心感を重要視する安全な環境と遊びの機会を提供しながらストレスを最小限にすることができます。最も重要なのは、ヨガは誰に対しても、変わることのない私達の一部である内に秘めた自分自身を発見するのを助けてくれます。それでは、Memory Bridge というドキュメンタリーから私の好きな言葉を引用して終わりにしましょう。


「認知症に悩む人たちはまだここに居て、アルツハイマー病と認知症によるダメージを越えた記憶と存在の深みで、まだ手の届くところに居るのです。私たちは聞くことを学んでおり、学ぶために聞いています。彼らにはまだ愛すること愛されることができるのです」

2020年8月5日水曜日

ヨガが認知症患者にできること Vol.1 
How Yoga Can Help People With Dementia

そして おすすめの練習法



編集注記:以下はヨガ実践者と指導者に向けた一般的な助言を目的としています。医療従事者による個々の助言の代替にはなりません。指導者は自らの実践の範囲に止まるようにしてください(生徒の診断や治療、医療的助言を行おうとしない)。





米国だけで、約570万人の65才以上が認知症を抱えています。現在のところ、この症状は完治することはなく、ほとんどの治療が症状の管理を中心としています。しかし、認知症を抱える人々にとって、ヨガを補完セラピーとして取り入れることが助けになるかもしれません。生活の質や認知能力までも維持し、向上する可能性があるのです。


ヨガがどのように役立つのか、どう練習すればいいのかを探る前に、まずはその症状を詳しく見ていきましょう。


認知症とは?



認知症とは、人それぞれに全く異なりうる多数の症状を持つ認知障害といった広範囲に分類されたものです。しかし、最も良く見られる症状は、記憶消失、意思疎通困難、視野や空間認識力障害、運動機能障害、論理的思考の困難などが含まれます。


認知症は、認知力にだけでなく精神的な健康にも影響を与えることを理解することが重要です。鬱や不安症、扇動、妄想、そして全体的な機能の衰えを引き起こす可能性があります。



認知症の原因



認知症の原因には、パーキンソン(運動障害をもたらす神経性の症状)、アルツハイマー病、血管性認知症関連の血液・酸素の流れの閉塞など前頭側頭障害です。最も多い原因はアルツハイマー病気で、次に血管性認知症だと言われています。


そして、認知症は65才以上がとても多いのですが、典型的な老化の一部分ではないことに言及することは重要です。


医療従事者や科学者らは、かつて脳は変化しない有限のものであると考えていました。つまりローカライゼーション(脳の特定の場所が特定の機能をになっているという考え)は絶対的で、脳が成熟に達すればあとはそこから劣化するのみだと考えられていたのです。認知機能の変化が老化とともに現れる可能性はあります。情報の処理が遅くなり、作業の切替が難しくなり、評価をし判断する能力が弱くなります。しかし現在では、記憶消失や認知力の変化は必ずしも老化とともに起こるものではないと理解されています。ローカライゼーションは絶対ではなく(脳の領域は特定されていますが)、訓練と注意を通して損傷した領域を補うこともできます。つまり私たちの脳は、以前想像されていたよりも適応力があり、柔軟で統合的なものであり、脳がどう老化するかは私たち自身の影響によるのです。


実際、2019年のアルツハイマー協会国際会議で発表された最近の研究によれば、様々なライフスタイルに適応すること(例えば認知機能を刺激する活動を選択するなど)が、認知の衰えや認知症のリスクを60パーセント減少させる可能性があります。とても勇気が出る結果ではないでしょうか?



ヨガができること



高齢者のヨガの効果に関する一重盲検法のある研究では、ヨガを実践したグループに「言語及び視覚記憶の即時及び遅延の想起、注意と作業記憶、言語の流暢性、実行機能、処理スピードに著しい向上が見られ」ました。被験者らはヨガをみんなで毎日1ヶ月間、週3回を3ヶ月間、その後個々人で6ヶ月間(毎日練習するよう推奨されていた)練習しました。


この研究は、高齢者介護の場面でのヨガの有効性をテストするために考えられた数少ない研究のうちの一つでしたが、呼吸法や瞑想が脳や神経に与える効能の研究は多数存在します。そしてヨガセラピストとしての私の経験から、ヨガが認知症患者の全体的な精神状態、認知力、記憶力の著しい向上を与えてくれる可能性を持つことに気づいています。例えば、アルツハイマー病患者の時は、私は彼らの好きな歌を覚えます。彼らが興奮したり集中できない時には、こうした歌を彼らに歌い聞かせます。必ず彼は私と一緒に歌い始めます。完全に気分が変わり、集中することができます。歌うことは、吸う息の2倍の長さで吐くヨガの呼吸法のように、呼気が長くなりやすく身体のリラックス反応を刺激するのです。


さらに、ヨガは今の瞬間に居ることを私たちに教えてくれます。そして認知症に関連した記憶消失の時には、人生とはその瞬間が全てなのです。





その他、認知症患者がヨガを練習するすることで得られる可能性のある効能は以下の通りです。

  • 血流、呼吸の増加、可動域の拡大、それによる転倒防止と運動機能の維持。

  • 身体への意識の向上。内受容(体内で発生する信号への気付き)、固有受容(体の空間への気付き)、運動感覚(動きへの気付き)の向上。

  • 迷走神経状態の向上による、ストレス反応後の副交感神経(「休息消化」のための神経系)の活性化促進。

  • 警戒し用心深く感覚インプットを優先し、実行機能をコントロール(または、矛盾に対処し目的に向かって行動する能力)する機能である注意ネットワーク機能の向上。

  • 痛みの処理能力の拡大。

  • 体力と能力を維持することへの集中力向上。

  • 健康である感覚の増加。

  • 自己抑制と感情抑制力の向上。

  • ストレス反応減少に相互関係のある扁桃体反応の減少。

  • 脳機能向上に相互関係のある脳梁(脳の左右を繋ぎ、情報の伝達をする神経帯)を交差する脳半球間伝達の向上。

  • 細胞老化を遅らせる若返り酵素、テロメラーゼの増加。

  • 慢性ストレスの影響を覆す能力。




認知症患者のためのヨガ



認知機能低下のある65才以上とクラスを持つ時には以下を試して見てください。以下はただの推奨なので、あなたの経験と快適度に合わせて行ってください。このグループとの私の経験では、これらの練習がこの病気の最悪の症状のいくつかを緩和することがあることがわかっています。例えば、日が沈むときの突発的あるいは強度の感情爆発や扇動、強迫性行動などの症状です。また、初期段階で自立して生活している人も24時間看護を受けている人もどちらにもお勧めします。



最初に考慮すべき点:

1. その生徒に何をすることが可能なのか、体力を知りましょう。

2. 喜びを招き記憶を蘇らせる音楽を選びましょう(可能なら若い頃によく聞いたものを見つけましょう)。

3. 笑顔ではっきりゆっくりと話し、目を見ましょう。

4. 常に名前で呼びかけ、自己紹介も忘れずに(時には、何度も何度も)。

5. 感覚刺激と感覚の瞑想を行いましょう。音や香り、味、見たり触ったりできる物など五感を感じる物、または想像で五感全てに意識を向けさせるよう誘導しましょう。

6. 安全な環境を作りましょう。目を閉じるのを不快に感じる人もいます。かわりに鼻の先を見てもらいましょう。そして目を閉じている間は彼らに触れないよう、または同意を得てから触れるようにしましょう。

7. それぞれの人の最も高い機能レベルに到達できるよう援助することに集中しましょう。認知症のどの段階にあるのかを考慮し、それに沿って対応し、うまくいくよう機会を提供しましょう。例えば、ナディ・ショーダナ(片鼻腔の交互呼吸)ができないのなら、もしかするとチャンドラ・ベーダナ(左鼻腔呼吸)なら可能かもしれません。柔軟になって、ありとあらゆる選択肢を試しましょう。


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次回に続きます。

2020年8月1日土曜日

不幸せの原因は何?
What Is the Cause of Unhappiness?


Himlayan Institute の Pandit Rajmani Tigunait 氏の記事からです。
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聖典は、不幸も幸福もどちらもその根源は心にあると伝えています。不幸になりたい人は誰もいないにもかかわらず、自身の不幸せを無くすことはできないようです。苦しみの原因を探し取り除こうとあちこち走り回りますがうまくいきません。なぜなら真実を受け入れられないからです。不満の原因は私たちの中にあります。私たちは問題の原因を外の世界のせいにする方を好むのです。


心は、外の世界にあるものを受け取ることに慣れていますが、どのように内側に向けて心とは何なのかを見ることはできません。私たちの不幸が内側にあって心や感情に働きかけなければならないのではないかと思っていても、それでも外に原因を探してしまうものです。そうすることが妥当だと思うのは簡単です。世界はそのように回っています。しかし深いところでは、不幸は自分で作り出したものだと知っているのです。不幸をどこか他所に見つけようとするのは、ただ問題を悪化させるだけです。





私たちの内なる真我、アートマンはいつも目覚めています。いつも私たちと共にいて、何が真実で何が偽りかを教えてくれています。しかし、恐れや自律の不足、自信の欠如、そして他者に頼る習慣によって、それを見落としてしまいます。私たちの内なる自我が有害な行動を避けるように助言したのにそう行動してしまうたびに、私たちは罪悪感を感じます。もう同じ過ちは二度としないと自分自身に言っても、精神的弱さや、習慣や、社会的な圧力のせいでまたそれを繰り返してしまいます。内なる真我がまたこう言います「おい、馬鹿なことはよせ。なぜ自分に不幸を呼び寄せる?」それを聞いてもまだ同じ過ちを繰り返すのです。今度はさらに大きい罪悪感を感じます。内なる声に逆らい続け、過ちと何度も繰り返し、罪の意識を重ねていくのです。こうして自己非難をし、心はついにバラバラになって騒がしくなり、魂の声を押し流していくのです。


罪悪感や自己非難とともに生きるのはとても不快なことです。ではどうすればいいのでしょう?心を内側に向ける方法を知らないでいると、心を外側に向けて誰かのせいにする言い訳を探します。他人や周囲の状況のせいにするのは一時的な気晴らしになるので、全ての問題を外の世界に探すという習慣を作ってしまいます。私たちはこう考えます。「彼は悪い人だ」「彼女はずるい」「こんな不愉快な人たちがそんなことをしなければ私の人生はとても楽しいはずだ」「みんな意地悪だ」「世界は醜く残酷だ」一度こうした習慣がついてしまうと、周りの人から自分を切り離す壁を作り始めます。しかし、それは平穏や幸福をもたらしてはくれません。自尊心を失い、最後には自分から自分を切り離してしまいます。こうして不幸せは完成されるのです。



全ての問題、痛み、そして惨めさは心から生じます。不幸を克服する唯一の方法は、心を落ち着かせ平穏にすることです。聖典は、自分の精神を保護するよう教えています。さらに、精神が保護されればどこにいても安心と守られているという感覚を得ることができるとも書かれています。


恐怖に支配された心は身を守ろうとします。自己防衛の一部として、その過程で暴力的に反応し自身や他人を攻撃します。社会から課されるルールや政府から課される法律は短期的には外の世界の不幸の原因を減らすかもしれませんが、究極的には、心の底深くに根付いた苦痛を無くすのは、個人としての私たちの責任です。ですから、聖典は自己変容のプロセスについて教えを与えてくれており、自己変容によってのみ外的環境を良くすることが期待できるのだと伝えています。



不幸を克服するプロセスは、人生の目的と意味を考えることから始まります。知性でこの目的を理解することはそれを見つけることへの興味を作り出し、さらなる内省、熟慮、そして自己探求を通して、この興味を育みます。最後には、幸せを明日に延期する代わりに、今ここで人生の意味や目的を見つける情熱へと成長していくでしょう。「私は自己発見と自由への道の途中だ」というシンプルな気付きも喜びや熱意、やる気の源となり、そのゴールに向かっていくことに喜びを感じるのです。


言い換えれば、不幸を克服する第1ステップは、人生にはより高度な目的と意味があると気付くことです。全ての体験や物、すべてがこのゴールに到達するための手段なのです。これが分かっていれば、手段に執着することなく目標を達成するためその手段をうまく使う方法を得るでしょう。


