前回の続きです。
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手放すことの5段階
物事が順調に進んでいる時、自身が力強く肯定的に感じる時、健康で創造性に満ちている時、愛に包まれている時は、なぜそんなにも執着を手放すことについてヨガの文献にたくさん書かれているのだろうと不思議に思いがちです。喪失感や悲しみ、失敗に対峙するときは、それに対してもっと興味を感じるでしょう。手放しの実践が、激しい苦痛から抜け出し安らかさに近い何かへと進ませてくれる生命線となります。
けれど、手放しへと一気に飛び込める訳ではありません。ですから、バガヴァッド・ギーターは、小さなことから始めて、毎日手放す筋肉を働かせ養うことを勧めているのです。手放しには練習が必要で、段階的に姿を現します。
第一段階:承認
大きな喪失や強い執着に対処する時はいつも、私たちの感情を承認して働きかけることから始める必要があります。こうした感情は、執着の面倒な局面です。何かが欲しいと感じる時の興奮した欲望や、それを失うことへの不安、そして得られなかった時に現れる絶望感。
承認とは単に、あどうしても欲しい、喪失感を感じると認識するだけではありません。何かを欲しいと思う時、どのように欲しいのかを感じ、身体の中の「欲しという感情」を見つけます。勝利を確信している時には、胸を叩いて「自分、自分、自分!」と言いたがっている自分の一部とともに居ましょう。大切なものを失う不安や恐怖は押し退けるのではなく、わき起こるままにしてそこに呼吸を送ります。そして、実際に喪失した絶望を感じるときは、それを受け止めましょう。泣いてもいいのです。
第二段階:自問
感情を感じ取れたら、自問を通じてその感情を処理しなければなりません。そのためには、欲望や哀しみ、絶望が意識の中に起こる感情の場所を調べることから始めます。その感情に名前をつけて、その中身や物語を徐々に吐き出します。(慰めが必要な部分を扱うために、前もって少し自分と話すことが、時には役立つかもしれません。能力があるのだと自分に気づかせたり、役立つ教えを思い出したり、助けや導きのために祈る、あるいは吐き出す度に「癒されますように」と言うだけでも。)
プロセスの自問部分を始めるには、自分の内に居る目撃者と繋がります。そして、感情のエネルギーを探ります。このエネルギーに深く入れば入るほど、そのやっかいな性質は、糖分の間は解け始めます。感情に対処するプロセスでは、その感情と共に居る自分と少し離れたところに立つ自分の両方を探る方法を見つけるのが重要です。
第三段階:処理
手放すことの3段階目では、今まで歩んできた人生で、取り組んでいる責務や人間関係、ライフステージの中、それらが結果的にどうなるかに関わらず、何が有益なことなのかに気づき始めます。息子の誕生日の後帰宅して「少なくとも会った」と考えた母親は、この認識の解釈のひとつを経験しました。私たちの多くは、しなかったことで得た教訓であっても、何かを実際に得られたと気づく時に、手放すことの第三段階に到達します。
ある若い科学者は、2年間を費やしてきた彼のキャリアを決定する研究で大きな成果に近づいていましたが、ある日科学雑誌を手に取ったとき他の誰かが達成してしまったことを知ったのです。彼はひどくショックを受けて研究への意力を失いました。「絶望的なことばかり考えてしまう」と彼は私に言いました。「『お前は全く不運なんだ。科学の神様がお前に成功させることはない』と考えてしまう。ラボに行くことさえ嫌だった」
彼はその絶望をいくつかの方法を組み合わせてやり過ごす方法を学びました。マインドフルネス(「それは単に思考にすぎない」)、それに向かって話をすること(「物事は良くなる!」)、そして祈りです。今までの研究からどれほど学ぶことができたか、そしてそれが後にどれほどに役に立つかに気づき、距離を置けるようになった(彼が実際に使った言葉は「癒された」)と語りました。
第四段階:創造的行動
この科学者は、何かを証明する必要からではなく、それをすること自体に本当の熱意をもって新しく始められるようになった時、第四段階に達するでしょう。