第2のステップは、幸せとは世俗的でも霊的でもどちらも含めて全ての成功の基礎であるということ、そして幸せとは自身の精神がもたらすものであり自身の創造物であるということを理解することです。もし何かを達成することで幸せになると考えているなら、決して幸せにはなりません。幸福は決意から始まります。幸せになれるのは、あなたが幸せになるのだと決意した時だけなのです。あなたの幸福に条件があるのなら、その条件がなくなれば幸福は消えます。例えば、あなたの夫や妻が幸せにしてくれることに依存しているとしたら、早かれ遅かれあなたは惨めになってしまうでしょう。あなたの幸福が、子供や富や、友人や、所有物などからくると期待するなら、早かれ遅かれ失望することになります。何事も変わっていくものだからです。あなたがあなたの幸福に関心があるのと同じように、他の人もその人の幸福に関心があります。あなたが他の人をあなたの幸福の対象だと考えるのと同じように、他の人もあなたを彼らの幸福の対象だと考えます。周りの人の望みをかなえている間は敬意を払ってもらえるでしょうが、そうでなくなれば無用な人だと考えられるようになるでしょう。



この知識を聞いてがっかりしないでください。これが世界の本質なのです。しかし、この世を喜びいっぱいで生き、何も所有していないのだという完全な気付きをもって、巧みにそして愛を込めて自分の義務を行えば、流されてしまうような不幸せの海を作ることはありません。愛する誰かが離れて行ったり大切にしているものをなくした時でも、何があっても幸せでいようとあなたはすでに決意しています。その決意を曲げないでください。全てを失ったとしてもあなたは勝者なのです。なぜなら内なる精神的平和を得ているですから。


このような平穏な心を持って道を歩み続けてください。あなたの周りにあるものを、恐怖や執着をもたず存分に活用してください。あなたの心を苦しめる不要な記憶や不安は捨てましょう。あなたが何者なのか、なぜこの世に来たのか、そして何を学ぶべきなのかを知るという任務にあることを毎日思い出しましょう。知るべきことを今どの程度知っているのか?もし今この瞬間に自分の体が無くなったとしたら、そこに後悔はあるのか?このシンプルな瞑想が、道に止まり全ての不幸からの解放を得る助けとなってくれるでしょう。

2020年7月26日日曜日

超リラクゼーションの技術 Vol.3
The Art of Super-Relaxation



最後の重要なポイント;どこに集中するのか?


このテクニックを練習する時、どこに集中すべきなのか?呼吸に。そう、でも体ではどこに?

最初にあなたが集中するのは、動いている肺や横隔膜かもしれない。では、その体の動きにまずは集中しよう。心が落ち着いてきたら、徐々に集中を身体から呼吸そのものへと移していく。呼吸が入る場所は鼻孔だと気付く。より落ち着いてきたら、空気の流れが最も強い鼻孔へと集中してみる。最初それは鼻孔の外側だが、もっと集中が深まったら鼻のもっと奥で呼吸を感じてみよう。そして空気の流れのもっとも強いところを感じよう。それは鼻の上の方?横?それとも下?これは、より明確に自身の心の状態を受け取るのに役立つ。鼻の上部の流れは、高い意識を意味する。下部では、背骨の下向きのエネルギーの流れを意味する。鼻腔の外側では、感情的に反応する傾向を反映している可能性がある。鼻孔の中心では、引きこもる傾向がある。もっと落ち着いてきたら、頭へと呼吸が入る場所に集中しよう。眉間だ。体の本当の集中点である。


呼吸の源はアストラル体にある。アストラルの吸気は上向きの動きに関連しており、ヨガの教えでいうところの「イーダ」を通っている。呼気は下向きの動きに関連しており、「ピンガラ」の神経経路を通る。これらの経路は、魚を食べる人なら魚の2本の小さな神経が脊椎に沿って走っているのを見たことがあるだろう。

イーダを通る上向きのエネルギーの流れは、物理的な呼吸の吸気に関係する。そしてピンガラを通る下向きのエネルギーは呼気に関連する。アストラルな呼吸はこのエネルギーの上下の動きによって完成する。反応プロセスの本質である。エネルギーの上向きの流れが強い時は積極的な反応を表し、故意の吸気でも同様だ。エネルギーの下向きの流れがより強い時(あるいは呼気が吸気よりも強い時)は、ため息として現れ、拒否の感情を表す。吸気が呼気よりも長い時は積極的な反応を意味する(興奮など)。呼気が長い時は、自分の中へ引きこもっている。睡眠時は、呼気が吸気よりも2倍長い。呼気と吸気が同じ長さの時は、心が落ち着いている。



その他のリラクゼーション・テクニック


まず両目を閉じて息を吐く。意識とエネルギーを感覚から解放する。心臓と心拍を感じ、心の目でみる。腕時計のスプリングを優しく触れて止めるように、意思の力で心臓を落ち着かせる。穏やかさを持って、体の中の全て組織の活動を停止する。そして背骨と脳の生命力の流れのスイッチを入れ、五感に繋がる電話を遮断する。脳を聖なるラジオとし、宇宙の音AUMを受信しよう。



AUMを使った超リラクゼーション


平らな椅子に座り、背骨を伸ばす。息を勢いよく吐き出し、そのまま吐き続けながら心の中で1から10まで数える。ゆっくり息を吸い、息を止めて1から10まで数える。10回続ける。そして息を吐き、呼吸のことは忘れる。

左足の指に集中し指ごとに「オウム」と心で唱える。右足でも同様に行う。次に左足裏に集中、次に右足裏に集中しそれぞれで「オウム」と唱える。「オウム」と唱えながら、左右のふくらはぎに集中する。同様に、左右の腿、左右の腰、臍、腹部、肝臓、脾臓、胃、膵臓、心臓、左右の肺、左右の手と腕、首の左側、首の右側、首の前と後ろで行う。

「オウム」と心の中で言いながら、脳下垂体、松果体、延髄、眉間、口、舌と口蓋、左右の鼻孔、左右の目、左右の耳、小脳そして大脳に集中。そして尾骨、仙骨、腰部、胴部、頸部、延髄、そして眉間の第三の目とチャクラの上下へ移動し、「オウム」と心で唱える。そして全身が「オウム」の聖なる音で囲まれたり放たれたりするのを感じてみる。





遍在(あまねく存在する)


おお精霊よ、我が生命と意識を所有と執着から放ちたまえ。汝、我が生命と精神を硬い肉体から解き放ちたまえ。我が意識を五感から、そして呼吸から放ちたまえ。心臓のエネルギーの鍵を放て。
そして、おお精霊よ、生命と意識を背骨に宿したまえ。そしてそれらを無限の宇宙にいる精霊の方へ放ちたまえ。おお、天の川銀河が我が内に浮かび輝くのを見させたまえ。
輝く偏在の鳥を延髄の鳥籠の裏門から脊椎の経路に向かわせ、心臓へと飛び立ちそこで生命力を歌わせたまえ。その呼吸の翼を二つの肺の中へと羽ばたかせよ。そして、おお精霊よ、ついには肉の壁を通り抜け羽ばたかせたまえ。
オウム・・・その響きは両の手に、両の足に、筋肉に!オウム・・・その響きは精霊に!オウム・・・脊椎へと戻りたまえ、心臓へと、筋肉へと戻りたまえ!






2020年7月21日火曜日

超リラクゼーションの技術 Vol.2
The Art of Super-Relaxation



ホン–ソウ集中テクニック


呼吸は生命だ。もし呼吸することなく生きられたら、寿命を長くすることができ、物理的な肉体の中で生きていながら肉体から魂へと意識を向けられるようになる。本当の無呼吸とは、肺に無理をさせて呼吸を抑制したり止めることではない。そうではなく、精神的静寂とリラクゼーションの状態になることで、一定の時間、呼吸がただ不要になるのだ。

このテクニックはいつでも練習が可能だ。どこにいても、背骨をまっすぐ引き上げて座り、深くリラックスしよう。両目を閉じる(あるいは半目にして眉間に視点を定める)。さあ、深い静けさとともに、、体から出たり入ったりする呼吸を制御せず心で見つめよう。息が入って来るときに、右手の人差し指を親指の方へ内側へ動かし、心の中で(舌や唇を動かさず)「ホン」と唱える。息が出ていく時には、人差し指を伸ばして心の中で「ソウ」と唱えよう。(人差し指を動かす目的は、集中しながらより肯定的になるためであり、呼気と吸気を区別するためである)

精神的に呼吸をどのようにも制御しようとしてはならない。それより、体に入り出ていく自然な呼吸の流れを、個別ではなく総体的に感じる呼吸の流れを見つめる沈黙の観察者の冷静な姿勢を取る。

敬意と注意を持って、このテクニックを少なくとも10分間(最初は)練習する。練習は長い程よい。昼夜問わず、正式な瞑想の最中でも暇なときでも、いつでも練習していい。例えば、車に乗っているとき(運転していなければ!)、ベッドに横たわっているときでも構わない。精神的な深い穏やかさを感じさせてくれ、ついには自分は身体ではなく魂なのだと気づかせてくれるだろう。この物理的な肉体から離れたより高みにあると。

正式な瞑想をするには、背中を真っ直ぐにしてアームのない椅子に座ろう。ウールのブランケットで椅子を覆い、背中から足の下まで垂らしておく。顔は東向きに。椅子の背もたれから離れ背筋を伸ばして座ろう。

このホン–ソウのテクニックは、先に述べたように暇なとき(例えば病院の待合室で座っている時など)にも練習可能だ。呼吸しながらそれをただ見つめ「ホン」「ソウ」と唱える。指を動かしたり、目を閉じたり眉間を見つめたりなど、周りの人の注目を集めかねないことはしないでいい。よければ瞬きをしないで目を開けたまま、まっすぐ前かどこか一点を見つめてもいい。可能なら、そして控えめにできるなら、背筋は伸ばし続ける。

ホン–ソウのテクニックの目的は、注意を下界から自由にし、五感から解放することだ。というのも呼吸は魂と体を繋ぐ紐だからだ。人は大気の中に生き、それは魚が水を必要とするように必要なものだ。無呼吸へ高みに上ることで、人は天使の住む光の天空界に入ることができる。冷静に出入りする呼吸を見つめていると、呼吸は自然と遅くなり、最後には心臓や肺、横隔膜の平穏を乱す活動が落ち着いていく。

この驚くべき事実を少し考えてみよう。心臓は通常1日12トンもの血液を送り出している!心臓は、他のほとんどの臓器が最低でも部分的には一時停止する機会を持つ夜でさえ休まない。身体の中でもっともよく働く(働きすぎる)臓器が心臓だ。ホン–ソウのテクニックは、心臓を休ませる科学的な方法で、そのため寿命を延ばす。そして大量の生命の流れ、あるいはエネルギーが全身に分配され、体の細胞全てを生まれ変わらせて老化を防ぐのだ。



リラクゼーションの重要性


眠りの中でわたしたちは感覚的なリラクゼーションを体験する。死は自主的ではないが、完全な体からの魂のリラクゼーションだ。それは心臓の停止の後にやってくる。ホン–ソウによって、心臓がリラックするというところまで到達することができるが、それによって外へと向かう衝動を超え、意識的に死を体験し、死の謎と死への恐怖という感覚を排除する。

このテクニック練習中に注意が散漫すると眠りを誘うことがあり、眠ることさえもある。その一方で、集中していると体の全ての細胞が聖なる生命力でチクチクする感覚をもたらす。

時間があれば、好きなだけ長い時間練習してみるといい。私自身、6歳の頃は一度に7時間練習したものだが、そのおかげで無呼吸の深いトランス状態に達することができた。この練習の間そして後に感じる深い穏やかさを手放さないでおこう。できるだけ長くその平穏につかまっていよう。実際の生活の中でそれを使ってみる。人に対応する時、勉強する時、仕事をする時、考える時。そして、深く根付いた有害な心や感情の癖を取り除こうとする時に、これを使って自己のコントロールをする。状況が必要とするときはいつでも、このテクニックの間と後に感じる穏やかさを思い出してその状態から脱し、内なる穏やかな中心からくる状況を迎え入れよう。そこでは生まれ持った魂の直感が可能な最善の結果を確実にしてくれるだろう。

覚えていて欲しい、このテクニックの正しい練習のためには深い集中力が必要となる。しかしこれは、緊張感が必要だというわけではない。リラックスして、敬意を持って穏やかにこのテクニックを練習しよう。そしてその穏やかさの中に、宇宙のバイブレーションAUM(オウム)を聞き、同化する準備が整ったと感じる。ホン–ソウは偉大なる魂とコンタクトを取るのを助けてくれる。偉大な魂とはあなたの魂としてあなたの中に存在する。そして偉大な魂は振動となって現れ、内なる音色の源である。結果はよいものとなり、深い鎮静はあなたのものだ。長い練習の後には高みにある直感がやってきて、聖なる力の未開の貯水池と通じたあなた自身を見つけることだろう。

せっかちになってはいけない。地道に続けよう。こん練習を毎日の習慣に取り入れ、食事、歯磨き、入浴、睡眠のように生活の一部にしよう。最終的には、あなたの精神的そして肉体的性質全てによい効果をもたらすだろう。

他のものと同じく、最高の結果は1日や数日では得られない。練習だ!このテクニックを練習して、日常の必要な場面で適用しよう。私の経験上、そして私の国の偉大なヨギ達の何世紀もの経験によって言う。あなたもまた、練習を遣り通せば、彼らと同じ素晴らしい体験をすることが可能だということを覚えていて欲しい。










2020年7月17日金曜日

超リラクゼーションの技術 Vol.1
The Art of Super-Relaxation

The Wisdom of Paramhansa Yogananda の抜粋です。
ヨガナンダ氏(1893-1952)は、西洋にヨガを伝えた指導者第一世代の一人です。「自己実現(Self Realization) 」と彼が呼んだ内なる神聖な体験に重点を置き、精神的な覚醒の実際的なアプローチを伝えました。

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超リラクゼーション


人々はよくリラクゼーションの話をするが、それに到達する方法を知っている人は少ない。身体のリラックス法は知っていても精神的なリラックス法は知らない人もいる。超リラクゼーションとは、全身からの意識とエネルギーの完全な自発的離脱のことだ。完全なる精神のリラックスとは、超自然の中の統一体という真の自我と一体となり心を休ませ、二元性という思い違いから意識を解き放つことだ。自分が人間であり、それゆえに神であるという考えに自身を誘導するのだ。




リラクゼーションによる若返り


精神は穏やかであるべきだ。日常の心配事や問題に関しては、心は水面で起こる波の形がひとつとして残らない水のようなものだ。無意識に得られるものは、意識していても得ることができる。瞑想の教えを通して、心臓、肺など全ての内臓で完全なる穏やかさが得られる。リラクゼーションにより筋肉や内臓すべてが動きから解放されると、体内組織の化学変化や分解が一時的に停止する。これが血流を純粋に保つのに役立つのだが、体内で分解があると老廃物は静脈内に廃棄され毒となる。

体内組織の分解が止まれば、静脈血は体内に蓄積しなくなる。これにより心臓が必要とする休息を与えてくれる。浄化するために大量の静脈血を肺に送り込む必要がなくなる。中和し電化した組織に血液や酸素は不要だからだ。つまり、心臓の動きや呼吸は不必要となる。これにより、大量の血液を身体中に送るという毎日の仕事のため心臓に必要とされる生命エネルギーが大量に放出する。このように、何十億もの細胞が休み、意識的に分解されない状態で生きることを可能にする持続的生命エネルギーに依存する。

体の細胞が血液や酸素がなくても生きられる方法を身に付けたら、髄質からやってくる生命エネルギーでどのように生きられるかを実際に理解したということだ。

すべての感覚器からエネルギーがなくなったら、五感への電話は繋がらなくなる。どんな感覚も知性の管理者である脳には届かない。精神は感覚で始まる思考から解き放たれ、無意識の記憶に関連した思考からも解放される。これが、科学的に解放された精神に神への道をつき進ませるのだ。

毎朝、完全な静寂に身を置いて、数分間思考を消してみよう。静かに座り、静寂の喜びに瞑想する。その喜びを神との交信だと考える。瞑想すればするほど、深まる静寂の喜び以上にそのような洗練された喜びを与えてくれるのは他には何もないということに気付くだろう。そのような瞑想での喜びとの交信は神との交信である。まずは神の愛に献身的に深く祈ろう。そして叡智に、幸福に、健康に、繁栄に祈り、具体的なあらゆる合法的望みの成就のために祈るのだ。



身体的なリラクゼーション


身体全体の完全なリラックスのためには、まず全身を優しく緊張させる。そしてリラックスして身体から全てのエネルギーを解放し、そのまま身体を全く動かさず弛緩する。筋肉や手足から動きや緊張を完全になくすことが「リラクゼーション」だ。身体がまるで骨も筋肉もないゼリーのようなものだと想像してみよう。そうすれば、筋肉の完璧なリラクゼーションを得ることができる。



精神的なリラクゼーション


精神的なリラクゼーションとは、完全な精神の休息を意味する。意志の力で眠りに落ちることを練習すればこれに到達できる。体をリラックスして、ちょうど眠りに落ちる直前に感じる眠気のことを考えてみよう。そしてその状態を再現してみる。(これには意思ではなく想像力を使う) ほとんどの人は眠っているときでさえリラックスしていない。だから夢をみる。したがって、意識的な精神のリラクゼーションは、受動的な体のリラクゼーションや睡眠の副産物であるリラクゼーションよりも良いのだ。こうして、夢を見るのか、精神的な映像スクリーンに夢が映らないようにしておくかを選択することができる。

どんなに忙しくても、時には心配事や仕事から心を完全に自由にすることを忘れてはならない。ただ心から立ち去らせる。覚えていて欲しい、あなたは心配事や仕事のために生きているわけではない、それらはあなたが作りあげたものだ。そんなものにあなたを苦しませないで欲しい。

圧倒されるような精神的試練に出会ったら、眠りに落ちてみよう。そうできれば、起きた時に心の緊張が解消され、不安もあなたを掴んでいる力を緩めていることに気付くはずだ。もしお前が死んでも地球は軌道を周り続けるだろうし、事業はいつものように進んでいくだろう、だったら何を心配するのだ?自分にそう話しかけてみよう。自分自身をあまりにも難しく考えると、死があなたを嘲りに来て、物質的な人生の短さとその務めに気づかせるだろう。

精神的なリラクゼーションには、過去や現在の忘れられない不安、絶え間ない義務の意識、事故の恐怖やその他の頭から離れようとしない恐怖、貪欲、欲望、そして不穏な思考や執着などから意思を持って注意を逸らす力が必要だ。精神的リラクゼーションの習得は、忠実な練習とともに可能となる。意思によって全ての思考を心から解き放ち、注意を平穏や内なる満足感に留めることで到達できる。習慣的な瞑想の練習により、不安から平穏へと注意を転ずることができる。

こうした理由により、一様で着実に霊性を高めようと望む修行者は、絶え間ない動きをやめ不穏なく体を静かに保ち、正しい呼吸の練習により静かな呼吸をし続け、自己鍛錬と人とのよい交際により生命力の本質を維持し、そして集中と瞑想の練習とともに心を穏やかにし続けなければならない。


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次回に続きます。


2020年7月14日火曜日

幸福と健康:ヨガを試すもうひとつの理由 
Increased well-being: Another reason to try yoga

ハーバード大学のサイトからです。

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ヨガの身体的そして精神的な問題緩和を促進する力は、やってみる理由として十分である。しかし、そこにはまだ他にもある。始まったばかりの研究においても、習慣的なヨガはよりよい睡眠や体のより深い気付き、体重減少、より深い幸福感など健康や幸福感の増進に関係があるようだ。マインドフルネスを向上することで、同時に共感や感謝、「忘我」などより大きな幸福感に関係があるものを増大させる。早期的エビデンスでは、ヨガが細胞レベルで廊下を遅らせる可能性もあり、おそらくそれはストレスを解消する効果によるものとされる。


これらの結果が素晴らしいのは、習慣的なヨガの練習によって健康をより促進させるポジティブなフィードバック回路が作られ、生活の複数の領域を同時に向上させるということを示唆していることだ。例えば、ヨガは睡眠を向上させるのだが、それが結果的に日中のエネルギーと集中力を与えてくれる。身体的、精神的に気分が良いと、健康的な食事や運動など、よりよい習慣を取り入れようというエネルギーが得られる。これらの変化が結果的に、多くの病気に関連する体重のより適切なコントロールに繋がる。運動は(痛みを緩和するのは言うまでもなく)睡眠の質を向上させ、そしてこのように良いサイクルが続くのだ。



良い睡眠


朝の起床時どのように感じるだろう?リフレッシュしていつでも出かけられる状態だろうか、それともフラフラして不機嫌だろうか?1日の睡眠時間が6時間に満たない米国人は、なんと4人中1人だ。睡眠不足は疲労となり、効率的な仕事や運動、健康的な食事ができなくなる。


時間が経つにすれ、睡眠不足は、心疾患や卒中、糖尿病などを含む多くの慢性病リスクを増加させる。しかし、新しい研究では、ヨガでより早く眠りに落ちることができ、より長く深い睡眠を(薬の副作用なしに)促進することを示している。


質の悪い睡眠の原因となるストレスや不安、興奮などを減らすことにより、ヨガは睡眠を促進する。ある小規模研究では、クンダリニ瞑想と呼吸法を観察した。睡眠障害のある20人が、就寝前に毎晩30分間のヨガを行った。8週間後、被験者らは平均で36分間長く眠るようになり、夜間の覚醒が減った。全体的には、彼らの睡眠の質が11%向上した。


睡眠の問題は加齢に伴って増加する傾向にあるが、60才以上の成人に行った研究では良い結果だった。2年以上毎日ヨガの練習をしていた高齢者35人を調査したところ、ヨガをする人はヨガをしない人と比べて、入眠が10分早く、睡眠時間が1時間多く、朝の起床時にはより休息できたと感じることがわかった。


ヨガは深刻な不眠症にも効果がある。質の良い睡眠を得るための通常の助言に従うことで睡眠の問題を減少させることも可能だが、ある研究の中では、そうした助言を受けただけの人がより早く入眠できたのは28%だったのに比べ、8週間ヨガをした人は37%だった。


研究は「容量反応」効果があると示している。つまり、ヨガを練習すればするほど、睡眠障害を経験する可能性は低くなり、睡眠でより回復することができる。入眠の問題がないとしても、ヨガは睡眠の質を向上させることができるのだ。





(出典)https://www.health.harvard.edu/mind-and-mood/increased-well-being-another-reason-to-try-yoga


2020年7月9日木曜日

脳の健康にヨガが効果:最新研究の体系的再調査 
Yoga Effects on Brain Health: A Systematic Review of the Current Literature


US National Library of Medicine に掲載されている2019年発表の研究調査です。
ここでは、要旨のみ訳しています。
詳細は最下部のリンクからどうぞ。

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ヨガは、米国の成人が実践する補完的な健康法で最も人気のあるものである。インド哲学に起源をもつ古代の精神と身体の実践法だ。ヨガは、身体的なポーズと周期的な呼吸、そして瞑想を組み合わせ、独特の全体観的な精神と肉体の体験を与えてくれる。身体的エクササイズの健康効果はすでに確立されているが、近年では、呼吸法や瞑想法の積極的に意識するという要素が神経学者の間で関心を集めている。

ヨガの身体的肉体的な健康効果に対する科学的証拠は増えつつあるが、この論文は最新のヨガの知識を要約し、MRIやfMRI、SPECT(単一光子放射型コンピュータ断層撮影法)で評価した脳の構造や機能に対する効能を記録することを試みている。11の研究を調べ、脳の構造、機能、皮質血流へのヨガの影響を調査した。

まとめると、これらの研究では、海馬、扁桃、前頭前皮質、帯状回皮質、またデフォルト・モード・ネットワークを含む脳内ネットワークなどの構造や機能に対するヨガの良い影響を示している。ヨガなどの行動介入が加齢性及び神経変性的な衰えを緩和する有望な早期的証拠を提供している。特定されている脳領域の多くは、著しい加齢性萎縮を示すことがわかっている。


Credit: Wikimedia Commons




(出典)https://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC6971819/?fbclid=IwAR1jmReeF3b41pDM_akuhGOqIqKBCZqFOF_Knpp_yigQk7_Wz_ptBCDD9NI

2020年6月29日月曜日

解剖学のレッスン:あなたの練習が他の人と違って見える理由 
A Lesson in Anatomy: Why Your Practice Won’t Look Like Anyone Else’s

ヨガはポーズの形や見た目じゃないんですよ、とクラスで私はよく言います。
自身が苦労したからこそ体得できたヨガの教えかもしれません。

子供の頃からスポーツは得意でしたし走るのも早かったけれど、そんなに柔軟ではなく体操なんかは苦手でした。
そんな私が大人になってからヨガを始め、人よりは時間がかかったものの徐々に柔らかくなりこの年齢で「人生で一番柔軟な身体」になっているほどです。それでもやはり、もともと器械体操やダンスをしていたような柔軟な人たちとは違うことが多く、ひとりで悩んだこともありました。
そんな悶々としている中、とある陰ヨガのトレーニングで出会ったのがこの記事にあるような骨格の違いでした。それ以降、どんな先生のどんなクラスに出ても、自分を見失わないようにと気をつけることができるようになったと思っています。
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あなたは人と違う!この言葉は素晴らしいことを伝えています。この世界で、誰一人あなたと同じ人はいません。あなたは「標準」でもなければ「普通」でもないのです。本当のところは誰一人として標準的でも普通、通常の人などいません。あなたには他の人とよく似た特徴があるかもしれません。他の何百万人と同じサイズのヨガウェアを着ているかもしれません。あなたの靴のサイズはきょうだいと同じかもしれないし、あなたの知っているみんながそうであるように、全く同じ陽子と中性子、電子で作られているのかもしれません。けれど、あなたが全体として誰なのかを詳しくみた時、これらの部分部分がひとつなって完全に議論の余地なく唯一である「あなた」を形成しているのです。