喪失や欲望で感覚を麻痺することもあり、行動する意思を失ったり、意味がないあるいは無益な方法で行動している自分に気づきます。プロセスに時間をかける理由の一つは、行動する時、いくらかコントロールができると自分を納得させるために、恐怖や何かをしなければという必死さで麻痺しないためです。喪失の早い段階や強い欲望に囚われた時、基本的な生存のために最小限だけを行うということも、時にはより望ましいこともあります。けれど、前身するに従って、考えや計画がどんどん浮かび始め、それを行うことに本当の興味を感じるでしょう。それが創造的な行動を取る時です。
第五段階:自由
喪失について(あるいは欲望対象について)考えることが、通常の幸福感の邪魔をしなくなった時、この段階に達します。欲望、恐怖、そして絶望は心の中に深く入り込み、どんな執着の残骸があってもそれに引き寄せられるのを感じます。こうした感情によって突然襲われることなく、今起きていることをじっくりと考えられるようになった時、本当の手放すことに達し始めていることに気づきます。
第五段階は真の自由という状態で、賢者アビナヴァグプタは重荷を下ろす感覚だと表現しています。些細なことではありません。そうした困難な感情のひとつから自分自身を解放するたびに、ヨガの文献が束縛の鎖だと呼ぶものの、もうひとつの関係の扉を開けるのです。
捧げることによる手放しの実践
毎日行っても、人生の大きな障害に対処する方法としてでも、柔らかな態度で行うと、手放しの実践はより容易になります。おそらくは自身のユーモアのセンスで前進するパワーを得ながら、勇敢に自分の弱さを断ち大変なことに立ち向かうという、精神生活へ向かう禅の武士たちには多大な敬意を感じます。けれど、私がそういった方法で手放そうとすると、感情が深く凍結してしまうように思えます。
そこで代わりに、手放すことを容易する私の方法は捧げるという実践です。自身を精神的な存在(ヴェーダの文献では、存在、気づき、至福と言われます)につなげ、そして今していることは何であれ、今しようとしていること欲していること、今解放しようとしていることをささげるのです。それは、バガヴァッド・ギーターで確率された昔からの方法、つまり、あなたの努力の結果を神に捧げることです。
全ての精神的伝統は、何らかの献身(そしてなんらかの神)を持ちますが、手放しの実践については、最も力強い献身法は、自らの行動を捧げ、恐怖や欲望、疑い、妨害を、ひとつの意識へと向けることです。行動を捧げることにより、特定の利益や個人的な目的でなく、ただ「偉大なる意識」を称え感謝し、それと自身の意識をつなげるために行動するよう、自身を訓練することができます。欲望や恐怖、疑心を捧げることで、それらが私たちを捉える力を緩めることができ、私たちの切望とそれらの達成の両方の源である「存在」の中で信じることを思い出すことができます。
献身の実践がどんなものかを見ていきましょう。
まず、つながるための最も大きく優しいレベルの真実を思い浮かべます。思いやりの心、特定の先生や神様、一体感、あるいは単に自然界全体(人間、動物、植物、地球、空気、恒星、惑星、宇宙そのもの)でもいいでしょう。あるいは、自分の存在、自分の命にもっとも不可欠だと感じる存在やエネルギーに気づくことでもいいでしょう。
これができたら、これから行う行動、あるいはそうなって欲しいと思う結果を心に浮かべます。心の中で、それを「存在」に捧げます。「可能な限り最高の形で達成されることを願いながら、これを全ての源に捧げます」というようなことを言っても良いでしょう。もし問題が強い執着や、自分自身の妨害となるもの、誰かであれば、それを心に描いて捧げます。「この状況でバランスをとり調和を得られますように」とか「物事が全ての人ためになりますように」「至高の善に従った結果となりますように」など言うこともできます。
特定の人間関係への欲望や、自分の幸福への希望、愛する人など、あなたが捧げているものを深く気遣うなら、それを手放すことに躊躇しているのに気づくかもしれません。そんなときは、もう一度捧げましょう。希望や恐怖、欲望、怒り、正義感などと自分自身との同一視が緩んだと感じるまで続けます。執着に囚われたと感じるときはいつでも、もう一度捧げましょう。
捧げることができたら、内面に作り上げた感情のスペースの中に居続けます。「存在」の育みの力は、恐怖や執着を本当に消し去る唯一の力です。その広大で優しいエネルギーを知れば知るほど、それが私たちの力と愛の源であると気づきます。そして気づいた時、手放しはより大きなものへと変わります。欲望や恐怖を手放すことではなく、私たちはこんなにも大きく、その中の小さな感情の全てを包むことができ、それでいて完全に自由であることへの気づきへと変わるのです。