これがどんな意味を持つか考えてみましょう。
「あなたが完全に唯一であるなら、健康のためにすべきことなどは他の誰かが必要なこととは全く違うでしょう」科学者、作家でありビタミンB5を発見したロジャー・ウィリアムズは、全ての人間が一人一人いかに大きく異なるのかを表現するのに「生化学的個性」という言葉を作りました。私たちを健康に保つものや病気にさせるものを考えるとき、その違いを作り出す差異のことです。医療やフィットネスの世界(ヨガ業界も含め)では、人間の差異という本質をかなり無視してきていますが、この間違いをウィリアムズ達が正そうとしています。18世紀の医師、バースのパリーはこう述べています。「どんな病気にかかっている患者がいるかよりも、どんな患者が病気に罹っているかが重要である」



ヨギにとっては、以下のように言い換えることができるでしょう。
「どんなポーズをしているかよりも、どんな生徒がポーズをしているかが重要である」



腰痛に関する医学研究者のスチュワート・マクギルは、選ばれたアスリートの訓練法アドバイスの中でこう述べています。「身体の部分的な長さや筋肉停止の長さ、筋肉と腱の長さの比率、神経伝達の速さ、内部組織耐性など、人の身体は個々人で異なった比率を持っている。ステレオタイプの『最適な』テクニックを行うと、大抵の場合はアスリートの素質を最最大に引き出すことはできない」私の尊敬するヨガティーチャー、ポール・グリリーはこれを認識しておりヨガにも取り入れ、影響力のあるDVD「Anatomy for Yoga」を2004年に制作、わたしたちの唯一無二の身体がどのようにヨガの練習に影響を与えるかを伝えています。


body

図1:ナディア(左)は、股関節ソケットの前傾のため股関節で少し内旋しており、両脚はまっすぐ。マーゴット(右)の両脚には明らかな内反があり、ガニ股になっている。股関節ソケットの後傾と大腿の捻れのため、彼女の股関節もまたかなり外旋しており、爪先が外に向いている。これが彼女にとっての自然なアライメントだが、ナディアにとっては違う。



 


図2:こうした解剖学的な差異は見た目だけでなく、ヨガポーズを行う能力にも影響がある。バタフライ・ポーズ(バッダコナサナ)で、マーゴット(下)はナディア(上)よりも膝が床に楽に着けることができる。




あなたの歯型が誰とも違うのと同様に、あなたの骨格、背骨、股関節と同じ人は誰もいないというのが事実です。今のあなたにできることがあり、そのうちできるようになることがあり、そして絶対にこれから先もできないこともあるのです。これはあなたの能力を批判することでもなければ、あなたの個性を非難することでもなく、修正が必要な欠陥というわけでもありません。単にあなたという存在の現実だというだけです。150cmのバレリーナがアメフトのライトタックルとしてプレイすることはなく、アメフトの右タックルがオリンピックの金メダルをフィギュアスケートで勝ち取ることはないのです。これはバレリーナに欠陥があるわけでもライトタックルが怠け者というわけでもありません。



「差異は欠陥ではない」と集団遺伝学者のテオドシウス・ドブジャンスキーは言いました。私たちは様々なところで異なっていますが、それは構わないのです。そうした違いはときに何かの結果であることもありますが、そうでないこともあります。私たちがその違いを無視したり否定するとそれは問題となります。それらは事実であり、そして正常なのです。



私たちを測る方法を考えてみましょう。身長、体重、年齢、学歴、収入、家族、出身地、血圧、心拍数、脊椎と腕の長さの比率、股関節ソケットの後傾、大腿骨・脛骨・上腕骨の捻れ率、両脚の湾曲などなど、どこまでも続きます。これらの中であなたが「平均範囲」に入るものがいくつかあるかもしれませんが、その他のパラメーターを付け加えていけば平均的な人からは遠く離れていくことでしょう。平均の人などいないのです。これは、「平均的な人(実際は存在しない)」に当てはまることは、あなたには当てはまらない可能性があると言うことです。



ロジャー・ウィリアムズの言葉を再度引用しましょう。「現実的に、すべての人間は何らかの部分で逸脱している」正常も異常もないのです。あなたの唯一性の中にあなたが存在し、この世で与えられるもの全ての中であなたは何を手に入れることができるのか、そして知性を持って何を手放すべきかを、この唯一性が左右するのです。







図3:大腿骨の捻れを比較しよう。左のマーゴットの大腿骨は前捻がマイナス4度で、外旋が比較的簡単だと感じている。右のナディアの大腿骨は前捻47度で、内旋が比較的簡単だと感じている。




最終的には誰もが蓮華座(パドマサナ)ができるようになるはずだと信じている先生のヨガクラスに参加したとしましょう。今日はできないかもしれないけれど、力を尽くした練習と揺るぎない指導(そして正しいルルレモンのパンツと最高のヒマラヤのお香)をもって、この足を組む難しいポーズがどうすればできるようになるか見せてくれることでしょう。あなたには一度も足を組んで快適に座れたことがないとしたらどうでしょう?あなたは膝がちょっとした捻れているという感覚を無視しトライするでしょう。そしていつの日か、クラスが終わっても治らないほど痛みがエスカレートしていくのです。あなたは内側膝半月板を痛めてしまい、それでもヨガを始めたころから全く蓮華座に近づいてはいない。その先生はあなたの唯一性を無視しています。あなたの骨盤と大腿骨のせいで、あなたには蓮華座ができるようにはならない、そしてできるようになろうとすることで膝を壊しているのです。



ヨガは自身を選択する練習です。特定のポーズをするのが容易な形状をした骨格を持つ人は、それを練習し続け進歩します。最大の可動域を得るのを妨げる張抵抗を最後まで伸展し、そして望み通りの場所まで到達するでしょう。しかし、そんなに理想的な骨格でない人、張力ではなく圧迫(骨と骨がぶつかるところ)で止まってしまう人は、絶対にそのポーズをすることはできないのです。先生たちにこっそり教えてもらったのは思い違いなのに、どこか深いところで個人的な欠陥がこの進歩を妨げているのだと確信し、不満を感じてやめてしまうのです。



ロジャー・ウィリアムズはこう説明しています。「差異は全ての構造にわたる。脳、神経、筋肉、靭帯、骨、血液、内臓の重さ、内分泌腺の重さなど。これらの構造は、個々人でとてつもなく異なることが多い」また、こうも指摘しています。「解剖学者らは何世代も前からこの差異に気づいている。しかし、教育的理由により彼らは『標準』に焦点を当て今まで存在してきた可能性の重要性についてあまり(あるいは全く)示してこなかった」



もし私たちみんなが解剖学書の中の図のようだったら、また私たちの骨格が全て解剖学の教室の隅にかかっているプラスチックの骸骨のようだったら、素晴らしいことだろう。しかしそうではない。同じ人はいない。あなたは唯一であり、あなたができることも人とは違う、そしてあなたのヨガもそうであるべきです。



あなたの身体です!あなたのヨガをしませんか?







2020年6月22日月曜日

五感を冷やす:夏のセルフケア 
Cool Your Senses: 7 Summer Self-Care Tips

地球温暖化のせいでしょうか、年々、夏の気温が高くなってきています。うまく冷房を使うことも必要ですが、体の中から涼しくいられる方法を暑いインドで考えられたアーユルヴェーダから探っていきましょう。

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アーユルヴェーダでは、3つのドーシャ(ヴァータ、ピッタ、カパ)が、人それぞれの肉体、精神そして感情の健康を司っているとされます。水と火に関係のあるドーシャであるピッタは、暑い夏の間にその力を強め、オイリーで浸透し、熱い、軽い、液状の特性を持ちます。適度であれば、こうした性質は体にも精神にも効能があり夏の日を魅力のあるものにしてくれるのですが、過多になると問題となります。例えば、日中の最も暑い時間に戸外でスパイシーなものを食べ、激しい口論をしたりすると体の中に熱が作られ、あせもや偏頭痛、胸焼け、イライラなどの高ピッタの症状を引き起こします。


夏の時期をより快適にするため、五感(聴覚、触覚、視覚、味覚、嗅覚)のバランスを取る以下の方法を行い、過剰になったピッタを鎮めましょう。




聴覚


海の波、泉に流れる水、あるいは静かで心地の良い音楽など、優しく心が落ち着く音を聞くと、燃え盛るピッタを鎮め落ち着かせることができます。また、楽しい人との心地よい会話も良いでしょう。一方で、激しい音楽、建設工事の音、口論、交渉などはピッタを増やすことになります。これらは少なくしておくことが最善です。



触覚


柔らかく優しい触感はピッタを鎮めます。ココナツオイルなどの冷やすオイルを少量使ったマッサージに素晴らしい効果のある人もいますが、あまり好きでなければ、優しく涼しい風にあたってピッタを鎮静しましょう。また、冷たい布に自然のローズウォーターをスプレーし、目の上におくのも良いでしょう。ピッタが多くなりすぎた時は、日焼けや熱いお風呂は避けましょう。



視覚


7色のうちの涼しい方の色(ライトブルーやグリーン)にピッタを鎮める傾向があります。花を家の周りに植えたり、部屋の中においたりすれば、嗅覚も刺激されます。


満月の下のウォーキングもまた、ピッタに効果的です。月の冷たいエネルギーと優しいそよ風、また快い人と一緒にいるという組み合わせが、ドーシャのサーモスタットを確実に下げてくれるはずです。ピッタに注意して、暴力的な映画や赤い服装は止めておきましょう。




味覚


アーユルヴェーダの医師は、苦味、渋味、甘味のあるそして冷却作用のある食べ物やハーブで、過剰になったピッタを下げます。これらには、青野菜(特にケールやブロッコリーレイブ、コラードなど苦味のあるもの)、果物、野菜、牛乳、ギー、ある種の豆、大麦やオーツ麦、米、小麦などの穀物、アマラキなど炎症に効くハーブなどがあります。


一般的なルールとして、夏には酸味、塩味、辛味を減らしましょう。そしてもちろん、理論的にピッタを鎮静させる食物(牛乳など)でも自身に合わなければは摂取しないでください。


また、ピッタを減らすホームメードのスイカジュースでレフレッシュすることも良いでしょう。種を取り小さく切ったスイカをブレンダーに入れて(水は加えません)液状にし、濾したら、はい、美味しく栄養のある夏のジュースの出来上がり。夏に発疹が出たら、スイカの瑞瑞しい皮を擦り付けると鎮静し、皮膚の治癒を助けます。


嗅覚


アーユルヴェーダでは嗅覚は土の要素に関係しており、ピッタの軽い質を落ち着かせます。自然のローズ、ベチバー、倫理的に採取されたサンダルウッドなどの、冷却効果のある甘く苦いエッセンシャルオイルを、首、手のひら、みぞおちに付けましょう。あるいは、同じ香料をお香やアロマセラピーとして使ったり、上記のように家の中に新鮮で香りの良い花を飾り魔性。ピッタを落ち着かせるため、強く刺激のある香りや科学的な香りは避けましょう。







(出典)https://yogainternational.com/article/view/cool-your-senses-7-summer-self-care-tips

2020年6月12日金曜日

精神衛生と免疫のためにヨガを実践 専門家が語る 
Practice Yoga for mental health and immunity, says expert

News Today の記事からです。
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チェンナイ:ヨガセラピストのランジャニー・クマラヴェルによれば、健康維持に特化したヨガは、特にコロナウィルス発生に続くこの辛いロックダウンの間、精神衛生と免疫を向上しながらマット上の辛い運動を減らすことができる。


ヨガセラピーの研究者であるランジャニーは「Covid-19は、特にこの辛いロックダウンの中、みんなに恐怖を急速に広めている。家での生活を楽しみ、テレビのニュースを見て遠く離れて悲しむ一方で、この新しい生物の勢いを受け入れられずにいる。それでも私たちの中にどんどん侵入してくる」


「Covid-19と共生することに慣れる必要がある。ヨガは古代の科学であり、病気の予防や治療を見つけるための頼りになる道へと急速になりつつある」


「SVYASAヨガ大学によるヨガセラピー研究は、内側深くからCovid-19に対処するため免疫を向上する治癒効果をヨガセラピーが持つことを明らかにしている」



「ヨガの神秘とは、MIテクニック(精神衛生と免疫)を身に着ける力。ウィルス発生がこのMIを圧倒し生態系自体を崩壊させている。パンデミック時に闘うため必要なもの」


リシヴィグナン高等教育センターの創立者でもあるランジャニーは言う。「精神衛生とは、内なる自身との精神内界関係性と繋がっている。この精神内界関係性は、私たちを健康に保つ免疫機能と直接繋がっている」


ヨガセラピーについての質問にはこう答えた。「内と外の健康を統合し、食品衛生、習慣的な実践、正しい呼吸、自分自身とそして他人との関係性、運動と休息を統合、自身を発見しMIを強化する」


「ヨガセラピーには、個々人に沿ったそれぞれのモジュールを作り上げる自由がある。健康維持に特化したヨガは、精神衛生と免疫を向上しながらマット上の辛い運動を減らすことができる」


「免疫反応は、感染者の中で潜伏期間と軽症の段階で働く。Covid-19による生命を脅かす程度の呼吸器不全の主な原因は肺の炎症」


「特別に作られたアサナ、適切なプラナヤマ、そしてリラクゼーション、瞑想、マントラのチャンティングが、ウィルス感染と闘うための様々な免疫を作る」と彼女は付け加える。


「超越瞑想を行っている健康な人の研究では、瞑想をしない人と比較すると、脳活動との深い関係がある血液の状態が良い」


これらの全てが、ヨガと健康の関係性を示す証拠だと、彼女は結論付けている。




(出典)https://newstodaynet.com/index.php/2020/06/08/practice-yoga-for-mental-health-and-immunity-says-expert/

2020年6月9日火曜日

マウスの脳内の小さな部分が呼吸のもつ鎮静効果を解く 
A Tiny Spot In Mouse Brains May Explain How Breathing Calms The Mind


鼻から深く息を吸い、そしてゆっくり口から吐いてみましょう。落ち着きましたか?


このようなコントロールした呼吸は、不安症やパニック発作、鬱などの防止になり得ます。多くの人が、メディテーションやヨガのプラナヤマ・クラスの後に落ち着きを体験する理由のひとつです。しかし、ゆっくりとした呼吸と平静との関係、速い呼吸と神経過敏の関係は今までずっと謎でした。現在では、少なくともマウスでその関係性が見つかったという研究者らが出てきています。


その鍵となるのは、その研究者らが呼吸のペースメーカーと呼ぶ脳内のわずか175のニューロンです。呼吸のピースメーカーとは、脳幹内に存在する3000ほどのニューロンの集まりで、自律的な呼吸をコントロールしています。マウスによる実験で、この175のニューロンが注意力や興奮、パニックに関連する脳の部分と呼吸のペースメーカーとの間を結ぶコミュニケーション・ハイウェイであるということがわかりました。つまり呼吸の速さと落ち着きや不安といった感情は、直接影響し得るのです。


このマウスの反応が人間にも同じように起こるなら、呼吸を遅くした後に冷静になる理由が説明できるでしょう。




これを理解するため、研究者らは呼吸ペースメーカーの3000のニューロンを遺伝子的に分けました。類似遺伝子を持つニューロンは脳内で類似の働きをするからです。このようにしてこの175のニューロンへ到達したのです。


次の挑戦は、これらの機能を理解することです。何かが行っていることを調べるには、それが終わってから何が起こっているのかを調べることが時に最適の方法です。それで研究者らは、これらのニューロンを不活性化させました。


そのために、まずそのニューロンだけに反応する毒素の受容体を持つよう、マウスを遺伝子操作しました。ジフテリアというバクテリアによって作られた毒素をマウスに注射し、そのニューロンだけを死滅させたのです。


ジフテリアは人間に深刻な呼吸器疾患を引き起こしますが、通常マウスには影響しません。しかし、この遺伝子操作されたマウスでは、175のニューロン細胞を毒素が死滅させることができたのです。このように、これらニューロンは眠らされ、残りは傷付かず完全に機能したままだったと Science 誌に掲載された研究の中で述べられています。


どんなに小さなマウスの呼吸でもその量と頻度を計測できるほど高感度の圧縮チャンバーの中にマウスを入れ、これらニューロンの欠損がマウスの呼吸や行動にどのように影響するかをついに調べることができました。


「ニューロンが不活性化すると、完全にマウスの呼吸が止まるか、呼吸パターンが大きく変化するのではないか(ハッと息を止めたり咳をするなど)と予想していた」と、その研究の責任者であるスタンフォード大学医学部の生物化学教授マーク・クラスノーは述べました。
しかし、呼吸パターンに変化はありませんでした。その後数日間、実験は全て失敗してしまったと彼らは考えていました。

チャンバーの中で、睡眠、二酸化炭素レベルを上げるなど様々な条件のもとマウスを置いてみた後、クラスノーは「マウスに変化はあったのだ」と気づきました。「落ち着いている。角が取れている」


175のニューロンを失くす前マウスはチャンバーの中で「やりたい放題」だったとクラスノーは言います。ニューロンが失くなった後のマウスは、リラックスしたり身繕いしたりといういわゆる穏やかな行動をして多くの時間を過ごすようになりました。より深く調査すると、マウスの呼吸がよりゆっくりになっていたこともわかりました。



このマウスの行動変化は、カリフォルニア大学サンフランシスコ校のサンドラー・フェロー(優秀な若い科学者のためのプログラムに選ばれた者)であるケヴィン・ヤックルを想起させます。彼は、警戒やパニックを誘発する脳の覚醒中枢機能を失った(人間を含める)動物に関する研究を率いました。彼らもまた「角が取れて」いたので、マウスの脳の覚醒中枢が、呼吸中枢からのインプットが全く受けなかったため警戒行動を取らなかったのではとヤックルは考えました。同時に、こうした呼吸中枢がパニックや警戒のメッセージを覚醒中枢から受け取らなかったため、呼吸はゆっくりとしたままだったのです。この脳の二箇所(175のニューロン)の関係は取り除かれていたのです。


この関係性が鍵だとクラスノーは言います。「喉をつまらせたり、ビニール袋で息ができなかったりしたら、目覚めて警戒しこの危機に対処するべきだ。呼吸パターンの中断以上に深刻なものはないからだ」


クラスノーとヤックルは、もしこのマウスの神経経路が人間にも存在するなら、その経路が過活性している不安症を持った人の治療に役立つ可能性があると考えています。コントロールした呼吸や瞑想は、パニックの感覚と呼吸回数をを減らすことで、この経路の活動を下げるのに役立つと推測しているのです。人間の脳には呼吸中枢と覚醒中枢があり、マウスとの類似性から希望が持てるとクラスノーは述べています。




「感情と呼吸の双方向の関連性は重要かつ不可解だ」ハーバード大学医学部の准教授であるロバート・バンゼットはメールの中でそう述べています。バンゼットはこの新しい研究には参加しませんでした。「ここから人間の感情と行動への道はとても遠いが、どこかからは始めなければならない」


サザン・メソジスト大学心理学准教授のアリシア・ミュレもまた、この研究には参加しませんでしたが、落ち着いたマウスの行動について確信を持ってはいません。「マウスの落ち着いた行動というものを特定するのは困難。彼らの行動を見ることはできても、ニューロンの欠損が感情にどう影響するかを知ることはできない」とミュレは言います。


この懸念にバンゼットは同意しています。「彼らは、毛繕いの増加が感情の落ち着いた状態とみな」しているが感情を推測しているだけだと。


ヨガや瞑想で行われるような深くゆっくりのコントロールした呼吸が不安や鬱を緩和することを示すという数多くの査読された研究が存在しています。呼吸中枢と覚醒中枢を繋ぐ人間のニューロンを特定することが研究の次なるステップだと研究者は言います。


「この呼吸と高次脳機能の関係性は、1000年に渡る知識だ」クラスノーは言います。「少なくともヨガのプラナヤマが作られた時代に遡る。プラナヤマなどの手法が精神を落ち着かせるためにやるのは、単純に呼吸をコントロールすることだ。・・・ゆっくりと・・・規則的に・・・」


こうしたことから、クラスノーと同僚たちは古代の実践法にちなみ、この175のニューロンと関連の神経経路を「プラナヤマ・ニューロン、そしてプラナヤマ経路」と呼んでいます。




(出典)https://www.npr.org/sections/health-shots/2017/03/30/522033368/a-tiny-spot-in-mouse-brains-may-explain-how-breathing-calms-the-mind

2020年6月4日木曜日

呼吸の「失われた技術」が睡眠や回復に影響する 
How The 'Lost Art' Of Breathing Can Impact Sleep And Resilience


呼吸についての「Breath: The New Science of a Lost Art」の著者ジェームス・ネスター氏のインタビュー記事です。
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ヒトは一般的に毎日およそ25000回の呼吸をしている。大抵の場合はそれについて考えたこともない。しかしCOVIDー19のパンデミックで、呼吸器疾患とこれまで当たり前だと思ってきた呼吸が新たに注目を集めている。


ジャーナリストのジェームス・ネスターは数年前、彼がたびたび悩まされる肺炎と気管支炎を緩和するため呼吸のクラスを取ってはどうかと医師に勧められてから、呼吸器に興味を持つようになった。


著書「Breath: The New Science of a Lost Art(呼吸:失われた技術の新しい科学)」のために呼吸の科学や文化を調査していた時、ネスターはある研究に参加した。そこでは10日間完全に鼻に栓をされ口だけで呼吸することになった。それは心地のよい体験ではなかった。


「最初は夜間に数分いびきをかく程度だったが、3日たつといびきは4時間に及んだ」口呼吸を強制されたことについて彼は語る。「睡眠時無呼吸症になった。ストレスのレベルが異常になった。神経は無茶苦茶になった。最悪だった」


「こうやって身体は空気を取り込もうとするんだ」ネスターは言う。「正しく呼吸をすれば、そして本当に横隔膜を使えれば、心臓の負荷を減らすことができる」



インタビューのハイライト


なぜ鼻呼吸が口呼吸よりもいいのか?

鼻は、空気を濾過し、温め、処理する。みんなそれを知っている。しかし、あまりに多くの人が(少なくとも私は)鼻で息を吸うと身体の中に様々なホルモンを流す引き金になるということに気づいていない。そして、血圧を下げ、心拍数を調整し、記憶する手助けすらする。つまり、バランスを取るために体内の無数の機能を調整するという素晴らしい臓器なんだ。



鼻には勃起組織がある

鼻は他の臓器よりも生殖器と深い関係がある。同様の組織で覆われている。そのため、ある部分が刺激されると、鼻もまた刺激される。その関係が深すぎて、下の方が刺激されるとくしゃみが止まらなくなる人もいる。そしてこの状態は、ハネムーン鼻炎と呼ばれるほど一般的である。


また非常に興味深いことに、勃起組織はそれ自体で鼓動する。つまり、片方の鼻腔を閉じて他方の鼻腔から息を吸うようになったり、その鼻腔が閉じて息を吸ったりする。身体というのは勝手にそれをしている。


これを研究した多くの人は、このようにして私たちの身体はバランスを維持していると考えている。右の鼻腔で呼吸する時は血流が速くなって身体が熱を持ち、コルチゾールのレベルが上昇、血圧が上がる。そして左の鼻腔で呼吸するとよりリラックスするからだ。体は自然にこれを行っている。そして、口で呼吸すると身体のこの能力を使わせないということになるのだ。



呼吸が不安症に与える影響

神経心理学者と話をしたら、不安症や恐怖からくる症状などを持つ人は大抵の場合呼吸が多すぎるのだと説明してくれた。つまりそれほど多くの呼吸をするということは、自分を絶え間なくストレス状態へと置いていると言うことだ。つまり、神経の交感神経側を刺激しているのだ。そしてそれを変えるには、深く呼吸すること。考えてみて欲しい、虎が君に向かってやってくるとか、車に引かれそうだというストレスのある時は、できるだけたくさん呼吸して呼吸して呼吸するはずだ。しかしゆっくり呼吸すると、これがリラクゼーション反応と関係する。横隔膜が下がり、より多くの空が肺に入り、身体はすぐにリラックスの方へと切り替わる。



息を吐くとリラックスできるのはなぜ?

息を吐くことが副交感神経反応だからだ。今、心臓の上に手を置いてみて。ゆっくりと息を吸うと心臓が速くうつのを感じるだろう。息を吐くと、心拍も下がるはずだ。つまり息を吐くことは身体をリラックスさせる。そしてとても深く呼吸すると他のことが起こる。息を吸うと横隔膜が下がり、大量の血液 ー 夥しい量の血液だ ー を胸腔に吸い上げるんだ。息を吐くと、その血液は身体の方へと戻っていく。



浅い呼吸の問題とは

呼吸をボート漕ぎだと思えばいい。とても短くぎこちないストロークでたくさん漕いで、目的地へ向かウトする。いつかは着くだろうがとても時間がかかる。それとも、たくさんの水をかいて長いストロークで漕ぎ、もっと効率的にたどり着くか。空気を体内に取り込むために簡単な方がいいだろうし、特にそれが1日に25000回も行うことなら尚更だろう。だから、この呼気吸気をちょっと長くして、横隔膜をもう少しだけ上げ下げすれば、血圧や精神状態に大きな効果が得られる。



フリー・ダイバーは数分間息を止められるよう肺の容量を増やす

世界記録は12分半だ。ダイバーの多くは7、8分間も息を止められるが、それでも信じられないほどだ。それを見たのは数年前で、フリー・ダイビングの競技についてのレポートのために私は送り出された。この選手は、水面でひとつ大きく呼吸をすると海の中へと肝ぇんに消えてしまい5、6分間戻ってこなかった。私たちが何を持っていようと、何を持って生まれようと、それは生きている間ずっと続くもので、特に臓器に関してはそうだと言われてきた。けれど、肺の容量に関しては全くもって変化させることができる。こうしたダイバーたちの容量は14リットルで、普通の成人男性の約2倍だ。彼らもそんな肺を持って生まれてきたわけじゃない。彼らの身体に大きく影響を与えられるような方法で呼吸するよう自身を訓練したんだ。




(出典)https://www.npr.org/sections/health-shots/2020/05/27/862963172/how-the-lost-art-of-breathing-can-impact-sleep-and-resilience

2020年5月30日土曜日

マハーバーラタの物語:スーリヤ神 
Tales from the Mahabharata: Lord Surya



世界で最も美しく、最も優しく、お金持ちで最も力を持った人と結婚したとしたらどうだろう?それはそれは幸せなはずだ。そんな夫を持ったサンジュニャーは、だけれど、とても不幸だった。


サンジュニャーの物語は、インドの偉大なる叙事詩マハーバーラタで語られる。彼女の夫は、太陽系の王、スーリヤ神。彼は何千年も前に死んだ歴史的な人物というわけではない。昼の間はいつでも外に出て、私たちが「太陽」と呼ぶ燃えるような光の玉に乗りゆっくり天空を横切っていくのを見ることが出来る。彼のサンスクリット語での名前 Surya は、「光り輝く」という意味の「sur」に由来する。


スーリヤは、誠実で献身的な夫だったが、サンジュニャーは彼のそばにいるのが耐えられなかった。問題は、あまりにも明るく輝くので彼を見ることができなかったことだ。そこである日彼女はメイドのチャーヤ(名前の意味は「影」で、見た目はサンジュニャーによく似ていた)に、こっそり彼女の代わりをするように頼み、地上で名前を伏せて住むために地球に逃げたのだった。


チャーヤは女王として振舞うのを楽しんだ。彼女はスーリヤ神との間に息子まで持った。ゆっくり動き、何方かと言えば陰気で全く明るくはないシャーニ(土星)。チャーヤはこの息子を溺愛し、サンジュニャーの子供達を放置した。子供達はとうとう父親に訴えた。「ママがママらしくない」子供達は彼に言った。「私たちを完全に無視してる。シャーニとしか遊ばないの!」


スーリヤの疑心が湧き上がった。そこで1日の終わりに家に帰り彼女を近くで見ると、確かに彼女は元の彼女の影でしかなかった。とうとう彼は気づいてしまいショックを受けた。妻ではなかったのだ!「お前は誰だ?」彼は聞いた。「サンジュニャーに何をしたのか?」


チャーヤは恐ろしくなった。スーリヤはいつもはとても寛大だが、こんな時にはとてつもなく恐ろしいのだ。そこで彼女は彼に辛い真実を伝えた。あなたの妻はあなたの存在が耐えられずあなたを捨て去ったのだと。


スーリヤは愛する人を探すため、地球へと急いだ。雌馬になった妻が牧草地を駆けているのを見つけたので、雄馬になって彼女を後を駆けた。追いついた彼は鼻を彼女の鼻に押しつけ、息を吹き込んだ。それでサンジュニャーは身篭り、すぐに二人の息子、アシュヴィン双神が生まれた。彼らは晴れた夜空に見ることができる。牡羊座の頭にある2つの明るい星だ。


しかしサンジュニャーは天空へ帰りたくなかった。「あなたのせいで目が痛い!」とスーリヤに文句を言った。「あなたは本当に明るすぎる!」


サンジュニャーを連れて帰るべく、この世を作った偉大なる創造者で義父のヴィシュワカルマンに助けを求めた。「妻が夫や子供を見捨てるなどあってはならない!」と叱責した。が、サンジュニャーは譲らず、より快適な地球に留まり続けた。


ついにヴィシュワカルマンが完璧な妥協案を持ってきた。太陽を旋盤の上に下ろしスーリヤ神の光の多くを注意深く切り落とした。そして落ち着いた義理の息子をサンジュニャーの元へ送った。彼女が夫の姿を見つけた時、自分の目を疑った。「そなたは今まで会った中で最も美しい男です!」そう叫んだ。この燃えるような夫婦は天空に戻り、その後幸せに暮らした。






内なる太陽


この奇妙な物語でマハーバーラタは何を言おうとしているのか?それはサンジュニャーが何者なのかを理解することが重要な手がかりとなる。サンスクリット語でサンジュニャーは「知る者」。つまり精神を意味する。サンジュニャーは思考そのものであり、この地球に住むために神の光から逃げているものだ。言い換えれば、サンジュニャーとは私たちのことだ。


この神話は、魂が真に愛するのは内なる神聖な精神で、多くのヨガの聖典はこの内なる精神を「1000の太陽のように輝く」と表現している。多くの人にとってその光は耐えられない。バガヴァット・ギータの有名な物語では、悟りを得たクリシュナが彼の友人アルジュナにこの内なる体験を示す。しかしアルジュナは、この神聖なビジョンの壮大さにはまだ準備ができていない。彼はパニックになってこう叫ぶ、「クリシュナよ、どうか止めてくれ!耐えられない!」


私たちの精神的な修練の目的は、この神聖な光の中で意識的に生きることができるまで気付きを拡げることだ。しかしサンジュニャーのようにほとんどの人は、気付きを大きくするための訓練をしていない。それどころか、私たちのほとんどはその光から逃げている。外の世界の物質に心を奪われていて、内にある光を見失っている。そしてサンジュニャーが子供達を失ったように、照らされた気付きからくる多くの恵みを失っているのだ。


しかし神はこの影の中に私たちを永遠に彷徨わせることはない。私たちを探し出してくれる。ヨガの伝統では、馬はプラナ、つまり生命力を意味する。プラナは肉体を生かし、正しく維持することで治癒力の源となる。この神話では、内なる太陽は息の力でサンジュニャーを「受胎」させる。サンジュニャーが産んだ双神アシュヴィンは、左右の鼻腔を象徴している。インドの文化では、この2神は聖なる治癒者として知られる。生命力であるプラナが肉体と精神の繋がりをもたらすため、子供が生まれる時は必ずそこに彼らがいる。(そして聖書の創世記はこう言っている「神が人の鼻に生命の息を吹き込むと、彼は生きる魂となった」)この神話は、ヨガでいうプラナヤマ、呼吸の練習が内なる光にもう一度つなげてくれることを私たちに思い出させる。



神を見ること


なぜ瞑想するのかを尋ねると、率直に「神様に会いたい」と認めるヨガの生徒もいる。これはアリがエンパイア・ステイト・ビルディングを見たいと思っているのに少し似ている。私がインタビューしたヨギが、スーリヤ・ヴィッディヤ(内なる太陽の科学)を実践した後は精神が光でいっぱいになって実際に盲目になってしまうと言っていた。そして、キリスト教の黙示録では、神に関して「彼の顔は太陽のようにとてつもなく輝いていた」と述べている。


死ぬべき運命の者はただ永遠を得ることはできない。至高の真実の際限ない力と美は、私たちの精神の理解力を完全に超えている。しかしサンジュニャーとスーリヤの神話は、人間の魂ともう一度繋がりたいという強い欲望があれば、神はそのエネルギーと明るさを少し弱めてくれると言っている。物質世界の旋盤に囚われて、私たちが一眼見られるような形を装ってくれるのだ。


ヴェーダーンタの伝統では、普遍の真実であるブラフマンではなく、内なる自我であるアートマンにより焦点を当てている。そして超越した存在は擬人化され、瞑想のなかで手の届く存在となる。そして内なる光に焦点を当てることで、無限の光の世界へ入る権利を得る。悟りを得た魂は精神の光の中で生き続ける。その魂は、雨粒が海に落ち完全にひとつとなるように、私たちの自身のより高みの自我であるアートマンが普遍の精神と完全に「ひとつ」になるという真実を体験するのだ。


地球への逃亡の後、サンジュニャーは天空の光であるスーリヤ神とまたひとつとなった。おそらく、私たちもいつの日か逃げることを止め、我が家へと帰るのだろう。






2020年5月27日水曜日

ウパニシャッドの物語:神々の王インドラ 
Tales from the Upanishads: Indra, King of the Gods

ノルウェイにルーツを持つ筆者が、インドの神インドラについて書いている記事です。
北欧の神話との間に類似性を見出しているところが興味深いです。
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激しい嵐が町にやってくると、私の父はいつも私を窓辺に急いで来させ、巻き上がる黒い雲を指差し「ほら!彼がいるぞ!」と叫んだものだ。


私はまだ4歳だったけれど、父が何を言っているのかよくわかっていた。月のように大きく太陽のような金髪の神トール(北欧の雷神)が、彼のハンマーで空の屋根を激しく打ちつけ、ギザギザの光を地面に落とし、それが岩にぶつかり雷鳴を鳴り響かせているのだ。トールの戦車が天空を横切って疾走するのを一目見ようと、いつも私は窓辺まで走っていった。この雷王を見たことは一度もなかったが、彼のハンマーが天を裂くほんの少し前の瞬間を一度か二度見たと信じていた。


現在ノルウェイはキリスト教になって1000年が経ち、古い神々は徐々に消えている。トールはトロンヘイムの北で育った父の幼少期の一部であり、そして私の幼少期の一部でもある。思いもよらなかったことは、トールはまたヨガの伝統の中でも重要視され、彼の力や威厳は今なおインドのヨギ達によって祈りの対象となっている。


インドに現存する最古の書物であるヴェーダに書かれたトールの記述は、私が抱いていたイメージといくつかの面で驚くほど類似している。ヴェーダによると、彼は金髪の天界の戦士で雨を降らし雷を操る。彼の存在理由は強い大蛇に打ち勝つことで、そしてとても酒好きだ。これがトールと同じ神だと疑う印欧歴史学者はいないが、ヴェーダでは違う名前を持っている。彼はインドラと呼ばれ、神々の王である。近年スカンジナヴィアでは彼はアニメにしか出てこないが、インドではヨガの書物によってこの雷神の深淵なスピリチュアルな伝説が今も伝えられている。



インドラの探求


ヨガでのインドラは、突然の轟音を鳴らす厄介な空の神というだけではない。彼は本当の精神的追求者だ。チャンドーギャ・ウパニシャッドには、インドラ神と悪魔のヴィローチャナのどちらもが神聖な真我の話を聞いたと書かれている。その神秘をマスターすれば、全ての欲望を達成できるとされていた。もっと知りたいと思ったインドラとヴィローチャナは、プラジャパティという偉大なグルを探し当て勤勉に仕えた。彼らの見習い期間が終わった時、グルはこう説明した。「真我とは己の目を通して見る者である」


どちらの弟子もそれを理解しなかった。聞き間違えたのだと考えた。きっと「真我とは己の目を通して己が見る者だ」と言ったに違いないと。生徒達が理解していないと気づいたグルは、こんな見込みのない生徒達に時間を無駄にかけることはないと決め、鏡を見れば真我が見えると彼らに伝えた。


鏡に映る姿を覗き込んで二人は同意した。「私の肉体が私の真我だ」それからというもの、彼らは自身の肉体を崇め、出来る限りの手入れをし、運動をしハタヨガをし、最高の食事だけを摂った。そして全ての欲望は満たされた。そうして心地よく彼らは過ごした。


さて、今日ではヴィローチャナとその他の悪魔たちはいまだにこれを信じている。しかし、インドラは帰る途中でもう一度考えた。「ちょっと待て。そうじゃない」彼は考え込む。「肉体は病気にもなるし、老いるし、死んでしまうじゃないか。不滅の真我であるわけがない!」すぐにグルのもとへ引き返しこの教えは意味をなさないと訴えた。


「お前は正しい、インドラよ!私の試験に合格して嬉しい」プラジャパティは答えた。「本当の真我は夢の中で己が経験するものだ。これが恐れや死を超えた真実なのだよ」


この知らせにインドラは喜んだ。より理にかなっていた。もし目が見えなくても夢なら見られる。もし足が悪くても夢の中なら歩ける。そしてヨギによれば、たとえ肉体が死んだとしてもこの夢自体は存在し続けるのだ。しかし、帰る途中インドラはまた不安になった。「悪夢はどうなんだ?」と思った。「夢自体も痛みや恐怖、疑念、失望の影響をうけるじゃないか。本当の真我であるわけがない」彼はグルの元に戻って懸念を示した。


「ちょっとはお前を騙せたね?」プラジャパティは笑った。「本当の真我は深い眠りの状態で己が体験するものだ」


本当にこれは前の教えよりも理にかなっていた。深い眠りの中では、痛みや恐れを完全に超える。しかしまた、戻る途中でインドラは思いついた。「ちょっと待て!残りの無意識はどうなんだ?またやられたのか。この教えには全く価値がない」そこで彼がグルの元へ戻るのが4度目となった。


「真我はこれらどの状態でもない」プラジャパティは明かした。「真我とはこれらの状態を知覚するものだが、それらを超えて存在するものであり、空を照らし出す稲妻のように輝く。己の目で見る者、己の耳で聞く者、己の思考で考える者を探しなさい。それが己の不滅の真我である。偉大なる師達はこの純粋な内なる存在に瞑想し、人生の最も高みにある目標に到達する。馬がそのたてがみからホコリを払い落とすがごとく全ての悪をふるい落としなさい。そして月が月食から自由になるがごとく肉体に縛られた己を自由にしなさい。心の中にある不死の真実に気付きを築くのだ」


とうとうインドラは満足した。家に戻って内なる真我に瞑想した。そして新たな冒険が始まった。これがケナ・ウパニシャッドに語られているものだ。


神々は遠くに明るく輝く人がいることに気づいた。しかしそれが誰なのか判らなかった。そこで彼らは調べるためにアグニを送った。「お前は誰だ?」アグニはこの輝く存在に問いかけた。


「お前は誰だ?」その不思議な見知らぬ人は答えた。

「私は火の神、アグニだ!世界を焼き尽くすことができる!」

「これを焼きなさい」見知らぬ人は一本の藁をかかげた。

アグニは侮辱されたとその乾いた草に怒りの火を向けたが、火はつかなかった。面目を失った彼は戻った。

見知らぬ人が誰かを明らかにするため、次はヴァーユが送られた。「お前は誰だ?」彼は横柄に尋ねた。

「お前は誰だ?」見知らぬ人は鸚鵡返しに言った。

「私は風の神、ヴァーユだ!世界を吹き飛ばすことができる!」

「これを吹き飛ばしなさい」見知らぬ人は一本の藁をかかげた。

ヴァーユは、ふう、はあと息をかけたが、その草は全く動きもしなかった。恥ずかしくなって、ヴァーユは急いで戻った。

そこで神々は王の元へ行き、見知らぬ人が誰なのか調べてくださいと請うた。インドラは責任を感じて出かけていった。しかし輝く者はもういなかった。その代わりに彼が見つけたのは金を身に纏った美しい女性だった。「あの見知らぬ人が誰なのかご存知か?」彼は聞いた。

「あれは至高の真実です」彼女は答えた。「この世の何もかもを照らし出すとても明るい一筋の稲妻のようなものです。あなたの行動を通して行動する内なる真我なのです」

すぐにインドラは、至高の真我が火や風で触れることが何故できないのかに気づいた。それは、神の存在へと人間の意識を導くためクンダリニと呼ばれる金色の女性が眠りから目覚めた時、瞑想の中で見つかる内なる光なのだ。この気付きの過程は、己に「お前は誰だ?」と尋ねるところから始まる。肉体や呼吸を超え、思考や感覚を超え、それを経験している純粋な気付きへと向かい、私たちは自身の不滅の魂と繋がるのだ。


内なる空を照らす


いったいインドラとは何者なのか?アイタレーヤ・ウパニシャッドでは、インドラの名前はサンスクリット語で「この全ての知覚者」という意味の「idandra」から由来している。ヨギは、五感であるインドリヤスの神である彼を「優れた魂」と呼ぶ。彼は酒豪だが、彼の好む酒はソーマと呼ばれ、高い瞑想の中で体験される至福のことだとヨギは言う。彼の支配する大蛇はクンダリニで、とてつもなく不思議な体験を作り出す微細な領域での大蛇の力だ。


ヨガの書物では、創造主がこの世を統制するために使う力、そして私たちが自身の身体や精神を調整するために使う力のことをヴィジュット・シャクティ、すなわち「稲妻のエネルギー」を呼ぶことがある。精神の空にある内なる力を制御することを覚えれば、私たちはインドラのように自身の主人となり、人生が照らされる。インドラは、彼自身の存在という隠された真実を見つけるまで探求を続ける霊的な探求者である。


ヨガ的な文献と古代のノルウェイの神話の間にある多くの類似性から、スカンジナビアの祖先達はトールの特性や冒険の霊的な重要性について気づいていたに違いないと私は思っている。しかし、何世紀も経ってこれらの物語の真の意味は西洋で失われてしまった。インドのヨガの血統はなんとも幸運なことに、こうした生ける神話の内なる局面への考察を失うことはなかった!ヨガの伝統の輝かしい力に感謝し、私は自身の気付きの空にトールを探している。




(出典)https://yogainternational.com/article/view/tales-from-the-upanishads-indra-king-of-the-gods

2020年5月18日月曜日

ヨガとは:ヨガ・スートラ1.2  
Complete Mastery Over the Modifications of the Mind is Called YOGA


Yogas Chitta Vrtti Nirodha
「精神の波に対する完全なる統御をヨガと呼ぶ」



ヨガ(Yoga):結合、均衡、精神の調和した状態、人生の異なる局面の隙間を埋める、個人の意識と最高位の意識を繋げる、2つのものの結合ー愛する者と愛される者、探求者と神、シヴァとシャクティ、イーダとピンガラ、太陽と月、能動と受動。

チッタ(Chitta):精神、思考と感情の収納場所、その者が考え感じる物、考え感じ受け止め認識する内なる媒体、意識がその出現を探求するために使う道具、感覚の統率者、魂の居場所。

ヴリッティ(Vrtti):思考の構築、変化、車輪のように回転するもの、動き。


ニローダハ(Nirodha = ni + rodha):
ニ(Ni):完全に、全ての面において、全ての方向から。
ローダハ(Rodha):制限する、制止する、律する、当てなく放浪させない


ヨガの定義


パタンジャリが作成した極めて重要なたったひとつの経典の中に、紡がれた一本の知識がヨガの実践の全てを結びつけている。


チッタ(精神)の変化の統御を得ることは、ヨガの実践における中心である。パタンジャリによれば、精神は、曖昧で人間の知識を超えた現実と明白な世界との間にある。つまり肉体と魂の間にある。


精神は税関職員のようなものだ。魂と肉体(純粋な意識と物質の世界)の間で税関を通ってあれこれと輸入されたり輸出されたりする。私たちの内にある聖なる神はいつも愛や知識、幸福などを与えてくれており、私たちもまた愛を神に捧げる。しかしこの税関職員が墜落すると、この交流が妨げられ、全ての伝達や贈り物の交換が困難となる。ヨガの目的は精神を訓練し律し、そしてその墜落の傾向を取り除くことである。


瞑想や熟考は、精神を訓練し制御する協力な道具である。瞑想で精神は一方向に集中し注意深くなる。瞑想を練習することで、精神を常に注意深くあるよう訓練する。熟考は精神にその仕事は、内の世界と外の世界の交流を促進することだけだと理解する機会を与える。熟考の練習を通して、精神の役割というのはこの2つの領域を行き来するもの全てを見つめ認識することだけであり、他には何もないと私たちは気付くことができる。


ヨガの目的は精神の制御や制止、制限ではなく、ヴリッティを鎮めることである。つまり精神の常に忙しく動き回り続ける傾向を鎮めるのである。精神への完全な支配を得ることは当てもなくあちらからこちらへと放浪する精神の傾向を乗り越える必要があり、ヨギが私たちに伝えるごとく、混乱し集中を欠いた精神はヨガの実践とはそぐわない。


しかし実際問題、肉体や精神、意識はお互いに混ざり合っている。どれかを他のふたつから切り離して体験することなど絶対に不可能だ。私たちは精神よりも肉体をより感じやすいため、肉体のことばかり主に気にしている。ヨガの核を練習(精神の波を統御)すると、肉体が必要とするものや欲するものに対応するのが重要ではなくなる。すなわち肉体レベルで健康になり強くなることに役立つこの練習のことを「ヨガ」と呼ぶようになった。精神の波を統御するため、その妨害を最小限まで小さくするのに役立つのだ。だから、アサナ、呼吸、リラクゼーション、集中するテクニック、そして良い栄養を摂るという信念は全てヨガの一部なのである。しかし、ヨガとは究極的には「結合」を意味することを誠実な生徒ならば忘れてはならない。究極の結合は、個人と究極の存在の間にあるもので、その結合をもたらすために不可欠となる道具が精神なのである。





2020年5月11日月曜日

足裏のサポート 
Sole Support

ヨガをするときは裸足で行います。それは足の裏を感じきちんと使うためです。
窮屈な靴下を履き続け靴の中に足を閉じ込めていると、足裏の感覚を忘れて足指を使わなくなってしまいます。血流も妨げられますし、使うべき筋肉がどんどん弱っていきます。
今日の記事は、「足裏」です。

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足というのは大抵の場合目につかないし忘れられている、痛みを感じ始めるまでは。さていいニュースだ。地面から身体に力を与える強い土台を作るというヨガとアーユルヴェーダで緩和できる。


ヴェーダでは、足は「行動の臓器」と言われる。足は身体の土台で、体重を支えるための構造をした、様々な地形で動くことのできるプラットフォームだ。想像してみて欲しい。家の基礎が弱ければ全ての構造が軋み、壊れ始める。同様に、足の土台が弱ければ脚、膝、腰、背中、肩、首などに問題が起こり、筋肉の緊張、姿勢バランスの崩れ、疲労に繋がる。


アーユルヴェーダやリフレクソロジー、その他伝統的な治療法では、足は身体の他の部分の鏡とされている。今、足に緊張があるとしたら、きっと身体の他の部分でも緊張があるだろう。そして足が疲れているなら、体全体が疲れている。つまり、なぜヨガの実践者が、位置やアライメント、足にかかる体重のかけ方にこんなにも気をつかうのかということを説明できる。姿勢の土台としての機能だけでなく、足はまた身体全体のエネルギーの流れに影響している。木が枝を伸ばすため根から栄養を取り入れるのと同様に、私たちもまた地面からエネルギーを引くのに足を使うことができる。足の筋肉を引き上げ骨格を通して地面からの跳ね返りを感じることで活気のある姿勢となり、心が軽く、繋がって支えられているという感覚を得ることができる。


この跳ね返りの感覚の鍵となるのが足のアーチだ。骨そのものからと同様にアーチの下のスペースが作り出すその特有の構造や弾性のある支持なしでは、私たちの足は地面に崩れ落ち、歩くたびに関節の痛みを引き起こすことになるだろう。この足の自然な跳ね返りが足りない時は矯正用のアーチを使うこともできるが、アーチの正しい引き揚げができている人にとっても、身体の重要なこの部分に対する気付きを新たにすることができるだろう。


目標を定めた ハタヨガの練習は、足の強化と正しい使い方を知る完璧な機会となる。しかし、足に直接働きかけるには、シンプルで効果的な集中が必要だ。あなたの努力によって足の痛みを緩和できると気づくのに時間はかからないだろう。また、呼吸や血流を向上することもできるし、より微細なレベルでは内臓の健康と全体的なバランス、幸福感をも向上する。



軽やかな姿勢への鍵


ヨガに深い関連のある科学であるアーユルヴェーダでは、身体のエネルギーの点をマルマと呼ぶ。身体中のエネルギーの流れをコントロールする電源スイッチだと考えればいい。電機が正しく機能するために完全に機能している電源スイッチが必要なように、私たちの筋肉や内臓もエネルギーの妨げのない経路が活性化しているときに最適に働く。マルマ・ポイントは私たちの「電源スイッチ」なのだ。


足の重要なマルマ・ポイントのひとつであるクルチャシラ・マルマは、姿勢を左右し、身体全体そして特に足の筋肉システムの調和を作る。このマルマは踵の前にあり、アーチの高い部分にある立方骨の下だ。中医学では、湧泉と呼ばれるツボだ。足の裏でエネルギーが元気よく湧き出るのを示唆するこの名前を私は気に入っている。


クルチャシラ・マルマは、ちょっと探るようにマッサージすれば見つけられる。親指を使って踵のまっすぐ前の皮膚が少し柔らかい場所を探ろう。足指を上げると堅くなる2つの腱の間にある小さな窪みだ。土踏まずが弱かったり一日中足で立っていた時などは特に、親指でそこを触るととても柔らかいことに驚くかもしれない。鋭い痛みは、足裏から足首の後ろを通って脛骨へと走る深い筋肉、後脛骨筋が緊張しているか疲労している兆候だ。この筋肉の引きつれはまた、過労性脛部痛のよくあるタイプの原因となる。(ジョギング、ハイキング、スポーツなど、爪先の方へ体重が移動し足が平らになって足裏を疲労させ、土踏まずを撃ちつけることで起こる脛の骨の間の痛み)


クルチャシラ・マルマを親指でマッサージすることで足の緊張を解くことができるが、この痛みは姿勢の問題の症状のひとつでしかなく、この影響は足そのものにまで及ぶ。このマルマ・ポイントを手がかりとして使うなら、体全体を整えあなた自身に軽さとエネルギーを与えてくれる。以下がその方法だ。


足を床に付け、クルチャシラ・マルマの場所がわかるまで中指を土踏まずでなぞる。そして足指を床から持ち上げて土踏まずを引き上げる。このマルマ・ポイントで土踏まずの真ん中を意識的に特に力を入れて引きあげよう。土踏まずを目覚めさせるために指で上方に押す。もし足が回内しがちなら、そして特に膝を過伸展するくせがあるなら、このエクササイズは最初は難しいかもしれない。しかし、これは努力の甲斐がある。この場所への気付きと引きあげは過伸展の傾向を正すからだ。


このマルマ・ポイントから土踏まずを引き上げると、かかとにエネルギーの「輪」ができる。土踏まずが上がると踵骨の前が持ち上がり、踵骨の後ろが下がってアキレス腱が伸びる。かかとの高い靴(特にハイヒール)は大抵の場合土踏まずのアーチを逆方向へと促し、踵骨の前を落ち込ませ、踵骨の後ろが足首の方へ押し込まれてアキレス腱が短くなる。同様に、三角形のポーズ(トリコナサナ)のようなアサナでは、踵の前が落ち込み足首の後ろが締め付けられて膝が過伸展になる。こうした問題は脚の中心となる筋肉が弱いために起こるのだが、これはまさに土踏まずの中心が弱くなることから始まる。


クルチャシラ・マルマにおいて土踏まずを引き上げ軽くすることに敏感になることが、毎日の姿勢を正し、脚だけでなく腰や首の緊張を解くための最も重要なツールだ。ではいくつかの立位のバランスポーズの中でどのように働くのか見ていこう。足の感受性を高め強さとバランスを作るのに役立つはずだ。



中心を見つける


両足を快適な股関節の幅にして山のポーズ(タダサナ)で立ち、両手は腰に置く。膝をロックしたり過伸展しないよう、やや曲げておこう。足指を持ち上げて土踏まずに力を入れる。かかとの前から、脚の中央と身体の中心軸を通ってまっすぐ引き上げることに集中しよう。足の四隅 ー つまり母趾球と小趾球(親指と小指の根元にある肉厚のところ)とかかとの内側と外側だ ー は地面に向かってしっかりと均等に根付かせる。土踏まずの中央は軽く引き上げ、まるで木が栄養を土から吸い込むようにエネルギーを引き上げる。腰が自然に後ろに下がり、足で作られた土台の上で、よりよい姿勢になるのを感じてみよう。



正しいアライメント:
クルチャシラ・マルマから両脚の中心を通って引き上げると
尾骨が下へと伸び腰と首の緊張を解く




クルチャシラ・マルマの微細な引き上げによって踵骨の前側が上がり後ろ側が下がると、尾骨が下方へ長くなり、下腹が引き上がるのを感じ、仙骨のちょうど前にある骨盤のコアが引き上がり軽くなるだろう。これが腰の緊張を解いてくれる。また首の後ろが楽になって、頭は背骨の上でごく自然に浮き上がり始める。


では比較のため、足を緩めてかかとの前にあるクルチャシラ・マルマを下げてみよう。ゆっくり動かして、その連鎖反応を感じてみよう。腰は前方に動き、骨盤が重く押しつぶされた感覚があるだろう。腰はやや緊張し、腰椎に圧迫を感じるかもしれない。また頭の基部の辺りの骨まわり、首の後ろの筋肉も少し詰まった感じがするだろう。



悪いアライメント: 土踏まずの中心が押しつぶされ腰骨が前傾、
 骨盤に重さが生じ、腰と首を圧迫している



このように足が潰れると、中心がわからなくなる。それで、身体の後ろの姿勢を保つ筋肉(足裏、ふくらはぎ、ハムストリングス、腰や上背部、首)が、姿勢を維持するために詰まって堅くなり、同時に身体の前面(特にお腹、胸、腿)が崩れてしまう。 どちらの場合も、始点はクルチャシラ・マルマだ。もう一度このマルマを優しく引き揚げて姿勢の中心軸を見つけよう。どれくらいの引き上げが必要なのか探ってみよう。過ぎたるは及ばざるの如し。この「スイッチ」の「電圧」が低すぎると姿勢は消えてしまうし、高すぎると筋肉が刺激され過ぎて堅くなる。その間のちょうどいい場所を探そう。リラックスしているけれど目覚めているという姿勢だ。この姿勢の根から始まる中心軸を見つけ引き上げることが、体全体にエネルギーを与え、姿勢を保つ筋肉の慢性的な緊張や痛みを緩和する最も重要で最もシンプルなことなのだ。



強さを作る:木のポーズ


クルチャシラ・マルマを活性化させる足と脚の筋肉は、十分使われていないことが多く、エクササイズが必要だ。しかしこれらの深いコアの筋肉はなかなか使いにくい。腹筋や大腿四頭筋、二頭筋のようには使えない。とはいえ、特に木のポーズ(ヴリクシャサナ)などのバランス・ポーズなどハタヨガで鍛えることができる。木のポーズで根づき、引き上げ、開くようにイメージすることは、深いコアマッスルを活性させるのに特に適している。

木のポーズ:壁に膝を預けてポーズを安定させ
クルチャシラ・マルマから引き上げる



このポーズでバランスを取りながら同時に中心軸を見つけようとするのは難しいこともあるので、壁を使おう。まず、開いて持ち上げた膝が壁にちょうど支えられる程度の距離を開けて、足が壁に並行になるように立つ。左足を右の内腿のやや後ろ側に置き、大内転筋(坐骨に向かって走る長い内腿の筋肉)を押す。曲げた膝は股関節よりやや前にして、骨盤が左右並行にそして壁に直角になるようにする。もし軸足の膝がロックしていたら、少し曲げて爪先をやや持ち上げ脚の前方からエネルギーを引き上げるようにする。その間、腰は後方へ、かかとへと体重を移す。ヒップ・ポイント(両手を腰の前に置いた時に感じられる寛骨の骨張った点)が少し前に傾き背中のアーチが強くなることもあるが、それは構わない。 
 

軸脚の上でよりよいアライメントへと腰を動かしたら、軸足の四隅を根付かせながらクルチャシラ・マルマで中心を探ってみよう。母趾球とかかとの外側の間で体重のバランスを取り、小指を使って安定させる。根が地面から栄養を引き込むようにエネルギーを引き上げる。このエネルギーの繋がりと引き上げを感じられたら、ポーズは安定するはずだ。そして花が咲くだろう。 
 

下腹部を引き締め、恥骨のすぐ上の筋肉を内側そして上へと引くことで、胴部全体を引き揚げ続けよう。その引き上げと足の土踏まずの引き上げの間の関係を感じてみよう。下腹部を働かせると、尾骨が下がり曲げた脚の股関節が開く。同じように、胸が胸骨から引き上がって、肩もリラックスして広がる。喉の上を(顎のすぐ下)後ろ斜め上に引いて、頭頂に向かって首を長く伸ばす。これが口蓋の根元のスペースを開き、首の後ろのあらゆる緊張を解いてくれる。このポーズの名前の通り、あなた自身が木のように安定ししなやかになる。身体が徐々に開くとともに、その安定性を維持するために必要な筋肉を探し使おうとして立っている方の足が強く働らくだろう。ポーズから出る準備が出来たら、反対側の脚で繰り返そう。 



ハーフムーン・ポーズ


木のポーズと同じように、ハーフムーン・ポーズ(アルダ・チャンドラサナ)もまた土踏まずを活性化させ、その強さが膝や股関節、腰のアライメントへと繋げる。残念ながら、私たちは習慣的に体重を爪先に移動し立っている脚の膝をロックしてしまうのでこの効果を得ることは少ないのだ。 ハーフムーンの準備:右膝を曲げて前へ移動してポーズに入る。右足の指を引き揚げて土踏まずを活性化させて体重をかかとへと移動する。


 以下の傾向があるかどうか簡単なテストをしてみよう。アルダ・チャンドラサナをしている時、床を掴もうと足指を丸めて白くなっていないか?その場合はこれを試してみよう。右膝を曲げてポーズに入ろうと前に移動するときに、少し止まって足指、そして土踏まずを引き上げる。この調整が体重を右かかとの後ろへと移動させ、クルチャシラ・マルマを見つけやすくする。右の土踏まずの中央で引き上げ続けながらポーズに入ろう。

ハーフムーン・ポーズ: 右足の土踏まずの中心から
右脚のコアを通して引き上げ続ける



そして腹部から両脚へと外に向かって伸びる。 足指を使ってバランスを取ってもいいが、握る必要はなくなる。クルチャシラ・マルマをバランスの中心とし、右脚にそってエネルギーを引き上げると、膝のロックや脚の付け根の骨間の筋肉の締め付けを防ぐことができる。みぞおちから両脚に沿って伸び、ポーズをしながら先端まで伸展するようにしよう。 



クルチャシラ・マルマは全ての立位のポーズ、そしてマットの外での姿勢でも使える重要なエネルギーのスイッチだ。このマルマはエネルギー、アライメント、そして足と身体全体に活力をもたらし、内なる深みにある静かな気付きの中心を敏感に感じられる助けとなる。

2020年4月24日金曜日

自然のチカラで頭痛と首の緊張を解く 
self-healing tips for alleviating head and neck tension




頭痛は本当に全く辛いものです。ストレスの多いスケジュールや、一日中電話やコンピュータの画面の前で過ごすことで、私たちは頭痛になりやすくなります。


うっかり身体が脱水したり、なんとか動こうとして糖分を取りすぎることもよくあります。頭痛の時は、ただただ静かな場所に引き篭もりたいと思うでしょうが、シャッターを閉めてベッドに倒れ込む前に、お風呂を試してみましょう!以下は、こめかみの緊張を解くコツです。


お風呂は、毛穴を開いて、頭部の血液と酸素を循環させることで頭痛を緩和します。様々な痛みにそれぞれレシピがあります。


あらゆる頭痛に:ペパーミント・オイル2滴を額に押し当て、お風呂に5滴

首と目の疲れに:ラベンダー・オイル2滴を額に、お風呂に5滴

消化器官や神経の緊張に;カモミール・オイル2滴を額に、お風呂に5滴

その他:副鼻腔炎性頭痛にはユーカリ・オイルを3滴足します



入り方:お風呂に入る前にラベンダー・オイル少しを首の後ろに塗ります。お湯に浸かったら、氷を包んだタオルを額か頭の上に載せます。痛みに合ったオイルを手指に1滴ずつのせて、額と頭骨の下をマッサージしましょう。


鼻からゆっくりと息を吸いこみ、口から息を吐きましょう。呼吸が白く透明であるようイメージし、痛みや否定的なものを全て手放します。要らないものが徐々に消えていくのを感じ、お風呂の後はゆっくり休みましょう。




(出典)https://www.yogitimes.com/article/relieve-yourself-from-headaches-with-this-natural-remedy-bath-oil-life-beauty